15年前の6月末の未明、桜の木の前に、紫色の目をし、整った顔立ちの男の子が、寝衣のまま立っていた。

♢♢♢♢♢

同時刻、

美郷(みさと)ちゃん。美郷ちゃん。起きて。』

『う〜ん。誰?』

『僕だよ。僕。君の旦那様だよ。いいから起きて。』

『なあに?悠君。……って言うか、…、今、何時?』
とベッドサイドの時計を見る。

『やだ〜。まだ、4時過ぎじゃない‼︎どうしたのよ。悠君。こんな時間に。』

『君は、いつも可愛いね。』
と言って起き上がった美郷の頬にキスをした。

『ちょっと朝、早いけど、僕たちの可愛い息子が意外な場所に居るみたいだから、迎えに行こう。』

『えっ?紫紺君?どこに居るの?』

寝起きで頭が働かないのか?意外な場所と言われたのに、周りをキョロキョロ見回し始めた美郷。

その様子に、ニコニコ笑いながら、
『いいから。ほらっ、起きて。これ、羽織って。』

夫に促されるまま、渡された上着を羽織る。

すると今度は、手を繋ぎ、
『さあ、迎えに行くよ。』
と歩き出した。

夫に手を引かれ、連れられてきたのは、この家の庭にある桜の木の前。

家の庭と言っても、
ここは、神獣人を率いる麒麟一族の当主 黄竜門家の大邸宅。庭というより、庭園と言った方がいい立派さだ。

そして、悠君と妻に呼ばれていた物言いの優しい、一見、何処にでもいそうな男が、この家の(あるじ) 黄竜門 悠然である。

黄竜門家の庭の一角に、一際、目を惹く樹齢150年ほどの枝垂れ桜の大木がある。

その枝垂れ桜の大木の前に、我が息子は、寝衣のまま、立っていた。

『紫紺君。何をしてるの?』

声のする方へと振り返った男の子は、そこに立つ見慣れた顔の2人を見つけると、嬉しそうに、にっこり笑って駆けて来た。

『お父さん、お母さん。あのね〜。僕、夢を見たんだ。
僕のお姫様が、天使の羽をつけて、桜の木に舞い降りて来たんだよ。』
とキラキラ輝く笑顔で言うと、枝垂れ桜の大木を指す。

まるで、舞い降りてきたのは、この木だよ。と言わんばかりに。

二人とも、息子の言葉に驚き、互いに顔を見合わせた。

『それで、紫紺君は、この桜の木を見に来たの。』

『うん。やっと還って来たんだから、早く、「お帰り。ずっと待っていたんだよ。」
って言ってあげなきゃ。と思って。』

この言葉に、またも、二人、顔を見合わせる。

『そう。それでお姫様はなんて言ってたの?』

急に、笑顔が消えて、がっくりと肩を落とした。

『何にも返事が無いんだ。』

今にも、泣き出しそうな息子の様子。

『きっと、来たばかりで、疲れて眠っているのよ。すぐに、応えてくれるわよ。』
と声を掛けると、

パッと顔を輝かせ、
『そうだね。きっとそうだ。』
と笑顔に戻った。

『まだ、朝、早いから、お家に戻ろうか?紫紺君』

『うん。お父さん。ちょっと待ってて。』
と言うと、桜の木の側まで、駆けて行く。

桜の木に何か話しかけ始めた息子を見ながら、

『番の花紋を持つ花姫とは、繋がりが深い。御霊還りなら尚の事だろう。と聞いてはいけど、これほどとは、思わなかったよ……。
驚いたね。美郷ちゃん。』

『そうね。まさか、舞い降りて来たのを、夢で見ちゃうなんて…ね。ふふふっ。紫紺君、御伽噺の王子様みたいね。』

『ほんとだね。流石、僕の息子だ。』

『花姫が舞い降りたってわかったんだから、息子の恋路は、応援しなくちゃね。』

『うん。うん。二人で、応援しちゃおうね。会える日が楽しみだよ〜。』

息子の言葉を微塵も疑うことなく、夫婦二人、息子の花姫の話に盛り上り始めると、パタパタと息子が駆け戻って来た。

『お待たせ。』
と言った顔は満足そうにニッコニコ。

『何を話していたの?』

『「ゆっくり眠って休んでね。また、会いに来るよ。」って言って来たんだ。』

それにしては、長かったわね。と思いつつ、
『そうなのね。』
と言っておいた。

小さな息子にも、ヒミツくらいあるわよね。ふふっ。

『僕たち3人が、居ないことに、道元がもう気づいたみたいだ。玄関で待っているよ。』

『さあ。早く家の中へ戻ろう。』

『道元は、相変わらず、察知が早くて、律儀ね。』

道元とは、この黄竜門家で長年、執事長を務める男である。

気づけば、空は、ぼんやり白み始めている。

ご機嫌な様子で前を歩いていく息子を、微笑ましそうに見守りながら、夫婦2人仲良く手を繋いで歩いて家へと戻っていった。