ふとララノの見ると、ひどく沈んだ表情でコーヒーを飲んでいた。
その顔を見て、僕はハッと気づく。
「……ごめんねララノ」
「え?」
「僕が変な質問したばっかりに、辛いこと思い出させちゃって」
僕はなんて愚かな質問をしてしまったんだ。
ララノが僕に話してくれたことは、実際に彼女見て体験してきたこと。
故郷が大海瘴に飲み込まれ、発狂した動物たちに仲間や家族が襲われるという壮絶な体験から生まれた推測。
軽い気持ちで聞いて良いものじゃなかった。
「軽率だったよ。本当にごめん」
「そ、そ、そんな、謝らないでください。大海瘴の体験を話そうと思ったのは私ですし。それに、サタ様のお力になれたなら嬉しいので」
「ラ、ララノ……」
思わず熱いものがこみ上げてきた。
なんて良い子なんだろう。
そう思うと同時に、ララノの力になってあげたいと心の底から思った。
「ララノに約束するよ。いつかこの場所から瘴気を無くしてみせる」
「……えっ?」
「そしたらきっとキミの家族や仲間たちも戻ってきて、集落も再興できるはずだ」
「…………」
ポカンとするララノ。
その表情に、逆に驚いてしまった。
感動とかならまだしも、何でそんな表情なんだろう。
もしかして、気持ち悪い発言で、ドン引きされてしまったパターン?
「ふふっ」
軽く自己嫌悪に陥っていると、ララノはくすぐったそうに肩を震わせはじめた。
「やっぱりサタ様って、他の人間の方たちとは違いますね」
「……え? そ、そう?」
「獣人のためにそこまで言ってくださる人間の方なんていませんよ」
「あ〜……いやまぁ、普通の人はそうなのかもしれないけど」
獣人に対して思うことなんて何もない。
彼らに嫌がらせをされたってわけでもないし、どちらかというとラインハルトさんみたいな人間の方が百倍嫌いだ。
助けたいと思ったのは、相手がララノだから。
というのも何だか気持ち悪いけれど、それが僕の正直な気持ちだ。
「サタ様、ありがとうございます」
ララノは立ち上がって敬々しくお辞儀をした。
彼女につられて、僕も立ち上がって頭を下げる。
「あ、いや、うん……こちらこそ瘴気のことを話してくれてありがとう」
なんだか気まずい空気が僕たちの間に流れはじめる。
う〜。こういう空気は大の苦手だ。
「ええと……と、とりあえず、良い情報を教えてくれたお礼に、もう一杯コーヒーどうかな? 疲れが取れる『持久力強化』の僕の付与魔法入りで……って、別に今から肉体労働頑張れよとか、そういうことを言ってるわけじゃないから勘違いしないでね?」
慌てるあまり、一気にまくし立ててしまった。
あわあわ。ちょっと落ち着けよ僕。
そんな僕を見て、ララノはクスクスとくすぐったそうに笑う。
「……ふふ、ありがとうございます。では、お言葉に甘えさせていただきます」
「う、うん」
早速コーヒーを作ろうと、挽いたコーヒーを入れているケースを手に取ったが空っぽだった。
何だよもう。タイミングが悪いな。
「ごめん。コーヒー切れたみたいだから、ちょっと待ってて」
そそくさと、すぐ隣にある備蓄テントへと向かった。
ここには消耗品や保存食、飲料水などが保管してあるけれど、全て農園に来る前にパルメザンで買ってきたものだ。
「……ううむ」
テントの中を見た瞬間、考え込んでしまった。
「……? どうしました?」
いきなり僕が難しい顔で悩みはじめたもんだから、ララノが不思議そうに声をかけてきた。
「あ、いや、改めて備蓄品を見たんだけど、結構減ってきてるなって」
気のせいではなく、明らかに減ってきている。
農園生活をはじめて一度も買い出しに出ていないので当たり前なんだけど。
しかし、こうして見ると、やっぱりこの農園で賄えないものは多いな。
農園に旅の商人でも立ち寄ってくれれば良いんだけど、わざわざ危険な呪われた地に来るわけがないし。
ここまで来て貰うには、街に行って彼らと契約を結ぶ必要がある。
「……よし、予定を変更して街に行こうか」
「え? 街に? これからですか?」
「うん。物資の補充をしてから商人さんと契約したい。ほら、彼らに農園まで足を伸ばしてもらえたらと色々と助かるでしょ?」
さらに、その商人が農作物を買い取ってくれれば最高だ。
「近くの街というと、パルメザンでしょうか」
「そうだね。行きは徒歩になるけど、付与魔法を使って俊敏力と持久力を上げれば早く着けるんじゃないかな」
ここに来るときに高いお金を払って運び屋ギルドにお願いしたのは、運ぶ荷物があったからだ。
向こうで買い物をするので戻ってくるときは運び屋ギルドにお願いしないといけないけど、行きは時間短縮できるはず。
畑には定期的に「免疫力強化」の付与魔法をかけないといけないけど、土壌改良しているから一週間くらいは持つ。
農園を離れても問題はない。
「わかりました。それではサタ様がお戻りになるまで私は畑を守っていますね」
「え? 一緒に行かないの?」
「……はい?」
「いや、だってほら畑は動物たちに任せられるし、ララノも一緒にパルメザンに行かないのかなって」
「…………」
ララノが僕の顔を見たまま固まる。
そして、ハッと我に返ったかと思うと、カッと顔を真っ赤に染めた。
「わっ、わ、私も一緒に行ってもいいんですか!?」
「もちろん。料理に必要なものとかあったら一緒に買っておきたいし、むしろ一緒に来て欲しいっていうか。あ、でも長旅になるし、無理に同伴してくれなくても良いけど──」
「愚問っ!」
「うわっ!?」
獣人の脚力を活かした素早い動きで瞬時に詰め寄ってくるララノ。
その目は獲物を狙う肉食獣のように鋭かった。
「もちろん行きます! ええ、行かせていただきますとも! まるっとララノにお任せあれっ!」
「……あ〜、えと、うん。お願いします」
その気迫に気圧されてしまう僕。
でも、一緒に来てくれるようで良かった。
そうして僕たちは、農園をスタートさせてはじめての遠出をすることになったのだった。
ララノの「任せて」という言葉に嘘偽りはなかった。
軽く旅の準備をして出発したのだけれど、ララノが呼んでくれた巨大な狼に街の近くまで送って貰えることになったのだ。
狼の足は驚くほど速かった。
馬車で二日かかるパルメザンまでの道を、わずか数時間で完走した。
とはいえ、お世辞にも快適とは言いづらかったけど。
道中は落下したら死んでしまいそうな断崖絶壁を飛び降りたり、急勾配の斜面を滑り降りたり。はっきり言って、生きた心地がしなかった。
ララノには申し訳ないけど、できれば次回はご遠慮させていただきたい。
というわけで予想より早く到着したパルメザンの街は、相変わらず程よい賑わいを見せていた。
いや、以前よりも通りを走る荷馬車の数が多いかもしれない。
そういえば「領主様が周辺地域から農作物をかき集めている」みたいな話をサクネさんがしていたっけ。
その影響で商人たちが集まっているのかもしれないな。
「……サクネさん、元気にしてるかな」
彼の荷馬車をぬかるみから救出したのは数週間前だけれど、もう何年も前のことのように思えてしまう。
それほど農園生活が充実してるってことなのかな。
もし街にサクネさんがいたら、ララノと三人でご飯にでも行こうか。
そう考えながらふとララノを見たら、警戒するような目で周囲をキョロキョロと見ていた。
「ララノ?」
「……っ!」
声をかけると、彼女はビクッと身をすくませた。
「大丈夫?」
「あっ、いえ、大丈夫……ですけど、ちょっと人間の方たちが」
「人間……? あっ」
言われて気づく。
そうだ。ララノたち獣人は、人間から忌み嫌われている種族だった。
大きな街に行けば獣人の奴隷を売っている奴隷商は必ずいるし、「劣等種」だと理由もなく迫害を受けている獣人も少なくない。
もしララノに何かあったら、僕が守ってやらないとな。
「もし変なヤツが絡んできても僕が追い返すから」
「え?」
「獣人だからってララノは後ろめたさを感じる必要はないよ」
「……え、あっ、それは、ええっと」
どうしたんだろう。
ララノは顔を赤くしてうつむいてしまった。
「ご、ごめんなさい。そういうのではなくて、こんなに多くの人間の方たちを見るのは久しぶりなので、単純に驚いてしまっただけというか……」
「…………」
しばし僕たちの間に気まずい沈黙が流れる。
というか、周りをよく見たらチラホラと獣人がいるじゃないか。
もしかしてホエール地方には獣人が多いのかな?
「あ、あはは。ごめんね。完全に僕のはやとちりでした」
「いえ、謝ることでは……むしろ、お気遣いありがとうございます」
恥ずかしそうにうつむいたままのララノだったが、彼女の尻尾は嬉しそうに揺れていた。
「パルメザンには何度か来ているのですが、最近はサタ様以外の人間の方とお会いしていなかったので、何だかドキドキしてしまいます」
「あ、わかる。久しぶりに人に会うとソワソワしちゃうよね」
「もしかして、サタ様も?」
「うん。実はそうなんだよね。だって僕もララノ以外と会ってないし」
「ふふ。じゃあ一緒に慣れていかないとですね」
クスクスと肩を震わせるララノ。
なんだかニートの社会復帰訓練みたいだな。
まぁ、農園に来る前は院に引きこもって研究していたわけだし、ある意味ニートみたいなものだから間違いじゃないけど。
「とりあえずリハビリも兼ねてお店を回りましょうか。買った物は運び屋ギルドさんにお願いして農園まで運んでもらうんですよね?」
「うん。そうしようと思ってるんだけど、買い出しして帰るだけじゃ、なんだか寂しい気もするしな……」
とそこで僕の脳裏にふととあることが浮かぶ。
「あ、そうだ。用事が済んだらおいしいものでも食べて帰らない?」
「あっ! 良いですね!」
ララノの表情が、パッと明るくなった。
「お話したトマトペーストのパスタ、食べに行きます?」
「それもいいね。ララノはお酒を飲めたりする?」
「はい。バッチリいけます」
「じゃあ、買い物が終わったらパスタを食べてから居酒屋に行こう。聞いたところによると、パルメザンには貴重なホエールワインが飲める店があるらしいんだ」
「ホエールワインが飲めるんですか!? すごい! それは楽しみです!」
ララノが嬉しそうにパチパチと拍手する。
サクネさんに教えてもらっただけで、まだ行ったことがないんだけどね。
でも、サクネさんに色々とお店を教えてもらっておいてよかった。
ララノの好きなお酒の話題で盛り上がりながら、僕たちは街の「種苗ギルド」へ向かうことにした。
「種苗ギルド」は大きな農園に肥料や種子、苗、資材などを卸しているお店なんだけれど、小ロットで店頭販売もしている。
ちなみに現代日本では農家は「種屋」といわれている農業に関するもの全般を売っているお店から買っているらしい。アルミターナでその種屋の役割を担っているのが種苗ギルドというわけだ。
「いらっしゃい」
ギルドの小さなドアを開けると、丸メガネをかけた人の良さそうなおばさんが声をかけてきた。
おばさんはカウンターで台帳のようなものを見ていたけれど、ふと僕の顔を見て驚いたような顔をした。
「……おや? 先日の魔術師様じゃないですか」
「こんにちは。また買い付けに伺わせていただきました」
「ありがとうございます。お客様はいつでも大歓迎ですよ」
おばさんが目尻に深いシワを作る。
この種苗ギルドに来るのは二度目だ。
前回来たとき、「ホエール地方で農園を開くので、種子と肥料がほしい」ってお願いしたら盛大に驚かれたっけ。
「魔術師様の農園は順調ですか?」
「ええ、お陰様で」
「本当ですか!? こりゃ驚いた。大海瘴でほとんどの農園がダメになったっていうのに、一からスタートさせてうまくいくなんて、流石は王都出身の学者先生ですね」
「いやいや、農園が順調なのは彼女の協力があってこそですから」
「……彼女?」
おばさんがメガネをクイッと上げて、僕の後ろにいるララノを見た。
「おやおや、早速お嫁さんをこしらえたんですか?」
「あ、いや、彼女は──」
「ちょ、ちょっとおばさま!」
ララノが僕の言葉を遮り、身を乗り出してくる。
「わ、わたた、私はサタ様のお手伝いというか、助手というか……ええと、使用人みたいなものですから! 私がお嫁さんだなんて、サタ様に失礼ですよ!」
「…………」
唖然としてしまった。
確かに違うんだけど、そんなに全力で否定しなくてもいいのに。
「なるほど、そうでしたか」
だけど、おばさんはララノに凄い剣幕で詰め寄られたにもかかわらず、優しげな雰囲気を崩さずに続ける。
「それにしても可愛らしい方ですね?」
「かっ、かわ、可愛い!?」
ピョコンとララノの耳が反応する。
「お、お、おばさま、わ、私、じゅじゅ、獣人ですよ!?」
「……? ええ、見ればわかりますけれど?」
おばさんはニコニコ顔で続ける。
「可愛い獣人さんじゃないですか。実は私の息子も獣人の子と結婚しましてね。ホエール地方を離れているので、あまり会えないのが残念なんですけど」
「あ……え……?」
目をパチクリと瞬かせるララノ。
まさかの反応に、大混乱に陥っているようだ。
かくいう僕も驚いている。
大通りを普通に獣人が歩いていたからもしかしてと思ったんだけど、パルメザンには獣人に理解のある人が多いのかもしれない。
「ああ、すみません。話がそれてしまいましたね。それで魔術師様、今回はどんなご用件で?」
「ああ、ええっと……今回も種子と肥料を買いたいのですが」
「承知しました。今の時期だと秋野菜の種子と苗ですね。少々お待ち下さいね」
おばさんはそう言ってカウンターの奥へと消えていく。
「……良かったね、ララノ」
そっと話しかけると、ララノは驚いたように尻尾を尖らせた。
「べっ、べ、別に私は可愛いなんて言われても嬉しくなんてありませんから。そりゃあサタ様に言われたら、少しくらいは嬉しくて──」
「あ、いや。ごめん。そっちじゃなくて、獣人への理解があってよかったねって意味。他の地域と違って、ここの人たちは獣人といい関係を続けてそうじゃない?」
ララノの驚いた反応を見る限り、彼女も知らなかったのかもしれない。
街に来るのも久しぶりと言っていたし、人間社会から離れていたら気づかないよね。
でも、これはララノにとっても嬉しい誤算だろう。
──と、思ったんだけれど。
「……ん?」
なぜかララノは今にも泣き出しそうだった。
え。なんでそんな顔?
「ど、どうしたの?」
「…………なんでもありませんっ!」
ララノはプゥと頬をふくらませ、プイとそっぽを向いてしまった。
予想外すぎる反応に、思考が停止してしまった。
なんで怒ってるんだ?
もしかして何か地雷を踏んでしまった?
でも、そんな発言は何もしてないし。
などとひとりで困惑していると、店の奥からおばさんが麻袋に入った種と肥料一式を持ってきてくれた。
ニンジン、カブ、ダイコン、サトイモ。それにナスとトウモロコシ、レタス。
ざっと見る限り、夏野菜の種だ。
まもなく夏本番だし、夏野菜の作付けをする時期か。
「あの、春野菜の種ってまだあります?」
そう尋ねるとおばさんは不思議そうに首を傾げた。
「ありますけど、もう時期は過ぎてますよ?」
「大丈夫です。もしあるなら、そちらも下さい」
付与魔法で成長促進と生命力強化してあげれば、まだまだ春野菜も育つのだ。
もしかすると、夏に入っても春野菜が作れるかもしれないな。
春野菜の種を取っておいて、夏になったら試してみようかな。季節外れの野菜ができれば、買ってくれる商人が名乗り出てくれそうだし。
「商人? ……あ、そうだ」
おばさんに会計をしてもらっていたとき、商人と契約する件を思い出した。
「すみません、ちょっとお聞きしたいことがあるんですけど」
「はい、なんでしょう?」
「ウチの農園と取り引きしてくれそうな商人さんを探しているんですけど、この街に商人組合ってありますかね?」
「取り引き?」
「はい。実は結構な量の作物が育っていまして、余剰分を買い取ってもらおうかと思っているんです」
「…………」
なんだか胡乱な目で僕を見るおばさん。
「な、何か?」
「薄々感じていたのですが、魔術師様はやっぱり凄いお方だったんですねぇ」
「はい?」
「呪われた地で農園を始めるだけでも大変なのに、商人に売るほどの豊作だなんて普通じゃあり得ませんよ? どんな魔法を使ってるんです?」
「あ〜、いやまぁ……あはは」
どう説明しようか悩んで愛想笑いを返した。
付与魔法で作物を成長促進させてバリバリ収穫してます……なんて説明したところで信じてくれないだろうし。
まぁ、騒ぎになっても嫌だから秘密にしておこうかな。
おばさんは少々呆れ顔で話を続ける。
「商人と契約したいんでしたら、今は組合じゃなくてリンギス商会に行くといいですよ」
「リンギス商会?」
って確かこの街で一番大きい商会だったよね。
リンギス商会はホエール地方の農作物、特に「ホエールワイン」の原料になるブドウを扱っている商会だ。
商人と交渉する場合は商人の相互扶助組織「商業組合」に行って組合長から紹介してもらうというのが普通なんだけど、なんで商会なんだろう。
「ほら、大海瘴の影響で領主様が周辺地域から農作物をかき集めてるって話があったでしょう? その商談をリンギス商会でやっているんですよ。なんでも見習い商人まで引っ張り出されているとか」
そういうことか。
でも、見習い商人まで駆り出されるって結構大変な状況なんだな。
僕なんかと契約してくれる商人は見つかるだろうか。
まぁ、何にしてもリンギス商会に行ってみるか。
「ありがとうございます。リンギス商会に行ってみます」
「商会に行かれるなら、肥料は取り置きしとけば大丈夫ですかね?」
「はい。後で運び屋ギルドにお願いして回収してもらいます」
「わかりました。それじゃあ、また後で。毎度ありがとうございます。可愛らしい奥さんも、またいらしてくださいね」
「……っ!? だからおばさまっ! 私はそういうんじゃないんですってばっ!」
爆発するかと思うくらいに顔を真赤にするララノ。
そうして僕たちは種苗ギルドを後にして、商人が集まっているというリンギス商会へと向かった。
種苗ギルドを後にして大通りを歩いていると、麦と硬貨の紋章が入った旗が掲げられている館が見えた。
街でもひときわ目立つ、レンガ造りの立派な建物。
これがリンギス商会の商館だ。
リンギス商会の本拠地は王都にあって、パルメザンにあるのはただの「支部」なのだけど、支部でこの見た目なのだから規模の大きさが伺い知れる。
とはいえ、リンギス商会は王国でも中堅どころの商会で、さらに大きな商会がごろごろといるらしい。
商会に入るのは始めてだというララノと一緒に、緊張の面持ちで衛兵に守られている商館の扉を開く。
「……すごい」
思わず声が出てしまった。
商館の中はまるで戦場かと思うほどにごった返していた。
館の中央に円形のカウンターがあるのだけれど、すべて商人っぽい人たちが長蛇の列を作り、カウンターの周りにあるテーブルも人で埋め尽くされている。
さらに、あちらこちらで怒号が飛んでいるので本当に戦場にいるみたいだ。
領主の命令で周辺地域から作物をかき集めているとは聞いていたけど、そうとう大変な状況なのかもしれないな。
「サ、サタ様」
不安げなララノの声。
「はじめて商会に来たんですけれど、こんなにおっかない場所だったんですね」
「あ〜いや、今が特別なんだと思うよ。普段はもっと静かな場所……だと思う」
僕も商会にお世話になったことはないから想像だけど。
商会を利用するのは大ロットでの商売が基本の商人だけなのだ。
とりあえずカウンターにいる職員に話をしてみようと列に並ぼうとしたとき、近くのテーブルから素っ頓狂な声があがった。
「……えええっ!? 今季のブドウ、無いんですか!?」
子供みたいな声。
なんでこんな場所に子供がいるんだろう。
聞き間違いかなと思って声がしたテーブルを見ると、商館の職員らしき男性と話をしている少女が目に止まった。
体よりも大きなリュックを背負った栗色のおさげの女の子。
目がくりっとしていておでこが広く可愛らしい。
見た目は八歳くらいだけど、子供ではないことがなんとなく雰囲気で解った。
多分、彼女は|小人族(ハーフレッグ)。
見た目は人間にそっくりだけど、ララノとおなじ「亜人種」だ。
ハーフレッグは獣人と違って人間世界に深く関わっている。
身体能力は劣るが頭の回転が早く、商売の世界で成功している者が多いのだ。
あと、大人でも見た目が子供なので可愛い。
可愛いは正義。
それはアルミターナでも同じだ。
「チョ、チョット待ってくださいよっ! ブドウの買い付けが出来なかったら、ボク……首チョンパですよっ!?」
ハーフレッグの少女が自分で首を締めるポーズを取る。
可愛い仕草だけど顔が青ざめているので全然微笑ましくない。
「なななな、な、なんとかなりませんか!? お願いします! 後生ですからっ! 堪忍してっ!」
「そう言われても見ての通り、今年はどこも大海瘴の影響で壊滅的な被害を受けてるんだよ。ブドウだけじゃなくて他の作物も入ってきてないんだ。悪いけどあんたのところに回す在庫は無い」
「い、いつもの半分っ!」
「え?」
「半分の量で良いんで、なんとかっ!」
「か、顔が近いよ」
職員に掴みかかる勢いで身を乗り出してきた少女だったが、グイと頭を押さえられて強制的に座らせられた。
職員はしばし考えた後、重い溜息をついた。
「……わかったよ。あんたには色々とお世話になっているし、何とかかき集めてみる」
「ほ、本当ですか!?」
「ただ、集められて一割程度の量。値段は五、六倍は覚悟しといてね?」
「いち、ごぉお!? ……う、ぐぇ」
小人族の少女がパタッと後ろ向きに倒れる。
ゴツンと鈍い音が響くと同時に、ララノと僕が駆け出した。
「だっ、だだだ、大丈夫ですか?」
「…………大丈夫くない」
ララノに抱き起こされた少女は死にかけた虚ろな目をしていた。
打ちどころが悪かった、というわけじゃなさそうなのでひとまず安心だけど。
「あ〜、ごめん」
と、少女と商談をしていた職員が席を立つ。
「悪いけど地方から来てる商人さんを待たせてるから、俺はこれで」
「ああっ、チョット待って! 置いていかないで! ボクを捨てないで!」
まるで男に捨てられたみたいなセリフを吐く少女。
「ああああうううう」
そして彼女は、そのまま地面にうなだれてしまった。
「どうしよう……ブドウが無かったら王都に戻れないよぉぉ……」
「王都?」
なるほど。
これまでの話から推測するに、この子は王都の商会に卸すブドウの買い付けにパルメザンに来た感じか。
ホエールワインは貴族も嗜む一級品なので、リンギス商会だけじゃなくもっと大きな商会が絡んでいる事が多い。
もし買い付けに失敗したら多大な被害が出ることになる。
首チョンパだなんて言ってたけど、絡んでいるのが貴族なだけにリアルに首を斬られちゃうこともあり得る。
しかし、と悲痛のあまり頭をゴチゴチと地面に叩きつけ始め、ララノから「気を確かに!」と止められている少女を見て思う。
ブドウの不作が瘴気のせいというのなら、僕の付与魔法でなんとかできるかもしれないな。
状況を見ないとはっきりわからないけど、ブドウの木に免疫力強化と俊敏力強化をかければ早く実をつけるだろうし。
僕はそっと少女に声をかける。
「あの、すみません」
「はい。本当にただではすまない状況です」
「…………」
少女が視点が定まってない目で僕を見る。
あ〜、そうとうヤバいなこれ。
「ええっと、もしかするとあなたのお力になれるかもしれません」
「…………ええっ!?」
突然、少女がババッと立ち上がる。
ちょっとビックリした。
「あなた、もしかしてボクが必要としている数トンのホエールブドウを、今すぐ安価で用意できると言いましたか!?」
「いや、そこまでは言ってないです」
やっぱり助けるのやめようかな。
ちゃっかり「安価で」とか言ってるし。
ハーフレッグはこういうところ、しっかりしてるからな。
「僕はこの近くで農園をやっている者なんですけど、瘴気に強い作物を育てる方法を知ってまして」
「え? 瘴気に強い作物?」
「はい。その方法を使えばブドウの収穫が出来るようになるかも」
「ほ、本当ですか!?」
目を輝かせる少女だったが、すぐに胡散臭いものを見るような目に変わる。
「……いやいや、絶対ウソでしょそれ。だって『瘴気に強い作物』なんて、聞いたことないですもん。あなた、ボクの見た目が可愛いからって騙そうとしてないですか?」
「…………」
自分で可愛いとか言わないでほしい。
いや、実際に可愛いんだけど。
「それが本当なんですよ!」
「のわっ!?」
ララノが少女の両肩を掴んでグイッと引き寄せる。
「私も話を聞いたときは冗談だと思っていたんですけど、サタ様は本当に呪われた地で農作物を育てていらっしゃいます!」
「…………ホントに?」
少女は値踏みするように、ララノ顔をじっと見る。
「ん〜……その頬の模様を見る限り、お姉さんって獣人さんですよね?」
「……え? ええ、そうですけど?」
「獣人さんはウソつかない」
「はい?」
「あ、これ、ボクが世界各地を周ってる中でわかった獣人さんたちの特徴なんです。どうです? 当たってるでしょ?」
「あ〜、え〜……どう、ですかね? 当たってるのかな?」
あはは、と引きつった笑顔を浮かべるララノ。
そんな話、聞いたことないな。
それに、ララノの反応を見る限り完全に気のせいなのだろう。
まぁ、悪く言われるよりはマシだろうけど。
少女はしばし思案して、納得するように頷いた。
「……うん。うん。ウソつかない獣人さんがそういうのなら、本当なのかもしれませんね」
そして少女は僕の前へとやってくる。
「ええと……サタさん、でしたよね?」
「は、はい」
「ありがとうございます。ぜひ、力を貸してください! もちろん相応のお礼はさせていただきますので、そこはご安心を!」
お礼。その言葉にピクリと反応してしまった。
別にそういう見返りを求めて助けようとしたわけじゃないけれど、商人のお礼という言葉に期待せずにはいられない。
それに、これを機に彼女と契約できたら万々歳だし。
「それじゃあ行きましょうか。そのブドウ園に案内して下さい」
パルメザンから乗合馬車に乗って|件(くだん)のブドウ園に向かう最中、ハーフレッグの少女に事情やら何やらを色々と聞いてみた。
彼女はプッチという名前で、個人で商売をしているフリーの商人らしい。
なんでもホエール地方のブドウや、北方地方のテンの皮など上流階級に人気がある商品を仕入れて王都の商会に卸しているのだとか。
それを聞いて驚いてしまった。
普通、大きな商会はリスクを避けてフリーの商人とは取り引きしないのだ。大抵はどこかの組合に所属している商人しか相手にしない。
なのに定期的に取り引きをしているということは、プッチさんが相当のやり手で各地に強固な繋がりを持っているということなのだろう。
それにしても、ここから一ヶ月はかかる北方地域と王都を行き来しているなんてパワフルだなぁ。その小さい体のどこにそんな体力があるんだろう。
「いやぁ、ボクなんかが商人続けられているのは加護のおかげですよ」
「加護? どんな加護をお持ちなんです?」
馬車の中、僕の隣に座っているララノが興味津々に尋ねる。
「えっへっへ〜、よくぞ聞いてくれましたね、ララノさん。ボクの加護はこれです! じゃじゃ〜ん!」
プッチさんが背負っていたリュックの口を開く。
どう説明すればいいか悩んでしまったけれど、リュックの中にはテンの皮がぎっしりと詰まった樽が四つほど入っていた。
小さい樽が入っているというわけではなく、普通サイズの樽を上から見ている感じ。なんだろうこれ。どういう仕組みになってるんだ?
「あっ、すごい! これってもしかして『無限収納』の加護ですか!?」
「ややっ! ララノさんってば博識ですね! そうですよ、無限収納です!」
おお、確かそれって商人垂涎ものの「一級加護」だよな。
無限収納は「加護を持っている者が触れている収納物に無限に物が入るようになる」という優れもの。
わかりやすく言うと、「収納物が四次元空間への入り口になる」感じだ。
なんでも歴史に名を残している大商人のほとんどがこの無限収納の加護を持っているんだとか。
それを考えると、プッチさんも将来は大商人になるのかもしれないな。
「ちなみにこれって、どうやって中から物を出すんですか?」
素朴な疑問を投げかけてみた。
だって樽の大きさからして、リュックの口からは絶対に出なさそうだし。
「出し入れは召喚魔法と同じ原理ですよ。こんな風に呪文を唱えると……『出ろ出ろ』!」
プッチさんがリュックの口を開けて妙な言葉を発した瞬間、ビュオッと何かが飛び出してきた。
そして、それが瞬く間に大きな樽になって──僕の体の上にのしかかってきた。
「ぐえっ!?」
「ひゃあっ!? サ、サタ様!?」
馬車の中に僕とララノの悲鳴が響く。
「ちょ、重……プッチさんっ!」
「あ、あはは〜、ご、ごめんなさい。手が滑って出す場所を間違えちゃった」
「わ、笑ってないで、早くどかして……」
「あ、はい、今すぐ……『入る入る』!」
プッチさんの声とともに、樽がシュポンとリュックの中に消えた。
「だ、だだ、大丈夫ですかサタ様!?」
「う、うん。びっくりしたけど、なんとか……」
飛び出してきたのが運良く空の樽だったから助かったけど、荷物がぎっしり詰まった樽だったら間違いなく圧死していたな。
危なかった。こんなことで死んじゃったら、エロ神様に笑われちゃうよ。
「……ありがとうプッチさん。無限収納は扱い方に気をつけないと大事故に繋がるということがよくわかりました」
「どういたしまして。えへへ」
皮肉を言ったのに、照れちゃったよこの子。
などと話していると、ゆっくりと馬車が止まった。
「長旅お疲れ様です。目的地に到着しました」
御者が御者台からヒョイと顔を覗かせた。
どうやら目的のブドウ農園に到着したらしい。
何気なく窓から外を眺めてみたけれど、本当にここがブドウ園なのか訝しんでしまった。
「……本当にここが目的地ですか?」
「はい。そうですよ」
一応、プッチさんに尋ねてみたけど、やはりここであっているらしい。
改めて窓から景色を眺める。
少し離れた所に、農園の主が住んでいると思わしき立派な館が見えた。
そして、その周りに大きな倉庫がいくつか建っていて、収穫に使う荷車のようなものが置いてある。
ここが農園なんだなとわかるものはその倉庫と荷車くらいで、あとはおびただしい数の枯れ木が生えているだけ。
なんだろう。これほどの枯れ木が並んでいると、ディストピア感があってちょっと怖い。
馬車から降りた僕たちは、プッチさんの案内で農園の主がいるという館に向かった。
使用人っぽいメイドさんに要件を伝えてしばらく待っていたら、立派な館に似つかわしい貴族然とした男性が現れた。
「やぁ、どうも。久しぶりですねプッチさん」
「こんにちはラングレさん」
男性……ラングレさんとプッチさんが握手を交わす。
両端がピョンと尖ったカイゼル髭が良く似合うこのダンディな男性がブドウ園の主らしい。
「それで、要件は何ですか、というのは無粋ですかね?」
そんなラングレさんが少し困った顔で続ける。
「ブドウの件でいらっしゃったんでしょうけど、残念ながら今年は壊滅的な状況でしてね。見てくださいよこの惨状」
ラングレさんがカーテンを開ける。
窓の外に広がっているのは、一面の枯れ木たち。
薄々わかっていたけど、やっぱりあの枯れ木がブドウの木の成れの果てらしい。
改めて見ると、壮絶だな。
「プッチさんも大変だと思いますけど、こっちも参っているんです。これでは家族そろって首を括るしかない」
重い溜息をつくラングレさん。
ラングレさん曰く、昔からホエール地方は瘴気の危機にさらされていたけれど、瘴気が薄い部分が島のように点在していて、なんとか作物を育てられたという。
しかし、数ヶ月前に発生した大海瘴で多くの農園が壊滅的な被害を受けた。
そのひとつがこのブドウ園だったというわけだ。
「長い間瘴気被害から免れていたのに、ここに来てどうして大海瘴が……」
悲痛な面持ちでラングレさんが続ける。
魔導院でも研究は続けられているけれど、瘴気が発生する原因は未だにわかってない。だから大海瘴の原因なんて皆目見当もつかないというのが実情なのだ。
「なので申し訳ありませんが今回は諦めてください。今のウチから絞ろうとしても、ワインの一滴すら出てきませんよ」
「あ、いや、ここに来たのはそういう要件ではなくてですね。実はこちらのサタさんがこのブドウ園を救うことができるかもしれないんです」
「……救う?」
「この方もホエール地方で農園をやられているんですけど、なんでも呪われた地で作物を育てる方法を知っているとか」
「またまた御冗談を」
ラングレさんが呆れたように笑う。
「プッチさんらしくない悪質な冗談ですね。瘴気が降りた土地で作物を育てることができるなら、私のブドウ園はこんな惨状になっていないですよ」
「や、それがどうもボクたちも知らない秘密の方法があるみたいで」
「…………」
藁にもすがる思いというやつなのだろう。
信じられないけれどもしかして……という希望の光がラングレさんの瞳に見え隠れしている。
これは説明するより、実際に見せたほうが早いかもしれないな。
「とりあえず試してみましょうか。農園に出てもいいですか?」
「ええ、かまいませんよ」
僕たちは館を出て枯れ木が並んでいる農園へと向かった。
朽ちかけている樹木に付与魔法をかけるのは初めてだけど、元々樹木に備わっている「再生能力」を促進させれば行けるはず。
使うのは再生能力を上げる「生命力強化」に成長能力を促進させる「俊敏力強化」……それに瘴気対策の「免疫力強化」ってところかな。
そっと樹木に触れて、魔法を発動させる。
手のひらが青く発光した瞬間、ブドウの木に変化がおきた。
ボロボロになっていた皮の下から水々しい新しい樹皮が生まれ、まるで眠りから覚めたかのように生き生きと枝葉が伸びていく。
わずか一分足らずでブドウの木には青々とした葉っぱが広がり、美味しそうなブドウを実らせていく。
うん、これは大成功だな。
「……は?」
それを隣で見ていたラングレさんが、気の抜けた声を漏らした。
さらにその隣でもプッチさんが目を丸くしていた。
「……え? は? なんですかこれ? いやいや、流石に可愛いボクでも騙されませんからね? 何の冗談なんです?」
困惑するあまり、バシバシと僕の背中を叩き始めるプッチさん。
そんな中、唯一冷静なララノだけが嬉しそうに「うわぁ〜、美味しそうなブドウが実りましたね!」と声をあげた。
「……ちょ、ちょちょ、ちょっと待ってください、サタさん!」
大混乱に陥ったラングレさんが、僕の腕をぐいぐいと引っ張る。
「これって、どういうことですか!? 一体どんな魔法を!?」
「聞いたことは無いと思いますが『付与魔法』という特殊な魔法が使えまして。その能力を使ってブドウの木の再生力と成長力を促進させたんですよ」
「ふ、付与魔法? 成長力を促進?」
「はい。ブドウの木は第二属性の『木属性』なので、生命力強化と俊敏力強化が付与できるんです」
「……なるほ、ど?」
ラングレさんはわかったようなわからなかったような、微妙な返事をする。
理解できないのならそれはそれで良いか。
細かく説明すると専門的になっちゃうし。
「す、すすす、凄くないですか、サタさんっ!?」
と、今度はプッチさんがラングレさんとは逆の腕を引っ張りはじめた。
「付与魔法!? なんですかそれは!? 再生力と成長力を促進させる魔法なんて聞いたことがないですよ!? や、ララノさんが出来ると仰っていたので疑ってはいませんでしたけど、それにしてもちょっと凄すぎませんか!?」
「そうでしょう? サタ様は凄いお方なんですから」
えっへんとドヤ顔で胸を張るララノ。
そんな彼女の前で膝を折ったプッチさんが「ありがたや!」と祈りを捧げはじめる。
あの、付与魔法をかけたのは僕なんですけどね?
「……し、しかし、本当に枯れたブドウの木が再生するなんて」
感慨深そうにラングレさんが命を取り戻したブドウの木を撫でる。
「一体何とお礼を言ったらいいか」
「あ、待ってください。まだ問題は解決したわけじゃないですから」
「え? そうなんですか?」
「はい。一本二本程度だったら手作業で付与魔法をかけることができますが、全ての木に手作業で魔法をかけて周るのは、ちょっと現実的じゃないんです」
魔法は体に貯めている「魔力」を使うので、発動できる回数に制限がある。
休み休みやれば行けるかもしれないけれど、その分作業時間が増えてしまう。
手分けしてできれば良いんだろうけれど、付与魔法は僕しか使えないし。
「魔法の効力を長持ちさせるために土壌にも付与魔法をかけないといけません。それを考えると……途方も無い時間がかかってしまいます。下手をしたらひと月やふた月では終わらないかもしれません」
「なるほど。ということは、いかにして効率的に付与魔法をかけるかが問題ということですね……ううむ」
ラングレさんが髭をさすりながら唸る。
「問題は理解できましたが、それは解決できるものなんでしょうか?」
「ん〜、そうですね……」
しばしブドウの木を見上げて考える。
乗りかかった船だから、できれば綺麗に解決してあげたい。
──だけど、どうやってこの膨大なブドウの木に効率良く付与魔法をかければいいんだ?
しばらく園で解決策を考えることにした。
いくつかアイデアは浮かんだものの、決定打に欠けるものばかりだった。
最初に考えたのは、「瘴気で汚染されている土と付与魔法をかけた土を交換する」という方法だった。
大量の土を用意してそこに付与魔法をかけ、皆で手分けして土を入れ替える。
木に直接付与魔法をかけなくても土壌が綺麗になれば植物の自浄作用でブドウの木が蘇るかもしれない。
なんとか行けるか……と思ったけど、この広大な土地をひっくり返すなんて土台無理なのであっさり断念。
もうひとつ考えたは「新しくブドウの木を植樹する」という方法だ。
俊敏力強化の付与魔法をかければなんとかなるし、成木に付与して回るよりずっと時間がかからなくて済む。
だけど、この園にあるブドウの木と同じ数の苗木を用意できるなら他の土地で園を再開したほうが良いよね……ということでこの案も却下。
「ひとまず、枯れ木を再生させながら考えようかな」
悩んでいても状況は何も変わらないし。
ということで、ブドウの木を十本ほど付与魔法で再生させてみた。
六本目くらいまでは順調だったけど、七本目に付与魔法をかけようとしたところで魔力が枯渇してしまった。
もうすこし行けるかなと思ったけど、こんなものか。
この調子だと、軽く一ヶ月はかかりそうだ。
う〜ん。やっぱり単純に付与するだけじゃだめそうだな。
「サタ様」
首を捻っていると、ララノが声をかけてきた。
「……あれ、どうしたのその服?」
さっきまで僕と同じシャツを着ていたのに、白のワンピースに変わっている。袖に刺繍が入っていて凄くおしゃれだ。
「ラングレさんの奥さんにいただいたのですが、どうですか?」
「そうなんだ。凄く似合ってると思うよ」
「ほ、本当ですか? えへへ、嬉しい……」
くすぐったそうに笑うララノ。
ララノ曰く、ブドウ園を助けてくれたお礼のひとつだという。
他にもいくつか女性ものの服をプレゼントされたらしいんだけど、解決策がまだ見つかっていないので少しだけ心苦しい。
「付与魔法のほうはいかがですか?」
「ん〜、まだ壁にぶつかってる感じかな」
「そうですか……でも、あまり根詰めると良くないですよ。少し一緒に農園を散歩してみませんか?」
「散歩か。そうだね。そうしよう」
体を動かすといいアイデアが生まれるかもしれないし。
ということでラングレさんに許可をもらって、ララノと少しブドウ園を歩いてみることにした。
広大な敷地に並ぶ、枯れたブドウの木。
ずっと向こうに小高い丘が見えるけれど、そこにも枯れ木がある。明らかに僕の農園よりも広い面積だ。
現代だったら飛行機を使って農薬散布みたいにばらまいてあげれば行けるのかもしれないけど、そんなものはアルミターナには無いからな。
ドラゴンみたいな空を飛ぶモンスターがいれば話しは変わるけど。
「……ん?」
と、傍を流れる用水路が目にとまった。
あれは何に使う水だろう。
農園だったら作物用の水だろうけど、ブドウ園にも必要なのかな?
「ねぇ、ララノ。あの用水路って何に使ってるかわかる?」
「用水路? あ、あの川のことですか? 多分、ブドウの木にあげてる水じゃないですかね?」
「え? 水をあげる必要があるの?」
ブドウの木って乾燥に強くて雨水だけで十分って話を聞いたことがあるけど。
「他の地域だったら必要ないかもしれませんけど、ホエール地方って雨が少ないのでああやって水を引いて土に水を浸透させてるんだと思います」
「へぇ、そうなんだね」
ホエール地方って、やっぱり雨が少ないんだな。
雨が降らないのに干上がらないのは、山脈地帯が多いからだろうか?
僕の農園にも山脈地帯から川が流れてきているし、そういう場所が多いのかもしれない。
「あの用水路、ちょっと見に行ってもいい?」
「もちろんです」
気になったのでちょっとララノと行ってみる。
用水路は丁度ブドウ園の中央を横断する形で伸びていて、途中で枝葉のように細かく分かれているようだった。
ララノが言っていたとおり、これで水を敷地全体に届けているのだろう。
用水路の入り口には水門のようなものがあって、水の量を調整できるようになっている。雨が降ったときはここを閉めて水をせき止めているみたいだ。
「……あ〜、でも汚染されてるね」
どうやら土壌だけじゃなく、用水路を流れる水も瘴気に汚染されているらしい。
うっすらと赤紫色に染まっていた。
ブドウの木が一本残らず枯れてしまったのは、この汚染水で土壌に瘴気が浸透してしまったからなのかもしれない。
「つまり水でやられた、か……」
ブドウの木は瘴気が含まれる水を吸収してやられてしまった。
だとしたら、逆に水を使って土を綺麗にすることもできるんじゃないかな?
水に免疫強化の付与魔法をかけることができれば、それだけで事足りる。
でも、どうやって?
汚染水はひっきりなしにここに運ばれてきているわけだし、やるとするなら根本から汚染水を綺麗にしてやるしかない。
「汚染水を綺麗に……あっ」
と、頭の中にひとつのアイデアが浮かんだ。
「何か思いつきましたか?」
「ひらめいたよ。お手製の濾過器を作って、流れる水に付与魔法をかけてみよう」
「お手製……濾過器?」
「ほら、僕たちの農園にもあるじゃない。僕が作った瘴気の水を綺麗な飲み水にする濾過器だよ」
「……あっ、あの桶を使った?」
「そうそう。あれの大きいバージョンを作って用水路の門の所に設置するんだ。汚染水が濾過器を通って綺麗な水になって用水路に流れるようにね」
「そうすれば綺麗になった水が農園全体に行き届くというわけですね?」
「綺麗だけじゃなくて、僕の付与魔法がかかった水だね」
水にも付与効果があるはずだから、それを撒くだけで土壌や木にも効果が現れるはず。
これは良い発見かも。
もしこの方法が成功したなら、種や苗に付与魔法をかけることなく呪われた地で作物が育てられるようになるかもしれないな。
「なるほど! 凄いです! さすがサタ様!」
ララノが嬉しそうに「わ〜っ!」と拍手を送ってくれる。
何だか照れくさい。ていうか、ララノってヨイショがうまいよね。
というわけで善は急げと、館に戻って必要な素材をラングレさんに提供してもらうことにした。
使うのはブドウの出荷で使う巨大な木箱。
そこに小石、砂、炭に布をギュッと押し込め、持久力強化と免疫力強化、それに成長促進の俊敏力強化の付与魔法をかけて完成だ。
設置はラングレさんたちにも手伝ってもらうことにした。
水門を閉じて濾過器を用水路の中に降ろす。
再び門を開くと勢いよく流れてきた汚染水が木箱の中に入り、逆側から透き通った綺麗な水が流れ出てきた。
「これでひとまず完成だね」
「凄いですね。もう水が綺麗になってますよ」
用水路を眺めるラングレさんが感嘆の声をあげた。
「この水は私たちも飲めるんですか?」
「もちろん飲料水としても使えますが、二次利用を考えるのは農園の様子を見てからにしましょう。多分、一時間ほどで効果が出ると思いますよ」
「一時間」
と、ラングレさんが何かを思いついたようにポンと手を叩いた。
「でしたらお昼ご飯にしませんか? こういう状況なので豪華なものはお出しできませんが、是非みなさんにご馳走させてください」
「おほっ! ご飯ですか!?」
僕よりも先に反応したのはプッチさんだ。
小柄で非力なプッチさんは濾過装置の設置には協力できなかったけど、濾過器制作の素材を無限収納でかき集めて持ってきてくれた功労者なのだ。
それが解っているからか、ラングレさんもにこやかに言う。
「もちろんプッチさんもご一緒にどうぞ」
「やった! ありがとうございますっ!」
「サタさんたちも、どうぞ」
「ありがとうございます。それではお言葉に甘えて」
そうして、ラングレさんの邸宅に戻った僕たちを迎えてくれたのは、なんともおいしそうなサンドイッチの山だった。
どうやら僕たちが作業をしている間に、ラングレさんの奥さんが作ってくれたらしい。
野菜やハムをはさんだオーソドックスなものから、ブドウをはさんだスイーティなものまで。
そして、テーブルにはサンドイッチと一緒にワインボトルも置かれていた。
「ラングレさん、これってもしかして……」
「ええ、一番煎じのホエールワインですよ。去年のワインなんですが、ここ十年で最高の出来と言われています」
「おお、一番煎じですか!」
思わず歓喜の声が出てしまった。
僕たち庶民が飲めるワインは、一度抽出した残りもを絞った「二番煎じ」や、その残り物を使った「三番煎じ」で、安価だけれど味が薄い。
それでもホエールワインは濃厚で美味しいのだけれど、やっぱり一番煎じとは格が違う……と思う。多分。
かく言う僕も、一番煎じを飲むのははじめてなのだ。
しかし、ララノと街で飲もうと話していたホエールワインを原産地の農園で楽しめるなんて最高すぎるな。
早速、ラングレさんの奥さんにワインを注いでもらった。
僕が知っているワインよりもずっと色が濃くて、フルーティな香りがする。
「それでは早速」
皆で乾杯をしてから、恐る恐るグラスに口をつける。
瞬間、ツンとした酸味とブドウの香りが口の中にブワッと広がった。
「……おいしいな」
ため息のような声が漏れてしまった。
「わ、わ、すごく濃厚ですね!」
「なな、なんですかこれはっ!? おいしすぎるっ!」
僕に続いて、ララノとプッチさんも感嘆の声を漏らす。
流石は一番煎じのホエールワイン。王都でもワインは嗜んでいたけど、今まで飲んだワインの中で一番美味いな。
うん。こりゃあ貴族たちが好むわけだ。
サンドイッチとの相性もピッタリだし、無限に飲めちゃうぞこれ。
とはいえ、ここで酔っ払ってしまったら濾過器作戦の結末が見られなくなってしまうので頑張って控えておいた。
ラングレさんとブドウ園や僕の農園のことを語り合っていると、壁にかけられていた時計がポンと鳴った。
どうやら一時間が経過したらしい。
「時間ですね。ブドウの木を見てみましょうか」
付与魔法が効き始める頃合い。
僕たちは席を立ち、農園が一望できるリビングへと向かった。
全部までとはいかないにしても、半分くらい再生していたらいいな。
そう願っていたのだけれど──カーテンの向こうに広がっている光景に、言葉を失ってしまった。
一面に広がっている、青々としたブドウの木。
そこになった青紫の実は、まるで真珠のように輝いていた。
「……お、おおおおおおっ!?」
ラングレさんの歓声が上がった。
「凄い! 凄い凄い! 私のブドウ園が…………蘇っていますよっ!」
感激のあまり家族と抱き合うラングレさん。
そして、一通り喜びを分かち合った後、僕の両手をガッシリと握った。
「サタさん! あなたは私たちの救世主だ!」
「き、救世主!? ちょっと大げさすぎですよ」
「いいえ! あなたのおかげでブドウ園と私たち家族は救われたんです! そんなあなたを救世主と呼ばずに、なんと呼べばよいのですかっ!」
「いや、まぁ、そう……なんですかね? あはは」
つい、苦笑いが出てしまった。
大したことはやっていないのでなんだか恐縮してしまう。
むしろ、貴重な一番煎じのホエールワインを飲ませてくれたラングレさんに感謝したいくらいだ。
「サタさぁん!」
今度はプッチさんが奇声を上げる。
「見てくださいよっ! ブドウっ! ブドウが出来てるますですよっ!?」
「はい、しっかりできてますね」
「うわぁぁぁああああぁっ! これでホエールブドウが納品できるっ! ボク、首チョンパされずにすんだよぉおおおぉぉ! うえぇぇぇえん!」
嬉しさのあまり盛大に泣き出すプッチさん。
鼻水もドバドバ出てて、ちょっと汚い。
でも、やっぱり実際に首チョンパされるくらいの事態だったっぽいな。
彼女の天性の明るさのおかげか、あんまり切迫した雰囲気がなかったけど成功して本当に良かった。
でも、まだ手放しで喜ぶにはチョット早いんだけどね。
「あの、盛り上がっているところすみません」
抱き合って喜びを爆発させているラングレさんとプッチさんに、そっと声をかけた。
「ブドウの木の再生はできましたが、濾過器にかけている魔法の効果は永続的に続くわけじゃないんです。付与魔法が切れれば、農地のブドウの木は元に戻ってしまうと思います」
「…………えっ」
ラングレさんの顔からサッと血の気が引いた。
「ま、ま、また枯木に戻るんですか?」
「はい。でも、収穫が終わるまでは持つと思うので、一通り収穫が終わったら新しい土地に移動してもう一度やり直して──」
「なっ、なな、なんとかなりませんか!?」
「うわっ」
突然ガッシリと両肩を掴まれ、激しく体を揺さぶられる。
「あ、わ、ちょ、ラングレさん!?」
「お願いしますよサタさんっ! この土地は先代から受け継いできている大切な土地なんですっ! 私の代でなくしてしまったら、先代たちにあの世で叱られてしまいますっ! どうか、どうか助けてくださいっ!」
「い、いや、助けたいのは山々なんですけど……」
簡単な話、水門に設置した濾過器に定期的に付与魔法をかけてあげればブドウの木が枯れることはないと思う。
それが出来るのは僕だけだし、助けてあげたい気持ちはある。
だけど無償でとなると、ちょっと話は変わってくる。
なにせ僕の農園からここまで乗合馬車で片道二日はかかるのだ。ララノの仲間の動物たちに送迎してもらったとしても一日はかかってしまう。
街への滞在費に交通費。
収入源が無い僕にとっては、かなり痛い出費になってしまう。
「十%でどうでしょう!?」
ラングレさんが両手を広げて僕の前に差し出した。
「このブドウ園の売上の十%をサタ様にお渡しします。それでいかがでしょうか?」
「じゅ、じゅじゅ、十%!?」
流石にビビってしまった。
この農園で収穫できるホエールブドウは相当量あるはず。
軽く見積もって数トンから十数トン。それの十%というのだから、ええと、よくわからないけど相当な金額になるはず。
それがあれば街へ来る費用もまかなえる……というか、かなりの儲けになる。
断る余地はどこにもない。
「わ、わ、わかりました。そういうことでしたら、ぜひ協力させてください」
「おおお! 本当ですか!? ありがとうございます!」
「いえ、こちらこそありがとうございます」
それから僕たちは契約書を交わすことになった。
協議の結果、僕がここに来るのは十日に一回ということにした。
僕の農園で使っている濾過器の前例からして、付与魔法の効果が切れるのは二日程度。
だけど、二日に一回ここに来るのは時間的に厳しいものがあるので、予備の濾過器を五つほど用意することにした。そうすれば十日は持つはず。
付与魔法をかけても実際に効力を発揮しなければ、効果が切れることはない。
ということで再び農園にある資材をかき集めて、濾過器を五つ作ってからパルメザンに戻ることになった。
ラングレさんと彼の家族は乗合馬車が出発する寸前まで、僕たちに感謝の言葉を送っていた。
そんなラングレさんたちを見て思う。
生前はもちろん、院にいるときも誰かにこんな風に感謝される事はなかった。初めての経験だけど、必要とされている感じがして嬉しくなるな。
「んっふふ〜ん」
ガタガタと出発した馬車の中にプッチさんの楽しそうな声が上がった。
なんだろうと思って彼女を見たら、嬉しそうに体を揺すっていた。
ラングレさんの農園で採れたブドウは、リンギス商会を通してプッチさんに卸すことになった。
さらに、僕を紹介してくれたお礼として、いつもより安い金額で卸してもらうことになったんだとか。
それを考えると、そんな顔になって当然か。
「ん?」
ふと気づくと、プッチさんがこちらに可愛らしい笑顔を向けていた。
「な、何ですか?」
「ボク、あなたのことすごく気に入っちゃったみたいです」
「……ええっ!?」
僕よりも先に反応したのはララノだった。
彼女が慌ててプッチさんに尋ねる。
「き、気に入ったというのは、どど、どういう意味ですか!?」
「そのままの意味ですよ。だってサタさんってば……すっごくお金の匂いがするんですもん」
「…………あ、お金。なんだ、そういうことか」
安堵のため息を漏らすララノ。
「てっきり私はサタ様を異性としてゴニョゴニョのゴニョ」
「え? 今、何か言った?」
尋ねるとララノは慌てて首を振る。
「あっ、いや、ななな、なんでもありませんっ! はい、サタ様たちは気にせずお話を続けてどうぞ!」
「……?」
顔を真っ赤にしているけどどうしたんだろう。
よくわからないけど、まぁいいか。
「それでサタさん、ちょっとお願いがあるのですが」
気を取り直してプッチさんが続ける。
「これからサタさんの農園にお伺いしても良いですか?」
「ええ、もちろん大丈夫ですよ。パルメザンに戻って買った物資を引き取らなくちゃいけないですけど、運び屋ギルドの馬車で一緒に行きましょう」
「ありがとうございます。今回のお礼も兼ねて良いご提案をさせていただこうと思っているので、覚悟しておいてくださいねっ!」
「……え? あ、はい」
覚悟? ってなんだろう。
そこは「楽しみにしといてください」で良くない?
何だか不安が凄まじいんですけど。