異界転生譚ゴースト・アンド・リリィ

前回のあらすじ
ウルウの胡散臭い教えにしたがい新技を身に付けていくリリオ。
事案だ。



「やばい、熱中し過ぎて近づいてるのに気づかなかった!」
「あれだけ騒いでたらそりゃ怒りますよね!」
「ぶぅもぉおおおおおおおおッ!!!」

 ウルウが珍しく盛り上がりに盛り上がってしまったので気付けば私もついつい盛り上がりに盛り上がってしまった結果がこれです。
 以前境の森で見かけた個体よりは小型ですけれど、それでも十分に育った立派な角猪(コルナプロ)が、すでに至近距離でこちらをにらみつけています。

「ウルウ! 離れて――ますね、知ってました!」
「うん」

 すでにくろぉきんぐで姿を消して、木の上に早々に退避してました。
 別に構いませんけど、ウルウあのくらいの角猪(コルナプロ)だったら素手で断頭できますよね。境の森のアレ、ウルウの仕業ですよね。
 まあでも、私にどうにかできる相手で、ウルウの手を煩わせるなんてもってのほか。
 ウルウにはいつだって格好いい私だけを見てほしいものです。

 まあ、問題は。

「ウルウ、格好いいですかこれ!」
「すごい格好いい!」
「でもこれ攻撃できないんですけど!」
「知ってた!」
「ウルウ!?」

 この『超電磁バリアー改』、見た目は恐ろしく格好いいですし防御性能も言うことないなのですけれど、問題は私自身は全然動けないうえに、このバリアーの内側から出られないので攻撃のしようがないってことなんですよね。
 あと何発か連続で攻撃貰ったら、私の方の集中が持たず雷精がばらけてバリアーも解けてしまいます。
 その前に、その前に何か……。

「その前に何か格好いい攻撃方法ないですか!?」
「まだその『格好いい』思考できるのはすごいと思う」

 私がなんとか角猪(コルナプロ)の突撃をバリアーで受け止めている間に、ウルウはうんうんと頭をひねって考えてくれます。おそらく、かなり見た目が格好いいやつを……!

「リリオ、ちょっと考えたんだけど」
「何でしょう!?」
「考えてみたらそれ、私たちの晩御飯になるわけだよね」
「そうですね!」
「あんまり格好良さにこだわると、素材としての価値が落ちるのでは……?」
「はうあっ!?」

 そうでした。
 今元気にこちらに体当たりかましてくる角猪(コルナプロ)は今夜のご飯になる予定なのでした。格好良さで言ったら抜群に格好良い、バナナワニを切り伏せた一撃みたいのをぶちかましてしまったら、折角の食べる部分が蒸発してしまいかねません。

 しかし。
 しかしです。

「こ、ここまでやって……ここまで格好いい感じでやって、地味に仕留めるのはなんか納得いきません!」
「わかる」

 たった一言でしたが、そこには深い深い理解の色がありました。いうなればそれは、ウルウ曰くのところの『わかりみ』というやつだったのでしょうか。

「わかった。派手めなエフェクトでかつ地味にダメージを与えられる技を伝授しよう」
「なんかよくわかりませんがよろしくお願いします!」
「ではまず準備のためにバリアーを解くんだ」
「はい!」

 私は早速バリアーを解き、突撃してきた角猪(コルナプロ)を横跳びに回避しました。
 バリアーがない今、直撃を喰らえば危険です。しかしバリアーに意識を割かなくていい分、避けるだけなら正直楽勝です。ぶっちゃけバリアーなしの方が楽に戦える気もします。しかしそれを言ってはいけないのです。なぜならあれは格好いい技だから。

「まず、刀身に雷精を集めるんだ」
「はい!」
「あ、そんなに集めなくていい。この前のみたいに大量には要らない」
「えっ、あ、はい」

 ちょっとがっかりすると、叱られました。

「馬鹿。何でもかんでも大きかったり多かったりするのがえらいわけじゃない」
「す、すみません!」
「少ないコストでスマートに片付ける。これもまた格好いい」
「な、なんかわかりませんけど格好いい響きです!」

 私は程々に雷精を刀身に集めます。

「ではその少ない雷精にだけ魔力を食わせるんだ」
「うえっ?」
「雷精を増やしちゃいけない。あくまで魔力だけ増やすんだ」

 これにはちょっと困りました。私が魔力を増やせば、それにつられて自然と雷精は寄ってきてしまうのです。なので増やしたり減らしたりは簡単でも、一部にだけ魔力を与えたりというのは、精霊の見えない私にはちょっと難しいです。

「えーと、そうだな。あの、あれ。水鉄砲。水鉄砲あるじゃない」
「あります、ねえっ!」

 角猪(コルナプロ)の突進を剣の腹でいなすようにしてかわし、私はウルウの言葉に耳を傾けます。

「水鉄砲は水の量を増やしても、勢いがなかったら威力が出ないでしょう」
「はい!」
「逆に、水の量が少なくても、勢いがあれば威力が出る。ね?」
「はい!」
「雷精が水で、君の魔力が勢いだ。君の魔力で勢いよく雷精を飛ばすイメージだ」
「ん、んんんん……?」
「お、迷いがいい具合に働いたな」

 魔力を手元に集める。でも雷精には呼ばない。一部の雷精にだけ上げる。水鉄砲。
 私の頭の中でぐるぐるとめぐる言葉の羅列。ぐるぐると迷う思考につられるように、刀身を私の魔力が渦巻きます。私の魔力がぐるぐる渦巻き、剣の中にたまっていきます。そうすると、刀身に纏わりついた雷精の()()()()()()が、ぐるぐる渦巻く魔力にくっついて巡り始めます。

「いいぞいいぞ。その調子だ。十分にため込んだなら後は―― 一撃だ」

 ぱり、と刀身に青白い電が爆ぜました。感覚としてわかります、これ以上雷精を呼んじゃいけない。呼ばなくていい。これで十分なんだ。水鉄砲の感覚。ぐうと水を押すあの感覚。魔力を刀身に押し込めていく。雷精を逃がさず刀身に張り付ける。そうすれば雷精は膨れて、膨らんでぱりぱりと爆ぜはじめる。

「わかりました。これが、この感覚が、水鉄砲の感覚……」

 刀身にぴりりと張り詰めた感覚が生まれます。これ以上は雷精が爆ぜてしまう。爆ぜるのは、ぶつけてからだ。

「ぶぅううもぉぉおおおおおおッ!!」

 角猪(コルナプロ)がその金属質の角をこちらに向けて、刺し殺さんと突進を決めてくる。
 勢いは十分。だから私は踏み込むだけでいい。ただの一刀、すれ違うように一撃決めるだけでいい。

 ただの――、一撃。

「『超…電磁、ブレーェエエエエエエドッ』!!!」

 交差する瞬間、角猪(コルナプロ)の角に正確に刀身が吸い込まれ、そして直撃の瞬間、溜めに溜め込んだ()()()が、私の魔力が、雷精を解き放ちます。
 それは瞬間の輝きでした。青白い閃光がぎらりと空を切り、切り刻み、破壊する。
 そして光よりも刹那遅れて、破裂するような轟音が、耳をつんざく。

 どど、どど、と角猪(コルナプロ)はたたらを踏むようにそのまま数歩突き進み、そしてそのままぐらりと倒れこむや、どうと音を立てて地に伏しました。

 私自身いまの交錯で相応の気力と体力を消耗したようで、思わず膝をつきそうになりましたが、なんとかこらえて、角猪(コルナプロ)のむくろを確かめに向かいます。

 反動でぴりぴりとする私が辿り着いたころには、ウルウが倒れ伏した角猪(コルナプロ)を検分しているところでした。
 角猪(コルナプロ)の立派な角は、私の一撃によって根元から叩ききられていましたが、体には傷一つついていません。わずかに額のあたりに焼けたような跡が残りますが、それだって致命傷とは思えないほど軽いものです。

「し……仕留めた、んですか?」
「いや、生きてるよ」
「えっ!?」

 私がぎょっとして剣を構え直すのも気にせず、ウルウは角猪(コルナプロ)の瞼をめくったり、首筋に手を当てたりしています。

「うん、生きてる生きてる。よくやった」
「え……ええ?」
「『超電磁ブレード』だったっけ。本来ならスタンブレードとでも呼ぶべき技だけど」
「すたん、なんですって?」
「ようするにこれはさ、()()()()()()なのさ」
「きぜ、つ……?」

 ウルウは一通り角猪(コルナプロ)の状態を確認すると、いつものようにあのとんでも容量の《自在蔵(ポスタープロ)》にずるりと引きずり込んでしまいました。相変わらず不気味な光景です。

「雷精ってのはとにかくおっかないイメージがあるけどね、私のいたとこじゃもうちょっと安全な使い方があってね。いやまあ、安全でもないか、スタンガンは。とにかく、いろんな使い方ができる力なんだよ」

 ぽかんとしている私の額を小突いて、ウルウは言いました。

「剣を振るうばかりってのもいいけど、使い方を覚えると、存外いろんなことができるものだよ」

 今日だけで索敵と盾と剣と三種類もの使い方を覚えたのですから、それは非常に頷ける話ではありましたけれど。

「最初に説明してくださいよぉ……」

 私はなんだかすっかり疲れてしまったのでした。





用語解説

・わかりみ
 わかりみが深い。

・『超電磁ブレード』
 リリオは咄嗟だったので同じような名前を付けてしまったが、フィーリングが大事だ。強そうというフィーリングが。
前回のあらすじ
新必殺技をもって見事角猪(コルナプロ)を仕留めたリリオ。
老師もといウルウの教えが活きた瞬間であった。

ともあれ、今回はややグロ注意なので気を付けよう。



 思ったより早かったというべきか、リリオにしては遅かったというべきか、ちょっと判断に迷う時間がたって、二人が帰ってきた。ウルウの《自在蔵(ポスタープロ)》は本当に底なしだから手ぶらなのは別に驚きはしなかったけれど、リリオの髪がぼさぼさになって、あちこち薄汚れているのには驚いた。

「なに? 苦戦したの?」
「苦戦したというか、何というか……」
「ごめん。私がちょっと遊び過ぎた」
「リリオじゃなくて?」
「今日は私」

 リリオが油断したり失敗したり遊んだりというのはよくあるけれど、ウルウが遊んだというのはちょっと意外だった。そもそも戦闘とかにはあんまりかかわらないって言うのもあるけど、生真面目なところがあるのよね、ウルウって。
 だからまあ、呆れたは呆れたけど、ちょっと嬉しかったは嬉しかったわよね。
 あとでどんな風に遊んでいたのかを聞いてすっかり呆れたけどね。
 なによ『超電磁バリアー改』とかって………。

 あたしも呼びなさいよ!
 そりゃあたしにはできないかもしれないけど、あたしだって必殺技の一つや二つ欲しいわよ!

 あたしは辺境の武装女中とはいえやっぱり三等だからね、リリオみたいに上等な武器を下賜いただいたってわけでもなし、やっぱりそう言うの、憧れるわよ。大具足裾払(アルマアラネオ)の武具なんて贅沢は言わないけど、飛竜の牙の小刀一揃いとか、それくらいは欲しいわよねえ。
 まあ、あたしがあんまり上等な武具を手に入れたって、リリオ程魔力があるわけでなし器用貧乏な使い方になるでしょうけどね。

 …………ウルウならあんまり魔力使わないで便利な使い方ができる魔道具とか持ってないかしら。
 それ貰って強くなって嬉しいかって言われたら複雑なとこだけど。

 ま、いいわ。

 ウルウが相変わらず気持ち悪い具合に《自在蔵(ポスタープロ)》からずるうりと大きな角猪(コルナプロ)を一頭引きずり出した。角は折られているけど……これ、まだ生きてるわね。全く、本当にどんな手品遣ったらこんな風に無傷で気絶させられるのかしら。

「ほおう、ほう。これは成程、見事な御手前ですなあ」
「あなたでも難しいかな」
「拙僧を試しておられるのかな」

 ニッ、とウールソさんが笑うけど……成程、《一の盾(ウヌ・シィルド)》の一員であるわけだ。空気が重くなるような圧力さえ感じる。
 とはいえそれも一瞬。すぐにその空気も霧散する。

「そうですな。いかなる手段を用いられたかは存じませぬが……やってやれぬことはないことですな」

 はっはっはっと鷹揚に笑うウールソさんだけど、下手したら一喝するだけで角猪(コルナプロ)くらいなら気絶させられる、と言われても信じられそうだ。
 《一の盾(ウヌ・シィルド)》の面子とはこれで三度にわたって行動を共にすることになるけれど、ガルディストさんの時も、あのパフィストのクソの時も、そしてウールソさんにしても、まるで底が見えない、とまでは言いたくないけれど、それでもまず敵う気がしない。まるで女中頭達のようだ。

「さって、早速解体しましょうか」

 さ。頭を切り替えよう。
 秋も深まってきて随分冷えるから、痛む心配はあんまりないけど、目を覚ます前に仕留めてしまった方がいい。

 私たちはこの角猪(コルナプロ)を力を合わせて担いで川辺まで運び、首筋を切り裂いて息の根を止め、川に沈めて冷やした。血抜きの意味もあるけど、冷やすことの方が大事だ。
 よく血が臭うというけれど、あれは実際には血が腐るのが早いからだ。傷口から毒が入り、その毒は血に乗って体に運ばれる。だからまず血が腐り、次に内臓が腐り、そして肉が腐る。
 これを防ぐために血を抜くし、腐るのを遅らせるために冷やす。
 凍りそうに冷たい川の水なら、文句はないわ。

 血抜きの間に、傍で火を起こして、小鍋に水を沸かしておく。
 猪ってのは総じて脂が多いから、どんなによく研いだ刀でもすぐに切れ味が鈍くなるのよ。そう言うときはお湯につけてやって脂をとるの。

 さて、すっかり血が抜けたら、狩猟刀でお腹を開いていく。

 あ、わかってると思うけど、素手でやっちゃ駄目よ? あたしみたいにちゃんと革の手袋をしてやること。それに革の前掛けもないとえらく汚れるわよ。
 …………武装女中の前掛けって、防具の意味の他にこういう事も意図してるのかしら。

 まず喉元から尻まで、お腹の表面の、皮と脂肪だけを切っていく。ここで調子に乗って深く切ると内臓まで切り開いちゃってお腹の内側で中身が漏れるから、皮の下の膜を切らないように気を付ける。

 こいつは雄みたいだから、ブツも切り取る。珍味と言えば珍味なんだけど、全体からしたら小っちゃい割に、格段美味しいというわけでもなし、あたしたち乙女にはあんまり人気がない。別にまずいってわけじゃないんだけど、聞こえが悪いじゃない。
 あ、でも白子は美味しい。獲れたてじゃないと危ないけど、生で食べるとなかなか乙だ。すこし臭みというか、独特の匂いがあるけど、口の中でねっとりととろける味わいはなかなか他に見ない。
 まあこちらもウルウが嫌そうな顔をするので、今回は無理してまで食べることはない。最近慣れてきたとはいえ、リリオよりある意味お嬢様育ちなのよね、ウルウって。

 お次は鉈の出番だ。胸骨に沿って肋骨を断っていき、胸元まで()()()()()やる。そして骨盤も割って、左右に広げる。肛門のあたりを切り開いて、()()を縛って中身が漏れないようにしてやる。
 ここまで来ると後は割と楽だ。胸から腹の膜を切り開いてやり、手を突っ込んでノドスジを掴んでやり、お尻の方へと引っ張ってやれば、ずるりと全体が抜ける。ってウルウに説明したら無理って顔されたけど、まあ二、三回やればコツがつかめるわよ。大きすぎて一度に全体が辛いときは、胃とはらわた、肝臓、肺って具合に三段階に抜くと楽かしらね。

 まあ楽って言っても、これだけ大きいとさすがに苦労するわ。交易貫でまあ、二百キログラムいくかいかないかくらいはあるのかしら。あたし五人分とまでは言わないけど、四人分くらいはあるわね。……詳しい数字は秘密だけど。
 力自慢のリリオが手伝ってくれるから楽だけど、あたし一人だったらもっと時間かかるわよ。というか無理よ。リリオ一人でも無理かも。力があっても体重差がね。ウルウは上背もあるけど、勝手がわからないしおっかなびっくりだからかえって邪魔だし。

 ぼろりと零れ出るように外れた内臓は美味しいは美味しいけど、処理が面倒だから、今日のところはもったいないけど捨てちゃう。いやほんと、面倒くさいのよ。汚物抜いて、綺麗に洗って、内側こそいで。水の神官とかがいてくれたら浄化の術であっという間なんだけど、あたしみたいな半端な魔術使いじゃあ、ちょっとそこまでは無理ね。

 それにウルウが気持ち悪そうな顔してるし。
 なんだかんだ繊細よね、ウルウって。以前話にだけ聞いた、ほとんど無傷で殺す技って、要するに血を見たりするのが苦手だからなのかしら。だからって針一本で殺すっていうのも大概だと思うけど。

 さて、ちょっと休憩したら今度は皮剥ぎ。
 猪の類は脂が美味しいから、この分厚い脂の層をできるだけ肉の側に残しつつ、皮を剥いでいくわ。足のところに切れ目を入れて、次はお腹側に切れ目を入れて、それから胸元から鼻先にかけて切れ目を入れて、あとは少しずつ刃を入れて剥いでいく。リリオはこういう作業あんまり得意じゃないから、替えの小刀をお湯で洗って用意してもらうわ。
 私の方が得意って言っても、まあ猪の脂ってのは皮としっかりくっついてるから、簡単にはいかないわね。鹿とかなら、それこそリリオ曰く「靴下でも脱がすように」くるくると剥げるんだけどね。人間ならもうちょっと――ごほん。

 でも、手早くやらないと、これだけ大きい猪だとどれくらいかかることかしら。
 そう思っていたら、さすがに慣れてきたのか、ウルウが手伝いに入ってくれた。

「どうやるの?」
「こう、こう、こうやって」
「こんな感じ、かな」
「そうそう。リリオより呑みこみいいわ」
「ぐへぇ」

 ウルウはぎこちないように見えるけど、手先の器用さは抜群ね。おまけに見た目と裏腹に握力が万力みたいにあるから、脂で滑る皮もがっしり掴んですいすい剥いでいく。教えたあたしより速いんじゃないかしら。
 何度かリリオの洗ってくれた小刀に交換しながら、あたしたちは綺麗な一枚皮をはぎ終えたわ。

 脂の分厚い猪って、皮をはぐと真っ白なのよね。背中はたてがみの跡が残ってるけど、他はすっかり蝋で包んでるみたい。

 まあこんなに早く剥げるのは、ウルウの手際が思ったよりいいせいね。普通なら何時間かかかるわよ。疲れてきたのか途中から何人かいるように見えたし。

「実際分身したんだよ」

 真顔で言われたけど、ウルウなら本当にやりそうで怖い。

 さて、すっかり皮を剥いだら、いわゆる「お肉」の形まで解体していく。ここからはリリオの方が適役ね。

「リリオ」
「はいはい。主遣いが荒いんですから」

 しゃらんと軽やかな音を立てて剣が抜かれ、川原に寝かせられた角猪(コルナプロ)の体にためらいなく振り下ろされる。普段は器用さなんてまるでないように見えるリリオだけど、こと剣技に関しては目を見張るようなところがある。多少雑に扱っても欠けることさえない大具足裾払(アルマアラネオ)の剣だっていうのもあるんだろうけれど……。

「ほう……実に滑らかな」

 ウールソさんも感心したように顎をさする。

 頭をするりと断ち落とし、返す刃で角猪(コルナプロ)の分厚い脂の層も、丈夫な背骨も、まるで溶けたバターのようにするりと縦半分に両断しながら、でも寝かせた河原の石には傷一つない。
 ある程度腕の立つ辺境の剣士なら同じようなことはできるけど、リリオの恐ろしいところは、失敗するはずなどないという絶対的な確信よね。自分の技を信じることは誰でもする。でも確信することは誰にでもできることじゃあないわ。
 それが危うくもあるし、鋭くもある。剃刀の刃のような、そんな。

 リリオは剣の脂を拭って、狩猟刀に持ち替える。

「とりあえず、今日食べる分だけ残して、あとは《自在蔵(ポスタープロ)》にしまっておきましょうか」
「私の《自在蔵(ポスタープロ)》なんだけど」
「まあまあ」

 足を外すときは、骨の形を確認しながら刃を入れ、関節を外して、切り落とす。
 胴、前肩、股の三つのブロックに分け、骨を外して、肉を小分けにして、はー、またこの作業だけでも一仕事ね。またウルウがなんか増えてたから早く済んだけど。

「…………ウルウ殿は、シノビの術を身に着けておられる?」
「西方の魔術でしたっけ。あたしたちもわかりません。あれはああいう生き物だと思ってるので」
「ああいう生き物」
「はい」
「はあ」

 私たちは売れそうな綺麗な部分を手分けしてまとめて《自在蔵(ポスタープロ)》にしまい込み、それから骨をどうしようかと相談しました。

「これだけ綺麗だったら標本用に売れないかしら」
「背骨断っちゃってますし。厳しいですよねえ」
「煮込んで出汁とる?」
「骨から出汁とるのって相当時間かかるのよ」
撒餌(まきえ)にしますかな」
「撒餌?」

 ウールソさんの提案にあたしたちは小首を傾げた。

「《一の盾(ウヌ・シィルド)》として活動していたころは、角猪(コルナプロ)などの害獣の骨や肉を餌に、上位の魔獣などを誘き寄せては討伐していたものです」
「例えば?」
「そうですなあ、熊木菟(ウルソストリゴ)などがよく釣れましたな」
「よく狩ってたんですか?」
「素材がよく売れますしな。それに、美味い」

 これにはあたしもリリオも顔を見合わせた。
 というのも、熊木菟(ウルソストリゴ)の肉は独特の獣臭がきつくてまずいと言うのがもっぱらの噂だからです。

「美味しいんですか?」
「美味いですとも。とはいえ、食い方は秘伝ですが」
「むーん」
「何しろ拙僧は、山椒魚人(プラオ)から学んだ熊鍋の腕で《一の盾(ウヌ・シィルド)》に招かれましたからな」
「えっ」
「クソ忌々しいことにあのメザーガという男は拙僧をしこたま転がした挙句鍋が美味いという理由だけでパーティに引き入れましてな」
「そりゃ怒るわ」

 温厚なウールソさんでも思い出し怒りするものらしい。





用語解説

・交易貫
 もともと帝国では、長さや重さといった単位をそれぞれの国や種族毎の単位で扱っていた。
 交易貫とは交易尺などとともに近年帝都で制定された単位であり、公的事業においてはこの単位を使用することが法で定められており、また交易尺貫法を用いるものが優遇される方針にある。
 交易貫はグラムと呼ばれ単位を基準に、キログラム、トンなどと呼ばれる単位が用いられる。

・シノビの術
 忍術、ニンポなど。西方の小国で編み出されたとされる独特の魔術。

前回のあらすじ
ライトノベルでじっくり猪の解体をやらかすというお得なお話でした。
真似するときはちゃんとした人に師事しようね。



 わくわく動物ランド(屠殺編)を私は何とか乗り越えた。つまり、その、なんだ、乙女塊を吐き出さずに済んだ。いやー、動物の解体シーンって初めて見たけど、慣れるまでかなりきついものがあった。
 慣れると、なんかもう、心が麻痺するっていうか、麻痺させないと心が折れるというか。辛い現実と向き合うときに大切なのは、それと向き合う力ではない、向き合い方だ。直視することがつらいものであれば、半分だけ見るのだ。半分だけ見て、半分は目を逸らす。

 よし、大丈夫。

 後半なんかはもう、《影分身(シャドウ・アルター)》を使って積極的に解体作業に参加して、さっさと切り上げようとしてたくらいだからな。
 これは本来攻撃《技能(スキル)》で、複数の分身を現出させ、敵単体に超高速の連続攻撃を繰り出すものだが、プルプラも気を利かせてくれたのか、元の形より融通が利くようで、単純な指令ならば従ってくれる分身を生み出すスキルとして活用できた。

 そうして解体の終わった猪肉を選別し、今日の夕餉に使わない分は、小分けにしてインベントリにしまう。後で売りに出してもいいし、私のインベントリの内部は時間が進まないようだから、今後の非常食として取っておいてもいい。

 さて、トルンペートの浄化の術でざっと血糊を落としてもらい、私は川辺の岩に腰かけて一息ついた。この体はかなりのスタミナを誇るけれど、慣れない作業には結構気疲れもする。それになんだかんだグロかったし。

 リリオとトルンペートは、肉をじっくり煮込むとかでさっそく鍋に向かった。猪肉は煮込めば煮込むほど柔らかくなるそうだ。確かに、境の森で食べた時は煮込みが足りなくてごりごりして結構硬かったもんな。

 そうなるとわたしはどうしたものか。
 肉の扱いとか知らないし、ちょっとグロッキーな気分だし、後お腹減ったし。

 ……なんだか不思議な気分だ。
 最近とみにこういう気分が増えた。
 お腹が減っただってさ。
 この私が、晩御飯を楽しみにしているんだとさ。

 以前はゼリータイプの補給食品とブロックタイプの栄養食品、それにサプリメントで満足していたこの私が、毎日今日のご飯は何だろうって気にして、晩御飯まだかなってそわそわして。

「……変なの」

 それで、その気分が、なんだか悪くないなって、そう思うんだ。

 リリオはいつも美味しそうにご飯を食べる。好き嫌いもなく何でも食べる。甘いときは甘いって顔がほころぶし、苦いときは苦いって眉根が寄るし、酸っぱいときは酸っぱいって唇を尖らせて、本当に表情豊かに食べるんだ。

 トルンペートはお澄ましな猫みたいにご飯を食べる。食べ方もきれいだし、食べ終えたお皿もきれいで、好き嫌いなんて子供っぽいこと言いませんよっておすまし顔。でも本当は酸っぱいものが苦手で、酢漬けとか酢の物とか、いつもリリオの分を多くとり分けて、自分はちょっぴりしか食べないのを知っている。

 私は、私はどうなのかな。
 私は出されたものはきっちり食べる。でも好き嫌いはまだよくわからない。甘いものは甘いし、苦いものは苦いし、酸っぱいものは酸っぱい。でもそのどれも、食べられることに違いはない。違いはないけど、じゃあどんなものが好きなのかってなるとよくわからない。
 私が美味しく食べられるものは、二人が美味しそうに食べて、ウルウもどうぞって渡してくれるものだ。私が美味しそうだって思うものは、二人ならきっと美味しいねって言うだろうと思うものだ。

 こうなると二人から離れてしまったら私は美味しいものが食べられなくなるんじゃないかと少し不安になるが、いまのところ二人から離れる予定はないので少し安心だ。

 なんてことを考えていたら、さすがにお腹がぐうぐう鳴った。
 何しろもうすっかり昼時だ。
 一日三食しっかり摂る健康的な生活を送るように身体改造されてしまった私は一食でも抜くと餓死するのだ。

 どうしよう。二人に何か催促しようか。それともインベントリの携行食でも食べようかな。

 などと考えていると、何かがポチャリと水に落ちる音がした。

「うん?」
「如何ですかな」
「……釣り?」
「暇潰しにも悪くないものですぞ」

 巨漢の武僧が、ひょろりと細長い竹の釣竿を構えて、釣り糸を川に垂らしている姿は、何となく直接素手で鮭でも獲ってろよと言いたくなるような違和感だった。一応熊の獣人(ナワル)だったなこの人。特徴と言える特徴が、毛におおわれた耳とおっそろしい顔くらいしかないのでいまいち獣人(ナワル)っぽくないが。

「私にも、できるものかな」
霹靂猫魚(トンドルシルウロ)を釣りに釣ったと聞き及んでおりますが」
「あれは、魔法の釣竿だったから」
「ほう、拙僧にも使わせていただけますかな」
「うー、ん……交換で」
「では」

 この世界の人間に能動的に道具を使わせるのはちょっと怖いものがある。例えばよく二人に貸している《コンバット・ジャージ》や《知性の眼鏡》は、言っても受動的な効果のあるものだ。
 魔法の釣竿……《火照命(ホデリノミコト)の海幸》は能動的な道具だ。この利便性をパーティ外の人間に経験させるのはすこし、まだ、不安要素が大きい。

 しかしこれもある種の実験だ。
 《一の盾(ウヌ・シィルド)》とか言う冒険屋パーティは決して狭くはないヴォーストの街でも知らぬ者のいない凄腕パーティであったらしい。魔法の道具にも慣れていることだろう。ここで反応を見ておくことで、魔法の道具の平均値を推測しておきたい。
 ウールソであれば人格的にも信頼はおけそうだし、返してくれずに争いになるということも避けられそうだ。

 というのはまあ建前で、実際のところはそこまで深く考えず、普通の釣りというのもやってみたかっただけだ。

「餌は付けられますか」
「餌?」
「そこらの虫でよろしかろう」
「……虫」
「虫は苦手でしたかな」
「いや、いい。慣れる」
「ではこちらで」
「うひゃう……これ。さ、刺せばいいのかな」
「左様、左様」
「う、ひゃぁ……」
「竿は、こう、しならせて、ひょい、と置くように」
「……こう」
「すこしぎこちないですが、そのような具合ですな」

 私がそんな風におっかなびっくり釣り糸を垂らしている間に、ウールソはすでに三尾も釣っていた。

「ほおう、ほう。これはまた、見事な竿ですなあ。針先まで意識の通るようでさえある」
「こっちは全然釣れないんだけど」
「釣りとはまあ、もともとそんなに釣れるものではないですからなあ」
「何という自己矛盾」

 まあはじめてまだ全然経っていないというのはわかる。わかるけど、なにしろ私が触ったことのある釣り竿というものは《火照命(ホデリノミコト)の海幸》だけで、釣りをした経験というのも霹靂猫魚《トンドルシルウロ》だけだ。
 だから私には釣りというもの自体が全然わからない。
 ひょいひょいと釣果を重ねるウールソは楽しそうだが、あれが釣れるから楽しいのか、釣りそのものを楽しんでいるのか、それさえわからない。

 ぼんやりと糸を垂らして、ぼんやりと水面を眺めていると、無駄な時間なんじゃないかと、少し焦れるくらいだ。

「釣れない、ねえ」
「まあ、元来、冷えてきたころは釣れないものですからな」
「そういうもの?」
「魚も寒くなれば動きが鈍くなるものでしてな」
「じゃあ、釣れないんじゃ」
「コツがありましてなあ」

「……ウルウがめっちゃ喋ってます」
「下手すると一日で二言とか三言しか喋らない日もあるのに」

「君たち、後でお話ししようか」
「ぐへぇ」
「ぐへぇ」

 昼食は、シンプルに焼き魚となった。





用語解説

・乙女塊
 苦くてすっぱくてスパイシーで主に朝食などからできているもの。

・《《影分身(シャドウ・アルター)》》
 ゲーム内《技能(スキル)》。《暗殺者(アサシン)》系統が覚える。
 単体敵に対して、複数の分身体を生み出し、高速の連続攻撃を見舞う物理属性の《技能(スキル)》。
 攻撃回数がとにかく多いので、クリティカルが連発すると恐ろしいダメージ量になる。
『お前が己で、お前も俺で、お前も俺なのか、そうするとお前も俺だな、じゃあお前は誰だ、俺か。それで、そう。俺は、誰だ?』

前回のあらすじ
人間らしい空腹感や、なかなか釣れず焦れるウルウなどがお楽しみいただける回でした。
嘘は言っていない。



 いやあ、美味しかったですねえ、お昼ご飯。
 たまにはこういう、手の込んでない塩焼きみたいなのもいいものですね。
 と言うか最近手の込んだものばかり食べてたような気がします。トルンペートのご飯は美味しいので文句はないんですけれど、近頃野営とか野外での食事少ないので、冒険屋として大丈夫かなと少し不安です。
 都市型の冒険屋としては間違ってないんでしょうけれど、旅型の冒険屋を目指す私としてはちょっと問題です。

 まあそれはそれとしてご馳走様でした。ウールソさんが大量に釣ってくれたおかげで夕餉まで持ちそうです。

「私も釣ったんだけど」
「普通の釣竿でよく釣れましたよね」
「一匹だけだけど」
「私はああいう風にじっとしてるの落ち着かないので」
「リリオ殿は毛針の方がよろしいかもしれませんなあ」

 さて、そんな風にお昼ご飯を終えて小休止に入った私たちですが、トルンペートは勤勉なことで、薪が足りないかもしれないので取ってくると席を立ち、ウルウも釣りで体が強張ったから歩いてくるとそれについていきました。
 じゃあ私もと立ち上がろうとすると、あんたは鍋見ときなさいと火の番を命ぜられてしまいました。うにゅう。でも美味しいご飯のためには仕方がありません。

 火は強すぎず、弱すぎず、コトコトとじっくり煮込みます。水が減れば足してやり、肉の具合を竹串で刺して確かめます。
 角猪(コルナプロ)の肉は、普通の猪の肉よりも大分かたいです。しかし本当にじっくり焚いてやると、これが恐ろしくとろっとろに柔らかくなってくれるのです。《黄金の林檎亭》の角猪(コルナプロ)が懐かしいですねえ。
 今日のお鍋はあれほどまでに手の込んだことはしませんが、それでも美味しいお鍋になる予定です。

 私がそうしてそわそわと火の番をしていると、ウールソさんがのっそりと鍋を挟んで向かい側に腰を下ろしました。

「すこし、お話してもよろしいかな」
「え? ええ、はい、構いません」
「では作麼生(ソモサン)

 んん、聞いたことあります。
 神官の使う掛け声ですね。

説破(セッパ)!」
「うむ、うむ。ではお尋ねし申すが、何故にリリオ殿は冒険屋を目指されるのか。作麼生」
「ん、説破。もともとは母に憧れてでした」
「メザーガ殿の従兄妹であらせられるという」
「そう、その人です。母はもともと南部で冒険屋をやっていたそうです。それが依頼で辺境までやってきて、父との大恋愛の末に結婚したのだとか」
「その母君に憧れて」
「ええ。長い冬の間、母はよく私を抱き上げて、冒険屋だった頃のお話や、また旅の間に見聞きした様々な冒険や旅のお話を聞かせてくれました。それが幼心に染みわたっていったんでしょうねえ。今や私もすっかり冒険屋馬鹿です」
「それが他人を巻き添えにしての事であってもですかな」
「え?」
「実際、リリオ殿は仕事で仕えているトルンペート殿を巻き添えにし、道中出会っただけのウルウ殿もその旅の巻き添えにしようとしておられる。リリオ殿の旅は他人を巻き添えにしても良いというほどのものでありますかな」

 作麼生、と低い声が胸に響きます。

 巻き添え。
 今までそのような考え方をしたことはありませんでした。
 私にとって旅というものはずっと待ち望んでいたものでした。辛くて、しんどくて、もう疲れたって思うときは何度もありました。でもやめたいと思ったことはありませんでした。
 私にとって冒険屋とは夢であり、憧れであり、それ以上に地に足のついた現実でした。
 私にとって冒険屋を目指すことは当然の事であり、冒険屋として生きていくことは他に選ぶものなどない確たる進路だと思ってきました。

 しかし私についてきてくれる二人はどうでしょう。

 トルンペートはもともと私のお目付け役として付いてきてくれたものです。
 私はトルンペートの事を姉として慕い、トルンペートも私を妹としてかわいがってくれます。
 しかし厳然たる事実としてトルンペートはドラコバーネ家に仕える武装女中であり、それはつまり当主である父に仕えるということであります。
 私の冒険屋稼業に付き合ってくれるのは、父から与えられたお目付け役の任を全うするためであり、本当はいっしょに辺境に帰って欲しいとそう思っているのかもしれません。

 ウルウはどうでしょうか。
 ウルウの旅の目的を、本当のところ、私は知りません。
 ウルウはきっと一人でも何でもできて、一人でもこの世界を歩き回れることでしょう。
 それでも私についてきてくれるのは、私がウルウの知らない世界の案内役としてちょうどよいという、ただそれだけの事です。ウルウは言いました。美しいものを見たいと。君が()()であるならば、()()であるうちはいっしょにいてもいいと。
 ウルウが案内役を必要としている以上に、私が望んで旅についてきてもらっているのでした。

 私の旅は、二人を巻き添えにしてもいと思えるほどのものなのでしょうか。

 なんて。
 答えは決まっています。

「説破! 二人がついてきてくれるのは嬉しいことです。でも私は二人に無理強いしたことはありません。二人がついてきてくれるのは二人の事情や二人の意志からであって、私なんかの巻き添えではありません。私が旅を続ける上で一緒にいてくれたらどんなにか心強いことかと思います。でも、もしも二人が望まないのであれば、私は一人でも旅を続けるでしょう」

 それはきっとどこまでも寂しくて、心折れるほどにつらい別れでしょう。
 けれど、それでも、だけれども、私は冒険屋になると心に決めたのでした。
 だってそこには、きっと美しいものがあるのだと、そう信じられたから。

「ふむ、ふむ。成程。左様ですか」

 ウールソさんはじっとわたしを見つめて、それから熊のように恐ろしい目を細めました。

「では、御父上やメザーガ殿はどうか」
「父や、メザーガですか?」
「御父上はもちろん、メザーガ殿もリリオ殿のご家族と言ってよい。この二人はどちらも、リリオ殿が冒険屋になることをよしとされていない」
「それは……そうですけれど」
「メザーガ殿は単に危険であるからこれをよしとしておられない。成程、これはリリオ殿も承服しかねるものでしょう。しかし一方で御父上はどうか」
「父が、何か?」
「聞けばリリオ殿は辺境の出。辺境と言えば臥竜山脈より沸きいずる悪竜どもを押しとどめるもののふたちの土地」
「その通りです」

 それは誇らしく、気高く、名誉なことだと思います。

「御父上からすれば、リリオ殿がその辺境から旅立つということは、悪竜どもを切る刃が一本足りなくなるということではあるまいか」
「む、ん……それは」
「作麼生」

 これもまた、考えていない事でした。
 父の偉大さや、兄の優秀さ、また頼れる人々に任せっきりで、では自分が欠けた後はどうなるのかということを考えてはいませんでした。
 私はまだまだ未熟な身です。それでも、大具足裾払(アルマアラネオ)の剣を一振り託された剣士が一人、護りの柵から抜け出るということはどれだけの損失でしょうか。
 父は私にそのようなことは言いませんでした。
 言わずとも理解してくれているとそう思っていたのでしょうか。
 いえ、あるいはそれは無言の後押しだったのかもしれません。表立って応援することはできない。しかし娘の夢のためならば情けないことなど言えぬと、そういう覚悟の上での後押しだったのかもしれません。

 そういった今まで考えてもいなかったことを思うに至っても、しかし不思議と私の中の覚悟はこれっぽっちも変わることがありませんでした。
 一人で、あるいはトルンペートと二人で旅をしている時であったら、この武僧の問いかけに詰まり、故郷へと帰る道も考えたかもしれません。竜たちと戦う日々を選んだかもしれません。

 しかし、今の私にはそれでも冒険屋として旅に出たい、もう一つの理由ができていたのでした。

「説破。それでも私は旅に出ます」
「フムン」
「だって……ウルウに格好いい所見せたいですもん」
「は、ははははは、は。成程。成程」

 ウールソさんは高らかに笑って、膝を打ちました。

「成程。同じ情でも、家族の情ではこの情には勝てませんなあ」
前回のあらすじ
ウールソの怪しい質問攻め再び。
元気いっぱいに応えるリリオだったが。



 薪が足りなくなりそうだからと柴刈りに出かけたら、何故だかウルウもついてきた。ぼんやりしていることが多いから何時間でもそうしてられるって勘違いしやすいけど、なんだかんだこいつ暇潰しにうろちょろしてるのよね。
 いまだってあたしの柴刈りを手伝っているわけじゃなくて、山の中の変わった動植物を観察に来ましたって風情で、あっちにフラフラ、こっちにフラフラ、気づいたらすぐそばに戻ってきているっていうのを繰り返してる。

 あたしにはいったい何が楽しいのか全く分からないけど、まるで生まれたての赤ん坊みたいに、こいつは何にでも興味を示す。なんでも口に入れたりしないだけましだけど、危険なものでも気にせず手を出すから怖い。

「トルンペート」
「なによ」
「これ何」
「危ないからポイしなさい」
「はーい」

 冗談じゃなく、こういう会話が結構頻繁にある。
 つい今しがたも爆裂(エクスプロディ)団栗(グラーノ)を拾って持ってきて、危うく胆が潰れるかと思ったわ。幸いすぐに放り捨ててくれたから、遠くで炸裂してくれたけど。握りしめたままだったら指が吹っ飛んでたかもしれない……って自分で言っておきながら、こいつがそういう怪我を負うところがちょっと想像できない。

 こういのは、あれよね、あたしだけ黒焦げになって、こいつはしれっとして「危ない危ない」とか言ってそう。

 しばらくしてくればウルウも危険というものをある程度認識してくれたようで、何か見つけた時は触らずにあたしに聞いてくれるようになった。
 あたしからすればどうしてこんなものを珍しがるんだろうというくらいあり触れたものから、山に慣れたあたしでも珍しく思うような貴重なものまで、ウルウは分け隔てなく見つけては聞きに来る。
 そして一度聞いたものはしっかり覚えて、二度と聞きに来るということがない。

 ちょっと面白くなって、よく似た外見の団栗(グラーノ)を何種類か並べて当てさせてみたら、リリオでも苦労しそうなところを平気で即答して見せた。
 一度見たものは忘れないって以前言っているのを聞き流したことがあったけど、もしかしたら本当なのかもしれなかった。

 ……となると、以前トランプ遊びで勝負した時にやたらと勝率が高かったのも、場に出た札を全部覚えてたからじゃないでしょうね。帝都から最近流れてきた遊びだから、やり方を熟知してるあたし以外は公平だって思ってたけど、ウルウに関しては別みたいね。
 あー、というか、リリオだけ勝率が低かったのも、うなずけるわね。
 神経衰弱はもう二度と賭けありではやらない方がいいわ、これは。秘蔵の一本取られちゃったし。

 それにしても、それだけ記憶力がいいウルウがあれこれ気になって歩き回るというのは、これって不思議だ。
 だってそうだろう。
 山の中のものは、まあ、ウルウが箱入り娘で外に出たことがなかったと言うことなら、物珍しがって仕方がない。
 でもウルウが小首を傾げるものは、むしろ街中の方が多いくらいだ。店先に並ぶ品々で首を傾げないものの方が少ないし、最近あたしにも隠す気がなくなったのか、あれこれ尋ねる内容はごくごく当たり前の事ばかりだ。
 街にも降りたことのない余程のお嬢様っていうには、ウルウはどうも洗練されていない。良くてもお金持ちの市民、町民だ。そうしてそういう層にしては、ウルウの能力はずば抜けて優れ過ぎている。

「あんたってさ」
「なに」
「何者なの?」

 何となく投げかけた問いかけに、ウルウはしばらく咀嚼するようにじっと考え込んでいた。

「何者なんだろう」
「あたしが聞いてんのよ」
「人間、ではないのかも」
「意外でもないかも」
「えっ」
「えっ」

 別に今更ウルウが人間じゃなかったところで、意外でも何でもない。
 辺境にはそれこそ人間やめてるのがごろごろいるし、近場でいえばメザーガを始めとして《一の盾(ウヌ・シィルド)》の面子は大概人間やめてる。
 でもそういうことじゃなくて、種族として、人族でもなければ、あたしの知ってる隣人種でもないんじゃないかって言うのは、別に意外でも何でもない。

「じゃあなんだと思ってたのさ」
「そういう生き物だと思ってた」
「そういう生き物」
「種族:ウルウ、みたいな」
「あー」

 本人も納得するところらしい。

「まあ、なんでも、亡霊らしいよ、私は」
亡霊(ファントーモ)?」
「一度死んでるんだって。それでまあ、今の私は亡霊みたいなものなのさ」
「よくわかんない」
「私も」

 でも神様がそう言っていたからと言うのには少し驚いたが、でもまあ、ウルウはちょっと神がかったところがあるというか、浮世離れしたところがあるというか、神様に愛されていそうなちょっと儚いところがある。

「早死にしないでよね」
「詩人は早死にするっていうよ」
「あんた詩人じゃないでしょ」
「でもよく笑われてる」
「……あー。あれは詩なの?」
「地元じゃポエットって扱いだったよ」
「ポエット」
「ポエット」

 それはなんだか笑える響きだった。

 心地よく空気もほぐれて、程よく薪も集まって、私は折角なのでいろいろと、聞いてみたかったことを尋ねてみることにした。こいつと二人きりと言うのは、なんだかんだ珍しいし。

「あのさ」
「なあに」
「なんでリリオなの?」
「なんでって……なんで?」
「なんでっていうか……正直リリオってついていきたいって思える感じじゃないと思うんだけど」
「あー」

 あたしみたいに面倒を見るのが幸せみたいなそういう風に調教された生き物でもないと、あっこいつ面倒くせえ、ってなるんじゃないかと思う。
 リリオ自身面倒は見る方だし、ウルウもなんだかんだ面倒見はいい方ではあるかもしれないけど、あんまり人付き合い好きそうじゃない、と言うよりはっきり苦手そうだから、べたべたしがちなリリオの相手は辛いと思うのだけれど。

「リリオと会った時の話ってしたっけ」
「えっと……熊木菟(ウルソストリゴ)相手に矢避けの加護使わないでぼっこぼこにされたって話だっけ」
「それそれ」

 あの時は単に阿呆かと思ったくらいだけど、普通に考えてリリオが熊木菟(ウルソストリゴ)の空爪くらい避けられない訳ないのよね。余程老獪な個体ならともかく、あれって予備動作もあるし、辺境の剣士で避けられないのって恥って言うくらいだし。

「あれさ、私のこと助けてくれたんだよね」
「はあ?」
「わたしぼんやりしてて熊木菟(ウルソストリゴ)に気付かなくってさ、そしたら、リリオに突き飛ばされて、助けてもらったんだ」
「余計なお世話じゃない?」
「私のこと知ってたらそうかもしれない」

 まあ、そうか。
 いまでこそ、こいつ背後から酒瓶で殴りつけても平気で避けるってことあたしたちは知ってるけど、そうと知らなければただのひょろ長い嬢ちゃんに過ぎない。

「まあ、私のこと知ってても同じことしたと思うけど」
「あー、そういうとこあるわよね」
「だからかなあ」
「なにがよ」
「なんでって話」
「なんでって……あー、なんでリリオっていう話?」
「そう、それ」
「なにそれ。白馬の王子様に助けられてドキッとしちゃったやつ?」
「目の前でさっきまで笑顔だった子が血まみれになってきりもみ回転してドキッとしちゃったやつ」
「おうふ」
「放っておいたら死ぬんじゃないかとは思ったよね」
「わかるわ」
「わかりみ」
「わかりみ?」
「わかりみが深い」
「あー……わかりみ、深いわね」

 二人してなんだかしみじみと深いねー、深い深いと意味の分からない相槌を打ち合ってしまった。

「でもさ、しばらく付き合って嫌になったりしてない?」
「別にしてない」
「ほんとに?」
「……ちょっとだけ」
「やっぱり」
「距離感がさ」
「あー」
「距離感が、近い」
「あの子べたべただもんね」
「懐かれて嫌なわけじゃないんだけど」
「うん」
「慣れてないから、気持ち悪くなる」
「ごめん、それはわかんない」
「うん」
「いやー」
「なんていうかこう、生き物にあんまり触ったことないから」
「まさかの動物扱い」
「壊しそうで怖い」
「どういうことなの?」
「後たまに壊されそうで怖い」
「あの子真面目に人の骨圧し折ったことあるからね」
「そっちの方が気になるんだけど」

 気付けば、いい時間になっていた。





用語解説

爆裂(エクスプロディ)団栗(グラーノ)(Eksprodi glano)
 爆裂(エクスプロディ)(クヴェルツォ)(Eksprodi kverco)の殻斗果、つまりドングリ。
 春から夏にかけて気温が高くなると、内部のメタ・エチルアルコールが封入された火精と反応して爆発し、種子を周囲にぶちまける。爆発自体は小規模だが、子供などが手に握ることで温度上昇、炸裂し、指などを吹き飛ばす事例がある。
 また、植物でありながら火精を扱う珍しい魔木として研究もされている。
 なお、この実自体は渋みが強く、流水で数日あく抜き・火精抜きをしなければ食べられない。

・トランプ遊び
 近年、帝都から発信された札遊び。
 四種各十三枚の五十二枚、つまりスートと呼ばれる四種類のマークと、一から一〇の数字札とジャック、クイーン、キングと称される字札の組み合わせ五十二枚、それに加えてジョーカーと称される絵札一枚ないし二枚からなる遊び札。
 ポーカー、七並べ、神経衰弱などの厳密に規定された遊び方とともに発信されており、課税対象であることからも、かなり計画的につくられた遊戯ではないかと噂されている。
 誰かがすでに出来上がったものを持ち込んだようでさえある。ね。

・神様に愛されていそう
 我々の世界でも、神に愛されているというのは早逝すること、つまり早死にすることに対して言われる形容だ。
 ただこの世界では、神に愛されるというのはしばしば半神などとして召し上げられたり、既知外の神の精神に触れて気が触れたりなど、大いにろくでもない場合が多いが。

・背後から酒瓶で殴りつけても平気で避ける
 ウルウの回避能力はゲーム時代の「攻撃に対する回避判定は計算で自動的に算出される」ことからくる自動的な物であり、それが攻撃または危険と判定されれば、見えていまいと気づいてなかろうと反射的に発動する。
 それはともかく、背後から酒瓶で殴りつける経験があるというのはどういうことなのか。
前回のあらすじ
マックで駄弁る女子高生のような会話を繰り広げるウルウとトルンペート。
あの口下手なウルウが……快挙です。



 トルンペートとの雑談はなかなかいい収穫だった。
 私とリリオ、リリオとトルンペートっていう組み合わせは結構あるんだけど、私とトルンペートの二人きりっていう組み合わせは、実のところあんまりなかったからね。それこそ、一番初めの頃の、二人で仲直りした時くらいじゃなかろうか。

 別に仲が悪いってわけじゃない。
 多分、単純に付き合いやすさで言ったら、私はリリオよりトルンペートとの方がやりやすいはずだ。
 でも実際のところは、リリオは何かと黙り込みがちな私の面倒を見ようとするし、トルンペートはそのリリオの面倒を見るのが好きでたまらないマゾヒストだし、そうなると私は別に何もしなくても満たされてしまうのでこれと言って仲が進展しなかっただけだ。

 だから今日、これと言った目的もなく、中身もない、本当に雑談のための雑談と言った会話ができたのはちょっと嬉しい。私にもちゃんと会話ができるのだという自信が持てた。心療内科の先生に話したらおめでとうと言われる快挙じゃなかろうか。
 思えばあの人も今となっては懐かしいな。当時は正直薬だけくれという気分だったが、まともに会話をしていたのはあの人くらいだったように思う。

 さて、山と担いだわけでもなくインベントリに薪を突っ込んで帰ってきた私たちは、早速夕飯の猪鍋の準備に取り掛かった。
 正確にはリリオとトルンペートが。
 私に任せると彼女たち曰くの「四角四面の味」がするらしいから、私は食べるの専門で行こう。

 とはいえ、さてどうするかな。
 二人がいろいろ準備しているのを見るのはそれはそれで楽しいけれど、でも人が仕事しているのに自分がぼうっとしているのは何とも手持無沙汰感がひどい。
 リリオたちは私のことをワーカーホリック扱いするけれど、私からすればこの状況で平気でいられるのは人として感性がおかしいと思う。まあ育ちの違いかもしれないけど。

 またどこかふらついてこようかなと思っていると、隣にどっかりと岩が座り込んだ。
 違った。巨漢の武僧、ウールソだ。
 つるりとそり上げた頭に、一方でごわりと豊かな顎髭。それに熊のものであるらしい獣の耳に、いかつい顔。成程、(ウールソ)の名を持つだけあるなと思わせる。

「少しお話をしてもよろしいかな」
「面接の時間かな」
「はて?」
「実技試験の後に口頭面接ってのは初めての流れかな」
「ウルウ殿は慣れておられるのかな」
「職種は違っても、ね。これでも二十六だし」

 今日一番驚かれた。

「ウルウ殿は長命種であられるか」
「響きから想像はつくけど、多分違うと思う」
「これは試験とは関係ありませぬが、実際のところウルウ殿は、ふむ、何と申したものかな」
「何者かって?」
「端的に申せば」
「そうだね。亡霊なのさ」
「亡霊」
「一度死んで、いまだって生きているようなものかよくわかりもしない。亡霊だよ」
「フムン」
「それこそトルンペートあたりが言ってたんじゃないかな。種族:ウルウだよ」
「成程」

 さて、まあ会話は温まった、とみていいんだろうか。いまだに空気の温度はよくわからない。

「本題は何かな」
「そうですなあ。まずは何からお聞きしたものか」

 ウールソはしばらく顎髭を撫でながら考え込んでいるようだった。
 こうして近くで男性の顔を見る機会と言うのはあまりなかったけれど、なかなか渋い顔立ちだな。《一の盾(ウヌ・シィルド)》の中では一番年食ってそうだけど、渋みもあり、落ち着きもあり、安心感があるな。怖いけど。

「では、そうですな。なぜリリオ殿なのかお聞きしてもよろしいか」
「なぜリリオかって?」
「左様。ウルウ殿があえてリリオ殿にこだわるのはなにゆえか。作麼生(いかがか)
「ふふふ」
「む?」
「いや、さっきの質問と言い、トルンペートに聞かれたばっかりだ」
「ほう」
「だから今度はもう少し突っ込んだ答えをするとするならば」

 私は少し小首を傾げて、言葉をまとめた。

説破(そうだね)。私がリリオに命を助けられたから、かな」
「ほほう」

 私はトルンペートにも話した、リリオに助けられた時の話を繰り返した。

「助けられた、それだけでリリオ殿についていくと?」
「厳密には違うかな。助けられたんじゃない。助けられてるんだ。いまも」
「いまも?」
「私は正直な所、人間というものを信用していない」

 いくらか改善されてきたとはいえ、私にとって人間というものは次の瞬間には薄汚れたエゴをさらす生き物でしかない。なぜならそういう生き物だからだ。これは根本的な性質であって、私自身にもそういうところがあり、改善のしようはない。
 だから私は人間が好きじゃあない。
 これはリリオであっても変わらない。リリオは素直であるからそう言った薄暗い面が見えづらいところはあるけれど、エゴの生き物であることに変わりはない。
 エゴの生き物を止めるにはどうしたらいいか。解脱して仏になるか、あるいは死ぬほかない。

「でもねえ、そんな人間であっても、時々まだ生きていてもいいかなと、そう思わせてくれる綺麗なものを見せてくれる時がある」
「それがリリオ殿であると?」
「そう。だからリリオがそういうものを見せてくれる限り、私はついていくよ」
「ふむん」

 ウールソはまじまじと私を眺めて、つるりと頭を撫で上げた。

「では冒険屋になりたいというわけでは、別にない」
「そう言ったことは一度もない。ただ、単にリリオについていくのに便利だからそうしているだけだよ」
「ではリリオ殿が冒険屋を止めるとしても、ついて行かれると」
「リリオがそんなことを?」
「さて」

 まあ、リリオがそういうことをほのめかす程度でもいうとは思えないけれど。
 というか、何となくどういうことを言ったのかわかるけど。

「どうせリリオはやめないって言ってるんでしょ」
「おわかりか」
「何なら理由も当ててあげる」
「では」
「『ウルウに格好悪い所見せられない』とかなんとか、でしょ」
「よくおわかりだ」
「そりゃね」

 そりゃあそうだ。
 いつもそんなことばかり言っているような気がするし、それに、なにより。

「私もリリオの格好いいところばかり見ていたいからね」

 武僧ウールソは目を丸くしてまじまじと私を眺め、それから、少し離れたところの二人が顔を上げるような大きな声で笑い始めた。

「はっはっはっはっは! 成程左様か」
「何がおかしいのさ」
「いやいや、いや。すっかり惚気られてしまいましたなあ」

 私は今更ながらに赤面した。





用語解説

・長命種
 この世界の種族はみなその種族毎の寿命を持っているが、その中でも特に、何百年、あるいは千年といった長い時を生きる種族の事を特にいう。
前回のあらすじ
ついにウルウにも向けられたウールソの毒牙。
しかしなんと惚気返すことで撃退するウルウだった。



 角猪(コルナプロ)鍋!
 何と美しい響きでしょうか。
 個人的に帝国美麗句百選に乗せたいくらいです。
 粗にして野なれど卑にあらずと言う具合でしょうか。

 以前、境の森で作った時は何しろ準備も材料も足りませんでしたから、地物の香草の類と乾燥野菜くらいしか入れるものがありませんでしたが、今日は何しろこの角猪(コルナプロ)鍋を食べるためだけに来たと言っても過言ではありません。

 早速頼りのトルンペート先生をお呼びしましょう!

「結局人頼りなんじゃない……ま、いいわ。はじめていきましょ」

 まず最初に、キノコの選別と処理からですね。
 キノコの数はたくさんありまして、中には毒キノコと食用キノコの見た目がそっくりというものもよくあります。
 こういうのを区別するには、まず齧ってみて舌が痺れたら、

「そういう蛮族式判断方法はやめなさい」

 怒られました。

「毒キノコかそうじゃないかは、特徴をしっかり覚えておくことが大事ね。それで、毒キノコの可能性があるものは全部弾いちゃった方が安全よ。区別があいまいだなーってものは全部弾く。これ大事」
「つまり私なら食べるかもなって思ったものはやめた方がいいんですね」
「よくわかってるわね蛮族」
「むがー!」

 とはいえ、毒キノコは本当に危険ですからね。
 この私であっても二、三日動けなくなることもざらなので、気を付けなければなりません。

「ざらって言えるくらい毒キノコ食ってんのよねあんた」
「毒キノコ博士とお呼びください!」
「なんで死なないのかしら」
「博士にもわかりません……」

 さて、本日採れたキノコを並べていきましょう。

 まずは石茸(シュトノフンゴ)
 いきなりいいやつ来ました。
 名前の通り石のように固く良く締まったキノコなんですけれど、香りがいいんですねえ。とはいえ、香りの表現って難しいですね。甘いようでもあり、香ばしいようでもあり、新鮮な土の匂いのようでもあり。

 さて、お次は、これは黒喇叭茸(ニグラ・トルンペート)ですね。トルンペートの名前をとった鉄砲百合(トルンペート・リリオ)と同じ、楽器の小號(トルンペート)が名前の由来ですね。黒くて細長い変わったキノコで、こりゅこりゅくにゅくにゅした歯ごたえで、乳酪(ブテーロ)のような香りが楽しめます。

 ウルウはちょっと味見して、ヨウフウキクラゲとかいってましたっけ。

 作茸(シャンピニョーノ)はどこでもよく採れるキノコですね。白いのだったり茶色のだったり。丸っこく可愛らしいキノコですね。大きく育ったものは肉厚で食いでがありますけれど、大体すでに猪だったり熊だったりに食べられてますので、ちっちゃいので諦めましょう。
 ほんとどこにでも生えててどこでも採れるキノコで、煮物にはとりあえず放り込んどけというくらい出汁が取れます。煮てよし、焼いてよし、白の若いものなら生でも食べられます。

 牡蠣茸(オストロ・フンゴ)は名前の通り、牡蠣(オストロ)みたいな平らな形に広がるキノコなんですね。もうちょっと暖かい地方のキノコと思ってましたけど、このあたりでも採れるんですね。ふふふ。私は食べ物に関しては結構詳しいんですよ。
 なんでも味や香りは特に癖もなく、なんにでも合うそうですね。

 一夜茸(インコ・チャーポ)はこれ、ちょっと難しいキノコですね。白から灰色がかった色合いをしていて、細長い卵のような形をしていますね。墨汁(インコ)という名前がついているのはこのキノコの変わった特性のためで、熟した一夜茸(インコ・チャーポ)は一晩のうちに黒っぽい墨汁(インコ)みたいに溶けてしまうんです。なので採った後ほったらかしておくとえらいことになります。
 あ、でもですね、難しいって言うのはそこじゃないんですよ。
 このキノコですね、お肉の脂ととても合うんですけれど、その癖、お酒との相性が最悪なんですよ。最悪。一緒にお酒飲むとですね、恐ろしいほど悪酔いする挙句、一週間くらいは体に残るのでその間飲酒が危険なわけですよ。堪ったものではありません。美味しいんですけれど。

 反対多数で今日はやめておきました。
 ウルウだけは食べてみたいとのことで、一人分乳酪(ブテーロ)炒めを作ってあげることに。
 ……ちょ、ちょっとだけなら……いえいえ、ちょっとと侮ると後が……ぐぬぬ……。

 気を取り直していきましょう。
 
 ごろっと太い軸に平たい傘、これは杏鮑菇(エリンゴ)ですね。これは牡蠣茸(オストロ・フンゴ)の仲間……仲間でしたっけか。うん。仲間だった気がします。軸がごっつく大きくてですね、かなり食べ応えのあるキノコです。他は美味しいということ以外よく知りません。
 正直私、食用キノコより毒キノコの方が詳しいくらいですからね。

 最後は……お、こいつは変わり種が来ましたね。滑子(フォリオート)です。これはもう見た目から凄まじいですからね。表面をぬるっとしたぬめりが覆っていて、初見だとこれどう見ても毒キノコですもん。思わず二度見してもこれは毒キノコ判定待ったなしですよ。
 ところがどっこい、美味しいんですよ、これ。
 小さいやつなんかね、つるつるっ、とぅるとぅるって感じの食感が面白くてですね。成長した奴なんかは今度はそれにシャキシャキとした歯応えが加わって、ま、なんです、たまらんって感じですよ。
 胡桃味噌(ヌクソ・パースト)の汁にこれがとぅるんって入ってた日には、まず大地に感謝ですね。

 あとは毒キノコなんで嬉々として紹介したいんですけど、食べられないのでまた今度ですね。

 処理は、まあ大体、石突の硬いとことって埃を払ってやればいいです。
 あ、キノコの類は水で洗っちゃだめですよ。
 食感や味、風味が落ちます。でもどうしても気になるときは、濡れ布巾などで軽く拭うとよいでしょう。

 あとはこれらと香草を胡桃味噌(ヌクソ・パースト)で煮込めば出来上がり、と言うところですが、何やらトルンペートが怪しげなものを取り出しました。
 なんていうか……小汚い茶色をした棒みたいな。
 それを……短刀で削って……鍋に入れたー!?
 え、それ食べ物なんですか!?
 鍋で煮立てて、え、飲んでみろって、ただの木の枝削って入れた奴じゃないですか美味ーっ!

「え、なんですかこれなんですかこれー!?」
「ふふふ、こう言う時の為に手に入れたとっておきの鹿節(スタンゴ・ツェルボ)よ!」

 鹿節(スタンゴ・ツェルボ)
 噂には聞いていましたが、まさかたったのこれだけでこんな出汁が採れるなんてすごい木の棒です。

鹿節(スタンゴ・ツェルボ)だっつってんでしょ。それにしても夢の中で味見た時とはなんか違うわね。結局は夢の中ってことか……」
「え、何言ってるんですか怖っ……」
「引かない引かない」

 なんだかトルンペートが妙なことを言い出し始めましたけれど、確かに鹿節(スタンゴ・ツェルボ)の出汁たるや物凄いものがあります。普通出汁と言うと脂の匂いや癖と言った雑味も一緒に出てしまうものですが、この鹿節(スタンゴ・ツェルボ)はとことんまで旨味だけを絞り出したような澄んだ味わいです。
 これを鍋に使うというのですから、単純に旨味ばかりが足される美しい数式!
 これは私的帝国美麗数式百選に加えたいくらいの完璧な数式です。

 いえ、もはやこうなると足し算ではすみません。掛け算です。

 鹿節(スタンゴ・ツェルボ)の出汁×角猪(コルナプロ)の出汁×美味しいキノコたち=百万力です。

 これは私的帝国力技数式百選に加えたいくらいの完璧な数式です。

 こうして私たちの角猪(コルナプロ)鍋が完成したのでした。
 もうちょっとだけ続くんですよ。





用語解説

黒喇叭茸(ニグラ・トルンペート)(Nigra trumpeto)
 トランペットのような形をした黒いキノコ。バターで炒めると美味しい。

乳酪(ブテーロ)(Butero)
 いわゆるバター。
 どうでもいいが果たしてこの世界の乳製品はちゃんと牛からとられているのだろうか。
 牛と言う名前のなんか謎の生物だったりするのだろうか。謎だ。

作茸(シャンピニョーノ)(ŝampinjono)
 いわゆるマッシュルーム。どこでも採れるキノコの中のキノコと言ってよい。

牡蠣茸(オストロ・フンゴ)(Ostro fungo)
 オイスター・マッシュルーム。いわゆるヒラタケ。以前はこれをしめじとして販売していることもあったが今はどうなんだろう。

一夜茸(インコ・チャーポ)(Inko ĉapo)
 ヒトヨタケ。コプリーヌとも。
 徐々に黒く変色しはじめ、インクのような液状に溶けてしまう。
 現地語のインコ・チャーポは英名のインクキャップからとった。

杏鮑菇(エリンゴ)(Eryngo)
 いわゆるエリンギ。エリンギと言う名前はイタリアや南フランスなどを中心に生えるキノコで、エリンギウムというセリ科の植物が枯れたところに生えるからエリンギと呼ばれるようになったようです。
 どうして北部のこんなクソ寒いあたりに生えているのかは謎だが、筆者が好きなキノコだからだと言わんばかりである。

滑子(フォリオート)(folioto)
 いわゆるなめこ。天然物は言うほどぬめっていないが、雨などで湿度が上がるとどえりゃあぬめる。

前回のあらすじ
角猪(コルナプロ)鍋と謳いながらもほとんどキノコの解説で終わった。
ゴスリリは割とそういう回が多いので気長に楽しもう。



 さて、そろそろ欠食児童どもの腹の音がうるさいからざっくりといろいろはしょって、角猪(コルナプロ)鍋が仕上がったわ。細かい工程が気になる子は、いつかこう、リリオの旅を冒険譚とか旅行記として出版するときにレシピでもつけるからそれを読みなさい。保証はしないけど。

 さて、大きめの鍋にたっぷりと仕上がった角猪(コルナプロ)鍋だけど、これ足りるかちょっと不安になってきたわね。

 なにしろ身の丈はウルウよりも頭一つは大きくて、幅と言ったら二人分はありそうなウールソさんはまずたっぷり食べることは間違いないでしょ。冒険屋ってのは他所のパーティのご飯でも基本的に遠慮なんかする生き物じゃないもの。
 この前の地下水道の時だってそうだったでしょ。割と良識人だった《潜り者(ホムトルオ)》だって遠慮なんか欠片もしなかったし、その冒険屋との付き合いの長い水道局の人だって微塵も遠慮せず林檎酒(ポムヴィーノ)かっ喰らってたじゃない。仕事中なのに。

 神官だし、あの実にできた人っぽい雰囲気といい、ウールソさんに限ってそんなことないって言いたい気持ちはよくわかるけど、あの人あれで自前のどんぶり持ってきてるから。リリオのよりでかいわよあれ。

 そのリリオはもう、安定してるわ。あの小さな体にどれだけ入るのかってほどに、本当によく食べるのよね。食べた端から全部消化して魔力にでも変換しているって言われても信じるわ、あたし。
 常に何か食べる印象があるってよく言われるリリオだけど、実際間違ってないと思うわ。多分食べてないと死ぬのよ。ネズミと一緒で。 

 あたしも辺境出だからさ、それはまあ食べるわよ。生粋の辺境人ほどじゃなくても、食べるわ。何しろ辺境って言うのは、生きるだけで体力使う土地だから、竜どもと戦うとかそれ以前に、自然の驚異と戦うために命を削らなきゃいけない。その削った命はご飯食べて満たさなきゃならない。何事もまずご飯なのよ。
 だから美味しくて腹にたまるご飯作れる子はモテるし、逆にまずい飯作るやつは私刑にあってもおかしくない。
 別にあたしがモテるって自慢じゃないわよ。モテるって言っても限度あるもの。やっぱり人間こう、ないよりはあるほうがいいっていうか、平らなより山の方がいいっていうか、要するに見る目がないやつが多いのよ。

 さて、残るウルウはって言うと、まるで小鳥みたいよね。図体の割に。
 いやまあ、普通に食べるのよ。ちょっと小食かなとは思うけど、それでも最近は食べ切れないってことはなくなったし、ちゃんとご飯食べられるようになってきたのよ。それでも一般人と言うか、普通の町民くらい。冒険屋ならもうちょっと食べてもいいのよ。体力勝負なんだからね。
 でも最初の頃はねえ、それこそ食べるってことにあんまり興味持ってなかったから心配してたのよねえ。無理して食べ過ぎて、あとで隠れて吐いてるってこともあったし。

 なんてこと言ってたら本当に鍋がすっからかんになっちゃうからあたしも食べないとね。

 まず汁を一口。この汁がね、美味しいのよ。

 角猪(コルナプロ)の肉からあふれ出したどっしりとした旨味を、鹿節(スタンゴ・ツェルボ)の力強い旨味が余さず支えてくれる。支えてくれるだけじゃなくて上乗せして純粋に持ち上げてくれる。そして脂の甘味がもたらす確かな心強さ。
 胡桃味噌(ヌクソ・パースト)の甘味と塩気がそこに立体的な輪郭をくれるってわけよ。

 キノコってのは、煮込んじゃったらどれも似たり寄ったりのもんって思ってる人いるじゃない。まあ半分くらいは当たってるわ。食感とか似たような感じになるし。でもね、その香りはたっぷりと汁にとけこんで、そして鍋全体に膨らみを与えてくれる。胡桃味噌(ヌクソ・パースト)が大地だとすればキノコの香りは空なのよ。
 理解(わか)る?
 あたしには理解(わか)んないわよ。酔っ払い(リリオ)の戯言なんだから。

 のたのたとなんやかんやあれこれ喋ってたら鍋がなくなるでしょ。
 解説はあとよ。食べるのが先。
 理解(わか)る?
 あたしには理解(わか)る。
 だから食べる。

 そして食べたら解説どころじゃないの。
 わかるかしら?
 わかるわよね?

 だから、いつだって正しいご飯の後には正しくこう続くのよ。

「ごちそうさまでした!」

 それで終わり。
 ね?



 さて、ご飯が済んで、後片付けが済めば、あとは、そう、乙女なら身を清めないとね、というのが《三輪百合(トリ・リリオイ)》のやり方だ。と言うより、ほとんどウルウのやり方よね。
 お風呂に入れない野外活動中も、ウルウは絶対に水浴びを欠かさなかった。どうしても水浴びできない時でも、布を濡らして体を拭いていた。

 夏の間はそれでよかったかもしれないけど、さすがにこれから冬になっていくんだし、川で水浴びするのも限度があるんじゃないの。
 とあたしが言ったらこの女、わざわざそのためだけに倍以上値段がする温泉の水精晶(アクヴォクリスタロ)を箱で購入してきやがったのよ。理解(わか)る? ああ、もう、これもいい加減面倒ね。そうよ、全然わかんない……といいたいところだけど。

「うあぁ……気持ちいいですねえ……」
「ああ……もう……駄目になるぅ……」

 いやはや、さすがのあたしもダメになるわよ。

 ウルウが取り出したのは、巨大な金属の筒だった。筒は両側が同じく金属の蓋で覆われていて、何かの容器みたいだった。
 ウルウはこの蓋の片方を綺麗に切り取って、川原に組んだ竈の火にかけて中にたっぷりの温泉水を注いだ。
 炊き出しの大鍋みたいねって思っていると、ウルウは温度を見ながら中底に木の()()()を敷いた。

 それからこう言ったの。

()()()()

 ってね。

 それ以来あたしたちは野外活動の時だって欠かさずにお風呂に入っている。
 一度に入れるのは、精々一度に一人か二人。リリオとあたしでちょっときついかなってくらい。以前リリオが無理に三人で入ろうとしたときは、三人そろってのぼせそうになったわね。

「…………」
「さすがの《一の盾(ウヌ・シィルド)》でもやらない?」
「風呂の神官でもいれば別ですが、これは、また、《三輪百合(トリ・リリオイ)》には驚かされ通しですなあ」

 うん、おかしいってことはあたしもわかってる。
 わかってるし、これを常識にしちゃうと今後困りそうだってのも理解してるけど、それと()()気持ちが良くてとろけそうだってのは話が別だ。
 いまを……今を、生きる。それが大事よね。やっぱり。

 せっかくなのでウールソさんにもお湯のおすそ分けをすることにした。
 のだけれど、さすがに殿方だし、何しろ体が大きい。

「いや、拙僧は最後でよろしい。湯も溢れてしまうでしょうし男の後では嫌でしょう」

 潔癖症のウルウはともかくあたしたちはそこまで言わないけど、でもまあ、先に入らせてくれるならその方がうれしい。

 というわけで、燃料と時間の節約のため、第一陣はあたしとリリオ、第二陣がのぼせやすいウルウ、第三陣がウールソさんということになった。

 あたしたちが入浴している間、ウールソさんは周囲の見回りを軽くしてくると場を外してくれた。なのであたしたちは互いに火の番をしながら遠慮気兼ねなく体を洗い、入浴し、さっぱりと汗を流した。

 ウルウが早めにお湯から上がって、あたしが魔術で乾かしてあげて、ウルウ特製の檸檬水で髪を整えていると、ウールソさんが野営地から、たっぷりの蜂蜜を溶かした生姜湯(テオ・デ・ジンギブロ)を淹れてきてくれた。
 自分が最後であるし、長湯はしないから火の面倒は気にしないでよい、とのことだったので、あたしたちはありがたくこの甘くて刺激的なお茶を楽しみながら、湯冷めしないように焚火の火にあたった。

 男の人がそうなのか彼が特別そうなのかはあたしたちはみんな知らなかったけれど、確かに長湯せずウールソさんは早々と湯から上がった。
 そしてざっと洗った風呂窯を担いで運んできてくれたので、あたしたちは何の気兼ねもなく就寝することができた。 

 まあ気兼ねなく、と言うのは明日の準備に関してはと言うことであって、実際天幕に入ってからは少し問題だった。
 天幕は二張りあって、一張りはウールソさんに使ってもらって、もう一張りはあたしたち《三輪百合(トリ・リリオイ)》の三人で使うことになっていた。
 さすがにパーティ用とウルウが言うだけあって広く、大きなウルウとちっちゃなあたしたち二人なら随分広く使える大きさだった。

 それでも、実際に中に入って、ウルウがこんな時でも例のふわっふわの羽毛布団を敷いて、川の字になってさあ寝ましょうとなると、落ち着かないのが出た。

 一人は左端のリリオ。なんだか楽しいですねと遠足気分のこのちびっこはそわそわしてまるで寝そうな気配がない。お腹いっぱい食べてお風呂も入ってあったまって、寝る準備は万端整っているっていうのに。

 で、人のことが言えない二人目が右端のあたし。もっともあたしがそわそわしてるのは主に不安からだ。そりゃ、三人で一緒に寝るっていうこの非日常感はちょっとわくわくするわ。訂正。三割くらいはわくわくするわ。でも七割くらいは怖い意味でドキドキしてる。

 その原因は間に挟まれて顔色の悪いウルウ。さすがにあたしだって、寝てる間に隣で吐かれたらいやだもの。

「ウルウ、あんた大丈夫?」
「……大丈夫」
「ほんとに?」
「…………本当はあんまりだいじょばない」

 あんまり、というか、かなり大丈夫じゃない顔色だ。
 でも、とウルウは強がるように唇の橋をひくひくと持ち上げる。それで笑っているつもりなんだから大概だ。

「すこしは、慣れないとね。私も《三輪百合(トリ・リリオイ)》なんだから、我儘ばかり言ってもいられない。ただ、慣れていないだけなんだ。人の体温に触れるのが」

 それは多分余り正しい物言いではないのだろうけれど、でも、それでも、あたしたちはパーティとして、仲間の頑張りを無下にすることはできなかった。

「わかったわよ。無理だと思ったらすぐ言いなさいよ」
「……うん」
「では早速寝ましょう!」

 寝ましょうと言いながらもウルウに抱き着くリリオ。
 あからさまに顔が引きつって強張るウルウ。あ、鳥肌立ってる。

「リリオ!」
「だ、大丈夫。ただ」
「ただ?」
「ご飯一杯食べたから、押されるとアンコが出るかも」

 リリオの手は、目に見えて緩んだのだった。






用語解説

・巨大な金属の筒
 正確には巨大な金属の缶。ゲーム内アイテム。正式名称《ドラム缶(輸送用)》。
 同じくゲーム内アイテム《ブリキバケツ》と同様、液体系のアイテムを回収、持ち運ぶためのアイテム。バケツよりもはるかに容量がある上、同量の液体系アイテムをバケツに汲んだ時と比べて重量値に明確な差異が出る、つまりお得。商人や素材狙いのプレイヤーなど、同じ素材を大量に必要とする場合に用いられた。
 なお(輸送用)とあることからわかるように、《ドラム缶(戦闘用)》も別にある。
『便利なもんだぜドラム缶てのはよ。ふたを開けりゃ風呂釜にもなるし、縦に割りゃバーベキューもできる。叩いてみれば楽器にもなる。こりゃすげえぜ! え? 輸送? なにを?』

生姜湯(テオ・デ・ジンギブロ)
 生姜のすりおろしや絞り汁ををお湯やお茶に溶かしこんだもの。砂糖を加えたりする。
 この日のものは、甘茶(ドルチャテオ)に生姜を摩り下ろして入れ、蜂蜜を加えたものだった。
 体が温まる。

前回のあらすじ
お な べ お い ひ い !
お ふ ろ し や わ へ !

ねる。



 生き物の体温に慣れていないというのは本当だった。

 などと言い訳じみたことを考えたのは、夜中にふと目が覚めたからだった。

 夜闇の中でも見通す目に映ったのは、両側から私に抱き着いてすやすやと眠っているちびっこどもだった。道理で重苦しいし寝苦しいわけだ。でも、鳥肌は出ていない。

 私は起こさないように丁寧にこの二匹のけだものたちを体から引きはがし、そっと布団をかけ直してやった。
 そうして覗き込んでみた顔の何と無防備で無警戒な事か。
 私も眠っている時はこのような顔なのだろうか。いいや、きっと苦虫でもかみつぶしたようなしかめ面に違いない。

 まったく、あどけない、と言うのはこういう寝顔を言うのだろうか。

 起きている間は絶え間なく表情をくるくると変えるリリオの顔は、すとんと眠りに落ちてしまった今はまるで本当にどこかの貴族のお姫様のようだ。実際にそうであるらしいけれど、話に聞いただけで、私はそんなお姫様なリリオに、寝顔以外でお目にかかったことがない。

 リリオがきちんと洗練されたお姫様のようにふるまう姿は、ちょっと見てみたいような、見てみたくないような、複雑な気持ちだ。笑ってしまうかもしれないし、そしてきっと、不安になるからだ。
 たとえお姫様のようにふるまっても、リリオの本質はきっと変わりやしないだろう。
 でもきっとだ。
 それは、きっとだ。
 必ずってことじゃない。
 たとえそれが見かけの上の事であっても、変わるということはなんだか恐ろしく思えた。

 私はおもむろにリリオの頬に手を伸ばし、その餅のように柔らかな子供の頬をつねってみた。夢の中でも何かにつままれたのか、むうむうと眉を寄せる、その子供っぽい表情に、私はほうとため息を吐く。
 それは多分、安堵の為に。

 反対側に向き直れば、トルンペートがおすまし顔も放り出して、すやすやと安らかに寝入っていた。
 いつも勝気そうにツンと尖った眉尻も目尻も、いまは柔らかに落ち着いている。
 起きている時はシニョンにまとめた髪も、いまは安全な野営地だからか解いているのだけれど、それがふわふわと波打って、なんだかこちらもお姫様のようだ。

 お姫様二人に挟まれているっていうのは結構な贅沢なのかもしれないけれど、私はやっぱり少し怖くなって、眉尻をぐりぐりと押してみた。そうすると、ちょっといつもの不機嫌そうなおすまし顔の猫みたいな、ツンとした感じが鼻先に出てくる。
 また、安堵。

 いつもの姿が垣間見えることへの、安堵。
 そうだ。
 私にとって変化とはある種の恐怖だった。

 生き物の体温に慣れていないというのは本当だった。

 父は私と触れあうということが得意ではなかった。
 いや、違う。記憶を誤魔化すな。忘れられない癖に。

 そうだ。父はよく私に触れた。
 頭をなで、肩を撫で、背中を撫で、抱きしめて担ぎ上げて、体温を共有してくれた。
 父は愛するということがよくわかっていない人だった。
 父は愛というものが理解できていない人だった。
 けれど父は、とてもとても原始的な部分で、きっと爬虫類の脳みそで、私とつながりを持とうとしてくれた。
 体温の共有は、決して理解し合えない私たち父娘にとって、それでも分かり合えるものだった。

 私が生き物の体温を拒むようになったのは、そんな父が亡くなってからだった。
 最後に遭った時、父の体はすでに大分体温の低い状態であった。
 私は、ああ、そうだ。私はあの日、自分でも不思議なほどに、珍しく父の手を長く長く握っていた。
 頭ではわかっていたからだ。父の死が迫っていることを。
 翌日触れた手は、私の移した体温などまるでなかったかのように、冷たいものだった。

 あの変化が。
 あの致命的な変化が。
 あの致死的な変化が。
 私に変化というものへの怯えを、生き物の体温への恐れを生んだのは、今思えば確かな事のように思う。

 いま握っている手の温度が、翌日には冷え切ってしまっているかもしれない。
 いま話している相手の声が、翌日にはもう聞けなくなっているかもしれない。

 そう思うと、私は人とのつながりを持つことにさえ病的な恐れを持つようになっていた、のかもしれない。

 すべては今になって、それこそ後になって、後づけながらにこじつけてみた話だ。

 父の体温など関係なく、私は生き物の生暖かさが嫌いだったのかもしれない。
 単に私と言う個人が人とのつながりを保つことが面倒だったのかもしれない。

 けれど、こうして穏やかに眠る二人と、それに挟まれて横たわる自分と言う光景を俯瞰してみた時、私は確かに幸福というものを感じるのだった。そしてそれを失うことへの形容しがたい恐怖を。それは言い訳のしようがない事実だった。

 今日、ウールソに尋ねられた質問が反芻され、思い出された。
 私はリリオの見せてくれる世界を見たいと思った。リリオの見ている世界が見たいと思った。
 でもそれは本当に私が見たいものなんだろうか。
 本当に私が見たいものって何なんだろう。
 リリオの背中を見て歩いていても、きっと私はある程度の満足を得られるだろう。
 そうして満足の中に緩やかな諦めを得て、最後には鈍い痛みと別れを得られるだろう。
 胸を裂く痛みとともに別れるより、それは苦痛の少ない人生だろう。
 でもそれは私の人生なのだろうか。
 私は一幕の劇を観ているつもりだった。
 異世界という舞台で演じられる、リリオと言う女優の演じる劇を。
 でも、気づけばその劇にはトルンペートが加わり、いつの間にか私自身も、観客席から駆け上って混じりこんでしまった。
 一度死んでしまった自分が、いったい何になれるというのだろうか。
 一晩眠ればかき消えてしまう、夢のような存在に過ぎないというのに。
 ああ、でも、劇作家はこういっていた。人は夢と同じものでできていると。
 異世界(このよ)が夢で包まれているのなら、私もそこにいていいのだろうか。
 リリオの背中だけを見ていたい。
 でもリリオの背中だけを見ていてもいいのだろうか。
 自分の目で物を見なくてはならない。
 でも彼女と離れたくない。彼女たちと別れたくない。

 隙間風もない魔法のテントなのに、耳に届く秋の風がひどく寒く感じられた。
 酷く切なく、寂しく感じられた。

 わたしはゆっくりと布団に体を横たえる。
 せめて夢の中でくらい、うっとうしい考えから逃れたかった。



             ‡             ‡



「……寝てる」
「……寝てますね」

 私たちが起き出したころ、珍しいことにウルウがまだ目を覚ましていませんでした。
 いつもなら誰よりも早く起き出しているというのに。
 私たちはなんだか物珍しくってついついウルウの寝顔を覗き込んでしまいました。

 三つ編みに編んでいた髪は緩く波打っていて、そこに沈み込む寝顔は、いつも頭巾に隠れているから分かりませんでしたけれど、驚くほど白くて艶やかです。
 起きている時は不機嫌そうか、それともぼんやりとしているか、どちらにせよ余り表情を作らない顔はいま、なんだかとても幸せそうにうっすらと微笑んでいるようでした。

「こうしてると……ね?」
「そうです、ねえ」

 私たちは顔を見合わせてそっと笑いました。
 貴族の娘の私が言うことでも、その侍女のトルンペートが言うことでもないのかもしれませんけれど。

 こうしていると、まるでお姫様みたいでした。