異界転生譚ゴースト・アンド・リリィ

前回のあらすじ
不動産屋で話を聞いた三人。
錬金術師の館だったというが。



 あたしたちは、もしかしたら音色の正体と何か関係があるかもしれないと説得して不動産屋さんに許可を取り、それから今度は早めに夕食を取ってから、改めて夕時に館へとやってきた。

 昼間はただ優美だった館は、いざ夜のとばりに包まれ始めると、不思議な、淡い燐光に包まれたようだった。館の照明が次々に灯され、そしてあの音色が響き始める。厳かで、静けさすら感じさせる、あの自鳴琴の音色が。

「間違いないみたいね」
「というよりここまで異変たっぷりなのに今まで気づかなかった町の人もどうかと」
「郊外だし、住人も変人だったみたいだしねえ」

 あたしたちは例の耳栓のおかげで、音色の影響を受けはしなかった。
 しかしこの先は、音色だけでなくどんな脅威があるとも知れない。

 リリオは腰の剣を確かめ、あたしも仕込んだ短刀を検めた。
 ウルウだけは、まあ、いつも通りぬぼーっと突っ立ってるだけだけど、こいつをどうこうしようという方が難しいし、いまさら何を言おうとも思わない。
 第一ウルウがどうにかしようと動いた時は、つまり大体が対象を爆破するか破壊するか、もしくは即死させるかという物騒な手段しか持ち合わせていないのだ。

 それならいっそ大人しく見物してくれていた方がずいぶん助かる。

 あたしたちは門扉をくぐり、よく手入れのなされた庭を進み、そして美しい装飾のなされた正面玄関に辿り着いた。玄関先はチリ一つなくきれいに掃き清められていて、それがかえって館の奇妙さを浮き立たせていた。誰も出入りしていないはずの館なのに、いったい誰が。

 あたしはらしくもなく乾いた唇を舌先で舐め、リリオも腰の剣に手をかけたままだ。

 不動産屋さんから鍵を借り受けたウルウはのっそりと扉まで進み――そしておもむろに、鍵を開けなかった。

 開けなかった。

 代わりにウルウはほっそりとした指先を伸ばして、獅子の顔を模した叩き金を丁寧に叩いたのだった。

「ちょっと、何してんの?」
「いや、一応礼儀かなって。ノッカー叩くの」
「住人もいないのに何を、」

 がちゃり。

 と音を立てて扉が開かれたのはそのときだった。
 あたしたちがとっさに身構える先で、扉は油切れの嫌な音もなくしずしずと開かれ、美しく整えられた玄関広間に通されたのだった。

「……迂闊なことはしない方がよさそうだ」
「あんたが言う?」

 ウルウは神妙そうにうなずいて、無造作に玄関広間に踏み入った。あまりにも無警戒すぎるだろう挙動だけれど、しかし、あたしたち三人の中で最も危険に対して対応力があるのはウルウであるのは間違いなく、この無造作な身のこなしでさえも大抵の危険は実際回避しうるのだ。

 まあ、本人は本当に至って無造作で無警戒なんだろうけれど。

 ウルウって臆病なくせに結構顔突っ込みたがるというか、危険だとわかっていても近くで見たがる悪癖があるわよね。リリオに言わせれば、()()()()()()()()()がウルウの定位置ってことなんだけど。

 あたしたちが玄関広間に足を踏み入れると、背後でゆっくりと扉が閉ざされた。
 閉じ込められたか、とも思ったけれど、鍵も開いたままだし、扉が閉まった以外は、魔獣が飛び出してきたり、亡霊(ファントーモ)が現れたりと言うこともなく、至って平穏なものである。

 しかし変化はすぐに訪れた。
 奥の間へと続く照明が音もなくともされ、その先の扉ががちゃりと開いたのだ。

「どうします?」
「あてもないし、行ってみる?」
「まあ罠だって言うなら、今更だしね」

 あたしたちは慎重に辺りを見回しながら問題の部屋に踏み入り、そして絶句した。

「……なにこれ」
「……なんでしょうこれ」
「お茶とお茶菓子」
「そういうことじゃなくて」

 でも、まあ、端的に言うならそう言うことだった。

 扉の先はこじゃれた応接室になっていて、よくよく磨かれた卓には、いま入れたばかりのように湯気を立てる甘茶(ドルチャテオ)の湯飲みが人数分、それに焼き菓子が皿に盛られて置かれているのだった。

「いい香りだ。いい茶葉を使ってるね。淹れ方もいい」
「あんたはいつだって暢気ね」

 甘茶(ドルチャテオ)の香りをそう評するウルウに呆れながら、あたしたちは慎重に室内を見回した。
 いったいどんな仕掛けかはわからない。しかし、何者かが潜んでいるのは確かなのだ。
 あたしたちを先回りし、扉を開け閉めし、明かりをともし、そして今度はこのように茶と茶菓子まで用意して見せた。
 いったい何のつもりかはわからないけど、でも怪しいのは確かだ。

 リリオが意を決して剣を抜き、そしてあたしも短刀を構えた。

 その瞬間、館はあたしたちに牙をむいたのだった。





用語解説

・語るまでもねえ
 わかるな?
前回のあらすじ

いざ錬金術師の館に挑む三人。
中では奇妙なことがおこり始めて。



 誰もいないのに開け閉めされる扉。自然にともる明かり。
 そして今度は、私たちを待ち構えるかのように用意されていたお茶とお茶菓子。

 なんだかわかりませんが、とにかく何かしらの怪しい事態が起きている。

 そう悟った瞬間、私は剣を抜いていました。トルンペートもまた短刀を構えています。
 何がどこから来るのかわからないけれど、とにかく警戒を、と思った次の瞬間、ごうと恐ろしいほどの突風が吹いたかと思うと、私たちの軽い体はいともたやすく吹き飛ばされ、部屋からはじき出されてしまいました。

 これは抗おうとしても全くかなわないほどの猛風で、私たちは瞬く間に転がされ、突き飛ばされ、気づけば玄関扉から追い出され、そして目の前で扉がばたんとしまったのでした。

「あいたたた……」
「とんでもない風だったわね……リリオ、ウルウ、大丈夫?」
「私は大丈夫です。ウルウ? ウルウは?」
「あれ、ウルウ?」

 私たちは慌ててあたりを見回しましたが、そこにはあのウルウのひょろりと細長い影はどこにも見つけられませんでした。

 まさか、と私たちは顔を見合わせました。
 そう、そうに違いありませんでした。ウルウはたった一人、あの怪しい部屋に閉じ込められてしまったに違いないのでした。

「ウルウがどうにかされるとも思えないけど、分断されたのはまずいわね。すぐに戻りましょう」
「ええ!」

 しかし、私たちが急いで玄関扉にとりつくと、先ほどはあんなにすんなり開いたというのに、今度はまるでぴったりと溶接してしまったかのように扉はかたくなに閉ざされたままなのです。

「鍵! ああ、鍵はウルウが持ってるんだった!」
「閉じ込め案件は二階からの侵入と相場が決まってますけど……」

 とはいえ、そんな悠長なことも言っていられません。
 今この瞬間にも、ウルウがどうなっているのか知れたものではないのです。

 私は早速腰だめに構えて、勢いよく扉の取っ手のあたりを狙って蹴りつけました。大抵の扉ならばこれで壊せるのですけれど、余程頑丈なのか、私が軽すぎるのか、びくともしません。
 何度か勢いをつけて蹴りつけてもまるで巨木に体当たりしているような手ごたえのなさで、しまいにはトルンペートと二人がかりで飛び掛かっても、かえってこちらがはじき返されてしまう始末でした。

「しかたありません。剣をこのような使い方はしたくありませんけれど……」
「あんたこの前まき割に使ってたわよね」
「この際仕方がありません、切り開きましょう!」

 私は剣を握りしめ、全体重をかけて切りかかりました。
 大具足裾払(アルマアラネオ)の甲殻から研ぎだされたこの剣は、生中な鋼よりもはるかに粘り気があり、そして鋭い刃です。
 これで切りかかって平然としていられる扉などここにありました。

 まさかのまさか、ありました。

 まるで鋼鉄の塊でも殴りぬけたかのように衝撃が帰ってきて、私は余りのことに手をしびれさせて、思わず剣を取り落とすところでした。

「なっ、ばっ、リリオが切れないですって!? 怪力くらいしか能がないのに!?」
「後で覚えていてくださいよトルンペートぉ……!」

 しかし今はそれどころではありません。
 今この瞬間にも、ウルウがどうなっているのか知れたものではないのです。
 結構時間が経ってますけれど、まだ無事だといいのですが。

 私はもうこうなれば最終手段しかないと、剣を握りしめて雷精を集め始めました。

「ちょっ、あんたっ」
「もうこうなったら手加減抜きです!」

 刀身に雷精が集い、ぱりぱりと空中に放電が走り始めます。暴れたがり屋な雷精をうまく刀身にまとめて、その間に風精で扉までの間に道を作ります。この二つを精妙に操るだけのことに、私がどれだけの苦労をしたか。
 メザーガにはあっけなく弾かれてしまいましたが、あれはほとんど竜の粋にある人の業です。

 たかが扉、私の一閃でねじ伏せて見せます。

 私は剣を振りかざし、為にため込んだ雷精を一斉に放ちました。

「突き穿て――――『雷鳴(フルモバティ)一閃(・デンテーゴ)』!!!」

 目の前が真っ白になるほどの閃光。
 耳が破裂するのではないかと言う轟音。

 地上から放たれた()()()()が、風の道を通って一直線に扉を、そして館を焼き尽くしませんでした。

 はい。

 焼き尽くしませんでした。

 あ、この流れ見たことある。
 メザーガの時と同じやつです。

 激しい光が去ったあと、呆然と見つめるその先では、衝撃でびりびりと揺さぶられながら、それでもいまだに焦げ跡程度が残るばかりで至って健在の玄関扉が堂々と立ちふさがっているのでした。

「……そげな……」

 余りのことにふらっと膝をついてしまった私たちの前で、不意に扉ががちゃりと開かれました。

「なにやってるのさ、騒がしい」

 そうしてひょっこりと顔を出したのは、暢気な顔をしたウルウでした。





用語解説

・「……そげな……」
意訳「……そんな……」
前回のあらすじ

リリオの全力全開の攻撃が館を破壊しなかったのだった。



 さて、上等な甘茶(ドルチャテオ)とお茶菓子が用意された応接室で、どうしたものかと私が小首を傾げている横で、何やらものすごい轟音がしたかと思えば、リリオとトルンペートの姿が消えていた。
 何事かと思って応接室から出てみれば、これまたものすごい勢いで閉ざされる玄関扉。これはどうも、二人は放り出されたらしかった。

 いったん応接室に戻って、柔らかそうなソファに腰を下ろして少し考えてみる。
 どうして二人は放り出され、そして自分だけこうして平気でいるのか、ということだ。

 別に二人が心配ではないという訳ではないのだけれど、あれであの二人は乙種の魔獣だろうと平然と片付けてしまうベテランの冒険屋だ。条件次第だけれど、甲種の魔獣だって相手どれる。そこまで不安がらなくても、自分でどうにかすることだろう。

 それよりも問題は、なぜ三人まとめてではなくて、私と、そしてあの二人という分け方をされたのかだ。
 単に軽いか重いかなどという下らない仕分け方ではないはずだ。

 では他にはなんだろうか。
 私は甘茶(ドルチャテオ)の豊かな香りを楽しみながら考えてみた。

 性別。これはみんな一緒だ。お風呂に入るときにや着替えの時に確認もしている。
 いや、別にそこまで詳しく確認したのはリリオの生態調査をした最初の時くらいだけれど、少なくとも私だけ違うってことはないだろう。

 では年齢。
 私だけ二十六歳と少し年が離れているが、これはどうなんだろう。
 そもそもこのボディはこの世界に来てから初めて境界の神プルプラによって生み出されたものだから、肉体年齢的にはまだ一歳にもなっていないのかもしれない。
 なんにせよ私だけ年が離れているというのは同じだけれど、果たして年齢を理由に区別する理由があるのかどうかは不明だ。

 人種なんてどうだろう。肉体構成要素のいちいちが胡散臭い私はともかく、二人は辺境育ち、おっと、トルンペートは生まれは辺境ではなかったな。となると厳密には人種は違うのかもしれない。そもそものリリオ自体南部人と辺境人のハーフだし、取り上げるほどのことではないか。

 いっそ、私の自動回避があれを攻撃とみなしてかわしてくれたとかいうのはどうだろう。二人はそんな便利な機能付いていないから攻撃を受けて吹き飛ばされたというのは。まあそれだといくらなんでも私が何も感じなさ過ぎているし、これはないだろう。

 さて、さて、さて。
 冗長な考え事はここら辺にしておくとして、まじめに考えれば()()なるのだろうか。
 クッキーらしい焼き菓子をさくりとやりながら、私は思考をまとめる。

 ただ突っ立っていただけの私が除外され、武器を手に取った二人がクリティカルに狙われたこと。
 いまこうして暢気にお茶とお茶菓子を頂いていても異変が起きないこと。
 そもそももっと以前にノッカーを打ち鳴らしてドアを開けてもらえたこと。

 そして確信は、お茶を飲み干した時に得られた。ビンゴ。

 あとはそれを二人に伝えてやるだけでいいだろう。
 私は騒がしくなってきた外の物音に眉を顰め、そっと席を立った。

 そうして私は自分の脚で玄関まで向かい、物音が止んだすきを見計らって、ドアを開けてやった。

「なにやってるのさ、騒がしい」

 その先では丁度何やら大技でもぶちかまして弾き返されでもしたのか、呆然と膝をついている二人の姿があった。この手のイベントは正しい手順が必要だとはいえ、まさかリリオの本気の攻撃を弾き返したんじゃなかろうな、この玄関扉。

 だとすると並の魔獣よりもよほど気合が入っている。
 当たりさえすれば竜種でも丸焦げにして見せるとリリオが言い張るくらいのものだから、まあ多少盛っているだろうとはいえ、相当な威力だったはずだ。

「う、ウルウ!? 大丈夫なんですか!?」
「そりゃあもちろん」
「もちろんって」
「君たちこそ大丈夫? 攻撃はされなかったと思うけど……多分」

 もしかしたら一定以上攻撃仕掛けたら反撃を返してくるタイプだったかもしれないし、ちょっと危なかったかもしれないな。すくなくとも、いくら我慢強くても、破壊されるまで我慢するってことは、なさそうだし。

 玄関を出て二人の手を引いて立たせてあげると、背後でドアが閉まった。
 振出しに戻る、だ。
 ただし今度はちゃんとした攻略法を携えて、の振出しだけれど。

「攻略法? どういうことよ」
「君たち蛮族スタイルの脳筋ガールズは思いもよらないかもしれないけれど」
「流れるように罵倒された気がします」
「この手のイベントにはきちんとした手順をまもるという簡単な攻略法があってね」
「きちんとした、手順?」

 そう、手順だ。

「招かれざる客だ。せめてマナーは守ろう」





用語解説

・蛮族スタイルの脳筋ガールズ
 つまり冒険屋の基本スタンスである。
前回のあらすじ

あれだけてこずった館からひょっこり出てくるウルウ。
彼女の言うマナーとはいったい。



 手順、そう言われて、あたしたちは、ウルウのするようにしてみることにした。
 まず、リリオが少し背伸びをして、打ち金を鳴らすと、先ほどまであんなにもかたくなに閉ざされていた扉が、いともたやすくあっけなく開いてしまった。

「うそぉ……」
「言っただろう、一応礼儀じゃないかって」

 そりゃあ、打ち金があったら打ち金を鳴らして来訪を告げるのは当たり前と言えば当たり前だ。でもまさか、そんな簡単なことで開くようになるとは思わないじゃない。それも、あんな乱暴に追い出されて、しかも仲間が一人だけ取り残されているような、そんな状況で。

「先に乱暴を働いたのは君たちだろう」
「あたしたちが?」

 再度応接室を訪れて、緊張に視線を泳がせるあたしたちに、ウルウは笑った。

「招かれもしない客が、家内で武器なんか抜いたら、賊と思われても仕方がないだろう」
「そりゃあ、普通は、そうかもしれないけど」
「じゃあ、普通だったらこの光景をどう見る?」

 そう言われて、あたしは卓に改めて並べられた湯気を立てる甘茶(ドルチャテオ)と焼き菓子を見やった。

 これは、つまり、()()()()()()なのだろうか。

「あたしたちを()()()()()()()ってわけ?」
「その通り。安心して。毒見は済ませてあるから」

 ウルウは勝手知ったると言わんばかりに長椅子に腰を下ろして、甘茶(ドルチャテオ)を楽しみ始めた。
 こいつ、さてはあたしたちが苦労している間、こうして優雅に過ごしていやがったのだろう。

 そう思うと途端になんだか馬鹿らしくなって、あたしも、リリオも長椅子に腰を下ろしてお茶とお茶菓子を楽しむことにした。

 ウルウが上機嫌になるだけあって、甘茶(ドルチャテオ)は上等なものだった。
 まず茶葉がいい。きっと客人用と蓋に書かれているようなとっておきの茶葉を、しっかりと蒸らして入れた上質な甘茶(ドルチャテオ)だ。
 どうやったらこんな短時間で出せるのか、ぜひとも教えを請いたいくらいだけれど、多分それも館の不思議の一つなんだろう。

 リリオが美味しそうにほおばる焼き菓子も、実際見事なものだった。たっぷりの乳酪(ブテーロ)を混ぜ込んだらしい生地はさっくりとして軽やかな歯ごたえで、そしてまた重すぎない甘さがついつい後を引くのだった。

 あたしたちが焼き菓子を楽しみ、そしてお茶を飲み終えると、再び扉が開き、行く先を示すかのように明かりがともった。

「さあ、突然の客人をもてなして、次は何かな」

 何やらウルウは楽しそうで結構だ。なんだかんだこういうことを楽しむのはリリオよりもウルウだ。あたしはそれについていくので精いっぱいよ、全く。

 さらに奥の部屋の扉が開き、あたしたちは楽しげなウルウの後に続いて足を踏み入れた。

「ここは……書斎、でしょうか」

 リリオが言う通り、そこは書斎のように思えた。入って正面に飴色に年を経た書き物机が鎮座しており、部屋の左右の壁は立派な本棚になっていた。これだけの棚に詰め込まれた本というのは、物にもよるけれど、ひと財産だろう。
 ざっと背表紙を目で追ってみたけれど、みな難しそうな学問の本のようで、私には中身までは察せられなかった。

 あたしたちが書き物机に近づいてみると、そこにはてのひらに乗るような小さな自鳴琴が歌っていた。
 銀細工の箱に、木陰で遊ぶ少女の図案が彫り込まれた、見事な一品だった。
 そしてその音色は、この町に来てから付きまとうようになった、あの厳かで、静けさすら感じさせるような音色だったのだ。

「この自鳴琴が、異変の原因っていうこと?」
「恐らくね」

 あたしにはこの本当に小さな自鳴琴が、町全体を襲うような大それた異変の原因とはとても思えなかった。しかし実際に不思議な音色はいまもこの自鳴琴が奏で続けており、それらは無関係なのだとはとても言えなかった。

「なんだか……なんだか、寂しそうですね」
「そうね……ずっと、ひとりで、ひとりっぽっちで、こうして歌っていたのね」

 ウルウは名残を惜しむように、そっと自鳴琴の蓋に手をかけて、ぱたりと閉じた。
 それきり音色は夜の町から消え去って、そうして二度と町の人々を悩ませることはなかった。

 一晩明けて、あたしたちはあの不動産屋さんに、自鳴琴を持ち込んで事の顛末を話してみた。他の誰も知らないままで終わるよりは、せめて館の主を弔ってくれたこの人にくらい、知っておいてもらいたかったのだ。

 不思議なこともあるもんですなあ、と不動産屋さんはしみじみと自鳴琴を眺めて、それからこう言ったのでした。

「もしかしたら自鳴琴というより、館の幽霊の仕業だったのかもしれませんなあ」
「館の、幽霊?」
「死んでいるわけじゃないから、幽霊というのも変ですがね。長く大事にされたものには魂が宿ることがあるんだそうで、そう言う家や館なんてのが、たまにあたしらの業界で聞かれるんですなあ」

 不動産屋さんはどこかいつくしむように自鳴琴を撫でて、思いやるように言葉を紡いだ。それはまさしく、主を失った館への思いやりのようだった。

「何しろ館の主人は、ひとりっぽっちで亡くなっちまって、弔いもあたしと神官だけの寂しいもんでした。その間、町の連中は何にも知らずに賑やかに騒いでいたんですから、館の方でも怒っちまったのかもしれませんな。弔いの間くらいは、静かにしろってね」

 それはいつぞやあたしが思い浮かべた、うるさい、だまれ、しずかにしろ、と言っているかのようだという想像の通りだった。
 あたしたちがようやく、形ばかりでも館の主に敬意を払ったことで、館は満足したのかもしれなかった。

 これは、そんな、奇妙な話だった。





用語解説

・館の幽霊
 付喪神のようなものだろうか、この世界でも、長く使われた道具に魂が宿るという考え方があるようだ。
前回のあらすじ

ようやくムジコの町の異変は落ち着いた。
奇妙な余韻を残して。



 町の人々はあれからすぐに元気を取り戻し始め、私たちが滞在していた短い間にももう賑やかな楽器の音色が響き始めていましたけれど、何しろ私たちも路銀を節約したい旅道中ですから、すっかり回復した賑やかな姿を拝見する前に、早々と出立することになりました。

 まあその時点でも十分に賑やかでしたし、なにより、あの厳かで、静けさすら思わせる音色を芯まで味わってしまった身としては、ただ賑やかなばかりの音楽というのはどこか上滑りして聞こえるものでした。

 そうして旅立った私たちは、ボイちゃんの牽く馬車に揺られて、東部のひなびた街道を、のんびりとことこと進んでいるところでした。

「なんだか不思議な体験だったね」

 膝に乗せた自鳴琴の奏でる音色を夢現に聞きながら、ぼんやり呟くのはウルウでした。

 結局あの自鳴琴はあれ以降、開いてもただ美しい音色を響かせるばかりで、あの町の人々を衰弱させたような魔性の音色は失ってしまっているようでした。
 折角なので墓前に供えようとも思ったのですけれど、不動産屋に是非持って行ってくれと渡されたのでした。

「結局旅人が来るまで何にも解決しなかった町のことなんか、そいつもすっかり愛想が尽きたことでしょうよ。旅の空にでも連れて行って、気晴らしをさせてやってくださいな」

 とは不動産屋の言葉でしたけれど、まあウルウもお気に入りのようですし、依頼料代わりと思って受け取っておくことにしましょう。

「結局あれはどういう異変だったっていうことになるのかしら」
「不動産屋のいう通りじゃないですか? 館の幽霊というか」
「付喪神ってやつかなあ」
「そのなんちゃらですよ、きっと」
「いやそういうことじゃなくて」

 トルンペートはボイちゃんの手綱を取りながら、なんとなく納得のいっていない様子で首を傾げるのでした。

「あの町のほとんどの人にとってはさ、結局なんでかわからないままはじまって、それでまた、結局なんでかわからないまま終わった異変ってことになるじゃない」
「まあ、そうなりますねえ」
「別に吹聴して回ったわけでもないしね」
「そこよね。そこがひっかかるのよ、あたし」

 確かに消化不良と言えば消化不良と言えるかもしれません。
 あの館は主人の死を悼むものがないことを悲しみ、毎夜ああして嘆きの歌を歌っていたのかもしれません。ところが、町の人は結局そのことを理解しないままいつまでもただ無気力に衰弱していって、そして、異変が解決した今も、結局そのことを理解しないままいつまでもただ無責任に楽しんでいくことでしょう。

 それはなんだかこう、むしゃくしゃするというか、もやもやするというか、すっきりしないものが残るのは確かでした。

「でもさあ、館も何も、町中の全員が主人の死を悼めとまでは思っていなかったんじゃないの」
「そうかしら」
「うるさい、だまれ、しずかにしろ、って、そんな具合で町中の人から生気を奪ったかもしれないけどさ、それは、確かにとてもとても強い思いなのかもしれないけどさ、でも、ただ、誰かにもういいんだよって言ってほしかったっていう、ただそれだけの話だったんじゃないかなあ」
「もう、いいんだよ?」
「館ってさ、結局住む人がいないと館としてはやっていけないじゃない。どれだけ愛した主人でも、やがて次の人が住んで新たな主人になっていく。だから、言い方はなんだけど、主人の死は乗り越えなきゃいけなかったんだよ、館にとっても」
「ふーむ」
「それでも悲しくて、やるせなくて、ああして毎晩泣いてしまうくらいで、でもいつかは切り換えなきゃいけなくて、そのきっかけを待ってたんじゃないかな」
「それがあたしたちだったって?」
「まあ、私たちじゃなくてもさ、誰でもよかったんだろうけど」
「うーん」
「納得した?」
「したような、してないような」
「まあ、旅をしていればそう言う葛藤も結構あるでしょうから、今後慣れていくでしょう」
「またリリオは知ったようなことを言う」
「旅の話はたくさん聞きましたから」
「耳年増ー」
「やーい耳年増ー」
「なんですとー!?」

 馬車はのんびりゆっくり、次の町へ。

「次はなんていう町だっけ」
「レモです。放浪伯領の小さめの町ですね」
「レモねえ。パッとしない名前」
「名前で判断するものでもないでしょ」
「まあそうだけど」
「レモは医療が進んでいて、特に温泉を利用した湯治なんか有名なんですよ」
「医療はともかく、温泉は楽しみだね」

 ウルウがよっこいせと体を起こして、するりと御者席から外をのぞきました。

「そんなに急いだってまだまだつかないわよ」
「旅は眠くなるねえ」
「全く、そんなこと言って、御者変わる?」
「居眠りしちゃいそうだ。遠慮しとく」

 とん、ぴん、しゃらり、風に揺られて自鳴琴、歌うはのんびり眠たげな歌。
 大きなあくびが、ひい、ふう、みい。





用語解説
   は
   ない。
前回のあらすじ

音楽の絶えた音楽の町の異変を解決した三人。
次は温泉の町レモへ。





 東部の代わり映えのしない街道を進んで、それでも何度か盗賊や魔獣を退け、まあ何事もなくとは言わないまでもそこそこ平和な旅路の末に、あたしたちはようやくレモの町へとたどり着いた。東部は宿場もよく整備されていて、宿に困ることもない程度の道のりを、およそ三日くらいのものだ。

 レモの町に到着したのは、閉門ぎりぎりの夕刻だった。
 もう並んでいる列もまばらで間に合ったけれど、もう少し遅かったら、街を前に野宿する羽目になるところだった。

「ちょっとのんびりしすぎたわね」
「まあ間に合ったしいいとしましょう」

 門で冒険屋証を見せれば、安い通行税と共に、あたしたちはようやくレモの客となった。
 馬車での移動ってのは揺られているだけだから楽なもんじゃないかと思うかもしれないが、そんなことはない。存外これが疲れるものなのだ。まして見るものも特にない東部のひなびた街道ともなれば、いくら整備が良くなされていて進みやすい道とはいえ、すっかり疲れてしまった。

 これはもう宿を取ってすぐに休んでしまいたい。
 と思うのだけれど、なかなか具合の良い宿がない。

 門を入ってすぐの良い宿はみなすでに客で埋まっていて、賑わいの減る辺りの宿というのはどうにもうまくない。

 何もあたしたちがぜいたくを言っているわけではない。
 そりゃあ、女三人の旅だし、できればある程度安心のできる宿というものを求めたいのは確かだけれど、そこらの男よりもよほどに旅慣れて腕っぷしの優れた三人組だから、いざとなれば木賃宿でも気にはしない。舌の肥えたウルウ以外。

 問題はあたしたちのもう一頭の旅の連れであるボイと、そしてそれのひく幌馬車だった。
 小ぶりとはいえ立派な幌馬車だし、ボイもそこらの馬と変わりない立派な体格だ。
 きちんとした厩舎があって、馬車も留められるような宿でないと、あたしたちも安心して泊まることができない。

「とは言いたいんだけれど……」
「なかなかないですもんねえ」

 普段は朝から町に入って、商人たちが使うような宿を求めるのだけれど、生憎と今日はもうどこもいっぱいだった。こうなってしまうと町の反対側にあるもう一つの門まで行って宿を求めてみる他にないけれど、それにしたってたぶん似たようなことになっていることだろう。

 それに、それまでにすっかり日が暮れてしまうことは間違いない。
 レモの町はひなびた田舎町とはいえ、それでも、ヴォースト程ではないとはいえ立派な町で、規模だけで言えばムジコなんかと変わらないのだ。

「どうしましょうかね。こうなったら、冒険屋組合に宿借りましょうか?」
「冒険屋組合ってそう言うこともしてるの?」
「冒険屋の相互互助組織ですからねえ。ただ、割高ですし、部屋も期待はできませんし、勿論ご飯も出ません」
「むーん。でもこの際やむを得ないのかなあ」

 ウルウが不満そうにぼやき、リリオもあまり組合に借りを作りたくないと唇を尖らせ、そしてあたしはと言えば、現実的にどうするのが一番よさそうかを吟味していた。

 いい宿が埋まっている以上適当な木賃宿を借りるというのが一番安上がり。でも寝心地は最悪でご飯も出ないし、ボイは自衛できるとしても、幌馬車が心配だ。

 そこらの空き地に馬車を止めて野宿するってのは安いどころか金がかからない。でも気の利かない衛兵に金を握らせると割高かも。それに寝心地はあんまりありがたくない。

 冒険屋の組合ってのは泊まったことがないけれど、まあでも木賃宿よりはよほどいい部屋が借りられることだろう。食事は出ないとはいえ、まあ厨房を借りるくらいはさせてもらえるだろうし、上等な木賃宿と思えばいい。それに組合の建物は立派なものだし、ボイも幌馬車も安全だろう。
 組合に借りを作ることになるとはいえ、あたしたちはこの町を出れば次はもう南部へと旅立つ予定だ。そもそも組合員で借りなんか作るほかないんだから、そこまで気にするのもばからしい。

「仕方ない。組合に行きましょ」
「はーい」
「うん」

 うだうだいうばかりで結論を出す気のない二人にそう言いつけて、あたしは早速馬車を組合の建物が集まる広場へと向かわせ、そして何やら騒動に気付くのだった。
 馬車のいく先から逃げ出す人々、悲鳴、怒鳴り声。そして少し行った先では、馬車が通れないくらいの人だかりができて、何かを囲んでいるようだった。

 強盗でも出たのだろうか。それが人質でも取っているとか。
 まさか街中で魔獣が出るって言うのも、まあヴォーストでは下水道からたまにあふれてくるのがあったりしたけど、そうそうないだろう。

 なんにせよ、騒ぎが起きているって言うのは、つまり、冒険屋の仕事だ。

「リリオ、ウルウ」
「はいはい」
「なんでしょうね、一体」

 あたしは二人に声をかけて、確認をお願いした。
 そうして二人が馬車から降りて確認したところによれば、聞きなれない名前が飛び出してくるのだった。

「茨の魔物が出た、ですか?」





用語解説

・レモの街(Lemo)
 帝国東部の小さな町の一つ。放浪伯の所有する領地の一つ。
 養蜂が盛んで、蜂蜜酒(メディトリンコ)が名産の一つ。
 また、地味だが温泉も湧いており、湯治客が絶えない。
前回のあらすじ

ひなびた田舎町レモへと到着した一向。
何事もなく退屈な町になりそうだと思いきや、何やら騒ぎが。





「茨の魔物が出た、ですか?」

 遠巻きにしている住人から話を聞けば、なんでも茨の魔物とやらが出て、それをみんなで逃がさないように囲んでいるとのことだった。

 茨の魔物とは何かと聞けば、近頃レモの町を騒がしている奇妙な魔獣で、ひとに憑りついては悪さをさせ、やがて育ち切ると宿主から離れて種をまき、またひとに憑りつくのだという。
 その繰り返しで増えていくので、もし前兆が見られたらすぐに確認し、また正体を現したら決して逃がさず倒してしまわなければならないという。

 成程。それはなかなか聞かない魔獣である。
 そしてまた、住人たちが逃げ惑うだけでなく、きちんと当事者として向かい合い、この魔獣をどうにかしようと対処しているのも他では見ない光景だった。大概の場合、冒険屋や衛兵に任せてしまうものだ。

 そういうと、話を聞いていた若者は照れ臭そうに鼻をこすっていった。

「へへっ、そんな情けない真似したら聖女様に申し訳が立たねえや」

 聖女様というのは何かと聞けば、いや、聞くのはやめた。どうも目つきが実にキラキラと輝いていて、話始めたらとてもではないが短くは済まなさそうだったからである。

 ただその聖女様が来ているのかと聞けば、丁度少し離れたところにいて、今もすぐに人が走って呼びに行き、それに応えて駆けつけようとしてくれているはずだが、どうしたって人の脚であるし、混んでいるから、いましばらくかかるということであった。

「ウルウ」
「好きにしなよ」

 これを聞いて頷いたのがリリオである。
 まあ、わかり切っていた。すぐにでも聖女様とやらが来て解決してくれるならリリオも手を出しはしなかっただろうが、すぐとはいかず、今現在困っているというのなら、手を貸すのもやぶさかではないというか、手を貸したがるのがリリオというやつなのだ。

 とはいえ、ここからでは私はともかくリリオは様子も見えない。

「肩車してあげよっか」
「魅力的ですけれど、また今度」

 私たちは人込みをかき分け、輪の中心へと向かっていった。
 するとその茨の魔物とやらが見えてくるのだが、成程奇妙な魔物である。

 人混みがある程度距離を取って輪になっているその中心では、ぐったりと少年が倒れこんでいる。この少年の背中のあたりからずるずると墨のように黒い茨が伸びては幾何学的模様を描き、ふらりふらりと周囲を威嚇するように伸び縮みしているのである。

 それに向けて、周囲の人たちが、桶や、ひしゃくなどで水をかけている。

「あれは何を?」
「温泉の水をかけてるんですよ。癒しの力が、茨の魔物に効くんです」

 近くの人に聞いてみたが、なるほど、致命的とは思えないが、茨はその温泉の水とやらを嫌がって避けるようである。

「人に憑りつくと聞きましたけど、これだけ人が集まっていたら、他の人に憑りついてしまうんじゃ?」
「なんでも心をしっかり構えていると、茨の魔物も取り付けないみたいで、こうしてこっちが強気だと、暴れて怖がらせるしかないみたいなんですよ。とはいえ、近寄れば本当に危ないですから、衛兵や聖女様を待つほかにはないんですけれど」

 成程。こうして逃がさないようにはできるけれど、退治するところまでは、普通の人には難しいわけだ。

 私が少し背伸びして遠くまで改めてみたけれど、いまだに応援は来そうにない。憑りつかれている少年の衰弱も酷そうだし、ここはひとつ、早めに片付けた方がいいだろう。

「リリオ」
「ええ」

 リリオが一歩踏み出して剣を抜いた。

「おい」
「おい、なにをしている」
「冒険屋です! 義によって助太刀いたします!」
「冒険屋」
「冒険屋だ!」
「気をつけろ、手強いぞ!」

 東部は事件が少ないから冒険屋が少ない。いても、より事件の多いよそへと出稼ぎに出てしまう。
 だから冒険屋に対する期待というものは微妙な所があったが、それでもリリオの剣を構える姿の隙のないこと、また小柄ななりに真剣な顔つきに、周囲も茶化したり、無理に止めるということはない。

 とはいえリリオは細かい制御が難しいところがあるからな。
 私が手伝ってやった方が確実だろう。

 私は《隠蓑(クローキング)》で姿を隠して一足に茨の魔物へ踏み込み、少年の背中から生えた根元をひっつかみ、これを勢いよく引きずりぬいた。私の存在に気付けなかった茨の魔物はさすがにこの突然の暴挙に対応できなかったらしく、ぐるんと内側に丸まりながら放り投げられる。

 どこへ?
 決まっている。

「はあっ!」

 雷精を集めた剣を振りかざした、リリオに向けてだ。

 茨の魔物は最後のあがきと言うようにリリオに向けて茨をばらりと吐き出したが、時すでに遅し、白熱した刀身がこの魔物を真っ二つに切り裂き、次いで横なぎの一閃がさらに十字に切り込み、ばらけかけた茨にとどめとばかりに目もくらむような放電が投じられ、これを黒焦げに焼き尽くしたのであった。

 さしもの茨の魔物もこの連続技には耐えられなかったようで、ばらばらに崩れては煙のようにかき消えていく。
 一泊遅れてわっと沸き上がった歓声から考えるに、どうやらこれでとどめをさせたものとみて、よいだろう。
 私は《隠蓑(クローキング)》を解いてリリオのそばに戻ってやった。もみくちゃにされたら、この小さな勇者はあっという間に人込みに埋もれてしまうだろうから。





用語解説

・茨の魔物
 異界からやってきたとされる魔獣。
 形而下においては黒い茨のような姿で認識される。
 人の心に取り付いて毒を育て、凶行に走らせて毒をまき散らし、繁殖するとされる。
前回のあらすじ

茨の魔物なる魔獣を討ち取った二人。
街の人には歓迎されたようだ。





 取りつかれていた少年が介抱され、人の輪が徐々に解かれ始め、そして二度目の私の胴上げが終わったころ、ようやく応援らしき衛兵たちがやってきました。
 完全武装の重鎧の歩兵で、なるほどこれならあの鋭い茨の相手ができるという訳でした。こんなものを着こんで走ってきてこの時間ですから、全速力でやってきてくれたのは確かでしょう。

「茨の魔物が出たというが、まことか!」

 それも事実確認をすっ飛ばして直接応援に来てくれたということですから、これは、レモの町がどれだけ本気で茨の魔物退治に精を出しているかわかるというものです。

 町の人たちが次々とそれぞれにがなり立てる報告を、重武装の衛兵は何とか聞き分けて、そして私たちの方へと目を向けました。

「あなたがたが、茨の魔物を退治してくれたという冒険屋か」
「ええ、勝手とは思いましたが」
「とんでもない、実に見事な手並みでけが人もなかったということで、大変助かり申した」

 これには私も、ウルウもきょとんとしました。
 たいていの町で衛兵というものは冒険屋と張り合うところがあって、むしろ問題ごとを起こす冒険屋の相手も多いもので、所によっては目の敵にしているところさえあるくらいです。
 それがこのように素直に頭を下げて感謝の言葉を公然と伝え、そしてそれが全く演技でなく誠意から来るものということがはっきりと伝わってくるのでした。

 これは東部でも珍しいほどに、すがすがしいほどに清廉とした衛兵です。
 それもこれは彼一人のことではなく、応援として駆け付けた五名の重装歩兵たち全員が同じような気持ちであるということでした。これにはまったく、驚かされます。

 ましてこのようなことをおっしゃるものだから、さすがの私も大いに驚きました。

「茨の魔物にはまったく困らされているのです。旅のお方に助けられて礼もなしではレモの町の名が廃ります。ご領主様も是非とも歓待をと仰ることでしょう。ぜひ、ご領主様のお屋敷まで」
「いやいやいやいや!」

 大慌て手首を振る私に、ウルウが腰を曲げて耳元で尋ねてきました。

「ご領主様って、放浪伯のこと?」
「ばっ、そんなわけないですよ! 放浪伯の領地はみんな代官がかわりに治めているんです。レモの町は」
「レモの町は郷士(ヒダールゴ)ジェトランツォ・ハリアエート様がお治めです」
郷士(ヒダールゴ)?」
「貴族に特別取り立てられた一代貴族です」
「それならリリオも貴族じゃない」
「領地持ちの郷士(ヒダールゴ)と貴族の娘とじゃ全然訳が違うんですよ!」

 このあたり、ウルウはあまりピンとこないようですけれど、まあ貴族社会というものは奇々怪々ですからね。

 私も貴族の娘ではありますけれど、兄が健在で当主になる見込みはありませんし、嫁婿に行くにしろ嫁婿を貰うにしろ結婚はすっかり父に諦められてしまっていて、私は貴族と言っても先のない貴族なのです。極端な話、貴族とつながりのある平民と言って何ら差し支えありません。父には権力がありますけれど、私にはおねだりするくらいしかできないのです。

 一方で郷士(ヒダールゴ)というのは豪商や豪農といった平民から貴族に取り立てられた一代貴族で、貴族と平民の間にあるとも言われます。基本的にはいくつかの領地を持つ領主が、村々や町に代官としておくのがこの郷士(ヒダールゴ)です。
 一代貴族とはいえもっぱら一族が代替わりするたびに叙任されていて、古い一族など下手な新入り貴族より歴史があったりします。

 同じ一代貴族でも騎士という身分がありますが、こちらは領地を持たないか、主人の領地を一部与えられて、武力を提供する関係となっていますね。

「お偉いさんというわけだ」
「そのお偉いさんにただの旅人が歓待されるなんてとてもとても恐れ多い話なんですよ!」
「なんとなくわかった」
「よかった」
「でもそれを断るのってもっと失礼じゃない?」
「うぐぐ」

 そう言われると困りますが、しかしこれはこの衛兵が言っているだけで公式なお誘いではありません。まだ大丈夫なはずです。

「恐れ多いというのでしたら郷士(ヒダールゴ)も無理強いはなさらないでしょう。ただ、義理堅い方ですので必ずお礼をと申し上げることでしょう。お泊り先など、差し支えなければ」

 そう言われて、私たちは困って顔を見合わせました。

「いえ、それが」

 つい先ほど辿り着いたところで、まだ宿が取れていない、どこかいい宿でもないかと探しているところなのですと正直に打ち明けると、衛兵はなるほどとうなずいて、それならばとこう提案してくれました。

「湯治宿ですが、立派な宿を一つ知っております。ささやかではありますが、そちらの宿の支払いを持つということでお礼にかえさせていただくのはいかがでしょう」
「本当ですか!」
「なにしろ小さな町ですので、ひなびた温泉宿ですが、飯もうまいし、温泉もよく効きます」
「ありがたい、ぜひ!」

 喜んで私たちが受け入れると、衛兵はにっこりと笑ってこう付け足した。

「それにいまは、聖女様もいらっしゃいますよ」





用語解説

郷士(ヒダールゴ)(hidalgo)
 貴族階級と平民の間にある身分。
 主に貴族が不在地主である領地で、代官として領地を治める家。
 一代貴族であるが、通常は長男が次の郷士(ヒダールゴ)として叙任される。

・ジェトランツォ・ハリアエート(Ĵetlanco Haliaeto)
 レモの街の代官として代々郷士に叙任されてきたハリアエート家の現当主。
 五十を超えていい加減代替わりを考えねばならない年だが、長男がせめて一度でいいから父に土をつけるまではと代替わりを渋っている。

前回のあらすじ

衛兵からも感謝され、困惑する一行。
温泉宿を提供すると提案されてホイホイついていくのだった。





 何がどうなって話がまとまったのか、衛兵さんが温泉宿まで案内してくれるというので、あたしはボイの手綱を取って、その後をついていくところだった。

「で、結局聖女様ってのは何者なんです? 来なかったんでしょう?」

 応援に来てくれたのは衛兵だけだった様なので、聖女様とやらの姿は見れていないのだ。ウルウたちも、面倒くさそうだったから、とりあえず長そうになる話は放っておいて事態の解決を急いだとのことだったし。

 衛兵さんはあたしのぶしつけな質問にも笑顔を絶やさず、こう説明してくれた。

「毎度聖女様に頼っていては聖女様がカローシなさってしまいますから、小さなものは私たちだけで対応しているんですよ」
「カローシ?」
「働き過ぎて死ぬことだそうです」

 馬鹿馬鹿しい、そんな死に方があってたまるかとも思ったけれど、辺境で働いていたときは、割とそう言う時もあった。忙しいだけでなく、寒さが厳しかったから、何年かに一度は凍死する下男とかもいたし、凍傷も割とあった。
 奴隷かよと思っていたけれど、あれをもう少し厳しくするとそのカローシってやつになるわけだ。

「聖女様は癒しの力に長けた方でして、茨の魔物が出始めたころに、この町に訪れてくださったんです」
「癒しの力? 神官ってことですか?」
「いえ、聖女様はどの神の神官でもないようで、どちらかと言えば、魔術師に近いのでしょうね」

 魔術師で癒しの力を使うものはそんなに多くないと聞く。
 なんでも癒しの術というものは、簡単な擦り傷や切り傷ならともかく、大きなけがとなるとどんどん工程が複雑になってしまうそうだ。なので魔術師ではその工程をうまく組み上げられなくて難しい。
 神の力を借りる神官はそこを問答無用で組み上げるので、癒しの術だけで言えば神官に旗が上がるのだ。

 それを、神官よりも頼りにされている魔術師の癒しというのは、相当なものなのだろう。

「ご領主様の覚えもめでたく、町で施療所を開いているほか、レモの町の各所にある施療所や湯治宿にも往診に出かけてくださって、何とここしばらくレモの町では病死したものの数が半分以下に減っているのですよ」

 それはすごい話だった。実際に数字が出るほど効果が出ているということもだし、小さいとはいえ一人で町中を行脚しては癒しの術を惜しげもなく使っているという話がまたすごかった。それは聖女と言われるわけだし、それはカローシを心配されるわけだ。

「いや実際、聖女様の癒しの術は見事なものですよ。私の腕なんですがね、ご覧になってわかりますか」

 そう言えって衛兵さんはあたしたちに左腕を見せてくれたけれど、よくわからない。鎧に包まれているし、それ以外は特に変わったこともない。

「実はこの腕、以前茨の魔物に斬り落とされましてね。肘から下を落とされて、義手にでもするかと悩んでいたところ、見事にぴたりとつないでくれたんです」

 これにはあたしやリリオだけでなく、普段は表情を変えないウルウまで驚いたようだった。
 そりゃあ、そうだ。いったん切り落とされてしまった腕をつなぎなおすなんて、帝都の医者であっても難しいことだろう。まして、見てもまるで違和感を覚えないくらい自然に動かせる状態にまで持っていくなんて。

「それに癒しの力ばかりでなく、戦いの技も持っておられて」
「戦うの!?」
「人相手ではありませんけれどね。いざ茨の魔物が出ると、あの方は真っ先に駆けつけて、そして神よりたまわったという神剣で真っ二つにしてしまわれる。その苛烈な様は実に恐ろしいのですが、それだけ民草を思われているのでしょうなあ」

 癒しの術にたけていて、それで戦いまでできるなんて言うのは、とんだ規格外だ。まあ、茨の魔物は癒しの力に弱いということだったから、もしかしたらその癒しの力を剣にまとわせて切り付けているのかもしれない。そうすれば茨の魔物もたやすく切り裂けるのかもしれない。

「そんなすごい人がいるなら、あたしたち余計な真似しちゃったかしら」
「いえいえ、とんでもない。聖女様はお一人しかおられませんし、普段からよく働かれるお方で、私たちもどうしたらあの方を休ませられるかいつも考えているほどですよ。ですから今回の件は助かりました。私たちも随分慣れてきましたが、それでも毎回必ず誰かは怪我をして、聖女様のお手を煩わせてしまいます」

 それなら、よかったのだが。

 それにしても慣れてきたというが、いつもはどのように退治しているのだろうか。
 気になって尋ねてみると、こうだった。

「食客の騎士様がおられるときは、弓で遠間から仕留めることもできるのですが、我々では取りつかれたものまで傷つけかねません。ですから、この硬い鎧で茨を抑え込み、剣でひたすら切りつけるという泥臭いやり方です」
「冒険屋を頼ろうとは?」
「お恥ずかしながら、レモの町の冒険屋はみな我々衛兵と大差なく、また数も少ない。即時で対応ができんのです」

 成程。
 いつもあたしたちを基準に考えているから冒険屋と言えばあの程度あっさり倒してしまえるような印象だけれど、あたしたちって、実は結構強い部類なのだった。乙種魔獣を一人で倒せる冒険屋というのは実際多くないのだ。
 それに、今回だってウルウがあっさり茨を被害者から引きずり出せたからあんなに簡単に終わったけれど、仮にあたしとリリオだったらああもうまくはいかなかっただろう。それこそ同じような泥仕合になりかねない。

 そのような話をしているうちに、硫黄の匂いが強くなり、あたしたちは郊外の温泉宿に辿り着いたのだった。





用語解説

・カローシ
最近レモの町を中心にはやり始めた言葉で、働き過ぎて死ぬことを言う。
茨の魔物に憑りつかれた経営者などが従業員を手ひどく扱ってカローシに追い込むこともあるという。

・聖女
 神官ではなく、どちらかと言えば魔術師のように魔術で癒しを与えるという女性。
 茨の魔物を追って旅をしていたところレモの町に辿り着き、この魔物を根絶するため、また人々の傷を癒すために、日々働いているという。