キミは、桜の下で笑う。


 莉桜は僕の書いた小説をいつも読みたがった。だけど僕が彼女に読ませたのは作品の一部分ばかりで、完成させた状態で見せたことはない。

「私の予想ではね、佑馬は絶対有名な作家になると思うんだ。未来の人気作家のファン第一号になって、あの世で知り合った人たちに自慢しようと目論んでいるの」
「買いかぶりすぎだよ。まず僕より君の方が文章が上手い。前に文芸部に遊びに来たときお試しで書いた短編小説、完成度が高すぎて部長が引いてた」
「ふふ、そんなこともあったね」

 プライドをボロボロにされて打ちひしがれる部員たちの姿を、とても楽しそうに眺めていた莉桜の顔。多分二度と忘れない。

「でもさ、その私が佑馬の才能を保障してるんだから自信を持てば良いと思うよ」
「君は何目線なんだ……。そもそも僕は今、読ませることができるような作品を持っていない」
「ええっそんな。私の最後の頼みを無碍にしようっていうの?」
「だから最後って言うのやめろよ。莉桜の手術は成功する。」

 僕ははっきりと、莉桜の目を見つめて言った。
 彼女は少し寂しそうな笑みを浮かべる。

「そうだね。私は死ぬのは怖くない。だからって死にたいわけではないの。佑馬と会えなくなるのは嫌だ」

 そうか。
 僕はやっと気が付いた。
 彼女は昔から何でも自信満々に話しているから、つい全てを悟って諦めている人なのだと勘違いしてしまう。だけど……

「そりゃ不安、だよな。そんな難しい手術」

 莉桜が僕に会いたがったのは、僕の小説を読みたいからなんて理由じゃない。
 不安で、押しつぶされそうになって、気を紛らわせるために僕と話そうと思ったんだ。

「……うん。成功率がすごく低いって。だけど放っておけばそれでも死ぬ。同じ結果なら抗った方がましだし、家族もそれを望んでる」

 莉桜は、ぎゅっと僕を抱きしめた。

「佑馬の小説は、生命力に満ち溢れてる。だから読めば生命力を分けてもらえて、手術が成功するかなって思った」
「そっか。……持ってなくてごめん」
「ううん、いいの。だけどこれは言わせて。私はキミの書く文章が好き。有名な作家になれるって本気で思ってるよ」

僕はゆっくり、彼女の頭を撫でる。

「一つ、書き上げることができた小説があるんだ。それを、莉桜に一番に読んで欲しい」
「えっ」
「だけど一つ問題がある。その小説、すごく長いんだ。今日読み始めても、君はきっと手術が始まる日までに読み終われない」

 莉桜が息を飲んだ。僕の言おうとしていることを察したらしい。

「だから手術が終わった後、読んでもらいたい。ついでに文章が得意な君に推敲してもらえるとありがたい」
「意地が悪いね、佑馬。そんなの、何としてでも生きないとって思っちゃう」
「うん。生きていてくれ。これからもずっと」

 彼女は頷きはしなかった。
 代わりに、僕の頬に触れるだけのキスをして、抱きしめていた手を緩めた。

「好きだよ佑馬。キミが書く文章だけじゃなくて、キミ自身が大好きだ」
「……僕も、莉桜のことが」

 好き、という言葉を発するのと同時に、強い風が吹いた。
 桜の花びらが、風に乗ってぐるぐると舞う。
 だけどその言葉はきちんと莉桜に届いたらしい。彼女は優しい微笑みを浮かべた。

 桜の下で笑う君。
 最後の別れがお互い笑顔だったなんて、最高に素敵じゃないか──。





 着信を告げるけたたましい音が鳴り響いて、僕は現実に引き戻された。
 スマートフォンの画面を見れば、担当編集の名前が表示されている。

「もしもし」
『先生ーっ!し・め・き・り!ちゃんと守るって言ったじゃないですかぁ』
「ああすまない。原稿、ちゃんと完成してはいるんだ」

 送る前に幼なじみの小説を書き始めてしまっただけで。
 僕より五つほど年上であるはずの担当編集の女は、子どもが駄々をこねるときのような声で言う。

『だったら早急に送ってくださいよぉ!もうっ』
「だからごめんって」

 僕の軽い返事に、彼女が大きくため息を吐くのがわかる。

『でも先生が何してたのかあたしにはわかりますよ~。この時期ですからね。また亡くなった幼なじみを主人公にした小説とやらを書いていたんでしょう、()()()()?』

 ……ああ、付き合いが長いだけあって、この担当編集にはお見通しなのか。

『莉桜先生の亡くなった幼なじみ、名前は確か、()()()()でしたね』
「よく覚えているね。さすが僕の担当編集」

 佑馬は、交通事故に遭って死んだ。()()手術が行われる前日のことだ。

 手術を控えていた私にはショックが大きいということで、その事実は伏せられていた。それを知ったのは、無事に手術が成功した後だった。
 手術の内容が当初と変更されていたのだということもそこで知った。
 佑馬はずっと前から『自分に何かあったら、心臓は莉桜に』という意志を家族に伝えていたのだそうだ。
 ──そう、今ここで動いている心臓は、佑馬のものだ。

『ていうか莉桜先生。毎年書いてらっしゃるその小説も、出来によっては出版できるかもしれませんよ』
「はは、魅力的なお誘いだけど遠慮しておく。これは佑馬の墓前に供えるためだけに書いている駄文だからね。発表する気はない」
『そっかぁ、残念』

 佑馬が死んで以来、毎年彼が主役の小説を書き、天国で読んでもらうために供えている。今の時代原稿用紙というアナログなスタイルを取っているのはこれが理由だ。
 しかし、出会った頃の思い出から書き始め、最後に会った日のことも書いてしまった。来年以降何を書こう。佑馬がもし生きていたらというif世界とかが良いだろうか。

『そういえば莉桜先生、すっかり“僕”っていう一人称が定着しましたね』

 無事原稿を受け取り余裕が出たらしい担当編集がそんなことを言う。


 ふっと苦笑が漏れる。

「まあね。一人で考え事をするときでさえ、なるべく僕という一人称を使うようにしていたから」
『さっすがー!徹底してますね!』

 僕という一人称を使い始めたきっかけはSNSだった。ネット上では、誰もが普段の自分とは違うキャラで振る舞うことができる。
 そこで私は、作家デビューした直後に勧められて始めたSNSで、特に深い意味もなく僕っ子キャラになってみたのだ。すると何故かそれがウケた。
 そして出版社側から、作品と共に作家である私のキャラクターも発信していくという方向性を決められた。自分で言うのはさすがに恥ずかしいが、私は「美人僕っ子小説家」なのだ。
 サイン会の時なんかについ“私”と言ってしまってがっかりされることがあるので、普段から咄嗟に“僕”を使えるように訓練中である。
 純粋に小説を評価するのとは異なる売り出し方にモヤモヤすることはあるが、このキャラをきっかけに作品を見てもらい興味を持ってもらえるのなら、決して悪いことではない。多くの人の目に触れられることは、最終的な目標を達成する上でどうしても必要なことだから。

 電話を切り、僕は凝り固まった肩を回してほぐす。
 それから、机の端で気配を消していた分厚い原稿用紙の束を手に取った。パラパラと中身を見れば、懐かしい彼の字がびっしりと並んでいる。

「ふふ、佑馬って昔から字が汚かったんだよね。だけどパソコン使えないもんだからいっつも手書きで」

 彼の手はいつ見てもペンだこができていた。
 こっちが作品を読みたがるたびに、書いたばかりの原稿用紙を一枚渡してくれた。途中の部分を渡されたって内容は全然わからなかったのに、不思議と惹きつけられた。
 そしてそんな彼が、手術が終わった後に読んで欲しいと言っていたのがこの小説だ。本人が言っていた通り、読破するのに何日もかかる超大作だった。
 だけど完成されたこの作品は、本当に素晴らしい物だった。
 これを読んで僕は作家になることを決意した。この作品をオマージュする形で小説を書き、佑馬の名前と共に世に出したい。これが作家としての最終的な目標だ。

 ()が、彼の生きた証拠をこの世に刻み付けるんだ。
 それが心臓(いのち)をくれた恩返し。

 もしキミがこの決意を聞いたのなら、きっと、あの日桜の下で見せたような笑顔になるのだろう。


-fin-

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