美術部を探し出し、思い焦がれた一枚のカンバスにさよならを告げてから、気付けば六月の梅雨入りが迫っていた。
 急に難しくなった授業と課題、いつも落ち着ているアルバイトも、祝日が重なる数日は大忙しで、あっという間に時間が過ぎていく。
 それを実感したのは悲しいことに、数学の授業で提示された問題の回答者に指名された時だった。名簿順のア行は、月の第一週目に必ず当てられる。仕方がないというか、運が悪いと言うべきなのか、中学からの付き合いである早紀は「幸が浅い」からだと言う。人の名前で遊ぶな。
 早紀との関係は相変わらずだが、担任の長谷川先生から演劇部への勧誘はあの日を境にぴたりと止んだ。どうやら高嶺先輩の仕業らしい。長谷川先生をはじめ、教師陣が生徒へ恐喝まがいな場面に居合わせると必ずスマホで録り溜めしているという。実際にあの日以来、先生から部活の話は出してこない。削除すると言ってパソコンに保存したデータの流出を懸念しているのか、ここまでくると高嶺先輩が先生を脅しているようにもみえる。それでもしつこい勧誘が続くよりはマシだと思い、私は見て見ぬふりをしている。
 それに対して早紀は、隙あらば入部したばかりのハンドボール部がいかに楽しいかを熱弁してくる。悪びれる様子もなく楽しそうに話す彼女に、私は今日も相槌を打つだけ。
「佐知、最近なんかいいことあった?」
 昼休みにお弁当を食べていると、ふいに早紀が問う。両手で持ったお手製のポテトサラダをレタスと食パンで挟んだサンドイッチは、彼女が頬張る度にレタスが押し出されている。
「いいことって、なんで?」
「最近、活き活きしているなって思って。いつも根暗なちぃちゃんがバイトの日以外は終わったらすぐ教室出ていくし。もしかしてデート? 相手は誰!?」
「勝手に話を広げないでよ……」
「別に広げてないよ? それくらいしか思いつかないんだもん」
 これで悪気ないから余計に腹が立つ。
 思わずムッとしたのをどうにかして抑え込んで、ブロッコリーを口に頬張る。少し塩辛く感じたのは、茹でる時に入れすぎた塩のせいだ。
「結局絵の作者も見つからないままなんでしょ? 私、ハンド部の先輩にそれとなく聞いてみたんだけどさ、気になるなんて変人だねって笑われちゃった。そんなに変な人なの?」
「……早く食べないと次の授業間に合わないよ、早紀」
「あー! 今明らかに話を逸らしたよね? 見つけたの!?」
「逸らしてないって。ほら」
 口をとがらせて拗ねた顔をする早紀にスマホの画面を見せる。初期設定のシンプルな壁紙の真ん中に置かれたアナログ時計は、秒針が止まることなく進んでいく。あと五分もしないうちに昼休みが終わってしまうと気付くと、早紀は慌ててサンドイッチを口へ押し込んだ。私も食べ終えた弁当箱を仕舞っていると、早紀が言う。
「佐知、スマホに通知来てるよ?」
「え?」
 画面を見れば、左上に通知のアイコンが表示されていた。タップして確認すれば、「美術部」と名付けられたグループのトーク画面が現れる。高嶺先輩からだった。
『今日の放課後は全員集合!』
 つい先日、連絡先を交換した時にグループトークに入れられたのを思い出す。先輩との関わりがほとんどない私にはとても新鮮だった。画面をしばらく見ていると、香椎先輩から『了解』と素っ気ないメッセージが送られてくる。続けて高嶺先輩からキャラクターが変顔しているスタンプが送られてきて、思わず吹き出しそうになる。
「……ねぇ佐知、やっぱりいいことあったでしょ?」
「別にないよ」
「いーや! その顔は絶対ある! 長年の付き合いで親友である私が断言する!」
 いつ私は早紀の親友になったのか。そんな毒がこぼれてしまいそうになって、慌てて画面に視線を戻す。『了解です』と歌う猫のスタンプを送ると、すぐに二件の既読がついた。また早紀に茶化される前に、空になった弁当箱を鞄に戻しながら顔を背けた。