一人でおろおろしていると、高嶺先輩が気付いて説明してくれた。
「浅野さんが探している美術部はね、一応あるんだよ。ただ芸術コースが表立って有名だから、完全に目の上のたんこぶなんだ」
「それは活動の内容が、学科コースと被っているからですか?」
「表向きはね。多分本当の理由は、部員が俺と香椎だけだからかな。いろいろ問題児なんだ、俺たち」
 高嶺先輩は気恥ずかしそうにヘラっと笑う。
 目の前に座る二人の先輩の話を聞きながら、貰った水を飲み込んで頭の中で整理する。
 そもそも、学校に許可なく部活動を堂々としていても指導対象にならないのだろうか。それに問題児だと言われてもあまりピンとこない。距離感がおかしいのはともかく、ごく普通の人にしか見えなかった。
 私が眉をひそめて黙り込んだのを見て、高嶺先輩が口を開いた。
「何十年も前の頃には、美術部はあったんだよ。部員もそこそこいて、この第八美術室を中心に皆が皆、それぞれの得意な芸術を楽しんでいた。コンクールにも出すようになって、美術部から有名な芸術家に育っていくと、味を占めた学校側は芸術コースを設立したんだ。それと同時に美術部は自然消滅。美術部に入りたいという生徒がいれば、芸術コースへの選択を促される。――浅野さん、君の考えている通り、芸術コースがあるという理由で美術部は無くなったんだ」
「そんな……強制的に芸術コースに行かせるなんて横暴すぎませんか?」
「もちろん、進学コースの先輩でも部活動として絵を描きたい奴がいた。芸術コースは人気だから応募はすぐ埋まる。入りたくても入れない奴は沢山いる。そういう奴らを集めて、半ば強引に立ち上げたんだ。今は俺と香椎、それと名前だけの幽霊部員が三人と、顧問の先生が一人。一応、生徒会からは白い目で見られたけど許可は下りている。公認じゃない、非公認としてね」
 この高校の校則によれば、部として認められる条件として、五名以上の生徒と顧問の教員一名。そして学校への貢献度。人数はともかく、貢献度はすぐに上げられるものではない。
「美術部は非公認とはいえ、規則上は存在する。でも文化祭の展示やコンテストへの参加は認められていない。学校側も良く思っていないから美術部の話をすると機嫌が悪くなるし、公の場に美術部の存在を隠している。去年の文化祭で一枚出せたのが奇跡みたいなモンさ」
「……つまり、無くなった美術部を再設立したのは高嶺先輩たちなんですよね? どうして違反みたいなことをしているんですか?」
「あー……それはだな……」
 私が尋ねると、高嶺先輩は気まずそうに目を逸らす。
「職員室で美術部の名前を出した時、先生の視線はとても冷たいものでした。他にも何かあるんじゃないんですか? それに去年の文化祭で受付していた人も鼻で嗤っていました。もし飲食店だったらクレームが入れられるくらい、酷い言われようです」
「受付……ああ、芸術コースの卒業生か。あの絵の事情を知ってるから――っでぇ! おい、急に殴るなって!」
 懐かしそうに話す高嶺先輩の脇腹に、目にも止まらぬ素早い手刀が入った。痛がる高嶺先輩を余所に、香椎先輩は私に訊いた。
「浅野は去年の文化祭に来たのか?」
「はっ、はい。私、あの絵が気になって、この学校に入りました」
 私は『明日へ』を思い浮かべながら、あの時感じた感覚と、描かれた機体や少女が抱えた花――まるで下描きが本当の意味を示しているのではないかと推察したことも話した。
 拙い言葉を並べた、見苦しい説明だったと思う。自分がこんなに説明が下手だったのかと内心落胆してしまうほどだ。
 笑われてもいい、バカにされてもいい。
 それでも確かに、あの時私が感じたものが少しでも伝わってくれたらいい。
 私が一方的に話している間、先輩たちは黙って聞いてくれていた。時折頷いたり、小さく口元を緩める姿も見受けられて、妄想のような私の話に耳を傾けてくれた。
 話し終えたと同時に、高嶺先輩は両手で顔を覆って下を向いた。隣に座った香椎先輩は黙ったまま遠くを見ているようで、美術室に沈黙が流れる。
 先輩たちの気に障ってしまったのではないか――不安に駆られるほど、二人は口を開かない。遠くからランニング中の運動部の掛け声がやけにはっきりと聴こえてくる。
「――浅野はさ」
 先に沈黙を破ったのは香椎先輩だった。
「お前が見た『明日へ』は、どんな世界だと思った?」
「世界……ですか?」
「そう。あの絵からいろんなモンを感じ取ったんだろ。一つくらい上げてみろ。また言葉に詰まってもいいからさ」
 明るい希望のある世界。平和を願う世界。残酷な争いの世界。――今でも耳をすませば、遠くから警報が聴こえてくる。焼け焦げた黒い煙が漂ってくる。その中でかき消された誰かの泣き叫ぶ声さえも、絵の一部として存在していた。
 そんな言葉が頭の中で飛び交う中、私は慎重に口を開いた。
「耳を傾けてほしい世界、でしょうか」
「耳?」
「聞いてほしいって意味です。周囲の無機物の音と建前で成り立っている世の中に、もっと耳を傾けてほしい。飛行機と少女に持たせた花の意味は、平和についてもっと考えてほしいという、作者の願いだと思いました」
 自分なりの解釈を話すと、香椎先輩は唸った。
 反応に困っているのだろうか、口が開くと同時にずっと視線を落としていた高嶺先輩が、隣にいる香椎先輩の背中を思い切り叩きつけた。バシンッと音が美術室内に響くと同時に、香椎先輩は顔をしかめる。
 何が始まったのかと驚いていると、高嶺先輩は涙目ながらも満面の笑みを浮かべていた。
「――っヤバくねぇ!? お前の描いた絵がこれだけ深堀りされたんだぞ!」
「わぁってんだよ、叩くな」
「だってさ!」
「落ち着けアホ」
 喜びを噛みしめている高嶺先輩の脇腹にまた手刀が入る。腹を抱えて丸くなりながらも、笑い声が漏れていく。状況が全く理解できない私は、ただ呆然の二人の喜ぶ姿に困惑した。少し引いてしまっていたのかもしれない。
 香椎先輩が気付いて「でもさ」と続けた。
「お前、作品名の下の説明書きを読んだか?」
「説明書き?」
 作品名は見たけど、説明書きなんて書いてあっただろうか。それより先に絵に目を向けてしまったから、視界に入っていなかったのかもしれない。
「その様子だと読んでねぇな。それであの熱弁かよ」
「どういうことですか?」
「これだよ」
 高嶺先輩は脇腹を抑えながら、スマートフォンの画面をこちらに向けた。
 画面には文化祭で見た絵が写っており、その横のプレートに『明日へ』とタイトルが大きく書かれている。タイトルが書かれた札は見たのを覚えている。
 ただ、その下に小さな字で書かれていた部分は見逃していた。

『故・(はな)()(ふみ)()名誉理事長の遺言に基づき、絵の具に遺灰を混ぜて製作しております。
 心からのご冥福をお祈り申し上げます。美術部一同』

 花井文江――この高校の創立に関わった一人で、芸術コースの設立に携わった人物。長きにわたり教鞭をとったのち、名誉理事長に任命された。確か昨年亡くなったと、学校のホームページに載っていたのを思い出す。
 問題はその後――理事長の名前の後に書かれていた、たった二文字の言葉だ。
 遺灰(・・)――たった二文字に、ぞっと寒気が走った。
「気味が悪くなっただろ」
 私の口が開く前に、香椎先輩は続けた。
「お前が熱弁し、涙まで流してくれたあの絵は、亡くなった理事長の遺灰を絵の具に混ぜて描いている。平和の意味を持つ花、機体に纏う風、あと空だな。亡くなる前にどんなものを残したいか聞いて、俺が描いた。……美術部が嫌われているのは、そういうところなんだよ」