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 翌日の昼休みを告げるチャイムが校内に響いた。
 座学で下を向いていたクラスメイトが各々動き出すと、教室は一気に騒がしくなる。鞄からお弁当を取り出すと、見計らったように早紀が椅子だけを持ってきて私の机に自分のお弁当を置いた。
「ねぇ、佐知。考え直してくれた?」
「何を?」
「何って部活だよ。同好会でもいいからさ、何か一緒に入ろうよ」
「早紀はハンドボール部に入ってるでしょ?」
 クラスの誰よりも早く入部届を提出したのは早紀だった。おそらく昨年の文化祭の時にすでに決めていたのだろう。中学は陸上部だったこともあって、運動部に入るのは何となく察していたけど、まさか球技を選ぶとは思わなかった。
「大丈夫! 同好会なら顔出す頻度少ないから」
 部活の掛け持ちは基本許可されているが、夏のインターハイに向けた予選会がそろそろ始まる運動部に、どう考えても余裕があるとは思えない。早紀はさらに得意げに続ける。
「それに最初の二、三回だけ一緒にいればいいんだよ。その間に話せる相手を探しておけば、私がいなくなっても佐知は気まずい思いをしなくて済むでしょ?」
 いや、いる方が気まずいんだけど。喉まで出てきている言葉を強引に飲み込む。
 これは彼女の好意によるものだ。悪意などなく、自分がいないと私が可哀想だと、本心で思っている彼女だからできる提案だった。
「何度も言ってるけど、部活は入らないんだって」
「でもまた長谷川先生に言われるよ? だったら先に入っておいた方がよくない? 幽霊部員がいてもおかしくないし」
「部活は有志。だから無理に入る必要ないよ」
「それはちぃちゃんが入る勇気がないからだよ!」
「…………」
 思わず睨みつけてしまうと、早紀はビクッと肩を震わせる。彼女が勝手に名付けたそれを聞くたびに、いつからか嫌悪感に襲われるようになっていた。
「そ、そんな顔しなくてもいいじゃない? もしかして怒っちゃった?」
 ただの悪ふざけだよー、とへらっと笑う。クラスメイトが談笑しているとはいえ、何人かの目がこちらに向けているのが分かった。
 早紀は目立つ。どこにいても、何をしていても。
 だから、必然的に近くにいる私が巻き込まれるのだ。
「……ごめん、用事思い出したから先に食べてて」
「佐知? ちょ、ちょっと!」
 早紀の言葉を最後まで聞くことなく、自分の弁当箱とスマホを持って教室を出る。
 あのまま席にいたら、きっと私は一方的に早紀に怒鳴ってしまいそうだった。今まで飲み込んできたものがすべて無駄になる。一度口が開いたら止まらない気がして、でもずっと飲み込んだままにする自分が嫌だった。
 廊下を出て行く宛もなく行けば、別のクラスの同級生が行き交っていた。なんとなく居づらくて中庭に顔を出してみたが、すでにベンチは埋まっていた。次の授業まで時間がある。どこで時間を潰そうか。
「あれ、昨日の店員さん?」
 その場で立ち尽くしていると、後ろから聞き覚えのある声がした。そっと振り返ると、昨日、塩キャラメルラテを勧めたあの三年生だった。
「あっ……!?」
「驚いた、同じ学校だったんだ。あそこのカフェ、結構行くんだよ。もしかして最近バイトを始めた感じかな。そうそう、美味しかったよ。塩入りのキャラメルラテ」
「ほ、ほんとですか!」
 昨日と同じ爽やかな笑みを向けられたからか、妙に緊張してしまう。いや、それ以前に上級生と関わることがなかった私がこんなことで話しかけられるとは想定外で、次第に緊張によって体温が上がっていくのがわかった。
「うん。ところで、こんなところで何してるの?」
「え、えっと……」
 友人気まずくなって教室を飛び出してきた……なんて、流石に言えない。
 先輩を前にして混乱する中、どう答えていいのか考えるもパッと頭に浮かばない。すると、先輩の目線が私の手元に向けられていることに気付いた。まだ中身が詰まった弁当が入った巾着袋を、つい力を入れてしまってシワがさらに濃くなる。
「そういや知ってる? ウチの学校、昼休みは視聴覚室が解放されているんだ。一人でも良し、友達と食べて良し。どう?」
「は、はぁ……?」
「一人になりたいときだってあるのわかるわー。よし、先輩が案内しよう。ついておいで」
「へ――!?」
 名前も知らない先輩に背中を押されたかと思えば、半ば強引に中庭を抜け、いくつかの階段を登って降りてを繰り返す。
 途中で「ここが保健室で、そっちに行くと……」と校内を案内されたが、全くと言っていいほど頭に入ってこなかった。私は今、何をしているんだっけ?
「――で、ここが展示ホール」
 現在地がわからないまま、先輩が一度立ち止まったのにつられて私も足を止める。展示ホールと掲げられたプレートの下で、ガラス張りのドアの前で目を疑った。
 ガラス越しに見えたそれは、私があの日からずっと消えなかった『明日へ』だった。
 誰もいない展示ホールの中心で、イーゼルに立てかけられて鎮座している。離れていても感じる、あの異色な雰囲気を見間違えるはずがない。
「ここは外部の講師や卒業生の講演会や座談会によく使われているんだ。あとは文化祭で展示会場に使われて……って、大丈夫か?」
 説明しながら私の方を向いた先輩がぎょっと目を丸くする。
 それはそうだろう。ただ黙って涙を流している、ほぼ初対面の後輩の扱いなんて困るだけだ。
「……すみません、教室に戻ります!」
 先輩の手を振り払い、朧気ながらも来た道を戻る。途中、すれ違う際に先生から引き留められるけど、気に留めることなく全速力で駆け抜けた。
 あの絵があった。存在した。だから美術部も存在する。――それが分かっただけで充分だった。
 胸が絞めつけられるように痛いのは、急に走ったからなんかじゃない。
 ――近付きたい。もう一度近くで見たい。
 でも対面したらきっと、私は泣き崩れてしまうような気がした。