「祠ちゃんの作品が載ってる機関誌、もちろん読んだ事あるよね?」
「ああ。サークル部屋に残っているバックナンバーは全部読んでいる」
「さすが」

 文創は毎年11月に機関誌を発行する。それを学祭で頒布するのだ。基本的にサークルメンバーは全員参加、原則として未発表のオリジナル作品のみ。
 つまりそこには露川祠の未発表作品が掲載されている。俺はサークル部屋に保管されているバックナンバーを何度も何度も読み直した。

「ならわかるでしょ。祠ちゃんの世代がどれだけヤバかったかって」

 サークル発足以来、数十年。その歴史と同じ冊数の機関誌が発行されている。その中でも、露川祠が在学していた期間の4冊はすごかった。特に彼女が四年生の時の1冊は、アンソロジーとしての出来が卓越している。
 露川本人もさることながら、他のメンバーの作品もずば抜けてレベルが高い。あのまま書店で売っていてもおかしくない程だった。

「祠ちゃん、あまりサークル時代の話しないんだけど、一度だけ私に話してくれた事あるんだ。文創が今の自分を作ったって」
「まぁ、文創にいた時の作品がシェヘラザード取ったわけだしな」
「ううん。そうじゃなくて……ほら、あの人って変な経歴じゃん?」
「変な? ……確かに変ではあるな」

 露川祠作品の中で、いわゆる「初期露川」とされるものは案外少ない。デビューから卒業直後までの2年半に書かれた長編2作と短編2作のみだ。
 最後に発表された短編のあと、彼女は専業作家の道を一度離れ、少年漫画の原作を始めた。さらにはゲーム会社に籍を置き、十年近くシナリオライターをやっている。作家として行き詰ったとか、最初からエンタメ方面への進出を考えていたとか、諸説あるけど真相は定かではない。

「アタシに話してくれたのは、ちょうどゲームシナリオを始めた時期だった。まずアタシが聞いたんだよね、もう小説は書かないのかって」

 彼女のファンなら誰でも知りたいことだ。俺自身、彼女の活躍を目にするたび思っていた。
 露川祠原作の漫画もゲームも全部買った。どれも最高に面白かった。けど、俺が憧れ目指していたのは小説家の彼女だったから、またいつか本を出して欲しいと願い続けていた。

「そしたら祠ちゃん、小説が嫌になったわけじゃないって。ただ、文創で培ったものが自分を新天地へ行くように急かすんだって」
「どういうことだ?」
「アタシもその時はわからなかった。でも嬉しそうに話してくれたよ、当時の文創のメンバーが色々なきっかけを作ってくれたって。その話を覚えていたから、アタシもこの学校を目指したの」
「文創で刺激をもらうために?」

 琴那は黙ってうなずく。

「同じサークルで創作を志す同志なら、アタシの文章を変えてくれるかもってね。ま、結果はとんだ見込み違い。アタシらの代の文創はまるでダメだったね。先輩たちも含めて」
「ちょっと待て、それは……」

 聞き捨てならない一言だった。文創をダメにしたのはお前だろう。他ならない藤原琴那だろう?

「んー何か不満?」

 不満だ。決まっているだろう。
 
「ならさ、覚えてる? あの日の新歓にきてた一年生は5人。けど、そのうち3人は4月中に辞めてるって」
「え?」
「よーく、思い返してみ? あの新歓のメンバーに、今の四年生いる?」

 確かにいない。あの日の新入生のうち、俺と琴那以外の3人は、気が付けば姿を消していた。今となってはみんな顔も思い出せない。
 同期の文創メンバーの残り全員は、連休のあとに先輩たちがかき集めてきた面子だった。

「あの3人は、すぐ理解したんだよ。どれだけ熱意を持っていても……いや、熱意があればこそ、ここで書き続けるのは難しいって」

 3人ともプロ志望で、高校の頃から何本もの長編を書いていた。そう、だから一年生の4月当時、俺は確かに思っていたんだ。文創に入ってよかったと、いい刺激をもらえそうだと。

「ま、当然だよね。好きな作家の名前を出したら、平然と読んだことないって返してくるような先輩たちだもん。失望するよ」

 俺のメモを、琴那がめざとく見つけたとき、そこから露川作品の話題へと転がっていった。他の一年生もその話に加わっていった。その様子を眺めながら、ジョッキ片手にテーブルの向かい側に座る先輩が言った。「その人最近急に出てきたよね、読んだことないけど」と。

「初期露川も漫画原作やゲームシナリオの時代も知らないの。入部早々、アレでガッカリしちゃった」

 琴那は嘲るように言った。その声音が、なぜかすごく癇に障った俺は、少し憮然とした声で応答した。
 
「文創はジャンルの制限していない。そういう人だっているだろう」

 SF創作同好会や歴史文芸研究会とは違い、文創は執筆ジャンルが自由だった。俺のようなミステリ志望もいれば、恋愛小説専門の子やラノベ志望の子もいた。流行していたこともあって、web投稿のファンタジー作品を書いてるのが一番多かったようにも思う。

「村上春樹や宮部みゆきならともかく、露川祠だぜ。一般文芸読まない人なら、知らなくても仕方ないさ」

 実際、俺だってよく読むミステリやラノベならともかく、馴染みのない恋愛小説やハードSFレーベルの人気作家を尋ねられても、答えられる自信はない。

「でも、話題の作家のひとりだったわけだし、とりあえず読んでおく、みたいな事しない?」
「全員が全員、同じ強度の文芸オタクってわけじゃ無い。その憤りは無意味だよ」

 そこまで言って、奇妙な状況に気づく。なんで俺は弁護に回っているんだ?
 琴那の憤りは、俺がずっと味わっていたことじゃないか。確かに俺も、あのジョッキの先輩の言葉はどうかと思った。
 それだけじゃない。メモ癖を奇異な目で見られた時もそうだ。さらにはコイツが企画した飲み会やらBBQやらに皆がうつつを抜かしている時も、俺は今の琴那と同じような事を考え続けていたじゃないか。

「じゃあ、メンバー同士で作品を読みあわないのは?」
「だからそれも、そんな事はないって」

 それでも、琴那の言葉と反対のことを言わないと気が済まない。そんな心境になっていた。

「期待の新人がシェヘラザードでいいセンまでいった原稿だぞ。読まないはずないって!」

 俺自身は、琴那の作品を読まなかった。だからそう反論するのは、後ろめたかった。けど誰も読んでいなかった、なんてことはありえないだろう。

「匠さ、作品の批評とかしてもらったことある、あのサークルで?」
「いや、それは……」

 無い。かつて、書き上げた短編の批評を先輩にお願いしたことはあった。けど何日たっても、先輩たちが原稿を手にすることは無く、サークル部屋の机の上に置かれたままだったことがあった。それで催促をすると先輩は言った。「他人の作品をこき下ろすとか、そういうことしたくないんだよね」と。
 批評と叩きの区別すらついてないのかこの人達は、と心底落胆したのを覚えている。
 
「なんか、他人を評価したりするのはNGで、自分の好きなように書くのが良い、みたいな雰囲気あったじゃん?」
「でも、それはそれで考え方のひとつだとは思う。全員が公募ガチ勢ってわけでもないんだから、波風立つような事を避けるのはある意味当然だ」

 思ってもいないことが舌先からベラベラと流れ出す。
 どうしたんだ俺は? 琴那の言うとおりじゃないか。なのに、どうして俺は先輩たちや、彼らが作った文創を擁護している?
 
「ふーん。本当にそう思ってるの? 匠が?」
「……ああ、思ってるよ」

 内心とは裏腹に、俺の口はそう続ける。すると、琴那はフッ、と鼻を鳴らした。
 
「フフっ、あはははっ! ……嘘ばっかり!」
 
 声をあげて笑ったかと思うと、琴那の声が一段階高く、そして険しくなる。

「よく言うよ! じゃあ、匠はどうしてあんな発言したの? あの編集会議でさ!」