もう一度会いたかった
                   蒼ノ下 雷太郎 

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 私は神様に育てられた。
 と言ったら、みんなどんな反応するだろう。
「ねーねー、ホノカちゃんの家ってどんな感じだった?」
 居酒屋の席。年上の先輩にそう聞かれた。これは、ほんとのことは言っちゃまずいよね。「へ、平凡な家庭でしたよ」そこから話をつなげられたらよかったんだけど、コミュ障の私はろくに口が回らず、その間に他の子が話題を出しそちらに波はいく。ホッとすると同時にショックも大きかった。
『私は神様に育てられました』と言っていたら、場は盛り上がったかな?
 変な勘違いだけされて終わりそうか。しかも、私は真実を正すこともできないしね。だって、本当に神様がいるって証明をしなきゃいけないし。
『お前さんはもう卒業じゃよ、小童』
 うるさいな。……あいつのことがどうしても忘れられない。悔しいことに、まだあいつとの思い出が私を支配している。
 チェーン店の居酒屋。そこで大学のサークルの飲み会をしていた。お堅い海外文芸サークルのはずだけど意外と髪を染めたり、見た目が明るい人が多く、今回の飲み会も小説の話題が出ることなく話は進んでいた。入るところ間違えたかな私。
「はぁ……」
 トイレの鏡を見ながら呆然としていた。途中、サークルの先輩である女性が入ってきて、心配そうに声をかけてくれたりした。
「ごめんね。まだ雰囲気慣れないよね。あ、酒飲まされたりしてない? あなた、まだ未成年だよね」
「は、はい。それは大丈夫です」
「なら、良かった。何かあったら私に言ってね」
 と、頼りがいのある人だったのだけれど。そのあとに来た人達が「知ってる? あの先輩二股してるらしいよ。それも大学の教授と不倫だって」と聞きたくない話を言っていて絶句する。ちょうど、何かお腹も痛くなってきたと個室トイレに入ったときだった。
 これまで、あいつと二人で引きこもりのような暮らしをしてきたから対人コミュニケーションに不慣れなとこが出ている。いかんな、私。
 また飲み会の席にもどると、私がいたところはすでに他の女の子が座っていて、というかみんなの座席がコロコロ変わっていた。仕方なく、私は空いてるところに座るがそこはスマホを眺めたり、本を読んでいたり、飲み会に来たくて来たわけじゃないという人ばかりの場所だった。
「………」
 ちびちびと、メロンソーダを飲む。
 サークルは大体二十数名いて、そのほとんどが輪の中心で楽しそうにしていた。その輪から外れたのは真面目そうというか、周りと全く話したくないってオーラの者達ばかり。ほとんどが女性で、一人だけ男の人もいた。
 黒髪をショートに整えた眼鏡をかけた人。細い手足をしていて、見た目だけで言うならサブカルチャー系の人に見える。いや、失礼かな。私もそっち系の話題が好きだから、できたらちょっと話したいと思ったけど。と、私の視線に気づいたのか幹事長が来て「あー、ダメダメ」と言った。私に近づいてこっそり教えてくれる。
「ごめんね。あいつ、女には興味なくて。ほら、あれなんだよ。男だけ、にね。ほら、多様性の時代だし、そういうの重要じゃん?」
「あ、は、はい。ごめんなさい」
「いいのいいの」
 いや、そんな飢えた獣に見えたかな私は。
 そう見えたのなら失礼なことをしたけど……いやでも、その人の性のことは本人が言うならいいと思うけど。他人が勝手に話しちゃ悪いんじゃないかな。私だったら、勝手に語られたくない。……違うか。もしかしたら、幹事長はあの人と仲が良いのかもしれない。だから、群がる虫を払いのける役割を、彼が代わりに持ってるのかも。いや、どれだけまずい目つきしてたんだ私は。
「悪いな。あいつ、嫌な奴じゃないんだけど腹立ったろ?」
 また、トイレからもどるときサブカルチャー(系に見える)人に言われた。
 名前は、岩島(いわしま)さんという。大学三年生。
「俺がゲイなのは事実だけど、あいつそれを知ったら過剰に保護しようとしてさ。そのくせどこかズレてるっていうか。勝手にゲイなのを誰かに教えたりして」
「嫌ですか、やっぱり」
「その情報を誰かに伝えるのは俺自身の権利だと思うし、それは誰かが勝手にすることじゃないと考えてる。あいつ自体は悪い奴じゃないんだけどな」
 だから、ごめん。と、岩島さんは言った。
「あいつのこと嫌いにならないでくれ。無神経でほんと馬鹿だけど、悪い奴じゃないんだ」
 それを言うと、また飲み会の席にもどっていった。いや、輪の中心に入りはしないけど。
 大学でもあまり話はせず、黙々と小説を読む人で、無愛想のイメージが強かった。正直、このとき私は岩島さんをすごい良い人と感じた。友達の印象を守るためだけに、トイレから私が来るのを待っていたのか。
 私が席に戻ると、また幹事長が忠告した。
「岩に惚れないでよ。あいつやたらと女にモテて困ってるからさ」
 と言われた。いや、分かってるちゅうねん。
 確かに、正直キュンッてしたけどさ。でも、そこはそれ、理解したよ。
 というか、何度も他人のプライベートを勝手に語っちゃ駄目でしょ。
 ……どれだけ、顔に出てたんだろ。駄目だ駄目だ、この大学生活はちゃんと勉強して良い会社に就くって決めたんだ。恋愛にうつつを抜かしてる場合じゃない。
 後日、そうは言いながらも岩島さんとは仲良くなった。
 昔から友達も少なく、教室で本を読むことが多かった私。自然と活字中毒の岩さんと話すことが多くなっていた。
「俺、妖怪が好きなんだわ」
「妖怪?」
 青い瓶のマークが描かれたカフェにいる私達。そこで私は酸味のあるアイスコーヒーと、ワッフル。先輩はホットコーヒーだけを頼んだ。
 岩さんは仲良くなると意外とおしゃべりだった。
 ただ、あのサークルは話せる人がいないから話さなかっただけらしい。それなら、どうしてサークルに入ったのと聞くと、あの幹事長がやたらとうるさくて、と。
「妖怪ってあれですか。水木しげるとか京極夏彦が好きなんですか」
「いや、あの人達が妖怪みたいな言い方になってるぜ。確かにその両先生好きだけどな」
 私もサブカルに傾倒してるから、妖怪はそこそこ知ってる……と思うけど。岩さんはそれ以上だろうな。正直、妖怪といってもその二人の名前しか出てこない。
 ずっと、妖怪みたいな人と暮らしてたけどね。
「確かさ、榎戸(えのきど)の出身地に有名な妖怪いただろ」
 妖怪って言うと、あの人怒るだろうな。いや、あの『人』ではないか。
「妖怪じゃなくて神様ですよ」
「おー、そうだったか。すまん、悪いことをした。そうだな、そこはちゃんとしないと。で、えーと、その神様ってさ」
 もっと言うと、神様って言われるのも嫌がる。ワシは神様って名前じゃないぞって。
「百花(ひやつか)」
 百の花と書いて、百花。
 それが、あいつの名前だ。
「そうそう、資料によって古い神様って言う人もいるし、比較的新しい方ってのもいるからよく分からん神様だけどな」
 私は、昔神様に育てられた。
 だけど、ある日を境に家を出ることになった。
『お前は卒業じゃよ』
 そんなことを言われても困る。私は一生神様のそばにいたかったのに。
『馬鹿かお前は。ワシは一生成長しない化け物じゃぞ。そんなものといっしょにいてどうする。ワシの思い出なんかはな、大人になったら忘れればいいんじゃ』
 絶対に嫌だった。それなのにあの神様は。

 1

 昔から、私は恋が実らない女だった。
 初めて好きになったのはアニメの男の子で、しかもそいつは私が感情移入したメインヒロインじゃなく、別の女の子と付き合い最終話はその子と結婚した。
 次に好きになったのはサッカーが得意な男子。現実にいる男の子だ。でもその子からは陰で暗い奴と言われていて、それを知って恋心は失せた。
 で、三番目に好きになったのは神様だった。ほら素敵なお父さんがいたら好きになるでしょ。あの人が私にとってお父さんなのかそれともお兄さんなのか、何とも言えないけど。いや、そもそも見た目が常に少年だったからな。四番目は――ま、あとで話すよ。
「どうしたんじゃ、ほのか。肥だめに落ちたような顔をして」
「百花。……好きな男の子がいたんだけどね」
 胃番目に好きだった男の子について話す、当時の私。
 話を聞くと、百花は言う。
「よかったじゃないか。そんな馬鹿なぞ相手するだけ無駄じゃぞ」
 そんな奴にほのかの時間を使うより、他のことに使った方がいいと。
 彼は言った。
 銀色に近い白髪。短めのそれは煌めいて見える。百花は当時の私から見たら、大人に見えた。でも、実際は百花は見た目中学生くらいの男子のようである。
 神社の神主さんが祭事に着るような狩衣を着ていた。袴も何もかも全部白で統一され、百の花という名前には不釣り合いでもある。
「おい、それよりもご飯ができた。夕飯じゃ夕飯。お前、いわしが好きじゃろ。この前、ほのかが買ってきてくれたので祭じゃ祭」
「祭って私の分だけの食事なのに」
 神様はご飯を食べない。妖怪も何かを食べる話はいくらでもあるのに、どうしてだか百花は食べなかった。
「こら、妖怪といっしょにするな。ワシは神じゃぞ、神。神にはいらんのじゃ」
 神様が何かを食べる話もよく聞くけどな。
 でも、いつも私の分だけはちゃんと用意してくれる。栄養バランスも無駄に気にして、どこから手に入れたのか栄養学の分厚い本をキッチンの横に置いている。
「いいか、ほのか。馬鹿な男に付き合うより、勉学が大事じゃぞ。昨今、東大のエリートでも職にありつけぬ有様。だがそれは東大でも無職になるってことであって、それ以外の者が得する話じゃない。論外とすら思われてる世の中じゃ。だからの」
 神様、当時の日本社会を理解しすぎでしょ。まだ年端もいかない幼少の私も思っていた。

 2

 幼い頃に両親が死んだ。
 葬式は親族が執り行ったが、一人残された私のことは彼らの間で揉めたらしい。
 どうする?
 どうしよう? とね。
 当時の私は年端もいかない子供で、誰が引き取ろうかと彼らは悩んだ。別に全員が裕福なわけでもなく、自分らの家計を支えるので精一杯だった。一人分でも余計に払う財力はなかったのだ。
 結局、私は叔父さんに引き取られる。
 叔父さん。
 海外を渡り歩くルポライター。いくつか本を出しているけど、未だに収入は安定しておらず、妙なオカルト雑誌にも記事を書いてると親族間では色々言われていた。
 結局、この人と直に会ったのは数えるほどだ。最初会ったときから――二回目までは大分時間が経っている。
「オレにはお前さんを育てる自信はねーよ。でも安心しな。オレより適任の奴に預けるから」
 会って早々に言われた。
 私は何も言わずに受け入れた。どうせこうなるのは分かっていた、と。
「………」
 叔父さんに連れられて海の見える田舎町へと向かう。
 そこで、神様に出会った。
「お前のう。ワシを神だと思っておるか? 都合の良い妖怪だと思ってるじゃろ」
 海に面した田舎町。その辺りを一望できる丘に建てられた家。
 年季の入った古民家で木造建ての瓦屋根、庭だけはやたらと広く、生け垣が景気よく家を囲っている。神様――彼はそこに住んでいた。
 銀に近い白髪、少年のような姿、神主が着るような服――当時それはコスプレに見えた。奇妙な外見だが姿は人間に見える――はずが、どうしてか私はすぐに彼が人間じゃないと悟った。
「お嬢ちゃん。オレはろくでなしだ。オレが引き取ると言った手前であれだが、こいつならお嬢ちゃんを育てられる」
 当時の私は物わかりが良かった。
「ありがとうございます、おじさん」と。
 すんなり言った。だが、神様は許さなかった。
「小娘。ここに住むのは良いが条件がある」と、銀髪の神様は言った。「そいつを殴れ」
 叔父さんは仰天する。
「おいおい、神様」
「小娘。何を我慢しておる。ふざけるな。子供がそんなモノをしまい込むな。腹を壊すぞ。ムカつくんだろ。両親が死んで。その上、親族は自分を引き取るの嫌がって、たらい回しにされて。とりあえず、この男を一発殴っていいぞ」
「……っ」
 このとき、私はとても驚いた。
 いや、だってねぇ。
 こんなにはっきりと言う人なんていなかったから。大人は、どうにかこうにか言葉を偽って本心を隠してたから。そんなにしてまで隠すなら、いいよ。素直に言っちゃって。私が嫌なんでしょ……と思っていたのに。
「っ、あぁぁぁぁっ」
「え、いや、何故泣く!?」
「あー、泣かした! こいつ、神様のくせに子供泣かした!」
「うるさいわ、たわけ! おー、よしよし。どうした、何がそんなに嫌じゃった?」
 と、私を抱き上げてあやそうとする神様。
 下手くそにぶんぶん振り回すその様子は、神様というには不器用すぎる。
「うわああああああああああああんっ」
 でも、こんなところが私は好きだった。思えば、初めて会ったときから私は神様に惚れてたんだ。他の大人達とは違う、全く別の存在だったから。

 3

 ま、そんなこんなあって。
 そんなこんなって、簡単にまとめすぎだけど。私は、神様に育てられることになった。
「ワシの名は百花じゃ。ひゃ、っ、か」
「ひゃっか?」
「百の花と書いて、ひゃっか。どうじゃ、良い名じゃろ」
 自分から言う神様も珍しい。
 少年の姿をした彼はニカッと笑って言う。まるで、ちょっと年上のお兄さんという感じ。
 百花は私の世話を良くしてくれた。
 学校の書類など細かいことは叔父さんが外でやってくれた。実際に私の教育や面倒を見てくれたのは百花だ。だが、両親が死んでまだショックが続いていた私は百花にいくら優しくされてもすぐに慣れることはできなかった。最初の対応はうれしかったが、それでも長く住もうとすると弊害は生まれるものだ。
 だから、学校が終わっても中々家に帰らず、どこかで時間を潰したりした。このときは見慣れぬ土地だったし、新鮮であった。だから山の方や、海が見えるところ、港の周りを探索していたんだけど――。
 一回、間違って海に落ちちゃったことがある。
 テトラポッドがいっぱいある堤防から海を眺めていたときだ。うっかりそのまま落ちちゃったんだよね。今にしてみると危ないことしてた。でも、海なんてあの頃は珍しく、危険性とか全く理解してなかったんだよね。
 海に落ちた私。
 学校のプールじゃいくらでも泳げたのに、いきなりでもあったし、何より海水に濡れた服が意外と重たくてまるで私を海の底へ引っ張るようで……そのまま、連れてかれそうになってしまう。
「アホか」
 それを引き上げてくれたのは、神様だった。
「このたわけ! くそっ、おい息しろ。ちぃっ」
 海に飛び込んで私を助け、息がもどらない私を人工呼吸し、心臓マッサージをして、蘇らせた。私はゲホッゲホッと咳き込む。
「――はぁぁぁっ、心配させるな。もう、ハラハラさせるなぁぁぁっ」
「……ごめん、なさい」
 涙ぐむ、私。
「泣きたいのはワシの方じゃぞ」
「ごめん……なさい」
「怖かったじゃろ」
「うん」
 これが死。
 嫌になるほど味わってしまった。一時、お父さんとお母さんが死んで悲しくて死にたいと感じたこともある。だけど、これが死なんだ。海で溺れて底に沈んでいく――死にそうだった。それを体験してしまった。
「死にたくない。この気持ちは絶対忘れるんじゃないぞ」
「……うん、本当に、ごめんなさい」
 そのあと、百花は私を米俵でも持つように片手で抱えて帰る。
 私は嫌がったけど、「やかましい!」とお尻を叩かれた。
「命を粗末にする子はこんな扱いで十分じゃ!」
 ほんと、その通りだけどさ。
 家に帰ると、百花はぐったりして倒れ込む。おいおい、倒れたいのは私の方だよと思ったが。「……忘れてた。そうじゃな、こうなるんじゃったな」何か変なことまでブツブツ言っていた。結局、その後は私が百花の看病をすることになった。といっても、大して体格の違わない少年を布団を敷いて運んだだけだ。
「ごめんね」
 事情は分からないが、私のせいでこうなったのだと思った。だから私は謝った。
「……小娘が気にするな」
 と、苦しそうにしながら言う百花。
 ごめん、百花。正直言うとこのときの私はうれしかった。
「………」
 こんなに苦しそうにしている百花には悪いとは思うけど、私はうれしかったんだ。私なんかのためにここまでがんばってくれる人がまだいるんだって、感じられたから。
 ほんと、たち悪いよね。ごめんね、百花。

 4

 神様の家はいつも波の音がした。
 一キロは離れてたはずだけど、それほど波の音は広範囲に届くようで彼らは怪獣のように堂々と私達の家に居座る。
 でも、塩害や湿気の心配は不思議となかった。
 本来、海に近い家ってのはそういう被害が出るらしい。思えば、神様の家じゃない周りの人々はそうだったな。車もマメに洗車したり、屋外にさらけ出すこともしてなかったし。
 そういえば、迂闊に下着をベランダに干してるっ言っちゃったときもあるな。
 ある日を境に私は下着を洗われるのが嫌になったんだ。ま、百花は案の定理解できてなかったけどさ。で、私が悪いんだけど二階のベランダに干したまま忘れちゃったことがあったの。百花をそれをとりを取り込んでくれたんだけど、私は怒ってね。で、ケンカになっちゃった。『お前がパンツを忘れたままなのが悪いんじゃろ!』いや、その通りだけどさ。百花もデリカシーというものがさ。
 で、ムシャクシャした私はクラスメイトにその話をしちゃったんだけど。
「え、ベランダに干してるの?」ってこっちの意図せぬとこで首をかしげられてね。
 沿岸地域って、外に干しても湿気が強いから洗濯物も中々乾かないんだってね。知らなかったから、慌てて言い訳したよ。
 波の音は許し、でも塩害や強すぎる湿気は入れない。あまりにも私達に都合が良すぎる。だけど、神様の家としてはらしいなってこのときは思った。

 5

「ねぇ、神様」
「神様なんて名前の奴はおらん」
 百花は神様と呼ばれるのを嫌がる。
 夏の暑い日。
 焼けるような日射しが我が家を襲撃――はせずに、むしろ夏の日には似合わぬ心地よい風が家の中を漂う。テレビに映るキャスターは『酷暑になります』と言っていたのに。
 百花は縁側に腰を下ろし、右膝を立てて本を読んでいた。
 傍らにはお盆、そこには彼のマグカップがある。入れられてるのは彼が煎れたアイスコーヒーで、酸味の強い、けど紅茶のような味だから私も飲みやすかったもの。氷の入ったマグカップがカタッと音が鳴る。氷が多少溶けたらしい。本来なら、夏の熱さで一気に溶けてもおかしくはない。
「ねーねー、百花」
「落ち着かん童じゃのう」
 彼は私をちゃんと育ててくれてはいる。洗濯物は思春期になった私が嫌になり、自分からやるようになったけど毎食彼は用意してくれたし、しかも栄養バランスまで考え、私が好きそうなの、ちゃんと飽きてないか、おいしく食べてるか、ときおり私のスマホを手に取り、それで最近の流行まで探って作ってくれる。勉強だって博識だから困ったら大体教えてくれる。私の養育費というか学校のお金もろもろも神様が用意してくれてるらしい、彼の元には毎週何らかの客が来てそのお礼に何かをくれる。そのお礼というのがお金に換算できないほど価値のあるものだったり――多分あのお客は人外も含まれてたんだろうな。そのため、百花は裕福な暮らしをしていた。
「てか、百花ってご飯は食べないのにコーヒーは飲むんだ」
「食べる必要がないからの」
「コーヒーは?」
「好きだから飲む必要があるんじゃ」
 と、読書の世界に目をやりながら私の言葉に答える。
 むむむ、と当時の私は悔しそうにしていた。
 百花は私のめんどうは見るには見るが、自分だけの時間というかそういうのもちゃんと守っていた。私がかまってほしいときも、絶対に譲ろうとはしない。一回泣き叫んだことがあるが、嘘泣きじゃろ、とあっさり見破られた。
 いつしか、私も本を読むようになっていた。
 百花は神様だからか縁側に座って平気にしているが、私は籐椅子に家具チェーン店で買ったクッションを敷いて座る。あいつ、お尻が痛くなったりしないのかな。
 神様のくせに流行には敏感でやたらと人間が何にハマっているのか気にしたりする。それは本でも同じだ。原作が映画化してテレビで紹介されたときも、それよりも前から注目してたぞ、と自慢げに言っていたっけ。
 冬。
 縁側から見える庭には雪が積もる。庭といっても何か植えてるわけじゃなく、立派な和風庭園ですらない。地面はむき出しのままで、雑草が生えないように何かしてるのか学校のグランドのような状態を保ち続けている。
 古びた日本家屋なら冬の寒さもすさまじく隙間風があちこち来るはずだが、これもなく、家は冬でも穏やかな楽園のままだった。一応半袖から長袖になったが、それは敷地内に入った雪の冷たさが多少影響するだけの話で、雪が降らない日はタンスにしまい忘れた半袖をそのまま着ちゃうときもあった。
 何度も古いといったあの家は何度か改築はされてたらしい。元は江戸時代辺りの豪農の家だったんだとか。でも、トイレは洋風、しかも最新式のお尻洗うやつまであるのに変えて、お風呂も自動お湯沸かし機能まで付いていた。
 リビングになってるフロアと畳敷きの十畳ぐらいある一室が一階を占めていて、その他に書院もあるが、これは百花の所有する本棚で埋め尽くされていた。本は馴染みの古書店が通いで来て、そこから入手してるらしい。
「………」
 こんな家、友達に見せたら驚くだろうな。と考える私。
 だが、その友達がいなかった。
 漫画だったら一話くらいその話で埋まるだろうにもったいない。
 リビングにあるソファーに座り、温かいコーヒーを飲んで雪の積もった庭を眺める私。
 その日百花が煎れたのは、深煎りの大分濃い味のするものだ。コーヒー豆はその道にくわしい者から買うらしく、東京の名店や海外から進出してきたお店、中には沖縄や九州と広大な範囲のを我が物としている。
「ねぇ、百花」
「ん」
 向かい合わせのソファー。百花は反対側のソファに座り、本を読んでいる。
「百花って、もしかしてこの家から出られないの?」
「あれ、言ってなかったか。というか、今頃気づいたのか」
「うっさいな。だって、私を助けに来てくれたときあったじゃない。あのときは外に出てたし――いや、それ以外に見たことないんだけどさ。学校に私は行ってたし。も、もしかしたら、そのときに家を出てるかもしれないって。いや、その」
「トロイ娘じゃのう。将来の婿がどうなることやら」
 うぅ、と私はうなる。そこまで言うことないじゃない。
 いや、確かにもっと前に気づくべきだとは思うけどさ。
 そうだ、私を助けに来てくれたときだって変なことつぶやいてたし、そのあとに倒れ込んじゃったし。もしかして、出るのがすごい大変だったのかなって。あとになって気づいたんだ。
「……ふぅー」
 百花は話題が終わったと判断したのかまた読書の世界にもどっていった。いや、何で外に出ないかを話してくれないのかよ。ここは過去編に回想が始まるとこでしょ、と。
「………」
 しばし、私は目で訴えるが完全にシカトしやがる百花だった。くぅっ、こいつめ。
「……んぅ」
 仕方がないから、私が勝手にあれこれ考えてしまう。どうして、百花は外に出ないのか。いや、出られない? なのかな。やっぱり。
 何かの制約があるのか。神様だから、人間の私には計り知れないものがあって。
 この頃……おぼろげな記憶だな。確か、私は中学生になっていた。
 気がついたら、百花の背を超えていた。
「ねぇ、百花はさ」
「ん」
「……いや、何でもない」
「ん」
 おい、そこは何でもないって何じゃ、て聞いてくれてもいいでしょ。
 違うか。それは流石に根暗の言い分にも程がある。男性の人が見たらめんどくさい女って言われそう。