頭を上げた私は、そのまま沈黙した。
「難しいか?」
「その……」
私だって自分の作った薬が流行り病に効果があるのなら、喜んで薬を作って多くの人の命を救いたい。だが、やはり確信が持てない。
「君の咳止めの薬は……あれは確実に流行り病に効果があります。現に証人がここにいます」
フィリップの言葉が、私の背中を押した。
村に戻ると、私たちは今後のことについて話し合った。
幸いにも、材料となる薬草は、国中どこでも自生していて、容易に収穫することができた。
しかし、その反面、簡単にいかない事情もあった。それは、薬の作り手がいないということだ。
レシピ通りに作れば誰でも作ることのできる代物ではなく、それ相応の薬づくりの知識や経験を必要とした。だが、その知識や経験を持っている者自体が、この国にはいなかった。
今から知識や経験を身に着けさせることは不可能だ――ならば、私がやるしかない。
国中に薬を配るとなると、作業量が今までの何倍にもなる――作業をするための広い場所や、収穫した薬草を保管しておく場所が必要だ。そして、作業の要となる部分は私がやるとしても、収穫や運搬等の肉体労働においては、どうしても人手がいる。
「この村のみなさんに、手伝っていただくのはどうでしょうか?」
フィリップが、ふと思い出したように考えを述べた。
私が住むこの村は、大変のどかで良い場所である。
しかし、これと言った売りがない。
村人たちの生活は、何とか食べていくのがやっとといった感じで、決して裕福とは言えない。
作物が収穫できない時期には、出稼ぎに出る人も少なくない。
その事情はフィリップもよく知っている。
「この村にとって、悪い話ではないと思います。必要な費用は、全て国が負担します」
確かにそうだ。この村で薬を作ることができれば、村にもお金が入って来るし、村人たちも出稼ぎに行く必要がなくなる。
「村のみなさんが、『やってもいい』と言うのなら……」
話はとんとん拍子に進んだ。
村人たちは私よりもずっと乗り気であった。私の心配は杞憂に終わった、ということだ。
村と村人たちの全面的な協力により、あっという間に薬を作る体制が整った。
今までは、私とメアリの二人だけで細々と作業していたから、大量に作ることはできなかったが、多くの人手が加わることによって、作業量を増やすことが可能となった。
だが、それと比例して、私の負担も大きくなった。分担できる部分と、できない部分があるのだ。
――薬学の知識がある人が他にもいればいいのに……。
村人たちの全面的な協力により、国中に流行り病の薬を届けることができた。
これでこの国は、流行り病の脅威から逃れられたと言ってもいい。
ある日、私は村の老人にこう言われた。
「マリアさん、あんたはまるで隣の国の聖女様みたいだね。あんたがこの村に来てくれたおかげで、誰も流行り病で死なずに済んだ。それどころか、仕事までもってきてくれた。そう言えば、あんたは隣の国の出身だったね……聖女様はきっと、あんたみたいなお方なんだろうね。いや、私らにとっては、あんたこそが聖女だよ」
老人はそう語りながら、目を潤ませている。
「聖女だなんて……今もこれからも私は<森の魔女>よ、いえ、薬学の知識が多少あるただの人間だわ」
もう私は、聖女とは関係ない世界で生きていくのだから――。
「あの薬のおかげで、流行り病で命を落とす人はいなくなりました。本当に何とお礼を言っていいか……」
フィリップが、報告を兼ねて私を訪ねてきた。
偶然の出来事ではあったが、私の作った薬が、多くの人の命を救うことができたことを、私は素直に嬉しいと思った。
「一仕事終えたばかりなのに、このようなことをお願いするのは大変気が引けるのですが……またあの薬を作っていただきたいのです」
「予備の分でしょうか……?」
「いえ、隣国に渡す分です」
もう二度と関わることのないと思っていた祖国と、このような形で再び関わることになるとは思ってもみなかった。
「隣国でも流行り病が猛威を振るっているそうで、毎日多くの人が亡くなっているそうです」
「そうですか……」
私の心は痛んだ。たとえどの国に住んでいようが、病に苦しんでいる人を救うことに変わりはない。だが、やはりわだかまりがないと言ったら噓になる。
「あなた方は隣国のご出身と伺っていますが……」
「はい……」
「隣国にはご家族やご友人がいらっしゃるのでは?」
フィリップは、私が乗り気でないことを不思議に思っているようだ。
「もしあなたの大切な方が隣国にいらっしゃるなら、彼らに優先的に薬を手配するよう交渉してみましょう。それとも他に希望があればおっしゃって下さい。国王陛下は、国民の命を救ってくれたあなたにお礼がしたいそうです」
私にある考えが浮かんだ。この国の国王の力があれば可能かもしれない。
それは、とても卑怯な手だ。だが、この機会を逃してしまったら、もう次はないだろう。
「わかりました。薬を作ります。ただし、条件があります」
私は心を決めた。
「ある人を助けて欲しいのです。それが薬を作る条件です」
私が出した条件は、父を助けてもらうことだった。
聖女として、国と国民のために生きるはずだった私が、今や、自分の父親の命と国民の生命を引き換えにしようとしている。
こんなことを考え、実行してしまう私は、最初から聖女にふさわしい人間ではなかったのかも知れない。たとえ、追放などされなくても。
フィリップに説明をする際、私は自分の本当の身元と、父との関係は伏せた。だから、フィリップにしてみれば、私の話はさぞかし説得力に欠けているように聞こえたことだろう。
「……それで、その無実の罪で囚われている男性を助けて欲しい、と」
「はい、そうです……」
――どう考えても無理よね……。
私はあきらめ始めた。
フィリップは少しの間、考え込むように黙った。
「わかりました。交渉してみましょう」
「! 本当ですか……」
信じられなかった。自分の身元も明かさずに、こんな話を持ち掛けたら、余計に怪しまれてもおかしくない。
「その男性は、あなたにとってとても大事な人なのですね」
「ええ、とても」
「そうか。それは妬けてしまうな……」
手こずると思っていた交渉だったが、流行り病に対する恐怖に比べれば、私の出した条件など大したものではなかったらしい。
聖女である母は、あっさりと父を自由の身にすることを認めたそうだ。
久しぶりに再会した父は、意外と元気そうだった。
立場が立場であるせいか、それほどひどい扱いを受けていなかったそうである。
ただ、多少の心労はあったようで、頭に白いものが増えていた。その心労というのも、私のことだったようだが。
形式上の結婚であったから、父も母同様に私に対する愛情が薄いのではないかと思っていたが、父に関してはそうではなかった。
父は、村の生活に順応し、逞しく生きている私を見て驚いていた。
だが、私と父は、お互いの無事を喜んだ。そして、今までの空白の時間を埋め合わせるように父と色々な話をした。
これからは、やっと普通の父娘になれる。
「お父様から全てお聞きしました。やはりあなたは隣国の聖女だった」
「……<次期聖女>でした。もう私は<聖女>とは関係ありません。私はこれからもただの一市民として普通に暮らしていくつもりですから」
父の救出を頼んだときから、私の素性がフィリップにわかってしまうことは覚悟していた。
だが、フィリップは私の素性を以前から気付いていたような口ぶりだ。
「あなたは平凡な人生を望んでおられるようだが……そうは行かないらしい」
「え?」
安住の地を見つけ、父も救い出せた。これからやっと本当の意味での私の人生が始まるところだったのに、まだ、何かあるのか……?
「実は隣国の聖女――あなたのお母様が、あなたを引き渡せと言ってきました」
「どうして? 今頃になって……」
母は一体、何を企んでいるのか? もう私のことは放っておいて欲しいのに……。
「流行り病が、世界中に広まっているのはあなたもご存じでしょう?」
「はい。それが何か関係あるのでしょうか?」
「あなたのお母様は、あなたに流行り病の薬を作らせ、それで一儲けしようと考えられておられるようなのです。お母様がおっしゃるには、あなたの薬学に関する知識や技術は、あなたが聖女として教育を受けてきたからこそ、身につけられたものだと――」
「だから母は私を返せと言っているのですね」
フィリップは無言で頷いた。
何と身勝手なことか……。私は空を仰いだ。
「……というのは表向きの理由です。あなたのお父様からお聞きしたところによると――」
「まだあるのですか……」
もう聞きたくはなかったが、聞かないわけにはいかないようだ。
「ええ。あなたが国を去られてから、国民からの聖女に対する信頼が急激になくなっているのです。大変失礼な言い方ですが、あなたのお母様のお振る舞いがよろしくない。そこに来て流行り病の大流行ですから、国民の怒りの矛先が、聖女に向けられていて、いつ暴動が起きてもおかしくない状況のようです」
国民は気の毒に思う、そして、助けてあげたいと思う。しかし、このまま母の尻ぬぐい役にさせられて良いのか……私は頭を抱えた。
「お母様の言いなりになりたくないのですね」
フィリップは、私の心中を言い当てた。
「それでしたら、一つだけ方法があります」
「こんにちは。久しぶりね」
「えっ……? ああっ、あんたは!」
聖女の宮殿に向かう途中、私は、農場で働いていた時に訪れていた町に立ち寄った。そして、そこで探していた人物を見つけ出し、声をかけた。
「お元気そうで良かったわ、ロザリー」
「どうしたの? そんな恰好をして。最初、誰だかわからなかった!」
ロザリーは私の服装をまじまじと見つけた。
「その格好、何だか聖女様みたい……って、え? あれ? その紋章……まさか本当に……」
「ええ……、正確に言うと、ちょっと違うのだけれども……」
何だか照れくささを感じ、私は小さな声で返事をした。
ロザリーは驚きで口をあんぐりと開けていたいが、すぐに真顔に戻った。
「……で、聖女様が一体、何の用?」
ロザリーの声色は冷たかった。それもそのはず、ロザリーは聖女に良い感情を抱いていない。だからこそロザリーに確かめたかったのだ。
「流行り病はどう……?」
「どうもこうもないよ! 農場の仲間ももう何人も……今も苦しんでいる仲間もいる……」
涙で声を詰まらせながら、ロザリーは言った。
「薬は? 薬を飲んでいないの?」
「薬? そんなもの高くて買えやしない!」
私は、国民全員に行き渡る量の薬を作り、それを全部フィリップに持って行ってもらった。
馬車の中で控えているフィリップに確認してみたが、全て母に渡したとのことだった。
私はてっきり、国民全員に無償で渡しているものとばかり思っていたし、そうしてくれることを願っていた。
しかし、母には私の思いは通じなかったようだ。むしろ、母は完全に聖女としての有り様を失くしている。
「これを飲ませてあげて」
「薬?」
「そう。流行り病の薬よ」
最悪の事態に備え、予備の薬を持ってきて良かった。
だが、その最悪の事態に直面してしまった私は、母に対して完全に失望したのであった。
「この薬を持っていって下さい。そして、もし、流行り病で苦しんでいる人がいたら、飲ませてあげてください!」
私は、ロザリーだけではなく、周囲にいた人々にも声をかけた。
しかし、誰も私に声をかけてこない。それどころか、遠巻きに私を眺めている。
聖女の関係者である私を見る人々の視線は、冷たい。
物を投げつけられたり、罵声を浴びせられたりはしなかったが、誰も私に近づいて来る気配はなかった。だが、私はいつの間にか人々に取り囲まれていた。
しばらくはお互い無言の状態が続いた。
すると、私の足元に一枚の紙切れが投げ込まれた。まるで私に<見ろ>と言っているようだ。
「……」
私はしゃがみ込んで紙切れを拾い、目を通した。
それは風刺画だった。
国民に重荷を背負わせ、贅沢をしている母と、追い出された父と私が描かれている。
私は、聖女と国民の関係が絶望的であると思い知らされた。
なかなか人々との距離を縮められない私の様子を見兼ねたフィリップが、馬車から降りて来た。
フィリップは、自分の身分を明かし、怪しい薬ではないこと、自分もこの薬を飲んで命が助かったと説明した。最後に、みんなの前で薬を一粒飲んでみせた。
すると、遠巻きに見ていた人たちが一斉に、薬を求めて押し寄せ、薬はあっという間になくなった。