「〈森の魔女〉は私のことです……」
自分で自分のことを〈森の魔女〉と言うのは、正直言って恥ずかしい。
それにしても見慣れない顔だ。この村の住人ではない。
私は本人に気づかれないように、この男性のことを観察した。
「あら、お役人様。今日は何のご用ですか?」
村人に薬を届けに行っていたメアリが帰って来た。
「ああ、メアリさん。今日は魔女様にお伺いしたいことがありまして……今、どちらにいらっしゃるのかな?」
「それでしたら、目の前にいらっしゃいますけど」
「ええっ! このお嬢さんが魔女? 随分とお若く見えますが……?」
まじまじと顔を見られた。どうやら私が本当に魔法を使って、見た目を若く見せていると疑っているみたいだ。
「あの、魔女と呼ばれていますが、私は普通の人間です。多少の薬学の知識があるだけで……」
「そうでしたか。申し遅れました、ここら一帯の町や村を担当している下級役人のフィリップと申します。本日は、あなたが作られた薬について伺いたいことがあり、参上いたしました」
「おっしゃりたいことはわかりました。でも、今のところ私の薬が流行り病に効くという確証はありません」
フィリップが言うには、流行り病の死者が出ていないのは、私たちの村だけらしい。しかも、咳が出始めても、私の薬で治ったという話を、複数の村人から聞いたとのことだ。
私も、私が作った薬が、流行り病の特効薬になればどんなに良いかと思っている。しかし、人の生命を左右することに関して、いい加減な発言はできない。
「わかりました。でも、あなたの薬は、可能性の一つとして心にとめておきます……ケホッ……、失礼、むせてしまいました。それではまた」
「フィリップさんて、本当に下級役人なのかしら……?」
私はふと疑問を口にした。
「……何か気になることでもありましたか?」
「ええ、ちょっと……」
この国の下級役人ということは、庶民出のはずだ。
しかし、フィリップには庶民とは思えない気品があった。フィリップ本人は、庶民に見せようとしていたが、私にはそうは見えなかった。
私は、次期聖女という立場上、国内外の多くの王族や貴族といった上流階級の人たちを、たくさん見てきた。
どうもフィリップには、彼らに通ずる雰囲気があったのだ。
フィリップの訪問があった夜。
私とメアリが、今日の作業を終え、眠気を感じるようになり、就寝の準備に取り掛かろうとしたまさに時だった。
ドンドンと激しく扉が叩かれた。
「こんな時間に誰かしら?」
私が扉を開けると、そこには見知った顔の村人がいた。
「咳止めの薬はあるかい?」
彼は全速力で走って来たのか、息を切らしながら私に尋ねた。
「ええ、あるわ。ちょうどさっきまで作っていたところだったから」
「ああ、良かった。これでお役人様も助かる」
「病気になったのは、フィリップさんなの!?」
一気に眠気が消し飛んだ。
結局、フィリップは回復したのだろうか?
あれ以来、姿を見かけていない。
だが、フィリップの身に何かあったのなら、それこそ私の耳に入ってくるはずだ。
ただ単に、他所での仕事が忙しくて、来れないだけなのかも知れない。
そうだ、そうに決まっている。
相変わらずフィリップの消息は掴めなかった。そんな時だった。
私の元に、国王陛下の使者を名乗る者が訪れた。
用件を聞くと、国王陛下が直々に私に会いたがっているとのことだった。
どうして私に会いたいのかを聞いても、使者は、ただ、『国王陛下が会いたがっている』としか答えてくれなかった。
国王陛下が私に会いたがっている理由がわからなかった。
理由があるとしたら、一つだけ――私が隣国を追放された元次期聖女だったということだけだ。
結局、私は国王陛下に謁見することにした。
詳細がわからない以上、無事に戻って来られるかどうかはわからない。
そこで、私は、出発する前日まで可能な限り、咳止めの薬を作った。
もしもの時のため、薬のレシピもメアリに渡しておいた。私以外の人間が、このレシピの通りに再現するのは大変困難であるとわかっている。
それでもいつか誰かが、再現してくれることを願った。
――そして、出発の朝がやってきた。
今の私の人生において、国王陛下にお目にかかるような事態は、全く想定していなかったことだ。
だから私は、国王陛下の前に出られるような準備は何一つできていなかった。
そこで、使者にそのことを伝えると、『こちらで準備するので、手ぶらで来てくれればよい』とだけ言われた。
――謁見当日。
私は謁見用の衣服一式を受け取った。
(これは……!)
渡された衣服は、聖女が纏う衣装を想起させた。
とは言っても、聖女の衣装は、舞踏会で着るようなドレスとは違い、レースやリボンなどの装飾品は一切なく、その形状もごくごく平凡なものである。
だから、よくある服だと言うこともできる。ただの偶然だろう。
それでもこの服を着て、姿見の前に立つと、次期聖女だった頃の私がそこにいるような感覚に陥った。
――懐かしい。
謁見の間に入って一番最初に抱いた感想だった。
つい最近まで、私は、謁見される側としてこういった場に出入りしていた。とは言うものの、私は母の横で立っているだけであったが。
それでも、他国の要人から市民まで多くの人を見てきた。
(あの方が国王陛下ね)
奥の立派な玉座に一人の男性が座っている。
私はゆっくりと玉座に向かって歩みを進め、頭を下げた。
声をかけられ、頭を上げると、国王陛下と目が合った。
(! 私の記憶違いでなければ、以前お会いしたことがある……)
国王陛下はまず最初に、遠方からやってきた私に、ねぎらいの言葉をかけ、続いて、『息子の命を流行り病から救ってくれたことに感謝する』とおっしゃられた。
(息子……?)
私には覚えがなかった。王の息子――つまりは王子と出会う機会があったのなら、必ず記憶に残っているはずだ。
誰かを通じて私の薬を受け取ったのだろうか?
王子が直接自分の口から礼を言いたいとのことで、急遽、王子とも謁見することとなった。
「あ……!」
私は必死に声を抑えようとしたが、全部は抑えきれなかった。それほど私は驚かされた。
謁見の間に現れたのは、下級役人のフィリップだったのだ。
〈第一王子のフィリップ〉と国王陛下に紹介されると、フィリップは私に向かって微笑んだ。
他人の空似だろうか? それにしては似すぎている上に、名前までもが一緒だ。こんな偶然はあり得ない。
「ご無沙汰しております、魔女様。いや、マリアさん。第一王子のフィリップです」
私の疑問に答えるかのように、フィリップは――フィリップ王子は挨拶をした。
この国の王位継承者は、例外なく、身許を隠して下級役人として働くのが決まりだそうだ。
自分の力で稼ぎ、国民がどのような生活を日々送っているのかを、身をもって知るのが目的とのことだ。
国王陛下から説明を受けたものの、まだ信じられない気持ちだ。だが、私が、フィリップに対して感じていた庶民らしからぬ雰囲気は、当たっていたということだ。
「あ、このことは誰にも言わないでくださいね。呼び方も今まで通り〈フィリップさん〉でお願いします」
「はい……」
フィリップの本当の正体を知ってしまった今、今後も以前と同じように振舞えるのか、私には少々自信がなかった。
「貴女をここへお呼びしたのは、息子の命を救ってくれたことへの礼と――」
国王陛下は言葉を一旦切った。
「直々にお願いしたいことがある」
国王陛下の口調から、深刻で重大な内容だと察することができた。
「私でお役に立つことがございましたら、なんなりとお申しつけください」
「フィリップの命を救ったあの薬を、国中の流行り病に苦しむ人々の元へ届けて欲しい」
頭を上げた私は、そのまま沈黙した。
「難しいか?」
「その……」
私だって自分の作った薬が流行り病に効果があるのなら、喜んで薬を作って多くの人の命を救いたい。だが、やはり確信が持てない。
「君の咳止めの薬は……あれは確実に流行り病に効果があります。現に証人がここにいます」
フィリップの言葉が、私の背中を押した。
村に戻ると、私たちは今後のことについて話し合った。
幸いにも、材料となる薬草は、国中どこでも自生していて、容易に収穫することができた。
しかし、その反面、簡単にいかない事情もあった。それは、薬の作り手がいないということだ。
レシピ通りに作れば誰でも作ることのできる代物ではなく、それ相応の薬づくりの知識や経験を必要とした。だが、その知識や経験を持っている者自体が、この国にはいなかった。
今から知識や経験を身に着けさせることは不可能だ――ならば、私がやるしかない。
国中に薬を配るとなると、作業量が今までの何倍にもなる――作業をするための広い場所や、収穫した薬草を保管しておく場所が必要だ。そして、作業の要となる部分は私がやるとしても、収穫や運搬等の肉体労働においては、どうしても人手がいる。
「この村のみなさんに、手伝っていただくのはどうでしょうか?」
フィリップが、ふと思い出したように考えを述べた。
私が住むこの村は、大変のどかで良い場所である。
しかし、これと言った売りがない。
村人たちの生活は、何とか食べていくのがやっとといった感じで、決して裕福とは言えない。
作物が収穫できない時期には、出稼ぎに出る人も少なくない。
その事情はフィリップもよく知っている。
「この村にとって、悪い話ではないと思います。必要な費用は、全て国が負担します」
確かにそうだ。この村で薬を作ることができれば、村にもお金が入って来るし、村人たちも出稼ぎに行く必要がなくなる。
「村のみなさんが、『やってもいい』と言うのなら……」
話はとんとん拍子に進んだ。
村人たちは私よりもずっと乗り気であった。私の心配は杞憂に終わった、ということだ。
村と村人たちの全面的な協力により、あっという間に薬を作る体制が整った。
今までは、私とメアリの二人だけで細々と作業していたから、大量に作ることはできなかったが、多くの人手が加わることによって、作業量を増やすことが可能となった。
だが、それと比例して、私の負担も大きくなった。分担できる部分と、できない部分があるのだ。
――薬学の知識がある人が他にもいればいいのに……。
村人たちの全面的な協力により、国中に流行り病の薬を届けることができた。
これでこの国は、流行り病の脅威から逃れられたと言ってもいい。
ある日、私は村の老人にこう言われた。
「マリアさん、あんたはまるで隣の国の聖女様みたいだね。あんたがこの村に来てくれたおかげで、誰も流行り病で死なずに済んだ。それどころか、仕事までもってきてくれた。そう言えば、あんたは隣の国の出身だったね……聖女様はきっと、あんたみたいなお方なんだろうね。いや、私らにとっては、あんたこそが聖女だよ」
老人はそう語りながら、目を潤ませている。
「聖女だなんて……今もこれからも私は<森の魔女>よ、いえ、薬学の知識が多少あるただの人間だわ」
もう私は、聖女とは関係ない世界で生きていくのだから――。
「あの薬のおかげで、流行り病で命を落とす人はいなくなりました。本当に何とお礼を言っていいか……」
フィリップが、報告を兼ねて私を訪ねてきた。
偶然の出来事ではあったが、私の作った薬が、多くの人の命を救うことができたことを、私は素直に嬉しいと思った。
「一仕事終えたばかりなのに、このようなことをお願いするのは大変気が引けるのですが……またあの薬を作っていただきたいのです」
「予備の分でしょうか……?」
「いえ、隣国に渡す分です」
もう二度と関わることのないと思っていた祖国と、このような形で再び関わることになるとは思ってもみなかった。