「……私は側仕えではなかったから、直接お話したことはないの」
「へー、そうなんだ」
期待していた答えが得られず、ロザリーは不服そうだ。
「聖女様に興味があるの?」
墓穴を掘ることになるかも知れないが、私には聞かずにはいられなかった。
「興味ってほどじゃないんだけど、聖女様って、あたしらの役に立ってくれるような人なのかなって」
「役に立つ?」
聖女に対して〈役に立つ〉とは随分な言い草だ。
「聖女様は私たちのために祈って下さっているわ」
「ぷっ……あははははは!」
私が反論すると、ロザリーは吹き出した。
「ごめん、ごめん。あんたが聖女様を庇いたくなるのもわかるけどさ。聖女様が祈ってくれていても、あたしらの生活は一向に良くなってないじゃないか」
「……」
痛いところを突かれた。私も追放されてから初めて、国民の生活水準があんなにも低いということを知った。
「それでもさ、先代の聖女様はまだご立派な方だったらしいよ。孤児院に寄付したり、国民みんなが教育を受けられるようにって、誰でも通える学校を作ろうとしていたみたいだから」
「知っているわ……」
先代の聖女――私の祖母は、聖女のお手本のような人であり、私の目標でもあった。
残念なことに、祖母は志半ばで亡くなってしまったが。
「それに引き換え……今の聖女様は何なんだろうね? 贅沢三昧で、金持ち連中のとばっかりつるんでいるそうじゃないか。どうせ聖女様が祈ってくれても何の効果もないんだから、そんな聖女いらないよ」
よほど聖女に不満があるのだろう、ロザリーは止まらない。
「そうそう、今の聖女様は、旦那と娘を追い出して、どこの馬の骨ともわからない男を連れ込んで、その男との間に生まれた娘を次の聖女にするって聞いたけど、本当?」
「誰から聞いたの、そんなこと? まさかメアリ……?」
私は、私たちの私的な事情を、ロザリーのような一般人がほぼ正確に知っていることに驚いた。
だが、ロザリーは、むしろ私がそういう話を知らないことを驚いているようだった。
「普通にみんな知っているよ。まあ、ネタ元は宮殿に出入りしている業者とか、里帰りした使用人って聞いているけど」
「そう……」
「あたしだって、聖女様がいる方がいいと思うよ。昔からずっといるし。でもね、今の聖女様はお断り。追い出されちゃった娘こは先代の聖女様みたいだったらしいから、その娘こが聖女になってくれればいいのに」
私は危機感を抱いた。内部の話がここまで漏れているのは、母に反感を持っている人が少なくないということの表れだろう。
このまま母が好き勝手やっていたら、この国から聖女はいなくなる。
母の振る舞いしか見ていないカタリナは、きっと、母のように振る舞ってもよいと考え、聖女になっても自分の欲望のままに振る舞うことであろう。
私がロザリーから聞いた限りでは、どうやら聖女に対する悪評が出てきたのは、母がカタリナを連れて来た頃と一致する。
母は今の状況に気がついているのだろうか?
聖女の権力は絶大だから、周りが、国民が何を言おうとも、上から押さえつければどうにかなると思っているのかも知れない。
私は父の実家のことを考えていた。
父は自分の意思で逃げたが、実質的には私のように追放されたも同然だ。
父の実家にしてみれば、父に非はないのに、家名を貶められのだ。さぞかし腹に据えかねていることだろう。
それなりにこの国を引っ張ってきたという自負のある名門一族が、このまま黙っているとは到底思えない。それがたとえ聖女相手だったとしても、だ。
私が追放されてから数か月が過ぎようとしていた。
生まれてこの方、肉体労働などしたことはなく、やっていけるか不安であったが、驚くべきことに、この短期間ですっかり慣れてしまった。
確かに肉体的には辛い仕事であったが、日々の生活自体は平穏であった。
この先もこの生活が続くのかと思っていた矢先だった。
私はメアリから驚くべき話を聞かされた。
「マリア様、どうか落ち着いてこれをご覧ください」
メアリが、一枚の紙切れ差し出した。その手は震えている。
「そんなに難しい顔をしてどうしたの……?」
不吉な予感がしたが、私は意を決して紙切れに視線を落とした。
「……!」
見出しが目に入った途端、私は床に崩れ落ちた。
「そんな……お父様!」
私はそのままその場から動けなくなった。
私に渡された紙切れは、号外であった。
メアリが、今日たまたま用事で訪れていた町で、配られていたものだという。
紙切れに書かれていたのは、父が逃走先で捕らえられ、幽閉されたという内容だった。しかも幽閉されたのは、父だけではなく、祖父や父の男兄弟も、反逆の疑いありということで、一緒に幽閉されたというのだ。
現在父たちは、裁判を待つ身とのことだが、有罪は確定だろう。
私は、父たちがありもしない罪を着せられていることを確信している。だが、今の私は何の力もない普通の農民だ。助ける術はない。それこそ祈ることしかできないのだ。
父のことで精神的に参ってしまった私は、一時的に寝込んでしまった。もちろん、何が原因で寝込んでしまったかは公にできないので、それはメアリが上手く言い繕ってくれた。
今なお不安な日々が続いているが、少しは気持ちが落ち着いてきたはずだった。私の体調不良は、精神に基づくものであるから、精神が落ち着いてくれば体調も徐々に回復するものだと思っていた。
しかし、どうだろうか。それに反して、体調がどんどん悪くなっているのだ。しかも、今まで経験したことのない体調の悪さだ。
――何か悪い病気かしら……?
私はさらなる不安を抱えることとなった。
「最近、体調がすぐれなくて……診て下さるお医者様はいらっしゃるかしら?」
いつもなら、大抵の体調不良は、自分の作った薬を使って治すのだが、残念ながらここには薬を作るための材料も道具もない。
「まあ、それは心配でしょう……」
私はメアリに、どのような症状が出ているのかを話した。
「それは……」
そう言うなり、メアリは黙りこくってしまった。
「何か心当たりがあるの?」
メアリの様子から、私は自分がとんでもない大病を患っているのではないかと不安になった。
「メアリ、正直に言って。一体、私は何の病気なの?」
私はメアリに詰め寄った。
「その……マリア様の症状は、子を授かった時の症状によく似ています……」
「え?」
耳を疑った。
「あ、でも、マリア様に限ってそのようなことは、決してあり得ないことですものね」
メアリは慌てて打ち消したが、もう遅かった。
「マリア様!」
私はメアリの制止も聞かずに、その場から走り去った。
そう、私には身に覚えがあった。
宮殿を出てからというもの、私には月のものが来ていなかった。
最初は、追放されたことと、慣れない生活で、心身ともに疲れていることが原因だと考えていた。
――あの薬を使うときが本当に来るとは……。
最悪の事態を想定して、準備をしてはいたが、いざその瞬間を迎えてしまうと、体の震えが止まらなかった。
「マリア様! 何をなさっているのです!」
突然部屋に飛び込んできたメアリに、私は手をはたかれた。
「!」
手をはたかれた衝撃で、床に薬がぶちまけられた。
「様子がおかしいと思い、後をつけて来てみれば……どうされたのです?」
私は声を上げて泣き始めた。
「だからお腹の子を始末しようと……」
私が一通り話終わる頃には、メアリも一緒になって涙を流していた。
「わかったでしょう? 私にはその薬が必要なの……」
「いけません!」
メアリは私の懇願をはねのけた。
「マリア様は将来聖女になる身。そのような方が人を殺めるなんてことをしては絶対にいけません!」
「言ったでしょう? 私にはもう聖女になる資格はないの。それに、私は母に追い出されてしまったのよ。それなのに、どうやって聖女になるって言うの……」
私は再び泣き始めた。
「いつという確証はありません。マリア様が必要とされる時が必ず来ます。その時を待つのです。マリア様よりも聖女にふさわしい人間などいないのですから」
「メアリ……」
「隣国へ向かいましょう。そこでその時を待ちましょう」
「魔女さま、おばあちゃんの薬をもらいに来ました」
「いらっしゃい。はい、どうぞ。気を付けて帰ってね」
私は、頼まれていた薬を村の子どもに渡すと、その後姿を見送った。
隣国にやって来た私たちは、とある小さな村にたどり着いた。
この村には、出産のために滞在するつもりであった。あまり人目に付きたくなかった私たちにとって、非常に都合が良かった。
それに、偶然ではあったが、この村には、数々の薬草が自生している森が隣接しており、偶然にも森の中にある無人の作業小屋を借りることができた。
そこで、私たちはそこで生活しながら、薬草から作った薬を売って生計を立てることにした。
村には医者がいなかったため、私の作る薬は重宝された。
高い効き目から、<魔法のように効く薬>と言われ、その薬を作っている私は、<森の魔女>と呼ばれた。<聖女>として育てられた私が、<魔女>と呼ばれるのは何とも皮肉な話だ。
だが、自分の知識や技術で誰かを救えることができるのであれば、聖女だろうが魔女だろうが関係ない。
むしろ、私は、人々の役に立っていると実感できる<魔女>としての現在の生活に満足していた。
――この生活が一生続いてもいい。
私個人としてはそう考えいてた。今はメアリが一緒にいてくれるが、メアリにもメアリ自身の人生がある。
いつまでもメアリを私の側に縛り付けておくわけにはいかない。
思えば、私が聖女の家系に生まれてしまったばかりに、いや、人を幸せにするはずの聖女というものが、私の、父の、メアリの人生を狂わせた。
考えようによっては、母もそうだ。聖女の権力の強大さに溺れた。カタリナも、母が変な気を起こさなければ、地方で平凡だけど幸せな一生を終えていたかもしれない。
ついこの間まで、私は聖女になることに何の疑問を持っていなかったが、今は聖女の存在に疑問を持っている。
幸いなことに、私一人だけであったら、どうにか暮らしてゆけそうな目途がつきつつある
それに、この土地には、死産だった私の子どもの亡骸も眠っている。
メアリが帰ってきたら、さっそく相談してみよう
「ただいま戻りました」
町へ買い出しに出かけていたメアリが帰って来た。
「おかえりなさい。町はどんな様子だった?」
「それが……大変なことになっていました」
「大変なこと……?」
「ええ、病が流行っているそうです」
「病? それは心配ね。 それで、一体、どんな病なの?」
「何でも……咳が止まらなくなるそうです」
「咳が……?」
私はしばしの間考え込んだ。心当たりがあったのだ。
「そう言えば最近、咳の薬を貰いに来る人が増えているわ。何か関係があるのかしら?」
「どうでしょうか……? ただ、その流行り病に罹ると、最終的には息ができなくなって亡くなってしまうとのことでした」
「そう、それなら違うかもしれないわね。私はいつもの咳の薬を出しているだけだし、私の薬を飲んだ人たちはすぐに良くなっているもの。別の病気ね、きっと。でも、これから町に行くときは気を付けてね」
その後、謎の流行り病は全国に広がり、各地で猛威を振るい、多くの死者を出している。
だが、私の住む村では、誰一人として死者が出ていない。それどころか、症状が出る者もいなかった。
皆、流行り病のことは知っていたが、田舎の村で、外からあまり人が入って来ないおかげで、流行り病に罹らずに済んでいると考えていた。
かくいう私も、この村の環境こそが、流行り病の侵入を大きく妨げていると推測していた。
「お嬢さん。森の魔女は今、どちらに?」
ある日、<森の魔女>に会いたいと、一人の若い男性が、私たちの小屋を訪れた。