大学受験の話題があがるようになった頃、由梨の進路希望を聞いて驚いた。就職するなどと言うからだ。
「うち、お金ないし」
 お金がないなんて大学に行かない理由にならない。方法はいくらだってあるのだ。
「そりゃあ、行けるなら行きたいなって思うけど」

 わがままを言わない由梨の本当の希望を聞いたとき、美紀は俄然やる気が沸いた。必ず由梨を進学させるのだ。一緒に奨学金について調べ教師にも相談した。
「ありがとうねえ、美紀ちゃん」
 奨学金の目処がついて、由梨は涙ぐんで美紀に抱き着いてきた。可愛いヤツ。大好きだ。

 当の美紀は「これからは福祉だ」という父親の命令で福祉学部に進学した。
 美紀の父はいわゆる九州男児で亭主関白だ。家長の父が絶対。夕食も父が帰宅するまではどんなに時間が遅くなろうと箸を持つことは許されない。子どもの頃からそれが当たり前なので美紀たち姉弟はそれ自体を辛いと思ったことはない。

 一度その夕食の席に、父が職場の女性を伴って帰ってきたことがあった。
「お世話になってる人だから挨拶しなさい」
 よくわからなかったが、美紀と弟もその人に挨拶し一緒に夕食を食べた。かっちりしたスーツ姿のキャリアウーマンという感じの人だった。よくわからなかったが、家庭的な母とは真逆の人種だというのは間違いなかった。

 その人が、父のいわゆる愛人だと知ったのは大分後になってからのことだ。美紀はショックだったが、もっと衝撃だったのは、母が当然の事としてそれを受け入れていたことだ。そこまで父に服従なのかと絶望に近い感慨を抱いたのを覚えている。

 こんな家は出ていきたい。そう考え始めた頃、就職活動の合間に一緒にご飯を食べに行った由梨も言っていた。
「とにかく自立したいんだ。そしたらお母さんも好きにできるだろうから」
 そう話す由梨の澄んだ目を見て、美紀は恥ずかしくなった。そんなふうに家族のことをきちんと考えたことはなかった。
 自分の場合、家を出たいというのは逃げでしかない。中学生というまだナイーブな年頃の弟が、父からのプレッシャーを一手に受けることになるのでは。

 よくよく観察してみれば、母だって精神的に消耗しているのは明らかだった。父は愛人なんて持っているくせに妻を愛していないわけではない。むしろ束縛するきらいがある。そんな父の顔色を窺う生活を長年続けてきて、母もノイローゼ気味になっていたのだ。

「たまにはふたりで出かけようよ」
 そうやってちょくちょく連れ出すようにすると、目に見えて母の表情は明るくなった。
「娘がいて良かった」
 やわらかく微笑んだ母に言われたとき、この家に生まれて良かったと思った。