39
折角覚悟を決めてくれたのに、最初から全てをへし折ってしまったかと思ったが、どうやらそれは杞憂だったようだ。僕はメモ帳から一枚を千切り取ると、時系列に事件のあらましを書いていく。
「まずは事件のあらましだけれど、こんな感じだ。内容としては、知っての通り土鳩を殺害する以外には特に目立った目的はなさそうに見える。一見愉快犯にも思えるが……、愉快犯と言うには少し不自然な点が多いんだ」
「不自然な点?」
「そう」
もし本当に単なる愉快犯なのであれば、これだけで済むはずがない。愉快犯は自分のやっていることは芸術として扱っている節がある。よくある者としては、一匹だけでは足りないとどんどん数が増えていったり、その凄惨さが過激になっていくのが普通だ。——だが。
「増えていくのは一匹ずつ。しかも、回数が増えることも無い。愉快犯にしては遊ぼうとする気持ちが見えないんだ」
「なるほど……でも、ただのストレス発散の可能性もあるんじゃないでしょうか?」
「いや、それも可能性としては薄いと思う」
「どうしてです?」
首を傾げる天使に、僕はにやりと笑みを浮かべる。
「誰にも見つからない、咎められないストレス発散。そんなものがあるなら、君はどうする?」
「……あっ」
ハッとした様な顔をする天使に、僕は内心愉快で堪らなかった。自分の知識が彼女を驚かせていると思うと、気持ちが上がるのも当然だろう。
──そう。もしそんな都合のいいストレス発散方法があるなら、人間は行動を大きくする。許されているのだと、まだ大丈夫なのだと、思い込んで。
「でも……そうすると、ターゲットとしてはどんな人になるんですか?」
「僕が考えるに、恐らく犯人は……何かの目的のためにやってるんじゃないかな」
「目的?」
首を傾げる彼女に、僕は頷く。
「だから、必要な時に、必要な分だけ殺す。土鳩である理由は……もしかしたら無いのかもしれない」
「土鳩を、何かに利用していると、言うんですか……?」
「そう」
「そんな、酷い……っ」
僕の言葉を聞いた天使の瞳に、涙が浮かぶ。握りしめられた手は、力を入れすぎて常時よりも白くなってしまっている。その様子に心臓が握りつぶされる様な罪悪感を覚えるが、現状、犯人の心境としてはそれが一番近いのだ。
(……それならば、この現状にも説明がつく)
回数が少ないから、余計捕まえられないのだろう。単純に、残される証拠と言えるものが少ないのだ。
40
「もし、僕の言うように誰かが何かの目的のためにやっているなら、僕はその目的ごと見つけたいと思っている。そして、阻止するんだ」
「……私も、その方がいいと思います」
こくりと頷く彼女は、溢れそうになっていた涙を静かに拭い、僕の意見に賛同した。自信を纏った瞳は、真っ直ぐ僕を見つめて乞うように細められた。まるで、お願いしますと言わんばかりの表情に、僕は使命感のようなものが心の中心に突き刺さる感覚に陥った。――泣かせてしまいかけた時はどうしようかと思ったが、どうやらその心配は無用だったらしい。
それから、僕たちは他愛もない話をしつつ、土鳩の話をしては食事の時間を楽しんだ。永遠にも感じた時間は、残しては失礼だとパンケーキを必死に頬張った彼女が食べ終わるのと同時に幕を閉じた。カフェを出れば、時間はもうおやつ時を過ぎていた。
「今日はありがとうございました」
「いやいや、こちらこそ。久しぶりに君のような若い子と話が出来てよかったよ。刺激になった」
「そう言ってもらえると嬉しいです」
ふわりと微笑む彼女。相変わらずの整った顔は日に当たりキラキラと輝いている。天使は続ける。
「すみません、急に引き留めてしまって。ご予定など、大丈夫でしたか?」
「予定……?」
天使の言葉に首を傾げた僕は、数秒考え、自分が何をしに外に出たのかを思い出した。一気に顔が青褪めていくのを感じる。ポケットに手を入れれば、かさりと丸くなった紙が無造作に入れられている。
(……まずい)
非常にまずい。僕は冷や汗を拭うことなく、頬を引き攣らせた。大人の余裕なんて、もうどこに行ったのかわからない。すっかり忘れてしまっていた。
「す、すまない! 僕はもう帰るけど、その、送って行けないが大丈夫かい?」
「は、はい! 大丈夫です!」
「本当にすまない!」
僕はそう言い放つとその場を走り出した。
急いで買い物をし、家に帰るが、出迎えたのは不機嫌そうな妻の顔だった。……どうやら遅かったらしい。
僕は仕事関係者に捕まっていたのだと弁明し、遅くなってしまった昼食は僕が作るという条件で許してもらう事にした。不器用な手で作った昼食がテーブルに並んだ時には、もう夕方になっていた。
41
あれから数日後。僕の書いた土鳩の記事が世の中に出始めたのを肌で実感している中、調査を進めようと隣町へと足を運んだ先で、僕は彼と出会った。
「あ、あの時のおっさんじゃねーか」
「君は」
プレイボーイくんじゃないか、と言いかけて僕は止まる。このあだ名は僕しか知らない名前なのだ。彼に言ったところで通じないし、何か言いがかりをつけられても困る。だってこれは僕の健忘症の予防方法なのだから。そんな現実逃避をしつつ、僕は彼を見つめる。彼の腕にはこの前いた女性とは別の女性がくっついていた。——嗚呼、出来ればそのまま通り過ぎてくれればよかったのに。
こちらを見下げるような顔で見上げてくる女性は、やはりというかキャバクラに勤めていそうな風体をしている。水色のワンピース――否、ドレスのようなもの――を着て、染めた髪を綺麗に巻いている。しかし、先日の妖女とは違い、今回はかなり若い女性のようだった。
「……デート中だったかい? すまないね、邪魔したようだ」
「はあ? 冗談きついぜ、おっさん。こいつはただの仕事仲間だ」
「えー。ちょっとぉ、ひどぉい!」
「ハイハイ。悪かったな」
彼女の腰に手を回して引き寄せ、ちゅっと自然な行動で女性の額にキスを落とすプレイボーイに、僕は顔が引き攣る。手慣れた仕草に、僕は悟った。どうやら勝手につけたあだ名は、あながち間違っていなかったらしい。
「そういえば、この間神社で高校生の女の子に話しかけていたのを見たが……彼女は良いのかい?」
「あ? ああ、なんだおっさん。アレも見てたのか」
青年に体を寄り添わせる女性を抱きかかえつつ、彼は僕を見た。その表情はどこか挑戦的で、どこか嘲笑っているような表情をしている。まるで――こちらをおちょくるかのように。
「なあ、アンタって奥さんいるんだってな」
「な、何を」
「あの後調べたんだよ。あんまりにも突っかかって来るから」
彼の言葉に、僕は嫌な予感が心を過る。……こういう時、彼等のような人間との価値観の違いがまざまざと見せつけられるのだ。
「したら既婚者だっていうじゃねーか! びっくりしたぜ、ほんと」
「……それがどうしたんだい」
「つまりさぁ、——アンタのオアイテをするのは、別に彼女じゃなくてもいいんじゃねーの?」
淡々と話す彼に、僕は眉を顰める。……何が言いたいのか、全くわからない。僕は震える声で、青年に問いかけた。
42
「君は、彼女の事が好きだったんじゃないのか?」
「話逸らすんじゃねーよ。つーか、んな幼稚な事、この俺がやるとでも?」
「だ、だが君はあの時声を荒げて……」
「ああやっていえば、アンタみたいな奴は引き下がると思ったんだよ」
面倒だと言わんばかりの気持ちを惜しげもなく出した彼は、彼女に話しかけていた時とは別人と言わざるを得ない。鋭い視線に僕はやっと自分が重大な勘違いをしていた事を知る。
(この男……もしかして)
「ま、あんな美人とワンチャンを狙うのはわかるけどよ。順番くらい守ってもらわねーと。なあ?」
「やだぁ~!」
女性を愛でるように、彼の手がスタイルの良い身体を撫でる。ケラケラと笑う女性は、彼の本当の性質を知っているのだろう。
(……なんてことだ)
プレイボーイが、まさかこんな人間だっただなんて。あだ名通り、彼は単なる遊び人だったらしい。しかも、かなりどうしようもない分類の。熱を持って込み上げてくる怒りに、僕は彼を強く睨みつけた。
「おっと。んだよ、急に怒りやがって。お古は嫌ってか?」
「……じゃないか」
「あ?」
「アンタ、最低じゃないか!」
僕は我を忘れて吐き捨てた。
(何が心配しているだ! 何が彼女の事を知っているだ!)
「アンタの方がよっぽど彼女の事を知ろうとしていないじゃないか!」
爆発しそうな怒りに僕は喉が切れそうな程、叫んだ。プレイボーイが驚いた眼でこちらを見る。その目を睨み返せば、彼は小さく息を吐いて引き攣る笑みを浮かべた。
「急に何? マジになるとかすっげぇ寒いんだけど」
「ッ……!」
「暴力はんたーい。さっさと放してくんない?」
どこまでも人を小馬鹿にしたような話し方に、苛立ちが募る。しかし、もしこのまま激情に任せて拳でも振るえば、犯罪者になってしまうのはこちらだ。数日前、カフェで見た彼女の事を思い浮かべる。怒ったり、泣いたり、笑ったり……全ての表情がキラキラしていた。
(……あんなに美しい子を、こんな男に汚されてたまるか)
僕はぐっと拳を握り締める。ここで言わなきゃ、俺は何のためにここに立っているのかわからない。僕は震える心を叱咤して、彼に告げた。
「もう二度と、彼女に近づかないでくれ」
「はあ?」
「次、君が彼女に近づいているのを見たら、僕は容赦しない」
僕は彼の答えを聞く前に背を向けて歩き出した。後ろで騒がしく何かを言っているのが聞こえるが、毛ほども興味が沸かなかった。ああいう人間が、僕は大嫌いなのだ。
43
(調査に戻ろう)
あの天使の笑顔を守るためにも。早く事件解決の糸口を掴まなくては。僕は足を早めて土鳩殺害の最初の事件現場へと向かった。
――だが、どうやら今日は厄日らしい。目の前の人間に、僕は思わず天を仰いだ。
「今度はショッピング行こぉ~?」
腕に絡みついてくる女性を見て、僕は頭が痛くなるのを感じた。……どうしてこんなことになったのか。憎らしいほど美しい空を見ても、答えは下りて来なかった。
「……わかりましたよ」
「やったぁ!」と猫なで声で腕に絡みついてくる女性——妖女。

こうなった原因を説明するには、時を少し遡る事になる。
苛立ちもそこそこに、最初の土鳩事件現場を見に隣町にまで来た僕は、人通りから少し離れた路地裏に入った。事件現場は、とあるバーの裏手に続く路地。そこに土鳩の死体は捨てられるように置かれていたらしい。腐敗した臭いを感じたバーのオーナーがゴミ捨て場に見に行ったのが始まりで、落ちていた土鳩のあまりの惨殺さにバーのオーナーが恐怖に駆られ、警察に通報したことで事件は明るみになったのだとか。とはいえ、被害者が動物……しかも鳩であることもあり、『バーのオーナーへの嫌がらせ』としてその時は片付けられた。まあ、その後違う場所でも起きたことから、その意図がないことは証明されたのだが。
(薄暗いな……それに、湿っぽい)
どこかジメジメした路地裏は、昼間であっても人気がまったくない。しかも、昨日も営業していたのであろう。纏められたゴミ袋や、酒瓶の入ったケースがそこかしこに置いてあり、衛生的とも言い難かった。時折、どこぞで酔いつぶれていたらしい人間とすれ違うが、誰も彼もがまともな目をしておらず、話を聞こうとは思えなかった。
(ここか……)
裏路地の、中央辺り。バーの裏手に来た僕は使い捨てカメラで数枚の写真を撮ると、周囲を見回した。特に何の異変もないそこは、ただただ薄暗い場所だった。他に何か手がかりになりそうなものはないかと用心深く見て回るものの、やはりもう半年以上前の出来事だ。事件の痕跡が残っているわけもない。思った以上に少ない収穫に肩を落とし、僕は路地を後にする。
「きゃっ」
「っと。すみません」
その時。路地から大通りに出る角で、一人の女性とぶつかりかけたのだ。幸い、直ぐに止まったから女性が尻もちをつくなどのことは起きなかった。ハッと顔を上げた女性は驚いたように目を見開き――妖艶に笑う。
44
「あらぁ! もしかして神社であった子じゃなぁい?」
「えっ」
「うふふっ、やっぱり!」
(はて。どこかで会っただろうか……?)
僕は盛り上がりを見せる女性に首を傾げた。スタイルの良さを引き立てる真っ赤なハイヒール。ぴっちりとしたタイトスカートは彼女の腰と足の細さを強調している。そして何より、大きく胸元が開いた服は水商売の女性を思わせる。——否、恐らく彼女の職業はその通りなのだろう。染めているのか、少し痛んだ茶髪を揺らしながら上機嫌に話す彼女を見て、僕は記憶の奥底を漁った。
(どこかで会ったような気がするのは確かなんだけど……)
それがどこであるのか、思い出せない。僕は首を傾げ、彼女をまじまじと見つめる。「聞いているの?」と腕に抱き着いてきたのを見て、僕は「あっ」と声を上げた。
(あの時の!)
神主と話をしている最中に、割り込んできたプレイボーイと一緒に居た女性——妖女。男を誘う真っ赤な唇が、まさに同じ形をしている。そう気づいて、僕は気づいた事を後悔した。わかってしまった以上、無視することが出来なくなってしまったのだ。
「……どうも、こんにちは」
「んー、見かけによらずお堅いのねぇ。そんなところも嫌いじゃないけどぉっ」
にこっと笑みを浮かべる妖女。どこまでも夜の世界を思わせる仕草に、僕は一歩退いた。妻と付き合ってからというもの、そういった店には数回しか行ったことがない。しかもそのほとんどが付き合いなのだから、慣れていないのも仕方がないだろう。
(……どうやって抜け出そうか)
豊満な胸を押し付けられ、猫なで声で話しかけられるこの状況に、僕はため息を吐く。……そもそも、一回しか会っていないのに、何故覚えられているのか。商売人の覚えの良さをこれ程恨んだことはない。
「ねぇねぇー、この後ひまぁ? あたしぃ、お客さんにバックレられちゃって暇なのぉ~」
くねくねと全身を揺らし、誘うような視線を僕に向ける。細すぎる四肢は掴めば折れてしまいそうだ。
「すまない、仕事中なもので」
「えー。いいじゃぁん、少しくらい」
「ねっ?」と顔を傾ける妖女。自身を知り尽くしている行動は、確かにそそられるものがあるが、僕としては好印象には映らなかった。彼女を払うように軽く腕を振り、歩き始める。後ろから聞こえるヒール音が、どこか掻き立てるような気持ちにさせられる。
45
「ちょっとぉ!」
「すまないが、仕事中だから」
しつこさに思わず口調がブレる。それすらも彼女にとっては関係がないのだろう。危なげなくヒールで着いてくる妖女は、僕の隣に並び立つと再び腕を組んでくる。再び振り払おうとして――目の前に紙が差し出された。
「……これは?」
「ふふふっ。ねぇ、これ、なんだと思う~?」
「……わからないですね」
「教えてあげよっかぁ?」
にやにやと笑みを浮かべる妖女。このシチュエーションを心底楽しんでいるのが分かる。しかし、チラチラと見せられる紙の内容が気になるのも確か。
(イタズラだと考えることもできるけど……)
僕を引き止めるのに、わざわざそんなことをするだろうか。それに……どこか彼女の持っている紙がただの紙きれに見えないのだ。これは小説家の勘とでも言うのだろうか。否、雑誌記者の勘かもしれない。どちらにせよ、そこに書いてあるものが自分に有用なものであることは確実だろう。
(彼女から、っていうのが気に食わないが……そんなことも言ってられないか)
「……何が条件だ?」
「うふふっ。話のわかる男は好きよぉ~」
「それはどうも」
それよりと口を開きかけ、唇に何かが押し当てられる。細く、白い指先だ。真っ赤に染められた爪先が僅かに視界に映る。
「今日一日、あたしに付き合って」
強請るような、甘い声。染められた長い髪がご機嫌に揺れるのを見て――僕は負けを悟った。
「……わかった」
「やったぁ~!」
「ただし、行く場所は公共の場に限らせて貰うよ」
「ちぇーっ」
先手を打つ僕に、唇を尖らせる妖女。彼女にはお気に召さなかった条件だが、当然だろう。
(これ以上、妻に隠し事はできない)
ただでさえ今でも天使の存在を隠していることが重荷であると言うのに、他の女と何かがあっただなんて、それこそ耐えられない。何とか納得したらしい彼女は、今度は僕の手を取って楽しそうに先導し始めた。何度目になるかわからないため息が落ちたのは、仕方がないだろう。財布に入っている今月の小遣いが無くなる予感を胸に、僕は妖女の後を追った。
「あたしぃ、コレ見たぁい!」
「……ラブストーリーか」
「ね、いいでしょぉ~?」
すりすりと腕に体を擦り寄せて来る妖女に、僕は眉を下げた。何度言ってもやめない行動に、もう注意する気力さえ無くなってしまっている。とはいえ、ここに来るのは久々であることも確かだった。
(まさか映画に誘われるとは)

46
兼業を初めてからというもの、中々来る機会がなかったそこは、知らないうちにかなり様相が変わっていたらしい。
一本しかやっていなかった作品数も、今では二、三本に増えており、中で飲食もできるようになっているようだ。僕はチケット売り場に向かい、受付嬢からチケットを二枚購入すると一枚を妖女に差し出した。中に入れば、丁度よく映像が終わったらしい。何人かが出ていくのと入れ替わるように僕達は席に着いた。少しすればまた映像が映し出されることだろう。売り子から二人分の飲み物とアイスを買うと、彼女にそれを手渡した。
――映画はそこそこ面白かった、と思う。以前のように盛り上がるところで歓声が上がるのは変わらなかったが、その内容はなかなかに面白いと思わせてくれるものだった。特に女優の演技が以前よりも格段によくなっている。思わず引き込まれそうになった。時折妖女が手を繋いで来たり、指先で僕にちょっかいをかけたりしてきた事もあったが、反応さえしなければ諦めてくれる。そんなことを繰り返していれば、いつの間にか上映時間は終わりを告げていたのだ。
「もぉ~、全然振り向いてくれないんだからぁ」
「僕には心に決めた伴侶がいるからね。君の誘惑に乗る訳にはいかないんだよ」
「へぇ~?」
意味深に……しかしどこか不機嫌そうな声をした妖女は、僕を疑わしげに見上げた。メイクで大きく上げられたまつ毛が瞳を大きく見せ、僕を見つめる。ドキリと音を立てたのは、心臓か、それとも。
「あの子ならいいんだ?」
「……」
「アイツもご執心だものねぇ~」
つまらなさそうに呟きながら、僕の肩に頭を乗せる妖女。僕は冷や汗が流れるのを遠くで感じた。
(……何故、この女が彼女のことを)
「あんなガキのどこがいいのかしら。やっぱり顔? スタイル? それとも、高校生ってブランドかしら」
「別に、僕はそういう意味合いは」
「嘘つきはかっこ悪いわよぉ?」
にやりと紅の引かれた唇が弧を描く。今までは潜められていた大人の色気がチラつく。しかし、追い詰められた今の僕には意地の悪い妖怪に迫られているようにしか思えなかった。
(どうする。どうする……)
47
妻にこの女が接触することはないとは思うが、人の縁と言うのは不思議なもので、どこでどう繋がっているのかわからない。つまり、この女の存在はかなり危険であるということで。僕は一瞬過った思考を振り払うように頭を振ると、妖女に気づかれないよう大きく息を吸い込んだ。……大丈夫。大丈夫。まだ、全てを気づかれたわけではない。それに、物騒な事をしたところで何かが変わるわけじゃない。それどころか、余計悪化するだけだろう。
(落ち着け……落ち着くんだ、僕)
大きく息を吐き、ゆっくりと妖女を見る。彼女は別の事に意識を向けていたのか、僕の考えを読み取ることはなく言葉を続けた。
「ま、あたしには関係ないし、どうでもいいわぁ。でも、お客さんを取られていい気はしないのよねぇ~」
「客?」
「そ。一緒に居たでしょ?」
「あのすっごいかっこいい人!」と言われ、僕はプレイボーイの事かと思い出す。……そういえば、この前も別の女性と一緒に歩いていたような気がする。見かけによらず……というか、見かけ通りと言えばいいのか。彼は夜の世界でもかなりモテているようだ。妖女自身、それを知らないわけでもないだろう。だが、同業者に傾くのと一般人に――しかも年下の学生に傾倒しているのは我慢ならないのだろう。
「君は、彼女が気に入らないんだね」
「当たり前よ。単に顔がいいだけでちやほやされて……調子乗らないで欲しいわ」
唇を尖らせて、そうごちる彼女は、どこからどう見ても“一人の女性”にしか見えず――。
(そうしていた方が、よっぽど可愛らしいと思うんだがなぁ)
造られた美しさよりも等身大の美しさの方が、自分は好みだと言いかけて、やめる。嫉妬を露わにするほどプライドを持って仕事をしている彼女にとって、それは侮辱になりかねないと思ったからだ。
「だからね。アンタとはいい関係になれそうだと、そう思わない?」
「……というと?」
「うふふっ。お子ちゃまじゃあるまいし、わかるでしょぉ? あたしの、言・い・た・い・こ・とっ」
甘い囁きを口にする彼女に、僕は顔を顰めた。——わからないわけがない。しかし、それを大っぴらに言う度胸は今のところ持ち合わせていなかった。そんな僕の心境を悟ったのか、妖女はあからさまにため息を吐くと「男なんだからシャキッとしなさいよねぇ」と愚痴た。
(そんな事を言われても)
そう思うが、彼女の言う事も一理ある。僕は言葉を詰まらせると、言い返しかけた言葉を飲み込んだ。
「あの子と彼を、引き離すのよ」