【???】
怖い。薄気味悪い。幽霊みたいだ。
セルヴィッジ家に騎士として仕える僕――ヴィンセント・ロージアが今までぶつけられた言葉を上から三つ並べると、こうなるでしょう。
無理もないことです。痩せぎすで並の男より背丈が高く、青白い肌で、陰気な表情でコートを羽織って、身の丈ほども長い剣を背負う女がいれば、騎士とすら見られませんから。
それに、僕の本来の仕事は、表向きの騎士としての護衛ではないのです。
僕の本当の役割。それはセルヴィッジ家の政敵を影で排除する『始末屋』。
貴族に拾われた僕は、人を殺す術を学び、幼い頃から汚れ仕事をいくつも請け負ってきました。何人も、何十人も、現当主であるヴァッシュ様がセルヴィッジ家を支配するまでの間に、二十五歳にもなる頃には三桁を超える人間を殺めました。
僕はもとより使い捨ての道具として育てられたのですが、虚無感だけがいつでも心の中に渦巻いていました。そんな僕に運命の出会いが訪れた日を、永劫忘れないでしょう。
雨の降りしきる屋敷の裏庭で、いつものように古傷が開いた僕は、誰もいないところで傷を手当てしていました。医務室を頼らない、一人での治療は慣れたものです。
「……大丈夫? どこか、痛いの?」
ふと、僕は久しくかけられなかった人の声で、顔を上げました。
目の前にいたのは、小さな男の子。こちらを心配した調子で見つめる丸い瞳が、僕にはひどく眩しく、そして鬱陶しく見えて、邪険に接するのも無理はありませんでした。
「大変だよ、血が出てる! 待ってて、医務室から消毒薬を持ってくるから!」
子供はまるで怯えも、恐れもしませんでした。それどころか、雨に打たれながら医務室へと駆けだし、過剰ともいえる量の包帯と軟膏、その他諸々の医療品を持ってきたのです。
彼の手当は、お世辞にも上手いとは言えませんでした。僕が自分でやった方が遥かに効率が良いと知っているのに、なぜか僕は彼の手を止めようと思いませんでした。
まとまらない思考で、僕は静かに彼が誰であるかを聞きました。
「僕? 僕はイーサン、イーサン・セルヴィッジだよ!」
その時、僕は初めて彼を知ったのです。当主が語ろうとしない、二人の兄からすれば無能のセルヴィッジ家の三男、イーサン・ホライゾン・セルヴィッジを。
手が汚れるのも構わず、体が濡れるのも厭わずに僕に献身してくださったその方は、メイドとの勉強に遅刻すると言って、手を振って走り去っていきました。
僕がイーサン様とお話したのは、それが最後です。
しかし、初めて触れられた手の温かさが、僕に新たな生きる理由を教えてくれました。
イーサン様の為に、セルヴィッジ家を守るのだと。
僕はいつものように人を殺めながら、時折メイドや召使い、街の人々と話すイーサン様を影ながら見つめ、その優しい笑顔を瞳に焼き付けるのを日課とするようにしました。あのお方が成長する姿を、僕は毎日記録として残すようになりました。
いずれは、あのお方の傍に。その一心で、僕は一族に仕え続けました。
だからこそ――イーサン様が谷底に落ちたと聞いた時、僕は気が狂うかと思いました。
この屋敷からいなくなると知っただけでも吐き気を抑えられなかったというのに、まさか行方知れずになるなんて。メイドは何をしていたのか、無事でいるのか、それだけをただ毎日考え続け、ひたすらにイーサン様の無事を祈りました。
そうしてひと月と半が経とうとした頃、僕はケイレム様に呼び出されました。
豪奢に飾られた部屋の奥、赤いソファーにふんぞり返るケイレム様からの任務は初めてで、どのようなものかと身構えていた僕に、彼はこう告げました。
「お前を呼んだのは他でもない。実は、イーサンが見つかったんだよ」
その報告を聞いた僕の瞳は、きっと人生で一番輝いていたに違いありません。
「まず間違いない。ランカスター領地のディメンタ村に保護されているらしい。これは父上もザンダーも知らない、俺だけの伝手で手に入れた極秘の情報だ。それを知っているのは、今のところ俺とお前だけだ」
白い肌に赤みが増し、手が喜びに打ち震えていたに違いありません。
「そこで、だ。お前には――イーサンを殺す手伝いをしてほしいんだよ」
「……は?」
だからこそ、僕は、自分の耳を疑いました。
彼は、あの優しいイーサン様をわざわざ見つけ出して、しかも殺すと言ったのです。
「……どうして、ですか」
「どうして、だって? あいつが生きていると、俺としては困るんだよ。将来セルヴィッジ家を俺が支配するって時に、他の兄弟がいれば必ず障害になる」
ケイレム様の言葉の全てが建前だと、僕には分かっていました。
「何より、俺を侮辱したあのガキがまだ生きてるなんて、それこそ許せないだろう?」
いえ、こんなおぞましい本音を聞かされれば、全てが建前に聞こえるのは当然です。
「一族の誰にも秘密の計画だ。セルヴィッジに仕えるお前なら、従うよな?」
「……もちろんで、ございます」
――駄目だ。駄目だ、駄目だ、駄目だ。
今まで僕が仕えてきたのはセルヴィッジ家ですが、それを正当に後継するのは目の前の傲慢なケイレム様でも、ヴァッシュ様に媚びるザンダー様でもありません。
誰よりも慈悲に満ちたイーサン様こそが、セルヴィッジ家に相応しいのです。
いいや、仮にあの人がここに戻ってこなくても、僕はあの人に仕えるべきなのです。
この血塗られた手を拒まれるなら、影で彼を守り続けるだけでもいい。生涯でただ一人、僕の手を握ってくれた人のぬくもりを、忘れられるはずがありません。
「……僕が、イーサン様を先んじて始末します。ケイレム様はここでお待ちいただく、ということでも構いませんね?」
「いいや、俺も行く。お前が先に奴を捕えてから、俺が自分の手であのクソガキを、村であいつを庇っているカスごと惨たらしく殺してやるのさ!」
この会話で、ケイレム様は自分の目で彼の死を見届けたいのだと分かりました。
話を受けたその日の夜、僕は屋敷を出ました。譲歩の末、ケイレム様に三日後についてくるよう伝えて、一人でディメンタ村へと向かいました。
当然、彼の命令など聞きません。僕の目的はただ一つ、イーサン様の救助です。
別の貴族が治めている領地間を抜けるのは厄介ですが、これまで何度も逃げ果せようとした敵を始末する為に、抜け道を用意しているのです。距離こそあっても、ディメンタ村の周辺までたどり着くのはそう難しくありませんでした。
数日後の明朝には、僕は村の全景が捉えられるほど近くまでやってきました。
雨が降って足元は不安ですが、森の中でも一番長い木の上に登るのは、さほど難儀はしません。近くの魔物は既に殺してありますし、村の偵察を邪魔する者もいません。
「……ディメンタ村……聞いた話よりも、ずっと強固そうですね……」
遠目に見える村は、辺境とは思えないほど堅牢な外壁に囲まれていました。
ですが、あれくらいの警護であれば、容易に突破できる自信はあります。
もしも本当にイーサン様がまだ生きているのだとすれば、僕は彼を説得して(拒まれるのであれば攫ってでも)、ケイレム様の魔の手から逃れさせないといけません。
小さく息を吸い、僕は木から降りようと足を踏み出しました。
「……待っていてください、イーサン様……っ!?」
だけどその時、つるりと足が滑ったのを感じました。
体がふわりと宙に浮き、さっきまで立っていた太枝に体を打ちつける激痛が奔ります。
雨の日の暗殺は久しかったからでしょうか。イーサン様のことばかりを考えていたからでしょうか。僕の脳は、思考は、受け身を取るのを忘れていたのです。
そして、着地しようと体が動くより先に――僕の意識は、失われました。
「――それで、あの森に倒れていたんだね、君は」
その日の昼食は、いつもより少しだけ違う雰囲気だった。
というのも、普段よりも一人だけ、テーブルを囲む人が多いんだ。それはいつでも一緒にいるアリス達でもなければ、今みたいに一緒に食事をするカーティス兄妹でもない。
僕のすぐ隣に座っている――包帯を巻いた、瘦せぎすの女性だ。
「申し訳……ありません……食事まで、いただいて……」
「ううん、気にしないで。僕にわざわざ会いに来て、しかも何か事情があるって言うなら、こうしてもてなすのは当然だよ」
「あのイーサン様が……言葉を交わせるなど、夢にも思っていなかったイーサン様が……僕のような人間を労わってくださるとは……ひ、ひひ……」
豆のスープを飲みながら、女性はどこか慣れていない調子の笑顔を見せてくれた。
実を言うと、彼女が何者なのかを知ったのは、今さっきのことだった。なんせ彼女は、僕とロック、メイが食料を取りに森に向かった時に、木の下で気絶していたんだ。
ロックに知り合いか聞いてみたけど、ディメンタ村の住民ではないし、一度も見た記憶のない顔らしい。どこかの関係者かと考えてみても、真っ黒な衣服には何の紋章もなくて、どこから来たかもさっぱりだ。
それでも、ここに放っておけば魔物に襲われるか、そうじゃなくても命の保証がない。僕はロック達と相談して、彼女を村まで連れ帰って手当てをしたんだけど、女性の顔を見た途端、今度はアリスが僕を彼女から乱暴に引き剥がしたんだ。
「前と変わらない玉のような肌……宝石すら霞む瞳……ああ、願わくば御身に一度……」
その理由は、隣に座る彼女が僕の頬に向かって手を伸ばしてきた時にも明かされた。
「そこまでです」
険しい顔をしたアリスとパトリシアが、僕を庇うようにして女性から引き剥がしたんだ。
僕に触れるのを邪魔されたからか、女性は凄い顔でアリス達を睨んだ。
「貴女はセルヴィッジ家に仕える始末屋、ヴィンセント・ロージア……ご主人様を殺す為に遣わされた者であると、疑われているのだということ、ゆめお忘れなく」
「イーサン君に手出しはさせないよ。メイドだからって甘く見ないでよね」
警戒する二人が言う通り、彼女――ヴィンセントは、セルヴィッジ家に仕える凄腕の始末屋だった。本来、パトリシアを含めた召使は彼女のことを知らされていないらしいんだけど、アリスくらい事情に精通していれば、噂くらいは聞いているらしい。
なんでも、セルヴィッジ家には必ず排除したい政敵を影で処理する始末屋がいて、父や兄の命令一つで誰でも殺してしまうとのことだ。僕がその存在を聞かされてなかったのは、きっとまだ彼女に頼る歳ではないと判断されていたのかもね。
そんな人物を連れてきたんだから、アリスが目の色を変えるのは当然だ。今と同じようにアリスはヴィンセントから僕を離して、彼女を自分が始末するとまで言った。
だけど、アリスから話を聞かされた時、僕は驚くのと同時に彼女の顔を思い出した。
幼い頃に、彼女の怪我を拙く手当したのを覚えてた。確かに幽鬼のような出で立ちであっても、僕にはヴィンセントが悪い人にはどうにも思えない。
あの頃のヴィンセントを知っているからか、アリスが彼女を拘束してしまおうと提案しても、僕は一旦保留した。確かにセルヴィッジ家からやって来た刺客だし、ロックは外見を怖がってたけど、彼女からそんな恐ろしさを感じなかったんだ。
彼女が目を覚ましてからは、少しだけ落ち着かせてから(なぜか僕を見てから興奮した調子で鼻血を噴いて気を失った)食事に誘った。
彼女を寝かせたソファーの上で聞いた『とんでもない問題』を、リラックスできる環境で確認したかったんだけど、早くも事態は悪い方向に向かいつつあった。
さっきは競り合いは起きなかったから今回も大丈夫だというのは、僕の誤算だった。
「……そんなつもりはありませんが……イーサン様との時間を邪魔だてする気なら……」
ヴィンセントの目が細まったかと思うと、彼女はいきなり椅子を蹴り、宙を舞った。
そして、アリス達の眼前の床を思い切り殴りつけたんだ。
「っ!?」
次の瞬間、床の材木が粉々になって吹き飛んだ。それなりに強度のある木材で作ったはずの床には、たった一発の拳打で途轍もない大きさの穴が開いてしまった。
よくよく見ると、彼女の拳には青白い光が揺らめいていた。恐らく、これが彼女の魔法による効果なんだろう。そうじゃないと、ただの人間がこんな怪力を発せるはずがない。
「僕の『強化魔法』で限界まで鍛え上げられた筋力……いかに貴様の体が獣の如く硬くても、床ごと叩き砕く……!」
あまりのことに全員が唖然としていると、ヴィンセントがゆらりと体を起こして言った。
彼女が倒れていた際に持っていた大剣を預かっておいたのは、正解だった。すっかり使い込んでボロボロだったけど、あれをそのままヴィンセントに預けていたら、今頃渾身の一撃で、家が半壊していたかもしれないからね。
というか、既に床は吹き飛んだんだけど。これ、直すのは僕なんだよ。
「やはり、噂は本当でしたか。セルヴィッジ家でも屈指の剛力の持ち主、政敵を始末する為に育てられた騎士、『破壊者』が存在するというのは!」
アリスの瞳が大きくなり、肌を獣毛が埋め尽くす。僕を抱えて、牙を唸らせる。
「大丈夫か、イーサン!? こいつ、かなりやべえぞ、いろんな意味で!」
「外にもうトレントを待ち伏せさせてあるわ。イーサン、ヤバいって思ったらすぐに言いなさい。魔物達に捕えさせて、近くの川に捨ててくるわよ」
ロックとメイも臨戦態勢を取ったけど、僕はさほど焦ってなかった。
「心配ないよ。アリス、ヴィンセント、食事中に喧嘩はやめようね」
こう言えば、ヴィンセントは大人しく言うことを聞いてくれるって分かってたからね。彼女は怖い人かもしれないけど、常識はずれな人じゃないと察せてたし。
「……かしこまりました」
「申し訳ございません……イーサン様……」
ほらね、二人とも戦闘態勢を解いてくれた。
アリスは僕を席に戻してくれたし、ヴィンセントはしょげた調子で椅子に座り直した。破壊された床の穴だけを残して、僕らはさっきと同じように食事を続けた。
ただ、目的は漫然と食事を続けることだけじゃない。
「それじゃあ、食べながらでもいいから本題に入ろうか――ケイレムが、騎士団を率いてディメンタ村に迫ってきているというのは本当かい?」
僕が本当に聞いておきたかったのは、これだ。
ソファーに寝かせたヴィンセントが目覚めた時、彼女は矢継ぎ早にここに来た理由を話してくれた。あまりに唐突で、もう一度確かめざるを得ないような理由を。
「……確かです……僕が、その尖兵として派遣されたのですから……」
改めていきなり訪れた村の危機を耳にして、ロック達も顔を見合わせる。
「ケイレムっていうと、セルヴィッジ家の次男で、イーサンを殺そうとしたって奴だよな? ボジューダ渓谷でお前を谷から落としたのも、そいつだったはずだぜ?」
「その通りでございます。彼らはまだ、ご主人様を諦めておりませんでした」
「どうやってディメンタ村に僕がいるのかを突き止めたのかは分からないけど、彼は僕を見つけた。そして君を先に向かわせて、僕を攫うように命令したんだね」
「はい……彼自身が、自分で殺す為に……村は、その後焼き払うつもり……でした……」
ヴィンセントは頷いた。
ここまで聞けば彼女は侵略の尖兵なのだろうけど、その目には躊躇いがあった。
「ですが……イーサン様はお優しいお方……僕に唯一、話しかけてくださったお方……そんな方を、殺せるわけがありませんでした……セルヴィッジ家の命令に背き、僕はイーサン様を攫ってどこか遠くに逃げようと企てましたが、足を滑らせ……今に至るのです」
ヴィンセントが務めを果たさなかったのには、そんな事情があったのか。
「イーサン君、そんなの覚えてる?」
パトリシアの問いに、僕は頷いた。
彼女と会ったのは怪我の手当てをしたその一回だけだった。僕も忙しかったし、彼女も騎士としての役割があるんだろうと思っていたけど、まさか本当はセルヴィッジ家の陰に隠された暗殺者だったなんて、予想もしなかった。
「うん、何年か前にちょっとだけ、傷の手当てをしたんだ。そうだよね?」
「あっ、あっ……その通りです……イーサン様が、僕を、僕を覚えていてくださった……」
僕が話しかけただけで、ヴィンセントはびくりと大きく震えあがった。
まだ僕達と会話するのに緊張しているのかな。もしもセルヴィッジ家の人と会話していると考えてるなら、僕をただのイーサンだと認識してくれてもいいのに。
「イーサン、今度から優しくする相手は選びなさいよね。こんなぶっ飛んだ奴に一度好かれたら、地獄の果てまで追いかけられる羽目になるわよ」
「とにかく、あいつは懲りも懲りずに、イーサン君を狙いに来るってわけだね」
話を戻すと、パトリシアの言う通り、ケイレムは近くこの村にやって来る。
僕の抹殺が目的なのは明白で、ならば目標が動けば、来訪先も変わるはずだ。
「じゃあ、僕がケイレムのところに行けば――」
「そこまでだ。お前はどこにも行く必要はねえよ」
そんな安直な考えを僕が口にしきるより先に、ロックが言った。
「あんた、自己犠牲を尊いとか思ってる節があるわよね。言っとくけど、メイ達を守るだとか言って一人で村を抜け出したら、首根っこ掴んで連れ帰って、ぶちのめしてやるわよ」
「この村にいると判明した以上、ご主人様がどこに向かわれても結果は変わりません。敵はご主人様が投降しようとしまいと、ディメンタ村を滅ぼすでしょう。それがケイレム・ターン・セルヴィッジという男でございます」
気持ちは嬉しいけれど、それはそれでケイレムをディメンタ村に呼び込む結果を呼び寄せてしまう。もしもそうなれば、待っているのは貴族付きの騎士団との戦いだ。
勝算がないわけじゃない。でも、ともすれば村人に被害をもたらす可能性もある。ここにいる面子だけで、早速戦いの準備を進めようと結論づけられる話じゃないんだ。
「……なら、まずは村長さんとお話をしないと」
だから僕は、こうやって話を区切るほかなかった。
皆もこれ以上は言及せずに、食事を再開した。
ちなみに今日のメニューは、森で狩猟した剛毛豚のソテーに豆のスープ、村で焼いたパン、デザートの野イチゴケーキ。どれもシンプルだけどアリスが腕によりをかけて作ってくれた料理で、とっても美味しくて、食べるだけで活力が湧いてくる。
ヴィンセントも満足してくれてるみたいで、一口食べるごとに目を輝かせてくれた。
「それにしても……こんな辺境の村に、甘味があるなんて……」
「元々、素材になる果物は森に生ってたのよ。村で加工する技術がなかっただけ」
「ま、それを街でしか見ないようなデザートって形で食えるようになったのは、イーサンの魔法と、砂糖を作るオートマタのおかげだけどな」
「オートマタ? それに、イーサン様の魔法は、確か……」
デザートを頬張るロックの言葉に、ヴィンセントは首を傾げた。
そういえば、ヴィンセントは僕が魔法を使えるようになったのを知らないよね。
「実際に見た方がいいだろ。こいつのおかげで、村がどんだけ栄えたかってな!」
「あはは、よしてよロック。村を復興させたいって皆の気持ちがあったから、僕も頑張れたって、それだけだよ」
僕の笑い方も、ちょっぴりロックに似てきたのかな。明るく、素敵な笑い方に。
「……相変わらず、人にお優しい……なんと素敵なお方……」
だからだろうね、ヴィンセントが蕩けたような顔になってるのは。
ロックの裏表のない笑顔は人を惹きつける。真似しているつもりはないけれど、暗い表情をしている彼女が歩み寄ってくれるくらいの明るさにを、僕も彼からもらえてるんだって思うと、それだけで嬉しくなっちゃうよ。
もっとも、ヴィンセントの接近を許さない人もいるんだよね。
「ミス・ロージア。ご主人様への不用意な接近は、極力お控えください」
僕を挟んで、アリスとヴィンセントが火花を散らした。どうやらこの二人はそりが合わないのか、互いにけん制し合ってるような調子なんだ。
「アリス先輩、イーサン君を取り合って、ヴィンセントさんに嫉妬心バリバリだね」
「僕としては、同じ屋敷にいた者同士、仲良くしてくれると嬉しいんだけど……」
嫉妬する要素なんて、僕にあるのかな。
そんなことを考えているうち、あっという間に皆は昼食を食べ終えてしまった。アリスの作る料理は美味しいから、気づくと僕みたいに平らげちゃってるんだよね。
さて、お腹も膨れたし、やるべきことは山ほどある。
「じゃあ、集会所に行こうか。村長さんなら、いつもそこにいるだろうしね」
「ご主人様、片づけは私達が行いますので、先に集会所へ」
「ううん、手伝うよ。ヴィンセントも、悪いけど食器を運んでくれるかな?」
「……はい……喜んで……」
僕が席を立つと、皆が後片付けを手伝ってくれた。
和気あいあいとするこの時間が一番好きなのかもしれない、そう僕は思った。
それから少しして、僕は皆と一緒に家を出た。
僕が住んでいる家は、アリスとパトリシアも一緒に住まうから少しだけ大きくしてある。周りとの差を設けるのはよくないと思ってたんだけど、ロック達が「領主ならいい家に住め」って言ってくれたんだよね。
ついでに、村人も僕を見ると手を振ってくれるようになったのが、とても嬉しいかな。
「村に、活気があります……辺境とは……思えないくらい……」
そんな僕の隣で(さらに隣にはアリスがぴったりとくっついてた)、ヴィンセントは村の雰囲気を見て驚いていた。彼女にとって、ここは辺境の寂れた村、という認識らしい。
実際のところ、それは間違ってないかな。
ただ、ここには僕の魔法と、村を良くしたいっていう皆の気持ちがあるんだ。
「しばらく前までは、辛気臭い村だったさ。野盗や王族と貴族の残党軍が襲撃を仕掛ける格好の的になってて、なんにもないおんぼろ村だなんて言われてたんだぜ」
「そんなディメンタ村を変えてくれたのが、イーサンよ。ほら、あんな風にね」
メイの指さす方向に視線を泳がせたヴィンセントは、思わず立ち止まったようだった。
「……あれは……?」
彼女が見たのは、大型のオートマタ。
僕はオートマタを生成するときに、サイズごとに呼称を変えた。獣や人間のひざ下くらいのサイズは小型、人型サイズは中型、それより大きいものは大型。ヴィンセントが見てるのは、家屋の一階の天井に届くほどのサイズのオートマタだ。
「イーサンが作ったオートマタだよ。こいつは物の性質を変えて、別のものに変形させる魔法を持ってるんだとさ。ちなみにあの人形は、今井戸を掘ってるところだってよ」
「井戸を……?」
「野党の襲撃で井戸を壊されたからね。だから、オートマタに修復を任せたんだ」
しかも、これに限って言えば人型じゃない。上半身は人間だけど、下半身は三つの足を持ち、中央に大きな腕や工具を備え付けてる。それが何をしてるのかというと、村人と一緒に、股下の崩れて埋まった井戸をもう一度掘りなおしてる。
がちゃん、がちゃんと小気味良い音と共に、瓦礫を中央の腕で取り出して、村人が運んでいく。三本の足は、オートマタが重い瓦礫で倒れないようにする支柱だ。
しかもこれには、他の重要な機能も搭載してるんだ。
「井戸の修復、とは……」
「見てると分かるよ。ほら、ちょうど掘り終えたみたいだ」
僕がそう言うと、すっかり瓦礫や野盗が捨て入れた残骸を集め終えたオートマタが、ぐるりとひっくり返った。
そして、勢いよく体を沈め込んだかと思うと、そのまま変形して井戸そのものになってくれた。内部までしっかり外壁として埋まってくれたから、今度はちょっとやそっとの攻撃、衝撃じゃあ壊れないだろうね。
さて、村じゃあもうわりと見慣れた光景だけど、ヴィンセントにとっては驚きだ。
「……人形そのものが……井戸になった……!?」
信じられないといった目で僕を見つめる彼女に微笑むのが、僕にはなんだか楽しかった。
「僕の魔法は、鉄の人形を生成するのが得意みたいなんだ。だから、そこを利用して、オートマタそのものに他の機能を持たせることにしたんだよ」
もちろん、工事用に生成したオートマタはこれだけじゃない。よくよく見なくても、破壊された村を修復する大型のオートマタはいくつかあった。
「あそこにいるのは家を建築してて、こっちはやぐらと防壁の増築を手伝ってるんだ。水路にまだ水は引けないから、防壁だけは張り巡らせておかなきゃいけないと思ってね」
男衆と一緒に防壁用ブロックを運んでいるオートマタは、獣のような四本脚。背中にブロックを乗せて、村人の指示に従って積んでいっている。これのおかげで、村を円形に囲む防壁の完成率は、もう八十パーセントを超えていた。
そしてこのオートマタにも、役割を与えている。
「柱……ですか? あれは……?」
ヴィンセントの前で、大型オートマタがガチャガチャと変形して、防壁を支える柱の姿になった。これはその役目を終えたわけじゃなくて、皆が休憩に入った証拠だ。こうして村の一部にしてしまえば、収納スペースには困らない。
唯一のデメリットは、大型オートマタは一体生成するとマナの多くを使い切っちゃう点かな。その分、村の皆に必要な生活用品が作れなくなっちゃうんだ。
「村の開拓に併せて、解体が早くできるように専用のオートマタを補強材代わりに組み込んであるんだ。村を大きくするのは、まだまだ先の話だけど」
「ですが……これでは、村人が怠惰に……」
「メイもそこらへんは心配したわよ。特に兄貴は、イーサンと話し合ってすぐに、一日中ごろごろできるなんて喜んでたんだから。もちろん、きついお灸を据えてやったわ」
「トレントに拳骨を貰った時は、流石に死ぬかと思ったぜ、がはは!」
ロックはけらけらと笑ってるけど、あの時は流石に僕も焦った。
まあ、その後すぐに起き上がったんだけど。ロックのタフさは、羨ましいな。
で、ヴィンセントの懸念している内容については、実のところアリス達も心配してたんだ。でも、僕の魔法の問題点のおかげで、それも解消された。
「オートマタはね、専門的な知識は外から取り入れないと学べないんだ。井戸掘削用オートマタは村の大人から掘り方を聞いて作ったし、建築もアリス達に教えてもらって、初めてあそこまで作業ができるようになったんだよ」
「村と共に、人と寄り添い成長する魔法……ご主人様を映す、鏡のような魔法です」
僕とアリスがそう言うと、ヴィンセントは深く納得してくれた。
オートマタは、放っておいても全ての仕事をこなしてくれるわけじゃないし、ましてや無限に働き続けるわけでもない。仕事は教え込む必要があるし、昼の間ずっと動かせば夜は動けなくなる。だから、考えて使用しなきゃいけない。
ちなみに、村の皆も、オートマタを都合のいい道具じゃなく、村の一員として迎え入れてくれてる。子供は鋼の体を拭いてくれるし、オートマタも感情があるみたいに、老人の生活を補助したりしてくれる。
僕が思っている以上に、魔法と村の共存は上手くいっていた。
おんぼろ村と呼ばれていた頃のディメンタ村は、もうほとんど残っていない。この調子で作業が進めば、村の経営について、外にも目を向けられるようになる。
「ま、ここは俺達が命がけで守るって決めた故郷だからな。オートマタだけに仕事を任せるような奴は、ディメンタ村にはいねえよ」
ディメンタ村の人々と機械の力、二つが合わさって、開拓は進んでゆく。
だけど、僕とロックの夢はまだ止まらない。
「本当はもっとやらなきゃいけないことは多い。でも、元々自然の恵みを多くもらえる村だから、こうして生活の利便と防衛基盤を固めるのを優先したんだ。水や食料に困らないのは、ありがたいことだよ」
「いつかは商業都市と王都を行き交う商人達も、立ち寄ってくれるといいよな! 特にここをおんぼろ村だなんて言った奴が、顎が外れるほど驚くのを見るのが楽しみだぜ!」
僕とロックは互いに顔を見合わせ、にっと笑った。
とっくの昔に、ロックの夢は僕の夢になってたんだ。
「それに僕は、将来的には村の中や商業都市に名産品の店を開くことも考えてるし、ディメンタ村のように襲われて追いやられた人を迎え入れようとも思ってる。ここはもっと大きくなれるし、もっと便利にもなって、皆を笑顔にできる優しい村だよ」
この村は、とても優しい村だ。
僕を迎え入れてくれた、いつでも笑顔が溢れている村だ。かつては旅人を住民として迎え入れたケースも多かったみたいだし、今回もそれくらいの余裕ができればいいな。
とはいえ、今回はその夢を叶える前に、とても大きな障害が残っている。
ケイレムが三日後には村にやって来る。対策できなければ、村は焼かれ、命は絶える。
「だから、だからこそ、守らなきゃいけないんだ」
「ご主人様……」
それだけは何としても、僕の命に代えても止めなきゃいけない。
僕の顔がちょっぴり神妙になったのに気付いたのは、アリスだけだった。
そんなことを考えながら歩いていると、集会所の前に着いた。
「……着いたよ。ここが村の集会所だ」
いつもなら集会所の中で、村の数少ない子供達への教育を受け持っているレベッカ村長だけど、今日は建物の前の椅子に腰かけていた。きっと、子供達は別のところで遊んでいるんだろう。
ちょうどいい。人が多いのに比べれば、ずっと話しやすい。
「おや、どうしたんだい、皆揃って……」
いつもの朗らかな村長さんの笑顔が、僕らの顔つきを見て変わった。
「レベッカ村長、話があります」
「ふむ、随分と神妙な顔だね。何か、トラブルでも舞い込んでくるのかい?」
僕は小さく息を吸って、吐いて、はっきりと告げた。
「はい、皆を集めてほしいんです――村の存亡に関わる、重大な話をします」
レベッカ村長の顔色が、明らかに変わった。