次の日、僕はロックに連れられて、昨日と同じ広場にやってきていた。
広場にはロックだけじゃなくて、メイや村の人々、レベッカ村長もいる。もちろん、僕の隣には、まるでボディーガードのようにアリス達も並んでる。
「なあ、イーサン? 確かめときたいんだけどよ、お前の魔法って何でも作れるのか?」
急に肩を組んできたロックの問いに、僕は頷いて答えた。
「イメージできるものなら、だいたいはね。大まかな想像で、魔法の方が勝手に造り上げてくれるって言った方がいいのかな……昨日組み立てて、今は広場を歩き回ってるあれも、あくまで僕は自動で動いて戦える人形を想像しただけなんだ」
そう言って僕が指さしたのは、昨日組み立てた鉄人形。
てっきり一度発動してからは土くれに戻るのかと思ったけど、僕の意思を無視して存在し続けている。それに、村にも僕よりずっと馴染んでいるように見える。
「けど、見ての通り、あれはまだ動いてる。僕の指示を聞いて行動してくれるし、今は子供達と遊んでくれてるでしょ? 原理はさっぱりだけど、アリスは人形の中に魔法的な動力が仕組まれてるんじゃないかって」
「うーむ、俺はその辺りはちんぷんかんぷんなんだが、まあよしとすっか!」
ロックにとって、僕の返答はあまり興味があるようじゃなかった。
「そんでさ、本題なんだけども……あれ、作れないかな?」
彼の本当の関心は、彼が指さして、皆の視線が集まったあれにあるみたいだ。
「ほら、向こうにある家なんだけどよ。ならず者に襲われた時に壊れちまって、修復する暇がなかったんだよ。でさ、もしできるなら、昨日みたいに……な?」
なるほど、確かに説明してくれた通り、家の様はひどいものだね。
二階から上は火炎瓶を投げ込まれたみたいに黒く焦げていて、一階はハンマーで叩かれたように砕けてる。家としての形だけを保っている、と言った方がいい。
あれを立て直そうとするなら、相当人員と手間がかかるんじゃないかな。
「も、もちろん、無理にとは言わないぜ!? あんなのが造れるのかも知らねえし……」
「分かった、試してみるよ」
少し遠慮がちなロックに軽く手を振って、僕は家の前に立った。僕の魔法には素材が必要だけど、家そのものが素材になるし、近くの柵も使わせてもらおう。
あとは、僕の体力が保つか。不安材料はそれだけだ。
「ご主人様、無理をなさらないでください」
アリスとパトリシアも、そこがどうしても心配になるみたいだ。
「ありがとう、アリス。でも、無理かどうかは、やってみないとね」
そんな二人に笑顔で応えてから、僕は昨日と同じように、家の壁に手をあてがった。
想像するのは、昨日と同じように望んでいるもの。
堅牢な木の壁は簡単に作れる。他の素材が必要なカーペットやソファー、家具は少しだけ難しいけれど、僕の変性魔法があれば問題ない。焼け焦げた物質が少しでも残っていれば、それを元手に同じような完成品を変形魔法で生み出せる。
大まかに完成品のイメージを頭に浮かべた僕が右手に力を込めると、昨日と同様に光が迸った。そして僕や皆が少し廃屋から離れると、光が収まった壁を中心にたちまち黒い炭と汚れが取り払われ、凄い勢いで変形が始まった。
まるで建物の建築動画を早回しで見るかのように、CG技術をこれでもかと使った映画のロボットの変身シーンを見るかのように、家がひとりでに組み立てられてゆく。
外装だけでなく、内装も光に包まれて生成される。焦げた布の端が他の素材と交わって真紅のカーペットになり、溶けたガラスは元の美しさを取り戻す。
そうして、一分もしないうちに、目の前には新築二階建ての家が完成した。
「……マジか……家が建った……!」
誰もが唖然とする中、ロックは静かに新品の扉を開き、家の中に入っていった。ぴかぴかの窓に、ふわふわのソファに、大きな家具に、彼は感動しているようだった。
僕と目が合うと、彼はどたどたと戻ってきた。
「イーサン、前みたいに疲れてないか? どうだ?」
「うん、大丈夫。昨日は覚えたてで体が馴染んでいなかったような感覚だけど、今日はまだまだ使えそうだよ。でも、流石にいくつも建設することはできなさそうだけどね」
言葉に嘘偽りはなく、僕の体調は昨日よりも悪くなかった。
バリスタと鉄人形を生成した時は肩で息をするほど疲弊していたけど、今は少し息が上がるくらいだ。前よりもかなり大きいものを作ったけど、
つまり、僕の体が魔法に慣れてきた証拠、ってことかな。
「こ、これなら、村が復興できる!」
近くにいたおじさんの声をきっかけに、皆がわっと盛り上がって僕のもとに押し寄せた。
「それに、前住んでたのよりもずっといい家に住めるわ!」
「そんなら次は俺だ、俺んちの畑の道具が……」
「何を言うとる! わしの荷車をじゃな……」
これだけたくさんの人に頼られるのは嬉しいんだけど、その、潰れちゃう。
僕って一応、十歳の子供だから。そこを意識してくれないと、困るんです。
「はいはい、それ以上イーサン君に近づいたらぶっとばすよー」
幸い、パトリシアが割って入ってくれたおかげで、僕は圧死せずに済んだ。
でも、これで今後の行動の方向性は決まった。村への恩返しで、村そのものを修復する。今よりももっと住みやすい家と施設、道具を提供するんだ。
相変わらずアリス達は不安な面持ちだけど、そこは安心してほしいな。だって今も、魔法の反動はたいして受けていないどころか、まだまだ動けそうなんだから。
「坊ちゃん、気持ちはありがたいがね。メイドさんの言う通り、無茶はせんでおくれよ」
「ご心配ありがとうございます、村長さん。でも、僕ならまだまだ大丈夫ですから!」
もっと仲良くなれるなら、笑顔になってくれるなら、なんだってやるさ。
僕が笑顔で返すと、レベッカ村長も納得してくれたようだった。メイやロックも、少し離れたところで村人と相談しながら、僕の方に手を振ってくれた。
こうして、僕の魔法を使った村全体のリフォームが始まった。
「よし、これで完成、っと」
「おおーっ、これは凄いな! こんなに上質な仕事道具は初めて見たぞ!」
僕の変性魔法と変形魔法を使った恩返しを始めて、あっという間に三日が経った。
その間に、ディメンタ村は僕が作ったアイテムや家屋で溢れかえってた。正確に言うと、溢れるというほどじゃないんだけど、それでも沢山の道具を生成したんだ。
流石に家を一日で何戸も組み立てるなんて芸当はできなかった。だけど、代わりにぼろぼろになった鍬を造り変えたり、家具を造り直したりはしてあげた。
反面、鉄人形やバリスタのような武器を造ってくれ、とは言われなかった。
「じゃあ今度は、俺の家のタンスを頼むぜ! 最近どうにもガタがきちまってな!」
「何言ってんだい! 次はあたしの家の屋根が先だよ!」
皆の要望を聞きながら作業を続ける僕は、ほぼ丸三日、睡眠と食事のタイミング以外は村の修復にあたっていた。頼み込まれた道具を一つ修復すると、次は砕かれた壁を直す。それから屋根を取り換えて、荷車を新品にして、フォークとナイフを全て揃える。
次から次へと魔法を使い続ける様は、まるで漫画で読んだ錬金術師みたいだ。そんな自分の魔法に調子が良くなったのか、僕は次第に疲れを感じなくなってきた。
ただ、働き詰めの僕を見て、アリス達はしきりに声をかけてきた。
「ご主人様、少しお休みください」
「あのさ、イーサン君って最近、ちゃんと寝てる? 夜中にこっそり起きて、魔法の練習とか、頼まれた道具の生成とか、やってない?」
パトリシアの問いに僕がぎくりとしたのは、全くその通りの隠し事をしていたからだ。
「もしもお断りされるのであれば、無理やりにでも静養していただきますが?」
アリスとパトリシアに囲まれると、年上の女性二人とはいえかなりの威圧感がある。捕まってしまうと、間違いなく疲れが取れるまで膝枕で眠らされてしまう。
「だ、大丈夫! 全然疲れてないから、大丈夫だよーっ!」
僕は二人の間をすり抜けて、さっと広場の方へと逃げ出した。
アリス達が追いかけてこなかったのを確認しながら、僕はさっき頼まれていた家の建て直しをするべく、村の集会所から少し離れた家にやってきた。
「お待たせ、メイ。それで、ここが修復してほしい家かな?」
村の中でも殊更大きな家の生成を頼んできたのは、他ならないメイだ。
「フン。ほどほどに期待してやるわ」
正直なところ、僕はメイに嫌われていると思ってる。
村の修復を始めた頃から、メイは一層僕と距離を取っているように見えた。それは僕がいろんなところで手伝いをすればするほど深くなっていって、なんだか説明のつかない複雑な感情を抱いている風に見えてならなかった。
まるで、ぶつけたい怒りの矛先が見つからないような。
でも、今日だけは話が別だ。こう言われれば、気合を入れないわけにはいかないね。
本日最後の大仕事と言わんばかりに、僕はメイの前で気合を入れて、右手を崩れた家の壁にくっつけた。あとはイメージするだけで、魔法が発動する。
「……あれ?」
――はず、だった。
僕の掌からは、何の光も出てこなかった。
魔法の力どころか、魔法が発動すらしない。変性魔法で木材をより良いものにも代えられなかったし、ましてや変形もしなかった。ただただ、目の前には壊れた家があるだけだ。
皆が違和感を覚えて集まってくる中、メイの顔が、たちまち喜びから怒りに変わった。
「ご、ごめん! すぐに魔法を使うから……お、おかしいな……」
僕が右手を翳しても、何をしても、うんともすんとも言わない。
あたふたしてばかりの僕の隣で、とうとうメイが冷めた声で翳した手を下させた。
「……あんた、もしかしてマナが尽きたんじゃないの?」
マナが尽きた。その意味が分からないほど、僕も無知じゃない。
魔法を用いるには、体内に秘めたエネルギーであるマナを消費する。その力が枯渇すれば、体力を使い切ったのと同じでひどく疲弊する。魔法が無尽蔵に使えるものではないのは、このマナに依存する要素が大きいからなんだ。
そういった事情を知っているということは、メイも魔法を使えるのかもね。
「メイも魔法が使えるもの、それくらい知ってるわ。というか、マナがないならなんであんたは平然としてるのよ。普通はへとへとになって動けなくなるわよ」
「なんでって…分からないけど、僕はまだ元気だよ?」
でも、僕は今のところ、倒れ込むほど疲れちゃいない。どちらかといえばやる気は沢山みなぎっているし、眠る必要すら感じていないくらいだよ。
だからこう言ったつもりなんだけど、メイの顔はますます不機嫌になっていく。
「……休みなさいよ。メイ達からのお願いくらい、今日はダメって言って休んだらいいじゃない! 我儘の一つくらい言えばいいのよ!」
「そうはいかないよ。皆の為に一日でも早く村を……」
そう言いながらもう一度手を翳そうとした僕を見て、遂にメイは歯を軋ませて怒鳴った。
「いい加減にしなさいよ! なんでそんなにお人好しなのよ、あんたは!?」
「え、ええっ?」
しかも、人が好いからだなんて、あまりに予想外な理由で。
僕が魔法を使えないことに対して怒鳴るのなら、まだ理解できた。でも、僕がお人好しであることに対して怒るなんて、予想できるはずがないよ。
どう反応すればいいかさっぱり思いつかない僕の前で、メイはずっと怒ってる。
「毎日、毎日、魔法で村の修理をさせられて! マナが尽きるくらいの無茶振りをされても笑顔のまんまで! なのに愚痴も言わないで、人の為にだなんて!」
今まで溜め込んでいた何かを解き放つかのように、怒ってるんだ。
「あんたが間抜けな金持ちか、戦争しか頭にない悪党だったらどれほどよかったか! なのに、底抜けのバカみたいな善人相手に、メイはどうすればいいのよ!?」
「落ち着いて、メイちゃん!」
「ダメだ、それ以上は言っちゃ……!」
村の皆が彼女を止めようと動き出す。メイの台詞も、僕でもわかるくらいにおかしくなっていく。聞いてもいない、でも聞いちゃいけない何かを話そうとしてるんだって。
「調子が狂うなんてもんじゃない、メイだってどうしたらいいか分かんないわよ! あんたみたいな奴から金をせしめるのも、使い潰すのも、お人好し相手にできるわけ……」
とうとう一瞬、周りが騒めいた。
メイも自分の発言に気づいて、口を塞いでいた。まるで、苛立ちのあまり感情を制御できないかのような調子の表情で、顔は青く染まっていた。
「メイ、今なんて……」
そんな彼女の言葉の意味を僕は聞きたかったけど、できなかった。
急に、僕の呂律が回らなくなった。というより、自分の意思で口が閉じられなくなってしまったんだ。まるで壊れたくるみ割り人形のように、だらんと開いてばかりだ。
「あ、え、あぁ……?」
あまりに唐突な出来事に戸惑う僕の脳裏に、ある記述がフラッシュバックした。
――そういえば、読んだ覚えがある。
本当に疲れてる人は、疲れに気づかないんだって。脳内麻薬が分泌されて、常にハイの状態で仕事ができるとか、スポーツに打ち込めるとか。
体力がゼロになった状態でも体を動かせるその麻薬の力は、確かに凄まじい。でも、その麻薬が切れたなら、蓄積された疲れは全て戻ってくる。
――もしも、もうマナが残っていないのに気付かないほど、僕が疲れているとしたら。
「どうしたのよ、ちょっと!?」
「なんだろう、急に、アリス、パティ――」
メイが、皆が僕を見ている。驚きと、恐怖と、困惑に満ちた目で。
ぐらり、と視界と脳の一部が揺れた感覚と共に――三日間も魔法を頻発し続けた代償ともいえる、怒涛の疲れが押し寄せた。
手足が痺れて、口も開かないほどの、耐えきれない苦痛が僕を呑み込んだ。
そして、もう何度目になるか分からない世界の暗転で、僕の意識は途絶えた。
【ロック】
――イーサンが倒れた。
村の皆からその報せを聞いたのは、俺が畑で野菜を集めている時だった。
理由なんて分かりきってる。俺は魔法を使えないけど、妹のメイが魔法を使えるんだから、それを使いすぎればどうなるかを何度か見てきた。へとへとになって、半日はベッドの中にいることもあった。
もし、三日間も使い続けた魔法の反動が、今のイーサンに来たならただじゃすまない。
一瞬だけそう考えた俺は、気づけば野菜を投げ捨てて走り出していた。
ディメンタ村の端から一番広い通りを駆け抜けて、村の皆が集まっている間を掻き分けて、蹴破るように扉を開けて、階段を飛び跳ねて、二階の部屋の扉に手をかけた。
「イーサン!」
そして俺は、上ずった声でイーサンの名前を叫んだ。
俺の目の前には、予想していた通りの光景が広がってた。
「お静かに。ご主人様のお体に障ります」
奥のベッドに寝かされているイーサン。その傍に立って俺を睨みつけるメイドさん達。ここまでは予想できたけど、メイが一緒にいるのは予想外だった。
「メイ、どうして……」
「……倒れる前、傍に居たの。それだけよ」
「それだけ? 村の人から聞いたよ、イーサン君が倒れるまで無理な頼みごとをさせ続けて、金が必要だったなんて言い放って……それだけで済ませるわけ?」
「村の人々から丁寧に、ていねいにお話をお聞きしました」
自分の計画がばれている。しかも、村人を巻き込んだのも。
ツインテールのメイド、パトリシア(とか言ったはず)に痛いところを突かれたメイの顔がそんな風に言いたげに動揺していたけど、直ぐに平静を取り戻した。
「……戦争を始めた貴族に、被害者のメイが優しくする理由なんてないじゃない。それに、謝礼金だってけちけちしないで渡してくれたっていいものじゃないの?」
メイはもう自分の狙いを隠すつもりがない。ばれているなら仕方ないって考えなのかもしれないけど、そんな口ぶりだと相手を怒らせるだけだ。
そんでもって、妹の発現は間違いなく、メイドさん達を怒らせた。
「そういう問題じゃないんだよね、分かってないなあ……クソガキ」
「ご主人様に無理を強いるというのがどういう意味か、理解いただけていないようですね」
見りゃ分かる、って話じゃないくらい、二人は怒ってた。
こんなに美人で可愛らしいメイドからここまで殺気が放たれるなんて、信じられなかった。特に黒髪のメイドの方は、広場で見せた獣の目と爪を唸らせて、主人の命令も待たずに俺とメイを引き裂く気満々だって言える。
「……!」
ぎろりと獣に睨まれて、メイはたじろいでた。どれだけ強がったって、本物の殺気を直に受けたら、俺だって怖いんだ。メイが耐えられるはずがない。
このままじゃ、メイは半殺しじゃすまない。
どうすればメイを助けられる。どうしたら彼女への怒りの矛先を変えさせられる。
ない頭を捻って、小刻みになる呼吸を抑えて――俺は、冴えない答えを導き出した。
「――すまんっ! イーサンに無茶をさせたのは、俺が原因なんだ!」
こうするしかなかった。俺が主犯になって、メイを庇うしか。
俺みたいな村育ちのバカには、こんなことしかできなかった。
「イーサンを看病して謝礼をせしめようとして……魔法を知ってからは、村を復興させる為に使い潰そうとした! こんなことやめようって言ってくれたメイに、無理矢理協力させたのも……全部、俺なんだよ! あいつのさっきの言い分は、俺を庇ってるだけだ!」
「兄貴、何言って……」
「でも、まさかこんなことになるなんて……本当に、すまなかった!」
頭を下げた俺の方からメイの顔は見えなかったけど、愕然としているのは察せた。
「すまなかった、で済むとお思いですか」
メイド達のため息から、俺の謝罪なんてのがまるで意味を持っていないのも察せた。
「言っとくけど、イーサン君をここまで追い込んだ村の手助けなんて、金輪際お断りさせてもらうからね。あたし達、はらわたが煮えくり返りまくってるし」
「ご主人様が目覚められたら、その日のうちに村を出ます。止めようというなら……」
駄目だ、二人を止めるなんてできない。
じりじりとにじり寄ろうする二人を前にして俺が息を呑んだ時、唐突に誰かが叫んだ。
「違う、そうじゃない! 貴族を利用しようって企んだのは、メイの方なの!」
拳を握り締めて、目を瞑って喚くように声を上げたのはメイだ。
「兄貴を脅して、村の皆になるべく多く道具を作ってもらおうって言いだしたのは自分だし、何でもしてくれるって言葉に付け込んだのも自分よ! でも、本当は……」
どうして自分のせいにするんだって、俺の疑問は直ぐに解消された。
「本当は、貴族連中の戦争のせいで村を壊されたから……仕返ししたかったのよ!」
「メイ……!?」
「村が焼かれて、物が奪われて、人が死んで、ずっとずっと憎かった! 戦争のせいで死んでいく皆のことなんて気にも留めずに、乱暴者の兵隊が何をしてるのかも知らずに綺麗事をぬかす貴族なんて、死んでもいいって思って、そいつをそそのかした!」
目を見開いて憎しみをぶつける顔は、俺より年下の女の子がしていい顔なんかじゃない。
もしかすると、メイの本性は俺の知らない邪悪なんじゃないかと、僅かに妹を疑った。
「けど……けど、もう、もう無理よ……だって、こいつ……」
それのは、俺の疑心が生んだ妄想だった。
力なくへたり込んだメイは、目に涙を溜めながらイーサンを見つめてた。
ああ、俺は分かる。兄貴だから分かる。
「……分かるよ。俺も、イーサンは他とは違うって分かるよ」
メイの肩に手をかけて、震える体をさすって、俺はメイの心の真意を代弁した。
「俺達の為に、心の底から恩返ししてくれた。いつでも笑顔で応えてくれた。自分が倒れる瞬間まで人の為に尽くしてくれる奴を憎めるわけ、ないもんな」
他の貴族達と違って、勘繰りも何もせず、イーサンは俺達に当たり前のように接してくれた。メイが邪険にしても、俺が裏で酷い企みをしていても、メイドさん達に忠告されても、あいつはずっと笑っていた。
そんな奴を、どうして憎めるんだよ。貶められるってんだよ。
自分の犯した罪の重さを再確認させられた俺は立ち上がって、メイドさんを見つめた。
「ごめんな、メイドさん。どんな罰でも受けるから、メイだけは――」
メイの代わりに、何をされたっていい。殺されたっていい。
そう言おうとした俺の声は、また遮られた。
「……罰なんて……与えないよ」
腹を括った自白に割って入ったのは、イーサンだ。
「イーサン!」
驚いた俺とメイの前で、イーサンは体を起こそうとした。けど、まだ体力が回復してないのか、アリスに抱きかかえられて上体を起こすのがやっとみたいだった。
「ご主人様、起き上がってはいけません。安静になさってください」
「心配ないよ、アリス。ちょっと立ちくらみがしただけだから……それよりもロック、話は全部、聞かせてもらってたよ」
「き、聞かせてって……いつから!?」
「いつから……ロックがメイを庇って、僕を利用していたってのを自分の罪にしようとしていたあたりから、かな。ごめんね、途中で起きるのもよくないって思ったんだ」
「こっそり起きてたんだね、イーサン君。まったく、抜け目ないなあ」
「こっそり、というなら僕だけじゃないよ。部屋の外にいる皆も、そうじゃないかな?」
イーサンが俺の後ろ、僅かに開いたままの扉に目を向ける理由はすぐに分かった。
「随分と馬鹿なことをしたもんだね、ロック、メイ。皆にもきっちり説教したよ」
「ば、ばあちゃん! それに村の皆も!」
俺の目に飛び込んできたのは、険しい顔をしたばあちゃんと皆だ。
廊下がぎゅうぎゅう詰めになるほど押し寄せてきた村の仲間達は、皆が揃ってしょぼくれた顔をしてる。俺はそいつら全員に見覚えがあって、俺とメイから、イーサンになるべくたくさん派手なものを作ってもらおうって相談してた面子だ。
老若男女、合わせて十数人がこっちを見つめながら反省した面持ちなのは、どう考えてもばあちゃんに怒鳴られたからだ。だって、俺もあんな顔になるんだよな。
「……お婆ちゃん、その、メイは……!」
「分かってるよ、村の為にって言いたいんだろう。村長として、お前達の行動を咎めるわけはないよ。けどね、人としてはしっかり言っておかないといけないんだよ」
渋い顔をするメイよりもずっと渋い顔で部屋に入ってきて、ばあちゃんは俺と妹をぐい、って引き寄せた。それから、言い聞かせるようにあの言葉を口にした。
「いつでも人に優しくする。それが、一番大事なことだって、教えたはずだろう?」
「……!」
俺とメイの情けない顔が、しっかと見つめるばあちゃんの目に映った。
――そういえば、最後にばあちゃんからそう言われたのはいつだっけか。
人に優しくするんだって、物心ついたころから、口酸っぱく教えられてきた。ディメンタ村に来た旅人にも、たまたま立ち寄っただけの商人にも、誰にでも優しくするのは当たり前で、相手が笑ったり喜んだりするとこっちまで嬉しくなったはずなのに。
恥ずかしくて、情けなくて、俺は俯くしかなかった。とことん善意だけで接してくれてるイーサンに、俺の間抜けな顔なんて見せられるはずがないって心底思った。
なのに、あいつの声は、弱弱しいのにまだ透き通ってた。
「レベッカ村長、二人は十分、僕に優しくしてくれました。悪いのは僕です、魔法を使うのが楽しくなって、アリス達や村長の忠告を無視した僕のせいなんです」
「ご主人様……」
メイドさんの寂しげな声を聞いて、俺は顔を上げた。上げずにはいられなかった。
「イーサン、そんなことない! お前だって分かってたろ、俺はお前を騙して……」
こんな俺を、どうして許してくれるんだって叫びたかった。罰を与えてくれって言いたかったし、許してなんてくれない方がいいって吼えたかった。
けど、けどイーサンは、まだ俺に笑顔を向けていたんだ。
「……違うよ、ロック。僕は嬉しかったんだ」
いつもの笑顔じゃない。痛みとか苦しみを押し殺した、必死の笑顔だ。
「貴族の世界じゃ、同じ年ごろの相手は、僕を殺そうとした兄だけだった。だから、ロックもメイも、僕にとって同じ立場で話せる……初めての友達だって、思ってたんだ」
兄弟に殺されかけた。そんなとんでもない事情、初めて知った。行くあても戻るあてもない貴族の、十歳ちょっとの子供から、俺達は謝礼金をせしめようとしてたんだ。
都合のいいことばかりを考えていて、俺達はただ、知らなかったんだ。
「勝手に、思ってたんだ……!」
大粒の涙を零して、笑ったまま泣くイーサンのことを知ろうともしなかったんだ。
ぼろぼろの貴族が、本来いるべき領地からずっと離れたところで倒れているのに、まともな理由があるわけがない。俺達の想像なんて及ばないほどの凄絶な理由があるんだ。
なのに、あんなひどい姿になっていた子の信頼を、俺は簡単に裏切り、踏みにじった。まだ小さい子の胸が苦しくなるのは当たり前なんだ、泣かないはずがないだろうが。
俺がどれほど残虐な仕打ちをしたのか、なんで気付けなかったんだ。
「……イーサン……!」
掠れた声で呟いて、俺は彼に歩み寄った。メイドさんが俺を突き飛ばしちまうかと思ったけど、二人とも白い目で見てくるだけで、何もしなかった。
目を閉じて静かに涙を流すイーサンを、俺は震える手で抱きしめた。
「イーサン、ごめん……本当に、ごめんな……!」
俺は詫びた。最低な俺は、詫びるしかできなかった。
「うう……う、ううぅ……!」
俺の後ろで、メイが泣き崩れてた。
良心の呵責とか、後ろめたさとか、全部に圧し潰されてるってのは、俺にも分かった。
「ばか、ばか、ほんとに、ばか……わああああああぁんっ!」
メイの泣き声がずっと大きくなって、俺の心臓に突き刺さった。
俺も妹も、痛くて辛くて、悲しかった。惨めで、虚しかった。
「……ごめんね……ロック……」
イーサンの手が、俺を抱きしめてくれた。
やめてくれよ、俺にそんな資格なんてないんだって言いたかった。
なのに、俺の手はイーサンの肩をぎゅっと強く握ってた。
――お前はどれだけ優しいんだよ。どれだけ甘くて、どれだけ正しい人間なんだよ。
――俺みたいな人間を許してくれるなんて、そんなの、ずるいだろうがよ。
「うう、ううう……!」
「ごべん……いーざん、ごべんなぁ……」
「うわああああん! ああああーんっ!」
俺達三人の泣きじゃくる声はずっと、部屋の中に響いてた。メイドさんやばあちゃん、村の皆が見てる中で、子供みたいに泣いてた。
涙が枯れるまで、喉が枯れるまで、俺達は泣き続けてた。
魔法の使い過ぎで倒れてから二日が過ぎた頃、僕は村の変化に気づいた。
ディメンタ村の皆が、僕を貴族や客人扱いしなくなったんだ。
体力が回復して外に出た時には「よう、イーサン」とか「調子はどうだい」とか、ごくごく普通に声をかけてくれた。まるで僕が村の一員になれたみたいで嬉しくて、その時は思わずありがとうなんて言っちゃった。
アリスとパトリシアは、僕が説得するまで事件のことで苛立ってたみたいだけど。
魔法を使うのをしばらく禁止された上に、今でもつかず離れず僕の隣を歩いてる。たまには一人にしてほしいなんて言ったって、今のアリス達は聞いちゃくれない。
ただ、二人が許してくれたこともある。
僕がまだ村に残ること――そして、カーティス兄妹と一緒にいることだ。
ロックはあれから、以前よりずっとスキンシップが多くなった。メイは変わらず毒舌で皮肉っぽいけど、なんとなく物腰が柔らかくなったのが分かる(そんな話をしたら、きっと蹴っ飛ばされるだろうけどね)。
とにかく、僕はもう少しだけディメンタ村に残ることを決めた。
そんな折、ロックがある提案をしてきたんだ。
「――僕を、領主に?」
僕に、ディメンタ村の領主になってほしい。
ロックが僕にそう言ったのは、ある日の昼食時だった。アリスとパトリシア、ロックとメイ、そして僕が一緒に食事を摂るのは、もうさほど珍しくなくなっていた。レベッカ村長も一緒にと誘ったんだけど、「邪魔するのはよくない」といって遠慮されちゃった。
そんな事情もあって、テーブルを囲んで五人で昼食のスープを飲んでいた時に、ロックが言ったんだ。僕がこの周辺の領地を治めるといい、って。
「ああ、イーサンみたいな貴族がディメンタ村にいてくれたらいいなって思ってさ。ま、もちろん俺やメイが、勝手に考えてるだけなんだけどな」
「……メイはそんなこと、一言も言ってないわよ……ま、まあ、悪くはないけど……」
ロックは明るい顔で、メイはそっぽを向いていたけど、考えは同じみたいだ。
一方で、アリス達はじろりと二人にきつい視線を投げかけてた。
「そーんなこと言って、また悪だくみしてるんじゃないのー?」
「なっ、俺達はもう、イーサンを利用しようなんて思わねえよ!」
慌てた調子で手を振るロックだけど、大丈夫だよ。僕はちゃんとわかってるからね。
「それに、ここの領主は、いていないようなもんだぜ。ディメンタ村は領地の中でも端の端、来たところでうまみはないし、足を運ぶ理由はねえよ」
「本当なら村を守ってくれるはずの騎士団だって、他の街にかまいっぱなしよ。うちは優先順位も低いし、沢山の騎士の面倒も見れないし……見放されたようなものね」
とはいえ、二人はやや真面目な口調で話してるんだけど、いざ本当に領主になりたいなんて言っても、簡単になれるものじゃないのは当然だ。
「気持ちは嬉しいけど、そんな簡単な話じゃないよね? もしも僕が勝手に領主を名乗れば、きっと本来の土地の持ち主はとても怒るはずだよ。勝手に領地を奪われるんだから」
「だいたい、領主なんて勝手な話、あたしは認めないけど? 散々イーサン君を利用しようなんて企んでた奴らの村に居座らせようなんて、ね、アリス先輩?」
「私も容認しかねますが……全ては、ご主人様がお決めになることです」
「ま、先輩がそういうならいいかな。イーサン君はどうするの?」
パトリシアに問われた僕は、少し考えてから答えた。
「僕は、できるならここに留まりたい。村の復興するのは、ロック達だけじゃなくて、僕の願いでもあるから。でも、それなら領主じゃなくてもいいんじゃないかな」
僕の返事を聞いて嬉しそうにするロックにしても、半分冗談だったみたい。
だから天井を仰いで、スプーンを揺らしながらため息交じりに言ったんだ。
「まあ、それもそうか。あーあ、イーサンなら――卿より、いいと思ったんだがなあ」
本来いるべき、ディメンタ村を治める領主の名前を。
ロックの話を聞いた途端、僕とアリス達は思わず、スプーンを床に落とした。いつもなら行儀が悪いなんて窘められるんだろうけど、今はそれどころじゃない。
「……誰だって?」
「誰って……村の領地を治めてる、――卿のこと?」
メイも、ロックの同じように領主の名前を告げた。
驚く僕達だけど、そういえばそうだ。どれだけボジューダ渓谷からディメンタ村が離れていても、そこにいた時点で僕らはその人の領地にいたんだ。だったら、ここを取り仕切っている人が誰かだなんて、考えるまでもない。
これまで忙しかったり、トラブルが起きたりで思いつきもしなかったけど、知ってしまった以上は話が別だ。この最高のチャンスを、活用しない手はない。
「……ご主人様、これは……」
「うん、アリス。僕も、同じ考えだよ」
僕とアリスは頷き合って、ロック達に言った。
「ロック、メイ。その人に、村長さんからの手紙を送ってもらえないかな?」
――一カ月前の僕に今の事態を話したって、きっと信じてはくれないだろうね。
イーサン・セルヴィッジは本当に領主になるのかもしれない、って。
【ライド】
「まったく、兄上殿は戦争を商売か何かと思っているのか!」
領地内の大きな屋敷に戻ってきていた俺――ライド・ランカスターは、自分で言うのも何だが、相当苛立っていた。
理由は大きく分けて二つ。一つは、俺の甥っ子であるイーサンがこちらに来る途中に谷から落ちて、そのまま行方をくらましてしまったこと。まだ死体は見つかっていないと聞いて探しに行きたかったが、時間をまるで割けなかった。
その理由が二つ目のそれだ。
俺の兄、ヴァッシュが戦争に首を突っ込もうとしているのだ。
王族と反旗を翻した貴族の戦争は、どちらについてもリスクが高い。負け側につけば当然だが、仮に勝ったところで今度は内ゲバが始まるのは目に見えている。だからランカスター家は静観していたというのに、これではこっちまで巻き込まれかねない。
「王族と『西部連合』双方に取り入るだって? 蝙蝠みたいな真似をして、ただで済むと思っているなら耄碌するに早すぎるぞ。それに、イーサンのことも……」
しかも兄上殿はザンダーかケイレムにそそのかされたのか、どちらにも味方の顔をすると言っているのだ。戦争のうまい汁だけを啜ろうとしているのは、もはや明白だった。
こんなことがなければ、今頃イーサンを探しに東奔西走しているというのに。
とはいえ、愚痴をこぼしてもしょうがない。今日もまた、書斎に使用人のノックの音が響いて、外に出て、俺を嫌うランカスター家の連中との無意味な会議が始まるのだから。
「ったく……入れ」
ただ、今日は何故か、老執事が持っているのは山ほどの書類ではなかった。代わりに彼が手にしているのは、小さな手紙だけだった。
「ライド様、ディメンタ村の村長、レベッカ殿より手紙が届いております」
「手紙? それも、ディメンタ村から?」
「お忙しいようでしたら、わたくしが代わりにお返事をしましょうか」
「いや、俺が読もう。今まで一度も税に文句を言わなかった辺境から、わざわざ手紙を送ってくるなら、よほどのことがあったに違いない」
半分は本心、もう半分は気分転換だ。
ついでに言うなら、辺境の村からの手紙がどんなものか、僅かながら好奇もあった。
「もっとも、俺の考えすぎかもしれないがな……ん?」
自嘲するような笑いと共に手紙の封を開けた俺の掌に、何かが転がった。
「――これは」
俺はそれに、見覚えがあった。
いや、見覚えがあって当然だ。これはもともと俺のもの、ランカスター家の家紋が彫り込まれた銀色のペンダントで、今これを持っている人間を俺は一人しか知らない。
そして開いた手紙の内容も、間違いなく彼――イーサンからのものだった。
ケイレムの企みで谷底に落ちたこと。
魔法に覚醒して、谷から離れたディメンタ村の世話になっていること。
外敵に悩まされる村を救うべく、領主になりたいと願っていること。
全てを読み終えた時、俺の口元はつり上がっていた。
「……ふ、はは、はははははっ!」
いや、耐えきれなかった。甥っ子が生きていて、急激に成長して、子供とは思えない覚悟を決めたんだ。それを喜ばない叔父が、いるはずがないだろうよ。
「まさか渓谷からそこまで離れた村にいたとはな。どうやったのかは分からないが、流石俺の見込んだ子だ。大人の予想なんて、簡単に飛び越えてくる!」
執事が後ろで呆然としているのも構わず、俺は感傷に浸ってしまった。
「……本当に、立派な子だ……!」
顔はほころんでいるのに、一筋の涙だけは抑えられなかった。
死んでしまったのではないかと思ってしまった自分の不安を、彼は手紙越しの笑顔で吹き飛ばしてくれた。まったく、俺なんかよりずっとすごい子だよ、お前は。
「俺への頼み事、というわけか。それも随分難儀な頼み事だ……だが、かわいい甥っ子の為なら、叔父さんは何だってやってやるさ」
さて、いつまでも感動の涙を流してはいられない。
俺は手紙を畳み、ペンダントをポケットに突っ込むと、早速準備に取り掛かった。
会議よりも何よりも大事な、イーサンのお願いを叶える為に、な。
『イーサン、まずはお前が無事だったことに安心した。
本当ならランカスター邸に連れて帰りたいところだが、今、お前を俺のところに引き戻すのは危険だ。知っての通り、戦争の影響がここまで来ているからな。
そこでお前の頼みに対する返事と、アドバイスだけを記しておく。
まず、俺が持っている領土のうち、ディメンタ村とその周辺はお前に明け渡す。辺境の村だが、お前が言う通りの魔法を持っているなら、きっといい村にできるはずだ。
納税については、収穫物の一割以下でいい。叔父さんからの大サービスだ。
ただし、あまり目立つような行動はとるなよ。今は資源の調達先や戦争の中継点として、村や街を領地内ですら取り合う貴族が多いんだ。俺がにらみを利かせておくが、王族連中が来ないとも言い切れないからな。
それと、村が隆盛しても、しばらくそこから出ない方がいい。
お前を殺そうとした連中がケイレムなら、はっきり言って奴はまだお前を諦めていない。
亡骸を探して必死にボジューダ渓谷に手下を差し向けている。ディメンタ村ほど離れていれば、保証とまではいかないが、比較的安全だろう。
セルヴィッジ家との関係上、俺が直接ケイレムを言及することはできない。
だが、もしもそこにもあの小僧の手が届くようなら、俺に連絡をくれ。
お得意の雷魔法で連中を一人残さずぶちのめしてやるさ。
それじゃあイーサン、元気でな。アリス達にもよろしく。
追伸
戦争が落ち着いたら、俺がそっちに行くよ。
愛する甥、イーサンへ ライド・ランカスター』
村長に叔父さん宛の手紙を伝書鳩で送ってもらってから、早くも返事がきた。
セルヴィッジ邸を出る前に叔父さんに貰ったペンダントが、こんなところで役に立つとは思ってなかった。けど、これのおかげで手紙の送り人が僕だって分かってくれたんだね。
「驚いたぜ、まさかイーサンとランカスター卿が知り合いなんてな!」
「メイも驚いたわよ。でも、セルヴィッジ家の家長の弟がランカスター家にいるなら、イーサンとの繋がりがあるのも、確かに納得できるわね」
僕の後ろから顔を覗かせて手紙を読む皆は、僕と叔父さんの繋がりに驚いていた。村長から手紙を預かったのは村の集会所で、そこには村中の人が集まっていたから、僕の後ろにはこれでもかってくらいの人がいる。視線が背中に刺さる気がするよ。
だけど、僕は嬉しかった。村の皆が、僕が領主になるのを喜んでくれているようだから。
「とにかく、これで確定だな! イーサンが、ディメンタ村の新しい領主だ!」
「ほら、領主サマ。村の皆が集まってるんだし、挨拶の一つでもしときなさい」
カーティス兄妹に言われて、僕は集会所の壇上に立った。こうして背中を押してくれる二人も、色々あった今では大事な僕の友達だ。
「ご主人様、どうぞ威厳あるお言葉を」
僕のすぐ後ろでぺこりと頭を下げるアリスとパトリシアも、僕になくてはならない存在だ。四人に、村の人に勇気を持ってもらえるように、ここできっちり挨拶をしないと。
「えっと……改めて自己紹介させてください。僕はイーサン・ホライゾン・セルヴィッジ。ライド・ランカスター男爵よりディメンタ村の領主として統治を任されました。まだ幼い身ですが、皆さんと協力して村を発展させていきます。よろしくお願いします!」
そう思って声を上げたけど、個人的に点数をつければ、五十点もないなあ。
威厳を含んで言ったつもりなのに、これじゃあ、新入社員の挨拶みたいだ。
「おう、よろしくな!」
「期待してるわね、イーサン様!」
「イーサン様なら、きっと村を良くしてくれるねえ!」
ただ、それでもディメンタ村の皆は手を上げて喜んでくれた。ロックやアリス達だけじゃなくて、レベッカ村長、子供や老人まで僕を歓迎してくれているのが分かった。
ただ、その、イーサン様だなんて恥ずかしい。
領主という立場とは矛盾するけど、やっぱり僕は、人の上に立つのは似合ってない。皆と同じ立場で、村をもっと良くしていくのが、僕にとってはやりやすいね。
「イーサン君、これで遠慮なく恩返しができるってことだね」
「そうだね、パティ。善は急げって言うし、早速、村の問題を解決していこうか」
壇上から降りた僕は、まずロック達に質問してみることにした。
帝王学みたいなのは関わってこなかったけど、領地経営や国土地理、簡単な経済、あとはアリスに内緒で軍略的な面でも少しだけ勉強はしてきた。かじった程度の知識でどうにかなるものじゃないけど、そこは仲間に助けてもらわなきゃ。
「とりあえず、水源とか食糧、鉱物とかで困ってることはない?」
「心配ご無用、ってとこね。ディメンタ村は大きな森と川、山に囲まれているの。魔物の襲撃も昔からあったけど、その分自然の恵みってやつは潤沢にもらえるのよ」
最初に答えてくれたのは、メイだ。
ロックから聞いたけど、彼女は村の子供に簡単な教育をしてあげるくらいには頭がいいらしい。村人が彼女を信頼するのは、頭脳派の側面もあるからかな。
もちろん、彼女の話の意図を理解しているロックも、僕よりずっと聡いはずだ。
「しかも北側にあるのは、国を分断するほど大きなモドス川だからな。分岐した川が近くにあるから、井戸を造れば簡単に水は確保できるんだ。その井戸が今は半分ほど壊されちまってるんだがよ……鉱物に関しちゃ、森の奥の岩肌から少し採れる程度ってとこかな」
「少しっていうと、どれくらい?」
「税として数えられないくらいだ。もうちょっと奥まで行けば分からねえけど、そうなりゃ今度は、追いかけてこられたら村が大惨事になるほどヤバい魔物とご対面だ。だから、鉄製品だとかは基本的に行商人とか他の街から買ってたんだよ」
なるほど。村で採れる資源で言うなら、生活する分には不自由がなかったみたいだね。
ロックの言う危険な魔物のリスクもあるけど、村を維持させる範囲なら遭遇することもないみたい。とはいえ、鉄などの鉱石が取れず、加工する技術も乏しいというのは、唯一問題視してもいいかもしれない。
だけど、今はその心配はない。僕の魔法は、この状況にうってつけだ。
「そっか……だったらなおさら、僕の変性魔法が役に立つかもね」
「期待してるぜ、イーサン。ところで、鉄が作れるならさ、金とか銀、宝石も……」
「それはダメだよ。確かに売ればお金になるけど、出所が分からない貴金属は真贋を疑われちゃう。それに、もしも沢山取れると思い込まれたら、新しい敵を作りかねないしね」
「だよなー。ま、貧乏人の空想話だよ、気にしないでくれ」
悪い意味じゃないけど、ロックは比較的お金の話が多く出てくる気がする。
もっとも、お金が必要なのは事実だね。昔読んだ本によれば、お金は村や街という肉体を成り立たせる為の血液だ。枯渇しても、一か所に留めても死んでしまう。なら、稼ぐ手段は多いに越したことはない。
「ちなみに、村の収入は?」
「主に特産品の軟膏と、森で採れる収穫物を売った金銀銅貨ね。以前は北東の商業都市カサインに売り込めばかなりの収益があったんだけど、今の買い手は月に一度やって来る行商人くらいよ。村の被害が大きくて、とてもカサインに行く余裕がなかったのよ」
「街道も昔はちゃんとあったんだけどよ、乱暴なやつらがぶっ壊していったんだよ。修理についちゃ、ま、そんな余裕はなかったって思ってくれ」
「ふーん……そんなにこの村が狙われる理由って、なんだろうね?」
僕が首を傾げると、返事は兄妹じゃなく、アリス達の方から返ってきた。
「恐らく、大きな都市同士を繋ぐ街道沿いを襲撃すれば、返り討ちに遭うからでしょう。領地に派遣される騎士団であれば、戦争から離脱した脱走兵や残党、野盗程度ではとても敵いません。一方で辺境の村なら、そのような心配もございません」
「徒党を組んでちょっと寄り道がてら村を襲って、元の帰り道に戻るって寸法だよ。特に負け戦を体験した奴らは生きるのにも必死だし、手段は択ばないよねー」
「舐められてる、ってわけね。分かってたけど、むかっ腹の立つ話よ」
こうして話に一区切りついた時、一部しか見えていなかった村の現状が全て捉えられた。
「生活に必要な資源は問題なし。税と収入は対応できる。そのどちらの障害にもなっているのは、村を襲う外的要素。だったら、ここに一番必要なのは――」
正直なところ、村の開拓自体は最低限で済みそうだ。破壊された家屋や井戸、カサインまで続く街道の修復は僕の魔法と村人の協力で、経済面は特産品の更なる調達と自然区域の開拓で何とかなる。
ただ、どちらにもネックとなるのが、迂闊に村の外にも出られない現状だ。そしてその原因は、もう嫌というほど知っているし、分かりきっている。
考えるまでもなく、僕は一つの結論を出した。
「――防衛力だ。魔物や残党軍に攻め込まれないよう、ディメンタ村を強い村にするんだ」
ディメンタ村に足りないのは、村そのものの防衛力。
こちらから攻め込まずとも、向こうに攻め込みたくないと思わせるほどの守備。いずれ村を大きくするのであれば、必ずついて回る外敵への対策を講じないといけない。
そしてディメンタ村では、その要素が最も重要視されるべきなんだ。
当然、いざ領地を強くするといっても、僕一人では何もできない。だから、聞くんだ。
「皆、手伝ってくれるかい?」
僕が問いかけると、誰もが頷いてくれた。
中にははしゃぐ人も、手を取り合って目標が生まれたことに喜びを示してくれる人もいた。アリス達は「成長した」と言って涙を拭っているし、ロック達は僕に飛びついてきた。
なんだか、僕にも分かった気がする。この優しさが、ディメンタ村の本質だって。
なら、皆の笑顔を守るべく、優しさを守るべく、領主として為すべきことを成すんだ。
こうしてようやく――僕の、初めての領地運営物語の幕が上がった。
ひとまず僕に必要だったのは、自分の魔法について知ることだった。
『変性』と『変形』、二つの魔法の能力自体は理解してた。物質の状態を変えて、他のものを作る。イメージした通りに、自動的に精巧かつ頑強な道具を生成できる。
そこから僕がさらに学べたのは、変形させる物体のサイズと複雑さに応じて、マナの消費量が変わる点だ。例えば、抱えられるサイズの鉄のブロックを作るだけなら、何十個も生成できる。だけど、家屋を一から創造するとなると、一日に一戸が限界だ。
ただし、例外もあった。僕は鉄の人形を生成するのには、どれだけ複雑なものにしてもあまりマナを使わないようだった。それこそ、一日に四つほど、精巧な人形を造り上げてもちっとも疲れないほどに。
魔法が才能だというなら、僕は人形を作る才能がある、といってもいいのかな。
「『変性』……『変形』……よし、できた」
だから僕は、先んじていくつか鉄人形――今は自律人形、オートマタって呼んでる――を生成しておいた。重労働や、村の皆の家事や仕事を手伝えるようにね。
二度の生成のおかげで、僕の中でもオートマタに対するイメージは固定しやすくなった。
サイズは成人男性程度、骨組みを中心とした人型の構築にして、余計な装甲は剥がす。動力部分を頭に集中させて、中央の橙色のカメラで視界を確保させる。エネルギーはマナを自動で生み出す魔力炉と、不足分を太陽光で補う形式にした。
最終的に生成したオートマタは、どこかで見たロボットのような形になった。村を圧迫しない程度に作り上げ、並べられたそれは、まるで軍隊のようだった。
「皆、これから少し大変な仕事があるけど、お手伝いよろしくね」
僕がそう言うと、オートマタは無言でうなずいて、各々の仕事を始めた。
数が多いからか、最初は村の皆も少し距離を置いてたけど、洗濯物や食事の準備を手伝ってくれる相手に、ちょっとずつ心を許してくれるようだった。仕事の全てを人形に任せない、と誰もが考えてくれているのも、僕にはありがたかった。
ところで、オートマタ以外のアイテムを作っていくとなると、連続して魔法を使う為には、シンプルなアイテムを生成する必要がある。
これを踏まえて、僕は領地に作成するものの順番を決めて、作業に取り掛かった。
何を差し置いても最初に必要だったのは、防壁だ。
ディメンタ村に現存する防壁は、言っちゃ悪いけど、壁としての役割を持ってなかった。木を組んで造られた壁はほとんどが壊されてたし、修復も間に合ってない。
だから僕は、門も含めて、一から防壁を作り直すことにしたんだ。
用意したのは、周辺からかき集めてきた土を硬く変性して、形を整えたブロック。鋼にしなかったのは、どこか村の雰囲気に合わなかったからというだけ。でも、硬度はそれに匹敵するように変性したし、何より村を冷たい鉄で覆うのは気が引けた。
ただ、ブロックには少しだけ細工をしてある。元居た世界で遊んだことのある『ブロックトイ』のように、上部にでっぱり、下部にくぼみがある。一度嵌めこめば、かえしのおかげで中々外れないような仕組みになってる。
これを交互に組んでいけば、釘や接着剤を用いずに強固な壁が出来上がるってわけ。
幅は人が並んで二人、三人歩けるくらいで、接地面だけ大型のブロックを用意しておく。もしも村が大きくなったなら、僕の魔法で分解して、もう一度作り直せばいい。
ついでに防壁と防壁の継ぎ目、そして門のすぐそばに『やぐら』を作る為のパーツも生成した。遠くを見渡すのに、きっと役に立ってくれる。
最初はこれをオートマタに運ばせるつもりだったけど、思わぬ計算外があった。
「俺達も手伝うぜ、イーサン。ていうか、村のことなんだから手伝わせろっての!」
ロック達村の男衆が、揃って門の建築に協力してくれたんだ。
かなりの重労働になるって説明をしても、ロック達はそれこそ聞く耳を持たず、勝手に作業を始めちゃった。僕も戸惑っていたんだけど、これがディメンタ村なりの優しさだって僕も察して、甘えさせてもらうことにしたよ。
でも、メイが協力してくれたのは驚きだった。正確に言うと、メイが初めて披露してくれた魔法で生み出した、木の姿をした魔物が、だけどね。
「これがメイの魔法、『使役魔法』よ。木に命を吹き込んで、魔物『トレント』にするの」
メイの後ろにいたのは、二匹の大木。どちらも裂けたような目と口があって、不規則に伸びた枝を手に、根を足にして器用に動いてる。ついでに枝はとても太くて、メイがここに連れてきてくれた理由が分かる気がするな。
「人間なんて軽く一ひねりするくらいのパワーがあるから、力仕事には貢献してくれるわよ。夜には元の木に戻っちゃうから、使い過ぎには注意しなさいよね」
「彼らに協力してもらって、野盗を追い払ったりはできなかったのかな?」
「数も多少は増やせるけど、単調な動きしかできないし、囲んでくるならず者相手に戦いきれないわよ。無理に抵抗すれば、村にも危害が及ぶって思い込んでたしね……けど、もうメイも、村も逃げないわ。もしも戦うなら、彼らを使ってあげて」
『ま、まかせ、て! おいら、ちからもち!』
やや呂律の回っていない返事をしてくれたトレントは、作業に大きく貢献してくれた。
沢山の腕と高いパワーを持つトレントは、まさしく重機のように働いてくれた。オートマタも休み知らずに動いてくれるおかげで、防壁は予想よりも早く完成しそうだね。
男衆やトレント、オートマタが防壁建設の作業をしてくれている傍で、僕はもう一つ、大事なものを作っていた。
「イーサン、それ何だ?」
「『バリスタ』だよ。簡単に言うと、固定式の弩弓だね」
「確か、この前襲って来た奴らをぶっ飛ばした武器だよな! あれと同じくらい強いのを、俺達も使えるのか!?」
「いや、僕が以前作ったものとは違うよ。あれは急ごしらえで生成したからパーツの強度に問題があったし、使うのに力がいるんだ。今度のは、もう少し使いやすくする予定だよ」
ロックに説明しながらパーツを生成しているのは、壁に設置するバリスタだ。
といっても、僕がならず者を撃退するために使ったタイプとはまた違う。これもブロックトイのように、木と金属でできた複数のパーツを嵌め合わせて作った、簡素なタイプになる。パーツを防壁の上に持っていって作れば、運送の手間もない。
ただし、今回は素材が豊富だったから、弦の部分には魔物の皮のゴムを採用した。ぜんまい仕掛けで弦を引くので力がそこまで必要なく、前方に簡易的な木製の盾も設置してあるから、使うのに慣れてない村の皆もすぐに慣れてくれると思う。
これを門の傍に二門、現時点で門がある面の防壁に八門、村を囲む防壁の残り三面にそれぞれ四門設置した。作りすぎたかも、というのが素直な感想だね。
門とバリスタの次は、橋と濠があれば、村の防御は一層堅固になるに違いない。
「ご主人様、濠と橋は都市防衛の必需品でございます」
「昔読んだ本にも書いてあったね。一応、地面を削ってアイテムを作ったから濠の形にはなってるけど、どう進めていけばいいものやら……」
「では、私がご助力いたしましょう」
あくまで本を読んでかじった知識ではあるけど、アリスや村の皆の知恵も借りて、防壁の建築と並行して作業を始めた。といっても、濠を掘り進める必要はないんだ。防壁の生成に使った土をその辺りから集めてきたからね。
ただ、補強自体は必要になる。それに水を引いてくる必要もあるんだけど、とりあえず人間じゃまず跳び越えられない深さと広さは獲得したから、これでよしとしよう。
ついでにブロックトイの要領で作った木の板と円形パーツ、強固なロープと魔物の皮を作り直したゴムで、木製の門と橋を生成した。橋はハンドルを巻き上げて持ち上がるように、門は防壁の一部にしてこちらもハンドルで閉まるようにした。
なんだかプラモデルを組み立てているような気分だけど、硬さはお墨付きだ。橋は村人が何十人で飛び跳ねても崩れないし、門は獣化魔法で変身したアリスの殴打にも耐えきった。ちょっとやそっとの攻撃じゃ、傷もつかないよ。
「申し訳ございません、ご主人様。獣の拳で、門にひびを入れてしまいました」
「あたしが修復魔法で直しといたから、心配しないでねー」
訂正。もう少しだけ、硬い素材で作り直さないといけないかもしれないね。
門の修復がてら僕が必要な素材を生成していく傍で、村では毎日のように建築作業が続いていた。疲労もたまるだろうと思って、僕は僕なりにサプライズも用意しておいた。
一つは、村人が戦う為の武器だ。
剣や斧を作ろうかとも考えていたけど、戦闘経験が少ないなら槍と盾がいいという結論に至った。槍なら極端な話、突くだけで敵にダメージを与えられるからね。
作成自体はとてもシンプル、かつ簡単で、あっという間に村人全員分の武器ができた。
「こりゃすげえ! 鉄を貫く槍なんて、初めて見た!」
「それにこの盾もだ! これがあれば、野盗連中なんて目じゃねえな!」
ロックを含め、村人からの反響はとても良かった。槍は突けば鉄のブロックを貫通したし、盾はその槍の攻撃を完全に防ぎきることができた。少し練習すれば、野盗くらいならこれで完封できるはずだ。
もっとも、白兵戦は少なからず村側に犠牲が出る可能性がある。
そうならないように、バリスタを含めて、防衛の仕組みを僕が作っておかないと。
もう一つのサプライズは、僕がとっても大好きなもの。つまり、お風呂だ。
石造りの簡単な大浴場みたいなもので、オートマタに手伝ってもらって、火を焚いて水を沸かす。水源が豊富で、水を引いてくるのが簡単な環境だからこそ作れた設備だけど、村の皆には大うけした。もちろん、離れたところに敷居で囲った女性用のお風呂もあるよ。
「ご主人様、私との入浴がお嫌でしょうか?」
「悲しいなあ、イーサン君がとうとう反抗期を迎えちゃったよ……」
「ご、ごめんね! ロックが向こうで僕と一緒に入りたいって言ってるから、ね!」
ついでに、アリス達と一緒にお風呂に入るのは丁重にお断りした。
アリスとパトリシアはがっかりした顔だったけど、ロックやメイもいるし、十歳にもなってメイドに体を洗ってもらうのは、なんだか気恥ずかしかったからね。
――まあ、そんなこんなで、村の開拓は順調に進んでいった。
破壊された家の再構築もほぼ完了した。豪華にはできなかったけど、必要最低限の部屋とトイレ、キッチンがあれば十分ということで、木造りの家屋を生成するのは、倒れる前に比べればさほど疲れなかった。重労働は男衆と、オートマタにも任せていたからね。
こうして、破壊された村の修復が大まか完了した頃には、門に防壁、濠に橋、武器といった防衛に必要なものが揃っていた。濠に水は流れていないし、防壁は完成度で言うと六十パーセントほどだけど、今は十分じゃないかな。
うん、これなら、見た目だけはスケールダウンした城塞都市に見えなくもない。
僕とロック、メイにアリス達が並んで、門の傍で村を眺めると、なんだかディメンタ村が生まれ故郷のようにさえ思えてきて、それがすごく嬉しかったんだ。
「ロック、君に出会えてよかったよ」
「俺もだよ、イーサン。ま、お互い感傷に浸る前に、もう一仕事しないとな!」
僕達は拳をぶつけ合って、もう一度防壁の建造作業に戻っていった。
村の再開発からしばらく経ったある日、事件が起きた。
「――大変だーっ! 国王軍の連中が、村に押しかけてきてるぞーっ!」
発端は、村人の慌てた調子の大声だった。
何が起きた、どうしたのかと村の皆は騒めいたけど、すぐに誰もが原因を察した。
前回からかなり間が空いてしまったけど、最初から起こりうると知っていた事態。それが発生しているんだって、何度目かになる悲鳴だけで村の誰もが嫌でも理解させられた。
これは――何者かの襲撃が起きた証拠だ。
「久々に来やがったか……様子を見に行くぞ、イーサン!」
ちょうど一緒にバリスタの組み立て作業をしていた僕は、ロックと顔を見合わせて頷くと、心配そうな調子の村人達に合流しようとした。
だけど、不意に服の裾を掴まれた。振り返った僕の視線の先にいたのは、不安を隠せずにいるアリスとパトリシアだ。
「ご主人様、私には何が起きているのか、何をしようとしているのか分かります。ご主人様の勇気は尊敬に値しますが、最前線に立つのはおやめください」
二人の頼みは察していたけど、今、それを承諾するわけにはいかない。
「アリスとパティのお願いでも、これだけはどうしてもね。トラブルが起きるかもって時に、僕は安全圏から眺めているだけなんて、領主としての在り方に関わるよ」
「でも、もしイーサン君に何かあったら、あたし達……」
「大丈夫、僕を信じて。代わりと言っちゃなんだけど、アリスには万が一の為に門の傍に居てほしい。パティは誰かが怪我をしたら、魔法で治療してあげて。お願いだ」
僕は精一杯、自分のできる範囲で、男らしい目つきで二人に言った。
いつもなら僕を子ども扱いしてくる二人だけど、今日ばかりは違った。アリスが、裾を掴むパトリシアの手に触れると、彼女は少しだけ迷ってから手を離した。
「……かしこまりました。では、不肖アリス、ご主人様の命を果たしてまいります」
「気を付けてね、イーサン君! 絶対怪我しないでね、約束だよ!」
アリスとパトリシアは、それぞれ僕の両頬にキスした。そして、それぞれが僕の指示した通りに、門の方へと走って行った。
――寝る前意外に、誰かにキスしてもらうなんて初めてかも。
ほんのちょっぴり体が熱くなったのを感じた僕だけど、直ぐに気合を入れるべく頬を軽くはたいた。それから近くのはしごを登って、やぐらにいるロックと合流した。
「村の外に誰もいない!? 逃げ遅れた人は!?」
「メイと男達で連れ帰ったわ! 外にもう、村の住人はいないわよ!」
下にいる皆に向かって、二人そろって声を上げると、メイが応えてくれた。
「よし、だったらハンドルを回して橋を上げてくれ! 門は絶対に開けないように!」
僕の号令で、オートマタと一緒に数人の村人がハンドルを力強く回した。すると、橋はぎぎぎ、と大きな音を立てて跳び上がる。僕の指示を聞いた、というわけじゃないにしても、村人が一致団結して行動してくれるのはとてもありがたい。
だけど、嬉しく思ってる場合でもない。
既に門と濠を挟んで、敵が外に到着していたんだ。
騎士甲冑を纏った兵隊は、合わせて十人。しかもその様子は、明らかに異様だった。
荷車ほど大きい、藍色の毛皮の首が二つある犬の魔物――オルトロスに搭乗して、長い槍を構えた騎士がいるんだ。僕が読んだ本には、あんな騎士は載ってなかったよ。
「ロック、あの魔物に乗ってるのも、騎士なのかな?」
「いや、俺は初めて見たぜ。騎士ってのは基本的に、馬かグリフォンに乗ってるってのが相場なんだよ。見てくれもなんだか、慣れない甲冑を無理矢理着てるって感じだ」
「戦争帰りかもしれないわね。それとも、騎士を装った何かなら、話は別だけど」
「もしも騎士なら、話は決まってる。俺達をねぎらえ、或いは飯と女をよこせ、だな」
ロックの言う通り、相手が何者かはともかく、まずは狙いを知らなきゃ。
そんなことを話していると、騎士の方から大仰な声を張り上げてきた。
「我らはフォールドリア国王軍、魔物騎士遊撃隊である! 敵ではない、門を開けろ!」
敵ではないと宣言しているけど、信用していたらきりがない。
「聞いた事ねえよ、そんなの! 第一、国王軍ならどうしてこんなところにいるんだ! 王都への帰り道が知りたいなら、川に沿って東に進んで行けばいいだろ!」
騎士達がもしもはぐれたり、何かしらの事情で違う街道を走ってきたりという理由でディメンタ村に来たのなら、ロックが指さした北側に行けば、少なくとも川に沿って王都には辿り着く(だとしても、いきなり門を開けろと叫ぶのは矛盾してるんだけどね)。
「ここにいる理由を、貴様らに話す必要はない!」
「常に最前線に立ち、逆賊と戦う騎士をねぎらうのは国民の義務と知っているな! 抵抗するというのなら、貴様らも国王に刃向かう蛮族連中とみなすぞ!」
それもそうだ、なんて言って村を離れてくれるのが理想だったんだけど、魔物を唸らせて威嚇している騎士達の高圧的な態度は、一向に変わらなかった。
要するに、これまで村を襲ってきた連中と、目的は同じだというのは分かったよ。
「交渉決裂だな……だったら、対応は一つ。だろ、イーサン?」
「うん、やるべきことも一つだ。生まれ変わったディメンタ村の力を見せつけるんだ、もうおんぼろ村なんて誰にも言わせないよ」
ロックだけじゃなくて、やぐらの下にいる皆が僕を見ていた。
指示を待つだけじゃない、覚悟を後押ししてほしいという顔。そんな風に見えて、僕は領主がただ命令するだけの人間じゃないというのを、改めて実感した。
そして、彼らの望みを僕が叶えられる。そんな確信も、僕の中にあった。
「皆、配置について! バリスタの威力を試す時だよ!」
「「おおぉーッ!」」
僕が拳を掲げて叫ぶと、村のありとあらゆる人々の喚声が響き渡った。
そして、何かを見計らったかのように踵を返して街道沿いに駆けていく国王軍の騎士と思しき敵の背を見届けてから、一斉に村人達が動き出した。
「防壁を登ったら、まずはバリスタの状態を確かめて! 練習した通り、最低でも二人で動かすんだ! メイ、トレント達に操作の補助をしてもらって!」
「男衆は門の後ろに行け、イーサンが作ってくれた武器を持ってな! 残ったやつは俺と一緒に迎撃の準備だ! 女子供は集会所の奥に隠れてくれ!」
僕と、やぐらから飛び降りたロックが声を張り上げると、誰もが命令通りに走り始めた。
小さな村のただの村民のはずなのに、誰もが余計な動きをせず、パニックにもならず、互いに声を掛け合って武器を取り、老人や子供の避難誘導までしている。
実は、防壁やバリスタ関係の生成に関わり出した頃から、いざという時の為に何度か村人を集めてシミュレーションをしていた。実戦を想定した素人なりの指示だったけど、結果として大まかな動きやバリスタの使い方を皆が把握してくれた。
正直、実動時には多少なりの緊張や恐怖が起こすもたつきも予想していた。
だけど、まさか皆がこんなに迅速に動けるなんて、思いもよらなかった。
ロックは「僕が指揮しているから」なんて言ってくれたけど、きっと本当の理由は、誰もが強い勇気に突き動かされて動いてるからだ。
皆がここまで頑張ってくれているなら、僕も領主として、しっかり指示を出さないと。
「射撃準備ができた人から報告して! 慌てないで、確実に撃てるようにするんだ!」
僕の指示通り、皆が一斉にバリスタのセッティングを始めてくれた。
バリスタは防壁上に設置された分だけじゃなく、門の傍からせり出した移動式のものも含めて、合計十門。木で作った矢の数は多いけど、同時射撃は十発が限界だ。だからこそ、確実に撃てるようにしないといけないんだ。
実際のところ、弦を引くのも矢をセットするのも、一人いれば事足りる。バリスタの機能はほとんどぜんまい仕掛けで完結していて、女性や子どもだと少しだけ難儀するかもしれないけど、男の力なら大丈夫だ。
それでも二人一組で行動させたのは、慣れない動きをさせることへの懸念に対する保険のつもりだった。でも、ロックはここでも予想外の大活躍をしてくれた。
「できたぜ、イーサン! いつでも撃てるぞ!」
ものの数秒で、ロックは他の人の分まで弦を引き絞り、矢を搭載してくれたんだ。
「凄いね、もうバリスタを使いこなせるなんて!」
「よせやい! 生まれつき手先が器用って、それだけだっての! ナイフさばきがちょっと上手なだけが取り柄の俺にも、活躍の場があってホッとしたぜ!」
とんでもない。話の呑み込みが早いのは知っていたけど、それは頭の回転の速さや器用さに直結してるんだから。やっぱりロックは、心から尊敬できる友人だよ。
「どうだ、メイ! バリスタは使えるか!?」
彼が声をかけた先には、木の魔物トレントと一緒に弦を引っ張るメイがいた。
「ちょっと重いけど、トレントに手伝ってもらえば引けるわ!」
『お、おいら! ひく、めいと、これ、ひく!』
本当ならシェルターに隠れているべきなのかもしれないけど、メイはトレントという力強い仲間を得て、あえて前線に残ってくれた。彼女を絶対に傷つけないというのは、僕とロックが固く結んだ、何よりも大事な約束だ。
「イーサン様! バリスタは準備完了ですぜーっ!」
「ありがとうーっ! 敵に動きがあるまで、一旦待機しておいてーっ!」
彼女が木の魔物に手助けしてもらいながら矢をセッティングした頃には、他のバリスタも撃てるようになっていた。僕の号令で、この矢が一斉に発射されるわけだ。
皆に軽く手を振ると、ロックが僕のいるやぐらまでもう一度登ってきた。
「あいつら、すっかり姿が見えなくなったな……諦めたのか?」
一緒に視線を向けた先には、もう敵はいない。ロックはできれば、敵が諦めて逃げたんだと結論付けたかったかもしれないけど、恐らくそうはいかないはずだ。
「ううん、隠れてる仲間達を呼んでるんだと思うよ。街道の向こうから出てくるはずだ」
「もしも敵の数が多くて、バリスタをかいくぐって、門を破ったらどうする?」
「周辺にはオートマタを配置させてるし、そこで必ず食い止める……来たよ、ロック!」
僕の予想通り、街道の遠く向こうから、砂埃と沢山の黒い影が迫ってきていた。
再びバリスタの方に戻ったロックは、僕の方からは表情が見えないけど、間違いなく目を見開いていると確信できた。だって、僕も、ほかの皆の顔も驚きに満ちていたんだから。
理由は当然、眼前の敵にあった。
双頭の犬に跨った騎士達が――さっきの何倍もの数で猛進してきていたんだ。
「なんだありゃ!? ひい、ふう、みい……三十はいるぞ!」
「残党って数じゃないわよ! しかも皆、魔物を乗りこなしてる!」
「いよいよ、王国軍かも怪しくなってきたね。魔物に乗っているだけの、鎧や紋章旗を奪った野盗の可能性もある……盗賊団、とでも言うべきかな」
自分で呟きながら、僕はもう一度迫ってくる敵を見据えた。
僕はそれほど目がいいわけじゃない。でも、何人かが兜を脱ぎ捨てて、ドレッドヘアーや奇抜な髪形を露呈させていた。もしも王族や貴族の配下の騎士団に属しているなら、もっと整然とした髪型にしないといけないはずだ。
おまけに、こちらのバリスタが見えているはずなのに、逃げないどころか、奇声を上げながら突進してくる。つまり、彼らには半端に組み上げられた防壁や、ハリボテのバリスタしかない村を蹂躙して、盗みと殺しを果たしてみせたという実績があるんだ。
だから彼らは、全く臆していない。オルトロスに乗って濠を跳び越え、まだ完成し切っていない門と壁をタックルで壊して、村人を皆殺しにする気だ。
「イーサン! トレント達が、あの魔物は濠を跳び越えてくるって言ってるわ!」
「まずいぜ、濠を跳び越えられたら、残ってるのは未完成の壁だ! 万が一壊されでもしてみろ、オートマタとアリス、男衆で迎撃しても村に被害が出ちまう!」
メイとトレントの報告で、いよいよ僕の疑念は確信になった。
だけど、ある意味ではチャンスだ。バリスタの実力を見せつけて、皆に村を防衛したという確かな自信を付けさせるならこれ以上の好機はない――成功すれば、だけど。
「そうはさせない! 皆、敵が濠の前まで来たら発射の合図をするよ!」
いや、だけどなんて、半端な言葉じゃだめだ。絶対に、防衛を成功させるんだ。
バリスタの引き金を全員が構えたのを見てから、僕は敵をしっかりと睨んだ。号令が早すぎれば最大の成果が得られず、遅すぎれば門に攻撃を仕掛けられる。
僕の声一つで、村の命運が決まる。
「近づいてるよ、イーサン様!」
「まだだよ!」
「領主さん、攻撃させてくれ!」
「まだだ、まだ!」
村人の声を制して、敵を限界まで引きつける。敵が油断して、バリスタで撃ってこないと思い込むほどに。本物の兵器を、偽物だと思い込むほどに。
一瞬が一秒、一秒が一分に感じられるくらい長い、長い刹那。
――僕は見た。
盗賊団の先陣を切るならず者の顔が、門の破壊を確信して嗤ったのを。
調子に乗った。避けることを考えていない。攻撃など予想もしていない。ならば、こちらが攻撃を叩き込んでやるのに、これ以上の機会は存在しない。
躊躇うな。声を上げろ。優しさの為に、甘さを捨てろ。
大事なものを守り抜くべく――やれ、イーサン・セルヴィッジ。
「――放てええぇッ!」
喉を震わせるほど大きな、僕の号令が轟いた。
全ての引き金が同時に引かれ、弦がしなり、木の杭を模した矢が放たれた。冷えた空気をたちまち斬り裂き、十本の矢は最も村に近づいていたオルトロスとその騎乗者に向かって、目にも留まらぬ速さで飛んでいく。
そして、それは盗賊や魔物の鎧や肌に触れたかと思うと、骨肉諸共貫通してみせた。鉄製の鎧を抉り取り、強固な牙をへし折り、騎乗者を(或いはその一部を)吹き飛ばし、バリスタの矢は一発につき一つの命を見事に奪った。
もちろん、あくまで素人の一斉射撃だから、全ての矢が命中したわけじゃない。でも、やぐらから顔を覗かせて見れば、射撃の効果はとても大きかった。
突如として広がった仲間の亡骸を目の当たりにして、盗賊連中が明らかに狼狽していたんだ。それこそ、魔物の足を止めて、少しだけ後方に退くぐらいにはね。
「効いてる、効いてるわ! 魔物が一発でくたばったわよ!」
「というかこれ、とんでもない威力だな!?」
「すげえ……こんなに簡単に、敵を倒せるのかよ……!」
メイや村人が威力に驚いて、成果に喜んでいたけど、まだ戦いは終わってない。
「油断しないで、矢の準備をお願い! 慌てないで、ゆっくりやればいいよ!」
その証拠に、盗賊は喚き声を轟かせて、もう一度突進を試みてきたからだ。
「結構な数を倒してやったのに、まだ攻撃してくるってのか!」
「むきになってるみたいだね……だったら、もう一度だ! 皆、構えて!」
敵が即座に攻撃してきたのは、次弾装填に時間がかかると踏んだからだろうか。
けど、もしそうなら、僕の作ったバリスタと村人の技量を甘く見てるよ。だって、また濠に近づいてくるよりも先に、誰もが二撃目の矢を番えていたんだから。
「撃て!」
二度目の号令で、再び十本の矢が敵を貫いた。
皆も慣れてきたのか、さっきよりも正確に、矢がならず者か魔物のどちらかを確実に死に至らしめてた。敵が怒りや戸惑いで、直線的な動きをしていたのも理由かもね。
いずれにせよ、村を狙う驚異の数は、たちまち半分以下に減った。斃れた敵の中には、まだ息があるのもいたけど、もう立ち上がることは叶わないみたいだ。搭乗者がいない獣はうろつくだけだし、獣が息絶えたならず者も転落して、少なくとも怪我を負っている。
「イーサン、敵の動きが完全に止まったぜ! もう一度、矢を撃ち込むか!?」
「いや、様子を見る! だけど、いつでも撃てるようにはしておいて!」
さて、状況はどう転ぶかな。
十を超える死体を見て、まだ略奪を諦めないのなら、もう次からは射撃を途絶えさせない。魔物も盗賊も死ぬまで、バリスタの矢の雨を降らせる気でいる。
だから、この間は敵への最終通告のつもりだ。できれば、大人しく従ってほしい。
じりじりと後退しつつある盗賊達の目は、ありがたいことに恐怖に染まっているようだった。中には魔物の尻を叩いて前進させようとしてるのもいたけど、オルトロスは二つの首を横に振って、死にたくないと拒絶しているみたいだ。
これまで当たり前のように蹂躙してきた辺境の村が、いきなり装備を整えて反撃してきた上に、同胞を半分も殺したんだ。魔物の反応も、当然ともいえるかな。
そんなやりとりをしばらく続けているうち、とうとう盗賊団に変化が起きた。
「おい、見ろ! あいつら、逃げてくぞ!」
残された盗賊が背を向けて、街道を外れた森の方へと走って行った。
「……森の方に退いていく……ってことは……!」
僕はもう、小さくなっていく盗賊なんて見てなかった。
彼らの行動はすなわち、一つの結果を意味してたからだ。
「――俺達の、ディメンタ村の勝利だぁーっ!」
そう、ディメンタ村の勝利という結果を。
ロックの雄叫びが、たちまち村全体の歓声へと変わった。避難所から様子を見に来ていた女性や子供、老人老婆も家屋を飛び出して、門の回りにいる勇士達と抱き合って、何も奪われなかった初めての反撃の成功を喜んでる。
僕はというと、正直喜びよりも安心感の方が勝って、やっと肩の力が抜けたよ。
一度の勝利ですべてが終わったわけじゃないけど、ひとまずは敵を退けた皆と、自分を褒めてあげてもいいかな。こんなに上手くいくなんて、思ってもみなかったけど。
そんなことを考えながらやぐらを降りた僕は、急に視界が真っ暗になった。
「んぶっ!?」
最初は何事ごとかと思ったけど、この匂いには覚えがある。ほんの少しだけ考えてから、僕は今、アリス達の胸に抱きしめられているんだって分かった。
「ご主人様! 見事、お見事にございます……!」
今回ばかりは、涙声のアリスとパトリシアを引き剥がすわけにいかなかった。
だって、心配をかけたんだもの。僕が無事だって安心感で胸を満たしてくれるなら、しばらくは強すぎる力にも、柔らかすぎる感触にも成すがままにされるしかないね。
そんな僕が解放された時、ロック達村人がぞろぞろと僕の方に集まってきていた。
「やったぜ、イーサン! よっ、ディメンタ村の救世主!」
「救世主だなんて、大袈裟だよ」
肩に手をかけて頬ずりするロックに、僕は至極当然の感想で答えた。
「この村を救ったのは、村の皆の勇気だよ。盗賊相手にも臆さずに、しっかり学んだバリスタの使い方を活かしてくれた。僕がいても、皆がいなかったらこうはならなかった」
ロックは僕のおかげだなんていうけど、そんなわけがない。僕はあくまで、手段を提供しただけだ。村人が手伝ってくれなければ、オートマタがいても攻撃を防げなかったかもしれないし、防壁の建築も間に合わなかったかもしれない。
だから、お礼を言うのは僕の方だ。優しさを守る機会を貰えた、僕の方なんだ。
「ありがとう、皆……本当に、ありがとう!」
僕が深く頭を下げると、皆は少しだけ戸惑ったようだった。
「ったく、領主サマがぺこぺこ頭を下げてたら、威厳もへったくれもないじゃない」
ちょっぴり尖った声を聞いて顔を上げると、ロックの隣に立つメイが、僕の方をじっと見つめてた。今まで一度だって見たこともない、朗らかな表情で、彼女は――。
「お礼を言うのはメイ達の方よ……こっちこそ、ありがとう」
笑った。僅かに尖った口で、慣れてない目つきで、それでも笑った。
僕も、多くを話さなかった。ただ、彼女に微笑み返した。それだけで十分だった。
さてと、皆で肩を叩き合って、勝利に酔いしれるのもいいけど、まだやるべきことは終わっていない。かじった知識だけど、やらなきゃいけない事柄は残ってる。
「敵の死体は一か所に集めて、焼いて埋めてあげよう。犬は……流石に食べられそうにないかな。同じように処分しようか。武器は貴重な資源だから回収しておかないとね」
まずは、門の外に転がる死体をきっちりと弔ってあげること。
「それから――作業が終わったら、どうかな、勝利を祝って宴なんてのは!」
そして、村の初勝利を祝う時間を作ることだ。
僕の提案を聞いて、ロックやメイどころか、村人とアリス達まで盛り上がってくれた。
「サイコーだな、その提案! 自然の恵みだけはたっぷりあるのがディメンタ村の特徴だからな! とっておきの肉料理も煮込み料理も、なんだって振舞うぜ……メイが!」
「任せときなさい。だけど兄貴、あんたも手伝うのよ?」
「それこそ任せとけって! 試食担当は大の得意だからよ、痛でっ!」
「ご主人様、私達もご助力いたします」
「久々に、メイドの腕の見せ所って感じかな!」
村中が熱気を帯びて、戦いとは別の盛り上がりを見せてゆく。
緊張が解れて、別の意味での笑顔が伝播していく。ああ、皆に一番して欲しい表情をこんなところで見られるなんて、幸せだなあと思えるよ。
「じゃあ、早速準備を始めよっか!」
それから間もなくして、村を上げた宴の準備が始まった。
「かんぱーいっ!」
「「かんぱーいっ!」」
――その日の夕方から、ディメンタ村の広場は信じられないほど盛り上がった。
集会所とその前の広場には、僕が生成したテーブルと椅子、周囲を明るく照らすカンテラが所狭しと並べられて、ディメンタ村の女性達が総出で作った料理が振舞われた。準備が済んだ頃にはもう日が暮れかかっていたけど、村人が全員来てくれていた。
村長さんに、僕が乾杯の音頭を取るように言われたのは少し驚いたけど、カーティス兄妹にも背中を押されて、壇上で大きな声を上げて場を盛り上げて見せた。やったぞ、僕。
そこから先は、もう飲めや歌えの大騒ぎだ。
ちょっとはしゃぎすぎなんじゃないかって心配したけど、レベッカ村長が言うには、元々ディメンタ村はこれくらい騒がしい村なんだって。近頃は事情が重なって陰気な調子になっていたらしくて、元はこれくらいの陽気さがあったんだって。
「ほらほら、イーサンも食え食え! 肉ならいくらでもあるぜ!」
「うん、それじゃあフォークを持ってくる……」
「何言ってんだよ! 串を持って、こうやって、がつがつ食っちまうんだよ!」
ロックに言われるがまま、村の警備はオートマタに任せてあるからと、僕も久しく羽目を外してみた。といっても、喋りながら手づかみで料理を食べてみたくらいだけど。
串焼き肉を両手で掴んで、がつがつと頬張るなんて、屋敷じゃ絶対許されなかったね。ついでに言うと、流石に発泡酒を飲むのはアリス達が許してくれなかった。
「ご主人様、羽目を外しすぎませんよう」
「アリス先輩、口に鳥の丸焼きを突っ込んで言っても説得力ないよー?」
「……ごくん。まあ、ほどほどに。ほどほどに、でございます」
二人もはしゃいでくれていて、主人冥利に尽きるよ。
それに、森で採れたブドウを潰したジュースを飲むのは許してくれた。僕のとなりで、ロックがこっそり耳打ちした「これもお酒みたいなもんさ」って言葉を聞いた時は、吹き出しそうになったけどね。
男衆はテーブルの上で踊り出し、子供を連れた母親は椅子に座って語らい合う。まだまだ修復途中の村だけど、この雰囲気だけは、栄えた商業都市のようだ。
「フン。村の再興の立役者が、おっさんみたいな顔で空なんて眺めちゃってどうしたのよ」
そんなことを考えながら木の実をつまんでいると、メイが隣に座ってきた。
というか、僕は一応おっさんだったんだけど(三十代をおっさんとするならね)。
「なんだか、嬉しくなっちゃったんだ。村長さんに、これが村の本来の姿って聞いてね」
「毎日こんな調子じゃないわよ、たまにってだけ。でも、久々にこれだけ騒いでるバカ男どもを見るのは、悪い気はしないわ……そんな村に戻してくれたのは、あんたよ」
少しだけ、僕の傍にメイが寄ってくれた。
「……こう見えて、感謝してんのよ。それだけは、言っとくから」
ふと顔を見合わせると、メイの頬が、どうしてか暗いのに赤く染まっていた。
何というか、その、僕は少しだけ彼女に見とれていたのかもしれない。
「なんだなんだ、いい雰囲気で話しちゃってよーっ!」
すっかり出来上がった調子のロックが、僕とメイの間から顔を覗かせるまでは。
「兄貴!? なによ、いい雰囲気って!?」
「ははは、お似合いじゃねえか! イーサン、俺の妹をよろしく頼むぜ! 口が悪くて怒りやすい上にお前のメイドさんと比べて乳も尻も小さいが、いい女――おごっ」
メイの後ろから出てきたトレントが、ロックの脇腹にボディブローを叩き込んだ。あの一撃じゃあ、ぐったりしたまま半日は起きられないだろうね。うん、合掌。
「急用ができたわ。トレントと一緒に、兄貴を村の外に放り出してくる」
「家に寝かせてあげてね、悪気があったわけじゃないだろうし……」
「……考えとくわ、それじゃ。あと、兄貴の言ったことは全部忘れなさい」
ロックを引きずって去っていくメイと入れ替わるように、アリスがやってきた。
「ご主人様、何か良いことがありましたか? 顔がほころんでいますよ」
彼女の問いかけに、僕はちょっと悪戯っぽく、含んだ笑みで返した。
だけど、アリスの疑問は他のところにもあるようだった。
「……ところでご主人様、ライド男爵が仰っていた、ケイレム様についてですが」
「ケイレムが、どうしたの?」
「あの方は、いずれご主人様を見つけるでしょう。執念深く探し続け、蛇の如く村に迫り来ます。その時は、ご主人様を逃がさなければと……」
アリスの言いたいことは、分かる。
有事の際には、彼女は僕が拒もうとも、命を守るべく僕を村の外に逃がす。言いづらいからこそ、今言っておかなきゃいけないんだっていう、アリスの気持ちも分かる。
それに、僕も忘れていない。僕を殺そうとした張本人がまだ、僕を狙っていることを。ライド叔父さんの言う通り、彼が諦めるはずがないってことも。
だけど、僕の答えは決まってる。
「僕は逃げない――戦う。皆を、守る為に」
「……最期までお供いたします、ご主人様」
アリスが僕に微笑みかけてくれた顔は、いつもよりずっと朗らかだった。
僕と彼女の前で、夜が明けるまで続いた宴は、人生で一番楽しい時間になった。
【???】
怖い。薄気味悪い。幽霊みたいだ。
セルヴィッジ家に騎士として仕える僕――ヴィンセント・ロージアが今までぶつけられた言葉を上から三つ並べると、こうなるでしょう。
無理もないことです。痩せぎすで並の男より背丈が高く、青白い肌で、陰気な表情でコートを羽織って、身の丈ほども長い剣を背負う女がいれば、騎士とすら見られませんから。
それに、僕の本来の仕事は、表向きの騎士としての護衛ではないのです。
僕の本当の役割。それはセルヴィッジ家の政敵を影で排除する『始末屋』。
貴族に拾われた僕は、人を殺す術を学び、幼い頃から汚れ仕事をいくつも請け負ってきました。何人も、何十人も、現当主であるヴァッシュ様がセルヴィッジ家を支配するまでの間に、二十五歳にもなる頃には三桁を超える人間を殺めました。
僕はもとより使い捨ての道具として育てられたのですが、虚無感だけがいつでも心の中に渦巻いていました。そんな僕に運命の出会いが訪れた日を、永劫忘れないでしょう。
雨の降りしきる屋敷の裏庭で、いつものように古傷が開いた僕は、誰もいないところで傷を手当てしていました。医務室を頼らない、一人での治療は慣れたものです。
「……大丈夫? どこか、痛いの?」
ふと、僕は久しくかけられなかった人の声で、顔を上げました。
目の前にいたのは、小さな男の子。こちらを心配した調子で見つめる丸い瞳が、僕にはひどく眩しく、そして鬱陶しく見えて、邪険に接するのも無理はありませんでした。
「大変だよ、血が出てる! 待ってて、医務室から消毒薬を持ってくるから!」
子供はまるで怯えも、恐れもしませんでした。それどころか、雨に打たれながら医務室へと駆けだし、過剰ともいえる量の包帯と軟膏、その他諸々の医療品を持ってきたのです。
彼の手当は、お世辞にも上手いとは言えませんでした。僕が自分でやった方が遥かに効率が良いと知っているのに、なぜか僕は彼の手を止めようと思いませんでした。
まとまらない思考で、僕は静かに彼が誰であるかを聞きました。
「僕? 僕はイーサン、イーサン・セルヴィッジだよ!」
その時、僕は初めて彼を知ったのです。当主が語ろうとしない、二人の兄からすれば無能のセルヴィッジ家の三男、イーサン・ホライゾン・セルヴィッジを。
手が汚れるのも構わず、体が濡れるのも厭わずに僕に献身してくださったその方は、メイドとの勉強に遅刻すると言って、手を振って走り去っていきました。
僕がイーサン様とお話したのは、それが最後です。
しかし、初めて触れられた手の温かさが、僕に新たな生きる理由を教えてくれました。
イーサン様の為に、セルヴィッジ家を守るのだと。
僕はいつものように人を殺めながら、時折メイドや召使い、街の人々と話すイーサン様を影ながら見つめ、その優しい笑顔を瞳に焼き付けるのを日課とするようにしました。あのお方が成長する姿を、僕は毎日記録として残すようになりました。
いずれは、あのお方の傍に。その一心で、僕は一族に仕え続けました。
だからこそ――イーサン様が谷底に落ちたと聞いた時、僕は気が狂うかと思いました。
この屋敷からいなくなると知っただけでも吐き気を抑えられなかったというのに、まさか行方知れずになるなんて。メイドは何をしていたのか、無事でいるのか、それだけをただ毎日考え続け、ひたすらにイーサン様の無事を祈りました。
そうしてひと月と半が経とうとした頃、僕はケイレム様に呼び出されました。
豪奢に飾られた部屋の奥、赤いソファーにふんぞり返るケイレム様からの任務は初めてで、どのようなものかと身構えていた僕に、彼はこう告げました。
「お前を呼んだのは他でもない。実は、イーサンが見つかったんだよ」
その報告を聞いた僕の瞳は、きっと人生で一番輝いていたに違いありません。
「まず間違いない。ランカスター領地のディメンタ村に保護されているらしい。これは父上もザンダーも知らない、俺だけの伝手で手に入れた極秘の情報だ。それを知っているのは、今のところ俺とお前だけだ」
白い肌に赤みが増し、手が喜びに打ち震えていたに違いありません。
「そこで、だ。お前には――イーサンを殺す手伝いをしてほしいんだよ」
「……は?」
だからこそ、僕は、自分の耳を疑いました。
彼は、あの優しいイーサン様をわざわざ見つけ出して、しかも殺すと言ったのです。
「……どうして、ですか」
「どうして、だって? あいつが生きていると、俺としては困るんだよ。将来セルヴィッジ家を俺が支配するって時に、他の兄弟がいれば必ず障害になる」
ケイレム様の言葉の全てが建前だと、僕には分かっていました。
「何より、俺を侮辱したあのガキがまだ生きてるなんて、それこそ許せないだろう?」
いえ、こんなおぞましい本音を聞かされれば、全てが建前に聞こえるのは当然です。
「一族の誰にも秘密の計画だ。セルヴィッジに仕えるお前なら、従うよな?」
「……もちろんで、ございます」
――駄目だ。駄目だ、駄目だ、駄目だ。
今まで僕が仕えてきたのはセルヴィッジ家ですが、それを正当に後継するのは目の前の傲慢なケイレム様でも、ヴァッシュ様に媚びるザンダー様でもありません。
誰よりも慈悲に満ちたイーサン様こそが、セルヴィッジ家に相応しいのです。
いいや、仮にあの人がここに戻ってこなくても、僕はあの人に仕えるべきなのです。
この血塗られた手を拒まれるなら、影で彼を守り続けるだけでもいい。生涯でただ一人、僕の手を握ってくれた人のぬくもりを、忘れられるはずがありません。
「……僕が、イーサン様を先んじて始末します。ケイレム様はここでお待ちいただく、ということでも構いませんね?」
「いいや、俺も行く。お前が先に奴を捕えてから、俺が自分の手であのクソガキを、村であいつを庇っているカスごと惨たらしく殺してやるのさ!」
この会話で、ケイレム様は自分の目で彼の死を見届けたいのだと分かりました。
話を受けたその日の夜、僕は屋敷を出ました。譲歩の末、ケイレム様に三日後についてくるよう伝えて、一人でディメンタ村へと向かいました。
当然、彼の命令など聞きません。僕の目的はただ一つ、イーサン様の救助です。
別の貴族が治めている領地間を抜けるのは厄介ですが、これまで何度も逃げ果せようとした敵を始末する為に、抜け道を用意しているのです。距離こそあっても、ディメンタ村の周辺までたどり着くのはそう難しくありませんでした。
数日後の明朝には、僕は村の全景が捉えられるほど近くまでやってきました。
雨が降って足元は不安ですが、森の中でも一番長い木の上に登るのは、さほど難儀はしません。近くの魔物は既に殺してありますし、村の偵察を邪魔する者もいません。
「……ディメンタ村……聞いた話よりも、ずっと強固そうですね……」
遠目に見える村は、辺境とは思えないほど堅牢な外壁に囲まれていました。
ですが、あれくらいの警護であれば、容易に突破できる自信はあります。
もしも本当にイーサン様がまだ生きているのだとすれば、僕は彼を説得して(拒まれるのであれば攫ってでも)、ケイレム様の魔の手から逃れさせないといけません。
小さく息を吸い、僕は木から降りようと足を踏み出しました。
「……待っていてください、イーサン様……っ!?」
だけどその時、つるりと足が滑ったのを感じました。
体がふわりと宙に浮き、さっきまで立っていた太枝に体を打ちつける激痛が奔ります。
雨の日の暗殺は久しかったからでしょうか。イーサン様のことばかりを考えていたからでしょうか。僕の脳は、思考は、受け身を取るのを忘れていたのです。
そして、着地しようと体が動くより先に――僕の意識は、失われました。
「――それで、あの森に倒れていたんだね、君は」
その日の昼食は、いつもより少しだけ違う雰囲気だった。
というのも、普段よりも一人だけ、テーブルを囲む人が多いんだ。それはいつでも一緒にいるアリス達でもなければ、今みたいに一緒に食事をするカーティス兄妹でもない。
僕のすぐ隣に座っている――包帯を巻いた、瘦せぎすの女性だ。
「申し訳……ありません……食事まで、いただいて……」
「ううん、気にしないで。僕にわざわざ会いに来て、しかも何か事情があるって言うなら、こうしてもてなすのは当然だよ」
「あのイーサン様が……言葉を交わせるなど、夢にも思っていなかったイーサン様が……僕のような人間を労わってくださるとは……ひ、ひひ……」
豆のスープを飲みながら、女性はどこか慣れていない調子の笑顔を見せてくれた。
実を言うと、彼女が何者なのかを知ったのは、今さっきのことだった。なんせ彼女は、僕とロック、メイが食料を取りに森に向かった時に、木の下で気絶していたんだ。
ロックに知り合いか聞いてみたけど、ディメンタ村の住民ではないし、一度も見た記憶のない顔らしい。どこかの関係者かと考えてみても、真っ黒な衣服には何の紋章もなくて、どこから来たかもさっぱりだ。
それでも、ここに放っておけば魔物に襲われるか、そうじゃなくても命の保証がない。僕はロック達と相談して、彼女を村まで連れ帰って手当てをしたんだけど、女性の顔を見た途端、今度はアリスが僕を彼女から乱暴に引き剥がしたんだ。
「前と変わらない玉のような肌……宝石すら霞む瞳……ああ、願わくば御身に一度……」
その理由は、隣に座る彼女が僕の頬に向かって手を伸ばしてきた時にも明かされた。
「そこまでです」
険しい顔をしたアリスとパトリシアが、僕を庇うようにして女性から引き剥がしたんだ。
僕に触れるのを邪魔されたからか、女性は凄い顔でアリス達を睨んだ。
「貴女はセルヴィッジ家に仕える始末屋、ヴィンセント・ロージア……ご主人様を殺す為に遣わされた者であると、疑われているのだということ、ゆめお忘れなく」
「イーサン君に手出しはさせないよ。メイドだからって甘く見ないでよね」
警戒する二人が言う通り、彼女――ヴィンセントは、セルヴィッジ家に仕える凄腕の始末屋だった。本来、パトリシアを含めた召使は彼女のことを知らされていないらしいんだけど、アリスくらい事情に精通していれば、噂くらいは聞いているらしい。
なんでも、セルヴィッジ家には必ず排除したい政敵を影で処理する始末屋がいて、父や兄の命令一つで誰でも殺してしまうとのことだ。僕がその存在を聞かされてなかったのは、きっとまだ彼女に頼る歳ではないと判断されていたのかもね。
そんな人物を連れてきたんだから、アリスが目の色を変えるのは当然だ。今と同じようにアリスはヴィンセントから僕を離して、彼女を自分が始末するとまで言った。
だけど、アリスから話を聞かされた時、僕は驚くのと同時に彼女の顔を思い出した。
幼い頃に、彼女の怪我を拙く手当したのを覚えてた。確かに幽鬼のような出で立ちであっても、僕にはヴィンセントが悪い人にはどうにも思えない。
あの頃のヴィンセントを知っているからか、アリスが彼女を拘束してしまおうと提案しても、僕は一旦保留した。確かにセルヴィッジ家からやって来た刺客だし、ロックは外見を怖がってたけど、彼女からそんな恐ろしさを感じなかったんだ。
彼女が目を覚ましてからは、少しだけ落ち着かせてから(なぜか僕を見てから興奮した調子で鼻血を噴いて気を失った)食事に誘った。
彼女を寝かせたソファーの上で聞いた『とんでもない問題』を、リラックスできる環境で確認したかったんだけど、早くも事態は悪い方向に向かいつつあった。
さっきは競り合いは起きなかったから今回も大丈夫だというのは、僕の誤算だった。
「……そんなつもりはありませんが……イーサン様との時間を邪魔だてする気なら……」
ヴィンセントの目が細まったかと思うと、彼女はいきなり椅子を蹴り、宙を舞った。
そして、アリス達の眼前の床を思い切り殴りつけたんだ。
「っ!?」
次の瞬間、床の材木が粉々になって吹き飛んだ。それなりに強度のある木材で作ったはずの床には、たった一発の拳打で途轍もない大きさの穴が開いてしまった。
よくよく見ると、彼女の拳には青白い光が揺らめいていた。恐らく、これが彼女の魔法による効果なんだろう。そうじゃないと、ただの人間がこんな怪力を発せるはずがない。
「僕の『強化魔法』で限界まで鍛え上げられた筋力……いかに貴様の体が獣の如く硬くても、床ごと叩き砕く……!」
あまりのことに全員が唖然としていると、ヴィンセントがゆらりと体を起こして言った。
彼女が倒れていた際に持っていた大剣を預かっておいたのは、正解だった。すっかり使い込んでボロボロだったけど、あれをそのままヴィンセントに預けていたら、今頃渾身の一撃で、家が半壊していたかもしれないからね。
というか、既に床は吹き飛んだんだけど。これ、直すのは僕なんだよ。
「やはり、噂は本当でしたか。セルヴィッジ家でも屈指の剛力の持ち主、政敵を始末する為に育てられた騎士、『破壊者』が存在するというのは!」
アリスの瞳が大きくなり、肌を獣毛が埋め尽くす。僕を抱えて、牙を唸らせる。
「大丈夫か、イーサン!? こいつ、かなりやべえぞ、いろんな意味で!」
「外にもうトレントを待ち伏せさせてあるわ。イーサン、ヤバいって思ったらすぐに言いなさい。魔物達に捕えさせて、近くの川に捨ててくるわよ」
ロックとメイも臨戦態勢を取ったけど、僕はさほど焦ってなかった。
「心配ないよ。アリス、ヴィンセント、食事中に喧嘩はやめようね」
こう言えば、ヴィンセントは大人しく言うことを聞いてくれるって分かってたからね。彼女は怖い人かもしれないけど、常識はずれな人じゃないと察せてたし。
「……かしこまりました」
「申し訳ございません……イーサン様……」
ほらね、二人とも戦闘態勢を解いてくれた。
アリスは僕を席に戻してくれたし、ヴィンセントはしょげた調子で椅子に座り直した。破壊された床の穴だけを残して、僕らはさっきと同じように食事を続けた。
ただ、目的は漫然と食事を続けることだけじゃない。
「それじゃあ、食べながらでもいいから本題に入ろうか――ケイレムが、騎士団を率いてディメンタ村に迫ってきているというのは本当かい?」
僕が本当に聞いておきたかったのは、これだ。
ソファーに寝かせたヴィンセントが目覚めた時、彼女は矢継ぎ早にここに来た理由を話してくれた。あまりに唐突で、もう一度確かめざるを得ないような理由を。
「……確かです……僕が、その尖兵として派遣されたのですから……」
改めていきなり訪れた村の危機を耳にして、ロック達も顔を見合わせる。
「ケイレムっていうと、セルヴィッジ家の次男で、イーサンを殺そうとしたって奴だよな? ボジューダ渓谷でお前を谷から落としたのも、そいつだったはずだぜ?」
「その通りでございます。彼らはまだ、ご主人様を諦めておりませんでした」
「どうやってディメンタ村に僕がいるのかを突き止めたのかは分からないけど、彼は僕を見つけた。そして君を先に向かわせて、僕を攫うように命令したんだね」
「はい……彼自身が、自分で殺す為に……村は、その後焼き払うつもり……でした……」
ヴィンセントは頷いた。
ここまで聞けば彼女は侵略の尖兵なのだろうけど、その目には躊躇いがあった。
「ですが……イーサン様はお優しいお方……僕に唯一、話しかけてくださったお方……そんな方を、殺せるわけがありませんでした……セルヴィッジ家の命令に背き、僕はイーサン様を攫ってどこか遠くに逃げようと企てましたが、足を滑らせ……今に至るのです」
ヴィンセントが務めを果たさなかったのには、そんな事情があったのか。
「イーサン君、そんなの覚えてる?」
パトリシアの問いに、僕は頷いた。
彼女と会ったのは怪我の手当てをしたその一回だけだった。僕も忙しかったし、彼女も騎士としての役割があるんだろうと思っていたけど、まさか本当はセルヴィッジ家の陰に隠された暗殺者だったなんて、予想もしなかった。
「うん、何年か前にちょっとだけ、傷の手当てをしたんだ。そうだよね?」
「あっ、あっ……その通りです……イーサン様が、僕を、僕を覚えていてくださった……」
僕が話しかけただけで、ヴィンセントはびくりと大きく震えあがった。
まだ僕達と会話するのに緊張しているのかな。もしもセルヴィッジ家の人と会話していると考えてるなら、僕をただのイーサンだと認識してくれてもいいのに。
「イーサン、今度から優しくする相手は選びなさいよね。こんなぶっ飛んだ奴に一度好かれたら、地獄の果てまで追いかけられる羽目になるわよ」
「とにかく、あいつは懲りも懲りずに、イーサン君を狙いに来るってわけだね」
話を戻すと、パトリシアの言う通り、ケイレムは近くこの村にやって来る。
僕の抹殺が目的なのは明白で、ならば目標が動けば、来訪先も変わるはずだ。
「じゃあ、僕がケイレムのところに行けば――」
「そこまでだ。お前はどこにも行く必要はねえよ」
そんな安直な考えを僕が口にしきるより先に、ロックが言った。
「あんた、自己犠牲を尊いとか思ってる節があるわよね。言っとくけど、メイ達を守るだとか言って一人で村を抜け出したら、首根っこ掴んで連れ帰って、ぶちのめしてやるわよ」
「この村にいると判明した以上、ご主人様がどこに向かわれても結果は変わりません。敵はご主人様が投降しようとしまいと、ディメンタ村を滅ぼすでしょう。それがケイレム・ターン・セルヴィッジという男でございます」
気持ちは嬉しいけれど、それはそれでケイレムをディメンタ村に呼び込む結果を呼び寄せてしまう。もしもそうなれば、待っているのは貴族付きの騎士団との戦いだ。
勝算がないわけじゃない。でも、ともすれば村人に被害をもたらす可能性もある。ここにいる面子だけで、早速戦いの準備を進めようと結論づけられる話じゃないんだ。
「……なら、まずは村長さんとお話をしないと」
だから僕は、こうやって話を区切るほかなかった。
皆もこれ以上は言及せずに、食事を再開した。
ちなみに今日のメニューは、森で狩猟した剛毛豚のソテーに豆のスープ、村で焼いたパン、デザートの野イチゴケーキ。どれもシンプルだけどアリスが腕によりをかけて作ってくれた料理で、とっても美味しくて、食べるだけで活力が湧いてくる。
ヴィンセントも満足してくれてるみたいで、一口食べるごとに目を輝かせてくれた。
「それにしても……こんな辺境の村に、甘味があるなんて……」
「元々、素材になる果物は森に生ってたのよ。村で加工する技術がなかっただけ」
「ま、それを街でしか見ないようなデザートって形で食えるようになったのは、イーサンの魔法と、砂糖を作るオートマタのおかげだけどな」
「オートマタ? それに、イーサン様の魔法は、確か……」
デザートを頬張るロックの言葉に、ヴィンセントは首を傾げた。
そういえば、ヴィンセントは僕が魔法を使えるようになったのを知らないよね。
「実際に見た方がいいだろ。こいつのおかげで、村がどんだけ栄えたかってな!」
「あはは、よしてよロック。村を復興させたいって皆の気持ちがあったから、僕も頑張れたって、それだけだよ」
僕の笑い方も、ちょっぴりロックに似てきたのかな。明るく、素敵な笑い方に。
「……相変わらず、人にお優しい……なんと素敵なお方……」
だからだろうね、ヴィンセントが蕩けたような顔になってるのは。
ロックの裏表のない笑顔は人を惹きつける。真似しているつもりはないけれど、暗い表情をしている彼女が歩み寄ってくれるくらいの明るさにを、僕も彼からもらえてるんだって思うと、それだけで嬉しくなっちゃうよ。
もっとも、ヴィンセントの接近を許さない人もいるんだよね。
「ミス・ロージア。ご主人様への不用意な接近は、極力お控えください」
僕を挟んで、アリスとヴィンセントが火花を散らした。どうやらこの二人はそりが合わないのか、互いにけん制し合ってるような調子なんだ。
「アリス先輩、イーサン君を取り合って、ヴィンセントさんに嫉妬心バリバリだね」
「僕としては、同じ屋敷にいた者同士、仲良くしてくれると嬉しいんだけど……」
嫉妬する要素なんて、僕にあるのかな。
そんなことを考えているうち、あっという間に皆は昼食を食べ終えてしまった。アリスの作る料理は美味しいから、気づくと僕みたいに平らげちゃってるんだよね。
さて、お腹も膨れたし、やるべきことは山ほどある。
「じゃあ、集会所に行こうか。村長さんなら、いつもそこにいるだろうしね」
「ご主人様、片づけは私達が行いますので、先に集会所へ」
「ううん、手伝うよ。ヴィンセントも、悪いけど食器を運んでくれるかな?」
「……はい……喜んで……」
僕が席を立つと、皆が後片付けを手伝ってくれた。
和気あいあいとするこの時間が一番好きなのかもしれない、そう僕は思った。
それから少しして、僕は皆と一緒に家を出た。
僕が住んでいる家は、アリスとパトリシアも一緒に住まうから少しだけ大きくしてある。周りとの差を設けるのはよくないと思ってたんだけど、ロック達が「領主ならいい家に住め」って言ってくれたんだよね。
ついでに、村人も僕を見ると手を振ってくれるようになったのが、とても嬉しいかな。
「村に、活気があります……辺境とは……思えないくらい……」
そんな僕の隣で(さらに隣にはアリスがぴったりとくっついてた)、ヴィンセントは村の雰囲気を見て驚いていた。彼女にとって、ここは辺境の寂れた村、という認識らしい。
実際のところ、それは間違ってないかな。
ただ、ここには僕の魔法と、村を良くしたいっていう皆の気持ちがあるんだ。
「しばらく前までは、辛気臭い村だったさ。野盗や王族と貴族の残党軍が襲撃を仕掛ける格好の的になってて、なんにもないおんぼろ村だなんて言われてたんだぜ」
「そんなディメンタ村を変えてくれたのが、イーサンよ。ほら、あんな風にね」
メイの指さす方向に視線を泳がせたヴィンセントは、思わず立ち止まったようだった。
「……あれは……?」
彼女が見たのは、大型のオートマタ。
僕はオートマタを生成するときに、サイズごとに呼称を変えた。獣や人間のひざ下くらいのサイズは小型、人型サイズは中型、それより大きいものは大型。ヴィンセントが見てるのは、家屋の一階の天井に届くほどのサイズのオートマタだ。
「イーサンが作ったオートマタだよ。こいつは物の性質を変えて、別のものに変形させる魔法を持ってるんだとさ。ちなみにあの人形は、今井戸を掘ってるところだってよ」
「井戸を……?」
「野党の襲撃で井戸を壊されたからね。だから、オートマタに修復を任せたんだ」
しかも、これに限って言えば人型じゃない。上半身は人間だけど、下半身は三つの足を持ち、中央に大きな腕や工具を備え付けてる。それが何をしてるのかというと、村人と一緒に、股下の崩れて埋まった井戸をもう一度掘りなおしてる。
がちゃん、がちゃんと小気味良い音と共に、瓦礫を中央の腕で取り出して、村人が運んでいく。三本の足は、オートマタが重い瓦礫で倒れないようにする支柱だ。
しかもこれには、他の重要な機能も搭載してるんだ。
「井戸の修復、とは……」
「見てると分かるよ。ほら、ちょうど掘り終えたみたいだ」
僕がそう言うと、すっかり瓦礫や野盗が捨て入れた残骸を集め終えたオートマタが、ぐるりとひっくり返った。
そして、勢いよく体を沈め込んだかと思うと、そのまま変形して井戸そのものになってくれた。内部までしっかり外壁として埋まってくれたから、今度はちょっとやそっとの攻撃、衝撃じゃあ壊れないだろうね。
さて、村じゃあもうわりと見慣れた光景だけど、ヴィンセントにとっては驚きだ。
「……人形そのものが……井戸になった……!?」
信じられないといった目で僕を見つめる彼女に微笑むのが、僕にはなんだか楽しかった。
「僕の魔法は、鉄の人形を生成するのが得意みたいなんだ。だから、そこを利用して、オートマタそのものに他の機能を持たせることにしたんだよ」
もちろん、工事用に生成したオートマタはこれだけじゃない。よくよく見なくても、破壊された村を修復する大型のオートマタはいくつかあった。
「あそこにいるのは家を建築してて、こっちはやぐらと防壁の増築を手伝ってるんだ。水路にまだ水は引けないから、防壁だけは張り巡らせておかなきゃいけないと思ってね」
男衆と一緒に防壁用ブロックを運んでいるオートマタは、獣のような四本脚。背中にブロックを乗せて、村人の指示に従って積んでいっている。これのおかげで、村を円形に囲む防壁の完成率は、もう八十パーセントを超えていた。
そしてこのオートマタにも、役割を与えている。
「柱……ですか? あれは……?」
ヴィンセントの前で、大型オートマタがガチャガチャと変形して、防壁を支える柱の姿になった。これはその役目を終えたわけじゃなくて、皆が休憩に入った証拠だ。こうして村の一部にしてしまえば、収納スペースには困らない。
唯一のデメリットは、大型オートマタは一体生成するとマナの多くを使い切っちゃう点かな。その分、村の皆に必要な生活用品が作れなくなっちゃうんだ。
「村の開拓に併せて、解体が早くできるように専用のオートマタを補強材代わりに組み込んであるんだ。村を大きくするのは、まだまだ先の話だけど」
「ですが……これでは、村人が怠惰に……」
「メイもそこらへんは心配したわよ。特に兄貴は、イーサンと話し合ってすぐに、一日中ごろごろできるなんて喜んでたんだから。もちろん、きついお灸を据えてやったわ」
「トレントに拳骨を貰った時は、流石に死ぬかと思ったぜ、がはは!」
ロックはけらけらと笑ってるけど、あの時は流石に僕も焦った。
まあ、その後すぐに起き上がったんだけど。ロックのタフさは、羨ましいな。
で、ヴィンセントの懸念している内容については、実のところアリス達も心配してたんだ。でも、僕の魔法の問題点のおかげで、それも解消された。
「オートマタはね、専門的な知識は外から取り入れないと学べないんだ。井戸掘削用オートマタは村の大人から掘り方を聞いて作ったし、建築もアリス達に教えてもらって、初めてあそこまで作業ができるようになったんだよ」
「村と共に、人と寄り添い成長する魔法……ご主人様を映す、鏡のような魔法です」
僕とアリスがそう言うと、ヴィンセントは深く納得してくれた。
オートマタは、放っておいても全ての仕事をこなしてくれるわけじゃないし、ましてや無限に働き続けるわけでもない。仕事は教え込む必要があるし、昼の間ずっと動かせば夜は動けなくなる。だから、考えて使用しなきゃいけない。
ちなみに、村の皆も、オートマタを都合のいい道具じゃなく、村の一員として迎え入れてくれてる。子供は鋼の体を拭いてくれるし、オートマタも感情があるみたいに、老人の生活を補助したりしてくれる。
僕が思っている以上に、魔法と村の共存は上手くいっていた。
おんぼろ村と呼ばれていた頃のディメンタ村は、もうほとんど残っていない。この調子で作業が進めば、村の経営について、外にも目を向けられるようになる。
「ま、ここは俺達が命がけで守るって決めた故郷だからな。オートマタだけに仕事を任せるような奴は、ディメンタ村にはいねえよ」
ディメンタ村の人々と機械の力、二つが合わさって、開拓は進んでゆく。
だけど、僕とロックの夢はまだ止まらない。
「本当はもっとやらなきゃいけないことは多い。でも、元々自然の恵みを多くもらえる村だから、こうして生活の利便と防衛基盤を固めるのを優先したんだ。水や食料に困らないのは、ありがたいことだよ」
「いつかは商業都市と王都を行き交う商人達も、立ち寄ってくれるといいよな! 特にここをおんぼろ村だなんて言った奴が、顎が外れるほど驚くのを見るのが楽しみだぜ!」
僕とロックは互いに顔を見合わせ、にっと笑った。
とっくの昔に、ロックの夢は僕の夢になってたんだ。
「それに僕は、将来的には村の中や商業都市に名産品の店を開くことも考えてるし、ディメンタ村のように襲われて追いやられた人を迎え入れようとも思ってる。ここはもっと大きくなれるし、もっと便利にもなって、皆を笑顔にできる優しい村だよ」
この村は、とても優しい村だ。
僕を迎え入れてくれた、いつでも笑顔が溢れている村だ。かつては旅人を住民として迎え入れたケースも多かったみたいだし、今回もそれくらいの余裕ができればいいな。
とはいえ、今回はその夢を叶える前に、とても大きな障害が残っている。
ケイレムが三日後には村にやって来る。対策できなければ、村は焼かれ、命は絶える。
「だから、だからこそ、守らなきゃいけないんだ」
「ご主人様……」
それだけは何としても、僕の命に代えても止めなきゃいけない。
僕の顔がちょっぴり神妙になったのに気付いたのは、アリスだけだった。
そんなことを考えながら歩いていると、集会所の前に着いた。
「……着いたよ。ここが村の集会所だ」
いつもなら集会所の中で、村の数少ない子供達への教育を受け持っているレベッカ村長だけど、今日は建物の前の椅子に腰かけていた。きっと、子供達は別のところで遊んでいるんだろう。
ちょうどいい。人が多いのに比べれば、ずっと話しやすい。
「おや、どうしたんだい、皆揃って……」
いつもの朗らかな村長さんの笑顔が、僕らの顔つきを見て変わった。
「レベッカ村長、話があります」
「ふむ、随分と神妙な顔だね。何か、トラブルでも舞い込んでくるのかい?」
僕は小さく息を吸って、吐いて、はっきりと告げた。
「はい、皆を集めてほしいんです――村の存亡に関わる、重大な話をします」
レベッカ村長の顔色が、明らかに変わった。
僕が村長さんに声をかけてからしばらくして、ディメンタ村の集会所の前に村人達が全員集まっていた。もちろん、僕やロック、メイ、アリス達もいる。
さほど広いとは言えない広場に、数十人の村人がぞろぞろと集まった理由は、ただ一つ。
「――皆に、二日後の夜明けに起きる出来事を話しておきたいんだ」
村に迫りくる、ケイレムの軍隊について説明する必要があったからだ。
今回の一件は「知らない人がいました」では済まされない。僕の一存でも決められないし、僕自身も現状を確かめておきたかったんだ。
「セルヴィッジ家の次男、ケイレム・ターン・セルヴィッジが、僕の命を狙って村にやって来る。魔法を使いこなす熟練の騎士を、百近く引き連れてくるんだ。当然、彼も炎を操る強力な魔法を使える」
一瞬で村が騒めいたのも無理はない。なんせ、魔法を使う敵は初めてだろうから。
僕の知る限り、ケイレムは『爆炎魔法』を用いる。火を自在に操って、敵を焼き尽くす魔法だ。屋敷で魔法を実演していたのを何度か見たことがあるけど、大木をたった数秒で炭にするくらいの破壊力を持ってる。
人間がもしまともに攻撃を受ければ、まず即死は免れない。
他にも、属性魔法を使う騎士は沢山いるし、体を強化するヴィンセントのそれに似た魔法の使用者も多い。しかも、誰もが騎士として訓練を受けているのだから、てきとうに人を襲う野盗とは比べ物にならない。
「彼らは人を殺すのを躊躇わない。逃げても、降参しても、最後の一人まで殺す。村を焼き払って、何もかもを消し去る気でいる貴族と、正面からぶつかり合わなきゃいけない」
何より、ケイレムの命令に従う騎士の行いは、残虐だ。
僕を殺すだけじゃ、彼は飽き足りない。僕を匿っていること、僕を逃がしていたこと、僕に関わった時点ですべての人間を敵とみなす彼は、村を消滅させるに違いない。
「正直に言うと、僕は……僕は、どうすればいいのか分からないんだ。自分一人を犠牲にしても終わる問題じゃない、でも……」
もう一つの提案を話すべきだとは思っていた。なのに、言葉にはしづらかった。
村を再興させるときの頼みとはわけが違う。彼らにそれを頼み込むというのは、死地に赴いてくれと言っているようなものだったからだ。どれだけ安全策を思いついたとしても、貴族が率いる騎士と戦うというのは、あまりにも危険すぎる提案なんだ。
「……でも、僕は……!」
言葉が紡げず、皆の前でうつむいてしまう。
どうすればいいんだろう、どうしたらいいんだろう。ただ何も言えないままに時間が過ぎ、思わず目を瞑ってしまいそうになった、その時だった。
「――領主さま、顔を上げてください」
誰かの声が聞こえた。
はっと顔を上げた僕の前に広がっていたのは、村の皆の笑顔だった。
怒りでも、ましてや恐怖でもない。二日後には死の軍勢が迫ってくると言ったのに、彼らは驚くくらいの笑顔で、僕を見つめてくれていたんだ。
それがどういう意味かなんて、聞きなおす方が失礼だ。
「俺達の答えは最初から決まってるぜ、イーサン!」
「あんたはこのディメンタ村の領主サマよ。村とメイを、皆をこんなにも変えてくれたじゃない。それを見捨てるなんて、できるわけないでしょうが」
ディメンタ村の総意は――僕を守るという決意だって、僕には分かった。
ロックやメイだけじゃない。レベッカ村長を含めた村の誰もが、僕がどうするべきかを話す前に、この結論を出してくれたんだ。
「領主さん、かつて村の男達は魔物を仕留めるほど剛毅だったよ。男衆の自信と熱意を取り戻してくれた今なら、恐れるものなんてないね」
「貴族連中が尻尾巻いて逃げ出す姿が、今から楽しみだぜ!」
「あんた、しっかりやってやりな! 村と領主様を守るんだよ!」
「やってやるぜ、おまえ! 貴族なんかに領主さまをやらせるかよっ!」
口々に想いを伝えてくれる皆の前で、申し訳ないと言うほど、僕に領主としての自覚がないわけじゃない。皆が僕を信じてくれるなら、僕も皆を信じなきゃ。
「……分かった。なら、領主として僕も約束するよ。ディメンタ村に、ケイレムの手の者は絶対に、一歩も踏み入れさせないって!」
僕がそう言うと、隣に立つアリス達を含めた、村の全員が深く頷いてくれた。
村と僕の気持ちが一つになってると思うと、それだけで勇気が湧いてくるようだった。そのおかげで、建設的な話ができるくらいの心の余裕も生まれてきた。
「ケイレムの進軍する方向は分かるかな?」
「ディメンタ村は……街道側以外が、川や森に挟まれているので……少数ならそちらから来るでしょうが……今回のような大人数なら……特定しやすいかと……」
「ま、ぶっ飛ばしてからセルヴィッジの本丸が押しかけてきたら、流石にやべえけどな!」
「ヴィンセントが言うには、連れてきたのはケイレムの私設軍隊みたいだ。それに彼は、僕を殺しに行くのを誰にも伝えてない。だから、報復の可能性は低いと思う」
セルヴィッジ家と全面戦争になると知っているなら、逃げるのが賢明だと思う。
だけど、ヴィンセントの言い分が確かなら、僕を殺す計画を誰にも教えてない。それに、戦争でぴりぴりしているご時世に、わざわざランカスター家と揉め事は起こさないはずだ。
目下敵として認識しないといけないのがケイレムだけというのは、ある意味幸運だった。
「問題は、相手が野盗なんかと比べ物にならないくらい強い、ってとこだね」
ただ、ケイレムが率いる騎士達と、彼自身が難敵という事実は変わらない。セルヴィッジのいずれかに仕えているというのは、つまり魔法を習得しているのと同義だ。魔法を使う騎士が強いなんて認識は、どこに行っても変わるはずがない。
「あの乱暴者に仕える騎士……剣技に優れるだけでなく……魔法まで用いる……相手にするには、かなり厄介な奴らです……」
「そんなのが、揃いも揃って最低でも百人。イーサン、対策はあるのよね?」
こっちを苦い顔で見つめるメイに、僕は笑顔で返した。
「ああ、もう作戦は考えてあるんだ。僕のとっておきの作戦は――」
ここで初めて、僕はディメンタ村を守る最大の作戦について教えた。
集会所前に集まるまでの間に、僕は脳みそをフル稼働させて作戦を考えてた。まだ作戦としては八割ほどしか固まっていなかったから、さっきは何も言わなかった。
でも、もう秘密にしている理由はない。それに、僕が自信家ってわけじゃないにしても、今回の作戦は敵の度肝を抜いて、圧倒するに足りるって確信があったからね。
事実、誰もが僕の話を聞いて、驚いているようだった。そのどれもが「やってみる価値がある」という希望に満ちていて、わくわくしているようにさえ見えたんだ。
「……とんでもない作戦だね。イーサン君、本気?」
「うん、僕がもしケイレムじゃなくて、ケイレムに従っているだけなら、これを見せつけられれば逃げ出したくなるよ。戦うなんて、到底思いつきもしないね」
「確かにそうね。メイもドン引きするわよ、こんなのが出てきたら」
「これ以上ないほどに大胆な策です。ご主人様、自らの魔法を最大限に活かした奇策の発案、お見事でございます」
僕よりもずっと理知的なアリスやメイが肯定してくれたなら、一層自信に繋がるよ。
「良策になるかは結果次第だけど、やるしかない。人数差と戦力差を覆すには、こっちに圧倒的に強い味方をつけるか、相手の数を無理矢理減らすか、二つに一つだ」
「イーサン様の案は……そのどちらをも満たしております……流石、僕の主様……」
「ありがとうね、ヴィンセント。さて、皆、僕の作戦に乗ってくれないかな?」
きっと、僕の顔は今までにないくらいの大胆さを浮かべていたと思う(自分が鏡を見たら、それこそ似合ってなくて笑っちゃうくらいには)。
「わはははは! おもしれえ作戦じゃねえか、俺は乗るぜ!」
そんな気持ちが伝播したみたいに、最初に声を上げてくれたのはロックだった。
「メイも乗ったわ。分の悪い賭けってわけじゃないし」
「領主さんが村の皆を信じてくれているように、村人は誰もが領主さんを信じてるのさ。何でも相談しておくれ、村の総出で手助けするさね!」
全ての村人が僕を信じてくれた。一切の疑いなく僕を信じてくれるなら、何度も言うけど、領主は彼らに勝利と繁栄をもたらす義務がある。
何より、守ってくれるのなら、僕も全力で守りたい。
優しさで互いを信じられるのなら、きっと、優しさが魔法の力を上回るんだから。
「よし、戦いが始まる夜明けまでに準備を整えよう! ディメンタ村の総力で、ケイレムの軍隊を迎え撃つんだ!」
「「うおおぉぉーっ!」」
野盗を追い払った時よりもずっと大きな声が、村中に轟いた。
それから真夜中になるまで、僕達は一丸になって準備を始めた。
男衆とロック、メイは戦いに備えて、僕が作った武器の使い方を再確認しつつ、他に用意した白兵戦用の『奥の手』に試乗する。女性や子供は戦いに参加させるわけにはいかないけど、精一杯の豪勢な食事で村人の力を底上げしてくれてる。
準備とは言ったけど、武器は少し前から作っていて皆には周知してあったし、ロックを含めて使いこなしてくれているようだった。一からの用意というよりは、自分達にできることを確かめる作業、と言った方がいいのかな。
僕はというと、ケイレム軍団を追い払う奇策を魔法で作り上げたからか、アリスの膝を枕にして横になっていた。正確に言うと、まだまだ手伝いたいことは沢山あったんだけど、夜明けの戦いに備えて強制的に休まされていたんだ。
促されるままに眠りに就いて、目が覚めた頃には、もうすっかり辺りは暗くなってた。
村人は休息を取っていたけど、ヴィンセントとパトリシアが寝ずの番をしてくれていたおかげで、敵がまだ来ていないのは分かった。
でも、これ以上眠っているわけにはいかないと、誰もが分かっているみたいだった。
近くで寝転がっていたロックが目覚めると、皆が次々に目を覚ます。そして覚悟を決めた顔で、大きな門の向こう側から白んでくる暗黒を見つめていた。
ヴィンセントの情報通りなら、もうすぐ門の向こうから敵の姿が見えるはずだ。
僕が皆の顔を見回して頷くと、全員が頷き返し、応えてくれた。武器を手に取り、門に走り出す仲間と一緒に、僕はやぐらの方に駆け出した。
――さあ、ここからが僕とディメンタ村の正念場。
誰も想像できない『はったり』がどこまで通用するか、一世一代の大勝負の始まりだ。
【ケイレム】
夜の闇が少しずつ白んでいき、朝が迫ってくる。
静かな世界に、鎧が掠れ、馬が鳴く音だけが響く。
「まさか、ディメンタ村なんて辺境に隠れてるとは思わなかったぞ」
その中心で、この俺様――ケイレム・ターン・セルヴィッジの心は逸っていた。
いずれセルヴィッジを継ぐ完璧な人生に、恥の汚点を塗りたくった忌むべき弟、イーサンが隠れている場所をとうとう突き止めたからだ。
無論、居場所を見つけただけでここまで昂ぶりはしない。俺様の両端に並ぶ、総勢百を超える魔法騎士達による蹂躙と、殺戮を想像しているからに他ならない。
「野盗共の戯言かと、今の今まで完全には信用していなかったがな。ボジューダ渓谷からどうやってここまで来れたかは知らないが、俺様から逃げ切れると思うなよ。今日がお前の命日だ、イーサン!」
どうやら、薄汚い野盗というのも存外役に立つらしいな。
あいつらを谷から突き落としてやるのは、あっさりと失敗した。金を積まれれば何でもする、あさましい傭兵なんて使えない連中に任せたのが間違いだった。
だから今度は、先んじてヴィンセントを送り込んだ。あいつはセルヴィッジ家が誇る最強の武器だが、まるで連絡がこない。信じられない話だが、あの愚図も何かしらの手段で処理されてしまったと思った方がいいな。
言っておくが、裏切りなんて決してありえない。何故なら俺様は、セルヴィッジ家の中で最も才能に溢れ、当主を継ぐのに相応しい男だからだ。
無能な兄なんて話にならない。人望とかいう何の価値もないものばかりを振りかざしていた、あんな村に隠れた卑怯者なんてのは論外だ。街も、屋敷も、人も、最期は武力で圧倒した者が頂点に立つんだよ。
「暗がりですが、バリスタらしい兵器は確認できます。回り込みますか?」
ちっぽけでつまらない村を俺が眺めていると、騎士の一人が俺に言った。
兜の中から俺様を見つめる目が示す通り、こいつも無能のカスだ。
「バーカ、こっちは全員が魔法を使えるんだぞ? 土属性の魔法で壁を作って、防御魔法で弾けば何の問題もない。第一、あんな辺境の村がバリスタなんて用意できると思うか?」
俺様が何のために、自分の直属の騎士を、全員魔法を使える人間にしたと思ってるんだ。
土属性の魔法は、こいつらほど強ければ多少の攻撃は簡単に防ぐ。もちろん、光の壁を発生させる防御魔法の使い手もいるし、矢を放たれても何の問題もない。第一、あんなしょぼくれた、防壁も完全に完成してない村に何ができるっていうんだ。
「俺様が思うに、あれはハリボテだな。防壁も、中から覗けばどうせスカスカだ!」
「そ、そうおっしゃるのであれば……」
騎士はへりくだりながら一歩退いたが、納得していないのが見え見えだ。
そんなことも分からないこいつは、戻ったら騎士の資格を剥奪してやる。
「門は風や火の属性魔法を持っている攻撃隊に破壊させて、一気に突撃するぞ。言っておくが、捕虜はいらないぞ。住民は女子供、老人まで一人残らず殺せ」
今更だが、俺様は直接でも、関節でも、一度でも逆らった人間を許すつもりはない。イーサンが生きているなら、あの憎らしいメイド達も生きているはずだ。なら、今度こそ完全に息の根を止めてやる。
命乞いも聞かない、体を突き出しても止めはしない。慰み者にしてから、あのガキを庇った村の連中諸共、首を野晒しにしてやる。屋敷の下にいる平民共の中も、俺様に刃向かった奴らの末路を見せれば、ザンダーより俺に従う気になるはずだ。
もっとも、イーサンが死ぬのは誰よりも最後になるな。
「ただし、絶対にイーサンだけは殺すんじゃないぞ。とどめをさすのは必ず俺様だ、あいつの絶望した顔を堪能してから、首を刎ねてやる!」
何故なら、あいつは俺様の手で、最も惨たらしい死にざまを晒して死ぬからだ。
「「はっ!」」
騎士の声を受け、俺は鎧を揺らして前進する。
村の戦力は知らないが、この圧倒的な武力に敵うはずがない。攻撃・防御問わず魔法を使える熟達の騎士が百名超、鍛えられた騎馬に、鍛冶に鍛えさせた硬い剣。
なにより、この俺様、ケイレム・ターン・セルヴィッジは武と知に優れ、勇猛さでいずれ名を馳せる未来の名将だ。全てを焼き尽くす『爆炎魔法』を操り、いずれは黒王すら超える器の持ち主だからな。
そんな軍勢を相手にもしも奴らが勝つなんて、巨人でも仲間に引き入れなければ不可能だ。あの防壁を越えるほどの巨体でも見えなければ、戦況がひっくり返せるわけがない。
さて、太陽が昇ってきた。あいつらの逃避行も、これで完全に終わりだ。
「もうじき完全に夜が明けるな! お前達、村を蹂躙する準備を――」
俺様の偉大な鬨の声で、一斉に騎士を進軍させようとした、その時だった。
「け、ケイレム様!」
素っ頓狂な騎士の声が、俺の耳に入ってきた。
思わずずっこけそうになりながら、声のした方を見ると、ひとりの騎士が村の方角を指さし、どういうわけかわなわなと震えていた。
「なんだ? 俺様の掛け声を邪魔するなんて、何を考えてるんだ?」
「それどころではありません! あれを、あれを……!」
「あれだと? 何を言って……」
苛立ちが頂点に達しそうな俺だったが、ふと、騎士どものおかしな様子に気づいた。
どいつもこいつも、村に視線が釘付けになっている。兜を被っている奴も、そうでない奴も、中には足が震えていたり、がくがくと体を揺らしてる奴までいる。
何をやっているんだ、何を見ているんだ。
すっかり呆れた気分のまま、俺もこいつらと同じように、村に目を向けた。
そして――俺様の瞳にも、『それ』が映った。
「な、ななな……」
最初に判別できたのは、防壁の上にしがみつく腕、だった。
間違いなく指としか形容できないものが、向こう側から防壁を掴んでいる。最初はただそこだけしか分からなかったが、日が昇り、空がだんだん明るくなってくると、その先にある、とんでもなく大きく長い腕が現れた。
影じゃない。間違いなく実体がある。人の姿を模した何かがのそりと見せた姿は、どう見積もっても、防壁の倍近い背丈を有している。そこまで村と距離のない俺達が、見上げて見上げて、ようやく視界に入るほどの巨躯だ。
奴は唸っている。大きな口から、白い息を漏らしている。
奴は見ている。橙色の丸い一つの瞳を、ぎょろりと光らせている。
そいつの目が俺達を捉えた瞬間、空気が張り詰めて、地震の如く揺れた。
『――オオオオオオオオォォォォォッ!』
巨人としか形容できない、見上げてなお高い背の怪物が――俺達の前で吼えた。
地を震わせて、鼓膜を破りかねない雄叫びだった。
「あれは……なんだああぁぁーっ!?」
俺が絶叫するのと、騎士達が一目散に逃げだすのは、ほぼ同時だった。
「イーサン、トレントからの報告よ! 騎士はほとんど逃げていったわ!」
「やったぜ、作戦は大成功だ! こっちからも、敵が慌ててるのがよく見えるぜ!」
ディメンタ村の防壁の上で、カーティス兄妹の報告が聞こえた時、僕の作戦は成功した。
ロック達が立つ防壁の傍のやぐらで、僕もケイレム軍の動きを見てた。空が白んできて、近づいてきていた敵の動きは面白いくらい良く見えた。
中央にいる豪奢な鎧をまとったケイレムが慌てふためくのもそうだけど、さっきまで百以上いたはずの騎士の数は、既に半分を下回っていた。いや、今もまだ、背を向けて街道のはるか向こうまで走り去っていく騎士がいる。
日光が射しこみ、怪物の姿が露になればなるほど、逃げる数も増えていってるね。
「よかった! 『巨人ドッキリ作戦』は大成功だね!」
ロックとメイ、トレントと目が合って、僕は歯を見せて笑った。
これが僕のとっておきの作戦――圧倒的な物量の差を見せつけ、戦意を削ぐ作戦だ。
『圧倒的な物量差で敵を倒す』って作戦自体は、早いうちから出ていた。けど、無数の武器を作っても使い手がいないし、オートマタだって消費するとなれば、マナが足りなくなる。そこで一つの大きい武器を生成しようとしたけど、別の問題もあった。
プレッシャーを与えるほどのサイズの物体を生成するのは、正直なところ不可能なんだ。多分、僕が三日ほど寝込むか、命を損なうほどの力のを代償にすれば可能かもしれないけど、確証はないし、僕が死ねば作ってきたものが崩れ去る、そんな気がした。
そこで、僕は別のプランを選んだ。武器を使わない、はったりを利かせた作戦だ。
「家屋をいくつも繋げて、巨人に見立てて立ち上がらせる……中身ははりぼてですが、敵からすればとてつもなく巨大な怪物が顕現したように見えるでしょう」
「元の物質さえあれば何でもできる、イーサン君だからこそできるはったりだね!」
アリス達の言う通り、僕は元ある素材で巨人を作ることにしたんだ。
魔法による変形は簡単だった。まだ修復の済んでいない複数の家屋を繋ぎ合わせて、一つの大きなオートマタに見立てて変形させた。瞳は光るようにして、サイズは村を超えるほどにすると、とんでもない威圧感を村人にすら与えたよ。
ただ、変性魔法で材質は比較的硬い物質にしたけど、やっぱり攻撃に使えるほどの強度は得られなかった。それに、今は壁にもたれかからせてるけど、これ以上の動きはできない。だから、攻め込まれたならひとたまりもない。
でも、そんな心配は杞憂だった。ハリボテの巨人は、凄まじい成果を挙げてくれたんだ。
ついでに、武器や盾を捨てて、すたこらさっさと逃げる騎士を見て、僕は確信した。
ケイレムが率いている騎士に、彼への忠誠心はない。
この世界の騎士は、元居た世界の武士のように、忠義を食べて生きているといっても過言じゃない。主君の命令が絶対であるのは当然として、その忠誠心は異常の域だ。だからこそ、ヴィンセントだって何年も影の仕事をこなせていたんだ。
はっきり言って、死ねと命令されれば、命を捨てる誓いを立てずとも死ぬ騎士だっている。最後の一人になっても、忠臣であることを捨てて生きる道を選ぶ者はいない。
なのに、敵は巨人を見るや否や、一目散に逃げだした。つまり、ケイレムと一緒に戦うことはできても、ケイレムの為に死ぬのはごめんだというわけだ。
あの敵の総数は、見た通りじゃない。上手くやれば、もっと戦力差は拡げられる。
「よし、敵の数は半分以下だ! 更に数を減らすよ――バリスタ第一射、撃て!」
僕の号令で、村人が一斉にバリスタから矢を放った。
暗闇で敵を狙えと言われれば苦しかったかもしれない。でも、日はかなり昇っているし、逆光にもなっていない。何より、初めての戦いの後、皆は射撃の訓練をしたんだ。バリスタだって、もうオートマタに頼らなくたって使えるんだよ。
だから、精度についてはもう心配しなかった。僕がバリスタを使うよりもずっと上手に、十発のうち半分以上の矢が敵の鎧に風穴を開けた。
「命中した! よし、そのまま第二射……撃て!」
この調子でいけば、ケイレムの軍隊を一桁まで減らせるかもしれない。
だけど、僕の予想は早くも外れることになった。敵の中心にいたケイレムの手から放たれた炎が、飛来する木の矢をことごとく焼き払ったからだ。
あれがケイレムの魔法、『爆炎魔法』。掌から溢れる炎が敵を焼き尽くす、四大元素を操る珍しい魔法だ。ああいった魔法を使いこなせるのが当主の座を継ぐ条件だとするのなら、ケイレムは間違いなく満たしていると言えるくらい、魔法の熟達者だ。
離れたやぐらの上からでも、野火の如く解き放たれた炎の壁が見える。そんな相手に、これ以上バリスタで射撃をしても防がれてしまうだけだ。
「二射目は防がれたか……仕方ない、白兵戦を仕掛けよう!」
なら――あまり望ましい進展じゃないけど、作戦を第二段階に移さなくちゃ。
僕が皆に聞こえるような大声で指示を出しながら、やぐらから降りると、もう男衆とロック、メイ、アリス達とヴィンセントが門の前で待機していた。
十数人の村人には、僕が生成した鋼の槍と盾を装備してもらった。
ロックはいつも通り膝や腰に大量のナイフを仕込み、メイはトレントを三匹も従えてる。アリスはもう漆黒の巨大な獣に体を変貌させていて、ヴィンセントは来訪した時とは違う無骨な大剣を背負っている。これは、僕が作った特殊な武器だ。
この秘密はまだ話せないけど、門の前に並べられた新たな武器については話せるよ。
車輪のついた船のような、機械的な乗り物『騎馬オートマタ』だ。これも巨人と同じで、一から作り上げたわけじゃない。普段村の仕事を手伝ってくれているオートマタを、二つ一組にして変形魔法で合体させたんだ。
四本足を器用に動かして高速で奔走するうえに、回避までこなしてくれる。これに乗って一撃離脱を繰り返すのが、ディメンタ村の基本戦法だ。
「皆、二人一組で『騎馬オートマタ』に乗って! アリス、僕とパティをお願い!」
「かしこまりました、ご主人様」
といっても、僕とパトリシアが乗るのはアリスなんだけどね。オートマタも強力だけど、命を預ける信頼において、彼女に勝る相手はいないよ。
「ロック、メイの二人はトレントと一緒に! あとは……ヴィンセント、頼むよ」
「お任せください……このヴィンセント・ロージア……命に代えても、成し遂げます」
カーティス兄妹をトレント達が背負い、皆がオートマタに乗り、準備は整った。
「騎馬隊は攻撃を回避しつつ、正面から攻撃! 僕とアリス、トレント隊は避けようとした敵を左右から挟み込む! 槍は予備を搭載してるから、遠慮なく捨てていって!」
大きな音を鳴らして、門が開いてゆく。
皆の視線が、開きゆく外の世界と、まだ残る敵の姿に集中する。
「オートマタは攻撃を勝手にかわしてくれるから、皆は敵に攻撃を当てることだけに集中してくれ! もしも落馬したら、もう一人が盾で攻撃を弾きながら退くんだ! いいかい、絶対に、絶対に無理だけはしないでね!」
「分かってるっての! そんじゃ、行くぜええっ!」
そして、完全に門が開き、橋が下りた時――僕達は一斉に、村から飛び出した。
足を止める人がいてもおかしくないと思ったし、怖気づいても仕方ないと思ってた。でも、誰も逃げなかった。それどころか、誰もが意気揚々と敵に突進していったんだ。
勇猛なのは凄いけど、なるべく傷つかないようにだけ気を付けてほしいな。
そんなことを考えているうち、僕を乗せたアリスが右方に、トレント達が左方に分かれた。僕らはどちらも、騎馬オートマタと比べて速度が遅いけど、これも作戦のうち。しかも『本丸』は敵にバレずに動けているから、出だしは上々。
さて、いよいよケイレム達が僕らに気づいた。でも、もう手遅れだ。
「ぎゃあああ!」
村人を乗せたオートマタの突撃は、いまだに狼狽していた騎士の鎧を容易く貫いた。それどころか、後方に吹っ飛ばしただけでなく、一撃で死に至らしめたんだ。
そうなったら、もうペースはこちらのもの。超高速で突進する槍が、次々と騎士を貫いていく。魔法を使える騎士が、強烈な水や突風といった様々な属性魔法の攻撃を繰り出しても、高速移動でかわしてしまえばどうということはないよ。
こうして反撃させる隙も与えず、村人は順調に敵の数を減らしてゆく。
「早い、それに魔法を避け……うぎゃあ!?」
「落ち着け! 散開して、横から魔法攻撃を当ててやれば撃ち落とせるはずだ!」
やっと我に返ったらしい騎士達が、正面からの攻撃を警戒して散開し始める。
正しい判断だとしても、もう手遅れだと言わざるを得ないね。
「そうはさせねえよ! メイ、トレントから絶対に降りるなよ!」
「兄貴こそ、ヘマするんじゃないわよ! トレント、手あたり次第奴らをぶん殴っちゃって! もうこれまでみたいに、我慢する必要なんてないわ!」
『おいら、なぐる、な、な、なぐる!』
何故なら、遅れてやってきた僕とロック達が、彼らを取り囲んでいるからだ。
アリスの強烈な跳びかかりと爪での連撃も相手にとっては脅威だけど、トレントの存在はもっと危険だ。なんせ、大きな木の魔物が、たちまち手を伸ばしてくるんだから。
「なんだ、木の魔物か!?」
「うごおおお!? 鎧ごと、体を、げええ!」
長い枝を集めた腕で締め付けられた騎士は、たちまち鎧ごと体中の骨をへし折られる。そうじゃなければ、硬い木の瘤で滅茶苦茶に殴打される。
「気を付けろ! ナイフが四方八方から飛んできて……腕がああああぁッ!?」
どうにか逃げ切った敵も、ロックが投げつけたナイフで、鎧の継ぎ目を斬り裂かれる。どれだけ硬い装甲でも、接続部分を攻撃されれば、内側の柔らかい肉が負傷するのは当然だ。ましてやそれが、ロックが毎日手入れした武器なら猶更だ。
左右に散った敵がやられたタイミングで、今度は走り抜けた騎馬オートマタ隊が戻ってくる。今度同じ攻撃を叩き込めたなら、もう勝利は目前だ。
「ケイレム様、このままでは全滅します! 指示を、早くご指示を!」
「指示だと!? そんなものは必要ない、俺様が魔法を使えばいいだけだ!」
ただ、予想はしていたけど、ケイレムはそこまで間抜けじゃなかった。
騎士達を自分の回りに集めて、掌に炎を集中させている。
「田舎者が、俺様の『爆炎魔法』をなめるんじゃねえぞぉッ!」
そして一気に解き放たれた炎は、舐め回すように村人に迫った。
まずい、あれだけの勢いと範囲を保った攻撃を、騎馬オートマタじゃ避け切れない。
僕が逃げるよう叫ぶのは、僅かに遅かった。まだ明るく染まりきっていない視界を埋め尽くすかのように広がる炎が、たちまち村人達を乗り物ごと横転させてしまった。
「ぐわあああ!」
「こっちに来い! 盾の後ろにいれば、火も届かないはずだ!」
幸い、村人達に死人はいなかった。それに、盾を持った男同士が集まって、防御策のない仲間を守るように囲んだことで、うまい具合に後退もできてるみたいだ。
でも、放っておくわけにはいかない。ケイレムは騎士と一緒にもう一度攻撃しようとしてる。オートマタもない状態で火を浴びれば、大火傷は免れない。
「アリス、少し危ないけど、敵に近づけるかな!?」
「承知いたしました!」
こんな時に、僕がみんなを守らないでどうするんだ。
「こっちだ、ケイレム! 僕はこっちだよ!」
アリス、パトリシアと一緒に敵の前に躍り出た僕が叫ぶと、ケイレムはこっちをぎろりと睨んだ。無視されないかと一瞬だけ不安になったけど、その心配はなかった。
「馬鹿野郎、平民のカスなんかに構うな! イーサンを狙え、狙うんだよ!」
ケイレムは憤怒の形相で、僕達めがけて魔法を使ってきたからだ。
どれだけ攻撃範囲が広いといっても、ケイレム一人の魔法ならアリスが簡単に回避してくれる。そうすれば、むきになってケイレムは僕しか見なくなる。
「で、ですが! 魔法を使う村人と、あの乗り物は脅威です! 先にそちらを……」
「騎士風情が、俺様に逆らうってのか!? イーサンさえ仕留めれば、この戦いには勝つんだ! 黙って、イーサンを半殺しにして俺の下に連れてこい!」
騎士の忠言も聞かないどころか、ケイレムは彼らにも揃って、自分と一緒に僕を集中攻撃するように仕向けた。その間に、村人が撤退しているのにも気づいていない。
やっぱり。僕の予想通り、ケイレムは大きな勘違いをしてる。
彼は僕を倒すのが勝利の条件で、僕こそが最大の障害だと思い込んでるみたいだけど、実際のところはそんなはずがない。むしろ、村人やロック達の方が戦闘力はずっと高いし、アリスを除けば僕に戦闘能力はないから、邪魔にはなりえない。
つまり、ケイレムが勘違いしてくれている間、僕が囮になり続ければいい。仲間達に危害は加えられないどころか、上手くいけば戦況を立て直す猶予まで生まれるんだ。
とはいえ、攻撃を全て避け切るのは難しいと、僕は思い知らされた。
「ぐっ……!」
「イーサン君!?」
僕の肩を、騎士が撃った魔法の水流が掠めた。水なのにその勢いは刃のようで、服ごと僕の肩が裂け、血が噴き出した。
パトリシアの目が見開き、アリスが足を止めそうになったけど、僕は痛みをこらえた。
「パティ、修復魔法を! なるべく長く動いて、騎士達の気を引き付けるよ!」
僕が肩を突き出すと、パトリシアの光る掌が触れた部位の傷が閉じていく。衣服まで元に戻って、何も起きていないように見えるけど、痛みまでは引いてくれない。
それでも、僕と一緒になって囮になるのを許してくれた二人も、覚悟は決まってる。
「……オッケー! アリス先輩は『彼女』がケイレムに近づくまで、ジグザグに走って! 敵の攻撃が当たりにくくなるはずだから!」
「分かっています! もうこれ以上、ご主人様を傷つけさせない!」
様々な魔法攻撃が押し寄せる隙間を、アリスが駆け抜けてゆく。不用意に近づいた騎士を爪で斬り裂きながら、ケイレムの視線を僕にくぎ付けにさせる。
こうなれば、もう彼の考えは一つだ。僕を殺すことしか考えられない。
もはや部下の安全すら頭に入っていない彼は、そのせいでまるで気づけなかった。
「とことんムカつく奴だ、ちょこまかと……うわあぁッ!?」
彼の背後から巨大な剣を振り下ろした、ヴィンセントの姿に。
だけど、彼女の放った一撃は致命傷を与えられなかった。傍にいた騎士がケイレムを突き飛ばしたせいで、彼は間一髪のところで真っ二つにはならなかった。
「……外した、か……」
代わりに、鎧ごと一刀両断された騎士の亡骸を蹴飛ばしたヴィンセントが敵の親玉の前に立ってた。転んだケイレムを親の仇の如く睨む姿は、僕が見てもちょっぴり怖いかな、
「挑発に乗って……騎士達を散開させてくれたおかげで……ここまで、近寄れました……イーサン様の将来は……軍師か、将軍でしょう……」
ケイレムの炎がやんだおかげで、アリスはようやく立ち止まれた。このまま逃げ続ければ彼女のスタミナが切れるのが先だったから、ヴィンセントが回り込んで不意打ちを仕掛けるのは、ベストなタイミングだったといえるね。
ちなみに彼は気づいていないけど、素人の僕から見ても分かるくらい、軍団の指揮系統はめちゃくちゃだ。騎士は自分の判断でどうにか動こうとしてるけど、騎馬オートマタとロック達の攻撃にただ蹂躙されるばかりだ。
「ヴィンセント! まさか、この俺様を裏切ってくれるとはな!」
そんなことなんて微塵も気づかないケイレムは、ヴィンセントに向かって吼えた。
「……裏切ったつもりはない……僕はあの時から、イーサン様だけの忠実なしもべだ」
「はん、随分とムカつく態度だな! だけどな、何を言おうとも俺様はお前の雇い主だ! 実力はよく知ってるんだよ、爆炎魔法をそんな剣じゃ斬れないってのもな!」
実際、ケイレムの言い分は正しい。いくらヴィンセントの強化魔法があっても、広い攻撃範囲と威力を誇る彼の炎を防ぎきるのは難しいはずだ。
それでもヴィンセントが逃げないのは、彼女自身の強い意志も理由の一つだけど、僕が用意した秘策があるからだ。つまり、彼女が握っている漆黒の大剣が。
「……イーサン様を、あまり見くびらない方がいい」
ヴィンセントが剣をもう一度握りしめたのを見て、ケイレムは怒りの炎を強めた。
「だったらそれが、最期の言葉でいいってことだなぁーッ!?」
まるで彼の憎悪が集約されたかのような轟炎が、ヴィンセントに襲い掛かった。
炎の勢いは、さっきの比じゃない。裏切られたと思い込んだ事実が、彼の怒りに一層火をつけたんだろうか。どちらにしても、あの炎を避けるのは至難の業だ。
普通なら、彼女が焼き殺されると心配する。
僕はというと、彼女が火傷を負わないかとだけは心配していた。
「もちろんだとも――お前がいいのなら、な」
「え?」
何故かって、彼女が『負ける』とは、微塵も思って言からだよ。
一瞬だけ、ヴィンセントの周囲が炎に包まれた。でも、勝ち誇ったケイレムの眼前の炎が斬り払われて――大剣を構えて突進する彼女が姿を現した。
なんで、どうしてなんて疑問すら浮かばせないほどの勢いで剣を振り上げたヴィンセントの漆黒の刃が、マナを纏って青白く輝く。彼女の衣服に隠れた肌から電撃の如く魔法が迸り、その筋力を限界まで引き上げる。
「――ば、か? な?」
触れた炎が消失するほどの斬撃をまともに受ければ、どうなるか。
「なん、で? おれさまの、ほのお、を?」
雲散霧消する炎ごと斬り裂かれたケイレムの鎧は弾け飛び、血が噴き出した。
「イーサン様の魔法を知らないのなら、分からないだろうな……あのお方は、僕に新たな剣をくれた……僕の魔法と併せて、強烈な力と硬さで……炎もろとも敵を斬り裂く剣を」
剣を振り下ろした彼女の説明通り――僕は、ヴィンセントが持っていたボロボロの剣を、魔法で超強力に再構築した。他の武器に対する費用とマナを節約してでも、彼女が一撃でケイレムを倒せるようにしておく必要があったんだ。
ディメンタ村の力を知らないなら、ケイレムは警戒する。僕の力を知っているから慢心するとしても、アリス達が常に傍にいる以上は油断しない。だけど、騎士として、始末屋としてのスペックを知っているヴィンセントなら、話は別だ。
爆炎魔法で制圧できると知っていれば、一層彼女にだけは強く出られる。
だったら、最も隙が生み出せるのは、彼女とケイレムが一騎打ちする時だ。
「僕の力を知って慢心しているケイレム、貴様が……攻撃を防げないと思い込んでいるからこそ……僕にしかできない役割が与えられた……一撃で、再起不能にする役割を……」
ヴィンセント曰く、これまでケイレムの魔法で発生した炎は、とても斬れるものではなかったらしい。ならばとばかりに、僕はヴィンセントの大剣を、より強くした。
変性魔法で特殊な魔法に対する耐性を持つ鉱物に変えてから、変形魔法で剣へと変えた。ヴィンセントの強化魔法に適応して、燃え盛る炎すら斬り伏せるほどの切れ味を与えた。
「言ったはずだ……イーサン様を……愛する主を、見くびるなと……!」
そして、結果は見事にもたらされた。
ケイレムは大の字になって、仰向けに地面に倒れ込んだ。そこまで深い傷は負っていないようだけど、自身の意志に反して魔法が消えたのは、相当なダメージを受けた証拠だ。
もう立ち上がれないと判断した僕は、アリス達と一緒にヴィンセントに駆け寄った。
「ヴィンセント! 大丈夫、怪我はない!?」
「イーサン様……ああ、僕を心配していただけるなんて……」
炎で火傷していないかが心配だったけど、どうやら怪我はないみたいだ。
剣を地面に突き刺して、なんだか恍惚の表情を浮かべる彼女のまわりに、ロック達や男衆も集まってくる。皆、どこかしらは怪我をしてるけど、重傷者や死人はいないようだ。
その事実が、僕にとっては何よりも嬉しくて、安心できた。
「敵はあらかた倒したぜ、イーサン! 残ってる連中からも、武器を剥ぎ取ってやった!」
「抵抗なんてしない方がいいわよ。下手に動けば、トレントが首を捻じ切るわ」
トレントがケイレムの傍に放り投げたのは、鎧と武器を剥ぎ取られた三人の騎士。
あれだけの数のケイレム軍団がたった三人しか残っていない。他はすべて逃げたか、死んでしまった。それはつまり、一つの結果を意味していた。
「ぐ、うぅ……!」
「勝負あったね――僕達の勝ちだ、ケイレム」
ディメンタ村が、ケイレム軍団に完全勝利したという結果を。
「聞いてねえぞ……お前が、こんな強い魔法を持ってるなんてよ……!」
「僕の魔法が強いんじゃない。皆の知恵と、手助けがあったから勝てたんだ。皆を信じて、絶対に勝つんだって約束したから勝てたんだ」
僕はこの戦いを、僕の魔法による勝利だなんて思っていない。皆が僕を信じてくれたからこそ、僕と一緒に戦ってくれると言ってくれたから、勝利できたんだ。
ついでに言うなら、相手の首を取って戦いを終わらせるつもりも毛頭ない。ロックやアリスは代わりに自分が殺すとまで言ったけど、ケイレムは一応、僕の兄弟なんだ。
「ケイレム、二度と僕達に関わらず、ここに近寄らないって約束してくれ。そうしたら、君と生き残ってる騎士の命までは取らないよ。だから……」
僕はケイレムを逃がすつもりでいた。命を奪う気なんてなかった。
彼がどれだけ悔しがっても、諦めてくれればいいと思ってた。
「……ふざけるな……ふざけるなよ!」
だけど、体を起こしたケイレムは、凄まじい形相で僕を睨み、吼えた。
「お前ばかりがなんでそんなに恵まれるんだ!? 強え魔法を持って、有能なしもべを従えて、人に愛されるんだよ!? なんで俺様のもとに誰も来ないんだよ!? 俺様はセルヴィッジ家の次男で、爆炎魔法の使い手だ、他の人間よりずっと優れてるんだぞ!」
目を血走らせて、傷も塞がずに絶叫する彼が、僕には理解できなかった。
僕を諦めればいい。セルヴィッジ家で生きればいい。ただそれだけだというのに、なんでここまで僕に執着するのか、僕を殺すとするのかが分からなかった。
しばらく前の問答一つが、これほどの執念を生み出したなんて。
「そんなところは大事じゃないんだよ、本当に必要なのは……」
「イーサン、何も言わなくていい。どれだけ話しても、こんな奴が理解するわけねえよ」
僕はまだケイレムを説得しようとしたけど、ロックに遮られた。彼の目は邪念が滾るケイレムと違って、どこまでも冷めていて、ほとんど無に近かった。
いいや、彼だけじゃない。メイも、アリス達も、誰もがケイレムに呆れていた。
そんな視線を感じ取ったのか、彼は一層感情を爆発させて喚き散らした。
「そうだ、俺様のせいじゃない、何の役にも立たないこいつらが悪いんだ!」
でも――駄目だ、それだけは言っちゃ駄目だ。
僕は彼の口を塞ぎたかったけど、もう遅かった。
忠誠心はともかく、自分の為に戦ってくれた人達を侮辱すればどうなるか。必死に戦った人達を侮辱すればどうなるか、火を見るより明らかだ。
まだ燻っている闘志がどこに向かうかは、決まってるんだ。
「魔法だってろくに使えない、何の価値もない、勝手に死んでいった無能の――」
そんな僕の考えなんて知らないケイレムはまだ暴言を吐き続けていたけど、とうとう近くにいた騎士の一人が、兜を脱ぎ捨てながら彼を睨みつけた。
「――もういいでしょう。貴方の悪逆に付き合うのは、うんざりです」
彼の言葉には、もう忠誠心も義務感も、何もなかった。
僕らが息を呑む中、ケイレムだけが現状を理解しない顔で騎士に喚いた。
「……なんだって? 何と言ったんだ、もう一度言ってみろ、平民上がりの騎士風情が!」
「何度でも言わせてもらいます。我々を無価値の道具として扱い、ただ己の怨恨で人を殺める為だけに争いを起こす者を、自分達は主とは認められません」
主の罵倒に、騎士はまるで動じなかった。それは彼だけじゃなくて、同じようにうんざりだと言いたげに兜を脱ぎ、鎧を捨てた他の騎士もそうだった。
「もはや我慢の限界です。イーサン様ほど優しいお方を、私欲の犠牲になどさせません」
三人の冷たい声を聞いて、僕にはなんとなく分かった。
逃げなかったのは騎士の務めに従っただけで、忠誠心なんて最初からなかったんだ。
「クソ共が、言わせておけば……!」
ただ義務だけで戦った人達に罵詈雑言をぶつければどうなるか。ケイレムだけが、この場にいる者達の中で理解できていないようだった。
「イーサン様。我々はこの男の首を持ち、反逆者として領地に帰ります」
「な、なんだとぉ!?」
騎士の一人が、彼の首を刎ねると言い出すまでは。
ここまで言われれば、流石のケイレムも自分がどんな立場に置かれているのか、嫌でも分かってしまったようだった。彼は自らの罵倒と心無い発言で、自分が生き残る最後の機会を損ねてしまったんだ。
「ケイレム様の横暴に耐えかね、遠出したところを襲ったとお伝えします」
「死罪は免れないでしょうが……どのみち、主を失えば、帰る場所などありません。先に逃げてしまった連中も、主を守れなかった罰を恐れて、領地には戻らないでしょう」
「……貴方達も……遅くは、ないでしょう……イーサン様と、共に……」
「いいや、従者として、騎士として為すべきことは果たさないといけないんだ」
「どれだけ非道だとしても、彼は我らの主だ。なら、責務を全うするのが、部下の務めだ。そこのお嬢さん、剣を返してはくれないか」
ヴィンセントが生きる道を提示しても、立ち上がる騎士達の気持ちは変わらなかった。
誰もが、彼らを止めようとはしなかった。反撃の意思を見出さなかったからか、メイはトレントに没収させていた剣を三振り、それぞれ騎士に手渡した。
「ご主人様、見てはいけません」
騎士が立ち上がると、アリスが僕の目を塞いだ。
弱い僕は、彼女の優しさを選んだ。掌の内側で、ケイレムの声だけを聴いた。
「や、やめろ! 俺様を誰だと思ってるんだ……ひっ!?」
剣が地面と擦れる音が聞こえる。ケイレムの震える声が、次第に慄きと恐怖に変わる。
「待て、待て! 戦いを頑張ったお前らには褒美をやろう! 豪邸がいいか、金がいいか!? 女も用意してやるぞ、口利きで重役にも就かせてやる! だから、な、主に刃向かうなんて考えはやめて、俺を屋敷まで――」
初めて聞いた命乞いも、嘔吐しそうなくらい狼狽した声も、何も意味はなかった。
僕の耳が捉えたのは、刃が空気を裂く音。
「我らが求めていたものは――無償の優しさ、それだけだ」
そして、何かを斬り落とす音だけだった。
「がぎっ」
奇妙な声を最期に、ケイレムは何も喋らなくなった。
どさり、と重たいものが落ちるのを、僕は確かに感じた。ぐっと拳を握り締めて恐怖を誤魔化していると、パトリシアが僕の手を上から握ってくれた。
誰も、何も言わなかった。
ただ静かに、ものを包む音だけが聞こえた。しばらく彼らがごそごそと作業を済ませてから、僕の視界はやっと開かれた。
そこにあったのは、騎士が纏うマントに覆われた胴体と、破かれた腰布に包まれた丸い物体。中身は、赤く染み込んだ液体が示していた。
騎士は赤く濡れた剣を鞘にしまうと、丸い包みを縛り、腰から提げた。
「体はこっちで預かるよ。騎士の死体と別のところに埋めておくが、いいよな」
「頼む……では、イーサン様。我々は、これで」
僕は静かに頷いた。
「……君達に、手を汚させてしまったね」
「とんでもない。最期に正しい行いを気づかせてくれたこと、感謝します」
騎士達は小さく微笑むと、くるりと背を向けて、そのまま歩き去っていった。
残されたのは、騎士達の亡骸とマントで隠された死体。
「……行っちまったな」
ロックが呟くと、メイがやっと我に返ったようだった。
「これってつまり、貴族に勝った、ってことよね……正直、今でも信じられないわ」
「信じられないなら、ほっぺでもつねってあげよっか?」
「い、いいわよ、別に……どうしたの、イーサン?」
軽口をかわすメイとパトリシアの傍で、僕は勝利とは別の感情に浸っていた。
誰も失わなかった喜びと安心が、僕の中を満たしていた。死地を乗り越えた安堵が溢れかえった時には、僕の両目からそれがとめどなく流れていた。
「……無事でよかった。誰も欠けなくて……本当に良かった……!」
領主なのに涙ぐむ僕の肩を、アリスやヴィンセントが抱いてくれた。
二人だけじゃなかった。僕を囲むように、皆が傍にいてくれた。
「……イーサン、皆のところに帰ろうぜ。無事だって、元気だって伝えに行こうぜ」
ロックの言葉に、僕はしゃくりあげながら何度も頷いた。皆に背を叩かれ、温かい言葉をかけられながら、僕は門の中の村へと戻っていった。
――こうして、ディメンタ村は最大の危機を撥ね退けて、朝を迎えることができた。
それはまた、セルヴィッジ家との決別でもあった。
だけど、後悔も未練もない。
僕には大事な仲間と――帰るべき場所が、あるのだから。
防壁の前でケイレムを撃退してから、一晩が明けた。
「……ん……」
僕はすっかり広場の端にある長椅子に寝転がって、眠っていたみたいだ。目をこすりながら体を起こすと、視界はほんのり暗く、だけど夜ではないようだった。
どうして僕が自分の家のベッドで寝ていないのかというと、目の前の光景が答えだ。
初めて貴族を、それもセルヴィッジ家の騎士団を追い返した村人は浮かれに浮かれて、野盗を撃退した時よりもずっと盛大な宴を開いたんだ。
戦いのすぐ後だって言うのに、とんでもなく元気な皆は山盛りの食事とお酒を準備して、昼間にはあっという間にパーティーが始まった。僕もなんだかいつになく心がはしゃいじゃって、ロックや男衆に混じって、串焼き肉を頬張って騒いだ。
「ほらイーサン、飲め飲め! メイドさんよ、ぶどうジュースは酒じゃねえぞーっ!」
「あ、ありがとう、ロック! ごくごく……ぶはぁー!」
「……ご主人様……清純なご主人様が、中年男性のような飲み方を……」
「あれが男の子の成長ってやつなんだよ、アリス先輩! よく知らないけど、そんながっかりしないでいいんだって!」
きっと――どんな形であれ――ケイレムが二度とここに来ない安心感もあったのかも。
「わっははは……!」
「がはははは……!」
そんな宴が夜通し続いて、僕だけが先に起きちゃって、今に至るというわけだ。
オートマタの警備がないと、これだけ安心して騒げなかったかもしれない。そんなことを考えながら、僕はふと、防壁の向こうから朝日が昇ってきているのに気付いた。
暖かい光が射しこむのを目の当たりにして、僕はふと、光を直に見たくなった。
どうしてそんな気分になったのかさっぱりだけど、無性に見たくなったんだ。
「よっと……足を、踏まないように、っと……」
皆を起こさないようにこっそりと歩いていくと、警護用のオートマタがうろついていた。僕が彼らに一礼すると、彼らも当然のように頭を下げて、村の警備に戻っていった。
少しだけ彼らの後ろ姿を眺めてから、防壁を登る。十歳の体でゆっくりと、落ちないように気を付けながら梯子を登りきった僕の目に、広い広い世界が広がっていた。
地平線の遥か向こうからやって来る朝日が、暗い闇を光で照らした。
ケイレムが来た時とはまるで違う、希望に満ちた光だった。
村を目覚めさせる奇跡を、僕はただ心を奪われたかのように見つめてた。
こんなに美しい景色があるだなんて、僕は知らなかった。
「どうしたんだ、カッコつけて朝焼けなんて見つめちまってよ?」
ただただ前を見つめる僕の耳に、ロックの声が入ってきた。
いや、ロックだけじゃない。
メイも、アリスも、パトリシアも、ヴィンセントもいた。
ライド叔父さんや村の皆も含めて、僕が誰よりも信頼する人達。何よりも守りたい、自分の傍に居てほしいと思える人達。
そんな彼らだからこそ、僕は今、僕の胸に秘める想いを聞いてほしかった。
「……ロック、皆。これから僕の夢を話すから、笑わないで聞いてね」
皆の方を見なかったのは、ちょっぴり恥ずかしかったから。
声がちょっぴり震えているのは、こんなことを話すのは初めてだから。
「安心しな。お前の夢を嗤うような奴は、俺がぶっ飛ばしてやるよ」
からからとロックが僕を肯定してくれるのが、嬉しかった。
だから、躊躇いなく僕は僕の想いを伝えられた。
「……僕は、この村を大きくしたい」
僕の望みは、ただ一つ。
これ以上の望みも、これ以外の願いもなく、ただ一つ。
「通り行く人が笑顔になれるような村に、ここに住みたいって思えるような村に、住んでる皆に優しい村に――村に、街に、都市にしていきたい。それが、僕の夢だよ」
生まれ変わる前の世界で成せなかったことを、今度こそ信じてみたいんだ。
「……変、かな?」
ちょっとだけ気恥ずかしい調子で、僕は笑われるとすら考えながら振り向いた。
だけど、僕はそんな未来予想を恥じるべきだった。
僕を見ていた皆の顔は――朝日に照らされた顔は、温かい笑顔だったんだ。
「奇遇だな。俺もちょうど、お前と同じ目標を考えてたとこだぜ! このディメンタ村をもっともっと大きくして、もっとずっと住みやすくするんだ!」
「イーサンならともかく、兄貴が言っても説得力ないでしょ」
「そ、そりゃないぜ、メイ! 俺だって、結構真剣なんだからよ!」
「冗談よ。メイも、二人の信じる夢について行くわ」
歯を見せて頷くロックと、彼を肘で小突きながら微笑むメイ。
「ご主人様となら、この世の果てまでお供いたします」
「屋敷での恩を、あたしは一生かけて返すつもりだよ。イーサン君」
優しい笑顔で僕を見つめてくれる、アリスとパトリシア。
「……貴方を永遠にお守りする……それが、僕の役目です……」
手をもじもじさせて、少しだけ慣れてない様子の笑顔を返したヴィンセント。
五者五葉の反応だったけど、共通して言えることが一つ。
皆が、僕を信頼してくれているって。一緒の夢を抱いてくれているってことだ。
「みんな……!」
目じりから涙が溢れてきたけど、僕はぐっと涙をこらえた。
嬉しい時の涙は流すべきだなんていうけど、今の僕が皆に見せたいのは、無償の優しさに応える、領主としての笑顔だったから。
へたっぴな笑顔だとしても、今見せられる一番素敵な笑顔で、頷き返した。
「行くぜ、イーサン! 宴の片づけをしたら、早速村づくりだ!」
「――うん!」
朝日がすっかり街を染めゆく中、僕は仲間達のもとに歩み寄った。
さあ、これから始まるのは、僕と仲間達と、一つの村の物語。
世界でいちばん優しい場所――ディメンタ村の物語だ。