お人好し領主は外れ魔法【変形&変性】で楽しく領地開拓します~追放されたけど万能生産チートでおんぼろ村が最強領地へ!~


「――いつでも人に優しくするの。それが、一番大事なことなの」

 祖母が口癖のように教えてくれた言葉を、僕は未だに覚えている。

 両親を早くに亡くした僕は、祖母に引き取られた。いつでもニコニコとほほ笑んでいた祖母は、いつも同じ話をした。

 理由だとか、根拠だとかではなく、優しく生きるべきなんだって。

 僕もまた、祖母の言葉を理由も考えず、根拠もなく信じた。もとよりそういった生き方が性に合っていたのか、僕はいつだって、誰にでも優しさを分け与えていた。

 求めていなくても、「ありがとう」の一言が心に染みた。

 『優しさは、誰にも分け隔てなく』。

 『見返りは求めず、皆が笑顔で居られるように』。

 その二つを信条に生きてきた僕は、そのまま社会に出た。

――間もなく、僕は自分の甘さを思い知った。

 心無い言葉。

 罵声にも似た怒号。

 人を使い捨てる冷淡さ。

 大人になって見た世界は、こんなもので埋め尽くされていた。誰かを押しのけて、踏んづけるだけの世界で、僕と祖母の優しさなんてものはまるで意味がなかった。

 ただ生きているだけで、心がすり減っていった。

 人を助けたい、優しい気持ちを持って生きていたい。そんなささやかな願いすら、世の中は許してくれなかった。叱られ、怒鳴られるのはまだ耐えられたし、仕方ないと思えた。だけど、善意が踏みにじられ、使い潰されるのは耐えられなかった。

 誰よりも早く出社し、誰よりも遅く退社する。気づけば、こんな生活になっていた。

 仕事量や技能の問題というよりは、ただひたすら仕事を押し付けられた結果だった。つまり、僕自身が招いた残酷でありふれた結末だ。

 少し前に亡くなった祖母が見たら卒倒するほどにやつれた僕は、帰ってくれば気絶するようにベッドに倒れ込む。そうしていつも、同じ台詞を壊れたレコードのように呟く。

「僕の優しさに、意味はなかったのかな」

 見返りを求めるつもりはなかったけど、もしも僕にも世界が少しだけ優しかったならと、ちょっぴり思ってしまう。それなら、こんなに苦しまなくてよかったのかな。

 なんてくだらないことを考えながら、いつものように駅で電車を待っていた時だった。

 とん、と背中に強い感触を覚えた。

 体がぐらりと前につんのめった。先頭で電車を待つ僕の視界に広がるのは、線路だけ。

 誰かにホームから突き落とされたというのは、すぐに分かった。

 誰が押したのか、何の為に。何十、何百の思考が頭を駆け巡るうち、宙を未だに舞っている僕の左隣から、轟音と鉄の塊が迫ってきていた。

 怖い、嫌だ、死にたくない。

 たった三つの考えが心の全てを埋め尽くした瞬間――僕は無意識に、目を瞑った。



 そして、目を開いた。

 視界の先に広がっていたのは、文字通り見知らぬ空間だった。

 ――いいや、知っている。僕にとっては、ありふれて見慣れたところじゃないか。

 天蓋付きのベッドに、大きな窓から射しこむ陽の光。木製の太い柱と、まだ幼い自分には不釣り合いなほど広い、石壁の部屋。

 ベッドから出て窓から景色を眺めると、そこにあるのはいつもと変わらない、どこまでも続いて見える芝生の庭と垣根。ぐるりと部屋を見回すと、分厚い本が並んだ本棚と厳かな絵画、火の灯っていない暖炉、僕の背丈よりずっと大きな鏡がある。

 鏡の前まで歩いて自分の姿を見つめると、やっぱり映っているのはただの僕だ。三十代の男ではなく、淡い金色の髪と丸く青い瞳、幼いながら凛とした顔つきの子供だ(少し前、メイド達に褒められたから自信過剰にはならないと思うけど)。

 ここがどこで、自分が誰は分かっていた。僕はフォールドリア王国西部に住まう侯爵家の三男で、歳は三歳。父、二人の兄弟、そして沢山の従者や騎士と暮らす屋敷だ。

 問題なのは、どうして僕がここにいるかなんだ。

 ついさっきまで、僕は電車を待っていた。だけど後ろから突き飛ばされて、本当なら死んでしまったはずだ。だったら、どうしてこんなところに、これまでと違う容姿で生きているのか説明がつかない。

 まるで、別世界に生まれ変わってしまったかのように。

「……生まれ変わった?」

 そうとしか、言いようがなかった。

 信じられない話だけど――僕は一度死んで、別世界に転生したんだ。

 それなら、色々な謎が解ける。三歳ながらに意識がはっきりしていること、この世界が自分のいた世界と違うこと、こちらの常識を知っていること。二つの感覚が混同しているのも、それが理由なのかな。

 所謂ドッキリかもしれないと思っていないかというと、嘘になる。

 だけど、ふとドアがノックされる音を聞いて、僕は全てを確信した。

 こんな朝早くから僕の部屋に入ってくる人物なんて、一人しか思い当たらない。それに、彼女がいるというのが、僕のいる空間が現実だという証拠になったんだ。

「失礼します、ご主人様……おや、早起きでございますね。感心です」

 凛とした声を部屋に響かせたのは、黒を基調にしたメイド服に白いエプロンを纏った女性、アリス。腰まで伸びた跳ね一つない黒髪と丸眼鏡、つり目が特徴的だけど、怖い人じゃないのを僕は知っている。

 当たり前のように部屋に入れるのは、彼女が僕の専属メイドだからだ。

 僕が物心つく前から面倒を見てくれた彼女は、少しだけ厳しいけど、とても綺麗で優しい人だ。その顔つきはやっぱり日本人らしいものじゃなく、僕と同じで西洋人を思わせる。だけど、ここがフランスとか、イギリスではないのも分かってる。

「あ、うん。アリス、唐突だけど、ちょっとおかしなことを聞いてもいいかな?」

「……ご主人様、いつからそれほど流暢にお喋りを……?」

 やっぱり、おかしかったかな。中身は成人男性だけど、見た目は三歳だもの。

 今更誤魔化すのもどうかと思っていると、アリスが首を静かに横に振った。

「失礼いたしました、ご主人様。このアリスでよろしければ、何なりとご質問を」

 うん、それじゃあお言葉に甘えて。

「僕はこの屋敷に住んでいて、年齢は三歳。家名は、えっと、セルヴィッジ」

「はい、その通りです」

「アリスは僕のたった一人の専属のメイドで……毎朝起こしにきてくれるね」

「その通りでございます。ご主人様、私の知らぬ間に勉学に励まれていたのですね」

 僕がこれほど話せると思っていなかったのか、それとも急な成長を見せたからなのか、アリスは僅かに動揺している。そんな反応が、僕にとってはちょっぴり楽しい。

 けど、意地悪をするのは好きじゃない。だから、早めに本題に入ることにした。

「父上はヴァッシュ・アドリスト・セルヴィッジ侯爵。兄上は二人で、ケイレム・ターン・セルヴィッジと、ザンダー・カドマ・セルヴィッジ。そして――」

 少しだけ間をおいて、僕は自分の存在を確かめるように口を開いた。

「――僕はイーサン。イーサン・ホライゾン・セルヴィッジだ」

「お見事です、ご主人様。成長の場に立ち会えて、私は大変嬉しゅうございます」

 アリスは氷のような表情を緩めるように、温かな笑顔を見せた。

 僕――イーサン・セルヴィッジも、アリスに微笑み返した。

「お着替えも一人でできるのですね。立派です、ご主人様」

「そ、そうかな……?」

 ただ着替えただけだっていうのに褒められた僕は、少し恥ずかしい気持ちを抑えながら部屋の外に出た。僕を待っていたのは、果てしなく見えるほど長い、赤い廊下だった。

 すれ違う人はどれも顔立ちがはっきりしていて、騎士甲冑を纏っていたり、アリスのようにメイド服を着ていたりと、文字通りファンタジーの世界の住人のようだ。というより、ここがそういった世界だと、僕は理解するようにした。

 それに、僕にとっての違和感も目が覚めて間もない間だけで、すぐに馴染んでいった。

 窓から見える景色はとても綺麗だった。この屋敷が高いところに立地してあるからか、時折飛び跳ねて窓の外を覗くと、屋敷の下に広がる街並みが見えた。

「おはようございます、イーサン様」

「イーサン様、本日もご機嫌麗しゅうございます」

「おはよう、皆。今日も一日、よろしくね」

「ふふっ、どうなさったのですか? まるでメイド同士のようなご挨拶ですよ」

 僕に挨拶をしてくれた従者やメイド、騎士の皆は、誰もが朗らかな人だった。

 相手が貴族の息子だからというわけではない、心からの挨拶と笑顔。ここ数年ほど作り笑いと愛想笑いばかりを見てきた僕には、その違いがよく分かった。

「貴女達、イーサン様になれなれしく接するものではありません」

「も、申し訳ありません! 廊下の清掃に行ってきます!」

「まったく……ご主人様も、よろしく、というのはいかがなものかと」

「でも、僕達の為に働いてくれるんだろう? 敬意があっても、いいんじゃないかな」

「主従とは厳格であるべきなのです……とはいえ、ご主人様が三つのお歳でここまで話せるようになり、従者を労われるというのは、素晴らしいことです」

「ありがとう、アリス」

 眼鏡をくい、と指で整えるアリスが窘めながらも僕を気遣ってくれているのは、やっぱり嬉しかった。ついでに、凛としようとする彼女の口元がちょっぴり緩んでいるのも。

 ただ、肝心の家族仲が良くないというのは、なんとなく僕にも分かった。

 それが最も顕著になったのは、階段を下りた先の食堂での、家族揃っての食事時だ。

 冗談のように広いテーブルには白いクロスが敷かれ、それぞれの席に銀の食器に乗った食事が配られる。二人の兄は父と同じ肉料理とサラダを食べていたが、僕は三歳児というのもあってか、緑黄色野菜と細かく切られた肉のスープだった。

 この歳なら仕方ないと思って口に運んでみると、存外に美味しかった。

「……イーサン、一人で食事ができるのか」

 スプーンを使ってスープを食べていた時、僕から見て左側に座っている男性――顎鬚を生やした厳めしい顔の父が言った。

 ここでようやく、僕は一人で食事ができるというのが珍しいと理解した。スプーンを置いて辺りを見回すと、食事を食べさせる係のメイドとスープを冷ます係のメイド、その他諸々のメイドとアリスがぽかんと口を開けてこちらを見ている。

 これくらいの歳の子と接する経験はあまりなかったから、分からなかったな。

「はい、アリスがマナーを教えてくれたおかげです」

「そうか。あのメイドをお前につけたのは、今のところは正解のようだ」

 咄嗟についた嘘だった。

アリスは僕の隣で驚いた顔を隠せないようだったけど、父は納得してくれた。

 厳格な父、ヴァッシュは僕自身というよりも、僕に何ができるのかを期待しているようだった。例えば、僕が話している内容より、僕がメイドの助けもなく静かに食事ができているのに興味を持って、しかも当然のように見つめているのもその一環だ。

「確かまだお歳は三つだったかと思いましたが、マナーに関してはいうことなしですね」


「イーサン様は好き嫌いもなく、食事も零さず……立派なお方だ」

 メイドや執事が(三歳にしては珍しいとして)当たり前のことを褒めてくれるのは嬉しかったけど、快く思わない人物がいるのも、僕は知っていた。

「……食事くらいでごちゃごちゃと、喧しいな」

「俺もあれくらいの頃には一人で食事くらいできたさ……調子に乗るなよ」

 わざとらしく、聞こえるように嫌味を言ってのけたのは、僕の二人の兄だ。

 今年で十三歳になる長男のザンダー、十歳の次男のケイレムはどちらも、僕を嫌っているようだった。少し寂しかったけど、貴族での兄弟というのは、家族としての関係よりも跡目争いの仇敵同士に近いと、食事が終わってから廊下でアリスに教えられた。

 仕方ないと言えば仕方ないんだけど、食堂の外で話しかけても、きっと睨んですたすたと歩き去っていくだけだったのは、やっぱり少し悲しかった。

 けど、それを差し引いても、この屋敷での生活はとても楽しい日々になっていった。




 まず、僕とアリスが部屋で向かい合う時間が増えた。

「ご主人様、本日からは私が勉強をお教えいたします」

「アリスが?」

「はい。不肖アリス、唯一の専属メイドとしてきっちりと務めを果たしてみせます」

 勉強の時間は一日に三時間ほど。その中で僕は、文字の読み書きやセルヴィッジ家や貴族にまつわる事柄、加えてこの国や世界を取り巻く環境について学ぶ機会を得た。

 そういったことを教えてほしいと言った時、アリスは少し驚いた。

 まだ三歳と少しの僕が流暢に教えを請うのがおかしいのかと思ったけど、そうではないようだった。僕の疑問に、彼女は少し間をおいてから答えてくれた。

「ご主人様は不思議なお方ですね。大抵、『魔法』について知りたがりますのに」

 多くの貴族が優先して学びたがるのは――『魔法』についてだからだ。

 魔法。体に内包される超自然的なエネルギー、『マナ』を用いた能力の総称。

 普通の人間一人につき、使用できる魔法は一種類だけ。多くは貴族や王族などの血を引く者に発現するらしいけど、アリス曰く「ここ五十年ほどで、一般人にも偶発的にではあるがマナと魔法に目覚めることがある」らしい。

 このセルヴィッジ家の屋敷にいる者は、ほぼ全てが魔法を使える。アリスだって黒い獣に変貌する魔法『獣化魔法』を使う。背中に乗せてもらうことも、わりとある。

 ちなみに貴族の場合、十歳をきっかけに特殊な儀式によって目覚めて選別される。だから僕は、まだ魔法を使えない。貴族の間では基本的に、覚醒する可能性が最も低い、炎や風、雷といった自然的な力を操る魔法――天災と同じ力を持つ魔法が貴ばれる。

 それ以外の魔法も一般人としては重宝されるが、厳格な貴族の間では、これ一つで追放に関わることもある。特に父、ヴァッシュは貴族によくあるマナ至上主義だ。マナを有しない人間を嫌うどころか、蔑むようにすらなっている。

 生まれ持った才能だけを貴び、他を貶めるなんて、よく分からないけども。

「ええと、この文章は……『虎を追いかけた』?」

「その通りです。ご主人様、これほどまで早く読み書きができるとは、感激です」

 とにもかくにも、こうして僕は、三年ほどかけてアリスから様々なことを学んだ。

 英語に似た文字の読み書きと簡単な計算だけに留まるかと思ったけど、僕がスポンジのように知識を吸収していくのを見たアリスは、より難しい勉強を課するようになった。

 だけど、僕がそれでも勉強について行けたのは、アリスが優しく教えてくれたからだ。

 さて、僕が元居た世界とは違い、大陸は大きく分けて東西南北中央の五つある。代わりにその大陸は一つ一つが巨大で、フォールドリア王国があるのは中央大陸だ。それぞれの大陸を船で行き来するので、文化交流もそれなりに多いみたいだ。

 文明の発達度合いは中世から近世くらい。人種はともかく、人間と獣の中間に当たる獣人やゴブリン、ドワーフもいると聞かされた。彼らは人を好まず、あまり会えるタイミングはないらしいけど、機会があればぜひ色々とお話をしてみたいな。

 ちなみにこれらとは別に、魔物と呼ばれる原生生物が存在する。こちらは人間のような言語を使わず、基本的に危険なモンスターとして扱われているようだった。

 また、魔法という便利なものがあるとはいえ、火薬などの技術は少しずつ進んでいるようだった。さすがに、マッチロックガナー はなかったけど。

 そして、こんなものを使う必要性があるということは――戦争もまた、存在した。

 他の大陸の事情はともかく、フォールドリア王国は五百年という月日の中で、大小さまざまな武力を有する貴族を率いた王族によって、国土を広げてきた国家だ。今でこそ戦争は起きていないが、より国力を高める機会を窺っているのは間違いない。

 セルヴィッジ家はその中でも殊更武力に長け、強力な自然の力を操る魔法で大きく王族に貢献した貴族だ。侯爵という爵位もその影響で得られたところが強い。そもそも魔法が重宝されているのは、炎や雷を戦争に用いられる点だ。

 それ以外にも、国を少し出れば獣人族と人間の戦争がある。大陸北部では国民が反乱を起こし、王族と長い争いを続けているとも聞いた。仕方のないことだけれども、どこにいても戦争があると思うと、僕は少しだけ心が痛んだ。

「……ご主人様、戦争についての知識は、今は不要かと」

「えっ?」

 ある日、アリスは僕の前で、戦争について記された本を閉じた。

「他にも知るべきことは沢山ございます。まずはアリスと、そちらについて学んでゆきましょう。戦争の歴史など、後でも構いません」

「……ありがとう、アリス。ごめんね、僕から学びたいと言っておきながら……」

「問題ありません。ご主人様の喜びと幸福こそが、私の幸せなのですから」

 僕の考えが表情に出てしまったのか、アリスが戦争の話をすることは次第になくなっていった。代わりに、国の外にある珍しい物事を教えてくれるようになった。

 僕が勉強に精を出しているという噂は、屋敷中に広がった。

 メイドや執事、使用人や騎士が僕のところに来て、話しかけてくれるようになったのもこの頃からだ。興味半分、あとは何故だか僕に会いたがってくる人が半分だった。

「イーサン様、少し前に東の大陸からやってきた香辛料です! これを使った料理を私達で作ってみましたので、よければお召し上がりくださいっ!」

「どうだい、イーサン坊ちゃま! 世にも珍しい、ドラゴンの鱗で作られた盾だぜ!」

 アリスが言うには、僕と話していると温かい気持ちになれる、と他のメイドから聞いたらしい。僕にそんな能力があるわけでも、話術に卓越しているわけでもなかったけど、そういってもらえるのは素直に嬉しくて、気づけば僕も笑顔になっていた。

 だけど、特に僕に声をかけてくれたのは、意外にもセルヴィッジ家の人ではなかった。

「やあ、イーサン! 元気にしてたかい?」

 ランカスター家の『雷鳴男爵』、ライド・オールデイ・ランカスターだ。

「ライド叔父さん、久しぶり!」

「ほら、プレゼントだ! お前が見たがっていた獣人族の首飾りだよ」

 摩訶不思議な首飾りをかけた彼は、爽やかな笑顔を僕に見せてくれた。

 彼がセルヴィッジ家の人間ではないと言ったけど、あくまで現在の話。銀髪と顎鬚、ハンサムな顔立ちが目立つライド叔父さんは父の腹違いの弟で、今はセルヴィッジ領地の隣にある、ランカスター伯爵家の長女に婿として迎え入れられている。

 複雑な政治的背景の末に、兄と歳が二十ほど離れた(つまり二十歳前半の)叔父さんが選ばれたんだけれど、結果としてその判断は大正解だった。ライド叔父さんは周辺貴族との外交で目覚ましい成果を上げ、なんと婿入り先で爵位までも手に入れたんだ。

 そんな叔父さんは、僕と会う度に沢山のお土産をくれた。

 しかも年に一度とかではなく、多い時だと月に二度ほどの単位で、だ。

「ありがとう! ところで、今日は何しに来たの?」

「君のお父さん、まあ、俺の兄上殿と色々とお話しすることがあってね。しばらくはセルヴィッジ家に居座る予定だよ……そのほうが、俺も気が楽なんだ」

 父と話し合うことが多いのは知っていたけど、理由はもう一つあるらしい。


「ご主人様、ライド様はランカスター家の男性に相当嫌われているのです。ライド様の居場所がない、と言い換えた方がよろしいかと」

 なるほど、叔父さんの有能さは、別の意味では目の上のたん瘤みたいだった。

 ランカスター家は比較的貧している貴族だったけど、ライド叔父さんのおかげで持ち直して、再び王族の信頼を勝ち得た。特に功績を上げた彼は、雷を発する魔法と男前な外見が合わさって、民衆からは『雷鳴男爵』と呼ばれる人気ぶりだ。

一方で、本来名声を得るはずだったランカスター家の男性陣は、愚鈍だなんだって領地で評価されている。だから、よそ者の叔父さんへの扱いが悪いのは、正直無理もない。

「ははは、君はクールな見た目なのに、相変わらず随分と毒舌だな」

「そうでしょうか? お土産と偽って、山奥に住む蛮族が儀式で用いる危険な道具をプレゼントしようとしているのを知らないと? 私の目を欺けているとでもお思いですか?」

「……あ、バレてた?」

 おっと、これもきっとアリスが叔父さんを遠ざけたがっている要因だね。

「当然です。ご主人様も、逃げても無駄でございます」

「待ってくれ、アリス。イーサンは下手なお土産よりずっと喜んでるぞ?」

「そうだよ、アリス! 前に読んだ本に載ってたから、僕もすごく興味があって……」

「問答無用です。きっちりと説教させていただきます」

 その野蛮なアイテムだけど、もちろんアリスに没収されたし、二人揃って説教された。

でも、並んで正座しながら僕に時折ウインクしてみせる叔父さんは、僕の憧れだ。

 ちなみに僕が叔父さん、とフランクに呼んでいるのは彼の要望だ。最初は叔父上と呼んでいたんだけど、どうにも堅苦しいのは苦手らしい。

「そういえばイーサン、頭だけじゃなくて体もきっちり鍛えてるか?」

「体? 庭で遊んだりはしてるけど……それとは違うの?」

 ライド叔父さんはアリスをちらりと見てから、首を横に振った。

「いやいや、全く別物だぞ? こんなご時世だ、自分の身を守る術くらいは知っておいて損はない。アリス、時間を見つけて彼を鍛えてやってくれ」

「かしこまりました」

 唐突なライド叔父さんの提案で、次の日から僕の勉強に『護身術』が加わった。



 勉強が終わり、食事を挟んでから、僕は週に三回だけ中庭の訓練場に連れていかれた。

屋敷や貴族を護衛する騎士達が鍛錬を積み重ねる訓練場に、僕みたいな子供は不釣り合いかと思っていたけど、そこには騎士見習いの少年もいた。といっても、彼らは「どうして貴族の子がここにいるんだろう」なんて顔をしていたけど。

「ではご主人様、ご自由に私に攻撃なさってください」

僕を真ん中あたりまで連れてきたアリスは両手を広げて、静かに微笑んだ。

 正直なところ、女性に手を上げるのはあまり気が進まなかった。どれだけ幼くても、僕は男だ。正直なところ怪我をさせるんじゃないかと思っていた。

 ――そんな認識は甘いと、僕は思い知らされた。

「うわぁっ!?」

「ご主人様、攻撃が直線的すぎます」

 とりあえずどうにでもなれと放った僕の拳が、アリスの柔らかい手に包まれたかと思うと、あっという間に僕は地べたに転がって空を仰いでいた。

 冗談のようにあっさり負けた僕は、ゆっくりと立ち上がりながら思った。

 彼女は他のメイド達のように、僕に花を持たせてはくれない。必要とあらば鞭すら打つ、真の優しさを持っているメイドなんだと、改めて実感した。

「すぐに立ち向かう姿勢を見せるとは。セルヴィッジ家の男児として、お見事です」

 アリスは褒めてこそくれたが、それからもずっと手加減はしなかった。

「イーサン様、ほら、腰を入れてパンチですぜ!」

「ほどほどにしなされ。アリス殿は下手な騎士よりも格闘技に優れているメイドだぞ」

 騎士達からも高い評価をもらうほどの敏腕メイドとの護身術訓練は、めきめきと僕に戦い方というものを身につけさせた。ある日、あんまりにも強すぎる彼女に、一度だけ手を抜いてくれないかと頼んでみたこともあった。

「私にとって、ご主人様の成長は最も喜ばしいことです。その為なら、たとえご主人様に忌み嫌われようとも私は非情にもなります」

当然ながら、アリスは表情を崩さないまま静かにノーと告げた。

 これがアリスだと知っていたから、僕は同じ頼みを二度はしなかった。

「それに、健気な少年が私に敵わず屈服する姿はとても愛おしくて興奮する――何でもありません、稽古を続けましょう」

 だけど――うん、今のは聞かなかったことにしよう。

 こうして、二年ほどの徹底した鍛錬のおかげで、僕の戦闘技術は騎士見習いに通用するほど向上した。成人男性やアリスには勝てないけど、自分の身くらいは守れる程度には。

 僕はどちらかといえば細身で非力だったけど、だからこそアリスが教えてくれた技術が役に立った。柔よく剛を制す護身術を会得できたし、剣術にもしっかりと活かせた。

 他の騎士もノウハウを教えてくれたけど、実践を担当するのはほぼアリスだった。

 というのも、アリスが勉学と護身術を教えてくれているのは、セルヴィッジ家に人員が足りないからではない――正確に言うと、僕に割く人員がいないだけなんだ。

 ザンダーとケイレムの二人はセルヴィッジ家を継ぐ立場にあるとして、父から様々なサポートを受けていた。二人とも僕が六歳になる頃には自然を操る魔法に覚醒し、次期セルヴィッジ当主の期待を寄せられていたからで、僕とは違う。

 仮に長男に何かがあっても、同じように育てた次男が跡を継ぐ。そういうシステムが貴族に根付いている以上、はっきり言うと、僕のような三男坊はおまけだった。

 とはいえ、僕はこの現状に全く不満はなかった。

 僕はアリスのまっすぐな優しさに応えるべく、どんなことにも一生懸命に取り組んだ。それがきっと、世話をしてくれるアリスへの最大の恩返しだ。

「また遊びに来たぞ、イーサン……っと、特訓中か。結構強くなったか?」

「勿論です。ライド様が思うよりもずっと気高く、素晴らしい方に成長されました」

「そ、そんなに褒められたら恥ずかしいよ、アリス!」

 何より僕とアリス、時折ライド叔父さんを交えた成長の日々は、やっぱり楽しいの一言に尽きた。他のメイドや騎士達とも、知らず知らずのうちに仲良くなれた。

 今更だけど、僕を生んで間もないうちに死んでしまったので、僕には母はいない。たった一人の専属メイド、アリスの姿は、なんとなく母親エミリアのようでもあった。

 そんな状況に一つ目の転機が訪れたのは、僕が八歳になってからだった。



 八歳になった僕の前にアリスが連れてきたのは、もう一人の専属メイドだった。

「ご主人様、こちらが今日から専属メイドとなるパトリシアです。さ、ご挨拶を」

 彼女はいかにもメイド然とした出で立ちのアリスとは違い、彼女は随分と奇抜な格好だった。アッシュのツインテールもぱっちりとしてまつ毛の長い垂れ目も、スカートを短く改造したメイド服も、これまで見てきたメイドとはまるで違った。

「えーと、よろしくお願いします、イーサン君」

 彼女は少し、いやかなり、メイドらしからぬ性格の持ち主のようだった。

 頬をポリポリと掻きながら主人に挨拶する姿は、偏見で言うならば一昔前のギャルのようだ。もしもセルヴィッジ家でなくとも、普通の貴族に仕えているとしたら、きっとこの態度だけで屋敷を追い出されちゃうんじゃないかな。

「申し訳ございません、ご主人様」

 アリスは彼女に軽く拳骨をして、無理矢理頭を下げさせた。

「パトリシアは奴隷からメイドへと雇われた身ではありますが、魔法を宿しているだけでなく、技能的にも十分セルヴィッジ家に仕える資格を有しています。ただ、私が再三注意をしているのですが、何分態度が……」

「心配しないで。僕は気にしてないよ、アリス」

「ですが、ご主人様。メイドの態度はご主人様への評価へと直結します。セルヴィッジ家の一員であるイーサン様の評価をメイドが貶めるなど、あってはならないのです」

「えー? でもさ、イーサン君って屋敷ですっごく人気じゃん。だったらさ、あたしがそんなに気を張らなくても……んぎゃっ!」

 口を尖らせるパトリシアの頭に、もう一度アリスの拳骨が突き刺さった。

「このようなさまでございます。生来のものとは本人の言い分ですが、もし、ご主人様の気分を損ねるようなことがございましたら、私がその場できつく罰します」

「はい、分かりましたっと。よろしくね、イーサン君……じゃないわ、イーサン様」

「言葉遣いも直しなさい、パトリシア。これ以上口が減らないようなら、『獣化』した私の拳をお見舞いしますが?」

「そ、それはちょっと嫌かなー……窓拭きにでも行ってきまーす」

 パトリシアは努めてアリスと目を合わせないようにしながら、すたこらさっさと廊下を走り去っていってしまった。アリスは彼女をずっと、僕の隣で睨んでいた。

「……ご主人様。パトリシアにはメイドとしての可能性を感じておりました。ですが、それは私の大きな過ちだったのかもしれません」

「そうかな? 僕はあれくらい距離感が近い方がありがたいよ」

「ご主人様はお優しすぎます。あの調子ではいずれ、ご主人様を巻き込んだ問題を起こしかねないのです。私が推薦した身ではありますが、やはりまだ早かったのでしょう」

 彼女はやれやれといった調子で、眼鏡の奥の瞳を寂し気に光らせながら言った。

 アリスが育てたというのなら、間違いなく技能面では問題ない。事実、彼女は僕の身の回りの世話を完璧にしてくれたし、そこについて手抜きはしなかった。

ただ、性格だけは教育の過程ですら矯正できなかったようだ。奴隷時代の生活が心のどこかに根付いているのか、それとも何かしらの理由があるのかも。

「んー、イーサン君に話すほどじゃないっていうか。メイドの身の上話なんて聞いたって、貴族からしたらそんなに面白くないでしょ?」

 僕は何度か事情を聞いてみたけど、アリスの返事はいつもこんな調子だった。

「あたし、仕事で忙しいんで。イーサン君もアリス先輩と、護身術の練習の時間ですよ」

「あ、うん……」

 結局、パトリシアから話を聞くことはできなかった。

 だけど、彼女の真意を聞く前に、遂にアリスが懸念していたトラブルが起きた。




「――パトリシアがいない?」

「はい、ご主人様の着替えを持ってくるよう指示してから、まだ戻っていないのです。ご主人様の下に直接帰っているのかと思いましたが……」

 パトリシアが初めて仕事を指定された時間までにこなさなかったのは、後輩メイドが初めて仕事に就いてから十日ほど経ったある日のことだった。

 普段ならあっという間に仕事をこなして、勝手にシエスタタイムに入っているような彼女だ。着替えを持ってくるくらいで、帰りが遅くなるなんてのはありえない。それに、なんだかんだでパトリシアは仕事をサボったことも一度もない。

 だから、僕だけじゃなくて、アリスすら少しだけ心配していたんだ。

「分かった、何かあったのかもしれないし、まずは彼女を探そう。僕も手伝うよ」

「お手を煩わせてしまい、申し訳ございません、ご主人様」

「気にしないで! とりあえず、普段仕事で使ってるルートに沿って彼女を探そう!」

 セルヴィッジ家の屋敷は並のそれよりもずっと広く、客人が屋内で迷子になっちゃうほどだ。だから、アリスが僕の手を借りて行動に移るのも当然と言えた。

 僕は屋敷の東側、ランドリー側を探し、アリスは南側の庭を探しに向かった。

 すると、僕が長い廊下を曲がった時、人だかりと共に甲高い声が聞こえてきた。

「お前、どうしてくれるんだ! この絵画にどれほどの価値があるか、知ってるのか!?」

 使用人達が取り囲む中、大声で人を罵っているのは僕の兄、ケイレムだ。

 十五歳とは思えないほど大きな喚き声で――言っちゃ悪いけど、とても人に向けていいような、十五歳の少年が出してはいけないような声で誰かを罵っている。

 そしてその隣、ひびの入った貴婦人の絵画の隣に座り込んでいるのは、洗濯籠に僕の衣服を押し込んだままのパトリシアだった。

 これがどんな状況なのかは、誰に説明してもらうまでもなかった。恐らくパトリシアは、廊下にかけてあった絵画にぶつかって落としてしまった。そしてその現場をケイレムに目撃されてしまい、お叱りを受けていた。

 問題は、ケイレムの怒りが、単なる説教どころじゃない点だ。

まるで自分の衣服に泥をかけられたかのように、口から火を噴きかねないほど怒り狂っている。いくら生来の短気さがあるといっても、ここまで怒るものじゃないよ。

だけど、すぐに理由は分かった。

「あー、はい、すいません。というか、さっきからあたしの魔法でこれくらいは直せますよって言ってるんですけど……」

「そういう問題じゃない! お前、セルヴィッジ家次男の俺を敬う気がないのか!? 父上に言いつければ、いつでもお前を屋敷から追い出せるんだぞ!」

「それじゃあ、クビにしてもらっても大丈夫です。申し訳ありませんでした」

「こ、こ、この奴隷上がりの女が……!」

 ケイレムをここまで怒らせた理由は、間違いなくパトリシアの態度だ。

 このまま放っておけば、彼女は間違いなく罰を受ける。それも、酷い罰を。

「ご主人様、あれは……!」

「うん、分かってる。僕が行くよ」

 騒ぎを聞いて駆け付けたアリスを置いて、僕は囲いを掻き分けてケイレムとパトリシアの間に立った。そして、周囲の使用人達に告げた。

「皆、済まないけど、仕事に戻ってもらえるかな?」

 こうやって人に囲まれていると、ますますパトリシアが不利になりかねないと思った僕は、メイドや執事、騎士達に元の仕事に戻ってもらうよう頼み込んだ。皆はそこまで興味を抱いていなかったのか、あっさりとその場を離れていってくれた。

「……何のつもりだ、イーサン?」

 ケイレムは僕に、刺すような視線をぶつけてきた。

 こうして向き合う機会はほとんどなかったけど、ケイレムは僕よりずっと背が高い。それに目も細くて、威圧的で、領主となったなら権力も相まって発言力はありそうだ。

「このメイドはセルヴィッジ家に伝わる大事な絵画を落とし、ひびを入れた。ならば当然処罰するべきだ。お前も、それくらいは理解できるな?」

「そうだね、罰されるべきだ……僕が」

「なんだと?」

「彼女の責任は、仕えている僕の責任だ。だから、罰は僕に与えてくれ」

 僕がそう言うと、ケイレムは目を見開いた。

 後ろにいるアリスとパトリシアの、息を呑む声も聞こえた。

 正直なところ、誰も傷つけずに場を丸く収める方法は、これしか思い浮かばなかった。そんな僕の言い分を、ケイレムはあっさりと受け入れてくれた。

「そうか、そうか! お前自身が望むなら、罰を与えても文句はないわけだなぁっ!」

 そして躊躇うことなく、僕の頬をひっぱたいた。

「……っ!」

 倒れ込んだ僕は、反射的にはたかれた右頬を抑えていた。内側にまでじんじんと響く痛みが確かなら、きっと赤く染まっている。

 ケイレムはというと、僕への罰をこの一打だけでは終わらせないつもりらしい。

「ったく、どいつもこいつもこんなチビをちやほやしやがって!」

 まだ倒れている僕に彼が迫ってきたけど、不意に他の黒い影が、彼の後ろから現れた。

「お待ちください」

 振り上げたケイレムの左手を後ろから止めたのは、アリスだった。

 どこまでも冷たい目でケイレムを睨む彼女の腕が、貴族の細い手首を掴んで離さなかった。彼が苛立った調子で腕を振ろうとしても、まるでびくともしなかった。

「ケイレム様。罰はもう十分でしょう。これ以上ご主人様に手を上げられるようでしたら、私も相応の手段を以って防衛しなければなりません。魔法を用いてでも、です」

「この、お前……俺を誰だと……」

「私が仕えるのはセルヴィッジ家ではなく、今はイーサン様です。それをお忘れなく」

「う、ぐ、ぐぐ……!」

 魔法を用いた影響で次第に黒く毛深くなりつつある彼女の腕と、狼の如く細くなる瞳に気圧されたのか、とうとうケイレムは手を下に下ろした。

「……いいだろう、好きにしろ! イーサン、メイドの教育くらいはしておけ!」

 そして、捨て台詞と共に乱暴な足取りで立ち去って行った。

 残されたのは僕とアリス、パトリシアだけだ。窓から射しこむ光にボクの頬が照らされたのを見たアリスは、慌てた調子で僕に駆け寄ってきた。

「ご主人様、頬をお見せください」

「僕なら大丈夫だよ。それより、パトリシアは……」

 僕がパトリシアに声をかけると、彼女はまだキョトンとした様子だった。

 パトリシアは信じられないと言いたげな顔でこちらを見つめながら、ひびの入った絵画の破損部分を、指でなぞった。すると、指先から放たれる淡い光と共に、ひびが次第に消えてゆき、あっという間に絵画は元の形を取り戻した。

 どうやら、彼女の魔法は本人の言う通り、ものを直す能力らしい。

「あの、さっきも言ってたんですけど、あたしの魔法、『修復魔法』って言うんですよね。怪我とかこれくらいの破損なら、簡単に直せちゃうんですよ。だから――」

 当たり前のように絵を壁にかけ直すパトリシアに、僕は言った。

「――ううん、絵画じゃない。それを落とした時、怪我しなかった?」

「――っ」

 瞬間、パトリシアの顔は僅かに驚愕で染まり、それからさっと目を逸らした。

 何か変なことを言ったのかな。僕はただ、彼女が怪我をしていないか確かめただけなんだけど、もしかすると貴族がメイドの心配をすること自体が珍しいのかもしれない。

 そう思って僕が首を傾げていると、アリスがずい、と前に出てきた。

「パトリシア、貴女はご主人様に対して、随分と大きな勘違いをしていたようですね。それも、ずっと傲慢な勘違いを」

「…………」

「貴女がこれまで奴隷として生きてきた中で、どれほど酷い人を見て、どれほど汚いものを見てきたのかを知る気はありません。ですが、それら有象無象とご主人様を同一視しているとするのなら、そんなくだらない価値観など捨ててしまいなさい」

 アリスが静かに告げると、パトリシアは一層ぎゅっと自分の手を握った。

「ご主人様は、貴女が――私が思うよりも、ずっとお優しい方なのです」

「そんなことないよ、アリス。今僕がやったことなんて、優しさの押し売りだ」

 僕は過剰に評価されてるみたいだ。転生する前、僕が失敗した時、誰も助けてはくれなかった。そんな悲しみとか痛みを、他の誰かにも味わってほしくないってそれだけなのに。

「……ありがとう、ございます……イーサン、様」

 でも、今回はアリスの言葉が、彼女の心を溶かしてくれたみたいだった。

 これなら、もうちょっと寄り添ってもいいかもしれない。

「イーサン君でいいよ。よろしくね、パトリシア……パティって呼んでも、いいかな?」

 僕がそう聞くと、彼女はゆっくりと顔を上げた。表情はまだ、驚いているようだった。

 こんなところでする相談にしてはおかしいかもしれないけど、僕は少しでも、パトリシアの暗い顔を明るくさせたかった。彼女くらいの歳の子とはあまり接した記憶はないから、とりあえずフランクな関係を築ければいいかなと考えての提案だ。

 幸いにも、パトリシアは相変わらずぽかんとしながら、小さく頷いてくれた。

「これからは心を入れ替えてご主人様に尽くすのですよ、パトリシア」

 アリスの言葉にも頷いた彼女は、ゆっくりと僕とアリスの手を取って起き上がった。

「……申し訳ありません、イーサン君。これから、よろしく……お願いします」

「うん、よろしくね、パティ!」

 改めて互いに挨拶をすると、彼女は今度こそ、小さく微笑んでくれた。

 ――僕はやっと、ずっと自分が胸に秘めていたことを形にできた気がした。

 次の人生は、できる限り人に優しくするということ。

 相手が誰で、何であっても関係ない。分け隔てない優しさと共に生きるということ。

 それが一番大事だと教えてくれた祖母の愛情に、今度こそ報いるために。

「……優しいんですね、イーサン君は」

 パトリシアのちょっぴり力ない笑みが柔らかくなって、僕も釣られて笑った。

 こうして、笑顔と共に、僕にとって一つ目の転機がやってきた。

 もう一人の専属メイド、パトリシアの存在だ。
 
 だけど僕は、二つ目の転機が迫っていることにまだ気づいていなかった。

 二年後に迫る――十歳になった貴族の魔法とマナの有無を明かす『発動の儀』を、この時の僕はすっかり忘れていたんだ。



【パトリシア】

 ――正直に言うと、メイドなんて仕事はバカげてると思ってた。

 奴隷として売られていたあたしにマナが秘められてると知られてから、バカみたいな価値を付けられて、それをどこかの貴族が買った。ただのそれだけ。

 メイドになったのも、奴隷のままでいたくなかったから。結構あたしは要領がいいし、貴族の世話くらいお茶の子さいさい。メイド試験ってのもあっさりとパスしちゃった。

 というか、あたしにとって、貴族なんてどいつもこいつもマヌケでしかなかった。

 セルヴィッジ家でメイドデビューしてから、ヴァッシュ様の長男と次男を見たけど、どっちもはっきり言ってドラ息子。付き人がいないと着替えもできないのかってくらい他力本願だし、そのくせ人にえばるのだけは一丁前。

 マナの有無と生まれだけで人を見下して、権威を笠に着るだけの連中ばかり。
 
 だから、あたしが仕える予定のイーサンってのも、どうせ同じだろうって考えてた。

 ――だけど、違った。

「彼女の責任は、仕えている僕の責任だ。だから、罰は僕に与えてくれ」

 あたしよりずっと年下のはずの貴族のお坊ちゃまは、ずっと優しい人だった。

「そうか、そうか! お前自身が望むなら、罰を与えても文句はないわけだなぁっ!」

 絵画なんて魔法で直せるって言ってるのに話も聞けないほど頭が沸騰してる相手に、よりによってメイドなんかを庇って、自分からぶたれに行った。相手は強力な魔法を持つ貴族で、下手をすれば大怪我を負うような攻撃をされるかもしれないのに。

 なのに、イーサンお坊ちゃまはあたしなんかの代わりに殴られた。しかも、どかどか歩いていくケイレムを睨むでもなく、ましてやあたしに怒鳴り散らすでもなく、彼の次の言葉はメイドを労わるものだった。

「絵画を落とした時、怪我しなかった?」

 その時、初めて分かった。

 この人は違う。上っ面だけの輝きだとか、持って生まれた力で威張り散らすとかじゃない。本当の意味で気高い心を持った人間だって、直感できた。

 それこそ、あたしの傲慢さとふざけた態度をみっともなく感じるくらい。

 生まれて初めて、人の顔を恥ずかしくて直視できなかった。自分のせいでイーサン様の頬が赤く腫れているのが耐えられなかったし、アリス先輩の鬼のような形相を見れなかった。いつもならさらっと受け流すお叱りの言葉が、ぐさりと心に刺さった。

 心からの反省なんて、人生でするはずがないと思ってた。

 だけど、あたしは今、自分の愚かさを心底反省した。

 自分が仕える相手に、二度とあたしのせいで頭を下げさせちゃいけない。アリス先輩の厳しさを、イーサン様の優しさを無下にしちゃいけない。

 こんなあたしに、どうしようもないあたしに手を差し伸べてくれた人なんだから。

「イーサン君でいいよ。よろしくね、パティ」

「これからは心を入れ替えてご主人様に尽くすのですよ、パトリシア」

 イーサン様――イーサン君の手を握り、あたしは立ち上がる。

 誰よりも大事なご主人様の前で、あたしは生まれ変わった気がした。

 ただの怠惰なメイドから、ちょっぴり怠惰なメイドに。相変わらずアリス先輩のお小言にはちょっとだけ嫌な顔をするメイドに。

 そして――イーサン君に心から従うメイド、パトリシアに生まれ変わった。

 パトリシアと出会ってから、あっという間に二年の月日が流れた。

 イーサンという少年は少しだけ成長して背丈も伸びた。僕のことながら、本棚に手が届き、武術も形になるくらいの歳になった事実はとても嬉しい。

 その間に、フォールドリア王国を巡る情勢も変化を見せていた。

 王国西部の貴族が連合を組み、王政に反旗を翻した。一昨年の半ばから続いているこの内乱は、戦況こそあまり大きくないが、少しずつ戦火は広まっているらしい。

 らしい、と僕が曖昧に言っているのは、偶然騎士達の噂を小耳に挟んだだけだから。
 とはいえ、明後日に十歳になる僕にとって、人生最大の転機になりかねない瞬間が、最早目と鼻の先まで迫っていた状況では、そっちが優先された。

「……いよいよ、明後日には『発動の儀』か……」

 そう、マナの力と有無を確かめる『発動の儀』が、明後日に執り行われるんだ。

 聞いたところによると、鑑定士と呼ばれる専門職の前で水晶玉に手を近づけると、その人物が有する魔法に応じた現象が発生する。それから水晶玉の方に、魔法の二つ名が映し出される。例えば、ライド叔父さんの時は儀式に使う部屋中に雷鳴が轟いたんだって。

「まいったな、変な魔法が出てきたらどうしようか」

「仮にそうだとしても、ご主人様は気高く心優しいご主人様のままでございます」

 そんな重要なイベントを前にして、ベッドに寝転がった僕はどうにもそわそわしていた。同じ部屋に居るアリスとパトリシアは、そんな僕をいつもフォローしてくれる。

「でもさ、イーサン君? セルヴィッジ家の跡継ぎはほぼイーサン君で確定じゃない?」

 椅子に座ってお菓子を食べながら、相変わらずメイドらしくない態度でパトリシアが言った。彼女は二年間で大きく変わったけど、気が抜けるといつもの彼女を見せてくれる。

「言っちゃ悪いけど、上の二人にこの家を継ぐほどの器量はないと思うな。そこでイーサン君がセルヴィッジ家代々の強力な魔法を発現させたら、人生バラ色確定だよ」

 あくまでパトリシアの主観だけど、僕は何故か屋敷の中で人気があるみたい。

 嫌味だなんて言われるかもしれないけど、使用人達がしきりに話しかけに来てくれるのがありがたくて、僕が礼を言いたくなるほどだよ。

「イーサン君はメイドにも騎士連中にも人気だし、屋敷の外に出た時も街の人に可愛がってもらってたじゃん。上の兄弟二人は可愛がられるどころか、正直煙たがられてると思うよ。街に轟くほどの傲慢なバカ息子、ってね」

 彼女が言っているのは、僕が何度か街に出向いた時の話だね、きっと。

 二人目の専属メイドを迎える少し前から、僕は馬車に揺られて近くの大きな街を視察させてもらうようになっていた。世間に関する勉強と経済状況、あとは僕の好奇心を満たす為の外出だったけど、これは本当に楽しかった。

 最初は街の皆も少し距離を取っていたけど、僕が複数回足を運ぶようになると、向こうから声をかけてくれるようになった。珍しい魚を使った料理をふるまってくれたり、恐ろしい呪具を見せてもらったりとか、とにかくたくさんお世話になった。

 まあ、後者の方は修羅の形相をしたアリスに回収されちゃったんだけど。

 あの時は、僕が貴族だから何かと要求を呑んでくれているんだと思っていた。けど、今になってパトリシアの話を聞いてみると、僕はすっかり愛されていたんだなって思える。

 ただ、二人が傲慢なんて評価が正しいとしても、彼女の場合は少し言い過ぎだよ。

「そんなこと言わないで、パティ。僕に人を導くほどのカリスマなんてないってば」

「時に必要なのは、ご主人様、導く力よりも寄り添う力でございます。そしてそれならば、ご主人様はもう、並の大人よりも素晴らしいものをお持ちでございます」

「アリスまで……僕は当主を継ぐなんて望んじゃいないよ」

 今更だが、いずれはセルヴィッジ兄弟のうち、誰か一人が当主を継ぐ。

 大抵は残った者が家を去るんだけど、それはあくまで長男が当主になった場合だ。そうでない時――ケイレムや僕が当主になった時、残された者は、はいそうですかとはいかない。あらゆる資産を総取りしようと目論む者達の、血みどろの戦いが始まる。

 僕はともかく、二人は僕を殺すのには躊躇いがないと断言できる。正直に言うと、僕はザンダーにもケイレムにも、相当嫌われている。特にケイレムは、パトリシアの一件で僕を憎んでいるとすらいえる。

 だとしても、僕は彼らと殺し合いなんて、兄弟での殺し合いなんてまっぴらごめんだ。

「少なくとも、当主の座を狙って二人と争うなんて、考えたこともないさ」

 だから、僕の望みは、どんな結果になっても変わらない。

 祖母から教わった優しさで、国を、家族を支え続ける。セルヴィッジ家にいるとしても、追い出されて他の領地に行ったとしても、ただまっすぐに自分の在り方を信じる。

「イーサン君ってば、相変わらず甘いよね。ま、そこがかわいーんだけど」

「いずれにせよ、明日、全てが決まるんだね。そう思うと、緊張してくるな……」

 ベッドの中に潜りはしたけど、どうにも目を瞑る気になれなかった。寝床の中でもぞもぞしている僕を見て、アリスが小さく微笑んだのが見えた。

「ご主人様。不安で寝付けないなら、久しぶりに添い寝をいたしましょうか」

 そして、何とも恥ずかしい提案をしてくれた。本当に、恥ずかしい提案を。

「添い寝!? そ、そんなの、六歳で卒業したよ!?」

「そう仰らず。ご主人様の心が揺らいでいるか否かが分からないほど、私は甘いメイドではございません。イーサン様に安堵してもらうことが、今は一番大事なのです」

 優しいのは嬉しいんだけど、僕の恥ずかしさも察してほしいな。

「で、でも、僕はもう十歳だし……」

「んー、じゃああたしもイーサン君に添い寝してあげよっかな!」

「パトリシアまで!?」

 もっとも、パトリシアの乗り気になったなら、もう僕に逃げ場はないんだけれども。

 敏腕メイド二人に囲まれた僕の結論は、もう決まったも同然だった。

「……じゃあ、その……お願いしても、いいかな」

「かしこまりました、ご主人様」

「仰せの通りに、イーサン君!」

 こんな調子で、気づけば僕はベッドの中で、パジャマに着替えた二人のメイドに挟まれていた。当然だけど、こんな状態じゃかえって寝付けない。

 ナイスバディなアリスも、スレンダーなパトリシアも、等しく柔らかい。

 どうにかちょっとでも距離を取ろうとしても、二人は僕を捕まえて離さない。

「あれあれ? イーサン君、もしかして照れてる?」

「そ、そりゃそうだよ……って、そこ、おへそ! おへそ擦らないでってば!」

「ふふっ、いいリアクションしてくれるねー!」

「パトリシア、悪戯もほどほどにしなさい。あくまで添い寝をする我々の目的は、ご主人様の安眠なのですから」

「そういうアリスも、なんだか抱きしめる力が強いような……」

「……さて、どうしてでしょうか。夢の中でお考え下さい、ご主人様」

 からかわれてるのか、真剣なのか分からない時間は、その後も少しだけ続いた。

 でも、どういうわけか――結局、その日はいつもよりぐっすりと眠れていたんだ。



 そして二日後。

 僕は二人のメイド、ライド叔父さんと共に、屋敷の中で最も大きな扉の前に立っていた。ここで行われる政はただ一つ。『発動の儀』だ。

 この厳かな扉の向こう側で、僕は今日、魔法を手に入れる。

「……来たね、この日が」

「そう気負うな、イーサン。お前にとって、単なる人生の通過儀礼の一つに過ぎない。覚醒した魔法がどんなものでも、お前自身は変わらない。それを、覚えておくんだ」

「ライド叔父さん……」

 そんなプレッシャーを、背中を叩くライド叔父さんの手がほぐしてくれた。

 叔父さんが来てくれたのはたまたまだったんだけれど、僕が『発動の儀』を受けると知ると、自分の仕事をほっぽりだしてまでついてきてくれた。本当にありがたいんだけど、後で山積みの書類を前に頭を抱えてる姿が想像できちゃうよ。

「ご主人様、この奥に入ることを許されているのは、セルヴィッジ家の者と鑑定士だけです。私達はここでお待ちしておりますので、気持ちを落ち着かせて臨んでください」

「イーサン君なら大丈夫だよ。胸張って、サイコーの魔法をもらって来ようね!」

 これだけの声援を受けておきながら、不安な面持ちでいるのは、かえって失礼だね。

「……ありがとう、二人とも。それじゃ、行ってくるよ」

 僕は三人に軽く手を振ってから、大きな扉を押し開けた。

 荘厳な扉は、僕の予想に反して軽い力で動いた。だけど、黒いローブを身に纏い、鑑定士と思しき老人を囲むセルヴィッジ家の男達――ヴァッシュ、ザンダー、ケイレムの三人の姿からは、重い雰囲気が醸し出されていた。

「イーサン・セルヴィッジ様。どうぞ、こちらへ」

 鑑定士に促され、僕は暗い部屋の中央に向かって歩いてゆく。噂に聞いていた水晶玉が鎮座する台の前まで来て、足を止めた僕は、周囲を軽く見まわした。

 父上と二人の兄の表情が見えたが、お世辞にも僕に期待を寄せているようには見えなかった。父上は僕が魔法を発動させるのを前提にしているようだったし、どれだけ強力なものか、それだけに関心が向いているみたいだ。

「これより『発動の儀』を執り行います。イーサン様の中に秘めたる力、マナを引き出し、魔法として発現させるのです。さあ、水晶玉に手を乗せ、深く深呼吸を……」

 水晶玉の上に手を翳す。小さな光が透明な球の奥に宿り、揺らめいて、僕の瞳に映る。

「大きく息を吸って、吐いて……力を解き放つイメージを浮かべて……」

 呼吸に合わせて、光が大きくなり、小さくなり、拡大と縮小を繰り返す。

 そして、何度目かの呼吸を終えた瞬間、いきなり水晶玉の光が凄まじく輝き始めた。

「……来ます……イーサン様にはマナがあります! その名と力が目覚めます!」

 薄暗い部屋の中をかっと照らすほどの光を前に、僕どころか、鑑定士を含めた全員が僅かに体を震わせた。こんな光は、そうそうないのかな。

 駄目だ、思考する余裕がない。

 頭から考えを奪いつくすほどの光が放たれている。

 そうこうしているうちに、僕の目が開けなくなるほどの光が空間を埋め尽くした。

「う、うわああああっ!?」

 思わず叫び声をあげてしまった僕の手が、途端に熱くなった。

 指先が震える感触と共に、水晶玉が台座から落ちて、転がっていくのが音で分かった。それでもなお、閉じた目の内側を焼くように視界が明るいし、手は熱いまま。

 その全てが収束するのは、あまりにも一瞬だった。

 光が急になくなったのを感じた僕は、ゆっくりと目を開けた。少しだけ何も見えなかった僕の目が、再び闇に慣れ始めた頃、そこに広がっていた光景は異様なものだった。

「…………なんだ、これは」

 僕の掌が翳す先――台座の上にあるのは、小さな人型の何か、だった。

 ごとん、と台座に横たわるそれを、ただ僕を含めた全員が唖然と見つめていた。

 僕だけがゆっくりとそれに近づき、触れた。ひんやりとしたのっぺらぼうの人形は、台座と同じ鉄でできているようだった。これが、僕の魔法が生み出したものなのかな。

「鑑定士、わしは聞いておるのだが? これは何なのだと?」

「は、はいっ! この人形が、イーサン様の魔法の力かと思われます! その名前も水晶玉に映し出され、どのような能力かも……」

 慌てて水晶を拾った鑑定士が透明な球を見つめるが、次第に顔が青ざめてゆく。

 僅かに曇った水晶玉を持ち上げ、鑑定士は震える声で言った。

「……あり、ません。名前も、能力も……出てきません」

 この瞬間、僕の魔法は決まった。

 自然の力を操る偉大な者を輩出してきたセルヴィッジ家の三男が持つ力は、小さな人形を生み出すこと。同時に、僕は自分の目を疑った。失望した父の隣に立つ二人が、口をつり上げて嗤ったように見えた――僕の現実を知り、安堵して、嗤っているように見えた。

 そんなはずはない、僕の気のせいだ。

 空想を振り払うように首を横に振ろうとするよりも早く、父が口を開いた。

「……つまり、この男の魔法は名前もない、能力が鉄くずを生み出すだけの、何の役にも立たない力だと、そういうわけだな。なるほど、分かった」

「父上……」

「『セルヴィッジ家に一点の曇りなし』。我が一族の家訓を忘れてはいないだろうな、イーサン。地位や名誉だけでない、何の価値もない無意味な魔法も陰りになる。ザンダーやケイレムほどでないとは思っていたが、まさかここまでとはな」

 これ一つで、父は躊躇いなく僕に言葉のナイフを突き刺した。

「いいか、セルヴィッジ家には黒点など不要なのだ。たとえそれが、血の繋がった息子であろうとな。元々不要な男だ、お前はこれから……」

 だからきっと、父は僕を、ここでセルヴィッジ家から突き放そうとしたんだと思う。

 追放か、或いは幽閉か。最悪のパターンが頭をよぎった。

「お待ちください、父上!」

 だけど、別の声が部屋に響き、僕の思考は中断された。

 父の隣に立ち、恐るべき宣言を寸でのところで止めたのは、ケイレムだった。

「なんだ、ケイレム」

「お言葉ですが、イーサンの魔法が全て決まったわけではありません。今はこのような体たらくでも、鍛えればいずれセルヴィッジ家に貢献できる可能性もあります」

 ケイレムの顔はやけに自信に満ちているように見えた。あまり考えたくはないけど、こうなることがすべて織り込み済みであったかのような、流暢な説得だった。

「どうでしょう、領地西部の避暑地で静養させるというのは? イーサンも現実を目の当たりにして、随分とショックを受けていますし……少し屋敷から離して置いて、彼の力の成長を見定め、それから処遇を決めても遅くはないかと思います」

「……ふん、いいだろう。イーサン、今のところはケイレムの提案に従い、己の魔法をセルヴィッジ家の為に鍛えろ。お前を一族に残すか否かは、その後に決める」

 少しだけ思案した後、父は僕を静かに睨みつけて言い放った。

 僕に、否定する権利などあるはずがなかった。

「……分かりました」

「では、早々にこの部屋から去れ。ここにいる資格を持つのは、優れた者だけだ」

 もう、父は僕の話など聞かない。聞いてくれるはずがない。

 そう悟った僕は、兄弟と父に背を向けて、扉の方へと歩き出した。せめて魔法を手に入れた証として、鉄の人形を持っていったのは、誰も咎めなかった。

 入る時よりも重く感じる扉を開いいた僕を、アリス達は変わらない様子で待っていた。

「ご主人様、結果はいかがでしたか?」

「中のことは外に聞こえなかったけど、きっと凄い魔法を発動させたんでしょ? 兄弟全員ビビらせて、その場で次期当主はイーサン君確定、って感じかな?」

 アリスとパトリシアは嬉々とした調子で声をかけてくれたけど、僕は心の整理がまだついていなくて、とてもじゃないけど笑顔に対して笑顔で返せなかった。

 そんな僕の顔を見た叔父さんは、何かを察したようだった。

「……イーサン、まさか」

「そのまさかだよ、ライド叔父さん。僕の魔法に名前はない。能力も、鉄の人形を生み出すだけだ。父上の期待には、応えられなかったよ」

 静かに突き出した人形に、三人の目線が集中した。

 どんな顔をしているのか、正直見たくはなかった。誰もが優秀な魔法を持つセルヴィッジ家の中で、唯一どうしようもない、何の価値があるかも分からない力を手にしてしまった子供に、どんな視線を投げかけるのかな。そんなこと、想像したくもなかった。

 父のように見放されるのかとも想像した僕は、静かに顔を上げた。

「――よかったじゃん! マナがあったんだから、とりあえずオッケーだよ!」

 僕の前にあったのは、いつもと変わらないパトリシアの笑顔。

 そして、嫌味なんて何一つもない、心からの言葉だった。

「パトリシア、その言い方は少し語弊があります」

 彼女の後ろにいるアリスも、僕に失望なんてしていないと断言できる優しい顔だ。

「ですが彼女の言う通り、魔法の発動こそ、そもそもは稀なのです。加えてご主人様、魔法とは使い方次第で無限に変化します。私はこの力を、無意味だとはまるで思いません」

「そうだ、イーサン。期待していたのは分かるが、悲観するにはまだ早いぞ」

 ちょっぴり力なくはにかむ僕の肩を、ライド叔父さんが強く叩いてくれた。

「部屋に入る前に言ったが、気に病むことはない。もしもお前に兄上が厳しい態度を取るようなら、必ず俺が説得してやる」

「ううん、もう僕の処遇は決まったよ。領地西部の避暑地で、しばらく静養だって」

 メイド達は「まさかそんなはずが」というような調子で顔を見合わせた。

「アリス先輩、それって……!」

「ええ、貴女の考えている通りです。ヴァッシュ様は、ご主人様を見放しました」

一方で、ライド叔父さんは僕の代わりに怒ってくれているようだった。叔父さんがこんなに顔を苛立たせて、歯を見せるほど感情を昂らせているのを、僕は初めて見た。

「追放など、全く、あのマナ至上主義の男は血も涙もないのか!」

「違うよ、静養を提案したのは父上じゃない。話を切り出したのは――」

 ライド叔父さんの誤解を解こうとした僕だけど、会話は遮られてしまった。

「――やあ、イーサン。随分としょぼくれた顔をしてるな?」

 扉を開けて、外に出てきたケイレムによって。

「ケイレム……!」

 複雑な顔をしている三人と違って、彼はやけに嬉しそうだった。

 ケイレムの顔は、それこそ細い目が見開き、白い歯を露にするほどに嗤っていた。にやにやとしか形容しようがない彼の笑みから、叔父さんは何かを悟ったらしかった。

「……なるほど、話は読めてきた。お前が父上を唆したのか、ケイレム」

「唆したなんて、随分人聞きの悪いことを言うのですね、叔父上殿」

 ライド叔父さんの鋭い視線を無視しながら、ケイレムは僕を彼から引き剝がすようにして、自分の下に引き寄せる。その動きが、まるで僕を体に取り込むような仕草に感じてしまって、どうにも怖気を抑えられなかった。

「それよりもイーサン、無事で何よりだったな。俺が口利きしてやらなければ、あの強情な父上のことだ。お前を牢に押し込めていたかもしれないぞ」

「……助かったよ。恩ができたね」

「そうだ、お前は俺に恩があるというわけだ」

 僕がどうにか絞り出した返事に、ケイレムはへばりついたような笑顔を見せつけた。

「なあ、命を助けてやったよしみで、少し頼みがあるんだよ。お前が静養している間――お前の名前を貸してくれないか?」

「名前?」

「ああ、単刀直入に言うとだな、俺は兄上……ザンダーを当主とは認めていない」

 本人に聞かれれば何を問い詰められるか分からないような暴言を、彼は平然と口にした。

「このままいけば、父上はザンダーを当主にするだろうな。勿論、俺は指をくわえて見ているつもりはない。だが、他で俺が勝っていたとしても、どうしても人望の差で劣る。誰も、本当の実力者のカリスマからは目を背けたがるものだからな」

「おめでたい頭してるねー、このバカ殿様は」

 パトリシアの悪口も耳に入らないほど、ケイレムは悦に浸っていた。

 自分の輝かしい未来を想像し、他の全ては何も目に入っていないかのようなんだ。

「そこで、だ。イーサン、お前は魔法の才能もないし、武術や学力に秀でているわけでもないが、どういうわけか召使や街の連中に好かれている。その人望を、お前がいない間、俺に貸してくれよ」

 彼は僕を見下している。それ自体はどうでもよかった。

 どうでもよくないのは、僕の名前で、仮初の意志で、何をするつもりなのかだ。

「安心しろよ、お前の名前で酷いことをするつもりはない。ただ『イーサンはケイレムを支持する』『ケイレムとイーサンは友好な関係にある』ってアピールするだけさ。馬鹿な民衆や使用人はそれだけで、俺を支持してくれるだろうよ」

 馬鹿。僕に優しくしてくれた人々を、彼は馬鹿といったのか。

 騙してどうするつもりなんだ。欺いて何をさせるつもりなんだ。

 そう思うと、背中の怖気が、静かに熱くなってゆく。十年間生きてきた中で、前の人生ですら覚えたことのない感情が、腹の底から湧き上がる。

「戦争でも何でもやって、ザンダーを倒してセルヴィッジ家を俺が継いだあかつきには、お前を静養地から引っ張り出してやる。そして、俺の部下になる名誉を――」

 そしてもう、僕はケイレムの偽善だけの主張に耐えられなかった。

「――ケイレム、僕は確かに君に恩がある。でも、君の望みとは話が別だ」

 僕が反論した。ただのそれだけで、ケイレムの顔が醜く歪んだ。

 怒りと苛立ちをこれでもかと孕んだ表情は、今度は見間違いじゃなかったけど、僕は食い下がるわけにはいかなかった。ここで断固として、彼に言わなければならない。

「悪いけど、僕は偽りの優しさを信用しない。押し付けられた優しさを受け取らない」

 自分のことを棚に上げた言い分だと言われても、僕なんかがはっきりものを伝えてもまるで怖くないなんて言われても、それでもケイレムには意志をぶつけなきゃいけない。

「何より、全てを隠して都合のいいことだけを話す兄上の言葉を、信じられない。僕の名前を、イーサン・ホライズン・セルヴィッジの名前を、争いなんかに使わせない」

 僕は優しさを信じて生きる。誰もが優しく在れるように前へ進む。

 それら全てを否定する目的で僕を使うというのなら、それだけは許せない。

「本当に僕に頼りたいなら……僕の目を見て言ってくれ、憎しみを広げないって。この国から、街から、屋敷から、優しさを失わせないって!」

「ぐっ……!」

 僕がきっとケイレムを睨み返すと、彼はたじろいだ。

 十歳になって間もない少年の視線など意に介さないと思っていたし、精一杯の反論と抵抗のつもりだったけど、思いのほか効果はあったようだ。

 ただ、僕はケイレムと戦いたいわけではない。やめてくれという意志を伝えたかっただけなんだけど、彼は完全に僕を敵とみなしているようだ――そこはもう、仕方ない。

 そうしないと、この屋敷と街から優しさと笑顔が失われると確信していたから。

「……もういいでしょう、ケイレム様。ご主人様は、貴方の言いなりにはなりません」

 僕がじっとケイレムを見続けていると、とうとうアリス達が間に割って入った。

「静養の件はありがたくお断りさせていただきます。そして、ご主人様がおられない間に好き勝手をすることは決して許しませんし、万が一屋敷を出ることになっても、公にさせていただきます……ご主人様、こちらへ」

「イーサン君に近寄らないでよね、バカがうつったらどうするのさ」

 アリスは冷静な反論を、パトリシアは乱暴だけどはっきりとした意見をぶつけた。二人が僕を庇ってくれたおかげで、ケイレムの怒りに染まった視線がようやく僕から離れた。

「あ、ま、待てよ! 俺の好意を無下にするつもりか!?」

「諦めな。仮にお前がイーサンの名前を使って民衆を操ろうとしたって、人々はその程度の浅知恵なんてお見通しだ。すぐに化けの皮が剥がれるに決まってるっての」

 だけど、声に棘があるライド叔父さんも介入すると、いよいよケイレムは言葉を詰まらせた。多分だけど、彼は叔父さんがひどく苦手なんだと思った。

「お、叔父上殿は分かってくれるでしょう! 俺があいつを……」

「ああ、分かってるさ。お前があの子を利用して、最後には使い潰す魂胆だってな」

 僕にはライド叔父さんの顔は見えなかった。背中が僕の前にあるだけだったけど、ケイレムの狼狽えぶりから、きっと凄い顔をしているんじゃないかと察せた。

「イーサンはランカスター領で預かる。お前の父親は、俺から説得しておいてやるよ」

 その忠告を最後に、叔父さんは僕の肩を抱いて、ケイレムに背中を見せるようにして歩き出した。僕だけじゃなくて、アリス達も後ろについてくる。

「ケイレム……」

「……俺様を認めないカス共め! 必ず後悔させてやる!」

 漏れるような僕の声に、ケイレムはただ怒鳴りつけるような調子で喚いていた。

「特にイーサン! お前だけはただで済むと思うなよ、クソガキ!」

 ケイレムの暴言を背中に受ける僕の中に、もう怒りはなかった。

 ただただ、寂しさだけが心の中に残っていた。

 兄の声が聞こえなくなっても、自分の部屋に戻っても、アリス達に手を強く握ってもらっても、しばらくは胸を刺す痛みが消えなかった。



 そんなやり取りから――僕の命運を決める儀式から、十日が経った。

 僕は兄や父との決定的な隔たりを悲しむ間もなく、セルヴィッジ家の屋敷から出発する準備に追われていた。といっても、主に準備をしてくれたのはメイド達だ。

 加えて、金銭から馬車と御者、日用品、その他諸々の手配をしてくれたのはライド叔父さんだった。家から騎士を借りるのを父が許してくれなかったようで、護衛だけは付けられなかったけど、アリス達がいるのなら問題ないと思う。

 僕にできることといえば、備品に不足がないかをチェックすることくらいだった。

 ちなみに、僕がどこに行くのか、どうして行くのかの理由には緘口令が敷かれていた。魔法についても同じだったし、ケイレムとの確執についても同様だ。

 ――ところが出発当日、僕の目の前には驚きの光景が広がっていた。

「……えっと、沢山の人が集まってるね……」

 屋敷の入り口にして出口の大きな門の前には、これでもかと人が集まっていた。

 メイドに騎士、執事に使用人、料理人、果ては街の住民。どう少なく見積もっても五十、六十を上回る人々が、僕がこれから乗る馬車を囲んでいた。僕に話しかけてくるメイドもいれば、お守り代わりのナイフを渡してくれる騎士が何人もいた。

 中には『イーサン様の無事と健康を願って!商業組合』なんて旗を振り回しているおじさんまでいる。うん、ありがたいけど、顔が赤くなるくらいには恥ずかしい。

「そりゃ、表向きには諸事情があるイーサン君の静養ってだけだからね」

 隣に立つパティの言う通り、確かに世間的には長期の静養とだけ伝わっている。

 帰ってこられる保証もないので、静養と呼ぶのは少し違う気がしないでもないけど。

「うーん、なんだか騙してるような気がしないでもないなぁ……」

「いいじゃん、いいじゃん。期間は言ってないし、いつかちゃんと帰ってくればいいんだし! 胸を張って帰れるように、あたし達も頑張るよ!」

 いつのまにか荷物を馬車に括り終えたアリスが、僕の前にやってきた。

「改めて、ご説明させていただきます。ランカスター男爵がご用意してくださったのは、ここから彼の領地に向かって七日ほど進んだ先の、山奥の土地です。渓谷地帯を通り、何度か野営をするかとは思いますが、ご了承ください」

「うん、大丈夫。野営は前から興味があったし、むしろ大歓迎だよ」

「心配無用です。私達がいる限り、ご主人様に何一つ不便な思いなどはさせません」

「ついてくるのはあたし達だけだけどさ、これはいわゆる少数精鋭ってヤツ。他の連中なんていなくたって、きっちりイーサン君のお世話をするから安心してね!」

「……ありがとう」

 僕はありがとう、と言ったけど、実は出発前に一度だけ退職の自由を提言したんだ。彼女達の将来を鑑みて、無理に僕についてくる必要はないと相談すると、彼女達は笑顔で、断固として拒否した。これだけは、僕もすごくびっくりした。

『申し訳ございませんが、これがもし命令だとしても私は受け入れかねます』

『ぶっちゃけ、イーサン君の傍にいられないなら、奴隷の頃と変わらないんだよね』

 正直な思いを伝えてくれる二人には、何百回お礼を言っても足りなかった。

『ご主人様、我々は最期の一時までご主人様とお供します』

『いついかなる時も、どんな時もお仕えさせてください……なんてねっ』

 本音は、二人が残ってくれて、僕はとても嬉しかった。

「おーい、イーサン!」

 微笑むアリス達と笑顔で応える僕に、ライド叔父さんが駆け寄ってきた。

「すまないな、イーサン。兄上殿に何度か話はしたが、追放自体を取り消させることはできなかった。それに、俺とお前が合うことを原則として禁止する、なんて条件まで取り付けてきやがった」

 叔父さんの言葉に、僕は目を丸くした。追放を取り消すなんてありえないと分かっていたけど、まさかライド叔父さんと会うのを禁止するなんて、想像もつかなかった。

「会っちゃいけないって、どうして?」

「俺がお前に、何か良からぬことを何か吹き込むとでも思ってるのさ。本当なら、別荘まで俺がついて行ってやりたかったんだが……」

「気にしないで。ライド叔父さんがこれだけ準備をしてくれただけでも、凄く嬉しいよ」

「兄上殿の引き留めさえなければ、俺が野営のテクニックを教え込んでやりたかったよ。こう見えて、ミアルゴの森で二週間、裸一貫で生き延びたこともあるんだぜ?」

「えっ、本当に!?」

 ミアルゴの森といえば、ランカスター領地の最北端、危険な魔物が犇めく危険地帯だ。巷の冒険者ですら近寄らない場所で生き延びたなんて、叔父さんは本当に凄い人だな。

「おう、森の奥の手長族とも仲良くなったもんさ。それに……」

「こほん……男爵。御者が既に待っておりますので、お話はその辺りに」

 アリスが咳払いをすると、叔父さんはいつもの調子ではにかんだ。

「そうだな、道中のトラブルにだけは気をつけてな……ま、アリスとパトリシアがいれば問題はないだろ。それと、万が一困ったことがあったら、これを使え」

 そして、僕の右手を掴むと、掌に何かを握らせた。

「……これは?」

 僕の手の中にあったのは、銀色のペンダント。盾の形に獅子と一対の剣を彫り込んだそれが、叔父さんの胸元に輝くランカスター家の家紋と同じとすぐに察せた。

「ランカスター家の家紋を象ったペンダントだ。後ろには俺の名前が彫り込んである。自分一人じゃどうしようもない問題が起きた時に、きっとお前を助けてくれるよ」

 驚いた顔の僕と視線を合わせたライド叔父さんは、歯を見せて笑った。

 その笑顔は、まるで僕の傍でずっと微笑んでくれていた祖母のようだった。屈託のない、いつだって僕の憧れと尊敬であり続けた、誰よりも優しい祖母のように見えた。

 あの人の面影が重なって見えた時、僕は思わず、叔父さんに抱き着いた。

「……ライド叔父さん、僕、叔父さんと離れたくない。ずっと一緒にいたいよ」

 僕は、泣いていた。

 静かに、叔父さんの服の裾を掴んで泣いていたんだ。

 転生前はいくつだったんだとか、子供じゃあないだろうとか言われても関係ない。我儘一つで彼を引き留められるなら、人生で数少ない地団太だって踏みたかった。ごねられるのならごね続けて、叔父さんの話を聞いて、一緒に笑い続けていたかった。

 心から尊敬する人と別れるんだと思うと、向こうの世界で苦しんだ時より、魔法の力で蔑まれた時より、ずっとずっと辛い。辛いに決まってるよ。

「ははっ、今生の別れじゃないんだ。涙を流すなんて男らしくないぞ、イーサン?」

 そんな僕の頭を、叔父さんは優しく撫でてくれた。

 顔をゆっくりと上げると、叔父さんはやっぱり笑っていた。

 笑っていたけど、瞳の奥は潤んでいた。

「――俺の方から会いに行くよ。今までで一番大きなお土産と、すっぽんぽんで森の中で生き延びた武勇伝を持って行って、お前が飽きるまで話してあげるよ」

 分かっていたけど、叔父さんは僕よりずっと強い。そして、ずっと優しい。

 辛いことや悲しいことよりも、誰かの喜びと笑顔を何よりも大事にできる叔父さんの目を見て、僕はこの瞬間から心に誓った。

 ――大きくなったら、ライド叔父さんのようなカッコいい男になるって。

「お気持ちは分かりますが、お時間です。ご主人様、参りましょう」

 アリスの手の温かさを肩に感じた僕は、叔父さんの服の裾から手を離した。

 涙を袖で拭いて、しっかりとライド叔父さんを見た。男らしくないなんて笑われないように、叔父さんが安心して僕を送り出せるようにね。

「……約束だよ、叔父さん」

「ああ、約束だ」

 互いに大きく頷いて、僕は叔父さんに背を向けて馬車に乗り込んだ。

 もう、叔父さんの方を振り返らなかった。もう一度振り向いてしまうと、叔父さんから離れられないような気がした。それはきっと、僕も彼も望んでいないことだ。

 アリスとパトリシアの乗り込み、馬車のドアを閉めると、ゆっくりと動き出した。

 門がぎしり、と開く音がした。揺れと共にそこをくぐると、明るい声が響いてきた。

「イーサン様、お元気でーっ!」

「のんびりお過ごしくださいねー!」

「気が向いたら、また街に遊びに来てくだせえーっ!」

 ――追放されずに、街にいられればどれほど楽しかっただろうか。

 皆とどれだけ楽しい話ができただろうか、新しい知識を得て、皆の為に生きることができただろうか。そう考えると、今更ながら追放の重みを心で感じられた。

「……戻って来られるといいな。屋敷でなくても、街にも……少しだけ、寂しいな」

 小さくため息をついた僕を、メイド達は見逃さなかった。

「ご主人様、どうぞこちらへ。パトリシアも来なさい」

「はいはーい」

 僕の向かい側に座っていた二人が、僕を挟むようにしてこちら側に座り込んできた。

 辛さを察してくれたのは、ちょっぴり恥ずかしいけど嬉しかった。すごくいい匂いがするのも、温かさに包まれるのも嬉しいんだけど、この慰め方はいろいろと問題がある。

 僕だって、一応は男性だ。美人二人に密着されて、ドギマギしないはずがない。

「……あの、二人とも……気持ちは凄く嬉しいんだけど、こう、密着する以外のやり方で元気づけてくれるとありがたいなって……」

「体が近づけば、心も近づくのです。寄り添う心持ちこそが、癒しとなるのです」

「アリス先輩の理屈はよくわかんないけど、まー、イーサン君にくっつくのは嫌いじゃないし? むしろスキだし、あたしは大歓迎かなー!」

 だけど、ここまで言ってくれたなら、断る方が失礼だというのは分かる。

 少なくとも、僕を見て微笑んでくれる二人の美女の提案を、断る理由はないかな。

「……じゃあ、あの、お言葉に甘えて……」

「どうぞ、ご主人様。私達に、好きなだけお甘えくださいませ」

 僕がアリスの方に体を預けると、彼女が静かに頭を撫でてくれた。パトリシアも僕の膝を軽く撫でながら、明るい笑顔を見せてくれた。

 皆の声が小さくなってゆき、窓から見える街の景色が自然の風景に変わりゆく。

 そのうち、馬車に揺られていたからか、次第に瞼が下りてきた。

 二人の静かな子守歌が聞こえてくると、僕の意識はまどろみの中に沈んでいった。

 馬車でもかなりの日数がかかる旅路には、アリスが言った通り野営がつきものだ。

 中継地となる街は現在地に到着するまでに二つあり、そこでは宿を借りられた。生まれて初めての野宿をしたのは、その街と街の間での話だ。

 日が暮れると馬車は止まり、アリス達がてきぱきと食事の準備をしてくれた。

 夕飯は保存食の肉を串に刺して、焚火で焼くだけのシンプルなものだけど、とても美味しかった。『外飯効果』もあるけど、御者さんも美味しい、美味しいと言っていたし、やっぱり僕のメイドの料理の腕前は相当だね。僕が自慢するのも、なんだけど。

 肉の匂いにつられて、時折鋭い眼光を草むらや木々の隙間から感じることがあった。

 ただ、襲ってくる魔物は一匹もいなかった。アリスが細く黄色い瞳を影に向けるだけで、泣き声と共にそれらが逃げ出したんだよ。

「凄いね、アリスが睨んだだけで気配が消えたよ」

 彼女の獣化魔法は、彼女の体を衣服諸共黒い獣へと変貌させる。その体躯は成人男性など比べ物にならないし、威圧感は本物の獣よりも鋭く恐ろしい。

 だけど、自分が主人であるうちは、彼女の力ほど頼もしいものはないね。

「私の魔法は獣の力を宿すものでございます。ご主人様が望むなら、野良犬風情であればその場で噛み殺して御覧に入れましょう」

「そ、そこまでしなくていいよ! 追い払ってくれるだけで十分だよ!」

 眼鏡を外して牙を唸らせさえしなければ、とても頼りになるのに。

「イーサン君、追加のお肉が焼けたよ! はい、どうぞ!」

「え、もご……うん、美味しいよ、パティ」

「えへへ、あたしのお手製料理だからね! まだまだあるから、いっぱい食べてね!」

 未だに影の方を凝視するアリスと、僕の口の中に串焼き肉を押し込むパトリシア。マイペースだけどハイスペックな二人と御者のおかげで、旅は順調に進んだ。

 そんな二人だけど、馬車で僕と一緒に眠ろうとはしなかった。御者さんのように自分用のテントを用意して、そこで眠っていた。僕は何度も馬車を使ってほしいと言ったけど、三人ともやんわりと断られてしまった。

 彼女達曰く「これが自分達の立場だ」ということらしいけど。いつか、身分の差だとかを構わずに同じベッドで眠れる友人が僕にもできるのかな。

 出発から七日目にして、僕はそんな夢物語をぼんやりと思い浮かべていた。

 街を通り抜け、森を通り抜けた僕達は、ざあざあと雨が降る谷の細道を進んでいた。地面はぬかるんでいたけど、馬や車輪が足を滑らせるほどでもない。

「アリス、僕達、今はどのあたりにいるのかな」

 ドアのガラスを打つ雨音を聞きながら、僕は変わらない風景を眺めている。

「ここはボジューダ渓谷でございます。行程としては今日で凡そ半分ほどとなります」

「やっと半分かー、思ってたよりも長旅になっちゃったねー」

 ふと、僕は御者さんが気になった。馬車の中ですらしっとりとした空気を感じるほどなんだから、外にいればどれほど寒く、大変なんじゃないかと。

 窓から少し顔を覗かせると、やっぱり彼は雨合羽一枚で雨に打たれていた。

「御者さん、雨が酷くなってきていますけど大丈夫ですか? 冷えるようだったら、拓けたところで一度休憩しましょうか?」

 僕が声をかけると、御者さんは振り返り、皺だらけの顔で笑った。

「セルヴィッジの坊ちゃま、お気遣いありがとうねぇ! けど、わしはこの仕事で十年は食ってるんですわ! これくらいの雨、へでもないですよぉ!」

「分かりました、休憩したいときはいつでも言ってくださいね」

 窓を閉めて椅子に腰かけた僕を、パトリシアがにやにやと見つめていた。

「ほんとーにイーサン君は優しいよね。普通の貴族なら、御者なんて気にも……」

 そんなことない、と僕が否定しようと口を開きかけた――その時だった。

 先程まで馬車を揺らしていた振動が、不意にやんだ。

「……馬車が止まった? 何かあったのかな?」

 まだ細い道は続いているはずだし、休憩には早い。

 もしかすると、やっぱり御者さんも疲れていて、少し休みを取りたくなったのかな。

 僕とパトリシアはそんな想像も含めて、どうしてかをしばらく考えていたけど、アリスはふと何かに気づいた調子で、窓からさっきの僕のように身を乗り出した。

「どうかしましたか、なぜ止まったのです?」

「少し前で検問をしとるそうです、憲兵らしい連中が立っとります! おかしいですなあ、わしは何度かここを行き来しましたが、こんなことは初めてでさあ!」

「妙ですね、こんなところで検問とは」

 首を傾げるアリスの疑問は正しい。

 ずっと前に領地の境目は通り抜けたし、仮に関所を設置するのであればもっと広い場所にする。そうじゃなきゃ、何かの拍子にすぐ隣の暗い谷底に落ちてしまいかねない。

 疑いが次第に不安へと変わっていく車内には、変わらず雨と小石の叩く音が響く。

 ――待って、小石だって?

「それに、雨に混じって妙な音が――」

 小石は転がっているもので、降るものじゃないはずだ。

 パトリシアはともかく、僕とアリスはその違和感と矛盾に気づいた。

 そして、それがもたらす恐ろしい事実にも。

「――ご主人様、私のもとに!」

 僕達が顔を青ざめさせるよりも、アリスが思いきり叫ぶよりも先に、馬車が物凄い勢いで揺れた。いや、揺れたどころか、真横に転がったとしか言いようのない振動が起きた。しかも、泥と土、岩の混合物が窓を破って流れ込んできた。

 間違いない――馬車が土砂崩れに巻き込まれたんだ。

「わああああっ!?」

 馬と人の悲鳴が、外から聞こえてきた。

 安全圏にいるはずの僕達ですらこれだけの被害が及んでいるんだから、車外にいる彼らはひとたまりもないはずだ。命の保証も、当然ない。

「アリス、御者さんが!」

「今は自分の身を第一に考えてください! パトリシア、ご主人様を守るのです!」

 二人に自分の身を案じるように言うよりも早く、馬車がよろめいた。かと思うと、とうとう体がふわりと宙に浮いた。無重力空間にいるように、足に地面を感じられなくなった。

 これこそ間違いない――僕達は今、谷に落ちている。

「分かってるけど、馬車が、落ちてて、このままじゃ――きゃああああっ!」

 パトリシアの絶叫も、アリスの見開いた目も、僕の感覚も全て、下へと落ちていった。

 永遠に感じられるほどの落下。泥も、怪我も気にならなくなるほどの恐怖。それら全てが失われたのは、馬車を粉砕するほどの衝撃と、最悪の着地の瞬間だった。

 痛みを理解するのと、意識を手放したのはほぼ同時だった。



 ――どれくらい、時間が経ったのかな。

「……う……」

 しとしとと降る雨の冷たさに、僕は叩き起こされた。

 意識は朦朧としているのに、記憶だけはやけに鮮明だった。急な土砂崩れに巻き込まれて、馬車が谷底に落ちていったのを覚えていた。中にいた僕が、散乱する馬車の残骸と土砂の外に放り出されて、草木生い茂る谷底にいるのも分かった。

 結論は出た。僕はまだ、生きている。

 体中が痛いし、手も足も動かせないけど、一応生きている。

 声は出せないから、アリスとパトリシア、御者さんの安否を確かめる術はなかった。無力な僕はただ、無事でいるのを祈ることしかできなかった。

 だけど、神様は無慈悲だと、僕は思い知らされた。

「――おい、このメイドはどうする?」

「どうせ死んでるだろ、放っておけ。それよりも大事なのは、このガキのほうだ」

 複数の男の声が、僕の視界の端から聞こえてきた。誰かが助けに来てくれたのかと思いたかったけど、言葉の節々から、僕らの身を案じてはいないと理解できた。

 山賊か、山奥や谷底に住まう獣人の類いかとも思った。

 でも、万が一身包みを剥がされるとしても、そのほうが幾分ましだった。

「忘れちゃいねえだろうな、報酬の条件はケイレム様にこいつを殺した証拠を持っていくことだ。一番いいのは首、ダメなら服でも何でもいいがな」

「それにしても、心底同情するぜ。こんな年でセルヴィッジの政権争いに巻き込まれて、事故に見せかけて殺されるなんてな。まあ、ついてなかったと諦めるんだな」

 僕は自分の耳を疑った。

 まさか、土砂崩れが意図したものだなんて。その首謀者がケイレムだなんて。

 『発動の儀』の後の諍いが原因だろうか。僕が大した魔法を持たない、セルヴィッジ家に相応しくない人間だからだろうか。仮にそれらが理由だとしても、メイド達を巻き込んでまで僕を殺そうとするなんて、信じられない。

「まだ生きてたか。安心しな、今息の根を止めてやるからよ――」

 そのうち、僕に気づいた男の一人が近寄ってきた。

 逃げようと思っても逃げられない。動けたとしても、彼が右手に握りしめた鉈に対して、とても今の状態で、生身で抵抗できるはずがない。

 僕は思いきり目をつぶって、自分に訪れる最後の瞬間を拒んだ。

 まだ死にたくない、まだやりたいことがあるのに。

 死ねない、死ねない、死ぬわけにはいかない――。

 ――誰か、助けて。

 言葉にならない声を喉の奥から絞り出すのと、男が鉈を振り下ろすのは同時だった。

「――え?」

 だけど、僕の死は訪れなかった。

 代わりに、男が持っていた鉈が何かに弾かれる音がした。宙を切り、舞い、ぬかるんだ地面に刃が突き刺さる光景が僕の目に映った。

 男の足が一歩、二歩、後ろに下がった。代わりに他の誰かが、のそりと姿を見せた。

 鈍色の肌。黒い影。筋骨隆々なのにのっぺりとした、毛のない胴体。間違いなく人とは呼べない何かが合わせて三つ、僕と、傭兵達の間に立ちはだかった。

「な、な、なんだこいつはああああっ!?」

 傭兵達が叫ぶのを皮切りに、『何か』が敵を蹂躙し始めた。

「どこから現れやがった、この野郎……ぎゃああ!」

「なんでだよ、このバケモン、殴っても斬っても傷一つつきやしねえ!?」

 彼らは手にした武器で応戦していたけど、はっきり言って相手にもなっていなかった。

 剣や斧、棍棒で攻撃しても、鉄の怪物――としか形容できないそれは気にも留めずに、傭兵を締め上げて地面に叩きつける。もしくは顔の形が変わるまで殴打を続ける。

 いずれも、人間ならば即座に死に至る攻撃だ。

「うぎゃあああ! 痛でええええ!」

「だ、だれが、だずげでええぐげっ!?」

 ものの数分の間で、傭兵達はうめき声を最後に、ことごとく地に伏せた。

 ぴくりとも動かない姿からして、死んでいるのは間違いなかった。どれもこれも、目を伏せたくなるような惨い死にざまだった。

「……ああ……」

 いったい、何がどうなっているのか。

 彼らは何者なのか。傭兵を殺した後の標的は、自分達なのか。

 くるりと振り向いた、顔のない鋼色のそれらがゆっくりと近づいてくるのも見ることしかできない僕は、今度こそ全身を迸った恐ろしい感情に慄き、目を閉じた。

 だけど、やっぱり死は訪れなかった。代わりに僕の体が、ぐい、と持ち上げられた。

 ぶらりと垂れさがることしかできない手足の感覚から、僕を担いでいるのがその鋼の怪なんだというのが分かった。攫われる、襲われて食べられるといった恐怖感はなかった。

『貴方を、友人を運ぼう。遠く離れた、最も近い村に』

 それの声が聞こえた。

 声というよりは、心の中に響いてくる言葉。音そのもののようだった。

「……きみは……だれ、だ……?」

『――私達は貴方が生み出した力、そのものだ』

「……それは、いったい――……」

 そのやり取りを最後に、人もどきは走り出した。

 後ろから、僕を背負っている怪物の後ろからも、残った二人が追いかけてくる。何かを担いでいるように見えたけど、アリスとパトリシアであってほしい。

 ふと、僕はこの人形に既視感を覚えた。

 のっぺりとした外見は、『発動の儀』で生み出した人形のようだった。

 そういえば、あれはどこにやってしまったんだろう。荷物の中に押し込んであったはずだけど、手に取ったのはいつだったかな。

 思案を巡らせようとしていたけど、ひんやりとした感触に僕の意識は奪われた。

 高速でどこか遠くに駆け出すそれの行く先は、分からないままだった。



 ――虚ろだ。

 うすぼんやりとした意識が、僕の中にもたらした最初の感想はこれだった。

 細かい思考は行き届かなかったけど、手足の感覚は残っていたし、体のどこも損なわれていないというのはなんとなく分かった。それに、僕はまだ死んでいない。

 というのも、僅かに開いた瞳の中に映る景色には、よく知る彼女達がいるからだ。

「……もう三日……イーサン君……」

 視界の僅か左側に見えたのは、メイド服に身を包んだアリスとパトリシア。

 どうやら僕は今、どこかに寝かされていて、二人はその看病をしてくれているらしい。もしも僕達三人があの時すでに死んでいて、ここがあの世でないならば。

「……万が一……目覚め……」

「滅多なことを……私達……ご主人様を……」

 そして二人は、間違いなく生きている。そうでなければ、パトリシアは何か戸惑った調子で先輩メイドを問い詰めないし、アリスはいつも以上に厳しい口調で彼女を宥めない。誰かの身を案じて声を荒げられるのは、生きている証だ。

「――生き、てるよ」

 安堵した僕は目を開きながらゆっくりと口を動かし、か細い調子で喋った。

 病弱さのアピールとかではなく、現状出てくる声の限界が、この程度だった。

「……ご主人様」

 二人は喧嘩をやめて、じっとこちらを見つめた。

 確かに怪我を治療した痕は目立つけど、さほど大きな傷は負っていないみたい。

「……アリス……パティも、無事……だったんだ……よかっ――」

 それだけを懸念していた僕は心底安堵したし、ゆっくりと一息つきたかった。

 ただ、僕にそんな自由はなかった。

「ご主人様!」

「イーサンくーんっ!」

 メイド達が感極まった表情で、僕に飛びついてきたからだ。

「おぶえっ!?」

 どうにか二人の体から顔を出した僕は、やっと間近でアリスとパトリシアの顔を見た。

 こんな顔は初めて見た、と言えるほど――二人の表情は、不安に満ち満ちていた。来るかもしれない結末への恐れと、信じた希望が繋がった喜びがごちゃまぜになっていた。

「ご主人様、私は一度だけご主人様が二度と目覚めないのではないかと、僅かにでも疑ってしまいました! この情けないメイドにどうぞ何なりと罰をお与えください!」

「あたし、イーサン君が起きないから、怖くて、怖くて……よかった……!」

 アリスもパトリシアも、それぞれが各々の思いを口から漏らしながら、僕にしがみつく。こんなに愛されているなんて、僕は幸せ者に違いない。

「じんじゃう、こきゅう、ごぎゅうでぎない……」

 一層強くしがみついてきた二人の胸部で、僕の顔が圧迫されていなければ、だけど。

 僕が胸の中でもごもごと口を動かすと、二人は我に返った調子で僕から離れた。

「……し、失礼しました……とにかく無事で何よりでございます、ご主人様。パトリシアもいい加減離れなさい、ご主人様の体に障ります」

「ええー? 先輩だって、イーサン君の体にべたべた触ってたじゃん!」

「……ご、ごほん。ご主人様、お体に違和感はございませんか?」

 パトリシアの白い目が示す通り、彼女にはやや危ない趣味があるらしい。僕はなるべく気にしないように努めながら、彼女に笑って返事をした。

「少し体が痛いけど、大丈夫、なんともないよ。二人こそ、怪我は酷くなかった?」

「あたし達はそれなりに鍛えてるから、ちょっとやそっとじゃ大怪我になんてならないよ。けど、どうにもあたしと先輩じゃ腑に落ちないことが……」

「腑に落ちないことは、確かにあるね。そもそも、ここはどこなんだろう?」

 目を覚ました時から抱えていた疑問を口にすると、答えが返ってきた。

「――ここはディメンタ村。ランカスター領地の端っこの村だよ」

 ただし、アリスでもパトリシアでもない、三つ目の方向から。

 僕の問いに答えてくれたのは、部屋の入り口にもたれかかっている青年だった。彼の隣には、どうにもぶすっとした顔つきの少女もいる。

「あの、貴方は?」

 僕が再び問うと、彼は歯を見せて笑いながら、僕達の方に歩み寄ってきた。

「俺か? 俺はロック・カーティス。で、こっちは妹のメイだ、よろしくな」

「……どうも」

 ロックと名乗った青年の方は、茶髪のオールバックとギザギザの歯、太い眉毛が特徴的で、背はライド叔父さんよりも少し低い。一方でメイは、三つ編みに結っている茶髪と三白眼が目立ち、背はロックより頭一つ分小さい。

 それにしても、兄妹なのに随分と顔つきが違う。兄の方は朗らかで明るい調子だけど、妹の方は可愛らしいのに、どこか人を寄せ付けない雰囲気を漂わせている。

 というより――僕達を警戒しているんじゃないかな。

「気になることは色々あるだろうけど、俺が答えられる範囲で答えてやるぜ。まず、村の名産品の軟膏薬を使ったから、あんた達の傷はかなり早く治ったよ。そこのメイド二人も結構な重傷だったけど、もうぴんぴんしてるだろ?」

「あたしの修復魔法も使ったんだけどね」

 谷底に落ちるほどの怪我を負った僕達が、三日で目覚められるほどに回復できたのは、どうやらロックの言う軟膏とパトリシアの修復魔法のおかげらしい。

「じゃあ、お二人がメイとパティを助けてくださったんですね。二人の主、イーサン・ホライゾン・セルヴィッジとしてお礼を申し上げます、ありがとうございます」

「敬語なんてよしてくれよ、こそばゆいじゃねえか!」

 体を起こした僕が頭を下げると、ロックはからからと笑った。

「でも、どうやら本当にセルヴィッジ家の関係者なんだな。しかも三男坊だって?」

 ロックとは初対面なのに、僕がどこの誰であるかを話したのには驚いた。

 僕の着ている服には(部屋の窓の傍にかけられている)セルヴィッジ家の家紋、翼を生やしたドラゴンの紋章が刺繍されている。それを見ればセルヴィッジの関係者であるとは察せるだろうけど、僕が三男坊とまで知っているのは不思議な話だ。

「ご存じなんですか、僕のことを?」

「ちょっとだけ、そこのメイド二人が教えてくれた内容だけな。けど、知ってるのはそこまでだ。自分の怪我も治ってないのに「ご主人様の看病をする」の一点張りで、事情を聞いても突っぱねてばかり。だから正直、あんた達から金を――うぐっ!?」

 そんな疑問をロックが解消してくれていた時、突然メイが彼の脇腹を肘で小突いた。

 相当な力で一撃を叩き込んだのか、ロックの顔が一瞬だけ苦悶に満ちた。大丈夫かな。

「気にしないで。ほら兄貴、話を続けなさいよ」

「そ、そうだ! 俺達、お前らがどうしてこんな辺鄙な村の前でぶっ倒れてたのかが気になってたんだよ! セルヴィッジ家の連中がランカスター領で、しかも遭難してるみたいな格好で倒れてるんだからな!」

 僕が谷底で倒れていた理由は、とてもではないが話せない――。

「えっと、僕達がそんな目に遭ってたのは、少し言えない理由があって……」

 ――そう、谷底で倒れていた理由は。

「……待って、僕達がどこにいたって?」

「どこにいたって……村の門の前に三人揃って倒れてたのを、俺が見つけたんだ」

 ここまで話して、僕は自分の発現の違和感をやっと覚えた。

 僕達の記憶が正しければ、傭兵に襲われたのはボジューダ渓谷の細道だ。けど、ロックが僕を見つけたのはこのディメンタ村の入り口だって。しかも、僕だけではなく、アリスとパトリシアも同じところに倒れていたらしい。

「ついでに、服だのなんだのが入った荷物も隣に転がってたから、全部集めておいたぞ。あんな大荷物を担いで、歩いてこの辺りをうろついてたのか?」

 どうやらこれが、パトリシアの言っていた腑に落ちない点なんだろうね。

「……僕達が馬車に乗っていたのは、ボジューダ渓谷だよ」

「ボジューダ渓谷!? 信じられねえ、この村から歩いて三日はかかるぞ!?」

 僕が呟くように告げると、ロックもメイも、目を丸くして驚いた。

「えっと、それじゃあ、走ったら?」

「走りなんてしたら、休憩を挟んだって三日も体力がもつわけないじゃない、バカなの? まあ、仮に馬でも走らせれば一日から半ってとこだけど、馬なんていなかったわよ」

「でも、それだと余計に納得がいかねえんだよなぁ。生身であれだけの荷物を担いで、ボロボロの格好でボジューダ渓谷から三日かけてこんな辺鄙な村までくるなんて、それこそ何もかも矛盾してるだろ?」

 謎を解くように状況を語り合う兄妹を見つめながら、僕はあれを思い出していた。

『貴方を、友人を運ぼう。遠く離れた、最も近い村に』

 僕やメイド達を助けた、鉄製の人形らしい物体について、だ。

 傭兵を瞬く間に倒しただけでなく、動けない僕達を運んでくれた何か。あれが何だったのかは今のところさっぱりだけど、間違いなく現実として存在していたみたいなんだ。

「……やっぱり、あれは夢じゃなかったんだ……」

 そしてロックの言い分が正しければ、見つかった時には僕の傍にもう誰もいなかった。アリスでも、パトリシアでもないそれは、結局何だったのかな。

 今のところは不明だけど、とにかく僕達をロックが助けてくれたのには違いない。

「改めて、僕達を助けてくれてありがとう、ロック。お礼に、僕達にできることがあれば言ってほしい。できる範囲なら、なんでもやるよ」

「いやいや、いいんだよ、礼なんて。困ってる人がいたら――おぐっ!?」

 にこにこと笑って両手を振るロックの脇を、またもメイの肘が狙い撃ちした。

 しかも今度は、殺気よりもずっと強い力だ。ただでさえ不愛想に見えた顔が一層いら立ちと怒りに満ちていて、今にも爆発してしまいそうな様子だ。

「兄貴、ちょっとこっちに来て」

「な、なんだよメイ、俺はだな……」

「い・い・か・ら!」

 辛うじてこの場で暴発こそしなかった代わりに、頭のてっぺんから湯気を噴かせているメイはロックの耳をつねりながら、乱暴に部屋のドアを開いた。どうやら、ロックと何か相談事があるみたい。

「わ、分かったっての……そんじゃイーサン、何か困ったことがあったらいつでも声をかけてくれよな! 元気になったら、村でもかるーく案内してやるよ!」

 千切れそうなくらいの力で引っ張られるロックは、それでも手を振ってけらけらと最後まで笑いながら、メイに部屋の外へと引きずられていった。

 そうして凄まじい音と共にドアが閉められ、部屋はさっきのように静かになった。

 取り残された僕とアリス、パトリシアは互いに見つめ合って、一緒に首を傾げた。

「……不思議な兄妹ですね」

「妹の方は、なんだか油断ならないけどね」

「そうかな? 二人とも、僕にはすごくいい人に見えたよ」

「それはさ、イーサン君が優しいからだよ。さてと、起きたてのご主人様に食事を作らないと! イーサン君、何か食べたいものはある?」

 そういうものかなと思いながら、僕は少しだけ間を空けて言った。

「……二人が作ってくれるものなら、なんでも」

 二人は僕に微笑みかけて、てきぱきと食事の準備に移ってくれた。

 ――いつかアリス達にも、恩返しができるといいな。

 そんなことを考えながら、僕はもぞもぞと布団の中へと戻っていった。



【ロック】

 人に優しく。女性には特に優しく。

 それが俺――ロック・カーティスの生きざまにして道しるべだ。

 どんな時でもそれだけは譲らなかったし、いつだってそうやって生きてきた。このばっちりキマったオールバックに誓って、女性にはいつでも優しく、甘く接してきた。

 とはいえ、全てが正しいわけじゃない。たまには厳しく接する必要もある。

「バカ兄貴! メイ達があんな泥だらけの貴族とメイドを助けた理由を忘れたわけ!?」

 特に俺の可愛い妹――メイに怒鳴り散らされるときには、殊更そう思う。

「あー……なんだっけ?」

「ウルトラダイナマイトバカっ! 本当に脳みそ詰まってんの!?」

 だから、こうして頭を小突かれながら叱られるのは、ある意味俺の役割ってわけ。

「あいつらの服に刺繍されてた家紋を見たでしょ! 翼を生やした竜の紋章、間違いなくセルヴィッジ家の家紋よ! ランカスター家の隣の、デカい領地を持ってる貴族よ!」

「ええっと、そりゃあ知ってるけどさ……」

「だったら、あいつらを助けたらやることは一つ! 恩を押し売ってやるの!」

 兄の俺が贔屓目で見ても、メイの顔は随分あくどいものだった。

「遭難した貴族サマを助けて、世話して、そこに付け込んでお礼の金をがっぽり請求してやるって計画でしょ! なのに礼はいいだなんてカッコつけて、情に流されるなんて、そんなだから兄貴はお人好しだって、他所の村でも小馬鹿にされんのよ!」

「そ、そこまで言わなくてもいいだろ?」

 メイの罵倒はもう毎日受けているから、今更気にならなかった。問題なのは、あのイーサンとかいう貴族の子に恩を押し売って金をせしめるなんて、怪しい作戦の方だ。

「あのイーサンって子、多分まだ十歳になって間もないくらいだぞ。そんな子に助けてやったから金を出せ、お礼をくれなんて言っちゃあかわいそうだろ……痛ででで!」

「だ・か・ら! 兄貴はバカ兄貴だっつってんのよ!」

 だけど、俺に膝蹴りを叩き込む妹には、そんなことはちっとも関係ないらしい。

「貴族なんて、メイ達の事情も知らずに好き放題やってるクズばっかりじゃない! どれだけお金を掻っ攫ってやっても、心なんて痛まないっつーの! 第一、あんな世間知らずのガキに情なんて湧かないわよ!」

「で、でもよぉ……」

 実際問題、俺も貴族はあまり好きじゃない。むしろ、嫌いだと言ってもいい。

 けど、イーサンが嫌いかどうかとは話が別だ。たとえメイが、彼を嫌っていても。

「じゃあ兄貴は、村が今のままでもいいってわけ!?」

 メイが俺を怒鳴りつける時の目つきが、一層きつさを増した。

 確かにメイの言い分は間違っちゃいない。彼女がこれほど必死になるのには、村が今、よそ者には話せないほど苦しい状況に追い込まれてるからだって、分かっちゃあいるんだけども。

 それでも俺が黙っていると、メイはとうとう深いため息を漏らした。

「もういいわ、兄貴はあのガキとメイドに怪しまれないように、明日にでもてきとうに村の案内をしてやりなさい。くれぐれも、計画がお婆ちゃんにばれないようにね」

 でも、もう始まった作戦は止まらない。

 メイは村の皆には協力させるけど、村長にこの計画を話していない。

 いくらしっかり者のメイでも、一人でこんな危険な橋を渡ろうとすれば、貴族の怒りを買いかねない。彼女としては、いざとなれば村ぐるみで隠ぺいできる選択肢を選んだんだ。

 難しい選択なんだが、俺は兄として、妹の考えた策に乗るしかないってわけだ。

「へいへい……」

「返事は一回! ったく、メイはこんなにしっかりしてるのに、どうして兄貴は……」

 メイはやや乗り気じゃない俺への文句を垂れ流しにしながら、外に出て行った。

 幾分乱暴な口調が目立つけど、自分の欲を満たす為にやっているわけじゃない。メイはメイなりに、自分の育ったディメンタ村を愛しているからこそ作戦を切り出したんだ。

 とにかく今は、金を手に入れる作戦を遂行するのが一番だと、俺は心に留めた。



 目が覚めて二日くらい経ってから、僕はやっと外に出られるくらいには回復した。

 村の皆が用意してくれたらしいフルーツや、アリスとパトリシアの看病のおかげもあってか、後遺症も傷もほとんど残らなかった。包帯やガーゼも、すぐに外せた。

 気前が良すぎるんじゃないかと思うほど、ディメンタ村の人々は誰も彼も優しかった。きっと、傷がアリスの予想よりも早く回復したのは、村人の温かさも理由の一つなんじゃないかと思えるほどに。

「なあ、イーサン? よかったら、一緒に村を散歩してみないか?」

 調子が良くなった日の朝、ロックが僕にこんな提案をしてくれた。

 彼の提案に、僕は頷いて同意した。アリス達は最初こそ僕の体が心配だって言って渋ったけど、結局二人もついてくることで納得してくれた。

 こうして僕は、初めて部屋の外に出て、ディメンタ村の土を踏んだ。

 僕達が寝泊まりしていた家は空き家で、ロック達の家ではなかった。だから、窓から見える範囲以外でこの村で誰がどんな生活をしているのかについて、正直関心はあった。

 そんな僕が最初に村の光景を見て抱いた感想は、「温かい」だった。

 木造の家屋がぽつぽつと建っており、その間には万屋のようなお店が点在している。畑も少し離れたところに見えて、人はところどころで生業の仕事をしている程度。子供から大人、老人までいる村民は、大まかに数えて八〇から九〇くらいかな。

 鶏や猫が足元をよぎる、村一番の通りを四人で歩きながら、僕は感想を呟いた。

「いい村だね、ロック。静かで長閑な、温かい村だ」

「お、イーサンは分かってるじゃねえか! 『ブルーナッツ』で作った万能の軟膏も評判だけどよ、がやがや騒がしい中心部の街にはない雰囲気と人の温かさが、このディメンタ村の一番いいところさ!」

 ロックの言う通り、すれ違う人は皆笑顔で手を振ってくれる。僕のような貴族の生まれがそもそも珍しいのかもしれないけれど、余所余所しい人は誰もいない。

「おーい、ばあちゃん! 腰の調子はどうだーい!」

 それを一掃肯定するかのように、ロックが少し離れたところにいる、野良仕事をしている村人に明るく声をかけた。

 彼の視線の先にいるのは、妹のメイと、白髪混じりの腰の曲がった、ばあちゃんと呼ばれた女性。老婆と呼んで差し支えない外見だけど、メイの隣で重そうな荷物を運んでいる。

「いつも通り元気だよーっ! 今日もほら、このくらいの荷物なら、よっと!」

「荷運びの手伝いもいいけど、腰をいわせない程度になー! メイも、ばあちゃんが無理しないように手伝ってやってくれー!」

「分かってるから、いちいち大声出さなくていいわよ!」

 メイに刺々しい返事をぶつけられても、振り返ったロックは歯を見せて笑っていた。

「あはは、一応紹介しとくと、あの人はレベッカ・カーティス。ディメンタ村の村長だよ」

「カーティス……ということは、ロックとメイの家族なの?」

 僕が問いかけると、彼は少しだけ考える様子を見せてから答えた。

「んー、正確に言うと育ての親、ってとこだな。俺達は孤児でさ、村の近くの森に放り出されてたんだ。それを、レベッカばあちゃんが拾ってくれたんだよ」

「放り出されてたって、どうして……」

「ばあちゃん曰く、両親は森の中で魔物に食われて死んでたんだと。俺達は茂みの中に隠されてたから、奇跡的に助かったってわけだ」

 しまった。僕は、聞いてはいけないことを聞いてしまった。

「……ごめん」

「気にすんなって! 今の俺とメイにとっての親は、ばあちゃんだからな!」

 僕が静かに謝ると、彼は僕の肩に手をかけて、ぽんぽんと叩いた。

 表情はあまり見えなかったけど、声色からして笑っているのは間違いなかった。

「俺達が孤児だなんだなんて、誰も気にしちゃいない。同じ村民として、皆が優しくしてくれるからな。で、俺も恩返しってわけで、やれることは何でもやるのさ。これがディメンタ村、他にはない良さがある村なんだぜ!」

「うん……本当に、皆の優しさがロックからも伝わってくるよ」

 セルヴィッジ家の屋敷の下に広がる街にも、同じような温かさがあった。

 あの空気と雰囲気が好きで、もう帰れないとすら思っていた僕にとっては、ディメンタ村でしばらく過ごせる時間はとても楽しそうなものに感じられたんだ。

 ただ、アリスとパトリシアには、僕とはまるで違う光景が見えているようだった。

「確かにご主人様の言う通り、和やかな雰囲気の村ではあります……ですが」

「イーサン君、言っちゃ悪いけど、この村は長閑ってよりは寂れてない? それもそんじょそこらの田舎より、ずっと酷いさまに見えるよね?」

 僕の隣を歩く二人には、人ではなく、村そのものが見えていた。

 ――正確に言うと、僕も見えていたけど、口には出さないそれのこと。

 村の端々にあるのは、自然的というより、明らかに人為的に倒壊した家屋。その奥には農業利用以外の意図で焼かれた畑。村人があくせく働いているのも、生活の為というより、破壊された家屋の修復をしているように見える。

「そんなこと言っちゃだめだよ、パティ。ごめんねロック、彼女も悪気が――」

 僕は慌てて訂正しようとしたけど、それよりも先にロックが口を開いた。

「――『おんぼろ村』だ」

「え?」

 先程までの彼と同一人物とは思えないほど、暗く澱んだ声だった。

 彼もまた、アリス達と同じように、目を背けたいはずの村の有様を見つめていた。

「前に一度、村に立ち寄った行商人が村を見て呟いたんだよ、ここはおんぼろの村だって。どこもかしこもボロボロで、何にも残っていない、じきに滅びる村だって」

 確かに現状だけを見れば、心無い人はそう言い放つかもしれない。

 けど、ロックの視線の先に映っているのは、僕に見えている景色とは真逆だった。

「……そんなはずないんだよ。俺は小さい頃からディメンタ村を知ってるけど、近くの森で採れる食料はどれも美味しいし、昔はもっと多くの旅人が寄ってきた。名産品の軟膏は商業都市まで運べば全部売れたし、向こうに専門の店もできていたんだ」

「ロック……」

「村が変わったのは、『東西戦争』が起きてからだ。王族に貴族連中が反乱して、もう二年も戦争を続けてやがる。敗残兵に襲われる村や、魔物じゃなくて人間に殺されるのが怖くて外に出られない村人のことなんて、あいつらは気にも留めない!」

 感情が溢れ出したロックは、僕やアリス達がいるのも忘れたかのように叫んだ。周囲の人が足を止めても、遠くで声を聴いた人がなぜか焦りの表情を見せても、気にも留めない。

「村の良さを全部、全部戦争が奪ったんだ! 貴族が起こした戦争で、何の関係もない俺達がこれだけ酷い目に遭ってるっていうのに、あいつらは権威を取り戻すだの、王族の正しさをしらしめるだのわけ分かんねえ大義名分をのたまって、まだ戦い続けてる!」

 本当は、彼は僕のことが嫌いなんじゃないかと、そう思えてならなかった。

 ギザギザの歯を剥き出しにしてまで激昂するロックの怒りが、よく僕の方に向かなかったなと思う。僕はこの二日間で、彼に殺されても仕方なかったはずだ。

「あんな貴族なんて、皆戦争で死んじまえば――あっ」

 息が上がるほどに声を荒げていたロックは、ここでやっと我に返った。

 周囲の――僕を含めた視線に気づいた彼は、さっきと同じようにはにかんでみせた。けど、もう僕の目には出会った時のロックと同一人物には見えなかった。

 貴族と戦争への怒りと憎しみが渦巻いた彼の目が、ずっと暗く感じられたんだ。

「わ、悪りい! イーサンのことを言ってるんじゃないんだ、ごめんな!」

「……ううん、ロックの言葉は間違ってないよ。戦争を起こしたのは、確かに貴族だ」

 僕は自分が貴族の生まれであると、認めるばかりだった。

 視線が少しだけ冷たくなった気がして、彼から目を逸らした。

「えっと、あの……ちょっとあそこの店の様子を見てくるから、そんじゃ!」

 彼は特に壊れてもいないお店に向かって、ささっと駆け出して行った。

 ロックがいなくなった僕達三人の回りに寄ってくる人は、誰もいなかった。優しい笑顔で語り合っているのは間違いないんだ。

 でも、僕達に対しては急に遠慮がちな視線を投げかけるようになった。

 この時になって、僕はようやく理解した。

 無知な貴族の子供など――ディメンタ村では、歓迎されていないんだって。

「……アリス、僕は戦争について学ばなかった。それはきっと、間違いだったんだ」

「全ての学びが、必ずしも正しいとは限りません、ご主人様」

 僕が静かに呟くと、アリスは僕の言い分を否定した。

「だけど、知っていれば何か、誰かを助ける手段も――」

 それでも反論しようとした僕に、アリスは顔を向けた。

「……ご主人様、どうか戦事で自ら心を痛めないでください。ご主人様が苦しみ、俯いてしまうと、私達は胸が張り裂けそうなほど辛いのです」

「アリス先輩がね、戦争の話をすると悲しそうな顔をするからって、屋敷でそんな話題を上げないように手を回してくれてたんだよ。イーサン君、先輩はキミが悲しい思いをしないようにって、だから……悪く言わないであげて」

 二人の話を聞いて、僕は心の中に残っていた台詞は、完全に行き場を失ってしまった。

 何年も前に僕が僅かに見せた曇り顔を、アリスはきっと、ずっと覚えていた。戦争の話をして、戦争について学ぶ度に心のどこかが傷つく姿を、きっと覚えていたんだ。

 だからアリスは、彼女なりの優しさで、僕が戦を学んで自ら傷つかないようにしてくれていた。万が一にも、僕を王家と貴族の争いに巻き込ませない為に。

 そんな彼女に、僕は自分の記憶も忘れて、無茶な注文をしてるなんて、最低だ。

「……ごめんね、二人とも。何度も言うけど、本当にありがとう」

 アリスの目を見つめて謝る僕に、彼女は眼鏡の奥を少しだけ潤ませて微笑んだ。

「言われたい人に言われるありがとうに、回数の限りなどございません。何度でも、私達はご主人様に仕える幸せを、言われる度に思い出すのです」

「良かったね、イーサン君。アリス先輩が、キミの専属メイドで」

「うん、でもアリスだけじゃないよ。パティも傍に居てくれて、僕は幸せだと思う」

 勿論、アリスだけじゃなく、パトリシアも大事なメイドだ。そういうニュアンスで告げたんだけれど、彼女は何故か頬を赤く染めた。

口をアヒルのように尖らせたパトリシアは、ちょっぴり明後日の方向を見つめてから、いつもの悪戯っぽい笑顔を僕に近づけてきた。

「……まだちっちゃいのに女の子を口説くなんて、イーサン君、いけないんだぁー」

「く、口説く!?」

 口説くなんて、いくらパトリシアが美人でも、十歳には早すぎる話だ。

 アリスが訂正してくれるかと思ったけど、彼女もパトリシアの後ろでくすくすと笑っている。こういう時、見た目が子供の僕はやっぱりからかわれる立場になっちゃうな。

「パティ、僕はそんなつもりで――」

 しどろもどろになる僕だったけど、運よく(運悪く?)会話は遮られてしまった。

「――イーサン、イーサン! やばいぞ、こっちに来い!」

 とんでもなく焦った顔をしたロックが、どたどたとこっちに駆けてきた。

「ロック? どうしたの、急に?」

 僕が聞くと、彼はぜいぜいと肩で息をしながら、村の外を指さして叫んだ。

「村の外に、『西部貴族連合』の兵隊共がうろついてるんだ! ここにいるとやられちまうぞ、早く近くの家の中に隠れろ! 皆もさっさと逃げるんだ!」

 彼がそう言った途端、明らかに村の空気が一変した。

 開いていた雑貨屋は乱暴に店の戸を閉めて、子供を抱えた親が家の中に戻ってゆく。中にはどこに逃げればいいのかわからず、狼狽する老人もいるくらいだ。

「あわわ、シェルターに避難しなくちゃ……!」

「女子供を奥に隠せ! 間に合わないなら、近くにいる奴が家屋に連れて行ってくれ!」

 僕も正直、どうすればいいか分からなかった。けど、アリスに襟首を掴まれて、近くの空き家に引きずり込まれたおかげて、どうにか逃げ遅れることはなかった。

 パトリシアとロックが同じ家の中に飛び込んできた頃には、もう村には人ひとりいないかのような空気が流れていた。畑仕事の道具はほっぽり出されて、食事の跡はそのまま。人が住んでいません、なんて言い訳は通じない、今隠れましたというのが見え見えだ。

 それでもこうする他ないみたいで、住民はただじっと、ひっそりと息をひそめてた。

「この慌て方、まるで天災が来たみたいだね……」

「天災みたいなもんさ、俺達のような小さな村にしてみればな……シッ、静かに」

 ロックと僕がひそひそと話しているうちに、乱暴な声が村に響いた。

 柵や荷車を蹴飛ばしながら村の真ん中にやって来たのは、強面の兵隊が十人ほど。

 兵隊とは言ったけど、鎧は槌で殴られたかのようにぼろぼろで、風体から何日もお風呂に入っていないのが丸わかりだ。野生動物よりも荒んだ目つきと表情のまま、乱暴に剣や斧を振り回すさまは、村人を怖がらせるのには十分だ。

 生きる為なら何でもやる。そんな相手と戦えば、確かに村民では敵わない。

 だからディメンタ村では、こうして隠れることで難を逃れていたんだ。ロックが話していた通り、あれじゃあ過ぎ去るのを待つしかない天災と変わりないよ。

「あのさ、カーティス? どうして戦わないわけ?」

「見りゃ分かるだろ、あっちは敗残兵とはいえ武器を持ってる兵隊だ。どこぞの貴族の私設軍隊に、戦い慣れてない村人が襲いかかっても勝てる見込みなんてねえよ……実際、とてもじゃないけど太刀打ちできなかったからな」

「……村人を死なせるわけにはいかない。こうして黙っていれば、搾取はされるけど人的な被害は及ばない可能性が高い。そういうことかな、ロック?」

「ちっさいのに頭がいいな、イーサン。そうだ、お前の言う通りだよ」

 彼は諦めた調子で頷くと、割れた窓から、露店の商品を奪い漁る敗残兵を睨んだ。

「こうしてあいつらを放置しておけば、誰も傷つかない。食料や衣服、大事なものを取られていくのは癪だけど、村の皆の命が最優先だ」

「この村に誰もいないって、あの敗残兵連中が思ってるってわけ?」

「奴らだって察しはする。けど、こっちから手出しをしない限りは今まで犠牲者は出なかったし、誰も攫われなかったんだ。そもそもあのシンボルをつけた『西部連合』は民間人を巻き込まないって謳い文句を掲げてるんだよ――」

 ロックの言うシンボルはきっと、彼らが腰に巻いた布に刻まれた太陽の印章のこと。

 同時に僕は、彼の話の中で、犠牲者の存在を知った。反抗して失われた命が少しでもあるなら、これ以上誰も死んでほしくないという気持ちがあるのは当然だ。

「きゃああっ!」

 だけど、彼や僕の望みは、簡単に打ち砕かれてしまった。

 一番大きな家に隠れていたメイが、腕を掴んでならず者に引っ張り出されたんだ。

「おいおい、しょぼくれた村だからジジイとババアだけだと思ってたらよォ、若い女がいるなんて思ってもみなかったぜ! こりゃとんだ収穫だ!」

「いいねえ、いいねえ! おいらはこれくらいの歳のガキが一番好みなんだぁ!」

「離して! やだ、離しなさいよお!」

「やめな、その子に酷いことしたらただじゃ……うあぁッ!」

 村長のレベッカさんが飛び出してきて男の腕を引っ張ったけど、仮にも兵隊の腕力に、老婆じゃあ敵うはずがない。彼女は突き飛ばされて、ぐったりと動かなくなった。

「メイ! ばあちゃん!」

 隣で窓から身を乗り出そうとしたロックを、反射的に僕は引き留めた。

「ロック、ダメだ! 自分で言ってたじゃないか、あれだけの数の兵士を敵に回して、勝てるはずがない! 君も妹も、奴らに殺されてしまう!」

 僕は全力で彼を制止しようとしたけど、彼は十六歳ほどの村育ちの青年。僕はインドア派の十歳の子供だ。ばっと乱暴に振り払われてしまうのは、仕方なかった。

「あいつは俺の妹だ――兄貴はな、どんな時でも妹を守らないといけないんだよ!」

 言うが早いか、ロックは窓から外に飛び出していった。

 僕が彼を追いかけようとすると、隣にいたアリスが僕の腕を握って強引に引き戻した。

「いけません、ご主人様! 身を隠して!」

「ロック……!」

 歯痒く成り行きを見守るしかない僕の前で、ロックはならず者達に啖呵を切っていた。

「クソ野郎ども、俺の妹から手を離せ! じゃないと、お前らの喉を掻き切ってやる!」

 ロックは腰に提げた革製のポーチから、刃渡りの違うナイフを一対取り出して、両手で構えていた。逆手で握りしめた刃は日頃から研がれているのか、日を浴びて煌めいている。

 半泣きのメイを担いで連れて行こうとしていたならず者は、誰もが彼を見つめた。驚きだとか好奇心だとかではないというのは、僕には嫌でも理解できた。

 だって、その目がどれも、ロックをただの子供としか見ていないんだ。

「おっと、こいつの兄貴か? 大人がビビる中一人で英雄ヅラとは、泣かせるねえ」

「坊主、威勢はいいが足が震えてるぞ? 兵隊さん相手に戦って本気で勝てるわけないだろ、逃がしてやるからとっとと失せな」

「うるせえ、うるせえ! つべこべ言わずにメイを離せ、この負け犬連中!」

 だけど、ロックがじりじりと近づきながら怒鳴りつけると、彼らの表情も変わった。

「……んだと?」

 僕を憎んでいた時のケイレムのように、苛立ちと殺意を剥き出しにした顔だ。

「坊主、いいこと教えてやるよ。『西部連合』は人の命を重んじる、一般人に手を出さないなんて言い回ってるがな、お前の言う負け犬に理屈は通じねえんだよ」

「ククク、妹の前で首を刎ねて余興にでもしてやるか!」

 脅されても逃げないロックだけど、どう見ても多勢に無勢。

 メイは震えて動けないようだし、村の皆は村民を殺された光景を覚えているのか、誰も助力に行けない。第一、加勢したところで犠牲者が増えるだけかもしれない。

「どうすれば、どうしたら……!」

 アリスもパトリシアも、ただ最悪になりかねない事態を見つめている。

 僕はただ、人が死ぬのを眺めていることしかできないんだろうか。そんなのは嫌だ。

 ぐっと目を瞑る僕に、できることならなんだってやる。

 なんだって――。

『――大丈夫だよ』

「え?」

 不意に聞こえた声に、僕は思わず目を開いた。

 アリス達が声をかけたのかと思ったけど、彼女達は変わらず村の中心で起きるかもしれない惨事に視線を向けている。僕に声をかけた様子なんて、とても見受けられない。

 誰が僕を呼んだんだろう。荒くなる呼吸と共に考えていると、また声が聞こえた。

『君の魔法なら助けられる。どう使えばいいかは知っているはずだよ。学んできた知識と組み合わせれば、目覚めた魔法はもう、君の味方なんだ』

 分かった。この声は、僕を助けてくれた何かがかけてくれた声と同じだ。

 ――おばあちゃんの、あの声だ。口調は違うけど、確かにあの優しい声だ。

 そう気づいた時、僕は自分の体の中に、何かが巡るのを感じた。全身が温かくなるような、心臓を高鳴らせるようなそれの正体は、記憶と力、そして魂。自分が持っていないと思っていたけど、それは最初から僕の中にあったんだって、教えてくれている。

 僕はそれを瞬く間に理解した。その力を、『魔法』を使って何ができるのかを。

『さあ、行って。私達が背中を押せるのは、これが最後だから』

 これから僕がやろうとしていることは、彼女達を人生で一番心配させる。

 でも――ごめん、アリス、パティ。僕は、行かなきゃ。

 二人に気づかれないように、僕はこっそりと後ろに二、三歩下がった。そして、開いたままの家の裏口に向かって駆け出し、家の外に出た。そのままぐるりと壁沿いに走ると、窓の内側から見ていた光景が、壁を挟まずに僕の視界に広がっていた。

 僕がきょろきょろと視線を動かして捜したものは、予想通り近くにあった。壁の外に積み上げられていたのは、沢山の、それも少し古びた丸太だ。

 小さく息を吸って、吐く。もう一度呼吸を繰り返して、自分の掌を見つめる。

 僅かな輝きを放つそれで――僕は、思いきり一番近くの丸太に触れた。

「――『変性』」

 無意識のうちに、僕は自分の力に名付けられた思いを呟いた。

 次の瞬間、掌から電撃かと見紛うほどの光が迸り、丸太が浮き上がった。そして光に包まれたまま、まるで蛇が脱皮していくかのように洗練されてゆく。穴があき、どこか崩れた丸太が、鉄の如き強度を誇る美しい角材へと変わりゆく。

 当然、木材じゃ敵を倒す力にはなりえない。だけど、僕の魔法はまだここからだ。

「――『変形』」

 僕がその名を口にすると、木材はひとりでに別の姿へと変貌した。

 切り込みを入れて歯車に。幾重にも重なってクロスボウの砲身に。細く無数に連ねてゴム状の紐に。木材は素材に作り変えられ、機械工場の如く構築してゆく。幼い頃に戦争を学ばなかった僕だけど、どんな武器があるかは屋敷で知っていたんだ。

 建築の木組みの要領で、ばらばらのパーツは一つの武器へと変貌する。釘を使わずとも強固で堅牢な造りとなったそれは紐を引き絞り、固定し、先端の鋭く尖った棒を設置して、そして簡易的な台座を最後に接続して、完成した。

 高速で矢を打ち放つ砲台式の弩弓――攻城兵器『バリスタ』だ。

 一つの魔法じゃ、片方しかできなかった。二つあるからこそ、武器が完成した。

 物質をより良いものへと変える魔法。物質を思い描いた道具へと形作る魔法。

 これが僕の魔法――『変性』魔法と、『変形』魔法だ。

 さあ、完成した武器をただ置いておくことなんてできやしない。

「射撃は一発だけ、冷静に、冷静に、できる、僕ならできる」

 自分を鼓舞させながら、僕は引き金となる紐を留めている杭に手をかける。この小さな杭を引き抜けば、ばねの如く、凄まじい勢いで矢が敵に放たれる。

 つまり、これから、人を殺す。最低でも一人、多ければ二人から三人。

 僕は傭兵でも、ましてや兵士でもない。人を殺す生業なんて就けるはずがないけど、ロックやメイを助けるんだ、守るんだと思うと、少しだけ手の震えが収まった。

 撃つなら今だ。こちらに気づいていない、ならず者が斧を振りかぶろうとする、今だ。

「そんなに死にてえなら、その頭をかち割ってやるぜ、クソガキぃーッ!」

 敵の声を聴いたのとほぼ同時に、僕の躊躇いは消えた――そして、杭を抜いた。

 紐が千切れて、風を切る音と共に矢は放たれた。

 ならず者に向かって吸い込まれていくそれは、僕の予想通りの結果をもたらした。

「――げッ」

「が、うぎッ」

 バリスタの矢は、ちょうど直線状に立っていた二人の兵隊の体を貫いた。

 ただ、その威力は僕の想像をはるかに超えていたんだ。僕は人間の体を貫く程度の破壊力を想定していたんだけど、まさか敵の体を真っ二つにするほどの力を秘めていたなんて。

 肉が飛び散り、宙を舞った上半身が地面にべちゃりと落ちる。血飛沫がならず者達を染め上げた時には、誰もが振り上げた手をそのままにして、唖然としていた。

「え、えッ?」

「おい、いったい、何が――」

 呆然とする面々の中で、人を殺めた僕の覚悟は、もう躊躇なんてさせなかった。

 何をするべきかは知っていた。僕は涙も拭わず、恐れもこらえずに、叫んだ。

「――アリス!」

 喉を壊すような、口の端を裂くような絶叫に、彼女は応えてくれた。

「ご主人様、あとでみっちりとお説教させていただきます」

 やっぱり。窓からスカートを翻して姿を見せたアリスは、少しだけ僕を睨んだ。

「ですが――魔法の覚醒とその勇気、大変美事でございます。あとは、私にお任せを」

 けど、直ぐに柔らかな笑顔を浮かべたかと思うと、一目散に敵に向かって突進していった。その過程で、彼女の姿はみるみるうちに変貌していった。

 メイド服が体にくっつき、黒い毛皮になる。耳を揺らして四足歩行になって、黄色い瞳をぎらつかせて長い牙と爪を唸らせる姿は、さながら巨大な漆黒の狼だ。

 これがアリスの魔法。己を獣へと変化させる、『獣化魔法』だ。

「なんだこの女、何を……ぎゅえッ」

 そしてこの姿のアリスに、並の人間が近接戦闘で敵うなんてありえない。

 敵がようやく我に返った時には、アリスの鋭い爪がならず者の顔面を引き裂き、肉諸共顔を剥ぎ取った。それだけじゃなく、次に近い男の喉元に噛みつき、首を千切り飛ばした。

「まさか、こいつ!? 魔法を使ってやがるのか!?」

「グウゥルルル……ガルアァッ!」

 返事の代わりに雄叫びを上げたアリスは、武器を振り回す敵などものともせずに突進してゆく。斧をひらりとかわし、すれ違いざまに爪で鎧を打ち砕く。

 確かにアリスは強い。だけど、敵の数がまだ多いなら、油断はできないな。

 僕は丸太を使わず、今度は地面に掌をあてがった。さっきの木材のような光を感じた僕が、ゆっくりと手を持ち上げると、まるで磁石のように土や石が吸い付いてきた。

 丸太を素晴らしい木材に変えられるなら、石を鋼材にだって変えられるはずなんだ。

 滅茶苦茶な理論だけど、変性魔法は僕の要望を全て叶えてくれた。ただの土くれはたちまち一つの球体となり、回転したかと思うと、つるつるとした鋼へと姿を変えた。

「頼む、僕の代わりに敵と戦ってくれ!」

 僕が声を張り上げると、球体は細長く伸びあがった。楕円形は次第に人の形を取り、手が生え、足が生え、僕を谷底で助けてくれた謎の人形のようになった。全ての理屈を無視しで、僕の思い描いた物体を作る魔法だからこそできる技だ。

 もっとも、今度はもっと精錬された形だった。SFアニメに出てくるアンドロイドのように鋭角的な姿をしたそれは、顔の中心部で橙色に光る丸い瞳を僕に向けたかと思うと、小さく頷いて、アスリートの如く走り出した。

「今度はなんだ!?」

 ならず者の疑問に、鋼の人形は応えない。ただ、無言で鉄の拳を振るうだけだ。

 勢いをつけた拳は、人間の顔をたちまちミンチへと変えてしまった。残った数少ない男達が揃って斧を振り下ろしたけど、鋼の兵隊に命中しても無意味だ。

 当然だよ、ぶつかった斧が刃毀れするくらいの硬度で作り上げたんだから。

「嘘だろ、なんて斧で切れねえんだ、ひいいいっ!」

「やべえぞ、こんなのがいるなんて! さっさとずらかろうぜ!」

 残された二人はまだメイを抱えていたけど、もう僕が手を出す必要はないね。

「逃がすわけねえだろ!」

 何故なら、まだロックが逃げていなかったから。

 ナイフを握りしめて、ぎろりと妹を攫うならず者を睨むロックがいるからだ。

「メイから手を離せって言ってんだよ、この下衆野郎!」

 さっきまでは数の勢いに圧されていたロックだけど、フェアな状況に持ち込まれた彼は、僕の助けなんていらないんじゃないかと思えるほど強かった。

 刃の長さが違うナイフを、彼はまるで手足のように扱って、敵の顔や腕を切り刻んだ。

 何年か前に屋敷に曲芸師がやってきたけど、動きは彼に近い。踊るような、だけど目一家うな力強さを感じさせる彼の技量に、ただの兵隊が勝てるはずがないって確信できる。

「ぎゃああ!」

「このガキ、よくも、っひぎいぃ!」

 アリスと鉄人形(暫定的にこう呼んでる)の助力もあって、敵は瞬く間に斃れた。

 どれもこれも無残な死にざまだったけど、村人は誰も気味悪がってはいなかった。というより、目の前で起きていることが事実なのか、夢でも見ているような顔をしている。

 ただ一人、ならず者の死体から手を振り払ったメイだけが、ロックに飛びついた。

「兄貴!」

「無事か、メイ! 怪我はないか!?」

「う、うん、ちょっと擦りむいたくらいだけど……さっきのは、何なの?」

「さあな。分かるのは、イーサンがやってのけたってことだけだ」

 ロックとメイの二人が僕をじっと見つめているのに気付いた時、どっと汗が体から噴き出した。それから急に疲れが足を伝い、膝に手をついた。

「ハァ、ハァ……」

 屋敷で勉強した内容が正しいなら、魔法は体内のエネルギーを消耗して発動する。体に馴染むにつれて消耗量は少なくなるけど、慣れていない間は体力を激しく消費してしまう。僕の場合は、いきなり魔法を二つも使ったんだから、当然か。

 それにしたって、正直なところ、こんなに疲れるなんて思ってもみなかったよ。

「イーサン君、大丈夫!?」

「ご主人様、ご無事ですか!?」

 パトリシアにどうにか起こされた僕のもとに、アリスも駆け寄ってきた。開口と一緒に拳骨の一発でも貰うかと思ったけど、代わりに二人は僕を抱きしめてくれた。

 普段よりずっと強く抱きしめられた僕は、言葉も出ないほど二人が心配してくれるのを嬉しく思う反面、ちょっぴり反省させられた。やっぱり、相談するべきだったかな。

 そんなことを考えながら二人を抱き返して、僕はやっと周りの変化に気づいた。

「……やった、やったぞ! 初めて兵隊を追っ払えたんだ!」

 ディメンタ村の皆が、嬉しそうな顔で僕に向かって押し寄せてきていたんだ。

 蛮族の死体なんてそっちのけで、まるで僕が村の救世主かのように囲んでる。しかもアリスとパトリシアから僕が離れたのを見るや否や、さらにどっと詰め寄ってきた。

「凄い……凄いな、坊ちゃん! あんた、さっきのはどうやったんだ!?」

「どこに武器なんか隠し持ってたの!?」

「鉄みたいな人形まで……そういえば貴族の生まれだったわね、あれが魔法なのね!」

「まったく、イーサン君は疲れてるんだよ? デリカシーってのはないわけ?」

 メイド達がむすっと顔をしかめている隣で、どうやって休む間もなく浴びせかけられる質問に答えていこうかと困っていると、はっきりした女性の声が聞こえてきた。

「こら、子供を囲むもんじゃないよ」

 一言で皆を静かにさせたのは、僕を囲む村人達を二分して歩いてきたレベッカ村長だ。

 さっき兵隊達に突き飛ばされたからか、頭に包帯を巻いているけど、それでも歩き方はしっかりしている。多分、村長というだけあって、見た目よりもずっと強い女性なんだ。

「レベッカ村長、お怪我はありませんか?」

「いいや、わたしなら大丈夫さ。それよりも、イーサンだっけかい」

 村長は深々と頭を下げてから、僕を見ながら顔を綻ばせて言った。

「メイを助けてくれてありがとうね。あんたさんがいなかったら、今頃メイは連れてかれてたし、ここにいる命知らずの大バカは死んじまってたよ」

「大バカって、ひでえ言い方だよ、ばあちゃん!」

 メイと一緒に歩いてきたロックが頬を膨らます傍で、僕は小さく笑った。

「いえ、ロックがあの時兵隊に立ち向かっていなければ、僕も動けませんでした。それに、僕はメイド達と一緒に、ディメンタ村に助けられた身です。僕なんかにできることがあれば、何でも言ってください」

 そう言いながら、僕はもう一度自分の力を確かめるように、足元の石を拾った。

 ちょっぴり力を込めれば、石はたちまち鉄になり、掌の上で小さな人形になった。今度はあまり体力を消費した感覚はなかったので、やっぱり構築する物体のサイズ、次に複雑さで力の消耗度合いは変わるみたいだ。

「僕の魔法は、物質をより良いものに変えて、組み立てる魔法です。まだ何ができるかは分かりませんが、きっとお役に立ってみせます」

 僕が人形を見せると、周りの人達の目つきが変わった。

「何でも……」

「何でもって言ったわよね……」

「お前達、何を考えてるんだい! いい大人がみっともない!」

 ぎらりと光る眼に少し僕が委縮してしまうと、生唾を呑み込むような声を出す皆をレベッカ村長が諫めた。彼女の一喝だけで、皆はぎくりと身を縮こまらせてしまった。

「イーサン坊ちゃん、そんなの、今はいいんだよ。さ、家に寄って、お礼をさせとくれ」

 村長に背中を押されて、僕は広場の奥に見える集会所へと急かされた。村の皆も魔法が気になるのか、僕の後ろについてくる。

 ただ、ロックとメイだけは違った。

「……修復させて……使い潰す……」

「あいつは……奴じゃ、だから……」

「関係ない……村の為に、メイは……なんでも……」

 僕から少し離れたところで話している二人の会話は、あまり聞き取れなかった。

「……ごめん、お婆ちゃん。メイ、兄貴とちょっと話があるから!」

 二人はどこか焦った調子で大袈裟なほど頷いてから、どたどたと駆け出して行った。

 ロック達が何を話しているのかが気になったけど、アリスに手を回された僕は二人を追えなかった。なんだか、僕を二人がじっと見ていたように思ったのは考え過ぎかな。

「それにしても、不思議だよね。あの魔法、どう見たって一つの力じゃなくて、二つの魔法が発動してるように見えたんだけど……そんなの、ありえないよね?」

「私も気になりました。ご主人様、何かお心当たりはございませんか?」

 彼らを僕が追いかけるよりも先に、パトリシアが僕に聞いてきた。

 確かに、パトリシアの言う通り、魔法は一人の人間につき一種類。それは魔法そのものに対するルールだけど、僕に宿っているのは間違いなく二つの魔法だ。そりゃあ、アリスもパトリシアも疑問に思うだろうね。

 アリス達に問われて、僕は少しだけ考えて――あっさりと結論を出した。

「きっと、僕が二人分の人生を歩んでるからだよ」

 僕の人生は、僕のものであって、僕だけのものじゃない。前世で生きていた僕の魂と、この世界で生きている僕の体。僕は一人で二人分の人生を送ってる。

なら、二人分の魔法を持っていてもおかしくない。

 おかしな理屈だけど、僕だけが分かっていればいいや。

「……?」

 顔を見合わせる二人を見た僕は、少しだけ意地悪く笑ってみせた。

 次の日、僕はロックに連れられて、昨日と同じ広場にやってきていた。

 広場にはロックだけじゃなくて、メイや村の人々、レベッカ村長もいる。もちろん、僕の隣には、まるでボディーガードのようにアリス達も並んでる。

「なあ、イーサン? 確かめときたいんだけどよ、お前の魔法って何でも作れるのか?」

 急に肩を組んできたロックの問いに、僕は頷いて答えた。

「イメージできるものなら、だいたいはね。大まかな想像で、魔法の方が勝手に造り上げてくれるって言った方がいいのかな……昨日組み立てて、今は広場を歩き回ってるあれも、あくまで僕は自動で動いて戦える人形を想像しただけなんだ」

 そう言って僕が指さしたのは、昨日組み立てた鉄人形。

 てっきり一度発動してからは土くれに戻るのかと思ったけど、僕の意思を無視して存在し続けている。それに、村にも僕よりずっと馴染んでいるように見える。

「けど、見ての通り、あれはまだ動いてる。僕の指示を聞いて行動してくれるし、今は子供達と遊んでくれてるでしょ? 原理はさっぱりだけど、アリスは人形の中に魔法的な動力が仕組まれてるんじゃないかって」

「うーむ、俺はその辺りはちんぷんかんぷんなんだが、まあよしとすっか!」

 ロックにとって、僕の返答はあまり興味があるようじゃなかった。

「そんでさ、本題なんだけども……あれ、作れないかな?」

 彼の本当の関心は、彼が指さして、皆の視線が集まったあれにあるみたいだ。

「ほら、向こうにある家なんだけどよ。ならず者に襲われた時に壊れちまって、修復する暇がなかったんだよ。でさ、もしできるなら、昨日みたいに……な?」

 なるほど、確かに説明してくれた通り、家の様はひどいものだね。

 二階から上は火炎瓶を投げ込まれたみたいに黒く焦げていて、一階はハンマーで叩かれたように砕けてる。家としての形だけを保っている、と言った方がいい。

 あれを立て直そうとするなら、相当人員と手間がかかるんじゃないかな。

「も、もちろん、無理にとは言わないぜ!? あんなのが造れるのかも知らねえし……」

「分かった、試してみるよ」

 少し遠慮がちなロックに軽く手を振って、僕は家の前に立った。僕の魔法には素材が必要だけど、家そのものが素材になるし、近くの柵も使わせてもらおう。

 あとは、僕の体力が保つか。不安材料はそれだけだ。

「ご主人様、無理をなさらないでください」

 アリスとパトリシアも、そこがどうしても心配になるみたいだ。

「ありがとう、アリス。でも、無理かどうかは、やってみないとね」

 そんな二人に笑顔で応えてから、僕は昨日と同じように、家の壁に手をあてがった。

 想像するのは、昨日と同じように望んでいるもの。

 堅牢な木の壁は簡単に作れる。他の素材が必要なカーペットやソファー、家具は少しだけ難しいけれど、僕の変性魔法があれば問題ない。焼け焦げた物質が少しでも残っていれば、それを元手に同じような完成品を変形魔法で生み出せる。

 大まかに完成品のイメージを頭に浮かべた僕が右手に力を込めると、昨日と同様に光が迸った。そして僕や皆が少し廃屋から離れると、光が収まった壁を中心にたちまち黒い炭と汚れが取り払われ、凄い勢いで変形が始まった。

 まるで建物の建築動画を早回しで見るかのように、CG技術をこれでもかと使った映画のロボットの変身シーンを見るかのように、家がひとりでに組み立てられてゆく。

 外装だけでなく、内装も光に包まれて生成される。焦げた布の端が他の素材と交わって真紅のカーペットになり、溶けたガラスは元の美しさを取り戻す。

 そうして、一分もしないうちに、目の前には新築二階建ての家が完成した。

「……マジか……家が建った……!」

 誰もが唖然とする中、ロックは静かに新品の扉を開き、家の中に入っていった。ぴかぴかの窓に、ふわふわのソファに、大きな家具に、彼は感動しているようだった。

 僕と目が合うと、彼はどたどたと戻ってきた。

「イーサン、前みたいに疲れてないか? どうだ?」

「うん、大丈夫。昨日は覚えたてで体が馴染んでいなかったような感覚だけど、今日はまだまだ使えそうだよ。でも、流石にいくつも建設することはできなさそうだけどね」

 言葉に嘘偽りはなく、僕の体調は昨日よりも悪くなかった。

 バリスタと鉄人形を生成した時は肩で息をするほど疲弊していたけど、今は少し息が上がるくらいだ。前よりもかなり大きいものを作ったけど、

 つまり、僕の体が魔法に慣れてきた証拠、ってことかな。

「こ、これなら、村が復興できる!」

 近くにいたおじさんの声をきっかけに、皆がわっと盛り上がって僕のもとに押し寄せた。

「それに、前住んでたのよりもずっといい家に住めるわ!」

「そんなら次は俺だ、俺んちの畑の道具が……」

「何を言うとる! わしの荷車をじゃな……」

 これだけたくさんの人に頼られるのは嬉しいんだけど、その、潰れちゃう。

 僕って一応、十歳の子供だから。そこを意識してくれないと、困るんです。

「はいはい、それ以上イーサン君に近づいたらぶっとばすよー」

 幸い、パトリシアが割って入ってくれたおかげで、僕は圧死せずに済んだ。

 でも、これで今後の行動の方向性は決まった。村への恩返しで、村そのものを修復する。今よりももっと住みやすい家と施設、道具を提供するんだ。

 相変わらずアリス達は不安な面持ちだけど、そこは安心してほしいな。だって今も、魔法の反動はたいして受けていないどころか、まだまだ動けそうなんだから。

「坊ちゃん、気持ちはありがたいがね。メイドさんの言う通り、無茶はせんでおくれよ」

「ご心配ありがとうございます、村長さん。でも、僕ならまだまだ大丈夫ですから!」

 もっと仲良くなれるなら、笑顔になってくれるなら、なんだってやるさ。

 僕が笑顔で返すと、レベッカ村長も納得してくれたようだった。メイやロックも、少し離れたところで村人と相談しながら、僕の方に手を振ってくれた。

 こうして、僕の魔法を使った村全体のリフォームが始まった。



「よし、これで完成、っと」

「おおーっ、これは凄いな! こんなに上質な仕事道具は初めて見たぞ!」

 僕の変性魔法と変形魔法を使った恩返しを始めて、あっという間に三日が経った。

 その間に、ディメンタ村は僕が作ったアイテムや家屋で溢れかえってた。正確に言うと、溢れるというほどじゃないんだけど、それでも沢山の道具を生成したんだ。

 流石に家を一日で何戸も組み立てるなんて芸当はできなかった。だけど、代わりにぼろぼろになった鍬を造り変えたり、家具を造り直したりはしてあげた。

 反面、鉄人形やバリスタのような武器を造ってくれ、とは言われなかった。

「じゃあ今度は、俺の家のタンスを頼むぜ! 最近どうにもガタがきちまってな!」

「何言ってんだい! 次はあたしの家の屋根が先だよ!」

 皆の要望を聞きながら作業を続ける僕は、ほぼ丸三日、睡眠と食事のタイミング以外は村の修復にあたっていた。頼み込まれた道具を一つ修復すると、次は砕かれた壁を直す。それから屋根を取り換えて、荷車を新品にして、フォークとナイフを全て揃える。

 次から次へと魔法を使い続ける様は、まるで漫画で読んだ錬金術師みたいだ。そんな自分の魔法に調子が良くなったのか、僕は次第に疲れを感じなくなってきた。

 ただ、働き詰めの僕を見て、アリス達はしきりに声をかけてきた。

「ご主人様、少しお休みください」

「あのさ、イーサン君って最近、ちゃんと寝てる? 夜中にこっそり起きて、魔法の練習とか、頼まれた道具の生成とか、やってない?」

 パトリシアの問いに僕がぎくりとしたのは、全くその通りの隠し事をしていたからだ。

「もしもお断りされるのであれば、無理やりにでも静養していただきますが?」

 アリスとパトリシアに囲まれると、年上の女性二人とはいえかなりの威圧感がある。捕まってしまうと、間違いなく疲れが取れるまで膝枕で眠らされてしまう。

「だ、大丈夫! 全然疲れてないから、大丈夫だよーっ!」

 僕は二人の間をすり抜けて、さっと広場の方へと逃げ出した。

 アリス達が追いかけてこなかったのを確認しながら、僕はさっき頼まれていた家の建て直しをするべく、村の集会所から少し離れた家にやってきた。

「お待たせ、メイ。それで、ここが修復してほしい家かな?」

 村の中でも殊更大きな家の生成を頼んできたのは、他ならないメイだ。

「フン。ほどほどに期待してやるわ」

 正直なところ、僕はメイに嫌われていると思ってる。

 村の修復を始めた頃から、メイは一層僕と距離を取っているように見えた。それは僕がいろんなところで手伝いをすればするほど深くなっていって、なんだか説明のつかない複雑な感情を抱いている風に見えてならなかった。

 まるで、ぶつけたい怒りの矛先が見つからないような。

 でも、今日だけは話が別だ。こう言われれば、気合を入れないわけにはいかないね。

 本日最後の大仕事と言わんばかりに、僕はメイの前で気合を入れて、右手を崩れた家の壁にくっつけた。あとはイメージするだけで、魔法が発動する。

「……あれ?」

 ――はず、だった。

 僕の掌からは、何の光も出てこなかった。

 魔法の力どころか、魔法が発動すらしない。変性魔法で木材をより良いものにも代えられなかったし、ましてや変形もしなかった。ただただ、目の前には壊れた家があるだけだ。

 皆が違和感を覚えて集まってくる中、メイの顔が、たちまち喜びから怒りに変わった。

「ご、ごめん! すぐに魔法を使うから……お、おかしいな……」

 僕が右手を翳しても、何をしても、うんともすんとも言わない。

 あたふたしてばかりの僕の隣で、とうとうメイが冷めた声で翳した手を下させた。

「……あんた、もしかしてマナが尽きたんじゃないの?」

 マナが尽きた。その意味が分からないほど、僕も無知じゃない。

 魔法を用いるには、体内に秘めたエネルギーであるマナを消費する。その力が枯渇すれば、体力を使い切ったのと同じでひどく疲弊する。魔法が無尽蔵に使えるものではないのは、このマナに依存する要素が大きいからなんだ。

 そういった事情を知っているということは、メイも魔法を使えるのかもね。

「メイも魔法が使えるもの、それくらい知ってるわ。というか、マナがないならなんであんたは平然としてるのよ。普通はへとへとになって動けなくなるわよ」

「なんでって…分からないけど、僕はまだ元気だよ?」

 でも、僕は今のところ、倒れ込むほど疲れちゃいない。どちらかといえばやる気は沢山みなぎっているし、眠る必要すら感じていないくらいだよ。

 だからこう言ったつもりなんだけど、メイの顔はますます不機嫌になっていく。

「……休みなさいよ。メイ達からのお願いくらい、今日はダメって言って休んだらいいじゃない! 我儘の一つくらい言えばいいのよ!」

「そうはいかないよ。皆の為に一日でも早く村を……」

 そう言いながらもう一度手を翳そうとした僕を見て、遂にメイは歯を軋ませて怒鳴った。

「いい加減にしなさいよ! なんでそんなにお人好しなのよ、あんたは!?」

「え、ええっ?」

 しかも、人が好いからだなんて、あまりに予想外な理由で。

 僕が魔法を使えないことに対して怒鳴るのなら、まだ理解できた。でも、僕がお人好しであることに対して怒るなんて、予想できるはずがないよ。

 どう反応すればいいかさっぱり思いつかない僕の前で、メイはずっと怒ってる。

「毎日、毎日、魔法で村の修理をさせられて! マナが尽きるくらいの無茶振りをされても笑顔のまんまで! なのに愚痴も言わないで、人の為にだなんて!」

 今まで溜め込んでいた何かを解き放つかのように、怒ってるんだ。

「あんたが間抜けな金持ちか、戦争しか頭にない悪党だったらどれほどよかったか! なのに、底抜けのバカみたいな善人相手に、メイはどうすればいいのよ!?」

「落ち着いて、メイちゃん!」

「ダメだ、それ以上は言っちゃ……!」

 村の皆が彼女を止めようと動き出す。メイの台詞も、僕でもわかるくらいにおかしくなっていく。聞いてもいない、でも聞いちゃいけない何かを話そうとしてるんだって。

「調子が狂うなんてもんじゃない、メイだってどうしたらいいか分かんないわよ! あんたみたいな奴から金をせしめるのも、使い潰すのも、お人好し相手にできるわけ……」

 とうとう一瞬、周りが騒めいた。

 メイも自分の発言に気づいて、口を塞いでいた。まるで、苛立ちのあまり感情を制御できないかのような調子の表情で、顔は青く染まっていた。

「メイ、今なんて……」

 そんな彼女の言葉の意味を僕は聞きたかったけど、できなかった。

 急に、僕の呂律が回らなくなった。というより、自分の意思で口が閉じられなくなってしまったんだ。まるで壊れたくるみ割り人形のように、だらんと開いてばかりだ。

「あ、え、あぁ……?」

 あまりに唐突な出来事に戸惑う僕の脳裏に、ある記述がフラッシュバックした。

 ――そういえば、読んだ覚えがある。

 本当に疲れてる人は、疲れに気づかないんだって。脳内麻薬が分泌されて、常にハイの状態で仕事ができるとか、スポーツに打ち込めるとか。

 体力がゼロになった状態でも体を動かせるその麻薬の力は、確かに凄まじい。でも、その麻薬が切れたなら、蓄積された疲れは全て戻ってくる。

 ――もしも、もうマナが残っていないのに気付かないほど、僕が疲れているとしたら。

「どうしたのよ、ちょっと!?」

「なんだろう、急に、アリス、パティ――」

 メイが、皆が僕を見ている。驚きと、恐怖と、困惑に満ちた目で。

 ぐらり、と視界と脳の一部が揺れた感覚と共に――三日間も魔法を頻発し続けた代償ともいえる、怒涛の疲れが押し寄せた。

 手足が痺れて、口も開かないほどの、耐えきれない苦痛が僕を呑み込んだ。

 そして、もう何度目になるか分からない世界の暗転で、僕の意識は途絶えた。



【ロック】

 ――イーサンが倒れた。

 村の皆からその報せを聞いたのは、俺が畑で野菜を集めている時だった。

 理由なんて分かりきってる。俺は魔法を使えないけど、妹のメイが魔法を使えるんだから、それを使いすぎればどうなるかを何度か見てきた。へとへとになって、半日はベッドの中にいることもあった。

 もし、三日間も使い続けた魔法の反動が、今のイーサンに来たならただじゃすまない。

 一瞬だけそう考えた俺は、気づけば野菜を投げ捨てて走り出していた。

 ディメンタ村の端から一番広い通りを駆け抜けて、村の皆が集まっている間を掻き分けて、蹴破るように扉を開けて、階段を飛び跳ねて、二階の部屋の扉に手をかけた。

「イーサン!」

 そして俺は、上ずった声でイーサンの名前を叫んだ。

 俺の目の前には、予想していた通りの光景が広がってた。

「お静かに。ご主人様のお体に障ります」

 奥のベッドに寝かされているイーサン。その傍に立って俺を睨みつけるメイドさん達。ここまでは予想できたけど、メイが一緒にいるのは予想外だった。

「メイ、どうして……」

「……倒れる前、傍に居たの。それだけよ」

「それだけ? 村の人から聞いたよ、イーサン君が倒れるまで無理な頼みごとをさせ続けて、金が必要だったなんて言い放って……それだけで済ませるわけ?」

「村の人々から丁寧に、ていねいにお話をお聞きしました」

 自分の計画がばれている。しかも、村人を巻き込んだのも。

 ツインテールのメイド、パトリシア(とか言ったはず)に痛いところを突かれたメイの顔がそんな風に言いたげに動揺していたけど、直ぐに平静を取り戻した。

「……戦争を始めた貴族に、被害者のメイが優しくする理由なんてないじゃない。それに、謝礼金だってけちけちしないで渡してくれたっていいものじゃないの?」

 メイはもう自分の狙いを隠すつもりがない。ばれているなら仕方ないって考えなのかもしれないけど、そんな口ぶりだと相手を怒らせるだけだ。

 そんでもって、妹の発現は間違いなく、メイドさん達を怒らせた。

「そういう問題じゃないんだよね、分かってないなあ……クソガキ」

「ご主人様に無理を強いるというのがどういう意味か、理解いただけていないようですね」

 見りゃ分かる、って話じゃないくらい、二人は怒ってた。

 こんなに美人で可愛らしいメイドからここまで殺気が放たれるなんて、信じられなかった。特に黒髪のメイドの方は、広場で見せた獣の目と爪を唸らせて、主人の命令も待たずに俺とメイを引き裂く気満々だって言える。

「……!」

 ぎろりと獣に睨まれて、メイはたじろいでた。どれだけ強がったって、本物の殺気を直に受けたら、俺だって怖いんだ。メイが耐えられるはずがない。

 このままじゃ、メイは半殺しじゃすまない。

 どうすればメイを助けられる。どうしたら彼女への怒りの矛先を変えさせられる。

 ない頭を捻って、小刻みになる呼吸を抑えて――俺は、冴えない答えを導き出した。

「――すまんっ! イーサンに無茶をさせたのは、俺が原因なんだ!」

 こうするしかなかった。俺が主犯になって、メイを庇うしか。

 俺みたいな村育ちのバカには、こんなことしかできなかった。

「イーサンを看病して謝礼をせしめようとして……魔法を知ってからは、村を復興させる為に使い潰そうとした! こんなことやめようって言ってくれたメイに、無理矢理協力させたのも……全部、俺なんだよ! あいつのさっきの言い分は、俺を庇ってるだけだ!」

「兄貴、何言って……」

「でも、まさかこんなことになるなんて……本当に、すまなかった!」

 頭を下げた俺の方からメイの顔は見えなかったけど、愕然としているのは察せた。

「すまなかった、で済むとお思いですか」

 メイド達のため息から、俺の謝罪なんてのがまるで意味を持っていないのも察せた。

「言っとくけど、イーサン君をここまで追い込んだ村の手助けなんて、金輪際お断りさせてもらうからね。あたし達、はらわたが煮えくり返りまくってるし」

「ご主人様が目覚められたら、その日のうちに村を出ます。止めようというなら……」

 駄目だ、二人を止めるなんてできない。

 じりじりとにじり寄ろうする二人を前にして俺が息を呑んだ時、唐突に誰かが叫んだ。

「違う、そうじゃない! 貴族を利用しようって企んだのは、メイの方なの!」

 拳を握り締めて、目を瞑って喚くように声を上げたのはメイだ。

「兄貴を脅して、村の皆になるべく多く道具を作ってもらおうって言いだしたのは自分だし、何でもしてくれるって言葉に付け込んだのも自分よ! でも、本当は……」

 どうして自分のせいにするんだって、俺の疑問は直ぐに解消された。

「本当は、貴族連中の戦争のせいで村を壊されたから……仕返ししたかったのよ!」

「メイ……!?」

「村が焼かれて、物が奪われて、人が死んで、ずっとずっと憎かった! 戦争のせいで死んでいく皆のことなんて気にも留めずに、乱暴者の兵隊が何をしてるのかも知らずに綺麗事をぬかす貴族なんて、死んでもいいって思って、そいつをそそのかした!」

 目を見開いて憎しみをぶつける顔は、俺より年下の女の子がしていい顔なんかじゃない。

 もしかすると、メイの本性は俺の知らない邪悪なんじゃないかと、僅かに妹を疑った。

「けど……けど、もう、もう無理よ……だって、こいつ……」

 それのは、俺の疑心が生んだ妄想だった。

 力なくへたり込んだメイは、目に涙を溜めながらイーサンを見つめてた。

 ああ、俺は分かる。兄貴だから分かる。

「……分かるよ。俺も、イーサンは他とは違うって分かるよ」

 メイの肩に手をかけて、震える体をさすって、俺はメイの心の真意を代弁した。

「俺達の為に、心の底から恩返ししてくれた。いつでも笑顔で応えてくれた。自分が倒れる瞬間まで人の為に尽くしてくれる奴を憎めるわけ、ないもんな」

 他の貴族達と違って、勘繰りも何もせず、イーサンは俺達に当たり前のように接してくれた。メイが邪険にしても、俺が裏で酷い企みをしていても、メイドさん達に忠告されても、あいつはずっと笑っていた。

 そんな奴を、どうして憎めるんだよ。貶められるってんだよ。

 自分の犯した罪の重さを再確認させられた俺は立ち上がって、メイドさんを見つめた。

「ごめんな、メイドさん。どんな罰でも受けるから、メイだけは――」

 メイの代わりに、何をされたっていい。殺されたっていい。

 そう言おうとした俺の声は、また遮られた。

「……罰なんて……与えないよ」

 腹を括った自白に割って入ったのは、イーサンだ。

「イーサン!」

 驚いた俺とメイの前で、イーサンは体を起こそうとした。けど、まだ体力が回復してないのか、アリスに抱きかかえられて上体を起こすのがやっとみたいだった。

「ご主人様、起き上がってはいけません。安静になさってください」

「心配ないよ、アリス。ちょっと立ちくらみがしただけだから……それよりもロック、話は全部、聞かせてもらってたよ」

「き、聞かせてって……いつから!?」

「いつから……ロックがメイを庇って、僕を利用していたってのを自分の罪にしようとしていたあたりから、かな。ごめんね、途中で起きるのもよくないって思ったんだ」

「こっそり起きてたんだね、イーサン君。まったく、抜け目ないなあ」

「こっそり、というなら僕だけじゃないよ。部屋の外にいる皆も、そうじゃないかな?」

 イーサンが俺の後ろ、僅かに開いたままの扉に目を向ける理由はすぐに分かった。

「随分と馬鹿なことをしたもんだね、ロック、メイ。皆にもきっちり説教したよ」

「ば、ばあちゃん! それに村の皆も!」

 俺の目に飛び込んできたのは、険しい顔をしたばあちゃんと皆だ。

 廊下がぎゅうぎゅう詰めになるほど押し寄せてきた村の仲間達は、皆が揃ってしょぼくれた顔をしてる。俺はそいつら全員に見覚えがあって、俺とメイから、イーサンになるべくたくさん派手なものを作ってもらおうって相談してた面子だ。

 老若男女、合わせて十数人がこっちを見つめながら反省した面持ちなのは、どう考えてもばあちゃんに怒鳴られたからだ。だって、俺もあんな顔になるんだよな。

「……お婆ちゃん、その、メイは……!」

「分かってるよ、村の為にって言いたいんだろう。村長として、お前達の行動を咎めるわけはないよ。けどね、人としてはしっかり言っておかないといけないんだよ」

 渋い顔をするメイよりもずっと渋い顔で部屋に入ってきて、ばあちゃんは俺と妹をぐい、って引き寄せた。それから、言い聞かせるようにあの言葉を口にした。

「いつでも人に優しくする。それが、一番大事なことだって、教えたはずだろう?」

「……!」

 俺とメイの情けない顔が、しっかと見つめるばあちゃんの目に映った。

 ――そういえば、最後にばあちゃんからそう言われたのはいつだっけか。

 人に優しくするんだって、物心ついたころから、口酸っぱく教えられてきた。ディメンタ村に来た旅人にも、たまたま立ち寄っただけの商人にも、誰にでも優しくするのは当たり前で、相手が笑ったり喜んだりするとこっちまで嬉しくなったはずなのに。

 恥ずかしくて、情けなくて、俺は俯くしかなかった。とことん善意だけで接してくれてるイーサンに、俺の間抜けな顔なんて見せられるはずがないって心底思った。

 なのに、あいつの声は、弱弱しいのにまだ透き通ってた。

「レベッカ村長、二人は十分、僕に優しくしてくれました。悪いのは僕です、魔法を使うのが楽しくなって、アリス達や村長の忠告を無視した僕のせいなんです」

「ご主人様……」

 メイドさんの寂しげな声を聞いて、俺は顔を上げた。上げずにはいられなかった。

「イーサン、そんなことない! お前だって分かってたろ、俺はお前を騙して……」

 こんな俺を、どうして許してくれるんだって叫びたかった。罰を与えてくれって言いたかったし、許してなんてくれない方がいいって吼えたかった。

 けど、けどイーサンは、まだ俺に笑顔を向けていたんだ。

「……違うよ、ロック。僕は嬉しかったんだ」

 いつもの笑顔じゃない。痛みとか苦しみを押し殺した、必死の笑顔だ。

「貴族の世界じゃ、同じ年ごろの相手は、僕を殺そうとした兄だけだった。だから、ロックもメイも、僕にとって同じ立場で話せる……初めての友達だって、思ってたんだ」

 兄弟に殺されかけた。そんなとんでもない事情、初めて知った。行くあても戻るあてもない貴族の、十歳ちょっとの子供から、俺達は謝礼金をせしめようとしてたんだ。

 都合のいいことばかりを考えていて、俺達はただ、知らなかったんだ。

「勝手に、思ってたんだ……!」

 大粒の涙を零して、笑ったまま泣くイーサンのことを知ろうともしなかったんだ。

 ぼろぼろの貴族が、本来いるべき領地からずっと離れたところで倒れているのに、まともな理由があるわけがない。俺達の想像なんて及ばないほどの凄絶な理由があるんだ。

 なのに、あんなひどい姿になっていた子の信頼を、俺は簡単に裏切り、踏みにじった。まだ小さい子の胸が苦しくなるのは当たり前なんだ、泣かないはずがないだろうが。

 俺がどれほど残虐な仕打ちをしたのか、なんで気付けなかったんだ。

「……イーサン……!」

 掠れた声で呟いて、俺は彼に歩み寄った。メイドさんが俺を突き飛ばしちまうかと思ったけど、二人とも白い目で見てくるだけで、何もしなかった。

 目を閉じて静かに涙を流すイーサンを、俺は震える手で抱きしめた。

「イーサン、ごめん……本当に、ごめんな……!」

 俺は詫びた。最低な俺は、詫びるしかできなかった。

「うう……う、ううぅ……!」

 俺の後ろで、メイが泣き崩れてた。

 良心の呵責とか、後ろめたさとか、全部に圧し潰されてるってのは、俺にも分かった。

「ばか、ばか、ほんとに、ばか……わああああああぁんっ!」

 メイの泣き声がずっと大きくなって、俺の心臓に突き刺さった。

 俺も妹も、痛くて辛くて、悲しかった。惨めで、虚しかった。

「……ごめんね……ロック……」

 イーサンの手が、俺を抱きしめてくれた。

 やめてくれよ、俺にそんな資格なんてないんだって言いたかった。

 なのに、俺の手はイーサンの肩をぎゅっと強く握ってた。

 ――お前はどれだけ優しいんだよ。どれだけ甘くて、どれだけ正しい人間なんだよ。

 ――俺みたいな人間を許してくれるなんて、そんなの、ずるいだろうがよ。

「うう、ううう……!」

「ごべん……いーざん、ごべんなぁ……」

「うわああああん! ああああーんっ!」

 俺達三人の泣きじゃくる声はずっと、部屋の中に響いてた。メイドさんやばあちゃん、村の皆が見てる中で、子供みたいに泣いてた。

 涙が枯れるまで、喉が枯れるまで、俺達は泣き続けてた。



 魔法の使い過ぎで倒れてから二日が過ぎた頃、僕は村の変化に気づいた。

 ディメンタ村の皆が、僕を貴族や客人扱いしなくなったんだ。

 体力が回復して外に出た時には「よう、イーサン」とか「調子はどうだい」とか、ごくごく普通に声をかけてくれた。まるで僕が村の一員になれたみたいで嬉しくて、その時は思わずありがとうなんて言っちゃった。

 アリスとパトリシアは、僕が説得するまで事件のことで苛立ってたみたいだけど。

 魔法を使うのをしばらく禁止された上に、今でもつかず離れず僕の隣を歩いてる。たまには一人にしてほしいなんて言ったって、今のアリス達は聞いちゃくれない。

 ただ、二人が許してくれたこともある。

 僕がまだ村に残ること――そして、カーティス兄妹と一緒にいることだ。

 ロックはあれから、以前よりずっとスキンシップが多くなった。メイは変わらず毒舌で皮肉っぽいけど、なんとなく物腰が柔らかくなったのが分かる(そんな話をしたら、きっと蹴っ飛ばされるだろうけどね)。

 とにかく、僕はもう少しだけディメンタ村に残ることを決めた。

 そんな折、ロックがある提案をしてきたんだ。

「――僕を、領主に?」

 僕に、ディメンタ村の領主になってほしい。

 ロックが僕にそう言ったのは、ある日の昼食時だった。アリスとパトリシア、ロックとメイ、そして僕が一緒に食事を摂るのは、もうさほど珍しくなくなっていた。レベッカ村長も一緒にと誘ったんだけど、「邪魔するのはよくない」といって遠慮されちゃった。

 そんな事情もあって、テーブルを囲んで五人で昼食のスープを飲んでいた時に、ロックが言ったんだ。僕がこの周辺の領地を治めるといい、って。

「ああ、イーサンみたいな貴族がディメンタ村にいてくれたらいいなって思ってさ。ま、もちろん俺やメイが、勝手に考えてるだけなんだけどな」

「……メイはそんなこと、一言も言ってないわよ……ま、まあ、悪くはないけど……」

 ロックは明るい顔で、メイはそっぽを向いていたけど、考えは同じみたいだ。

 一方で、アリス達はじろりと二人にきつい視線を投げかけてた。

「そーんなこと言って、また悪だくみしてるんじゃないのー?」

「なっ、俺達はもう、イーサンを利用しようなんて思わねえよ!」

 慌てた調子で手を振るロックだけど、大丈夫だよ。僕はちゃんとわかってるからね。

「それに、ここの領主は、いていないようなもんだぜ。ディメンタ村は領地の中でも端の端、来たところでうまみはないし、足を運ぶ理由はねえよ」

「本当なら村を守ってくれるはずの騎士団だって、他の街にかまいっぱなしよ。うちは優先順位も低いし、沢山の騎士の面倒も見れないし……見放されたようなものね」

 とはいえ、二人はやや真面目な口調で話してるんだけど、いざ本当に領主になりたいなんて言っても、簡単になれるものじゃないのは当然だ。

「気持ちは嬉しいけど、そんな簡単な話じゃないよね? もしも僕が勝手に領主を名乗れば、きっと本来の土地の持ち主はとても怒るはずだよ。勝手に領地を奪われるんだから」

「だいたい、領主なんて勝手な話、あたしは認めないけど? 散々イーサン君を利用しようなんて企んでた奴らの村に居座らせようなんて、ね、アリス先輩?」

「私も容認しかねますが……全ては、ご主人様がお決めになることです」

「ま、先輩がそういうならいいかな。イーサン君はどうするの?」

 パトリシアに問われた僕は、少し考えてから答えた。

「僕は、できるならここに留まりたい。村の復興するのは、ロック達だけじゃなくて、僕の願いでもあるから。でも、それなら領主じゃなくてもいいんじゃないかな」

 僕の返事を聞いて嬉しそうにするロックにしても、半分冗談だったみたい。

 だから天井を仰いで、スプーンを揺らしながらため息交じりに言ったんだ。

「まあ、それもそうか。あーあ、イーサンなら――卿より、いいと思ったんだがなあ」

 本来いるべき、ディメンタ村を治める領主の名前を。

 ロックの話を聞いた途端、僕とアリス達は思わず、スプーンを床に落とした。いつもなら行儀が悪いなんて窘められるんだろうけど、今はそれどころじゃない。

「……誰だって?」

「誰って……村の領地を治めてる、――卿のこと?」

 メイも、ロックの同じように領主の名前を告げた。

 驚く僕達だけど、そういえばそうだ。どれだけボジューダ渓谷からディメンタ村が離れていても、そこにいた時点で僕らはその人の領地にいたんだ。だったら、ここを取り仕切っている人が誰かだなんて、考えるまでもない。

 これまで忙しかったり、トラブルが起きたりで思いつきもしなかったけど、知ってしまった以上は話が別だ。この最高のチャンスを、活用しない手はない。

「……ご主人様、これは……」

「うん、アリス。僕も、同じ考えだよ」

 僕とアリスは頷き合って、ロック達に言った。

「ロック、メイ。その人に、村長さんからの手紙を送ってもらえないかな?」

 ――一カ月前の僕に今の事態を話したって、きっと信じてはくれないだろうね。

 イーサン・セルヴィッジは本当に領主になるのかもしれない、って。

【ライド】


「まったく、兄上殿は戦争を商売か何かと思っているのか!」

 領地内の大きな屋敷に戻ってきていた俺――ライド・ランカスターは、自分で言うのも何だが、相当苛立っていた。

 理由は大きく分けて二つ。一つは、俺の甥っ子であるイーサンがこちらに来る途中に谷から落ちて、そのまま行方をくらましてしまったこと。まだ死体は見つかっていないと聞いて探しに行きたかったが、時間をまるで割けなかった。

 その理由が二つ目のそれだ。

 俺の兄、ヴァッシュが戦争に首を突っ込もうとしているのだ。

 王族と反旗を翻した貴族の戦争は、どちらについてもリスクが高い。負け側につけば当然だが、仮に勝ったところで今度は内ゲバが始まるのは目に見えている。だからランカスター家は静観していたというのに、これではこっちまで巻き込まれかねない。

「王族と『西部連合』双方に取り入るだって? 蝙蝠みたいな真似をして、ただで済むと思っているなら耄碌するに早すぎるぞ。それに、イーサンのことも……」

 しかも兄上殿はザンダーかケイレムにそそのかされたのか、どちらにも味方の顔をすると言っているのだ。戦争のうまい汁だけを啜ろうとしているのは、もはや明白だった。

 こんなことがなければ、今頃イーサンを探しに東奔西走しているというのに。

 とはいえ、愚痴をこぼしてもしょうがない。今日もまた、書斎に使用人のノックの音が響いて、外に出て、俺を嫌うランカスター家の連中との無意味な会議が始まるのだから。

「ったく……入れ」

 ただ、今日は何故か、老執事が持っているのは山ほどの書類ではなかった。代わりに彼が手にしているのは、小さな手紙だけだった。

「ライド様、ディメンタ村の村長、レベッカ殿より手紙が届いております」

「手紙? それも、ディメンタ村から?」

「お忙しいようでしたら、わたくしが代わりにお返事をしましょうか」

「いや、俺が読もう。今まで一度も税に文句を言わなかった辺境から、わざわざ手紙を送ってくるなら、よほどのことがあったに違いない」

 半分は本心、もう半分は気分転換だ。

 ついでに言うなら、辺境の村からの手紙がどんなものか、僅かながら好奇もあった。

「もっとも、俺の考えすぎかもしれないがな……ん?」

 自嘲するような笑いと共に手紙の封を開けた俺の掌に、何かが転がった。

「――これは」

 俺はそれに、見覚えがあった。

 いや、見覚えがあって当然だ。これはもともと俺のもの、ランカスター家の家紋が彫り込まれた銀色のペンダントで、今これを持っている人間を俺は一人しか知らない。

 そして開いた手紙の内容も、間違いなく彼――イーサンからのものだった。

 ケイレムの企みで谷底に落ちたこと。

 魔法に覚醒して、谷から離れたディメンタ村の世話になっていること。

 外敵に悩まされる村を救うべく、領主になりたいと願っていること。

 全てを読み終えた時、俺の口元はつり上がっていた。

「……ふ、はは、はははははっ!」

 いや、耐えきれなかった。甥っ子が生きていて、急激に成長して、子供とは思えない覚悟を決めたんだ。それを喜ばない叔父が、いるはずがないだろうよ。

「まさか渓谷からそこまで離れた村にいたとはな。どうやったのかは分からないが、流石俺の見込んだ子だ。大人の予想なんて、簡単に飛び越えてくる!」

 執事が後ろで呆然としているのも構わず、俺は感傷に浸ってしまった。

「……本当に、立派な子だ……!」

 顔はほころんでいるのに、一筋の涙だけは抑えられなかった。

 死んでしまったのではないかと思ってしまった自分の不安を、彼は手紙越しの笑顔で吹き飛ばしてくれた。まったく、俺なんかよりずっとすごい子だよ、お前は。

「俺への頼み事、というわけか。それも随分難儀な頼み事だ……だが、かわいい甥っ子の為なら、叔父さんは何だってやってやるさ」

 さて、いつまでも感動の涙を流してはいられない。

 俺は手紙を畳み、ペンダントをポケットに突っ込むと、早速準備に取り掛かった。

 会議よりも何よりも大事な、イーサンのお願いを叶える為に、な。



『イーサン、まずはお前が無事だったことに安心した。

 本当ならランカスター邸に連れて帰りたいところだが、今、お前を俺のところに引き戻すのは危険だ。知っての通り、戦争の影響がここまで来ているからな。

 そこでお前の頼みに対する返事と、アドバイスだけを記しておく。

 まず、俺が持っている領土のうち、ディメンタ村とその周辺はお前に明け渡す。辺境の村だが、お前が言う通りの魔法を持っているなら、きっといい村にできるはずだ。

 納税については、収穫物の一割以下でいい。叔父さんからの大サービスだ。

 ただし、あまり目立つような行動はとるなよ。今は資源の調達先や戦争の中継点として、村や街を領地内ですら取り合う貴族が多いんだ。俺がにらみを利かせておくが、王族連中が来ないとも言い切れないからな。

 それと、村が隆盛しても、しばらくそこから出ない方がいい。

 お前を殺そうとした連中がケイレムなら、はっきり言って奴はまだお前を諦めていない。
 亡骸を探して必死にボジューダ渓谷に手下を差し向けている。ディメンタ村ほど離れていれば、保証とまではいかないが、比較的安全だろう。

 セルヴィッジ家との関係上、俺が直接ケイレムを言及することはできない。

 だが、もしもそこにもあの小僧の手が届くようなら、俺に連絡をくれ。

 お得意の雷魔法で連中を一人残さずぶちのめしてやるさ。

 それじゃあイーサン、元気でな。アリス達にもよろしく。


 追伸

 戦争が落ち着いたら、俺がそっちに行くよ。

                 愛する甥、イーサンへ  ライド・ランカスター』



 村長に叔父さん宛の手紙を伝書鳩で送ってもらってから、早くも返事がきた。

 セルヴィッジ邸を出る前に叔父さんに貰ったペンダントが、こんなところで役に立つとは思ってなかった。けど、これのおかげで手紙の送り人が僕だって分かってくれたんだね。

「驚いたぜ、まさかイーサンとランカスター卿が知り合いなんてな!」

「メイも驚いたわよ。でも、セルヴィッジ家の家長の弟がランカスター家にいるなら、イーサンとの繋がりがあるのも、確かに納得できるわね」

 僕の後ろから顔を覗かせて手紙を読む皆は、僕と叔父さんの繋がりに驚いていた。村長から手紙を預かったのは村の集会所で、そこには村中の人が集まっていたから、僕の後ろにはこれでもかってくらいの人がいる。視線が背中に刺さる気がするよ。

 だけど、僕は嬉しかった。村の皆が、僕が領主になるのを喜んでくれているようだから。

「とにかく、これで確定だな! イーサンが、ディメンタ村の新しい領主だ!」

「ほら、領主サマ。村の皆が集まってるんだし、挨拶の一つでもしときなさい」

 カーティス兄妹に言われて、僕は集会所の壇上に立った。こうして背中を押してくれる二人も、色々あった今では大事な僕の友達だ。

「ご主人様、どうぞ威厳あるお言葉を」

 僕のすぐ後ろでぺこりと頭を下げるアリスとパトリシアも、僕になくてはならない存在だ。四人に、村の人に勇気を持ってもらえるように、ここできっちり挨拶をしないと。

「えっと……改めて自己紹介させてください。僕はイーサン・ホライゾン・セルヴィッジ。ライド・ランカスター男爵よりディメンタ村の領主として統治を任されました。まだ幼い身ですが、皆さんと協力して村を発展させていきます。よろしくお願いします!」

 そう思って声を上げたけど、個人的に点数をつければ、五十点もないなあ。

 威厳を含んで言ったつもりなのに、これじゃあ、新入社員の挨拶みたいだ。

「おう、よろしくな!」

「期待してるわね、イーサン様!」

「イーサン様なら、きっと村を良くしてくれるねえ!」

 ただ、それでもディメンタ村の皆は手を上げて喜んでくれた。ロックやアリス達だけじゃなくて、レベッカ村長、子供や老人まで僕を歓迎してくれているのが分かった。

 ただ、その、イーサン様だなんて恥ずかしい。

 領主という立場とは矛盾するけど、やっぱり僕は、人の上に立つのは似合ってない。皆と同じ立場で、村をもっと良くしていくのが、僕にとってはやりやすいね。

「イーサン君、これで遠慮なく恩返しができるってことだね」

「そうだね、パティ。善は急げって言うし、早速、村の問題を解決していこうか」

 壇上から降りた僕は、まずロック達に質問してみることにした。

 帝王学みたいなのは関わってこなかったけど、領地経営や国土地理、簡単な経済、あとはアリスに内緒で軍略的な面でも少しだけ勉強はしてきた。かじった程度の知識でどうにかなるものじゃないけど、そこは仲間に助けてもらわなきゃ。

「とりあえず、水源とか食糧、鉱物とかで困ってることはない?」

「心配ご無用、ってとこね。ディメンタ村は大きな森と川、山に囲まれているの。魔物の襲撃も昔からあったけど、その分自然の恵みってやつは潤沢にもらえるのよ」

 最初に答えてくれたのは、メイだ。

 ロックから聞いたけど、彼女は村の子供に簡単な教育をしてあげるくらいには頭がいいらしい。村人が彼女を信頼するのは、頭脳派の側面もあるからかな。

 もちろん、彼女の話の意図を理解しているロックも、僕よりずっと聡いはずだ。

「しかも北側にあるのは、国を分断するほど大きなモドス川だからな。分岐した川が近くにあるから、井戸を造れば簡単に水は確保できるんだ。その井戸が今は半分ほど壊されちまってるんだがよ……鉱物に関しちゃ、森の奥の岩肌から少し採れる程度ってとこかな」

「少しっていうと、どれくらい?」

「税として数えられないくらいだ。もうちょっと奥まで行けば分からねえけど、そうなりゃ今度は、追いかけてこられたら村が大惨事になるほどヤバい魔物とご対面だ。だから、鉄製品だとかは基本的に行商人とか他の街から買ってたんだよ」

 なるほど。村で採れる資源で言うなら、生活する分には不自由がなかったみたいだね。

 ロックの言う危険な魔物のリスクもあるけど、村を維持させる範囲なら遭遇することもないみたい。とはいえ、鉄などの鉱石が取れず、加工する技術も乏しいというのは、唯一問題視してもいいかもしれない。

 だけど、今はその心配はない。僕の魔法は、この状況にうってつけだ。

「そっか……だったらなおさら、僕の変性魔法が役に立つかもね」

「期待してるぜ、イーサン。ところで、鉄が作れるならさ、金とか銀、宝石も……」

「それはダメだよ。確かに売ればお金になるけど、出所が分からない貴金属は真贋を疑われちゃう。それに、もしも沢山取れると思い込まれたら、新しい敵を作りかねないしね」

「だよなー。ま、貧乏人の空想話だよ、気にしないでくれ」

 悪い意味じゃないけど、ロックは比較的お金の話が多く出てくる気がする。

 もっとも、お金が必要なのは事実だね。昔読んだ本によれば、お金は村や街という肉体を成り立たせる為の血液だ。枯渇しても、一か所に留めても死んでしまう。なら、稼ぐ手段は多いに越したことはない。

「ちなみに、村の収入は?」

「主に特産品の軟膏と、森で採れる収穫物を売った金銀銅貨ね。以前は北東の商業都市カサインに売り込めばかなりの収益があったんだけど、今の買い手は月に一度やって来る行商人くらいよ。村の被害が大きくて、とてもカサインに行く余裕がなかったのよ」

「街道も昔はちゃんとあったんだけどよ、乱暴なやつらがぶっ壊していったんだよ。修理についちゃ、ま、そんな余裕はなかったって思ってくれ」

「ふーん……そんなにこの村が狙われる理由って、なんだろうね?」

 僕が首を傾げると、返事は兄妹じゃなく、アリス達の方から返ってきた。

「恐らく、大きな都市同士を繋ぐ街道沿いを襲撃すれば、返り討ちに遭うからでしょう。領地に派遣される騎士団であれば、戦争から離脱した脱走兵や残党、野盗程度ではとても敵いません。一方で辺境の村なら、そのような心配もございません」

「徒党を組んでちょっと寄り道がてら村を襲って、元の帰り道に戻るって寸法だよ。特に負け戦を体験した奴らは生きるのにも必死だし、手段は択ばないよねー」

「舐められてる、ってわけね。分かってたけど、むかっ腹の立つ話よ」

 こうして話に一区切りついた時、一部しか見えていなかった村の現状が全て捉えられた。

「生活に必要な資源は問題なし。税と収入は対応できる。そのどちらの障害にもなっているのは、村を襲う外的要素。だったら、ここに一番必要なのは――」

 正直なところ、村の開拓自体は最低限で済みそうだ。破壊された家屋や井戸、カサインまで続く街道の修復は僕の魔法と村人の協力で、経済面は特産品の更なる調達と自然区域の開拓で何とかなる。

 ただ、どちらにもネックとなるのが、迂闊に村の外にも出られない現状だ。そしてその原因は、もう嫌というほど知っているし、分かりきっている。

 考えるまでもなく、僕は一つの結論を出した。

「――防衛力だ。魔物や残党軍に攻め込まれないよう、ディメンタ村を強い村にするんだ」

 ディメンタ村に足りないのは、村そのものの防衛力。

 こちらから攻め込まずとも、向こうに攻め込みたくないと思わせるほどの守備。いずれ村を大きくするのであれば、必ずついて回る外敵への対策を講じないといけない。

 そしてディメンタ村では、その要素が最も重要視されるべきなんだ。

 当然、いざ領地を強くするといっても、僕一人では何もできない。だから、聞くんだ。

「皆、手伝ってくれるかい?」

 僕が問いかけると、誰もが頷いてくれた。

 中にははしゃぐ人も、手を取り合って目標が生まれたことに喜びを示してくれる人もいた。アリス達は「成長した」と言って涙を拭っているし、ロック達は僕に飛びついてきた。

 なんだか、僕にも分かった気がする。この優しさが、ディメンタ村の本質だって。

 なら、皆の笑顔を守るべく、優しさを守るべく、領主として為すべきことを成すんだ。

 こうしてようやく――僕の、初めての領地運営物語の幕が上がった。



 ひとまず僕に必要だったのは、自分の魔法について知ることだった。

 『変性』と『変形』、二つの魔法の能力自体は理解してた。物質の状態を変えて、他のものを作る。イメージした通りに、自動的に精巧かつ頑強な道具を生成できる。

 そこから僕がさらに学べたのは、変形させる物体のサイズと複雑さに応じて、マナの消費量が変わる点だ。例えば、抱えられるサイズの鉄のブロックを作るだけなら、何十個も生成できる。だけど、家屋を一から創造するとなると、一日に一戸が限界だ。

 ただし、例外もあった。僕は鉄の人形を生成するのには、どれだけ複雑なものにしてもあまりマナを使わないようだった。それこそ、一日に四つほど、精巧な人形を造り上げてもちっとも疲れないほどに。

 魔法が才能だというなら、僕は人形を作る才能がある、といってもいいのかな。

「『変性』……『変形』……よし、できた」

 だから僕は、先んじていくつか鉄人形――今は自律人形、オートマタって呼んでる――を生成しておいた。重労働や、村の皆の家事や仕事を手伝えるようにね。

 二度の生成のおかげで、僕の中でもオートマタに対するイメージは固定しやすくなった。

 サイズは成人男性程度、骨組みを中心とした人型の構築にして、余計な装甲は剥がす。動力部分を頭に集中させて、中央の橙色のカメラで視界を確保させる。エネルギーはマナを自動で生み出す魔力炉と、不足分を太陽光で補う形式にした。

 最終的に生成したオートマタは、どこかで見たロボットのような形になった。村を圧迫しない程度に作り上げ、並べられたそれは、まるで軍隊のようだった。

「皆、これから少し大変な仕事があるけど、お手伝いよろしくね」

 僕がそう言うと、オートマタは無言でうなずいて、各々の仕事を始めた。

 数が多いからか、最初は村の皆も少し距離を置いてたけど、洗濯物や食事の準備を手伝ってくれる相手に、ちょっとずつ心を許してくれるようだった。仕事の全てを人形に任せない、と誰もが考えてくれているのも、僕にはありがたかった。

 ところで、オートマタ以外のアイテムを作っていくとなると、連続して魔法を使う為には、シンプルなアイテムを生成する必要がある。

 これを踏まえて、僕は領地に作成するものの順番を決めて、作業に取り掛かった。

 何を差し置いても最初に必要だったのは、防壁だ。

 ディメンタ村に現存する防壁は、言っちゃ悪いけど、壁としての役割を持ってなかった。木を組んで造られた壁はほとんどが壊されてたし、修復も間に合ってない。

 だから僕は、門も含めて、一から防壁を作り直すことにしたんだ。

 用意したのは、周辺からかき集めてきた土を硬く変性して、形を整えたブロック。鋼にしなかったのは、どこか村の雰囲気に合わなかったからというだけ。でも、硬度はそれに匹敵するように変性したし、何より村を冷たい鉄で覆うのは気が引けた。

 ただ、ブロックには少しだけ細工をしてある。元居た世界で遊んだことのある『ブロックトイ』のように、上部にでっぱり、下部にくぼみがある。一度嵌めこめば、かえしのおかげで中々外れないような仕組みになってる。

 これを交互に組んでいけば、釘や接着剤を用いずに強固な壁が出来上がるってわけ。

 幅は人が並んで二人、三人歩けるくらいで、接地面だけ大型のブロックを用意しておく。もしも村が大きくなったなら、僕の魔法で分解して、もう一度作り直せばいい。

 ついでに防壁と防壁の継ぎ目、そして門のすぐそばに『やぐら』を作る為のパーツも生成した。遠くを見渡すのに、きっと役に立ってくれる。

 最初はこれをオートマタに運ばせるつもりだったけど、思わぬ計算外があった。

「俺達も手伝うぜ、イーサン。ていうか、村のことなんだから手伝わせろっての!」

 ロック達村の男衆が、揃って門の建築に協力してくれたんだ。

 かなりの重労働になるって説明をしても、ロック達はそれこそ聞く耳を持たず、勝手に作業を始めちゃった。僕も戸惑っていたんだけど、これがディメンタ村なりの優しさだって僕も察して、甘えさせてもらうことにしたよ。

 でも、メイが協力してくれたのは驚きだった。正確に言うと、メイが初めて披露してくれた魔法で生み出した、木の姿をした魔物が、だけどね。

「これがメイの魔法、『使役魔法』よ。木に命を吹き込んで、魔物『トレント』にするの」

 メイの後ろにいたのは、二匹の大木。どちらも裂けたような目と口があって、不規則に伸びた枝を手に、根を足にして器用に動いてる。ついでに枝はとても太くて、メイがここに連れてきてくれた理由が分かる気がするな。

「人間なんて軽く一ひねりするくらいのパワーがあるから、力仕事には貢献してくれるわよ。夜には元の木に戻っちゃうから、使い過ぎには注意しなさいよね」

「彼らに協力してもらって、野盗を追い払ったりはできなかったのかな?」

「数も多少は増やせるけど、単調な動きしかできないし、囲んでくるならず者相手に戦いきれないわよ。無理に抵抗すれば、村にも危害が及ぶって思い込んでたしね……けど、もうメイも、村も逃げないわ。もしも戦うなら、彼らを使ってあげて」

『ま、まかせ、て! おいら、ちからもち!』

 やや呂律の回っていない返事をしてくれたトレントは、作業に大きく貢献してくれた。

 沢山の腕と高いパワーを持つトレントは、まさしく重機のように働いてくれた。オートマタも休み知らずに動いてくれるおかげで、防壁は予想よりも早く完成しそうだね。

 男衆やトレント、オートマタが防壁建設の作業をしてくれている傍で、僕はもう一つ、大事なものを作っていた。

「イーサン、それ何だ?」

「『バリスタ』だよ。簡単に言うと、固定式の弩弓だね」

「確か、この前襲って来た奴らをぶっ飛ばした武器だよな! あれと同じくらい強いのを、俺達も使えるのか!?」

「いや、僕が以前作ったものとは違うよ。あれは急ごしらえで生成したからパーツの強度に問題があったし、使うのに力がいるんだ。今度のは、もう少し使いやすくする予定だよ」

 ロックに説明しながらパーツを生成しているのは、壁に設置するバリスタだ。

 といっても、僕がならず者を撃退するために使ったタイプとはまた違う。これもブロックトイのように、木と金属でできた複数のパーツを嵌め合わせて作った、簡素なタイプになる。パーツを防壁の上に持っていって作れば、運送の手間もない。

 ただし、今回は素材が豊富だったから、弦の部分には魔物の皮のゴムを採用した。ぜんまい仕掛けで弦を引くので力がそこまで必要なく、前方に簡易的な木製の盾も設置してあるから、使うのに慣れてない村の皆もすぐに慣れてくれると思う。

 これを門の傍に二門、現時点で門がある面の防壁に八門、村を囲む防壁の残り三面にそれぞれ四門設置した。作りすぎたかも、というのが素直な感想だね。

 門とバリスタの次は、橋と濠があれば、村の防御は一層堅固になるに違いない。

「ご主人様、濠と橋は都市防衛の必需品でございます」

「昔読んだ本にも書いてあったね。一応、地面を削ってアイテムを作ったから濠の形にはなってるけど、どう進めていけばいいものやら……」

「では、私がご助力いたしましょう」

 あくまで本を読んでかじった知識ではあるけど、アリスや村の皆の知恵も借りて、防壁の建築と並行して作業を始めた。といっても、濠を掘り進める必要はないんだ。防壁の生成に使った土をその辺りから集めてきたからね。

 ただ、補強自体は必要になる。それに水を引いてくる必要もあるんだけど、とりあえず人間じゃまず跳び越えられない深さと広さは獲得したから、これでよしとしよう。

 ついでにブロックトイの要領で作った木の板と円形パーツ、強固なロープと魔物の皮を作り直したゴムで、木製の門と橋を生成した。橋はハンドルを巻き上げて持ち上がるように、門は防壁の一部にしてこちらもハンドルで閉まるようにした。

 なんだかプラモデルを組み立てているような気分だけど、硬さはお墨付きだ。橋は村人が何十人で飛び跳ねても崩れないし、門は獣化魔法で変身したアリスの殴打にも耐えきった。ちょっとやそっとの攻撃じゃ、傷もつかないよ。

「申し訳ございません、ご主人様。獣の拳で、門にひびを入れてしまいました」

「あたしが修復魔法で直しといたから、心配しないでねー」

 訂正。もう少しだけ、硬い素材で作り直さないといけないかもしれないね。

 門の修復がてら僕が必要な素材を生成していく傍で、村では毎日のように建築作業が続いていた。疲労もたまるだろうと思って、僕は僕なりにサプライズも用意しておいた。

 一つは、村人が戦う為の武器だ。

 剣や斧を作ろうかとも考えていたけど、戦闘経験が少ないなら槍と盾がいいという結論に至った。槍なら極端な話、突くだけで敵にダメージを与えられるからね。

 作成自体はとてもシンプル、かつ簡単で、あっという間に村人全員分の武器ができた。

「こりゃすげえ! 鉄を貫く槍なんて、初めて見た!」

「それにこの盾もだ! これがあれば、野盗連中なんて目じゃねえな!」

 ロックを含め、村人からの反響はとても良かった。槍は突けば鉄のブロックを貫通したし、盾はその槍の攻撃を完全に防ぎきることができた。少し練習すれば、野盗くらいならこれで完封できるはずだ。

 もっとも、白兵戦は少なからず村側に犠牲が出る可能性がある。

 そうならないように、バリスタを含めて、防衛の仕組みを僕が作っておかないと。

 もう一つのサプライズは、僕がとっても大好きなもの。つまり、お風呂だ。

 石造りの簡単な大浴場みたいなもので、オートマタに手伝ってもらって、火を焚いて水を沸かす。水源が豊富で、水を引いてくるのが簡単な環境だからこそ作れた設備だけど、村の皆には大うけした。もちろん、離れたところに敷居で囲った女性用のお風呂もあるよ。

「ご主人様、私との入浴がお嫌でしょうか?」

「悲しいなあ、イーサン君がとうとう反抗期を迎えちゃったよ……」

「ご、ごめんね! ロックが向こうで僕と一緒に入りたいって言ってるから、ね!」

 ついでに、アリス達と一緒にお風呂に入るのは丁重にお断りした。

 アリスとパトリシアはがっかりした顔だったけど、ロックやメイもいるし、十歳にもなってメイドに体を洗ってもらうのは、なんだか気恥ずかしかったからね。

 ――まあ、そんなこんなで、村の開拓は順調に進んでいった。

 破壊された家の再構築もほぼ完了した。豪華にはできなかったけど、必要最低限の部屋とトイレ、キッチンがあれば十分ということで、木造りの家屋を生成するのは、倒れる前に比べればさほど疲れなかった。重労働は男衆と、オートマタにも任せていたからね。

 こうして、破壊された村の修復が大まか完了した頃には、門に防壁、濠に橋、武器といった防衛に必要なものが揃っていた。濠に水は流れていないし、防壁は完成度で言うと六十パーセントほどだけど、今は十分じゃないかな。

 うん、これなら、見た目だけはスケールダウンした城塞都市に見えなくもない。

 僕とロック、メイにアリス達が並んで、門の傍で村を眺めると、なんだかディメンタ村が生まれ故郷のようにさえ思えてきて、それがすごく嬉しかったんだ。

「ロック、君に出会えてよかったよ」

「俺もだよ、イーサン。ま、お互い感傷に浸る前に、もう一仕事しないとな!」

 僕達は拳をぶつけ合って、もう一度防壁の建造作業に戻っていった。

 村の再開発からしばらく経ったある日、事件が起きた。

「――大変だーっ! 国王軍の連中が、村に押しかけてきてるぞーっ!」

 発端は、村人の慌てた調子の大声だった。

 何が起きた、どうしたのかと村の皆は騒めいたけど、すぐに誰もが原因を察した。

 前回からかなり間が空いてしまったけど、最初から起こりうると知っていた事態。それが発生しているんだって、何度目かになる悲鳴だけで村の誰もが嫌でも理解させられた。

 これは――何者かの襲撃が起きた証拠だ。

「久々に来やがったか……様子を見に行くぞ、イーサン!」

 ちょうど一緒にバリスタの組み立て作業をしていた僕は、ロックと顔を見合わせて頷くと、心配そうな調子の村人達に合流しようとした。

 だけど、不意に服の裾を掴まれた。振り返った僕の視線の先にいたのは、不安を隠せずにいるアリスとパトリシアだ。

「ご主人様、私には何が起きているのか、何をしようとしているのか分かります。ご主人様の勇気は尊敬に値しますが、最前線に立つのはおやめください」

 二人の頼みは察していたけど、今、それを承諾するわけにはいかない。

「アリスとパティのお願いでも、これだけはどうしてもね。トラブルが起きるかもって時に、僕は安全圏から眺めているだけなんて、領主としての在り方に関わるよ」

「でも、もしイーサン君に何かあったら、あたし達……」

「大丈夫、僕を信じて。代わりと言っちゃなんだけど、アリスには万が一の為に門の傍に居てほしい。パティは誰かが怪我をしたら、魔法で治療してあげて。お願いだ」

 僕は精一杯、自分のできる範囲で、男らしい目つきで二人に言った。

 いつもなら僕を子ども扱いしてくる二人だけど、今日ばかりは違った。アリスが、裾を掴むパトリシアの手に触れると、彼女は少しだけ迷ってから手を離した。

「……かしこまりました。では、不肖アリス、ご主人様の命を果たしてまいります」

「気を付けてね、イーサン君! 絶対怪我しないでね、約束だよ!」

 アリスとパトリシアは、それぞれ僕の両頬にキスした。そして、それぞれが僕の指示した通りに、門の方へと走って行った。

 ――寝る前意外に、誰かにキスしてもらうなんて初めてかも。

 ほんのちょっぴり体が熱くなったのを感じた僕だけど、直ぐに気合を入れるべく頬を軽くはたいた。それから近くのはしごを登って、やぐらにいるロックと合流した。

「村の外に誰もいない!? 逃げ遅れた人は!?」

「メイと男達で連れ帰ったわ! 外にもう、村の住人はいないわよ!」
 下にいる皆に向かって、二人そろって声を上げると、メイが応えてくれた。

「よし、だったらハンドルを回して橋を上げてくれ! 門は絶対に開けないように!」

 僕の号令で、オートマタと一緒に数人の村人がハンドルを力強く回した。すると、橋はぎぎぎ、と大きな音を立てて跳び上がる。僕の指示を聞いた、というわけじゃないにしても、村人が一致団結して行動してくれるのはとてもありがたい。

 だけど、嬉しく思ってる場合でもない。

 既に門と濠を挟んで、敵が外に到着していたんだ。

 騎士甲冑を纏った兵隊は、合わせて十人。しかもその様子は、明らかに異様だった。

 荷車ほど大きい、藍色の毛皮の首が二つある犬の魔物――オルトロスに搭乗して、長い槍を構えた騎士がいるんだ。僕が読んだ本には、あんな騎士は載ってなかったよ。

「ロック、あの魔物に乗ってるのも、騎士なのかな?」

「いや、俺は初めて見たぜ。騎士ってのは基本的に、馬かグリフォンに乗ってるってのが相場なんだよ。見てくれもなんだか、慣れない甲冑を無理矢理着てるって感じだ」

「戦争帰りかもしれないわね。それとも、騎士を装った何かなら、話は別だけど」

「もしも騎士なら、話は決まってる。俺達をねぎらえ、或いは飯と女をよこせ、だな」

 ロックの言う通り、相手が何者かはともかく、まずは狙いを知らなきゃ。

 そんなことを話していると、騎士の方から大仰な声を張り上げてきた。

「我らはフォールドリア国王軍、魔物騎士遊撃隊である! 敵ではない、門を開けろ!」

 敵ではないと宣言しているけど、信用していたらきりがない。

「聞いた事ねえよ、そんなの! 第一、国王軍ならどうしてこんなところにいるんだ! 王都への帰り道が知りたいなら、川に沿って東に進んで行けばいいだろ!」

 騎士達がもしもはぐれたり、何かしらの事情で違う街道を走ってきたりという理由でディメンタ村に来たのなら、ロックが指さした北側に行けば、少なくとも川に沿って王都には辿り着く(だとしても、いきなり門を開けろと叫ぶのは矛盾してるんだけどね)。

「ここにいる理由を、貴様らに話す必要はない!」

「常に最前線に立ち、逆賊と戦う騎士をねぎらうのは国民の義務と知っているな! 抵抗するというのなら、貴様らも国王に刃向かう蛮族連中とみなすぞ!」

 それもそうだ、なんて言って村を離れてくれるのが理想だったんだけど、魔物を唸らせて威嚇している騎士達の高圧的な態度は、一向に変わらなかった。

 要するに、これまで村を襲ってきた連中と、目的は同じだというのは分かったよ。

「交渉決裂だな……だったら、対応は一つ。だろ、イーサン?」

「うん、やるべきことも一つだ。生まれ変わったディメンタ村の力を見せつけるんだ、もうおんぼろ村なんて誰にも言わせないよ」

 ロックだけじゃなくて、やぐらの下にいる皆が僕を見ていた。

 指示を待つだけじゃない、覚悟を後押ししてほしいという顔。そんな風に見えて、僕は領主がただ命令するだけの人間じゃないというのを、改めて実感した。

 そして、彼らの望みを僕が叶えられる。そんな確信も、僕の中にあった。

「皆、配置について! バリスタの威力を試す時だよ!」

「「おおぉーッ!」」

 僕が拳を掲げて叫ぶと、村のありとあらゆる人々の喚声が響き渡った。

 そして、何かを見計らったかのように踵を返して街道沿いに駆けていく国王軍の騎士と思しき敵の背を見届けてから、一斉に村人達が動き出した。

「防壁を登ったら、まずはバリスタの状態を確かめて! 練習した通り、最低でも二人で動かすんだ! メイ、トレント達に操作の補助をしてもらって!」

「男衆は門の後ろに行け、イーサンが作ってくれた武器を持ってな! 残ったやつは俺と一緒に迎撃の準備だ! 女子供は集会所の奥に隠れてくれ!」

 僕と、やぐらから飛び降りたロックが声を張り上げると、誰もが命令通りに走り始めた。

 小さな村のただの村民のはずなのに、誰もが余計な動きをせず、パニックにもならず、互いに声を掛け合って武器を取り、老人や子供の避難誘導までしている。

 実は、防壁やバリスタ関係の生成に関わり出した頃から、いざという時の為に何度か村人を集めてシミュレーションをしていた。実戦を想定した素人なりの指示だったけど、結果として大まかな動きやバリスタの使い方を皆が把握してくれた。

 正直、実動時には多少なりの緊張や恐怖が起こすもたつきも予想していた。

 だけど、まさか皆がこんなに迅速に動けるなんて、思いもよらなかった。

 ロックは「僕が指揮しているから」なんて言ってくれたけど、きっと本当の理由は、誰もが強い勇気に突き動かされて動いてるからだ。

 皆がここまで頑張ってくれているなら、僕も領主として、しっかり指示を出さないと。

「射撃準備ができた人から報告して! 慌てないで、確実に撃てるようにするんだ!」

 僕の指示通り、皆が一斉にバリスタのセッティングを始めてくれた。

 バリスタは防壁上に設置された分だけじゃなく、門の傍からせり出した移動式のものも含めて、合計十門。木で作った矢の数は多いけど、同時射撃は十発が限界だ。だからこそ、確実に撃てるようにしないといけないんだ。

 実際のところ、弦を引くのも矢をセットするのも、一人いれば事足りる。バリスタの機能はほとんどぜんまい仕掛けで完結していて、女性や子どもだと少しだけ難儀するかもしれないけど、男の力なら大丈夫だ。

 それでも二人一組で行動させたのは、慣れない動きをさせることへの懸念に対する保険のつもりだった。でも、ロックはここでも予想外の大活躍をしてくれた。

「できたぜ、イーサン! いつでも撃てるぞ!」

 ものの数秒で、ロックは他の人の分まで弦を引き絞り、矢を搭載してくれたんだ。

「凄いね、もうバリスタを使いこなせるなんて!」

「よせやい! 生まれつき手先が器用って、それだけだっての! ナイフさばきがちょっと上手なだけが取り柄の俺にも、活躍の場があってホッとしたぜ!」

 とんでもない。話の呑み込みが早いのは知っていたけど、それは頭の回転の速さや器用さに直結してるんだから。やっぱりロックは、心から尊敬できる友人だよ。

「どうだ、メイ! バリスタは使えるか!?」

 彼が声をかけた先には、木の魔物トレントと一緒に弦を引っ張るメイがいた。

「ちょっと重いけど、トレントに手伝ってもらえば引けるわ!」

『お、おいら! ひく、めいと、これ、ひく!』

 本当ならシェルターに隠れているべきなのかもしれないけど、メイはトレントという力強い仲間を得て、あえて前線に残ってくれた。彼女を絶対に傷つけないというのは、僕とロックが固く結んだ、何よりも大事な約束だ。

「イーサン様! バリスタは準備完了ですぜーっ!」

「ありがとうーっ! 敵に動きがあるまで、一旦待機しておいてーっ!」

 彼女が木の魔物に手助けしてもらいながら矢をセッティングした頃には、他のバリスタも撃てるようになっていた。僕の号令で、この矢が一斉に発射されるわけだ。

 皆に軽く手を振ると、ロックが僕のいるやぐらまでもう一度登ってきた。

「あいつら、すっかり姿が見えなくなったな……諦めたのか?」

 一緒に視線を向けた先には、もう敵はいない。ロックはできれば、敵が諦めて逃げたんだと結論付けたかったかもしれないけど、恐らくそうはいかないはずだ。

「ううん、隠れてる仲間達を呼んでるんだと思うよ。街道の向こうから出てくるはずだ」

「もしも敵の数が多くて、バリスタをかいくぐって、門を破ったらどうする?」

「周辺にはオートマタを配置させてるし、そこで必ず食い止める……来たよ、ロック!」

 僕の予想通り、街道の遠く向こうから、砂埃と沢山の黒い影が迫ってきていた。

 再びバリスタの方に戻ったロックは、僕の方からは表情が見えないけど、間違いなく目を見開いていると確信できた。だって、僕も、ほかの皆の顔も驚きに満ちていたんだから。

 理由は当然、眼前の敵にあった。

 双頭の犬に跨った騎士達が――さっきの何倍もの数で猛進してきていたんだ。

「なんだありゃ!? ひい、ふう、みい……三十はいるぞ!」

「残党って数じゃないわよ! しかも皆、魔物を乗りこなしてる!」

「いよいよ、王国軍かも怪しくなってきたね。魔物に乗っているだけの、鎧や紋章旗を奪った野盗の可能性もある……盗賊団、とでも言うべきかな」

 自分で呟きながら、僕はもう一度迫ってくる敵を見据えた。

 僕はそれほど目がいいわけじゃない。でも、何人かが兜を脱ぎ捨てて、ドレッドヘアーや奇抜な髪形を露呈させていた。もしも王族や貴族の配下の騎士団に属しているなら、もっと整然とした髪型にしないといけないはずだ。

 おまけに、こちらのバリスタが見えているはずなのに、逃げないどころか、奇声を上げながら突進してくる。つまり、彼らには半端に組み上げられた防壁や、ハリボテのバリスタしかない村を蹂躙して、盗みと殺しを果たしてみせたという実績があるんだ。

 だから彼らは、全く臆していない。オルトロスに乗って濠を跳び越え、まだ完成し切っていない門と壁をタックルで壊して、村人を皆殺しにする気だ。

「イーサン! トレント達が、あの魔物は濠を跳び越えてくるって言ってるわ!」

「まずいぜ、濠を跳び越えられたら、残ってるのは未完成の壁だ! 万が一壊されでもしてみろ、オートマタとアリス、男衆で迎撃しても村に被害が出ちまう!」

 メイとトレントの報告で、いよいよ僕の疑念は確信になった。

 だけど、ある意味ではチャンスだ。バリスタの実力を見せつけて、皆に村を防衛したという確かな自信を付けさせるならこれ以上の好機はない――成功すれば、だけど。

「そうはさせない! 皆、敵が濠の前まで来たら発射の合図をするよ!」

 いや、だけどなんて、半端な言葉じゃだめだ。絶対に、防衛を成功させるんだ。

 バリスタの引き金を全員が構えたのを見てから、僕は敵をしっかりと睨んだ。号令が早すぎれば最大の成果が得られず、遅すぎれば門に攻撃を仕掛けられる。

 僕の声一つで、村の命運が決まる。

「近づいてるよ、イーサン様!」

「まだだよ!」

「領主さん、攻撃させてくれ!」

「まだだ、まだ!」

 村人の声を制して、敵を限界まで引きつける。敵が油断して、バリスタで撃ってこないと思い込むほどに。本物の兵器を、偽物だと思い込むほどに。

 一瞬が一秒、一秒が一分に感じられるくらい長い、長い刹那。

 ――僕は見た。

 盗賊団の先陣を切るならず者の顔が、門の破壊を確信して嗤ったのを。

 調子に乗った。避けることを考えていない。攻撃など予想もしていない。ならば、こちらが攻撃を叩き込んでやるのに、これ以上の機会は存在しない。

 躊躇うな。声を上げろ。優しさの為に、甘さを捨てろ。

 大事なものを守り抜くべく――やれ、イーサン・セルヴィッジ。

「――放てええぇッ!」

 喉を震わせるほど大きな、僕の号令が轟いた。

 全ての引き金が同時に引かれ、弦がしなり、木の杭を模した矢が放たれた。冷えた空気をたちまち斬り裂き、十本の矢は最も村に近づいていたオルトロスとその騎乗者に向かって、目にも留まらぬ速さで飛んでいく。

 そして、それは盗賊や魔物の鎧や肌に触れたかと思うと、骨肉諸共貫通してみせた。鉄製の鎧を抉り取り、強固な牙をへし折り、騎乗者を(或いはその一部を)吹き飛ばし、バリスタの矢は一発につき一つの命を見事に奪った。

 もちろん、あくまで素人の一斉射撃だから、全ての矢が命中したわけじゃない。でも、やぐらから顔を覗かせて見れば、射撃の効果はとても大きかった。

 突如として広がった仲間の亡骸を目の当たりにして、盗賊連中が明らかに狼狽していたんだ。それこそ、魔物の足を止めて、少しだけ後方に退くぐらいにはね。

「効いてる、効いてるわ! 魔物が一発でくたばったわよ!」

「というかこれ、とんでもない威力だな!?」

「すげえ……こんなに簡単に、敵を倒せるのかよ……!」

 メイや村人が威力に驚いて、成果に喜んでいたけど、まだ戦いは終わってない。

「油断しないで、矢の準備をお願い! 慌てないで、ゆっくりやればいいよ!」

 その証拠に、盗賊は喚き声を轟かせて、もう一度突進を試みてきたからだ。

「結構な数を倒してやったのに、まだ攻撃してくるってのか!」

「むきになってるみたいだね……だったら、もう一度だ! 皆、構えて!」

 敵が即座に攻撃してきたのは、次弾装填に時間がかかると踏んだからだろうか。

 けど、もしそうなら、僕の作ったバリスタと村人の技量を甘く見てるよ。だって、また濠に近づいてくるよりも先に、誰もが二撃目の矢を番えていたんだから。

「撃て!」

 二度目の号令で、再び十本の矢が敵を貫いた。

 皆も慣れてきたのか、さっきよりも正確に、矢がならず者か魔物のどちらかを確実に死に至らしめてた。敵が怒りや戸惑いで、直線的な動きをしていたのも理由かもね。

 いずれにせよ、村を狙う驚異の数は、たちまち半分以下に減った。斃れた敵の中には、まだ息があるのもいたけど、もう立ち上がることは叶わないみたいだ。搭乗者がいない獣はうろつくだけだし、獣が息絶えたならず者も転落して、少なくとも怪我を負っている。

「イーサン、敵の動きが完全に止まったぜ! もう一度、矢を撃ち込むか!?」

「いや、様子を見る! だけど、いつでも撃てるようにはしておいて!」

 さて、状況はどう転ぶかな。

 十を超える死体を見て、まだ略奪を諦めないのなら、もう次からは射撃を途絶えさせない。魔物も盗賊も死ぬまで、バリスタの矢の雨を降らせる気でいる。

 だから、この間は敵への最終通告のつもりだ。できれば、大人しく従ってほしい。

 じりじりと後退しつつある盗賊達の目は、ありがたいことに恐怖に染まっているようだった。中には魔物の尻を叩いて前進させようとしてるのもいたけど、オルトロスは二つの首を横に振って、死にたくないと拒絶しているみたいだ。

 これまで当たり前のように蹂躙してきた辺境の村が、いきなり装備を整えて反撃してきた上に、同胞を半分も殺したんだ。魔物の反応も、当然ともいえるかな。

 そんなやりとりをしばらく続けているうち、とうとう盗賊団に変化が起きた。

「おい、見ろ! あいつら、逃げてくぞ!」

 残された盗賊が背を向けて、街道を外れた森の方へと走って行った。

「……森の方に退いていく……ってことは……!」

 僕はもう、小さくなっていく盗賊なんて見てなかった。

 彼らの行動はすなわち、一つの結果を意味してたからだ。

「――俺達の、ディメンタ村の勝利だぁーっ!」

 そう、ディメンタ村の勝利という結果を。

 ロックの雄叫びが、たちまち村全体の歓声へと変わった。避難所から様子を見に来ていた女性や子供、老人老婆も家屋を飛び出して、門の回りにいる勇士達と抱き合って、何も奪われなかった初めての反撃の成功を喜んでる。

 僕はというと、正直喜びよりも安心感の方が勝って、やっと肩の力が抜けたよ。

 一度の勝利ですべてが終わったわけじゃないけど、ひとまずは敵を退けた皆と、自分を褒めてあげてもいいかな。こんなに上手くいくなんて、思ってもみなかったけど。

 そんなことを考えながらやぐらを降りた僕は、急に視界が真っ暗になった。

「んぶっ!?」

 最初は何事ごとかと思ったけど、この匂いには覚えがある。ほんの少しだけ考えてから、僕は今、アリス達の胸に抱きしめられているんだって分かった。

「ご主人様! 見事、お見事にございます……!」

 今回ばかりは、涙声のアリスとパトリシアを引き剥がすわけにいかなかった。

 だって、心配をかけたんだもの。僕が無事だって安心感で胸を満たしてくれるなら、しばらくは強すぎる力にも、柔らかすぎる感触にも成すがままにされるしかないね。

 そんな僕が解放された時、ロック達村人がぞろぞろと僕の方に集まってきていた。

「やったぜ、イーサン! よっ、ディメンタ村の救世主!」

「救世主だなんて、大袈裟だよ」

 肩に手をかけて頬ずりするロックに、僕は至極当然の感想で答えた。

「この村を救ったのは、村の皆の勇気だよ。盗賊相手にも臆さずに、しっかり学んだバリスタの使い方を活かしてくれた。僕がいても、皆がいなかったらこうはならなかった」

 ロックは僕のおかげだなんていうけど、そんなわけがない。僕はあくまで、手段を提供しただけだ。村人が手伝ってくれなければ、オートマタがいても攻撃を防げなかったかもしれないし、防壁の建築も間に合わなかったかもしれない。

 だから、お礼を言うのは僕の方だ。優しさを守る機会を貰えた、僕の方なんだ。

「ありがとう、皆……本当に、ありがとう!」

 僕が深く頭を下げると、皆は少しだけ戸惑ったようだった。

「ったく、領主サマがぺこぺこ頭を下げてたら、威厳もへったくれもないじゃない」

 ちょっぴり尖った声を聞いて顔を上げると、ロックの隣に立つメイが、僕の方をじっと見つめてた。今まで一度だって見たこともない、朗らかな表情で、彼女は――。

「お礼を言うのはメイ達の方よ……こっちこそ、ありがとう」

 笑った。僅かに尖った口で、慣れてない目つきで、それでも笑った。

 僕も、多くを話さなかった。ただ、彼女に微笑み返した。それだけで十分だった。

 さてと、皆で肩を叩き合って、勝利に酔いしれるのもいいけど、まだやるべきことは終わっていない。かじった知識だけど、やらなきゃいけない事柄は残ってる。

「敵の死体は一か所に集めて、焼いて埋めてあげよう。犬は……流石に食べられそうにないかな。同じように処分しようか。武器は貴重な資源だから回収しておかないとね」

 まずは、門の外に転がる死体をきっちりと弔ってあげること。

「それから――作業が終わったら、どうかな、勝利を祝って宴なんてのは!」

 そして、村の初勝利を祝う時間を作ることだ。

 僕の提案を聞いて、ロックやメイどころか、村人とアリス達まで盛り上がってくれた。

「サイコーだな、その提案! 自然の恵みだけはたっぷりあるのがディメンタ村の特徴だからな! とっておきの肉料理も煮込み料理も、なんだって振舞うぜ……メイが!」

「任せときなさい。だけど兄貴、あんたも手伝うのよ?」

「それこそ任せとけって! 試食担当は大の得意だからよ、痛でっ!」

「ご主人様、私達もご助力いたします」

「久々に、メイドの腕の見せ所って感じかな!」

 村中が熱気を帯びて、戦いとは別の盛り上がりを見せてゆく。

 緊張が解れて、別の意味での笑顔が伝播していく。ああ、皆に一番して欲しい表情をこんなところで見られるなんて、幸せだなあと思えるよ。

「じゃあ、早速準備を始めよっか!」

 それから間もなくして、村を上げた宴の準備が始まった。



「かんぱーいっ!」

「「かんぱーいっ!」」

 ――その日の夕方から、ディメンタ村の広場は信じられないほど盛り上がった。

 集会所とその前の広場には、僕が生成したテーブルと椅子、周囲を明るく照らすカンテラが所狭しと並べられて、ディメンタ村の女性達が総出で作った料理が振舞われた。準備が済んだ頃にはもう日が暮れかかっていたけど、村人が全員来てくれていた。

 村長さんに、僕が乾杯の音頭を取るように言われたのは少し驚いたけど、カーティス兄妹にも背中を押されて、壇上で大きな声を上げて場を盛り上げて見せた。やったぞ、僕。

 そこから先は、もう飲めや歌えの大騒ぎだ。

 ちょっとはしゃぎすぎなんじゃないかって心配したけど、レベッカ村長が言うには、元々ディメンタ村はこれくらい騒がしい村なんだって。近頃は事情が重なって陰気な調子になっていたらしくて、元はこれくらいの陽気さがあったんだって。

「ほらほら、イーサンも食え食え! 肉ならいくらでもあるぜ!」

「うん、それじゃあフォークを持ってくる……」

「何言ってんだよ! 串を持って、こうやって、がつがつ食っちまうんだよ!」

 ロックに言われるがまま、村の警備はオートマタに任せてあるからと、僕も久しく羽目を外してみた。といっても、喋りながら手づかみで料理を食べてみたくらいだけど。

 串焼き肉を両手で掴んで、がつがつと頬張るなんて、屋敷じゃ絶対許されなかったね。ついでに言うと、流石に発泡酒を飲むのはアリス達が許してくれなかった。

「ご主人様、羽目を外しすぎませんよう」

「アリス先輩、口に鳥の丸焼きを突っ込んで言っても説得力ないよー?」

「……ごくん。まあ、ほどほどに。ほどほどに、でございます」

 二人もはしゃいでくれていて、主人冥利に尽きるよ。

 それに、森で採れたブドウを潰したジュースを飲むのは許してくれた。僕のとなりで、ロックがこっそり耳打ちした「これもお酒みたいなもんさ」って言葉を聞いた時は、吹き出しそうになったけどね。

 男衆はテーブルの上で踊り出し、子供を連れた母親は椅子に座って語らい合う。まだまだ修復途中の村だけど、この雰囲気だけは、栄えた商業都市のようだ。

「フン。村の再興の立役者が、おっさんみたいな顔で空なんて眺めちゃってどうしたのよ」

 そんなことを考えながら木の実をつまんでいると、メイが隣に座ってきた。

 というか、僕は一応おっさんだったんだけど(三十代をおっさんとするならね)。

「なんだか、嬉しくなっちゃったんだ。村長さんに、これが村の本来の姿って聞いてね」

「毎日こんな調子じゃないわよ、たまにってだけ。でも、久々にこれだけ騒いでるバカ男どもを見るのは、悪い気はしないわ……そんな村に戻してくれたのは、あんたよ」

 少しだけ、僕の傍にメイが寄ってくれた。

「……こう見えて、感謝してんのよ。それだけは、言っとくから」

 ふと顔を見合わせると、メイの頬が、どうしてか暗いのに赤く染まっていた。

 何というか、その、僕は少しだけ彼女に見とれていたのかもしれない。

「なんだなんだ、いい雰囲気で話しちゃってよーっ!」

 すっかり出来上がった調子のロックが、僕とメイの間から顔を覗かせるまでは。

「兄貴!? なによ、いい雰囲気って!?」

「ははは、お似合いじゃねえか! イーサン、俺の妹をよろしく頼むぜ! 口が悪くて怒りやすい上にお前のメイドさんと比べて乳も尻も小さいが、いい女――おごっ」

 メイの後ろから出てきたトレントが、ロックの脇腹にボディブローを叩き込んだ。あの一撃じゃあ、ぐったりしたまま半日は起きられないだろうね。うん、合掌。

「急用ができたわ。トレントと一緒に、兄貴を村の外に放り出してくる」

「家に寝かせてあげてね、悪気があったわけじゃないだろうし……」

「……考えとくわ、それじゃ。あと、兄貴の言ったことは全部忘れなさい」

 ロックを引きずって去っていくメイと入れ替わるように、アリスがやってきた。

「ご主人様、何か良いことがありましたか? 顔がほころんでいますよ」

 彼女の問いかけに、僕はちょっと悪戯っぽく、含んだ笑みで返した。

 だけど、アリスの疑問は他のところにもあるようだった。

「……ところでご主人様、ライド男爵が仰っていた、ケイレム様についてですが」

「ケイレムが、どうしたの?」

「あの方は、いずれご主人様を見つけるでしょう。執念深く探し続け、蛇の如く村に迫り来ます。その時は、ご主人様を逃がさなければと……」

 アリスの言いたいことは、分かる。

 有事の際には、彼女は僕が拒もうとも、命を守るべく僕を村の外に逃がす。言いづらいからこそ、今言っておかなきゃいけないんだっていう、アリスの気持ちも分かる。

 それに、僕も忘れていない。僕を殺そうとした張本人がまだ、僕を狙っていることを。ライド叔父さんの言う通り、彼が諦めるはずがないってことも。

 だけど、僕の答えは決まってる。

「僕は逃げない――戦う。皆を、守る為に」

「……最期までお供いたします、ご主人様」

 アリスが僕に微笑みかけてくれた顔は、いつもよりずっと朗らかだった。

 僕と彼女の前で、夜が明けるまで続いた宴は、人生で一番楽しい時間になった。

【???】

 怖い。薄気味悪い。幽霊みたいだ。

 セルヴィッジ家に騎士として仕える僕――ヴィンセント・ロージアが今までぶつけられた言葉を上から三つ並べると、こうなるでしょう。

 無理もないことです。痩せぎすで並の男より背丈が高く、青白い肌で、陰気な表情でコートを羽織って、身の丈ほども長い剣を背負う女がいれば、騎士とすら見られませんから。

 それに、僕の本来の仕事は、表向きの騎士としての護衛ではないのです。

 僕の本当の役割。それはセルヴィッジ家の政敵を影で排除する『始末屋』。

 貴族に拾われた僕は、人を殺す術を学び、幼い頃から汚れ仕事をいくつも請け負ってきました。何人も、何十人も、現当主であるヴァッシュ様がセルヴィッジ家を支配するまでの間に、二十五歳にもなる頃には三桁を超える人間を殺めました。

 僕はもとより使い捨ての道具として育てられたのですが、虚無感だけがいつでも心の中に渦巻いていました。そんな僕に運命の出会いが訪れた日を、永劫忘れないでしょう。

 雨の降りしきる屋敷の裏庭で、いつものように古傷が開いた僕は、誰もいないところで傷を手当てしていました。医務室を頼らない、一人での治療は慣れたものです。

「……大丈夫? どこか、痛いの?」

 ふと、僕は久しくかけられなかった人の声で、顔を上げました。

 目の前にいたのは、小さな男の子。こちらを心配した調子で見つめる丸い瞳が、僕にはひどく眩しく、そして鬱陶しく見えて、邪険に接するのも無理はありませんでした。

「大変だよ、血が出てる! 待ってて、医務室から消毒薬を持ってくるから!」

 子供はまるで怯えも、恐れもしませんでした。それどころか、雨に打たれながら医務室へと駆けだし、過剰ともいえる量の包帯と軟膏、その他諸々の医療品を持ってきたのです。

 彼の手当は、お世辞にも上手いとは言えませんでした。僕が自分でやった方が遥かに効率が良いと知っているのに、なぜか僕は彼の手を止めようと思いませんでした。

 まとまらない思考で、僕は静かに彼が誰であるかを聞きました。

「僕? 僕はイーサン、イーサン・セルヴィッジだよ!」

 その時、僕は初めて彼を知ったのです。当主が語ろうとしない、二人の兄からすれば無能のセルヴィッジ家の三男、イーサン・ホライゾン・セルヴィッジを。

 手が汚れるのも構わず、体が濡れるのも厭わずに僕に献身してくださったその方は、メイドとの勉強に遅刻すると言って、手を振って走り去っていきました。

 僕がイーサン様とお話したのは、それが最後です。

 しかし、初めて触れられた手の温かさが、僕に新たな生きる理由を教えてくれました。

 イーサン様の為に、セルヴィッジ家を守るのだと。

 僕はいつものように人を殺めながら、時折メイドや召使い、街の人々と話すイーサン様を影ながら見つめ、その優しい笑顔を瞳に焼き付けるのを日課とするようにしました。あのお方が成長する姿を、僕は毎日記録として残すようになりました。

 いずれは、あのお方の傍に。その一心で、僕は一族に仕え続けました。

 だからこそ――イーサン様が谷底に落ちたと聞いた時、僕は気が狂うかと思いました。

 この屋敷からいなくなると知っただけでも吐き気を抑えられなかったというのに、まさか行方知れずになるなんて。メイドは何をしていたのか、無事でいるのか、それだけをただ毎日考え続け、ひたすらにイーサン様の無事を祈りました。

 そうしてひと月と半が経とうとした頃、僕はケイレム様に呼び出されました。

 豪奢に飾られた部屋の奥、赤いソファーにふんぞり返るケイレム様からの任務は初めてで、どのようなものかと身構えていた僕に、彼はこう告げました。

「お前を呼んだのは他でもない。実は、イーサンが見つかったんだよ」

 その報告を聞いた僕の瞳は、きっと人生で一番輝いていたに違いありません。

「まず間違いない。ランカスター領地のディメンタ村に保護されているらしい。これは父上もザンダーも知らない、俺だけの伝手で手に入れた極秘の情報だ。それを知っているのは、今のところ俺とお前だけだ」

 白い肌に赤みが増し、手が喜びに打ち震えていたに違いありません。

「そこで、だ。お前には――イーサンを殺す手伝いをしてほしいんだよ」

「……は?」

 だからこそ、僕は、自分の耳を疑いました。

 彼は、あの優しいイーサン様をわざわざ見つけ出して、しかも殺すと言ったのです。

「……どうして、ですか」

「どうして、だって? あいつが生きていると、俺としては困るんだよ。将来セルヴィッジ家を俺が支配するって時に、他の兄弟がいれば必ず障害になる」

 ケイレム様の言葉の全てが建前だと、僕には分かっていました。

「何より、俺を侮辱したあのガキがまだ生きてるなんて、それこそ許せないだろう?」

 いえ、こんなおぞましい本音を聞かされれば、全てが建前に聞こえるのは当然です。

「一族の誰にも秘密の計画だ。セルヴィッジに仕えるお前なら、従うよな?」

「……もちろんで、ございます」

 ――駄目だ。駄目だ、駄目だ、駄目だ。

 今まで僕が仕えてきたのはセルヴィッジ家ですが、それを正当に後継するのは目の前の傲慢なケイレム様でも、ヴァッシュ様に媚びるザンダー様でもありません。

 誰よりも慈悲に満ちたイーサン様こそが、セルヴィッジ家に相応しいのです。

 いいや、仮にあの人がここに戻ってこなくても、僕はあの人に仕えるべきなのです。

 この血塗られた手を拒まれるなら、影で彼を守り続けるだけでもいい。生涯でただ一人、僕の手を握ってくれた人のぬくもりを、忘れられるはずがありません。

「……僕が、イーサン様を先んじて始末します。ケイレム様はここでお待ちいただく、ということでも構いませんね?」

「いいや、俺も行く。お前が先に奴を捕えてから、俺が自分の手であのクソガキを、村であいつを庇っているカスごと惨たらしく殺してやるのさ!」

 この会話で、ケイレム様は自分の目で彼の死を見届けたいのだと分かりました。

 話を受けたその日の夜、僕は屋敷を出ました。譲歩の末、ケイレム様に三日後についてくるよう伝えて、一人でディメンタ村へと向かいました。

 当然、彼の命令など聞きません。僕の目的はただ一つ、イーサン様の救助です。

 別の貴族が治めている領地間を抜けるのは厄介ですが、これまで何度も逃げ果せようとした敵を始末する為に、抜け道を用意しているのです。距離こそあっても、ディメンタ村の周辺までたどり着くのはそう難しくありませんでした。

 数日後の明朝には、僕は村の全景が捉えられるほど近くまでやってきました。

 雨が降って足元は不安ですが、森の中でも一番長い木の上に登るのは、さほど難儀はしません。近くの魔物は既に殺してありますし、村の偵察を邪魔する者もいません。

「……ディメンタ村……聞いた話よりも、ずっと強固そうですね……」

 遠目に見える村は、辺境とは思えないほど堅牢な外壁に囲まれていました。

 ですが、あれくらいの警護であれば、容易に突破できる自信はあります。

 もしも本当にイーサン様がまだ生きているのだとすれば、僕は彼を説得して(拒まれるのであれば攫ってでも)、ケイレム様の魔の手から逃れさせないといけません。

 小さく息を吸い、僕は木から降りようと足を踏み出しました。

「……待っていてください、イーサン様……っ!?」

 だけどその時、つるりと足が滑ったのを感じました。

 体がふわりと宙に浮き、さっきまで立っていた太枝に体を打ちつける激痛が奔ります。

 雨の日の暗殺は久しかったからでしょうか。イーサン様のことばかりを考えていたからでしょうか。僕の脳は、思考は、受け身を取るのを忘れていたのです。

 そして、着地しようと体が動くより先に――僕の意識は、失われました。



「――それで、あの森に倒れていたんだね、君は」

 その日の昼食は、いつもより少しだけ違う雰囲気だった。

 というのも、普段よりも一人だけ、テーブルを囲む人が多いんだ。それはいつでも一緒にいるアリス達でもなければ、今みたいに一緒に食事をするカーティス兄妹でもない。

 僕のすぐ隣に座っている――包帯を巻いた、瘦せぎすの女性だ。

「申し訳……ありません……食事まで、いただいて……」

「ううん、気にしないで。僕にわざわざ会いに来て、しかも何か事情があるって言うなら、こうしてもてなすのは当然だよ」

「あのイーサン様が……言葉を交わせるなど、夢にも思っていなかったイーサン様が……僕のような人間を労わってくださるとは……ひ、ひひ……」

 豆のスープを飲みながら、女性はどこか慣れていない調子の笑顔を見せてくれた。

 実を言うと、彼女が何者なのかを知ったのは、今さっきのことだった。なんせ彼女は、僕とロック、メイが食料を取りに森に向かった時に、木の下で気絶していたんだ。

 ロックに知り合いか聞いてみたけど、ディメンタ村の住民ではないし、一度も見た記憶のない顔らしい。どこかの関係者かと考えてみても、真っ黒な衣服には何の紋章もなくて、どこから来たかもさっぱりだ。

 それでも、ここに放っておけば魔物に襲われるか、そうじゃなくても命の保証がない。僕はロック達と相談して、彼女を村まで連れ帰って手当てをしたんだけど、女性の顔を見た途端、今度はアリスが僕を彼女から乱暴に引き剥がしたんだ。

「前と変わらない玉のような肌……宝石すら霞む瞳……ああ、願わくば御身に一度……」

 その理由は、隣に座る彼女が僕の頬に向かって手を伸ばしてきた時にも明かされた。

「そこまでです」

 険しい顔をしたアリスとパトリシアが、僕を庇うようにして女性から引き剥がしたんだ。

 僕に触れるのを邪魔されたからか、女性は凄い顔でアリス達を睨んだ。

「貴女はセルヴィッジ家に仕える始末屋、ヴィンセント・ロージア……ご主人様を殺す為に遣わされた者であると、疑われているのだということ、ゆめお忘れなく」

「イーサン君に手出しはさせないよ。メイドだからって甘く見ないでよね」

 警戒する二人が言う通り、彼女――ヴィンセントは、セルヴィッジ家に仕える凄腕の始末屋だった。本来、パトリシアを含めた召使は彼女のことを知らされていないらしいんだけど、アリスくらい事情に精通していれば、噂くらいは聞いているらしい。

 なんでも、セルヴィッジ家には必ず排除したい政敵を影で処理する始末屋がいて、父や兄の命令一つで誰でも殺してしまうとのことだ。僕がその存在を聞かされてなかったのは、きっとまだ彼女に頼る歳ではないと判断されていたのかもね。

 そんな人物を連れてきたんだから、アリスが目の色を変えるのは当然だ。今と同じようにアリスはヴィンセントから僕を離して、彼女を自分が始末するとまで言った。

 だけど、アリスから話を聞かされた時、僕は驚くのと同時に彼女の顔を思い出した。

 幼い頃に、彼女の怪我を拙く手当したのを覚えてた。確かに幽鬼のような出で立ちであっても、僕にはヴィンセントが悪い人にはどうにも思えない。

 あの頃のヴィンセントを知っているからか、アリスが彼女を拘束してしまおうと提案しても、僕は一旦保留した。確かにセルヴィッジ家からやって来た刺客だし、ロックは外見を怖がってたけど、彼女からそんな恐ろしさを感じなかったんだ。

 彼女が目を覚ましてからは、少しだけ落ち着かせてから(なぜか僕を見てから興奮した調子で鼻血を噴いて気を失った)食事に誘った。

 彼女を寝かせたソファーの上で聞いた『とんでもない問題』を、リラックスできる環境で確認したかったんだけど、早くも事態は悪い方向に向かいつつあった。

 さっきは競り合いは起きなかったから今回も大丈夫だというのは、僕の誤算だった。

「……そんなつもりはありませんが……イーサン様との時間を邪魔だてする気なら……」

 ヴィンセントの目が細まったかと思うと、彼女はいきなり椅子を蹴り、宙を舞った。

 そして、アリス達の眼前の床を思い切り殴りつけたんだ。

「っ!?」

 次の瞬間、床の材木が粉々になって吹き飛んだ。それなりに強度のある木材で作ったはずの床には、たった一発の拳打で途轍もない大きさの穴が開いてしまった。

 よくよく見ると、彼女の拳には青白い光が揺らめいていた。恐らく、これが彼女の魔法による効果なんだろう。そうじゃないと、ただの人間がこんな怪力を発せるはずがない。

「僕の『強化魔法』で限界まで鍛え上げられた筋力……いかに貴様の体が獣の如く硬くても、床ごと叩き砕く……!」

 あまりのことに全員が唖然としていると、ヴィンセントがゆらりと体を起こして言った。

 彼女が倒れていた際に持っていた大剣を預かっておいたのは、正解だった。すっかり使い込んでボロボロだったけど、あれをそのままヴィンセントに預けていたら、今頃渾身の一撃で、家が半壊していたかもしれないからね。

 というか、既に床は吹き飛んだんだけど。これ、直すのは僕なんだよ。

「やはり、噂は本当でしたか。セルヴィッジ家でも屈指の剛力の持ち主、政敵を始末する為に育てられた騎士、『破壊者』が存在するというのは!」

 アリスの瞳が大きくなり、肌を獣毛が埋め尽くす。僕を抱えて、牙を唸らせる。

「大丈夫か、イーサン!? こいつ、かなりやべえぞ、いろんな意味で!」

「外にもうトレントを待ち伏せさせてあるわ。イーサン、ヤバいって思ったらすぐに言いなさい。魔物達に捕えさせて、近くの川に捨ててくるわよ」

 ロックとメイも臨戦態勢を取ったけど、僕はさほど焦ってなかった。

「心配ないよ。アリス、ヴィンセント、食事中に喧嘩はやめようね」

 こう言えば、ヴィンセントは大人しく言うことを聞いてくれるって分かってたからね。彼女は怖い人かもしれないけど、常識はずれな人じゃないと察せてたし。

「……かしこまりました」

「申し訳ございません……イーサン様……」

 ほらね、二人とも戦闘態勢を解いてくれた。

 アリスは僕を席に戻してくれたし、ヴィンセントはしょげた調子で椅子に座り直した。破壊された床の穴だけを残して、僕らはさっきと同じように食事を続けた。

 ただ、目的は漫然と食事を続けることだけじゃない。

「それじゃあ、食べながらでもいいから本題に入ろうか――ケイレムが、騎士団を率いてディメンタ村に迫ってきているというのは本当かい?」

 僕が本当に聞いておきたかったのは、これだ。

 ソファーに寝かせたヴィンセントが目覚めた時、彼女は矢継ぎ早にここに来た理由を話してくれた。あまりに唐突で、もう一度確かめざるを得ないような理由を。

「……確かです……僕が、その尖兵として派遣されたのですから……」

 改めていきなり訪れた村の危機を耳にして、ロック達も顔を見合わせる。

「ケイレムっていうと、セルヴィッジ家の次男で、イーサンを殺そうとしたって奴だよな? ボジューダ渓谷でお前を谷から落としたのも、そいつだったはずだぜ?」

「その通りでございます。彼らはまだ、ご主人様を諦めておりませんでした」

「どうやってディメンタ村に僕がいるのかを突き止めたのかは分からないけど、彼は僕を見つけた。そして君を先に向かわせて、僕を攫うように命令したんだね」

「はい……彼自身が、自分で殺す為に……村は、その後焼き払うつもり……でした……」

 ヴィンセントは頷いた。

 ここまで聞けば彼女は侵略の尖兵なのだろうけど、その目には躊躇いがあった。

「ですが……イーサン様はお優しいお方……僕に唯一、話しかけてくださったお方……そんな方を、殺せるわけがありませんでした……セルヴィッジ家の命令に背き、僕はイーサン様を攫ってどこか遠くに逃げようと企てましたが、足を滑らせ……今に至るのです」

 ヴィンセントが務めを果たさなかったのには、そんな事情があったのか。

「イーサン君、そんなの覚えてる?」

 パトリシアの問いに、僕は頷いた。

 彼女と会ったのは怪我の手当てをしたその一回だけだった。僕も忙しかったし、彼女も騎士としての役割があるんだろうと思っていたけど、まさか本当はセルヴィッジ家の陰に隠された暗殺者だったなんて、予想もしなかった。

「うん、何年か前にちょっとだけ、傷の手当てをしたんだ。そうだよね?」

「あっ、あっ……その通りです……イーサン様が、僕を、僕を覚えていてくださった……」

 僕が話しかけただけで、ヴィンセントはびくりと大きく震えあがった。

 まだ僕達と会話するのに緊張しているのかな。もしもセルヴィッジ家の人と会話していると考えてるなら、僕をただのイーサンだと認識してくれてもいいのに。

「イーサン、今度から優しくする相手は選びなさいよね。こんなぶっ飛んだ奴に一度好かれたら、地獄の果てまで追いかけられる羽目になるわよ」

「とにかく、あいつは懲りも懲りずに、イーサン君を狙いに来るってわけだね」

 話を戻すと、パトリシアの言う通り、ケイレムは近くこの村にやって来る。

 僕の抹殺が目的なのは明白で、ならば目標が動けば、来訪先も変わるはずだ。

「じゃあ、僕がケイレムのところに行けば――」

「そこまでだ。お前はどこにも行く必要はねえよ」

 そんな安直な考えを僕が口にしきるより先に、ロックが言った。

「あんた、自己犠牲を尊いとか思ってる節があるわよね。言っとくけど、メイ達を守るだとか言って一人で村を抜け出したら、首根っこ掴んで連れ帰って、ぶちのめしてやるわよ」

「この村にいると判明した以上、ご主人様がどこに向かわれても結果は変わりません。敵はご主人様が投降しようとしまいと、ディメンタ村を滅ぼすでしょう。それがケイレム・ターン・セルヴィッジという男でございます」

 気持ちは嬉しいけれど、それはそれでケイレムをディメンタ村に呼び込む結果を呼び寄せてしまう。もしもそうなれば、待っているのは貴族付きの騎士団との戦いだ。

 勝算がないわけじゃない。でも、ともすれば村人に被害をもたらす可能性もある。ここにいる面子だけで、早速戦いの準備を進めようと結論づけられる話じゃないんだ。

「……なら、まずは村長さんとお話をしないと」

 だから僕は、こうやって話を区切るほかなかった。

 皆もこれ以上は言及せずに、食事を再開した。

 ちなみに今日のメニューは、森で狩猟した剛毛豚のソテーに豆のスープ、村で焼いたパン、デザートの野イチゴケーキ。どれもシンプルだけどアリスが腕によりをかけて作ってくれた料理で、とっても美味しくて、食べるだけで活力が湧いてくる。

 ヴィンセントも満足してくれてるみたいで、一口食べるごとに目を輝かせてくれた。

「それにしても……こんな辺境の村に、甘味があるなんて……」

「元々、素材になる果物は森に生ってたのよ。村で加工する技術がなかっただけ」

「ま、それを街でしか見ないようなデザートって形で食えるようになったのは、イーサンの魔法と、砂糖を作るオートマタのおかげだけどな」

「オートマタ? それに、イーサン様の魔法は、確か……」

 デザートを頬張るロックの言葉に、ヴィンセントは首を傾げた。

 そういえば、ヴィンセントは僕が魔法を使えるようになったのを知らないよね。

「実際に見た方がいいだろ。こいつのおかげで、村がどんだけ栄えたかってな!」

「あはは、よしてよロック。村を復興させたいって皆の気持ちがあったから、僕も頑張れたって、それだけだよ」

 僕の笑い方も、ちょっぴりロックに似てきたのかな。明るく、素敵な笑い方に。

「……相変わらず、人にお優しい……なんと素敵なお方……」

 だからだろうね、ヴィンセントが蕩けたような顔になってるのは。

 ロックの裏表のない笑顔は人を惹きつける。真似しているつもりはないけれど、暗い表情をしている彼女が歩み寄ってくれるくらいの明るさにを、僕も彼からもらえてるんだって思うと、それだけで嬉しくなっちゃうよ。

 もっとも、ヴィンセントの接近を許さない人もいるんだよね。

「ミス・ロージア。ご主人様への不用意な接近は、極力お控えください」

 僕を挟んで、アリスとヴィンセントが火花を散らした。どうやらこの二人はそりが合わないのか、互いにけん制し合ってるような調子なんだ。

「アリス先輩、イーサン君を取り合って、ヴィンセントさんに嫉妬心バリバリだね」

「僕としては、同じ屋敷にいた者同士、仲良くしてくれると嬉しいんだけど……」

 嫉妬する要素なんて、僕にあるのかな。

 そんなことを考えているうち、あっという間に皆は昼食を食べ終えてしまった。アリスの作る料理は美味しいから、気づくと僕みたいに平らげちゃってるんだよね。

 さて、お腹も膨れたし、やるべきことは山ほどある。

「じゃあ、集会所に行こうか。村長さんなら、いつもそこにいるだろうしね」

「ご主人様、片づけは私達が行いますので、先に集会所へ」

「ううん、手伝うよ。ヴィンセントも、悪いけど食器を運んでくれるかな?」

「……はい……喜んで……」

 僕が席を立つと、皆が後片付けを手伝ってくれた。

 和気あいあいとするこの時間が一番好きなのかもしれない、そう僕は思った。



 それから少しして、僕は皆と一緒に家を出た。

 僕が住んでいる家は、アリスとパトリシアも一緒に住まうから少しだけ大きくしてある。周りとの差を設けるのはよくないと思ってたんだけど、ロック達が「領主ならいい家に住め」って言ってくれたんだよね。

 ついでに、村人も僕を見ると手を振ってくれるようになったのが、とても嬉しいかな。

「村に、活気があります……辺境とは……思えないくらい……」

 そんな僕の隣で(さらに隣にはアリスがぴったりとくっついてた)、ヴィンセントは村の雰囲気を見て驚いていた。彼女にとって、ここは辺境の寂れた村、という認識らしい。

 実際のところ、それは間違ってないかな。

 ただ、ここには僕の魔法と、村を良くしたいっていう皆の気持ちがあるんだ。

「しばらく前までは、辛気臭い村だったさ。野盗や王族と貴族の残党軍が襲撃を仕掛ける格好の的になってて、なんにもないおんぼろ村だなんて言われてたんだぜ」

「そんなディメンタ村を変えてくれたのが、イーサンよ。ほら、あんな風にね」

 メイの指さす方向に視線を泳がせたヴィンセントは、思わず立ち止まったようだった。

「……あれは……?」

 彼女が見たのは、大型のオートマタ。

 僕はオートマタを生成するときに、サイズごとに呼称を変えた。獣や人間のひざ下くらいのサイズは小型、人型サイズは中型、それより大きいものは大型。ヴィンセントが見てるのは、家屋の一階の天井に届くほどのサイズのオートマタだ。

「イーサンが作ったオートマタだよ。こいつは物の性質を変えて、別のものに変形させる魔法を持ってるんだとさ。ちなみにあの人形は、今井戸を掘ってるところだってよ」

「井戸を……?」

「野党の襲撃で井戸を壊されたからね。だから、オートマタに修復を任せたんだ」

 しかも、これに限って言えば人型じゃない。上半身は人間だけど、下半身は三つの足を持ち、中央に大きな腕や工具を備え付けてる。それが何をしてるのかというと、村人と一緒に、股下の崩れて埋まった井戸をもう一度掘りなおしてる。

 がちゃん、がちゃんと小気味良い音と共に、瓦礫を中央の腕で取り出して、村人が運んでいく。三本の足は、オートマタが重い瓦礫で倒れないようにする支柱だ。

 しかもこれには、他の重要な機能も搭載してるんだ。

「井戸の修復、とは……」

「見てると分かるよ。ほら、ちょうど掘り終えたみたいだ」

 僕がそう言うと、すっかり瓦礫や野盗が捨て入れた残骸を集め終えたオートマタが、ぐるりとひっくり返った。

 そして、勢いよく体を沈め込んだかと思うと、そのまま変形して井戸そのものになってくれた。内部までしっかり外壁として埋まってくれたから、今度はちょっとやそっとの攻撃、衝撃じゃあ壊れないだろうね。

 さて、村じゃあもうわりと見慣れた光景だけど、ヴィンセントにとっては驚きだ。

「……人形そのものが……井戸になった……!?」

 信じられないといった目で僕を見つめる彼女に微笑むのが、僕にはなんだか楽しかった。

「僕の魔法は、鉄の人形を生成するのが得意みたいなんだ。だから、そこを利用して、オートマタそのものに他の機能を持たせることにしたんだよ」

 もちろん、工事用に生成したオートマタはこれだけじゃない。よくよく見なくても、破壊された村を修復する大型のオートマタはいくつかあった。

「あそこにいるのは家を建築してて、こっちはやぐらと防壁の増築を手伝ってるんだ。水路にまだ水は引けないから、防壁だけは張り巡らせておかなきゃいけないと思ってね」

 男衆と一緒に防壁用ブロックを運んでいるオートマタは、獣のような四本脚。背中にブロックを乗せて、村人の指示に従って積んでいっている。これのおかげで、村を円形に囲む防壁の完成率は、もう八十パーセントを超えていた。

 そしてこのオートマタにも、役割を与えている。

「柱……ですか? あれは……?」

 ヴィンセントの前で、大型オートマタがガチャガチャと変形して、防壁を支える柱の姿になった。これはその役目を終えたわけじゃなくて、皆が休憩に入った証拠だ。こうして村の一部にしてしまえば、収納スペースには困らない。

 唯一のデメリットは、大型オートマタは一体生成するとマナの多くを使い切っちゃう点かな。その分、村の皆に必要な生活用品が作れなくなっちゃうんだ。

「村の開拓に併せて、解体が早くできるように専用のオートマタを補強材代わりに組み込んであるんだ。村を大きくするのは、まだまだ先の話だけど」

「ですが……これでは、村人が怠惰に……」

「メイもそこらへんは心配したわよ。特に兄貴は、イーサンと話し合ってすぐに、一日中ごろごろできるなんて喜んでたんだから。もちろん、きついお灸を据えてやったわ」

「トレントに拳骨を貰った時は、流石に死ぬかと思ったぜ、がはは!」

 ロックはけらけらと笑ってるけど、あの時は流石に僕も焦った。

 まあ、その後すぐに起き上がったんだけど。ロックのタフさは、羨ましいな。

 で、ヴィンセントの懸念している内容については、実のところアリス達も心配してたんだ。でも、僕の魔法の問題点のおかげで、それも解消された。

「オートマタはね、専門的な知識は外から取り入れないと学べないんだ。井戸掘削用オートマタは村の大人から掘り方を聞いて作ったし、建築もアリス達に教えてもらって、初めてあそこまで作業ができるようになったんだよ」

「村と共に、人と寄り添い成長する魔法……ご主人様を映す、鏡のような魔法です」

 僕とアリスがそう言うと、ヴィンセントは深く納得してくれた。

 オートマタは、放っておいても全ての仕事をこなしてくれるわけじゃないし、ましてや無限に働き続けるわけでもない。仕事は教え込む必要があるし、昼の間ずっと動かせば夜は動けなくなる。だから、考えて使用しなきゃいけない。

 ちなみに、村の皆も、オートマタを都合のいい道具じゃなく、村の一員として迎え入れてくれてる。子供は鋼の体を拭いてくれるし、オートマタも感情があるみたいに、老人の生活を補助したりしてくれる。

 僕が思っている以上に、魔法と村の共存は上手くいっていた。

 おんぼろ村と呼ばれていた頃のディメンタ村は、もうほとんど残っていない。この調子で作業が進めば、村の経営について、外にも目を向けられるようになる。

「ま、ここは俺達が命がけで守るって決めた故郷だからな。オートマタだけに仕事を任せるような奴は、ディメンタ村にはいねえよ」

 ディメンタ村の人々と機械の力、二つが合わさって、開拓は進んでゆく。

 だけど、僕とロックの夢はまだ止まらない。

「本当はもっとやらなきゃいけないことは多い。でも、元々自然の恵みを多くもらえる村だから、こうして生活の利便と防衛基盤を固めるのを優先したんだ。水や食料に困らないのは、ありがたいことだよ」

「いつかは商業都市と王都を行き交う商人達も、立ち寄ってくれるといいよな! 特にここをおんぼろ村だなんて言った奴が、顎が外れるほど驚くのを見るのが楽しみだぜ!」

 僕とロックは互いに顔を見合わせ、にっと笑った。

 とっくの昔に、ロックの夢は僕の夢になってたんだ。

「それに僕は、将来的には村の中や商業都市に名産品の店を開くことも考えてるし、ディメンタ村のように襲われて追いやられた人を迎え入れようとも思ってる。ここはもっと大きくなれるし、もっと便利にもなって、皆を笑顔にできる優しい村だよ」

 この村は、とても優しい村だ。

 僕を迎え入れてくれた、いつでも笑顔が溢れている村だ。かつては旅人を住民として迎え入れたケースも多かったみたいだし、今回もそれくらいの余裕ができればいいな。

 とはいえ、今回はその夢を叶える前に、とても大きな障害が残っている。

 ケイレムが三日後には村にやって来る。対策できなければ、村は焼かれ、命は絶える。
「だから、だからこそ、守らなきゃいけないんだ」

「ご主人様……」

 それだけは何としても、僕の命に代えても止めなきゃいけない。

 僕の顔がちょっぴり神妙になったのに気付いたのは、アリスだけだった。

 そんなことを考えながら歩いていると、集会所の前に着いた。

「……着いたよ。ここが村の集会所だ」

 いつもなら集会所の中で、村の数少ない子供達への教育を受け持っているレベッカ村長だけど、今日は建物の前の椅子に腰かけていた。きっと、子供達は別のところで遊んでいるんだろう。

 ちょうどいい。人が多いのに比べれば、ずっと話しやすい。

「おや、どうしたんだい、皆揃って……」

 いつもの朗らかな村長さんの笑顔が、僕らの顔つきを見て変わった。

「レベッカ村長、話があります」

「ふむ、随分と神妙な顔だね。何か、トラブルでも舞い込んでくるのかい?」

 僕は小さく息を吸って、吐いて、はっきりと告げた。

「はい、皆を集めてほしいんです――村の存亡に関わる、重大な話をします」

 レベッカ村長の顔色が、明らかに変わった。