昨日の事。私は学校から下校中、道に迷ってしまった。寄り道とかはせず、真面目に帰路を歩んでいたはずだったのだが、しかし、道に迷ってしまった。いや、迷ったというより、廻ったと言った方が適切かもしれない。
私の帰り道には、周りが家々に囲まれている十字路がある。お地蔵様が設置されているその十字路を右に曲がり、そのまま一直線にしばらく歩くと自宅が見えてくるはずなのだが、昨日は違った。
数分歩くと、あのお地蔵様の姿が再び見えてきたのだ。十字路に戻ってきている。
最初は気のせいだと思った。疲れていて、認識がおかしくなっているだけだと。けれど何周も何周も同じお地蔵様を見せられ通り過ぎていれば、いくらとろい私といえども分からせられてしまう。
廻っている。まるで立方体の建物の周囲をグルグルと歩いているような、そんな感覚。
鞄からスマホを取り出して確認してみると、圏外だった。通話もできず、マップ機能もバグっていて使い物にならなかった。唯一使える機能といえばカメラとメモ。住宅街のど真ん中で私は遭難していた。
何度目か、何周目か、もう数える事すら億劫になるほど歩き続け、ある一つの妙案が頭に浮かんだ。妙案というか、天啓。疲弊し切った私を憐れんで、神が与えてくれたたった一つの冴えたやり方。ティプトリー・ジュニアも目を白黒させる解決策。未読だ。
それは──お地蔵様にお供え物をする事だった。
神頼み。神に媚びを売って解決してもらうという、一周回って誰も思いつかないような策だった。とりあえず私は鞄の中に偶然入っていた塩をひとつまみお供えしてから手を合わせ、再度歩き始めた。十字路を右折して、自宅があるはずの一本道を進む。晴れ晴れとした気分だった。これはもう解決したも同然と思い小走りで、果てにスキップして進んでいた。しかし……何も解決しなかった。再びあのお地蔵様が見えてきたのである。
落ち着け私。
奇怪な事態に直面して、混乱してしまっていた。冷静な判断が出来ない程に、疲弊していた。神頼みなど、普段の私なら絶対しない。ともかく落ち着いて、状況を判断して分析しなくてはならない。どんな物事も、しっかりと順序建てて紐解いていけば、いずれは解決出来るのだ。
数分前に私がお供え物をしたお地蔵様に目を向ける。見た瞬間にハッキリと、違和感があった。この異様で奇怪な現象の最中でも、ハッキリと認識して説明できる違和感。
私がお供えした塩が消えていたのである。それを見て私は、ハッとした。
私が今こうして歩いている、数分前に通ったはずの道というのは、数分前とは違う別の道なのではないか? と、そう考えた所で私は考えるのをやめた。無理だ。沼にハマって死にたくなりそうだ。先刻、神頼みまでする程に追い詰められたのだ。死にたくなるというのもなかなかシャレにならない。
歩き続けるしか無いと思った。念の為、通る事にお地蔵様に一つお供え物をして十字路を曲がる事にした。塩から始まり水筒に残っていたお茶、シャーペン、消しゴム、目薬、エトセトラエトセトラ。果てには下着まで供えるまでに至った。全て消えていったが。
手持ちがどんどんと消えていき、遂にスマホを供える事になった。使い物にならないと言えど、女子高生である私がスマホを手放すには、少し抵抗があった。しばらくして決意を固め、スマホをお地蔵様の前に置いて歩みを進めた。
決意も虚しく、私は再びその十字路に戻ってきてしまった。何度も見た景色である。しかし今回は、いつもと違うものがあった。スマホである。スマホがまだお地蔵様の前に置かれていた。先程と寸分違わない位置にスマホがあった。私がスマホに何かあると確信した瞬間である。
神はいたのかと涙しそうになったが、よくよく考えたらこのお地蔵様、私の下着を持っていってる時点でこのスマホ放置は当然の報酬とも言える。これこそ天啓だ。このスマホを利用してこの迷宮から脱出しろという事だろう。
このスマホの中で使い物になる機能、カメラとメモだけ。
とりあえず、この住宅街の風景を撮影してみようと思い立った。それしかする事が無かったというのが本音だ。ともかく、撮影してみた。
写真を撮った後に確認出来る、GPSを利用した撮影場所検索を利用すれば、現在位置を把握して何か突破口が見えてくるかもしれない。しかしまあ、マップ機能がイカれていた時点で望みは薄かったのだが。
お地蔵様と、そして進行方向の道を撮影する。風も無く音の無い世界にシャッター音だけが反響した。保存が完了して、フォルダを確認する。
目を疑った。
確かに私は、お地蔵様と住宅街の風景を撮影したはずだった。我ながら綺麗に撮れていると思っていた。しかし、保存されていたその写真は二枚とも『真っ黒』だったのである。
「どうして下着は抵抗無くお供えしたのにスマホで渋ったのか、そこはとりあえず置いといて……」
私の相談に乗ってくれた彼は、開口一番、若干引いた様子でそう言って更に続けた。
「妖怪のせいだねそれは」
「妖怪のせい?」
何でもかんでも妖怪のせいにするという流行りは、とうの昔に過ぎ去ったはずだが、しかし彼の真剣な表情を見る限り、本気らしい。
まあ私も、それとなく『そういった類』のせいだとは思っていたけれども。
「その写真を撮って確認した時には既に、家の前に着いていたんだよね?」
「うん」
私はスマホで撮影した例の写真を彼に見せながら答える。
「ふむ……やはり君が迷い込んでいた道は、その妖怪が作り出した異界だね。無限に同じところをグルグルと歩き続ける、そんな世界だ」
なるほど。つまり私は、知らず知らずのうちにその妖怪の術中に嵌ってしまっていたということか。しかし、彼の解釈を聞く限りでは、私が昨日体験した出来事とは矛盾が生じていた。
「でも私、こうして帰れてるよ?」
「君は運がいい。きっとその妖怪は生まれたばかりだ。生まれたばかりだから、名前も、形も、知名度も無い。だからこそ、君は帰されたんだ」
……つまり?
仮にその『生まれたばかり』というのが合っているとして、何故それが私の生還に繋がるのかは分からなかった。その疑問が顔に出ていたのか、彼は続ける。
「妖怪の知名度っていうのは、イコールでその妖怪の力になっていて、そして妖怪が存在している理由にもなっている。人あるところ、妖怪あり。人間に名前を付けられて、形を想像されて、それが広められて、初めて妖怪は妖怪として存在出来るんだ」
不安や恐怖心、何か壮大な異常現象に直面した時、それが人間の想像の範疇を大きく外れていたら、きっと自分たちよりもっと大きな存在のせいであると思ってしまうだろう。雪女とか、魃とか、それらの妖怪も、一説では異常気象から想像され作られた妖怪であると聞く。
「僕が思うに、昨日君のことを迷い廻らせた妖怪は、その写真を使って多くの人間に自分のことを広めて欲しいと思ったのではないかな。だからスマホを取り上げる事はしなかったし、写真を撮ってくれたから帰したのだと思うよ」
「私は生まれたばかりの妖怪に利用されてるって事ね」
「そういうこと。実際に君、こうして僕に相談しに来てるからね」
現在進行形で私はあの迷惑な妖怪に利用されている。こうして彼に相談した時点で、私は彼奴の布教に加担してしまっている。なんか悔しい。下着を取られ、その他諸々、所持品が取られてしまい、挙句上手いこと利用されてしまっているとは。
「もう今日は帰る。帰ってすぐ寝る」
「そう、じゃあね」
イライラしてきた。だからといって復讐を行える程、私は人間を辞めていない。せめてもの抵抗として実行出来るのは、今回の件を広めないことだ。そうすれば彼奴を知っているのは目の前の彼と私だけ。聞いた理論から行けば、きっと彼奴は自然消滅しているだろう。
ということで、私は今回の件に蓋をして封印する事にした。二度とあの不思議体験を誰かに語ることは無い。語ってやるものか。絶対に広めたりしない。さっさと消えろ。死ね。
そう決意して帰宅した。前日とは違い、道に迷うこと無く自宅へと帰り着くことが出来たのだが、入口のドアに手をかけた時、足元に何かが飛んできた。見れば青色の生地。
「は?」
その生地のフォルム、非常に見覚えがあった。昨日私がとち狂ってお地蔵様にお供えした下着。それがどこからか飛んできたのである。
一人につき一個か……報酬のつもりだろうが、とてもイラッとした。