人から聞いた話 パート2


 僕はバレンタインデーというイベントが嫌いだった。
 妻となるカノジョになる人と出会うまで。

 2月14日、本当に学校で机や下駄箱の中にチョコなんて入っているのだろうか。
 そんな奇跡みたいなことが、起こるのだろうか?
 なんて、都市伝説みたいに思っていた。

 中学生ぐらいの時に、6歳年上の大学生の兄に聞いてみた。

「ねぇ、兄ちゃんってさ。バレンタインチョコを付き合ってない人から、もらったことある?」
 すると、兄は渋い顔をしてこう答えた。
「もらわなかったが、一度だけ、中学生の時にバレンタインデーに告白されたことがある」
 僕は驚きを隠せなかった。
「えぇ!? すごい! 兄ちゃんってモテたんだね!」
 だが、兄は大して喜ぶ素振りも見せず、首を横にふる。
「俺のは……モテるとのは違う。クラスの人気者的キャラで、異性としては見られなかった」
「でも、もらえたんじゃん! 僕なんか一個もらったことないよ」
 兄はため息まじりにこう答えた。
「はぁ……あの時、お前は家にいなくて、知らんと思うが、その子はうちまで届けに来たんだよ……」
 僕はそれを聞いて、なんてロマンチックな展開だと、更に話の続きを期待する。

「それでそれで? どうしたの?」
「告白されたけど、断ったし、チョコも受け取らなかった」
「えぇ……」
「だってよ。カバみたいな顔をした子だったんぞ」
 酷い言い方だなと思った。

「でも、断ったしても、チョコをもらってあげても良くない?」
 経験のない僕からしたら、憤りを隠せない。
「もらったら、ワンチャンあると思われたら嫌だろ?」
 冷たい目をした兄がいた。
「ひどっ。それで、その子どうなったの?」
「ボロボロ泣いてたな。『どうしてもダメですか? もらってくれませんか?』ていうけど、断固として拒否した」
「えぇ、かわいそう」
「あのな。好きでもないのに、付き合うなんて、その子にとっても悪いだろが」
「でも、もうちょっと優しくしてあげても……」

 バレンタインデーって、とても残酷な日だなと、思いました。
 付き合っている人、カップルならば、幸せを分かち合える一日ですが。
 好きな人に玉砕覚悟で告白する女性にとっては、不幸を呼び寄せる一日なのかもしれません……。

 僕が大学生の頃、とあるリサイクルショップでバイトをしている時。
 同じ時期に入った若い女の子がいました。

 お互いに自己紹介をして、「前職は?」と聞きました。
 僕はスーパー。
 彼女はコンビニ。

 僕はコンビニで働いたことがないので興味があり、「どんな感じで働くのか?」と尋ねました。

 すると彼女は、
「正直気持ち悪い」
 と渋い顔をします。

 辞めた理由もトラブルだと言う。

 彼女曰く。
 レジを担当していると、いつも声をかけてくる中年のお客さんがいて。
「おつかれさん。今日もがんばっているねぇ」
 と缶コーヒーを二つカウンターに持ってきて、一つは彼女に差し入れとして、毎回もらっていたそうな。
「ありがとうございます~!」
 そんなやり取りが毎日、続いて。

 なんか、グイグイ前のめりで、カウンター越しに話しかけてくるから、ちょっと居心地が悪くなりだしたそうな。

 日に日に、その距離は近づいていき、会話は彼女の容姿に変わっていく。
「ねぇ、君の……長い髪。艶があって本当にキレイだねぇ。僕、スキだよ」
「あ、ありがとうございます」
「はい、今日のコーヒー」
「いつもありがとうございます……」
「いいっていいって」
 当時、黒髪の女性は珍しく、金髪や茶髪が流行でした。
 僕も確かに染めてない女性を見るのは、久しぶりで、清楚な感じを覚えました。

 ある日、彼女は少しだけ長い髪を切ってきたらしく。
 気分転換にもなって、鼻歌交じりで本のコーナーで、腰をおろして商品を並べていると……。
 すぅーっと、肩に何が触れる感触が。
 振り返ってみると、背後にいつものコーヒーおじさんが立っていて、自身の髪を手のひらで確かめていました。
「ダメじゃないかぁ~」
「え……」
 少し短くなった髪の毛を指で撫でまわし、怪しく微笑む。
 この時、彼女は恐怖から鳥肌が全身に回ったそうで。

「あんなにキレイな黒髪を勝手に切っちゃ……」
 言いながらもずっと、毛先を触り続ける。
「あ、あの……」
「今度切るときは、僕の許可をとって切るんだよ。切りすぎだよ」
 恐怖からなぜか謝ってしまう。
「す、すみません!」

 そして、彼女はその日のうちに、店長にコンビニをやめることを伝えたそうです。

 リサイクルショップでバイトをしていた時、店長にいつも厳しく注意されていたことがある。

「この店で一番高いのは、ブランドもののバッグだ。扱いには慎重に」と。

 ヴ●トン、エル●ス、プ●ダ……その他にもいろいろ。

 レジカウンターから一番近いところに、ズラーっとガラス製のショーケースに並べられている。
 ブランドものに疎い僕は、その価値がさっぱりわからない。

 だが、たまにケースの中を開いて、埃がたまらないように、掃除することがある。
 その際、ガラス戸に、錠前がついており、一々店長から専用の鍵を借りないといけない。
「味噌村くん、扱いには本当に注意してよ。君の給料の何か月分もあるんだから」
 と釘を刺される。

 鍵を開ける際も、防犯用のブザーが備え付けられていて、それを解除しないとアラームが鳴ってしまう。
 ショーケースが6個ぐらいあるんだけど、その度に鍵とブザーを外すのが面倒だ。

(一体、こんなバッグにどんな価値があるのだろう)

 そう思いながら、厳重に保管されているバッグを手に取ってみた。
 この際も、指紋や手の脂などが付かないように、白い綿手袋を両手にしている。

 値札を見れば、確かにものすごい桁が……。

(さ、三十万!?)

 中古とはいえ、店にある家電より高い。
 それが何十個も店内に。
 総額にしたら一体いくらになるんだろう……なんて考えると、手が震えだす。
 店長が厳しくなるのもわかる。

 ある日、買取したはずのブランドバッグが山のように投げ捨てられていたところを発見。
 雑に扱われていて、僕はビックリした。

 店長に尋ねると、
「これは偽物。だから、処分してる」
 らしい。
 興味があった僕は、店長に聞いてみた。
「どうやって偽物か本物か、確かめているんですか?」
 すると店長は、自身を持って語りだす。
「大体は正規店で購入したものなら、証明書みたいなのが入ってる。あとで売る事も考えている人は、箱ごと保管してるから、それが一番わかりやすい」
 店長に見せてもらうと、確かに審査中の商品は、しっかりとした箱と保証書みたいなのが入っていた。
「でも、それ以外にも見分ける方法はある。肌ざわり、ロゴマーク、生地。これは社員だけしかできないもの。特別な訓練を受けてるからね」
 と説明を受けた。


 数日後、同期の女の子が買取カウンターで、顔見知りの男性と駄弁っていた。
 僕は近くで、買い取った商品に、値札をつけたりしている。
 どうやら、地元の幼馴染らしく、かなり話が盛り上がっていた。

 僕もチラっとそのお客さんを覗いたが、なんだかホスト風の胡散臭い人に見えた。
 ニヤニヤ笑って、ブランド物のバッグを買取審査に出している。

 そのあと、僕と同期の子は仕事を終え、事務所に戻る。
 エプロンを脱いで、タイムカードをつけていると、どうやら同期の子の様子がおかしい。

「どうしたの?」
「いやぁ……私、怖い事聞いちゃって……」
 
 顔面真っ青になっている。
 僕は心配だったので、彼女から話を聞いてみた。

 彼女曰く。
 お友達は別のリサイクルショップで働いており、彼もまたブランド物にかなり知識があるようだ。
 その店でも偽物は買取しないで処分するルールらしい。
 だが、たまに正社員でも中々見分けるのが難しい、偽物が存在するようで。
 廃棄が決まった偽物を黙って持ち出し、この店で何回も買い取りしてもらったそうな。

 三十万以上もする販売価格のものなら、買取価格は十万円ぐらいは受け取れる。
 彼が言うには、正社員とはいえ給料が少ない。
 だから……
「この店でかなり儲けさせてもらった」
「ここの社員、結構見る目ないよ。ヘヘヘ」
 と笑っていたそうだ。

 同期の子が言うには、店のショーケースに並んでいる高級ブランドバッグの中に、何個、いや何十個も、偽物が混ざっているらしい……。

 だが既に時遅し。
 買い取った分はこちらに責任があるが、もうお客様に販売してしまったものが相当な数があるようだ。

 それを考えると、僕と同期の子は震えあがった。
 怖くなった僕とその子はすぐに店を辞めた。

 その後、勤めていたリサイクルショップはすぐに閉店し、偽物を売りつけてきた側のリサイクルショップの方は、今でも現役だ。
 

 僕は昔から採血が苦手というか、怖いわけではないですが……。
 というのも、採血される際に、腕に血管というのでしょうか?
 あれが浮かびにくい身体でして。
 母がそうらしくて、どうやら遺伝みたいです。

 小さい頃、アトピーが酷くて、その治療法として、食事制限などの治療を主にした病院に行ったとき。
 若い看護婦さんが、採血をしてくれたのですが。(多分新人さん)
 中々、血管に入らなくて、針を刺しちゃ抜いてを繰り返すこと、5回。
 僕は注射などで泣いたこともなかったのですが、さすがに6歳でしたので、号泣してしまいました。

 院長が
「ごめんねぇ。この看護婦さんにさせてあげてねぇ」
 と優しく僕を励ましてくれるのですが、いつになったら、この拷問は終わるのかと恐怖を感じました。
 もちろん、看護婦さんも必死に挑戦してくれていたのですが。
 結局、血管に入るまで、相当刺されました。

 それから、大きくなって。
 僕はたまに看護婦さんから言われます。
「いつもどこから打ちます?」
 このセリフを言われた瞬間、ヤバイかも? なんて不安がよぎります。

 もう大人になったので、泣きはしないのですが……。
 三回打たれて、
「私怖い!」
 なんて逃げ出す人がいるんです。
 そして、別の人にチェンジ。
「ダメですねぇ……」
 酷い時は三人、四人も交代されて。

 上手い人は一発で見つけてくれますが。
「ここにあるじゃない! あんた、打ちなさい」
「ええ、怖い~」
「今ここでしなかったら、トラウマになるわよ!」
「いやぁ、ドキドキするぅ~」
 なんて僕の目の前で言われ、結局、一番最初の人に、僕は実験台みたいに扱われるのです。

 もう慣れっこなので、別にいいのですが。
 とまあ、ここまでが前振りです。

 僕の母の友人に看護婦さんがいて。
「幸太郎ちゃんって注射で泣かない? 大きい男ほど泣くんだよ」
 と煽ってきたので、僕は激怒します。
 散々、採血でたらい回しにあっている身なので。
「はぁ? 泣くわけないじゃん! こちとら、何回も打たれまくってんだから!」
 なんて反論すると、その看護婦さんは「ごめん」と素直に謝罪されたというか、申し訳なさそうにしていました。

 僕の幼馴染に看護学校へ入学した女の子がいます。
 で、卒業となって、一つ不安なことがあると……。

 先ほどの先輩看護婦さんとは、共通の友人関係でして。
 僕の実家に集まった際。
「おばちゃん、私怖いわぁ」
「なにが?」
「注射とか採血。実習してないんよ」
「それは現場で覚えるもんだから、仕方ないよ」
「怖ぁい!」
「恐怖は慣れるしかない。こればっかりは、場をこなすしかないよ」

 一連の会話を聞いていた僕は、おばさんに質問しました。

「あのさ。看護学校で実習って一回もしないの?」
「うん。基本ないね」
「じゃあ職場で覚えるものなの?」
「そうだよ」
「……」

 これは20年ぐらい前のお話です。
 今は実習で覚えているかもしれませんね。

 ちなみにですが、最近血管を出すいい方法を習いました。
 腕を下に降ろして、グーパーを繰り返すと、看護婦さんはやりやすいと聞きました。
 本当に効果があるかは、知りませんが……。

 乳がん……それは女性に取って、とても残酷で辛い病気、症状なのかもしれません。
 男の僕には、女性の大事な身体の一部を、切除するかもしれないと思うと、胸が痛みます。

 パートナーである奥さんのことを心配して、割と若い頃から、定期的に乳がん検診を受けるように、提案していました。
 僕たち夫婦が選んだ病院は、名医と呼ばれる医師の方がいまして。
 奥さんはマンモグラフィーなどの検査をえて、最後にその名医に触診をされ、結果は問題なしとのこと。

 僕たち夫婦は安堵しました。
 信頼できる名医だと思います。

 しかし、その話を妻の母に話すと、
「え、あの先生に診てもらったの?」
 と絶句されました。

 理由を尋ねると。
「自分のお友達の旦那さんが、その名医といとこで昔から仲良くしていた」
「いとこの人曰く、幼い頃からものすごく性欲が強い」
「裏ビデオを収集するのが趣味で、たくさん持っている。同じ医者の一族だけど、毎回見せてくるのがおっぱいものばかり」
「会うたびに『ヘヘヘ、新作見てくぅ?』とすすめてくる」
「いとことはいえ、乳がんセンターに志望したのは、ひょっとして……」
 という裏情報を聞かされました。

 そのいとこも医師らしいですが、自分の奥さんには「あいつには診てもらうな」と注意されたそうな。

 僕はそんなことを聞いたら、恐怖を覚え、妻に「触診の際、変なことはなかったか?」と恐る恐る尋ねます。
「全然ないよ。すぐに終わった」
 と答えてもらったので、少し安心しました。
 奥さんは笑ってこう言います。
「多分、あれじゃない? 好みのおっぱいじゃなかったんだよ」
「……」

 妻は腕は確かだと言い、定期的に検診させてもらっております。

 ちょっと、女性が読まれる際は、不快に思われるかもしれないので。
 ご注意を……。

 
 男性の……性器に関しての話です。
 女性にはあまり問題のないこと、というか。
 世の男性陣からしたら、かなり深刻な問題かもしれません。

 要は、性器の皮がむけるているか? ということ。
 思春期になれば、少年たちはお風呂で夜な夜な
「あいててて!」
 なんて、そういう作業に、チャレンジするとか、どうとか。

 日本人の9割以上は、仮性包茎だとか。
 ちょっと、データがないので、よくわかりませんが。

 で、生々しい話ですが、僕は手術した側の人間です。
 結構多いんです。
 やはり自信をつけるためとか、パートナーができてから、悩んで病院にコッソリと行く人々が。

 そこで、僕は友人に聞くと、
「ああ、俺の周りにもしたやついるね」
 と答えられました。
「そっか。結構多いんだね」

 その友人は、自らの意思で手術をしていないと語り。
「切ればいいってもんじゃないと思うけどな」
 と持論を展開。
 僕は疑問に感じ。
「どうしてさ? 最初からない方が思春期に痛い思いとか、恥ずかしい思いしなくてもいいじゃないか?」

 実際、手術をするとなると、子供のうちにやっておかないと困ると思うのです。(夏休みとか)

 仕事を休むとして、上司に
「すいませーん! 包茎手術するので二週間ぐらい休暇くださ~い!」
 なんて言えないでしょう。(特に身体を動かす仕事)

 だから、僕は友人の考えに、反論すると。
「いやさ。俺の中学生の時の友達でさ。いたんだよ。自然にキレイにむけたやつがさ」
 彼は苦い顔で語りだしました。
「よかったじゃん」
「違うよ。林間学校の時だったか、みんなで風呂入るだろ? その時にみんなにバレてよ」
「うん」
「それ以来、そいつのあだ名。三年間ムケ川だぜ?」
「えぇ……」
「だから恋愛とかもなかったんじゃねーか。女子からも言われてたしさ。ムケ川だぜ? 俺だったら、中学生3年間もそんなあだ名つけられるの嫌だね」
「そ、そうなんだ」
「うん。ムケたからっていいもんじゃないと、俺は思うぜ? パートナーできてから、手術した方がいいんじゃないか?」
「……」

 僕は子供が二人いますが。
 妻と妊活中、ずっと話し合っていました。
「生まれた瞬間に切るか?」
 奥さんは
「えぇ、かわいそう……」
 と拒否されましたが、娘なので、その心配はなくなりました。

 僕には年の離れたいとこがいます。
 16才差ぐらいでしょうか?
 母方のいとこで、叔母の娘なのですが、年が相当離れているから、姪っ子感覚です。

 叔母は結婚を実母、(僕の祖母)から、かなり反対されていたので、結婚が遅かったらしく。
 でも、今の旦那さんはとても温厚な人で優しく、年をとってもずっとラブラブ。
 僕は夫婦として、とても尊敬しています。

 僕からしたら、叔父さんなのですが、とにかく優しいです。
 いつもニコニコ笑っていて、
「幸太郎くんも酒飲まない?」
 なんて気づかいできる素敵な男性。
 子どもたちもあまり叱らないし、奥さんのことを愛してるし、なんていいお父さんなんだろうと、いつも感じていました。

 ある年のこと、僕はお盆に母と兄と三人で鹿児島に帰省しました。
 その時に、いとこちゃんも来ていて、僕もあまり飲めなかったけど、宴会だったから、コークハイを軽く飲んだりして。
 そして、ちょっとシャイな、いとこちゃんは、この時小学校の3年生ぐらい。

 僕が交際中のカノジョ、(現在の妻)とメール交換していると、叔母さんにイジられて。
 お返しにいとこちゃんに話を振ります。
「あのさ、僕は今カノジョいるんだけど、いとこちゃんはクラスに好きな人いる?」
「い、いないよ……」
 これは怪しいと思い、ちょっといじってみたり。
「ウソぉ~? 僕なんて小1の時には好きな子いたよ?」
「……」
 黙りこんでしまう、いとこちゃん。

 そして、それまでニコニコ笑っていたおじさんも、無表情で酒がストップしてしまいました。

 (あれ? なにかいけないこといったかな?)

 なんて思っていると、母親である叔母さんがフォローに入ります。
「いとこちゃんは、あれよね? パパが世界で一番好きなんだよね?」
「う、うん!」(おじさんをチラ見して)
 その答えを聞いて、またニコニコの仏顔に戻るおじさん。
 酒がグイグイ進む。

 僕はおかしいと思い、再度ツッコミを入れてみました。

「その好きは別の意味でしょ? パパ以外の男の子だよ? いるよね?」
「い、いないよ……」(おじさんを二度見して)
 またしても、表情が固くなるおじさん。

 そしておばさんが、言います。
「違うもんね? そんな子いないよね? いとこちゃんはパパと結婚するんだよね?」
「う、うん!」(おじさんをチラチラ見て)
 ニコニコ笑って頷くおじさん。焼酎が進む進む。

 (えぇ……マジか。この親子)

 僕はそれ以来、彼女に異性の話を振らないようにしました。

 それから時は経ち、彼女が僕よりも背が高くなり。
 厳重な管理下の元、勉学とスポーツに励む女子高生へと成長。
 携帯電話も持たされず。

 そして、帰りはいつも父親であるおじさんが車で迎えにいくのです。

 ここで、勘違いしないで頂きたいのは、おじさんといとこちゃんの親子関係はとても良好です。
 真冬の朝、寒いからと、いとこちゃんがおじさんの部屋に入ってきて。
「パパ寒い~」
「おぉ、いとこちゃん寒いのぉ? パパの布団の中においでぇ~」
 と思春期の父娘とは思えないぐらいの仲良しなんです。

 その日もおじさんは、ニコニコ顔で愛娘を迎えにいきました。
 校門の前で、車を停めて待っていると。

 セーラー服を着た愛娘が、学ラン服の男の子(イケメン)と何やら、仲良く話している。

「!?」

 おじさんはきっと情報を一切遮断されていたのだと思います。
 激しく動揺し、頭がパニックになっちゃったようで。

 おじさんに気がつく、いとこちゃん。

 (あ、見られた)

 車内に乗り込むと。
「た、ただいま。パパ」
「うん。おかえり……」
 案の定、様子がおかしい。
 いつもなら、駄弁りながら、帰路を楽しむというのに。

 沈黙が続く車内。
 いつもより、運転が荒く感じたそうです。

 おじさんはハンドルを強く握りしめ、アクセルを踏み込み、猛スピードで県道を突っ走るのです。
 5分ぐらいの間だったのですが、初めてキレる父親の姿にいとこちゃんは、戦慄を覚えたそうな。

 たまたま、その日は奥さんであるおばさんを近くで拾う予定だったので、車を停めておばさんが車内に入ると、異様な空気に気がつきます。

 沈黙の中、車は猛スピード山道を走り抜ける。
 危険を察知したおばさんが、いとこちゃんに理由を聞くことに。

 先ほどの男の子の名前を聞いて。
「あぁ、あの子ねぇ。いとこちゃんの部活の関係で先輩なんだよね? だから、挨拶程度の関係だったよね?」
「う、うん。そうそう!」
※二人で話を合わせた可能性あり。

 すると、鬼の顔だったおじさんは、いつものニコニコ顔に戻り。
「そうかそうかぁ~ ねぇ、いとこちゃんはまだまだパパと結婚したいのかなぁ?」
「う、うん! 約束だからね」
 車は通常運転となり、車内は一気に平和なムードになったそうで。

 余談として、いとこちゃん曰く。
「生きた心地がしなかった」
「あの日、お母さんが一緒にいなかったらと思うと……」

 成人したいとこちゃんは、元気に働いており、未だに彼氏とか一人も噂が届いてきません。
 (情報規制の可能性あり)

 僕も娘が二人おりますが、その時がくれば、泣きながらお酒を飲んでいると思われます。

 1970年代。
 日本は高度成長期に入っていた……と思われます。
(作者が生まれてない時代なので、詳しくはわからないです)

 親父とお袋がまだ結婚したての頃。
 多分20代前半だと思われます。

 僕にも詳しい話は教えてくれなかったのですが。
 きっと父方のおじいちゃんの親戚の話。

 親父たちが生まれ育った街は、工場とか炭鉱とか港の仕事。
 いわゆる、ブルーカラーの人々で栄えていた街で、うちの親戚はみんなほぼ同じ系列会社で働いていました。

 おじいちゃんもそのうちの一人で、ほとんどが大きなグループの傘下にあった子会社ばかり。
 まあ血の気が荒い男たちでした。

 そして、親父からしたら、叔父にあたる人だと思うのですが。
 
 働いていた会社の慰安旅行によく参加していたそうです。
 その旅行先というのが、東か南あたりのアジア圏、某国だと聞きました。
 おじさんと会社仲間の人たちは、帰ってくると。
 いつもニヤニヤ笑って、同僚のおじいちゃん家にお土産を持ってくるらしいのですが。

 それを見た若かりし頃の親父は
「チッ!」
 と舌打ちをうって、その集団を睨むらしいのです。

 理解できなかった新妻のお袋が、
「どうして怒っているの?」
 と尋ねます。
「ありゃ、ただの旅行じゃない。一族の恥だ」
 なんて捨て台詞を吐いたりして。
「え? 慰安旅行でしょ? なにが恥ずかしいの?」
 親父はため息を吐き、お袋に説明をします。
「はぁ、お前は女だからわからないのだろうけど……ありゃあ、ただの慰安旅行。海外旅行じゃない。買いに行ったんだよ」
 察しの悪いお袋は首を傾げます。
「え? 買う?」
「わからん奴だな。女の子とそういうことをするために、比較的安い某国に集団で遊びにいったんだよ……」
「あっ、そういうことね」

 ですが、ここでお袋は疑問が残ります。
 確かにおじさんは、妻帯者ですが、
「まあ男ならそんな遊びもするのでは?」
 と思ったそうで。

 実際、僕の親父もきっと経験してるはずです。(多分、豊富)

「そんなに嫌うこと?」
「年齢だよ……日本とは違うだろ」
「あ……」
 ここでようやく理解したお袋でした。

 甘い石鹸の香りで、ホクホク顔で帰国した集団を見て、お袋は軽蔑したそうです。

 後に、僕はこの話を聞いて、よく理解できませんでした。
「その話、なにが悪いの?」
「遊んだりしてたお父さんでも、ドン引きするぐらいの年齢ってこと。わからない?」
 中学生ぐらいの時に教えてもらったので、僕は首を傾げていました。
「へ?」

 大人になった今ならなんとなくですが、想像できます。
 多分、当時の日本の感覚なら。
 中学を卒業したばかりの女性がいたとして、15歳、16歳ぐらいで成人感覚で扱われていたと思います。
 早い話、嫁いだり、集団で就職したり。

 ということは、日本国内でも16歳ぐらいの若者が、そういう街で働いていても不思議じゃない時代……な気がします。

 キャバクラやピンクの接待を楽しめた親父ですら、軽蔑する年。
 一体いくつなのでしょうか?
 その、おじさんという人の好みが、もし16歳よりも、もっともっと下の世代だったら……。

 僕はこれ以上の想像を……やめました。