僕は中学二年生の頃に、一般の中学校から、特別養護学校に転校しました。(現在でいう特別支援学校)
 理由は、不登校だったからです。

 中学校のお友達が毎朝、僕の家にチャイムを鳴らして、
「味噌村くん、今日はどう?」
 なんて善意でやってくれていたのですが……。

 人間不信に陥った僕は、その仲の良い友達以外とは会いたくなくて。
 学校と聞くだけで、ガクガク震える拒絶反応が出ていました。

 おまけに、家の中では親父が出勤前に決まって一時間以上も
「学校に行け!」
 お説教というか、恫喝されていて。
 沈黙で抵抗していると、
「だったら出ていって働け!」
 なんて捨てセリフを吐かれ、ご出勤なさるので、僕は心身共に疲弊していました。

 親父からだけじゃなく、家族全体が「いけいけ」ムードで、圧がすごく、食事も睡眠もろくに取れず。
 ガリガリに痩せて行きました。

 見兼ねた母親が、親父を黙らせるために、エリート大卒の小児科医を探し、そこでようやく
『頭がいい医師』にお説教を食らったことで、僕は親父から解放されました。

 ですが、この医師も親父と大して変わらない威圧的なおじさんで。
「味噌村くん。もう学校に行こうよ。なんで行かないの? なんで? 早く言いなさい!」
「……」
 と3時間以上も診察室で取り調べを行う、サイコドクターでした。

「他に悩みはないか?」
 と問われ、
 僕としては
「親父とあなたです」
 と言いたかったですが、この医師から逃げると親父がまた脅してくるので、言えません。
 他に悩みと言えば、毎朝のお友達ピンポンが苦痛だと相談しました。

 そしたら、
「どうせ今の中学校行けないなら、養護学校に転校しなよ。転校するだけ、学校には行かなくていいから。そしたら、ピンポンされないじゃん」
 と言われて、僕はその案をのみました。

 しかし、これはドクターの策略で、いざ転校したら、毎週のように
「味噌村くん、転校したんじゃん? 行きなよ?」
「いや……いいです」
「ダメだよ、約束したじゃん。今からでいいから、体験しておいで!」
 と診察をほったらかし状態にして、養護学校に連れて行かれました。

 養護学校の先生たちは、前の中学校と違って、優しい人ばかりでした。
 ですが、僕は人間不信が酷く、心を開くことはなかなかありません。

 教頭先生ではないのですが、まとめ役みたいな先生がいて。
 その方がすごく親身になってくれ、
「ドクターは結構あれだからね。あんまり無理しなくていいよ」
 なんて同情してくれました。

 何回か、個室で面談を行い、週に一回ぐらいでしたが、その先生と色んな話をしました。
「幸太郎もあれだろ? 転校してきて、いじめられたんだろ? 実は先生もそうなんだよ」
 先生は仲良くなるために、僕の下の名前で呼んでくれるようになりました。
「先生もなんですか?」
「うん。大阪出身だったから、なまりでいじめられたよ」
 そういう感じで、次第に僕は心を許せるようになり。
 二年生の三学期あたりから、少しずつ学校に通えるようになりました。

 それを見た先生は大喜びで。
 また個室で話をしようと誘ってくれました。
「幸太郎、お前よく頑張ってるなぁ……でも無理はよくないぞ。勉強だけが学校じゃないと思うんだ」
「はぁ……」
「出会いを求めて、学校に来てもいいと思うんだよ」
「ん、出会いですか?」
「そうそう、この話は幸太郎の先輩。卒業生の話なんだけどな。その子、耳が聴こえなくてさ」
「ああ」
「でもさ、すごいイケメンなんだよ。耳が聞こえないだけ」
 なんか急に話題が変わってきたので、僕は首を傾げました。

「耳が聞こえないだけなんだからさ、モテたんだよ」
「え、ええ?」
「修学旅行にみんなで行ったんだけどね。その時、可愛い女の子に部屋へと誘われてさ。童貞捨てたんだって」
「な、なんの話です?」
「コソッと教えてくれたのよ。『可愛くて超気持ち良かった♪』てさ、ハハハ!」
「ん? なにがです?」
 先生は優しく微笑んで、僕の肩をポンポンと叩きます。
「だからさ。幸太郎もそういう目的で、この学校に通ってもいいと思うんだよ、なっ!」
「え?」

 14歳でまだ子供ぽかった僕は、先生の話してくれた意味がわからず、帰宅後、お袋にその話をしました。
「ははは! あんたの年でそんなことができるわけないでしょ! 先生の冗談よ、真に受けるんじゃないよ」
「どういう意味?」
「あんたはまだ知らなくていいの」
「ふーん」

 大人になった今なら、先生の語ってくれた先輩の話が良くわかります。
 卒業しても、未だに年賀状のやり取りをするぐらい素晴らしい先生です。