真っ暗な闇の中を、ただひたすらに落ちて行く。

生き返るようだ。

ようやくまともに息が出来る。

呪文を唱えた。

主である、王の帰還だ。

『闇よ、我が目には真実の姿を見せよ』

 パッと周囲が明るくなった。

全ての闇を払ってやってもよかったが、ダンジョンの謎解きパズルを楽しんでいる連中の、邪魔をするのも申し訳ない。

「楽しみは、残しておいてやらないとな」

 落下地点に、ふわりと足をついた。

落ちてきた頭上にある、虚空を見上げる。

遙か上空に、俺を探す灯りがわずかに見えた。

「さらばだ」

 歩き出す。

懐かしいダンジョンだ。

ようやく解放された俺に、地下に眠る死んだ魔物たちの魂が、白い影となって寄り添う。

肩に乗ったそれに触れようとして、スッと消えていった。

あぁ、そうか。

もう死んでいたんだ。

実体のない影に触れても、それは幻覚のようなものでしかない。

「もうここには、いないんだったな」

 耳を澄ます。

城のあちこちに入り込んだ人間どもが、蟻のようにうごめいている。

ユファを始めとする聖騎士団の仕掛けた魔法が、そこかしこで作動している。

強力に張られたその結界のおかげで、魔物たちが閉め出されているのだ。

俺の身すら危うい状態で、その全てを追い払うことは難しい。

今の俺には無理だ。

やはり、悪夢が必要だ。

「大魔王の復活を、盛大に祝わなくてはな」

 呪文を唱える。

これは聖騎士団の使う魔法構文だ。

これならばこの強い結界の中でも、問題なく使える。

俺が侵入していることにも、気づかれることはないだろう。

『風よ、この身を運べ』

 大きな魔法を使ってしまっては、みんなを驚かせてしまうだろう? 

そんなことをしたら、申し訳ないだろう? 

この姿を見せるのは、完全に復活してからで十分だ。

 複雑なダンジョンを、軽やかに飛び進む。

まだ聖騎士団の連中が侵入した形跡はない。

かつてここに巣くっていた魔物たちが仕掛けた、罠やお遊び程度のパズルもそのままだ。

懐かしい光景が広がる。

あそこは反乱した鬼の群れをまとめて閉じ込め、焼き殺した広間で、この井戸は試作品の毒をまき散らし、捨てた穴だ。

処女の心臓を集めて作った人形は、あまり面白くなかったな。

人間の顔をした猿どもにそれをくれてやったら、喜んで食い散らかしていたが、あまり俺の趣味ではなかった。

頼まれて数十体は作ったが、すぐに飽きた。

そういえば、それをかわいがっていた、どこぞの人間の王も、もう死んでいたな。

今度は何をして遊ぼうか。

「あぁ、まずは、俺を殺した連中にどもに復讐だ」

 魔王の宣言に、死んだ魔物の魂が呼応する。

ほら、みんな喜んでいるじゃないか。

復讐ほど楽しい遊びはない。

まずは俺をバカにした連中、コケにした連中からなぶり殺しだ。

「そうだな。まず初めに、ユファとあの生き残った仲間たちを、何とかしないとな」

 ここで殺されたお前たちも、一緒に楽しみたいだろ? 

あいつらの仕掛けた封印を解いてやらないことには、魔王復活とはいかないじゃないか。

地下ダンジョンの最深部へとたどり着く。

ここから床にはめ込まれた魔法石に乗って、最上階の王の間へ飛ぶのだ。

「あぁ……。懐かしい……」

 山頂に位置するその場所には、明るい昼の光りが、天窓から差し込む。

黒く光る広間に使われているのは、全て魔法石だ。

その冷たい壁に、そっと手を触れる。

死闘を繰り広げたあと、そのまま誰の侵入も許していない荒れ果てた広間には、まだ勇者の剣が残っていた。

俺の体を貫き、大量の血を流させ、死に至らしめた憎き剣。

床石に突き立てられたそれに触れようとして、その手は強く弾かれた。

「クソッ。まだユファの呪いが残っているのか!」

 何とも忌々しい剣だ。

死に際の、俺の魂を転生させるために開けた穴が、そのまま生き残った仲間たちの脱出口となってしまった。

魔法と崩れた岩で、そこはもう塞がれてはいるが、結局ユファたちは、この剣を目印として、悪夢を探しているのだろう。

 呪文を唱える。

広間の滑らかな壁面に、外の風景が広がった。

かつては魔物たちが人間を襲い、街を焼き払い、逃げ惑う姿が映し出されていたビジョンに、平和なグレティウスの街の風景が広がる。

「こんなもの、誰が許せと言った!」

 かつての俺が、どれだけ望んでも手に入れられなかった光景だ。

家族の笑顔、子供の呑気に遊ぶ姿、安心して眠れる部屋、腹一杯に食べられる食事。

どれもこれもが、幻だった。

「全て破壊してやる。もう二度と、こんなものは見たくない!」

 破壊光線。

手の平から放った黒い光の筋が、その壁をえぐり取る。

俺はその矛先を、聖剣に向けた。

「うわぁ!」

 結界が、十年の時を過ぎたいまでも、そこに残っていた。

弾け飛んだ黒魔法が、その力を消失させる。

それでもなお白く光る剣に、俺は舌打ちし、背を向ける。

悪夢があるのは、この先だ。

「ナバロ!」

 ふいに、広間が光り輝いた。

その声に振り返る。

転送魔法! 

イバンにしがみつくようにして、フィノーラとディータの三人が現れた。

フィノーラは駆け寄ると、俺を強く強く抱きしめる。

何の言葉も発しない彼女の向こうで、ディータはつぶやいた。

「お前、……。大丈夫か?」

 俺の全身は、濃く緑の光りに覆われていた。

それは暗視魔法のせいだけじゃない。

ダメだ。

このままでは俺がエルグリム本人だと、バレてしまう。

意識を鎮める。

転送魔法が効いたのは、ただの人間の男の子、ナバロの元ではなく、彼らが大魔王エルグリム、その本人のところへ行くことを望んだからだ。

そうでなければ、成功しない。

「だ、大丈夫……。なんか急に、ワケが分からなくなっちゃって……」

「もう大丈夫よ。私たちが来たんだから」

「どうやって、ここまで来た……の?」

 そんなこと、出来るわけがない。

まさか、本当にバレた?

「簡単よ」

 フィノーラは片目をつぶり、ニッと笑った。

「転送魔法よ。知ってるでしょ。行きたいと思うところを、強く願うの。ナバロの魔力が強く表れていたから、探しやすかったわ」

「子供の体だからな。エルグリムの残余に、憑依されやすいのかもしれない」

 ディータはじっと俺を見下ろし、イバンはたどり着いた王の間を見渡す。

「驚いた。ここは決戦の地じゃないか」

 ディータは壁にできた、一筋の大きな傷を見上げる。

それはたったいま、俺がつけたばかりの傷だ。

「それにしても、本当にすごい戦闘が行われたんだな。百聞は一見にしかずってやつだ」

 イバンは広間中央の、床石に突き刺さったままの聖剣に触れると、あっさりとそれを引き抜いた。

「伝説の剣だ。これは持ち帰ろう。随分と古い作りだ。今の聖剣の方が、かけている呪文も作りも、改良され強くしっかりしている」

「お手柄じゃないか。これで聖騎士団の中でも、出世は間違いない」

 そう言ってニヤリと笑ったディータに、イバンは強く静かな視線を向ける。

「そんなつもりはない。この功績をたたえるとしたら、それはナバロに、だ」

「どうしてそう思う?」

 ディータとイバンの距離が広がる。

明らかにこの二人は、その間合いを取っている。

「ねぇイバン。その剣で、悪夢は壊せる?」

 フィノーラがスアレスの聖剣に手を伸ばした。

イバンは彼女の手に、その剣を手渡す。

「もちろんだ。支給品のハンマーの方が確実だろうが、これでも十分破壊できる」

「私が持っててもいい?」

「……。あぁ、いいだろう。好きにしろ」

 彼女はその刀身をゆっくりと眺め、数度振った。

俺には決して触れることの出来ないものを、聖騎士団でもない彼女が腰に差す。

ディータは俺をじっと見つめながら言った。

「もしかして、悪夢の場所が分かったのか?」

 三人の、じっとりとした視線が集まる。

あぁ、もうここまで来たら、仕方あるまい。

なんだ、そうか、もう分かっているのか。

俺は広間の奥を指さした。

「こっちだ」