「子供用の武器があればいいんだがな」
武器庫前では、聖騎士団専用の支給武器が、ずらりと並んでいた。
イバンはその中から、予備隊の剣を選ぶ。
「そういえば、あれから剣の訓練を続けているか?」
俺は首を横に振った。
これは訓練用の武器なのだろうか。
随分使い込まれているが、しっかりと整備され、ご丁寧に加護までついている。
「……。あのメンバーの中じゃ、それは出来ないか」
イバンは子供用の剣を手に取ると、丹念に一本一本、その刃先を確認している。
「魔道士の体質を持って生まれてくることは、それは恵まれたことだ。だけどもしあの魔王に、剣の腕があったらどうだったのだろうと、私は思うのだよ。それは単純に、私が剣士だからかもしれない。だから余計に、そんなことを考えるのかもな」
「魔王は剣士に敗れたから」
俺はイバンを見上げる。
「きっと魔道士より、剣士の方が強いよ。だって、大魔王エルグリムを倒した勇者スアレスさまは、剣士だったもの」
「そうだな」
イバンの大きな手が、俺の頭をしっかりと撫でる。
「お前が心配することは、何もない。これは大人の問題だ。未来にツケは残さない。そのために私たちがここにいる」
「俺もここにいるのに?」
「はは、そうだったな。ナバロも立派な、調査隊の一員だ」
調査期間は、十日で一区切りとされていた。
一度に携帯できる食料の問題と、悪夢を我がものにせんとするヤカラを排するための他、経過報告など、色々理屈があるようだ。
コンパクトにまとめられた携帯備品を受け取る。
「十日で本当に見つけられると、思ってるのかしらね? 中央議会はやる気あんの?」
フィノーラは、ナイフ状の双剣を背に担いでいる。
またよりにもよって、乱暴な武器を選んだものだ。
「ローラー作戦だ。代表者に地図が配られている。人員を増やして、担当地区を手分けし、くまなく捜索するんだ」
ディータはライフルを肩にかけてた。
「どっちにしろ、先に見つけたモン勝ちだろ。報奨金を手にするか、砕いて持ち去るか」
「ハンマーは私が持っている」
それは聖騎士団の団員だけが持てる、特殊なハンマーだった。
大賢者ユファの祝福が与えられたハンマーで、悪夢を打ち砕くことの出来る、唯一のマジックアイテムだという。
「とにかく、十日で与えられた範囲を調査する。準備は出来たか? 出発だ!」
空を見上げる。
青く高く澄んだ空に、闇よりも黒く巨城がそびえ立つ。
俺たちはそこへ向かって、侵入を開始した。
削り出した岩の形を、そのまま生かした巨城の中へ入ってゆく。
結界がさらに強化されている。
俺は自分の身を保つための魔法を強化した。
そうでなければ、このまま中には入れない。
すぐにでも体が溶け出しそうだ。
城周辺の施設は跡形もなく破壊されていたが、内部は比較的、そのままに残されているようだった。
まぁ、どこに悪夢が隠されているのか分からないのだから、仕方ないか。
磨き上げられた黒い床石は、歩き回るザコどものせいで、すっかりくすんでいる。
そのエントランスにあたる大ホールを、ディータとフィノーラは見上げた。
「すっげぇな。なんだこのホール!」
「天上は吹き抜けになってるのね」
「巨大なドラゴンやモンスターたちが、ひっきりなしに出入りしていたんだ。比較的間口は、広く作られていたんだよ」
ここへ初めて、フレアドラゴンを連れ込んだ時は楽しかったな。
鎖に繋ぎ引きずられ、大暴れしたんだ。
おかげで装飾の何もかもが壊され、以来ずっとそのままだ。
散々見世物にして楽しんだ後で、なぶり殺した。
あの時の恨めしそうな目は、いまだに覚えている。
あの怒りと苦しみに満ちた目は、アイツが一番だった。
それにしても聖騎士団のやつらも、ついでに壁の壊れたところも、直しておいてくれればいいのに。
コイツら、そういうことはしないんだなぁ。
「計画的なのか全くの考えなしか。この山脈の中といい地下といい、全てが複雑なダンジョンになっていて、未だにその全てが攻略されていない。与えられた地図は、現在分かっているところまでのものだ。俺たちの指命は、このダンジョンの全貌解明でもある」
「なんで大賢者ユファさまは、直接捜索しないんだ? その方が早いだろ」
「お忙しい方なんだ。他にやるべきことが、沢山おありになる」
フン。そうか。
ということは、本当にまだ悪夢は見つかっていないし、そこにかけておいた術も、解かれていないということだ。
だからユファと生き残ったかつての仲間たちは、この城に入れない。
「気分は悪くない?」
フィノーラが話しかけてくる。
「ここの空気、確かに悪いわ。エルグリムはまだ死んでない、滅んでないって、ようやく分かった。ここに来た今なら、それが理解できる」
「だよな。ここにはまだ、魔王の力が残っている。これこそが確かな、生きている証だ」
黒い城内に、外からの光りが降り注ぐ。
俺はようやく居城に戻ってきた感激に、全身が震えている。
この城は、俺とその仲間たちで造ったんだ。
地下のダンジョンも、ほぼ覚えている。
「なんだナバロ。怖ぇのか?」
ディータの言葉に、イバンは微笑む。
「恐れることはない。ここに魔王はいない。私たちといれば、絶対に大丈夫だ」
「そうだね、イバン。みんなと一緒に居れば、きっと大丈夫だ」
通路には、所々にロープが張られていた。
地図を見ると、シロと判断された所を区切っているらしい。
その案内に従って、奥へ奥へと進む。
「こんな大きな城で、エルグリムは一人で暮らしていたのかしら」
「常に大勢の魔物たちが仕えていた。今、グレティウスで採れる魔法石は、全てその魔物たちに与えられていた魔力が、石化したものだと言われている」
「だとしたら、本当に凄い魔力の持ち主だったんだな。人間じゃねぇ」
「血の通った人間は、何百年も生きたりはしないし、あんな残酷非道な真似も出来ない」
黒い城の、城下町を見下ろす通路を抜け、野外の崖上に設置された祭壇横を通る。
空に突き出たその場所には、灯籠と台座がまだ残されていた。
「ここが処刑場跡だ」
「最悪。何人もの人が殺されたんでしょう?」
「何百、何千って話しじゃなかったか?」
「かつてこの地に繁栄した国王にその妃たち、王子、王女、王族に並ぶ騎士や貴族たち。僧侶や名だたる名君も、戦士たちも全て、ここで殺され魔物たちに生け贄として与えられた」
「酷い」
「まだ流された血の跡が残っているんだな」
泣いて命乞いをする者、寝返りを誓う者、歯を食いしばり、苦痛と恐怖に耐える者。
色々だ。
滴り落ちた血はそこから崖を伝い、流れる川を赤く染めた。
「つーか、武器の携帯が必要ってことは、まだ魔物が潜んでるってことか?」
「ガイダンスをちゃんと聞いていなかったのか。報告数は少ないが、ゼロではない。怪我人や死者も出ている」
「悪夢発見の内部抗争じゃなくて?」
ディータはそう言って、ニヤリと口角を上げる。
イバンはそれを無視し、淡々と答えた。
「発見の報告はまだない。そこに悪夢はなかったし、討伐されたモンスターの死骸も回収されている。ここに残る魔力の残余が、それらを呼び寄せているんだ」
俺自身が自分の体を保つのさえやっとなんだ。
他の魔物たちは、とうていこの結界の中には入れまい。
さらに奥へと進む。
かつて舞踏会が開かれた大広間を横切り、美術品をいくつも並べた展示室脇を通る。
そこに飾られていたはずの、かつての国王たちの頭蓋骨や宝剣は、すでにない。
あの光り輝く宝石や王冠、首飾りはどうした?
まさか全て処分されたとも考えにくい。
ユファどもが奪ったのか?
あの白くピカピカと光る、新しい立派な中央議会の館へ、移されたのか……。
「どうした、ナバロ?」
イバンの問いかけに、我に返る。
気づけばフィノーラとディータも、じっとこっちを見ていた。
「いや、何でもない」
再び歩き出す。
大食堂から厨房を抜け、控えの間の、前を通った。
地図を頼りに進むイバンが、廊下の角を曲がる。
「こっちは?」
俺が指で示した方向には、規制線のロープが張られていた。
分からないように何重にもマジックバリアまで仕掛けられていて、随分ご大層に侵入を禁止している。
「そこは……。なんだろうな。地図でも立ち入り禁止区域に指定されている。過去になにか、事件があったのかもしれない」
その言葉に、フィノーラの顔に不安がよぎる。
「モンスターが出たとか?」
「殺された兵士たちの、怨霊なのかもしれないぜ。ナバロには分かるか?」
ディータは俺を振り返った。
「いや……。イバンに聞けよ」
「私にも、そこまでは分からない。先を急ごう。この城はとてつもなく広い」
図書館だ。
この先には、世界各国から集めた、様々な書物や珍しい資料を集めた博物館もあった。
確かにそれらには一つ一つ魔法をかけ、持ち出されないようにはしていたが、それはさっき見た宝石類に関しても同じことだ。
なのにここだけを封じているとは、どういうことだ?
残っていた備品や装飾品は跡形もないのに……。
もしかして、そのままにされている?
すぐにでも行って確かめたいが、今はそれが出来ない。
魔力を使う、余力がない。
奪われたものの大きさに、ギリギリと歯を食いしばる。
「……。なにもかも、全て取り戻すんだ……」
「そうよ、ナバロ。私たちはもう、誰にも支配されない。奪われない」
「大魔王の息の根を、完全に止めるためにここまで来たんだ」
フィノーラは決意を固め、ディータはニヤリと微笑む。
イバンは力強くうなずいた。
「その通りだよ、ナバロ」
さらに奥へと進む。
イバンの地図を見ると、俺のプライベートゾーンだった場所は、立ち入り禁止区域に指定されていた。
あの快適で過ごしやすかった俺の部屋は、どうなっているのか。
捕らえて飼っていたお気に入りの人魚やハルピュイアたちも、聖騎士団に皆殺しか?
ようやく城を抜け、尾根に入る。
ここからが本当の保管庫であり、勝手に住み着いたモンスターたちが作ったダンジョンだ。
俺ですらその全貌を知らない。
「ようやく調査対象地域に入ったぞ」
真っ暗な山の中だ。宿舎を出発してから、もう数時間が経っていた。
「ここで一旦、休憩にしよう」
支給品の携帯食料で、簡単な昼食を済ます。
魔力で焚いた火の灯りで、イバンは地図を広げた。
「ここまでは魔王城の、いわゆる表の面を通ってきた。建物の中では、外交的な部分だ。ここからは本当のダンジョンに入る。通路が整備されているところもあれば、そうでないところもあるようだ。俺たちが調査するのは、ここだ」
ダンジョンの入り口に当たる現在地からは、まだ距離がある。
「迷路が完全に攻略されている階から、三つ下層に降りる。この階にあるこの扉の向こうが、まだ未調査で地図も完成されていない。それを調べるのが、俺たちの仕事だ」
「今日中にその扉までたどり着ける?」
「何とかたどり着けるだろう。ここまで行って、そこで今夜は休むとしよう。明日からは本格的な調査だ」
フィノーラは水筒から水を飲む。
「なんだか、気味が悪いわ」
「魔王城の中にいるんだ。平気な奴なんているかよ」
支給品の松明に明かりを灯す。
マジックライトだ。
これで暗闇に悩まされることなく、地下ダンジョンを歩ける。
イバンの持っている地図は、俺のみる限りでも正確なものだった。
各階に仕掛けられた罠も、全て解除されている。
俺たちは見えない橋を渡り、隠し通路を抜け、落とし穴を回避しながら、順調に先へと進む。
「ここだ」
ようやく行きついた通路の先に、それを塞ぐ大きな扉があった。
ディータがそれをこじ開けようとしても、固く閉じられていて、開かない。
「まさか、この扉を開けるのも、ミッションって言うんじゃねぇだろうな」
「鍵はある」
イバンがそれを差し込むと、スッと扉は開いた。
禍々しい風が、奥の闇から吹きつける。
その臭いに、全身の毛が逆立った。
「ねぇ、やっぱちょっと閉じとこうよ」
「そ、そうだな……」
ディータまでもが、その空気に恐れている。
彼らはすぐにその扉を閉じた。
イバンはその仕掛けを、丹念に調べている。
「とんでもない所まで来ちまったなぁ。一度閉じたら、また鍵がないと開かないんだろ?」
「どうやらそのようだ。この付近で魔物の出現は報告されていない。全て駆逐済みだそうだ。結界も張られている。だがこの扉の先には、その保証はない。ゆっくり休めるのは、ここまでだ」
「最悪ね。こんなところで寝るはめになるなんて」
松明の明かりはつけたまま、各々が毛布にくるまる。
俺はなぜか他の三人と同様に、なかなか寝付けずにいた。
本当に久しぶりに、ぐっすりと眠れるはずなのに……。
「眠れないの?」
フィノーラの声に、俺は頭から毛布を被る。
「ナバロ、辛いんだったら、辛いとそう言え」
イバンの目が、じっと俺を見ている。
「もしかして、怖ぇのか?」
「そんなこと、あるわけないだろ」
俺には分かる。
ナルマナの団城よりも、さらに強くその臭いを感じている。
ここに残る自分の臭いと、その臭気に満たされたかつての仲間たちが、このすぐ足元に眠っている。
俺の城だ。
復活の時を、生き残ったあらゆる者たちが待っている。
聖騎士団によってかけられている、この強固な結界も、一切問題にならない。
俺は身を保つ魔法を、もう一度強化する。
明日にはいよいよ、その時が来る。
翌日になって旅支度が整うと、もう一度イバンはその扉を開いた。
マジックライトである松明で照らしてみても、数メートル先までしかその光は届かない。
「どうやって調べるんだよ」
ディータはため息をついた。
「全員で松明を灯してくれ。互いに目に見える範囲で、ダンジョンを行き交い、ゆっくりでいいから、確実に地図を完成させて行こう。手間はかかるが、この灯りが灯る範囲は安全だ。もし消えたら、すぐに戻ってくれ。それが仲間と離れ過ぎているという、危険信号にもなる。近づけば、また火は灯る」
「安全には変えられないものね。分かったわ」
「モンスターには注意して。あと、罠や仕掛けにもな。何かあっても、簡単に暴れるなよ、フィノーラ」
「分かってるわよ」
「では、行こう」
なんて面倒な作業を始めるつもりだ。
こんなことをしているから、俺が死んだ後、十年経っても悪夢を見つけられないワケだ。
やってられるか。
隠し場所まで、まだまだ遠い。
「俺はこっちを見に行ってみてもいい?」
松明を片手に、一人奥へと進む。
「それは構わないが……。ナバロ、あまり遠くへは行くなよ」
イバンの険しい目が、じっと俺を見つめる。
「当たり前じゃないか。こんなところまで来て、誰がそんなヘマをするかよ」
フラリと歩き始める。
ようやくここまで来た。
これで本当のお別れだ。
ご苦労だったな。
ここまで安全に俺を連れてきたことを、後悔するといい。
「遠くへはいかないよ。うん。分かってる……」
ここは俺の城、俺の造り出した迷宮、俺の闇だ。
こんなところ、目をつぶっていたって通れるさ。
悪夢が俺を歓迎し、こんなにも呼んでいるのが、どうしてあいつらには分からないのだろう。
手にした松明の灯りが消えた。
俺はそれを床に落とす。
離れたら消える仕掛けだって?
消えたら戻ってこい?
バカバカしい。
俺はこんなにも、彼らと離れたがっているのに……。
「どうした、ナバロ。灯りが消えたぞ、戻ってこい!」
イバンの声が聞こえる。
すぐ目の前に、吹き抜けとなっている暗闇が、口を開けていた。
通路から足を踏み外すと、階下に落ちる落とし穴だ。
ちょうどいい。
ここから一気に、下層階まで行ってしまおう。
多少の遠回りにはなるが、その方が奴らを巻く手間は省ける。
「すぐ行くよ。待ってて」
そう返事をして、俺はその闇へ踏み出した。
真っ暗な闇の中を、ただひたすらに落ちて行く。
生き返るようだ。
ようやくまともに息が出来る。
呪文を唱えた。
主である、王の帰還だ。
『闇よ、我が目には真実の姿を見せよ』
パッと周囲が明るくなった。
全ての闇を払ってやってもよかったが、ダンジョンの謎解きパズルを楽しんでいる連中の、邪魔をするのも申し訳ない。
「楽しみは、残しておいてやらないとな」
落下地点に、ふわりと足をついた。
落ちてきた頭上にある、虚空を見上げる。
遙か上空に、俺を探す灯りがわずかに見えた。
「さらばだ」
歩き出す。
懐かしいダンジョンだ。
ようやく解放された俺に、地下に眠る死んだ魔物たちの魂が、白い影となって寄り添う。
肩に乗ったそれに触れようとして、スッと消えていった。
あぁ、そうか。
もう死んでいたんだ。
実体のない影に触れても、それは幻覚のようなものでしかない。
「もうここには、いないんだったな」
耳を澄ます。
城のあちこちに入り込んだ人間どもが、蟻のようにうごめいている。
ユファを始めとする聖騎士団の仕掛けた魔法が、そこかしこで作動している。
強力に張られたその結界のおかげで、魔物たちが閉め出されているのだ。
俺の身すら危うい状態で、その全てを追い払うことは難しい。
今の俺には無理だ。
やはり、悪夢が必要だ。
「大魔王の復活を、盛大に祝わなくてはな」
呪文を唱える。
これは聖騎士団の使う魔法構文だ。
これならばこの強い結界の中でも、問題なく使える。
俺が侵入していることにも、気づかれることはないだろう。
『風よ、この身を運べ』
大きな魔法を使ってしまっては、みんなを驚かせてしまうだろう?
そんなことをしたら、申し訳ないだろう?
この姿を見せるのは、完全に復活してからで十分だ。
複雑なダンジョンを、軽やかに飛び進む。
まだ聖騎士団の連中が侵入した形跡はない。
かつてここに巣くっていた魔物たちが仕掛けた、罠やお遊び程度のパズルもそのままだ。
懐かしい光景が広がる。
あそこは反乱した鬼の群れをまとめて閉じ込め、焼き殺した広間で、この井戸は試作品の毒をまき散らし、捨てた穴だ。
処女の心臓を集めて作った人形は、あまり面白くなかったな。
人間の顔をした猿どもにそれをくれてやったら、喜んで食い散らかしていたが、あまり俺の趣味ではなかった。
頼まれて数十体は作ったが、すぐに飽きた。
そういえば、それをかわいがっていた、どこぞの人間の王も、もう死んでいたな。
今度は何をして遊ぼうか。
「あぁ、まずは、俺を殺した連中にどもに復讐だ」
魔王の宣言に、死んだ魔物の魂が呼応する。
ほら、みんな喜んでいるじゃないか。
復讐ほど楽しい遊びはない。
まずは俺をバカにした連中、コケにした連中からなぶり殺しだ。
「そうだな。まず初めに、ユファとあの生き残った仲間たちを、何とかしないとな」
ここで殺されたお前たちも、一緒に楽しみたいだろ?
あいつらの仕掛けた封印を解いてやらないことには、魔王復活とはいかないじゃないか。
地下ダンジョンの最深部へとたどり着く。
ここから床にはめ込まれた魔法石に乗って、最上階の王の間へ飛ぶのだ。
「あぁ……。懐かしい……」
山頂に位置するその場所には、明るい昼の光りが、天窓から差し込む。
黒く光る広間に使われているのは、全て魔法石だ。
その冷たい壁に、そっと手を触れる。
死闘を繰り広げたあと、そのまま誰の侵入も許していない荒れ果てた広間には、まだ勇者の剣が残っていた。
俺の体を貫き、大量の血を流させ、死に至らしめた憎き剣。
床石に突き立てられたそれに触れようとして、その手は強く弾かれた。
「クソッ。まだユファの呪いが残っているのか!」
何とも忌々しい剣だ。
死に際の、俺の魂を転生させるために開けた穴が、そのまま生き残った仲間たちの脱出口となってしまった。
魔法と崩れた岩で、そこはもう塞がれてはいるが、結局ユファたちは、この剣を目印として、悪夢を探しているのだろう。
呪文を唱える。
広間の滑らかな壁面に、外の風景が広がった。
かつては魔物たちが人間を襲い、街を焼き払い、逃げ惑う姿が映し出されていたビジョンに、平和なグレティウスの街の風景が広がる。
「こんなもの、誰が許せと言った!」
かつての俺が、どれだけ望んでも手に入れられなかった光景だ。
家族の笑顔、子供の呑気に遊ぶ姿、安心して眠れる部屋、腹一杯に食べられる食事。
どれもこれもが、幻だった。
「全て破壊してやる。もう二度と、こんなものは見たくない!」
破壊光線。
手の平から放った黒い光の筋が、その壁をえぐり取る。
俺はその矛先を、聖剣に向けた。
「うわぁ!」
結界が、十年の時を過ぎたいまでも、そこに残っていた。
弾け飛んだ黒魔法が、その力を消失させる。
それでもなお白く光る剣に、俺は舌打ちし、背を向ける。
悪夢があるのは、この先だ。
「ナバロ!」
ふいに、広間が光り輝いた。
その声に振り返る。
転送魔法!
イバンにしがみつくようにして、フィノーラとディータの三人が現れた。
フィノーラは駆け寄ると、俺を強く強く抱きしめる。
何の言葉も発しない彼女の向こうで、ディータはつぶやいた。
「お前、……。大丈夫か?」
俺の全身は、濃く緑の光りに覆われていた。
それは暗視魔法のせいだけじゃない。
ダメだ。
このままでは俺がエルグリム本人だと、バレてしまう。
意識を鎮める。
転送魔法が効いたのは、ただの人間の男の子、ナバロの元ではなく、彼らが大魔王エルグリム、その本人のところへ行くことを望んだからだ。
そうでなければ、成功しない。
「だ、大丈夫……。なんか急に、ワケが分からなくなっちゃって……」
「もう大丈夫よ。私たちが来たんだから」
「どうやって、ここまで来た……の?」
そんなこと、出来るわけがない。
まさか、本当にバレた?
「簡単よ」
フィノーラは片目をつぶり、ニッと笑った。
「転送魔法よ。知ってるでしょ。行きたいと思うところを、強く願うの。ナバロの魔力が強く表れていたから、探しやすかったわ」
「子供の体だからな。エルグリムの残余に、憑依されやすいのかもしれない」
ディータはじっと俺を見下ろし、イバンはたどり着いた王の間を見渡す。
「驚いた。ここは決戦の地じゃないか」
ディータは壁にできた、一筋の大きな傷を見上げる。
それはたったいま、俺がつけたばかりの傷だ。
「それにしても、本当にすごい戦闘が行われたんだな。百聞は一見にしかずってやつだ」
イバンは広間中央の、床石に突き刺さったままの聖剣に触れると、あっさりとそれを引き抜いた。
「伝説の剣だ。これは持ち帰ろう。随分と古い作りだ。今の聖剣の方が、かけている呪文も作りも、改良され強くしっかりしている」
「お手柄じゃないか。これで聖騎士団の中でも、出世は間違いない」
そう言ってニヤリと笑ったディータに、イバンは強く静かな視線を向ける。
「そんなつもりはない。この功績をたたえるとしたら、それはナバロに、だ」
「どうしてそう思う?」
ディータとイバンの距離が広がる。
明らかにこの二人は、その間合いを取っている。
「ねぇイバン。その剣で、悪夢は壊せる?」
フィノーラがスアレスの聖剣に手を伸ばした。
イバンは彼女の手に、その剣を手渡す。
「もちろんだ。支給品のハンマーの方が確実だろうが、これでも十分破壊できる」
「私が持っててもいい?」
「……。あぁ、いいだろう。好きにしろ」
彼女はその刀身をゆっくりと眺め、数度振った。
俺には決して触れることの出来ないものを、聖騎士団でもない彼女が腰に差す。
ディータは俺をじっと見つめながら言った。
「もしかして、悪夢の場所が分かったのか?」
三人の、じっとりとした視線が集まる。
あぁ、もうここまで来たら、仕方あるまい。
なんだ、そうか、もう分かっているのか。
俺は広間の奥を指さした。
「こっちだ」
固唾を呑む音が、広間に響く。
俺の指し示す方向へ、皆が歩き出した。
玉座の背にある壁には、その全面に複雑な文様が刻み込まれている。
今は何の役にも立たないただの凹凸だが、これらは全て、一種の魔方陣のような役目を果たす。
「すげぇな。さすが世紀の大魔王の城だ。ここからどんな魔物でも呼び寄せられる」
「それが強さの秘密ということか。魔力を結晶化して保管したり、分け与えたり。能力を分散することで、全滅することを回避していたんだ」
「だから中央議会は、悪夢があるかぎり安心できないのね」
俺はその壁の一部に手をかざす。
呪文を唱えた。
緑の光りが、凹凸に沿って走りだす。
壁の一部が長方形に切り取られ、音も立てず開いた。
「この奥か?」
俺は何も言わず、三人を見上げた。
歩き始めた後ろから、彼らがついてくる。
そうだ。
そうやって、黙ってついてくるといい。
お前たちはきっと、エルグリムの悪夢を実際に目にした、最初で最後の人間になるだろう。
この先も全て、魔法石を魔力でもって磨いた通路になっている。
俺がいなければ、決して中には入れない道だ。
黒く光り輝く、魔法で塗り固められた通路を進んでゆく。
目の前に、再び扉が現れた。
「この先か?」
ディータが真っ先に飛びついた。
そこに刻まれた魔方陣を、かぶりつくようにして眺めている。
「す……、すっげぇなこの模様。こんな術式、見たこともないぜ……」
「どうやってこの封印を解く? 一度本部に戻って、ユファさまの指示を……」
そう言ったイバンの隣で、フィノーラは勇者の剣を抜いた。
「そんなの、ぶち壊せばいいのよ」
「おい、やめろ!」
刃こぼれしている剣先を、思い切り扉に叩きつけた。
耳を切り裂くような高い高音が、周囲に響き渡る。
大の男二人が呆気にとられるなか、俺はつい腹を抱えて笑ってしまった。
「あはははは。だからどうして、お前はそう乱暴なんだ!」
「うるさいわね、やってみなくちゃ分からないでしょ」
「勇者の剣なんだぞ、もっと大切に扱ってくれ」
扉には傷一つ入っていない。
当たり前だ。
そんなもので壊れるくらいなら、もうとっくにここも見つかっていただろう。
「じゃあどうやって開けるのよ! また転送魔法を使うっていうの?」
「つーか、だったら最初っから、大魔王のところじゃなくて、悪夢のところへ行きたいって願えばよかったんじゃね?」
「そんな単純なことではないのだろうな、きっと」
笑いすぎて腹が痛い。
もういいや。
扉に手をつくと、それはスッと開いた。
「……。開いたな」
ディータはため息をつく。
イバンは静かに首を横に振った。
「何が起きた?」
「扉を開いたんだよ。俺が。悪夢へ向かうために」
「……。とにかく、先へ進みましょうよ」
扉の向こうは、むき出しの地層がそのままになっている。
ここからはまた、蟻の巣のように複雑なダンジョンだ。
支給品の松明で進むとか、そんなダルいことを言い出したから、暗視魔法をかけてあげる。
「ナバロはこの魔法で、落とし穴から決戦の間まで来たのか?」
イバンが言った。
「王の間だよ。決戦の間だなんて、そんな縁起の悪いことを言わないでくれ」
「そういう魔法を知っていたんなら、最初からかけてくれればよかったのに」
「なんだか急に、思い出したんだ」
悪夢はもうすぐだ。
「フィノーラ、そっちじゃないよ。ディータも間違ってる。イバン、その先には罠が仕掛けてあるから、武器が呪われてしまう。悪夢はこっちだ」
むき出しの土は、酷く乾いていた。
地表は草も木も生えぬ程の岩盤で覆われているのだ。
岩の割れ目から染みこんだ水は、地下を流れる大水脈となって、この地を抜けグレティウスの城下町まで続いている。
ここにはもう、魔物たちの気配すらない。
「ナバロは、悪夢の臭いを感じているの?」
ふいに、フィノーラが言った。
「まるで場所が分かるみたい」
「感じるね。強い魔法の香りを。この城全体を覆う魔力の中でも、ひときわいい匂いがしている」
「ディータには分かるのか?」
イバンの問いに、彼は首を振って笑った。
「魔王の力にかき消されて、そんなのサッパリ分かんねぇよ」
「だけどここにも、聖騎士団の連中がかけた結界が、効力を発揮しているわ。どうしてかしら」
「……。エルグリムが、死んだからだろ」
土塊の狭い道を、歩いては曲がり、上っては下りる行軍が続く。
俺以外の三人には、うっすらと汗が滲み始めた。
「しっかし、熱ぃな」
「空気が悪いのよ。吐きそう」
「もう少しだ。頑張ろう」
お前たちさえ来なければ、もうとっくに終わっていた話だ。
こんな迷路、作った俺ですら、まともに歩いたことなんてなかったのに。
どうして俺は、こんなことをしているんだろう。
「なぁ、悪夢を見つけたら、本気でどうする?」
ディータはそう言って、流れる汗を拭った。
「かち割って山分けとか、やっぱナシ?」
「……。割ること自体には賛成よ。だって見つけたら、即刻割るように、ハンマー持たされてるんだから。そうよね」
「……。そうだな」
最後の角を曲がる。
それまで狭かった通路が、一気に広がった。
悪夢を守る魔方陣である柱が、二重列柱の対となり、一直線に建ち並ぶ。
この気配を、ようやく三人も感じ取ったようだ。
奥に続く深い暗闇に、目を向ける。
「この先か……」
俺には聞こえる。
悪夢がそこに存在し、絶え間なく呼んでいるのを。
それと一つになれば、俺は蘇る。
もう魔力が尽きることはない。
「ねぇイバン。悪夢が割れたら、エルグリムはどうなるの?」
「魔力を失う。今度こそ、本当に滅びるだろう。その力の根源を、失うことになるからな」
「それが本当の最期だってことか」
ディータの緑に強く輝く目が、チラリと俺を見た。
「ナバロはどう思う?」
「割ればいいじゃないか。少しくらい、分け前をもらってもいいだろ」
俺の本体。俺の魂。
数百年の時を生かし続けた、その力の源。
「きっと、キレイに割れて砕け散るだろうな……」
「だといいだろうな」
立ち並ぶ列柱の先の、行き止まりについた。
その広間には、巨大な扉が立ち塞がる。
この扉の全てが、悪夢を守る魔法石だ。
一面に敷かれた魔法陣は、なに一つ欠けてはいない。
俺の描いた結界が、無傷のまま残っている。
「す……、すごい……。ついに来たのね……。ちょ、鳥肌たってるんだけど!」
「俺もだ。こんなビリビリするのは、初めてだよ。エルグリムの力を、この扉の向こうから全身に感じるね。怖いくらいだ」
俺はぼんやりと緑に光るその魔方陣の中心に、真っ直ぐに左手を差し出す。
その意志を、悪夢へ向けた。
『さぁ。悪夢よ、その姿を見せよ。永い眠りの時は、いま終わりを迎えた!』
光りが走る。
轟音が鳴り響いた。
扉に描かれた模様が、ゆっくりと動き出す。
その光りは歯車のように回転し、中心に集約されてゆく。
やがでそれは、扉中央を貫く真っ直ぐな線となり、静かに開き始めた。
「これが……悪夢への扉なのか!」
走り出そうとしたディータの前に、剣が振り下ろされる。
「フィノーラ……。お前……」
彼女は勇者スアレスの剣を、ディータの前に構えた。
「悪いけど、これから先は、誰にも邪魔させない。私が一人で行く」
「どういうことだ」
イバンはハンマーを構えた。
支給品とはいえ、賢者ユファの呪いがかかった聖槌だ。
「あんたたちには渡さない。私が一人で壊す」
「なぜそれをお前が判断する。悪夢は誰のものでもない。この世から消えてなくなるべきものだ」
ハンマーを持つイバンは、ジリジリとフィノーラとの間合いを詰める。
くだらない。
「おい、ちょっと待てよ。貴様ら、あの悪夢が誰のものだか、忘れてないか?」
魔力解放。
もはやコイツらに、用はない。
緑の炎が全身を包む。
この地域一帯に眠った力が、死んだ魔物たちに与えた残余が、俺の元に戻ってくる。
「ナバロ!」
フィノーラの聖剣が、俺に向かった。
「あんたには、話しがある!」
「そうか。だが俺にはない」
ここで殺しておいた方が、この先、俺がラクだろうな。
フィノーラの振る勇者の剣が、胸のすぐ手前を横切った。
「その力を制御出来ないのなら、あんたは悪夢を持つべきじゃないわ!」
振り下ろされる勇者の剣を、イバンのハンマーが受け止めた。
「なぜそんなことを、お前が決める!」
「言ったでしょ。私は聖騎士団なんて、大っ嫌いだって!」
フィノーラの聖剣は、イバンに向かう。
「あんたたち聖騎士団の連中が、エルグリム狩りにかこつけて魔道士の子供たちにしたことを、私は一生忘れない!」
火花を散らし、聖剣と聖槌が交差する。
「そんな連中に悪夢を渡すくらいなら、私がもらう!」
くだらない。
ふわりと体を宙に浮かせる。
先へ急ごう。
コイツらを黙らせるためにも、俺には悪夢が必要だ。
扉の奥へと飛ぶ。
フィノーラの言う通りだ。
そもそも俺に、こんなものを作らせたあいつらが悪い。
遠い記憶が蘇る。
魔道士の子供が忌み嫌われ、悪魔の子として葬られていた時代の話しだ。
逃げることを覚え、自分の身を自らの力で守ることを教えたのは、何だったのか。
「そこから抜けだしたいのなら、圧倒的な力をつければいい!」
悪夢とは、皆が言うような魔法石の結晶でも、力の残余でもない。
あれは装置だ。
有り余る魔力を蓄積し増幅させ、エルグリムの元へと送り続ける、供給機だ。
悪夢がある限り、いくら倒されても俺は死なない。
必ずこの悪夢が、俺の元へ魔力を送り続ける。
最後の扉が見えた。
その前に舞い降りる。
見上げるほどの高く頑丈な扉の前で、俺は呪文を唱えた。
『王の帰還だ。いまここに作り主は帰った。その力を解放し、我に全てを与えよ。そなたの役は目的を果たした。新たに生まれ変わり、次の使命を果たせ!』
大地が揺らぐ。
最後の扉が、静かに開き始めた。
乳白色に濁った淡い琥珀色の、縦に長い双角錐の物体が光る。
ゆっくりと回転しているそれに、俺は一歩を踏み出す。
パン!
薬莢の弾ける音と、火薬の臭い。
俺はサッと身をかわした。
「チッ。さすがに避けやがるぜ」
ディータの構えた銃口から、煙が上がった。
「おい、イバン。聖騎士団の弾丸じゃあ、悪夢は壊せないってよ」
振り返る。
悪夢の表面に、わずかなヒビが入っていた。
「貴様ら……」
俺のこの体が、全身が、怒りに震える。
ここまでやってきた道のりを、なんだと思っている。
お前らは何のために、俺をここまで連れてきた!
「悪夢に手を出すことは、この俺が許さん!」
その瞬間、フィノーラの持つ聖剣が左肩に落ちた。
ギリギリと肉に食い込むそれを押しのけようとするも、力が及ばない。
「今よ、イバン。ナバロはここまでに、もう随分魔法を使っている。そろそろ体力が切れるころだわ。この強い聖騎士団の結界のなかで、よくバレないと思ったわね。あんたはあんたの意識と体を保っているだけでも、精一杯だったはずよ」
「お前……。それを待っていたのか……」
「あら、どれだけ一緒にいたと思ってるの? グレティウス入りしてから、ほとんど魔力の補給はしていないし、休めもしなかったはずよ。溶け出しそうな体を、守るのに必死だったもの。聖騎士団の中枢本部じゃ、さすがに大人しかったものね」
ディータの銃口は、俺に向けられたままだ。
イバンはハンマーを片手に、悪夢へ近づく。
「これで本当に、ナバロの呪いは解けるのか?」
「どっちにしろ、一石二鳥でしかないだろ。さっさとやれ」
ユファの聖槌が、悪夢の前で振り上げられる。
「やめろ!」
風起こし。
爆風が吹き荒れる。
吹き飛ばされたフィノーラの前に、ディータが立ちはだかった。
「目を覚ませ、ナバロ!」
撃たれた弾丸は、聖騎士団の魔法弾だ。
それはわずかな黒煙を上げ、周囲に飛散する。
魔力を封じる、吸魔の粉だ。
「クソが! これくらいのことで、俺がくたばると思うなよ!」
呪文を、呪文を唱えなければ!
『魔力解放! 悪夢よ、力を!』
三人は、手に持った武器を同時に掲げた。
『聖剣よ、力なきものを守りたまえ!』
三人の声が重なる。
イバンの槌とフィノーラの剣、ディータのライフルが、正三角形のバリアを作る。
聖騎士団の紋章が光った。
聖騎士団の特有の、黄色みを帯びた緑の正三角形が、頭上を覆う。
抵抗しようにも、悪夢捜索用に支給された武器だけのことはある。
魔法攻撃に対する耐性がハンパない。
「あ……、悪夢に何をした……」
悪夢からの返事が、返ってこない。
この忌々しいバリアに、弾かれた様子もない。
「何もしてない。大人しくするんだ」
黄緑のバリアが、頭上に近づいてくる。
この殻を破ろうにも、この体に残った力だけでは、それも叶わない。
「ユファどもめ……」
聖騎士団の結界は、この世界の全てを包み込んでいたんだ。
俺は知らぬ間に、その呪いに冒されていたのかもしれない。
「ナバロ! お前が死んでも死なない体なら、もう一度やり直せ!」
ディータの言葉に、勇者の剣を持つフィノーラが動いた。
結界が落とされる。
「これでお終いよ!」
スアレスの剣が頭上に振り下ろされた。
それを避けようとする体に、ディータの投げた双剣が突き刺さる。
聖なる呪いを受けたの剣だ。
終末の叫びが、腹を突いてほとばしる。
三人の創り出した結界が、俺の体を包み込んだ。
「ぐあああ!」
俺を守っていた結界が、力によって破られる。
その力は全身を縛り上げ、圧迫する。
その圧力に、俺はなんの身動きも取れなくなる。
イバンは悪夢を振り返った。
その聖槌が、クリーム色の双角錐に振り下ろされる。
「もう悪夢など、ここに必要ない!」
その瞬間、俺の中で何かが砕け散った。
それはいま俺の目の前にある、悪夢なんかじゃない。
ガクリと膝をつく。
体から全ての体力が奪われてゆくのは、いつものアレか?
鉛のように重たくなった体が、ずしりと地面に倒れる。
「ナバロ!」
フィノーラの手が、俺を抱き上げた。
あぁ、そういえば出会った時から、俺はこの手に助けられていたっけ。
イバンの顔が、ディータの顔が、順番にのぞき込む。
伸ばしたその小さな少年の手は、本当に自分の手か?
力なく震えるそれは、ぱたりと落ちた。
俺は大魔道士エルグリムだ。
巨悪をなし、誰からも忌み嫌われ、いつまでも憎み恨まれ罵倒され続け、決して愛されることはない。
だとしたら俺は、もう一度魔王として、復活するよりなかったじゃないか。
どうすれば、いつになったら、俺はこの世から認めらる?
死んでもなお生き返る呪いをかけたのは、俺自身だったのか?
それともこれが、罪にたいする罰だとでもいうのだろうか。
何に対する罰だ? 生まれたせい? やったこと?
悪だもんな。
当然の報いだ。
だから人に蔑まれ、殺されるのは、当たり前なんだ。
それを受け入れろ。
大魔道士エルグリムだ。
俺はまた復活するだろう。
それは永遠に繰り返される、果てしない呪いだ。
誰よりも最悪で、最も許されない、汚く下劣で醜い、浅ましく卑しい下等なこの世のゴミとして……。
何かの滴が頬に落ち、俺は目を覚ます。
「ナバロ起きて! 起きてよ、ナバロ!」
フィノーラの声だ。
目があったとたん、彼女は大声を上げた。
「気がついた! 気がついたわよ、みんな!」
辺りを見渡す。
ここはグレティウス、魔王城の最深部。
悪夢を設置してあった最後の扉の前だ。
開かれた扉の向こうに、破壊された悪夢が見える。
「壊されたのか?」
誰かの声が聞こえた。
それはどうやら、俺の口から出た言葉だったらしい。
聞き慣れているはずの声なのに、聞き慣れない感じがする。
「あぁ。……。多分、な」
ディータがのぞき込み、その顔を歪めた。
聖騎士団の紋章をつけた連中が、この地下空洞にあふれかえっていた。
「壊れるには壊れた。だけどまだ、壊れきっちゃいねぇ」
人混みの向こうに、半壊した悪夢が見えた。
欠けたクリーム色の台座の中に、どす黒く浮かぶ真球が浮かんでいる。
それは全ての光りを吸収する黒だ。
「だけどなぁ、ナバロ……。お前、死んだかと思ったぜ」
ふと自分の体を見る。
頸動脈は切られ、肩口は裂け、腹には大きな穴が開いていた。
結界を落とされた時の衝撃で、全身の骨が砕けている。
赤黒く染まった包帯が、血を吸った服の上から巻かれていた。
「……。また生まれ変わったのか?」
「は? 何言ってんだお前。助かったんだよ。奇跡的に」
ディータの手が、俺の頭を撫でた。
悪夢の側にいたイバンがやってきて、フィノーラの膝から俺を抱き上げる。
「帰ろう。動けないのだろう。手当と休息が必要だ」
イバンが立ち上がった瞬間、悪夢の本体は、その殻を破り外へ飛び出した。
驚きと戦慄が広がる。
それをあざ笑うかのように、黒の真球は広間の天上へ激突した。
「が……、岩盤を突き破るつもりだ!」
それは砲弾のように岩肌にめり込むと、そのまま山を打ち砕き、どこかへと消えてゆく。
「エ……、エルグリムの悪夢だ! エルグリムの魂が、またどこかへ飛んで逃げたんだ!」
それは空を飛び雲をまき散らし、山を越え街を飛び越え、とある場所へ落ちる。
俺にははっきりと、その場所が分かる。
「まだ悪夢は続くんだ。エルグリムは再び蘇る!」
大騒ぎの中を、俺はイバンに抱かれ運ばれて行く。
再び生まれ変わったエルグリムとして、もう一度。
いつかその正体を、誰かに話せる日はやってくるのだろうか……。
「ナバロ。体が治ったら、俺とルーベンへ行かないか?」
イバンは言った。
「ビビさまに挨拶をしに行こう。お前の聖騎士団への入隊を、楽しみにしている」
そのすぐ両脇を歩く、フィノーラとディータが言った。
「私は嫌だからね。そんなとこ、絶対に行かない」
「ルーベン? なんだってそんな片田舎に、わざわざ戻らなきゃならねぇんだ?」
二人の声に、イバンは笑った。
その目で俺を見下ろす。
「どうするかは、ナバロが好きに決めればいいさ」
「……。そうだね。傷がちゃんと治ったなら、考えてみるよ」
俺は大きな腕に抱かれながら、光りあふれる魔王城の外の世界へと、運ばれて行った。
【完】