お芝居は終わったけれど、まだ帰る人は誰もいない。
役者さんたちは、一つずつ、観客席のブースを回って挨拶をしている。

伊月(いつき)さん、自分のことを芝居にされるのはどうですか?」

「不思議な気分だ。しかも、まさかあのような役者が鬼武者(おにむしゃ)とは…」

「ふふふ。本物の鬼武者(おにむしゃ)の方がカッコいいですけどね。」

「馬鹿を言え。」

私は伊月(いつき)さんの手をそっと握った。
伊月(いつき)さんも手を握り返してくれる。
伊月(いつき)さんは私の横髪をそっと耳にかけた。

「その髪飾り、してきてくれたのだな。その...とても...似合っている。」

「ありがとうございます。」

照れ隠しで、少しうつむくと、伊月(いつき)さんが私の頬に手を置いて、上を向かせた。

那美(なみ)どの、旅の終わりにした約束を覚えているか?」

「あの、どこかに連れていってくれるっていう?」

「ああ。ずっと忙しくて、すっかり遅くなってしまったが、あの約束を果たしたい。」

「嬉しいです。」

「その、この後、行かぬか?」

「いいんですか?」

「ああ。平八郎(へいはちろう)には小雪(こゆき)どのを送らせる。」

伊月(いつき)さんはそう言って、私の耳元に顔を近づけて、「久しぶりに二人になりたい」とささやいた。

「おい、お前らイチャついてるとこ悪いが・・・」

「きゃーーー!!」

せっかくいい雰囲気だった所に煙が出て、八咫烏(やたがらす)さんが現れた。

「な、何をしている!」

「何をしているって、俺も芝居を見ていたのだ。さっきから遠目に見ておれば公衆の面前でイチャイチャしやがって。」

「な、なぜ遠目に見ている! 見るな!」

「きゅ、急に現れるの止めて下さい!」

八咫烏(やたがらす)さんに抗議していると、スッと真顔になった八咫烏(やたがらす)さんが言う。

「ところで、最近、小雪(こゆき)の周りを変な男が嗅ぎまわってないか?」

「え? どうしてそれを?」

吉太郎(よしたろう)から聞いた。」

「縁談を破断にされた男です。ずっと小雪(こゆき)ちゃんに付きまとっているんです。」

「多分、そいつだ。今、ここに来ているぞ。」

私と伊月(いつき)さんは下階(かかい)の土産物屋に行った。
土産物屋で買い物していた客たちは、騒然とした雰囲気になっている。
中年の小太りのいかにもエロそうなキモイ男が小雪(こゆき)ちゃんにすごんでいる。

「何故だ、小雪(こゆき)。お前は私が養ってやると言っている。」

「もう付きまとわないで。縁談はずっと前にお断りしたでしょう!」

「私と一緒になれば、働かなくてもいいのだぞ!」

「働くのが好きなんです。このエロおやじ!しつこい!キモイ!」

小雪(こゆき)ちゃんも負けじと言い返す。

「キ、キモイだと…? 私のもとへ来れば、このような、絵を描くなどという低俗な仕事をしなくてもいい暮らしをさせてやると言っているのだ! なぜわからぬ?」

「低俗?」

小雪(こゆき)ちゃんがエロキモ男を(にら)みすえた。

「な、何だその目は…。」

そこに平八郎(へいはちろう)さんが見かねて言う。

「おい、いい加減にしろ。それ以上小雪(こゆき)どのを侮辱するなら私が許さんぞ。」

「だ、誰だお前は!? 小雪(こゆき)の男か?」

すると、エロキモ男が(ふところ)から短刀を取り出し、刃を小雪(こゆき)ちゃんに向けた。
私が慌てて小雪(こゆき)ちゃんのもとに行こうとすると、伊月(いつき)さんが止める。

平八郎(へいはちろう)がついている。心配するな。」

平八郎(へいはちろう)さんは、さっと小雪(こゆき)ちゃんを背中にかばい、自分の刀の鞘に手をかけた。

「その刀を納めなければ、私も抜刀する。」

「こ、小雪(こゆき)、止めておけ、こんなひょろっとしたのはお前に似合わんぞ!私の元に来い!」

意外にも、小雪(こゆき)ちゃんは平八郎(へいはちろう)さんを押しのけて前に出た。

平八郎(へいはちろう)さん、気持ちはありがたいけど、これは私の問題です。口出し無用よ。」

「は、はい...」

平八郎(へいはちろう)さんは、一歩引いたが、自分の刀の鞘に手をかけたままだ。

「この人は私の男なんかじゃありません。私、誰の男の物でもありません!特に、あなたみたいな、女を自分の好きにできるって思っているキモイ、デブエロ男が大嫌いなの。虫唾(むしず)が走るわ!」

「こ、小雪...」

「低俗だろうがなんだろうが、これからは、女だって自分で稼いで、男に頼らなくてもやっていける時代が来るのよ!だから、私、あなたのお嫁さんになんかならない!それに私、あなたよりも、もっとずっと稼いでるの!」

「何だと...?小雪(こゆき)、どうしても私の物にならないというのなら、お前を殺して一緒に死ぬ!」

男は小雪(こゆき)ちゃんに短刀を向けたまま走り込んでいった。

「こ、小雪(こゆき)ちゃん!」

心配で身を乗り出した私の手を伊月(いつき)さんが引いた。

小雪(こゆき)ちゃんはスタンガンを取り出した。
その瞬間、バチバチと音がしてスタンガンが発動して、男に衝撃が走ったのがわかった。
男が動けなくなり、短刀を落とし、立ったまま白目をむいた。

「えい!」

小雪(こゆき)ちゃんはその瞬間、自分の打掛(うちかけ)(すそ)を思いっきり持ち上げ、の股間にキックをした。

「ぐおぉぉ」

男は変な声を上げて地に伏した。

「あれは痛いな…」

伊月(いつき)さんと平八郎(へいはちろう)さんを始め、その場にいた男性全員が痛そうーな顔をした。

とっさに平八郎(へいはちろう)さんは男の様子を伺って、「気を失っている」と言った。

おぉぉぉぉと、周りの人たちが小雪(こゆき)ちゃんに拍手喝采を送った。

平八郎(へいはちろう)の出番はなかったな。」と伊月(いつき)さんが笑った。

平八郎(へいはちろう)さんもあっけにとられたように、小雪(こゆき)ちゃんを見ていた。

でも、私は見逃さなかった。
その瞬間、平八郎(へいはちろう)さんが小雪(こゆき)ちゃんを見る目が少し変わり、その目に熱が灯ったことを。

―― これは芽生(めば)えたな。ふふふ。

(あるじ)、どうしましょう?」

平八郎(へいはちろう)さんは伊月(いつき)さんに指示を仰ぐ。

「殺人未遂だ。役所に連れて行け。小雪(こゆき)どの、一緒に行って証言してくれぬか?」

「はい。」

平八郎(へいはちろう)、今日はそのまま小雪(こゆき)どのを送っていけ。」

「承知。」

二人が去っていくと、「ありゃ、芽生えたな」と、八咫烏(やたがらす)さんがボソッと言った。

「何がだ?」 

と、伊月(いつき)さんは分からないようだった。

―――

小雪(こゆき)どののことは以前、瓦版(かわらばん)で読んだことがある。
女流絵師、漫画家、舞台演出家というすごい肩書で、一躍(いちやく)(とき)の人だ。
特にちまたの女人から人気があって、憧れの存在のようだった。
(あるじ)のお供として芝居に行き、小雪(こゆき)どのにお会うことになった時、傲慢そうな女性像を想像した。

ところが実際会ってみると、小雪(こゆき)どのは、若くて可愛らしいお嬢さんだった。
天真爛漫に笑う気取らない様子は、少しだけ那美様に似ていると思った。
(あるじ)のことを見よう見まねで、小雪(こゆき)どのに手を差し伸べ、芝居小屋の中にいざなうと、少しだけ頬を赤らめて、うつむき加減に自分の手をとった。

―― 可愛い。

と、素直に思った。

(ほり)様と源次郎《げんじろう》様が、このところやけに、自分を女人(にょにん)に紹介するのだが、その時には感じたことのない気持ちだ。
(ほり)様と源次郎《げんじろう》様が自分に会わせる女人(にょにん)は綺麗な人が多いが、話しをしていても、

―― つまらない

と思うことが多い。
皆、家のことを手伝いながら、縁談が来るまで親元にいる人が多いからか、特に話題が広がらない。
話すことと言えば、家のことや、せいぜい飼っている猫のことくらいだ。
それに、自分のことを値踏みされているような感じも嫌いだった。

―― 那美(なみ)様とは全然違う

那美(なみ)様は読み書きもでき、時世についても話ができるし、色んな経験があり、話を聞いていると引き込まれるし、自分の視野が広がった。
あの酒呑童子だって泣かせるくらいの人だ。
那美(なみ)様の話をつまらないと感じたことは一度もなかった。

小雪(こゆき)どのの話も面白かった。
那美(なみ)様以外の女人(にょにん)と、こうも話が盛り上がったことはなかった。
小雪(こゆき)どのは教養があり、女手一つで、母親と、兄弟5人を養っていると言った。
まだ若いのに、一本芯が通っている。

―― 可憐で、でも、凛としている。

それが私が小雪(こゆき)どのに抱いた印象だ。
小雪(こゆき)どのの漫画に興味が湧き、見せてもらうと、すぐにその絵の素晴らしさに目を奪われた。

「私は芝居よりも、この漫画の方が面白いと思います。」

平八郎(へいはちろう)さん、これも読んでみて。最新作なの。」

私は思わず、土産物屋で雷巫女の漫画を数冊購入した。
そこに変な太った男がやって来て、色々と小雪(こゆき)どのに迫っている。

「縁談を断った相手なの。最近、つきまとわれてて、本当にウザいの。」

小雪(こゆき)どのをかばおうとしたのだけど、私の出番は全くなかった。
小雪(こゆき)どのは強かった。男の股間を蹴った時には思わずこっちまで冷汗が出そうだった。
でも、小雪(こゆき)どのの股間蹴りを見た瞬間、私の中で何か衝撃が走ったような気がした。

―― なんて、素敵な人なんだろう。

不意にそう思ってしまった。
二人で男を役所に届けて、主の言いつけ通り、小雪(こゆき)どのを送ろうと思ったのだけど、なぜか、

「あのう、もしよかったら、お茶でも飲んでから、帰りませんか。」

と、尋ねていた。
もっと小雪(こゆき)どののことを知りたいと思った。
もっと小雪(こゆき)どのの話を聞きたいと思った。
それで、このまますぐに家に送り届けるのが口惜しいような気がした。

「じゃあ、お団子が美味しいところがいいな。」

小雪(こゆき)どのの言葉に私は嬉しくなった。
以前、源次郎《げんじろう》様や(ほり)様に教えて頂いた、女人(にょにん)を連れて行くと喜ぶ所10選の中から、ある茶屋を選んでそこに行くと、小雪(こゆき)どのは目を輝かせて、「わぁ可愛いお店ねー!」と、喜んでいる。

―― 源次郎(げんじろう)様、(ほり)様、ありがとうございます。助かりました。

と、この時ばかりは二人に心の中でお礼を言った。