清十郎さんに付き添われて伊月さんの屋敷に行くと、留守番をしていた平八郎さんが出迎えてくれた。
「な、那美様、ずぶ濡れでどうしましたか!」
「平八郎、那美様を頼む。主ももうすぐ帰られる。 那美様、私はこれで。」
清十郎さんがそう言ってまた雨の中に消えていった。
「那美様、中にお入り下さい。風邪をひきますよ。」
平八郎さんは、私に湯殿を使うように言って手拭いを渡してくれた。
そして、伊月さんのものらしい浴衣を手渡される。
「これしかありませんが、濡れた着物よりかはましかと思います。お風呂の後、どうぞお着替えください。」
「ありがとうございます。」
私はびしょ濡れになった自分の着物を脱いでお風呂で体をあたためた。
平八郎さんが手渡してくれた男物の浴衣を手に取ると、伊月さんのヒノキのお香の香がする。
大好きな匂いだ。
―― でも、で、でかい!
私は渡された浴衣に着替えようとするも、横にも縦にも大きすぎる伊月さんの浴衣にモタモタしていた。
長さはものすごく長くおはしよりを作れば何とかなるとして、身幅が大きすぎて、二周くらい回せる。
―― そして、袖から手が出ない!
一人であたふたしてると、湯殿の外が少し騒がしくなった。
伊月さんたちが帰ってきたみたいだった。
すぐに伊月さんの声がした。
「那美どの、ここにいるのか?」
私は湯殿の扉を開けた。
「あの、浴衣が大きくて…。」
伊月さんは、大きな浴衣をどうにか着ている私を見て一瞬かたまった。
「ぷっ」
伊月さんがたまらず笑いだす。
「あははは!何だそれは。浴衣の中に埋もれておるぞ!」
「わ、笑わないで下さい!それよりも、怪我は、きゃ!」
浴衣の裾を踏んでしまって、転びそうになったのを伊月さんがキャッチしてくれる。
「怪我は打ち身だけだ。八咫烏が大げさなだけだ。心配するな。」
「打ち身? 見せて下さい。どこですか?」
ここだ、と言って伊月さんは自分の左肩の後ろを指さす。
「受け身を取った時に打っただけだ。案ずるな。それよりもちゃんと温まったのか?」
伊月さんは自分の怪我のことなど気にもせず、私の事を心配してる。
―― 戦いから帰って来たばかりなのに、心配もさせてくれないの?
私は少し不貞腐れる。
「伊月さんだってずぶ濡れじゃないですか。早く着替えて暖かくしてください。そして、怪我を見せて下さい。本当に心配したんです。私の事なんてどうでもいいじゃないですか。」
「じゃあ、脱がせてくれ。」
「へ?」
「怪我をみるのだろう?痛くて脱衣もままならん。風呂にも入りたいし。」
―― やっぱり痛いんだ!
「わ、分かりました。」
私は伊月さんのつけている甲冑を全て取った。
具足の下の着物まで雨でぐっしょり濡れている。
「着物も脱がせてくれぬか?いやー痛くてかなわん。」
「そ、そんなに痛いんですか?」
私は伊月さんの着物の帯の結び目をほどいた。
帯を取ると、伊月さんの着物がはだける。
「あ、あの、座ってくれませんか? 届かなくて。」
伊月さんは大人しく私の前に背を向けて座った。
そっと襟元に手をかけ、着物を脱がすと、左肩の後ろに青あざができてた。
「うっ、痛そう。結構内出血していますよ。」
言いながら伊月さんの着物を全部取った。
―― どうしよう… 体が美しすぎる…。
「あの、お風呂に浸かりますか?」
こんな時に胸がドキドキしてしまっている自分が恥ずかしい。
「そうだな。ちょっと 湯に浸かってくる。待っていてくれるか?」
「はい。じゃあ、手拭いと、新しい着物を取ってきます。」
「助かる。」
私は平八郎さんに手拭いと、伊月さんの着替えの着物をもらいに行ったのだけど、
「浴衣が歩いているのかと思いました」と、爆笑される。
「し、仕方ないじゃないですか...」
「我が家にも女性用の着物を買いそろえなければいけませんね。」
「いや、そこもまでしなくても…。今日は、たまたまこういう事になっただけなので。」
「あの、これも、良かったら、主に渡してもらえませんか? 打ち身用の薬です。」
「分かりました。」
私は伊月さんの着替えと、薬箱を受け取って、湯殿に戻った。
「伊月さん、手拭い、ここに置いておきますね。」
伊月さんは私の声を聞いてお湯から上がってきた。
「いやぁ、怪我が痛くて、体を拭くのも難儀だ。」
「え? だ、だ、大丈夫ですか?」
私は思わず伊月さんの方を見ないように背を向けた。
「那美どのが体を拭いてくれればこの上ない幸せなのだが。」
そう言いながら、私の後ろで何か、ゴソゴソしている。
「う、は、はい...。体を拭きます。」
「こっちを向け。」
伊月さんは私の肩を掴んで振り向かせた。
伊月さんは褌姿で、堂々としている。
―― あ、褌つけてたのか。少しほっとした。
「あの、伊月さん、座ってくれないと、届きません。」
「おう。」
伊月さんはまた私の前に背中を向けて座ったので、体を拭き始める。
―― 打ち身、痛そうだなぁ。
「前も拭いてくれるか?」
「う...は、はい。」
私は伊月さんの前に回り込んだ。
どうしよう、ドキドキしすぎて、見れない!
「なぜ目を瞑ったまま拭いている?」
「そ、それは…秘密です!」
緊張で伊月さんの体を拭く手が震えているのが自分でもわかった。
「あの、打ち身の手当...湿布しましょうか?薬を持ってきました。」
「ああ。頼む。」
私は伊月さんに言われるままに、薄い布に薬をへらで伸ばして、それを肩に貼り付けた。
それを固定するのに、包帯を巻く。
「着物、着せますよ。」
「ああ。」
伊月さんの肩にそっと着物をかぶせる。
「帯、できますか?」
「いやぁ、痛くて手がまわらぬなぁ。」
「じゃ、じゃあ、立って下さい。私がしますから。」
伊月さんに立ってもらい、真正面に立って、襟元を合わせる。
でも、伊月さんの体をまだ直視できない。
「那美どの、顔が赤いぞ。大丈夫か?」
「だ、大丈夫です!」
伊月さんの胴まわりに手をかけて帯をまいていくと、ハグしているみたいな恰好になる。
―― 伊月さんが怪我で大変な時に、一人でこんなドキドキしてるなんて、ダメだ。
私は自分に渇を入れて、帯を絞めた。
「で、できました。」
「ありがとう。」
伊月さんはそういうと、私をひょいっと横抱きにした。
「な、何するんですか?」
「次は那美どのを介抱せねばな。その赤くなった頬をどうにかせねば。」
伊月さんは湯殿を出て私を運んでいく。
「怪我が悪くなります!痛いんでしょ?おろして下さい。」
「ちっとも痛くない。」
「む、無理しないで下さい。さっきは痛がっていたじゃないですか。」
「嘘も方便というやつだ。」
「う、うそ?」
「那美どのに世話を焼かれるのは好きだからな。」
「な、何言って!」
「那美どのの反応が可愛くてつい、な。」
「ひ、ひどいです! 心配したのに!」
伊月さんは、すまんすまんと言ったけど、ちっともすまなさそうじゃない。
そして、そのまま私を自室に連れて行くと、そっと床におろして、私の浴衣の帯を取った。
「な、何するんですか?」
「体に合っておらん。」
「だ、だからって。」
「そなたの着物がもうすぐ届く。」
「え?」
「今日はここに泊まっていけ。この雨ではそなたを送っていくのが大変だ。清十郎がオババ様にここに泊まると伝えて、そなたの着替えを持ってくる。もうすぐ帰ってくるだろう。」
そういうと、伊月さんは私の唇をチュっと奪って、私を自分の膝の上に乗せた。
伊月さんの大きな浴衣にくるまれて、そのまま伊月さんに抱きしめられた。
「那美どのといると落ち着くな。」
「伊月さん…。無事に帰って来てくれてよかったで… ん…。」
言い終わる前に伊月さんがキスをした。
すぐに伊月さんの舌が私の唇を割って入って来た。
強引に入ってきたのに、すごく優しいキスだった。
ゆっくりと、舌を絡めて、ゆっくりと口の中を蹂躙してくる。
「はぁ、んん...」
息が上がって、肩が上下しはじめた時、伊月さんがゆっくりと唇を離した。
「そなたの着物が届いたようだ。」
「…え?」
伊月さんが自室の障子を開けると、廊下に風呂敷包みが置いてあった。
清十郎さんの仕事の速さはすごい。
―――
その日は、伊月さんのお家で夕ご飯を作って、平八郎さん、源次郎さんと清十郎さんも含め、皆で食卓を囲んだ。
雨は夜中までふり続けたけど、朝にはすっかり晴れていた。
夏は完全にどこかに行ってしまったみたいで、風が涼しい。
その日は、伊月さんは、朝からお城に行かなきゃいけなかったので、伊月さんをお見送りしてからタカオ山に帰ることにした。
玄関先に立って、刀を二本指した凛々しい姿の伊月さんをお見送りする。
―― ここで、あれ、やりたい!
私は、ある衝動にかられて、周りを見回した。
誰もいないことを確認すると、伊月さんに近寄った。
「あの、伊月さん!」
そして、勇気を出して自分からキスしようとした。
憧れの、行ってらっしゃいのキスをしようとしたのだ。
だけど、頑張って背伸びしたけど、背の高い伊月さんに届かなかった。
―― う…。恥ずかしすぎる。
憧れの、行ってらっしゃいのキスは不発に終わって恥ずかしさにうつむく。
一瞬、間をおいて、私が何をしようとしていたのか理解したのか、伊月さんはふっと笑って、身を屈めた。
「もう一度、頼む。」
「は、はい。 あの、伊月さん…」
私はもう一度背伸びした。
「行ってらっしゃい。」
そして、伊月さんに、チュっと口づけた。
「行ってくる。」
そう短く言って、お城に行く伊月さんの大きな後ろ姿を見送った。