数日前、亜城(あじょう)で、私を見つけた源次郎(げんじろう)平八郎(へいはちろう)脱兎(だっと)のごとく駆けて来て、呼び止めた。

清十郎(せいじゅうろう)!」

清十郎(せいじゅうろう)様!」

「どうした?」

ただならぬ様子に私は警戒態勢に入る。

「そろそろ(あるじ)を仕事から解放しては頂けませんか?」

平八郎(へいはちろう)がすがるような声を出す。

「は?」

「もう()に帰ってから3か月も那美(なみ)様とゆっくり時間を過ごされずにおられる。」

なぜか源次郎(げんじろう)が必死になっている。

「それは、お忙しいからな。ようやく逃げ回って方々に隠れておった生田(いくた)の親戚の者たちを全員捕まえたところだ。」

(あるじ)は休養が必要だ。今すぐ!」

源次郎(げんじろう)がひと際大きな声で言う。

清十郎(せいじゅうろう)様、お願いします。こ、こちらの方が身が持ちません。」

平八郎(へいはちろう)がげっそりした顔をしている。

話を聞けば、(あるじ)那美(なみ)様にお会いになられても短時間しか会えず、毎日、鬱憤(うっぷん)を晴らすように鬼のように仕事をして、さらに仕事の前も後も鬼のように源次郎(げんじろう)平八郎(へいはちろう)と武術の稽古をなさるそうだ。

「もうちょっと、まとまった時間を取って、ちゃんと睦み合いの時間を与えぬと…。」

「しかし、私にどうこうできることでは…。」

(あるじ)がちゃんと那美(なみ)様と睦合いの時間を取ったのは多分、出陣前にあの、屋敷の庭先で、(あるじ)那美(なみ)様を愛していると叫んでおられた時ですよ。」

「もう、半年近くも前か...」

「ま、待て、(あるじ)が愛していると叫んだだと?」

私は目を丸くした。

「正確には、『こんなにそなたを愛しているのに、なぜ分かってくれんのだ!』と叫んでおいででした。」

私は、自分の耳が信じられず、かたまってしまった。

「本当のことだ。」

源次郎(げんじろう)平八郎(へいはちろう)の言葉にお墨付(すみつ)きを与えた。

「あの時は(ほり)様もおいででしたが、人目を気にせず睦みあっておいでだでした。」

「あ、いや、人目を気にせずというか、多分(あるじ)那美(なみ)様は私たちがこっそり見ているとは思ってなかっただろうけども。」

「わ、私は見てはいけないと言ったのですが、(ほり)様と源次郎(げんじろう)様がずっと様子を伺っておられたので、つい、私も...」

平八郎(へいはちろう)が言い訳を始めた。
実際にその後にも(あるじ)那美(なみ)様の部屋にこっそり侵入したことはあるが、この二人は知らぬようなので、何も言わない。
だが、夜、(あるじ)が四半刻後に呼べと言ったので、呼んだのだが、あの後、すこぶる機嫌が悪かったな。

―― 生殺しにされたな。

と、ピンと来た。
さらにあれから3カ月もそのままとは、主もつらかろうな。

「そ、そんなことよりも、(あるじ)の体調がいささか気になる。」

源次郎(げんじろう)が言う。

「時々、野獣のように叫んで井戸の水をかぶっておいでです。」

平八郎(へいはちろう)が言う。

「この二月の寒い中に、か?」

「雪の日も、です!」

さすがに、それは重症だと思い、ため息をついた。

しかし、私が二人きりになれる場所を提供するのは難しい。
国主が変わったばかりで、(あるじ)の命を狙うものはまだゴロゴロいると思われる。
だから、護衛の者が必ず側にいなければいけなくなる。

「うむ…。オババ様に相談してみるか。」

私はオババ様の屋敷に向かった。
オババ様は二人きりになれる場所を提供してくれる、という。
もちろん、神の領域だから、(あるじ)の命の安全は確保される。

―― それなのに!

あろうことか、(あるじ)は、その(ほこら)とやらに行くのをためらっておられる。
オババ様を始め、ここにいる那美(なみ)様以外、全員が(あるじ)に白い目を向けている。

那美(なみ)様があきらかに悲しそうな顔をして、少し不貞腐れたように、準備する、と言って自室に行かれた。

(あるじ)那美(なみ)様の気持を察したのか、縮こまるように、正座して座った。

「私は、何をしてしまったのでしょうか。ご教示願えますか。」

オババ様が、はぁ、とため息をついた。

「オヌシは那美(なみ)を傷つけた。」

「な、なぜ?」

「お前が、那美(なみ)と二人で過ごしたくないと言ったようなものじゃ。」

「そ、そんなことは断じて!」

「では、なぜ、行くのをためらう?」

「な、那美(なみ)どのは、難攻不落の城にございます!今の私には到底太刀打ちできません!」

―― 我が(あるじ)ながら、誠、意味がわからん。

「何を言っておる?ちゃんと、人間の言葉をしゃべれ。」

(あるじ)の話によれば、(あるじ)夫婦(めおと)になるまで那美(なみ)様とは健全な関係を続けるのだと自分に誓いを立てたそうだ。
そして、那美(なみ)様の方から欲して、無血開城せぬ限り、自分から攻め入ることを禁じているらしかった。

―― だいぶ、こじれておられるな...

「それで、那美(なみ)と二人で夜を過ごせば、自制が効かず、その誓いを破ってしまうかもしれぬと...」

「…はい。」

「それは、那美(なみ)夫婦(めおと)になるまで待てと言ったのか?」

「え?」

「え?ではない!だから、那美(なみ)がオヌシに夫婦(めおと)になるまで待ってほしいと言ったのか?」

「いいえ…」

―― 先走りか…。

「オヌシが勝手に自分に誓いを立てたのだな?」

「…はい。」

「あほか!」

―― 大の大人が、しかも城を五つも落とした、我が(あるじ)が叱られている...。

那美(なみ)の気持ちも聞かずに勝手に誓いを立ておって。それで、過去に那美(なみ)が拒んだのか?」

「え?」

「え? ではない! だから、那美(なみ)がオヌシを激しく拒絶したことがあるのかと聞いておる!」

「あ…いえ…」

「全く、あほか!! この、こじらせ童貞め!!」

―― ど、童貞と、オババ様がはっきり...

オババ様は立ち上がり、苛立ちを解消するかのように、(あるじ)に蹴りを入れた。

―― う、うわー。今や天下人に一番近い男と呼ばれる、鬼武者(おにむしゃ)こと、豊藤伊月(とよふじいつき)が蹴られた!

那美(なみ)の気持ちを聞かずに自分だけで色々と決めおって。そういうことは二人で決めねばならぬだろう?二人で正直に話し合うことだ。」

「はい…」

そこに那美(なみ)様が風呂敷包みを持ってこられた。

「お待たせしました。」

不穏な空気を感じ取ったのか、那美(なみ)様が訝し気に私たちを見ておられるが、(あるじ)も居心地が悪いのか、そそくさと、

「オババ様、行って参ります。お気遣いに感謝いたす。皆も、仕事は頼んだ。」

と、言って、二人でオババ様の描いた地図を持って出かけられた。

「全く、あの、青二才めが…」

「オババ様、ありがとうございます。」

私をはじめ、源次郎(げんじろう)平八郎(へいはちろう)が頭を下げた。
少なくとも、明日の昼すぎまでは源次郎(げんじろう)平八郎(へいはちろう)には平穏な時間になる。

―― だが、今回も生殺し状態で帰って来られたら、もっと悪化するかもしれぬな。

私の心配事がわかったのか、オババ様がすかさず言う。

清十郎(せいじゅうろう)、心配するな。あの(ほこら)は、(まぐ)わい事をせねば、出れぬようになっておる。」

「え?」

「しかも、祠の中には、それにふさわしい、二人だけの空間が広がっておるはずだ。」

「な、何と、夢のような(ほこら)ですね!」

源次郎(げんじろう)が目を輝かせた。

「そうじゃ。だから、源次郎(げんじろう)のような者に使わせぬよう、護符がいる。」

「そ、そんな…」

源次郎(げんじろう)が頭をかきながら笑った。

オババ様の父上、高龗(たかおかみ)の神が奥手でなかなか子供をつくらない村の男女のために縁結びの神を召喚して作った(ほこら)らしい。

「しかし、わが父も若い人間の女が好きでなー。色々と放蕩事件を起こして、縁結びの神から、あの(ほこら)には出入り禁止を言い渡された。」

高龗(たかおかみ)の神まで出入り禁止なら、確かに源次郎(げんじろう)は無理だな!」

源次郎(げんじろう)はしばらく笑っていたが、ふっと真顔になり、言った。

「しかし、これでやっと、やっと、ようやっと、(あるじ)が男になられる…。全く肩の荷が下ります…」

切実そうな源次郎(げんじろう)の言葉に、オババ様も同情の目を向けた。

―――

次の日、(あるじ)は縁結びの(ほこら)で一晩過ごして、次の日の夕方に城に帰って来られた。

清十郎(せいじゅうろう)様、助かりました。」

平八郎(へいはちろう)が言った。

清十郎(せいじゅうろう)、誠、恩に着る!」

源次郎(げんじろう)が言った。

(あるじ)はすっかり落ち着きを取り戻したようだった。
顔色も随分とよくなり、朗らかになられた。
そして、仕事もより一層はかどっておられるようだった。

「鼻歌を歌っておられましたよ。」

「な、何だと!? あの、(あるじ)がか?」

「本当のことだ。」

源次郎(げんじろう)平八郎(へいはちろう)の言葉にお墨付きを与えた。

「そして、このごろは、伊城(いじょう)での那美(なみ)様の室の準備を喜々としてしております。」

「ほう。それはそれは…」

三人は内心オババ様にいたく感謝した。