仮想空間に巻き込まれた男装少女は、軍人達と、愛猫との最期の旅をする

 セイジは、向かって来る化け物を手で引きちぎり、足で踏み潰しながら先へと進んだ。スウェンが黒い鉄の茨の合間を縫って、ロケットランチャーを撃ったが、エリスのいる方向を遮るように茨の化け物が生成され盾となって砕け散る。

 無暗に噛みついてくるだけでなく、この蛇のような化け物にも、思考能力や学習能力がありそうだ。

 エルは「大丈夫かな」と不安になった。特にスウェンなのだが、彼の動きを見る限りでは、彼は接近戦にはやや不向きなようだと感じた。身軽で小さい自分であれば、効率よく時間を稼ぐ事が出来たかもしれない。

 私情で予定を変えてもらった事に対して、今更になって少し申し訳ない気持ちが込み上げた。

「行くぞ、ガキ」

 ログに肩を叩かれ、エルは、スウェンとセイジに加勢したい気持ちを押し殺し、「うん」と答えて走り出した。
 地中から生えて聳え立った黒い鉄の茨の下には、二メートル程の空間が開けており、エルとログは、そこから塔へ向けて駆けた。

 エリスは、スウェンとセイジに夢中で、こちらの動きには一切気を払っていない様子だった。エリス自身は、塔の中に大事な物があるとは考えていないのかもしれない。彼女は、人工夢世界の『夢人』である事にさえ気付いていない可能性もある。

 黒い鉄の茨を半分まで進んだところで、頭上から蛇を模した茨の赤い化け物が噴き出した。

 エルが攻撃態勢を構えるよりも早く、ログが彼女を後ろにかばい、強靭な腕でその化け物を薙ぎ払った。

「じゃれてる暇はねぇぞ。俺たちの目的を忘れるな。俺が援護する。とにかく突っきれ!」

 出来るだけ速度を落とさず、ここを切りぬけろという事だろう。走りながらログが大きめのコンバットナイフを引き抜いたので、エルも同じくコンバットナイフを右手に構えた。

 頭上から牙を剥く茨の化け物を切り払いながら、エルは、出来るだけ走る事だけに集中した。スウェンとセイジ、ホテルマンが闘っている音に気を取られ、振り返りそうになる自分を抑える。ログが『エリス・プログラム』を破壊すれば、彼らに対する攻撃も終わるのだ。目的の優先順位を誤ってはならない。

 不意に、頭上から茨の化け物が生え、エルに牙をむき出して襲いかかった。エルは首の後ろを狙われた事に気付くと、咄嗟に駆ける足を止めて踵を返し、化け物の口をコンバットナイフで受けとめた。

 大きく口を開いた化け物の歯は、隙間なく円形の口内を埋め尽くしていた。

 うげぇ、まるでオジサンが見ていたホラー系の映画……
 あれはエイリアン物だったが、生々しい粘膜が気持ち悪く、人間が食われていくシーンで何度も悲鳴を上げた過去を思い出した。思わず生理的な嫌悪感で逃げ出したい衝動も込み上げたが、エルは両手でコンバットナイフを支え、化け物を受けとめた状態で両足を踏ん張った。

 化け物の歯で、ナイフの刃がギリリと音を立てた。こいつが口を閉じたら、ナイフの刃は砕かれてしまうだろう。

 スウェンからの預かり物を壊されてなるものか。そう考えている間にも、別方向から化け物が生え始めている事に気付いて、エルは、時間のロスを覚悟でコンバットナイフの柄を掴む手に力を込めた。

「……ッ、ログ!」

 エルは目の前から視線をそらさないまま、塔に向かって走り続けているであろうログに聞こえるよう腹の底から叫んだ。

「プログラムの破壊が優先だから! 絶対振り返るなよッ、構わず走れ!」

 少しでも早く、ログは塔へと辿り着かなければならないのだ。エルは、ログが目的の優先順位を理解していると分かって、彼の様子を確認する事はしなかった。
この旅の中で信頼しているからこそ、了承の言葉も合図も必要なかったのだ。

 頭上から爆音が響いた。スウェンが、ロケットランチャーで応戦しているようだ。エルは、コンバットナイフを噛み砕こうとする茨の化け物の腹を思い切り蹴り上げると、素早く武器を取り返した。スウェンから預かったナイフを壊されてたまるものかと、改めて意気込み、体勢を変えつつ柄を持ち変える。

 時間がかかろうが、こいつらに勝って、無傷で塔を目指してやるわ!
 
 その時、前触れもなく大きな手がエルの頭を押さえつけた。
 頭上から予想外の力を加えられたエルが、「のわっ!?」と体勢を崩してしまった脇から、ログが素早くコンバットナイフで化け物の腹を一瞬にして切り裂いた。

「名前まで呼ばれたんだ。このまま置いていける訳ねぇだろ」

 ログは化け物達の様子を見据えたまま呟くと、ニヤリと笑みを浮かべた。慌てて戻って来たのか、その額には玉の汗が浮かび、手も若干湿っていた。

「お前は足手まといなんかじゃねぇよ。真っ直ぐ一生懸命で、俺には勿体ないぐらい優秀な戦士だ」

 一度だけエルの髪を乱暴に撫で回すと、ログは、近くの化け物を数秒も掛からず始末した。エルは困惑したものの、走り出した彼に置いて行かれるまいと、僅かに遅れて駆け出した。

 出来るだけ避けられる戦闘は避けながら、二人は、それぞれ化け物の襲撃に応戦しつつ塔まで全速力で進んだ。前方から襲いかかる化け物をログが片付け、後方やサイドから襲いかかるものをエルから切り払い、そうやって二人は駆け続けた。

 塔まであと少しの距離まで来た時、悪寒を覚えて、エルとログは走りながら頭上へ目を向けた。

 黒い鉄の茨群に君臨する女王が、こちらの存在に気付いて顔を向けていた。

 エルと目が合った途端、エリスが眼を見開いた。エリスは、エルの傍にいるログに一切の関心を払わなかった。
 エリスの見開いた赤い両目から、一瞬だけ狂気が薄れ、その唇が言葉を紡いだ。

「待って、あなた。もしかして『こ……』」

 貴女もしかして、※※※じゃないの……?

 続く言葉が分かって、エルは静かな眼差しでエリスを振り切った。もう少しだ。もう少しで助けられるから待っていてと、迷いを思考の向こうへ押し込んだ。ほんのちょっと寄り道してしまうけれど、マルクを助けたら、今度こそ貴女を助けるよ。

 走り続けるログとエルの身体は、エリスの呟きを全て聞き終える前に、塔の中へと入っていた。

             ※※※

 塔の中は、ひんやりとした湿った空気が流れていた。

 外の戦闘音が響き渡る塔内の中心には、頭上の闇に真っ直ぐ伸びる一本の螺旋階段があった。周りの壁は様々な大きさの電気ケーブルで覆い尽くされており、脈拍を計測するような音も複数方向から上がっていた。

 螺旋階段の周りには、大小の機械が設置されていた。その足元には大量の電気ケーブルが広がり、数十はあるモニターが、青白い光を放って薄暗い塔内を照らし出していた。

「……これ、全部が『エリス・プログラム』に必要な機材なの?」
「これぐらい大がかりじゃなきゃ造れないだろ。俺の知ってる研究施設も、こんなもんだった」

 ログは答えながら、別の事を考えるように顎に手を置いた。
「なぁ、さっき、あの女なんか言ってなかっ――」
「よし、ここは任せた!」

 塔に入った瞬間から、既に意識を目先のマルクへと切り替えていたエルは、その場にログを残して走り出した。螺旋階段は地下に向かっても続いており、生きている人間の気配を感じていたから、そこにマルクがいる確信があったのだ。

 話も聞かず走り出したエルを見て、ログが舌打ちした。彼は、螺旋階段へと向かうエルの背中に声を掛けた。

「おいッ、あまり勝手に動き回るな!」
「動かないと目的を達成出来ないじゃん、時間がないんだから別行動を取った方が手っ取り早いって! 『エリス・プログラム』は任せたからね!」

 ログは渋るような表情を見せたが、少し考えて「……まぁ俺の方が早く片付くか」と、自身の任務に取りかかるべく駆けた。

 エルは一度、頭上高くどこまでも続く螺旋階段を仰いだ。きっと、この先に本物の『夢人エリス』が隠されているのだろう。機械の夢世界に覆われて、今は辿り着く事が出来ないけれど、全てが終われば今後こそ彼女を助けに行けるのだ。
 深呼吸をしたエルは、地下に伸びている螺旋階段の先を確認した。

 地下へと続く螺旋階段の先は、闇に包まれていた。エルは、もしもの場合に備えてコンバットナイフが取り出せるよう構えながら、慎重に階段へと足を踏み入れた。

 進み始めてすぐ、広がる闇に点々と不規則に光が灯り始め、階段の先が見えるようになった。

 階段周囲の闇の中で、青、黄色、白と、不揃いな大きさの灯りが、夜空の星のように無数に輝いて螺旋階段を照らした。まるで、螺旋階段に沿って小さな宇宙が広がっているようにも見えた。

 足場を確認しながら、急く心を落ち着けて慎重に階段を下った。次第に階上の音は聞こえなくなり、熱くも冷たくもない、全てが始まって終わっていくような静寂の世界がエルを包み込んだ。


 エルは、手すりもない螺旋階段を、踏み外さないよう慎重に進んだ。

 その時、地上で小さな地響きが起こり、その振動が階段にも伝わって来た。エルは、大きな揺れが来るかもしれないと慌てて階段にしがみついたのだが、落ちても大丈夫な距離なのか、と目下を確認した時、崩壊しかけている地下空間が彼女の目に止まった。

 螺旋階段の終わりには、今にも闇に沈んでしまいそうな地下空間が残されていた。地下は、周囲から闇に呑まれている真っただ中だったのだ。

 そこには膨大な量の電気ケーブルの海が広がっており、床は視認する事が出来なかった。絡みついた大量の電気ケーブルの中心地に、一人の人間が埋まっているのが見えた。白衣の襟と、目を閉じた細身の中年男の顔が覗いており――それはマルクだった。
 彼の姿を確認してすぐ、エルは、電気ケーブルの絨毯目掛けて飛び下りた。

 マルクの身体は、胸から下が大量の電子コードの下に埋まってしまっていた。彼の首に手を当ててみると脈拍はあり、エルの手よりも暖かい体温をしていた。

「良かった。まだ生きてる……」

 とはいえ、安心するのはまだ早い。

 エルは救出する事に意識を切り返ると、マルクを押さえつけている電気ケーブルをかき分けて退かそうとした。しかし、思った以上に固く絡み合ってしまっており、腕力ではどうにも出来そうにないと分かった。

 作戦を変更し、コンバットナイフで切り裂いて掘り返す事にした。

 しかし、切り裂いてすぐ、電気ケーブルが自らの意思で動いていることに気付かされた。切った先々から、電気ケーブルが生き物のように蠢いて増殖し、マルクの身体を更に奥へと引き込もうと動き出した。

 夢世界は、損害を与えたマルクを、この人工夢世界ごと消してしまうつもりなのだろうか?

「……ッんなこと、させるかよ!」

 エルは、コンバットナイフで電気ケーブルを切り付けると、それを素早く腰の革鞘に戻した。自由になった両手を、増殖し蠢き続けるケーブルの隙間に深く突き入れ、マルクの手を探した。
 電気ケーブルは蛇のように蠢いていて、コートの上からでもハッキリと分かる感触に、エルは思わず「うぇ」と顔を歪めた。上に出ている電気ケーブルは固い癖に、中のケーブルは、まるでゴムタイプのような手触りで、大量の虫の中に手を突っ込んでいるような錯覚に陥る。

 違うよね、虫なんかいないよね?

 ひんやりとした電気ケーブルの奥を探り、腕の付け根まで埋めた時、指先が男の手を掠った。

 エルは「あったッ」と思わず声を上げ、細く骨ばった男の手を掴んだ。

「助けに来たぞ! おいッ、起きろおっさん! 擦れ違いのまま終わるなんてダメだ。そんな事したらアリスも、あんたの友達も悲しいだけなんだ。あんたには、まだ帰れる場所が残ってるんだから!」

 そう声を掛けながら、エルは両足を踏ん張って彼の手を引っぱり上げた。マルクの片腕まで引きずり出す事に成功し、続けて彼の身体までと考えて「よいしょお!」と意気込んで力を入れた。

 しかし、助け出そうともがくと、彼を飲み込む電気ケーブルの力も強くなった。どうやら、蠢いている電気ケーブルは明確な意思を持って、彼を下に引っ張っているらしい。エルは「畜生」と呻いた。

 かなりの強さで腕を引っ張っているが、マルクは一向に目覚める気配がなかった。深い眠りに落ちているようで、疑い深い眼差しや薄い唇、すっかり染みついたような眉間の皺一つにも反応がない。