仮想空間に巻き込まれた男装少女は、軍人達と、愛猫との最期の旅をする

 つまりホテルで散々怖い目に遭ったのも、うっかりの誤作動ではなく、向こうの勝手な都合なのだと思うと無性に腹が立って来た。あのテディ・ベアが首謀者ではない事は理解出来るが、人を勝手に材料に例えた台詞は、非常に気に入らない。

 オジサンが俺に生きる力をくれたんだ、負けてなるものか!

「――材料とかなんとか勝手に言ってくれるけど、俺はやられっぱなしが大嫌いなんだ。事情は知らないけど、俺の事を勝手にしようだなんて言う奴は、片っぱしからぶっ飛ばしてやる」

 エルは、低い声で吐き捨てた。

 ログが意外そうに片眉をつり上げ、途端に口角を引き上げて「いい心がけだな」と相槌を打った。

「お前の事、ちょっとは見直してやってもいいぜ、ガキ」
「ガキっていうな。負けっぱなしは俺の性分じゃないって事を改めて思い出したんだ。必ずここから出てやるし、俺を巻き込みやがった奴にも一発決めてくれるッ」

 エルが拳を固めてテディ・ベアを威嚇すると、ログが一つ肯いた。

「よし。なら、覚悟は出来てるよな」
「あ?」

 途端に、エルは嫌な予感を覚えて彼を見上げた。ログは既に前方に視線を戻しており、不敵な笑みを浮かべたまま、テディ・ベアに向かって一歩前進した。
「スウェン隊長の任務遂行には、この空間が邪魔だ。――だから、さっさと壊させてもらうぜ」

 前触れもなく、ログがストレートな宣戦布告をした。

 セキュリティーを動かすには、もってこいの敵宣言だったのだろうか。テディ・ベアのまとう空気が一変した事に気付いて、エルは緊張感を覚え身構えた。

 テディ・ベアは、頭をぐらぐらと揺らせたかと思うと、自身の解れた首の中に手を突っ込み、そこから鋭利な刃物を取り出した。それは柄の黒い、少し錆びた肉切り包丁だった。


『――させない。守る。連れ出されたくないんだ』


 壊れた録音テープのように、テディ・ベアが、脈絡の掴めない呟きを上げた。

 すると、草の塀の茂みが揺れて、大きさ不揃いな人形が次々と現れ始めた。ストラップほどの小さな兎の人形や、キャラクター人形、毛糸で出来た小さな熊、ピンクのドレスを着たフェルト生地の女の子、ペンギンや犬や猿といった中型の人形達、木材で出来た同じ顔の兵隊人形……

 真新しい物から古びた物まで種類も様々だったが、可愛らしい顔をした彼らは、ナイフやハサミなどの物騒な装備をしていた。

 いつか見たホラー映画のような光景の他、恐怖映画に出演していた人形じゃないのかと思うような、壊れかけた顔の怖い人形もいて、エルは危うく卒倒しかけた。

 嘘だろ怖いんだけど、マジで直視したくない光景なんですけど!?
 育て親であったオジサンが脅かし続けたせいで、エルは、大のホラー嫌いだった。特に、彼がチョイスして見せた恐怖映画に関連するものは完全にダメだ。物理攻撃で倒せそうにない、幽霊やら呪いの人形に関してはトラウマが強い。

「人形といえど、仮想空間の作り物だ。多分、銃も効くだろう」

 ほとんど五十センチ以下の敵を眺めたログが、腰の銃を手に取った。人形達はテディ・ベアの前に立ちはだかり、まるで開始の合図を待つ兵隊のように構え始めていた。

 エルは恐怖を堪え、強がるように顔を顰めて「どうするんだよ」とログの腰辺りを小突いた。彼は「ふむ」と数秒ほど眉根を寄せ、こう言った。

「仮想空間で行動する場合は、イメージが大事らしい。あいつらが塞ぐ先に目的地があるはずだから、自分の攻撃が絶対に効くとイメージして突き進め」
「……それって、無計画って事じゃないの?」
「金属バットか、リーチのある武器がありゃあ突破出来そうだな」
「お前ッ、俺の話し聞いてないだろ!」
 ログは前方を見据えたまま、腰の後ろに手をやった。彼が取り出して一度振るうと、強固な金属の固定音が鳴り響いた。突如として銀色の器具が現れたように見えたが、よく見ればそれは、横縞の黒い持ち手が付いた警棒だった。

 ログはそれを、エルに投げて寄越した。エルは慌てて、予想以上にずっしりとした武器を受けとめた。

「思い切り振るえば、細腕でもかなりの攻撃力になる。俺がフォローする――走れ!」

 怒号のような合図と同時に、ログが人形の一体を銃弾で吹き飛ばした。エルは、慌ててクロエに「隠れててッ」と言い聞かせ、コンマ二秒半遅れでログに続いて駆け出した。

 人形たちの中に飛び込むログの方から銃声音が続けて上がり、金属を打ちぬくような破壊音も上がった。

 ログの銃に撃ち抜かれた人形が、金属の破片を散らばらせて後方へと吹き飛ぶのが見えた。まるで精密な機械で造られた未来型のアンドロイドのように、人形の腹に開いた穴からは、細かい部品の集合体が覗いていた。

 同胞が壊されようが、人形達は構わず次々に突っ込んで来た。ログの強烈な蹴りに数体の仲間が飛散し、銃の柄で頭部を凹まされる様子を、気にとめる様子は微塵もない。八方からの攻撃に対するログの身体さばきは、戦い慣れた者の余裕さえ窺えた。

 道を切り開くようにログの後ろに、自然とつく形になったエルは、ミサイルのように突っ込んでくる小さな人形たちの攻撃を反射的にかわしていた。

 きらりと光る果物ナイフが鼻先をかすめた時は、さすがにひやりとした。そのストラップタイプの兎は、破壊され宙を飛ぶ仲間の屍を踏み台に、方向転換して襲い掛かってきたが、エルは回避直後に警棒で打ち払った。
 
 不意に、脇からジャックナイフを持った、顔の半分が焼けているドール人形が飛び出した。

 エルは恐怖映画を思い出し、悲鳴を上げながら両手で警棒を振るった。まるでホームランのような豪快な手応えと共に、人形が吹き飛んだ。

 え。意外と、メチャクチャ良い感じに飛んだな……
 その手応えにコツを掴み、エルは途中から怖さも躊躇も忘れて、飛び込んでくる人形を次々に打破した。ほとんどのログが先頭で暴れていたため、しばらくもすると、エルの方に突進してくる人形は少なくなった。

 攻撃の手が止まった数秒、エルは、ふと後ろを振り返った。

 不意に、壊された人形達に目が吸い寄せられた。地面の上で身体の自由がきかずに震えている人形がほとんどで、壊されても完全に停止しているものはなかった。

 彼らには表情はないが、どうにか立ち上がろうともがいている様子は、どこか人間じみて痛々しく、エルは思わず凝視してしまっていた。どの人形も必死だったのだろうと思ってしまい、戦闘意識が罪悪感で揺れる。

 引き摺られては駄目だ。エルは、警棒を構え直して、前方へと視線を戻した。


『ヤメて……放っておいて』


 そう呟いたのは、地面に転がっていた頭や首の一部が欠けた木製のキコリ人形だった。人間のような悲痛の声が耳に入り、エルは、思わず闘いを忘れて顔を向けてしまった。

 その刹那、近くで銃声が炸裂し、目の前で砕け散った銀色の破片が、宙を舞う輝きに目を奪われた。
 すべての映像が、束の間、エルの中で時を遅らせた。

 動けなくなった人形たちの呻きが、エルの耳に一斉に飛び込んで来た。

『まだ、ココに、ある』
『もう一度、キット……』
『連れ出さレタク、ナイ』

 夢のテーマパークにあるのは、可愛らしいお城やお店、巨大な迷路。ピンクやオレンジの屋根が色鮮やかで、幸福に満ち溢れた小さな楽園の中には、お話が出来る人形たちが住んでいる――……

 エルの中で、一つの違和感が生まれて、それが急速に膨れ上がり腹の奥を締めつけた。強烈な既視感が込み上げて、幼い過去の記憶が脳裏を横切った。

 眩暈を起こし掛けた時、エルは強引に腕を引かれて我に返った。

 視線を向けた先には、、赤や黄色や水玉模様をしたテディ・ベア三体に、銃弾でとどめを差しているログの厳しい横顔があった。

「ぼさっとしてんじゃねぇ! 死にてぇのか!」

 ログが振り返りざまに怒鳴った。エルは考えが追いつかず、彼の腹辺りに視線を落として「ごめん」と口にした。
 初めに会ったテディ・ベアと、姿形が全く一緒の三体の人形達は、顔や胸から部品を覗かせて地面の上で小さくもがいていた。もう、立ち向かって来られる人形は、一体として残っていなかった。

 いつの間にか目の届く先に、煉瓦造りの城が聳え立っていた。まるで監獄のような鉄製の古びた扉が一つ付いていたが、迷路のゴール地点であるとエルは理解した。

 ログがエルの手を離し、踵を返した。

「はぐれるなよ、ついて来い」

 彼はそう言い、振り返る事なく扉へと向かって歩き出した。

 エルは、ログの後に続こうとしたのだが、足の裾を弱々しい力で掴まれてギクリと立ち止まった。地面に転がった黄色のテディ・ベアが、一つだけになってしまった目で、エルを見上げていた。

『ヤメて。あの子は、帰りタクナイノ。連れ出サレタクナイって、思ッテル。ダカラ、オ願い……』

 懸命に訴えるテディ・ベアは、既に腕が一本しか残っていなかった。鼻から下は抉れ、耳元には、先のテディ・ベアと同じ商品タグが付いていた。
 ボストンバッグの中で大人しくしていたクロエが、息苦しそうに顔を出した。クロエは、地面の上で動くテディ・ベアを見降ろすと、好奇心に鼻先を動かせたが、蒼白したエルに気付くと耳を伏せて、助けを求めるようにログへ視線を向けた。

 扉を開けたログが、後ろにエルが付いてきていない事を確認して、むっつりとした表情で戻って来た。彼はクロエの視線に気付くと、「お前は、賢い猫だな」とぎこちなく言い、その場で膝を折った。

 ログは、戦意喪失した人形達の惨状をチラリとだけ確認し、それから、エルのズボンの裾にしがみつく人形の手をそっと外した。彼は攻撃の意思のない人形とは目を合わさず、いつもの罵倒も口にしないまま、エルの背中を押して城の扉まで誘導し始めた。

『帰れナイ。あの子は、連れ出されタクナイノ。帰りたクテモ、もウ、帰れないノヨ』

 テディ・ベアの泣き声が、遠くで聞こえた。ああ、ここにいる人形達は泣くんだなと、目の前で口を広げる城の入り口の前で、エルは優しく背中を押す大きな手の熱を覚えながら、それに逆らうように足を止めた。
 ログがエルの顔を覗きこみ、「どうした」と神妙な顔で訊いた。

 棘もない気遣うような深く低い声は聞きなれなくて、違和感を覚えた。けれどエルは、らしくない大人びた表情をするログに、子共扱いするなよ、と言い返す気力もなかった。

 人形達の泣き声が、嫌な憶測をかきたてて止まらないでいた。

「変だよ。だって、これって、まるで……誰かの夢そのものみたいじゃないか」

 誰かが見た光景や、誰かが望んだ世界が、希望と悪夢に満ちた一つの世界を作り出している。

 エルは、屈んで近くなった彼の深いブラウンの瞳を見つめ返した。ログの瞳に映り込む自分が、ひどい表情をしているのが見えた。

「ここには、……支柱が作り出している仮想空間には、一体誰がいるの? あの子達は、きっとその人にとって『悪意のない友達』なんじゃないの? だから、みんなで守ろうとしているんだ」

 幼い頃、人形に名前を付けて遊んだ。友達だからと小さな鞄に入れて連れ歩き、いつか両親が一緒に行こうと約束してくれた、色鮮やかで可愛らしい遊園地を想像していた。