それでも私は、恋がしたい!



 私の通い慣れた本屋。休日の前には、ここに立ち寄って、恋愛マンガを借りるのがお決まりコースだ。そして、休日はもっぱらマンガを読み、1日家で過ごす。あぁ、なんて最高なんだ。自由って素晴らしい。
 

 お目当てのマンガを見つけ、カゴに放り込むように入れる。
 

 レジへと向かう途中、背丈が私と同じぐらいのキラキラ女子とすれ違った。
 

 すれ違いざまに、ふわっとフローラルの香りが私の鼻腔をくすぐる。思わず振り返り、彼女を見つめた。

 
 私より若く見えるその彼女の髪は、ゆるい巻き髪で、まるでスキップするかのように軽やかに揺れる。艶があり、つい触れたくなるほど美しいロングヘアだ。肌はきめ細かく、眩しいぐらいの透明感。ファッションもおしゃれで、私とは大違い。
 

 彼女は、ある雑誌を手に取って眺めた。そこへ、スーツを着こなす爽やかな男性がやって来て彼女に声をかける。それから2人で仲良さそうに、腕を組みながら店を出て行った。


 2人の後ろ姿を見届けた後、私は、手にしているカゴの中身を見ながら呆然と立ち尽くした。
 

 私は一体、何をしているんだろう。この差はなんだ。
 

 先ほどまで最高だと思っていた休日が、急に虚しく、恥ずかしささえ感じた。
 

 雑誌なんて読まない私だが、彼女が手に取って眺めていたものがどんなものか、見てみたいと思った。その雑誌には、偶然にも結婚の特集ページが載っており、私はそのページを貪るように読んだ。
 

 男性が結婚したい職業No.1は——、看護師⁉︎ 絶対ウソだよ。そんなに世の男性から需要があるなら、なぜ私は、今ここに1人虚しくいるのだ?
 

 恋したい気持ちはある。でも、恋を始めるのが面倒……、いや、むしろどうやって始めたら良いのかも忘れてしまった。
 

 私の運命の人は、一体どこにいるのか?
 

 これは、彼氏いない歴10年のアラサー干物女が、本物の恋を手にするため、素敵女子に転身していく話だ。
 

 
 私の名前は金村友理(かねむらゆり)、28歳、独身。職業は看護師。循環器病棟に7年勤務している。趣味は、お菓子を食べながら恋愛マンガを読むこと。

 
 高校3年生の時に、1ヶ月ほど彼氏がいたが「イメージが違った」と言われ、あっさり終わった。
 

 恋愛したい気持ちはあるのに、何故かできない。気になる人ができても、彼女や奥さんがいたり、マザコンだったりと、男運がない……。相手の欠点が見えてしまうと、すぐに気持ちも萎える。
 

 「もう、このまま孤独死かな……」
 

 私は、ナースステーションの椅子に腰掛け、電子カルテで記録をしながら呟いた。
 

 「そうなりそうだよな」

 
 そう言いながら私の隣の席に腰掛け、パソコンを操作し始める者がいた。
 

 「安田先生! 聞こえてたんですか?」

 
 「えっ、俺に言ってたんじゃないの?」

 
 「違いますよ! 独り言です!」

 
 「独り言にしては声デカかったぞ⁉︎」
 

 そう言って、私の方を見ながらタイピングするこいつは、安田慶吾(やすだけいご)。私と同い年の28歳、たぶん独身。職業は循環器内科医。顔は不細工ではないけど、特別イケメンってわけでもない。体型は中肉中背。性格は、人当たりが良く、説明も丁寧なので、患者・家族からの人気が高い。医療スタッフからの人気もあるが、噂によると結構遊び人らしい。よって、私の運命の相手ではない。

 
 「ちょっと考え事してまして……」

 
 私は、パソコンの画面を見ながら言った。

 
 「そうなんだ。じゃあ、しょうがない。同い年ということで、俺が特別に相談にのってやってもいいぞ」
 
 
 慶吾は手これを止めて、ニコニコしながら私の方に体を向け、そう言った。
 
 
 「いや、大丈夫です。それより先生は書類にサインをお願いします。私は、そろそろ受け持ち患者さんの検温に行ってきますので」
 
 
 私は淡々と答えた。そして立ち上がり、慶吾に書類を手渡してサインの記入を求めた。慶吾は唇を尖らせ、子供のように拗ねた表情を見せる。そして、黙ったまま左の胸ポケットから右手でペンを取り出した。白衣から白く透明感のある手が現れ、書類にサインをする。指は長く、関節はややゴツゴツしている。手背に浮き出るこいつの血管が、私は密かに好きだ。だから、パソコンの入力をしている時など、ついつい手を見てしまう。こんな事を言ったら、変態だと思われる。だから絶対バレるわけにはいかないのだ。

 
 「はい、よろしく」
 
 
 そう言って、慶吾は私を見上げてサイン済みの書類を差し出した。私は、お礼を言って受け取ろうと手を伸ばす。
 
 
 その時——、慶吾が書類を持つ手をヒョイッと上に挙げた。
 
 
 私は書類を掴み損ねた。その瞬間、ドクンと胸の奥底で何かが動き始めた。こんな意地悪されたのは、いつぶりだろうか。だからドクンってなったのかな?
 
 
 私は目を丸くして慶吾を見つめた。すると、慶吾はニヤッと笑って言う。

 
 「仕返しだよ」

 
 「信じらんない——!」

 
 私はそう言って、慶吾から書類を奪い取るように受け取り、病室へと向かった。

 
 仕返しって何? あんな意地悪するなんて……。あいつにドキドキするなんて有り得ない。早く忘れよう。
 

 廊下を歩いている最中、心の中で自分自身にそう言い聞かせた。そして、病室に入る前に深呼吸をし、受け持ち患者の検温を始めた。
 
 

 
 看護師の1日は忙しい。私の勤める病棟は、主に心臓に疾患を抱える患者が入院する循環器内科病棟だ。


 朝9時、夜勤者からの申し送りが終わったら、清拭などの清潔ケアを行う。2・3時間おきに排泄確認と体位変換を行い、その合間に受け持ち患者の検温や処置、点滴の投与などを行う。


 そうすると、もう昼時になり、昼食の配膳・下膳をする。看護師は数人ずつ交代で1時間休憩をとる。休憩が終わったら、様々な議題のカンファレンスを行う。その後は、午前中できなかった処置などをするのだ。


 その通常業務に加えて、もし緊急で入院患者が来るとなったら、書類の準備や医師の指示を確認するなど……。


 ここでは書ききれないほど、膨大な量の業務をこなす。想像以上にハードな仕事なのだ。しかも責任も重く、常に緊張感があるため身体的にも精神的にも疲労を感じる。
 

 夜勤者への申し送りが終わると、緊張という名のピンと張った糸がプツンっと途切れる。椅子に腰掛け、同僚と雑談をしながらパソコンで患者の状態を記録をすることも多々ある。
 

 あー、今日も疲れたなぁ……。
 

 私はパソコンの前で大きく背伸びをした。すると、横にいた後輩の佐藤さんが声をかけてきた。
 

 「金村さん、今日ご飯行きませんか?」
 

 えっ、面倒だな。明日休みだから本屋行きたいし……。
 

 「うーん、今日は疲れちゃったから遠慮しておこうかな……。ごめんね」


 「えー、残念。確かに、今日忙しかったから疲れましたよね。じゃあ、またお誘いします!」


 彼女は最初、悲しげな表情を見せたが、すぐに私に向かって微笑んだ。わがままを言うことなく、相手の気持ちに寄り添って話してくれる。しかも「またお誘いします!」って、なんて爽やかなんだ。


 さすが佐藤さん! 後輩の中で1番の素敵女子と言っても過言ではないだろう。素直でいい子だ。若いのに、しっかりしてるし。見た目も可愛い。顔だけじゃなく、ちょっとした仕草が、これまた可愛いんだよなぁ。具体的に何がそう思わせるんだろう?


 私は、彼女を見つめながらあれこれ考えた。そして、彼女から可愛くなる極意を学ぼうと決心した。


 「あっ、やっぱり行こうかな! 家に帰ってからご飯の準備するの面倒だし……。それに佐藤さんとゆっくりお喋りしたいし」


 「本当ですか⁉︎ すっごく嬉しいです! 金村さんとご飯行くの初めてなので、ドキドキしちゃいます」


 口元で両方の掌を合わせ、満面の笑みを浮かべる彼女を見て、私は思った。


 ドキドキしちゃうって……。仕草も発言も可愛いすぎる。私が男だったら、もう好きになるわ。


 そんな私と佐藤さんの会話を聞いていた他のスタッフが声をかけてきた。


 「金村が誘いになるなんて珍しい! じゃあ私も仲間にいーれて」


 ニコニコしながらそう話すのは、私の先輩の木下さんだ。彼女は普段とても真面目だが、飲み会の席では豹変する。超がつくほどお酒が好きで、まるで水を飲むかのようにゴクゴクと流し込む。そして、酔うと暑苦しいぐらいベタベタくっついてくる。これは非常に面倒なことになりそうだ……。


 そんなことを考えているうちに、どんどん人が集まり、いつしかナースステーションは大賑わいになっていた。


 うすうす気がついていたが、私の知る看護師の多くは、食事会……いや、飲み会が大好きだ──。


 「あっ、佐久間せーんせい! 今日これから皆で飲みに行くんですけど、一緒にどうですか⁉︎」


 偶然ナースステーションに現れた佐久間先生を、木下さんが誘う。佐久間先生とは、循環器内科の部長を務める偉い方だ。先生の素晴らしいところは、優秀であることを鼻にかけず、誰にでも親切、丁寧なところだ。そして──


 「おぉ、ずいぶん急だね。行きたいけど、今日は家内の誕生日だから早く帰らないと。悪いね。あっ、でも若いドクターに伝えておくから」


 そう言うと颯爽と去っていった。
 

 なんと、素晴らしい愛妻家! 奥さんは幸せ者だなぁ。羨ましい。この先、私の前にそんな人が現れたりしないかなぁ……。


 私は椅子に腰掛けたまま、佐久間先生の後ろ姿を見送る。そして、視線をパソコンに移すと、佐藤さんが言った。


 「佐久間先生の奥さん、愛されてて羨ましいですね」


 「──! 私も同じこと考えてたよ」


 思わず佐藤さんを見つめた。彼女もまた私を見つめ、にっこり笑う。そして彼女は、急に小声で話出した。


 「実はですね──、金村さんに相談があってご飯お誘いしたんです」


 「私に相談?」


 首をかしげて聞き返す私に、彼女は恥ずかしそうに微笑んで言うのだった。


 「あの……、安田先生のことなんです」


 私の胸の奥底でドクンと脈打つ。聞きたいような聞きたくないような不思議な気持ちになった。彼女を見つめながら小声で問いかけた。


 「安田先生がどうしたの……?」


 するとそこへ──、木下さんが来て、私たちを急かすように手拍子をしながら言った。


 「ほらほら、話してないで早く仕事終わらせてちょうだい! いつまで経っても、飲みに行けないでしょ」


 この人がいたら相談にのるどころじゃないだろうなぁっと私は思った。


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