今日は美化委員会の仕事で、ゴールデンウィーク中だというのに登校を命じられてしまった。
当然作歌ちゃんも綾子ちゃんもいない。複数人の当番だが、各々分散して掃除や備品の作業をするので、作業中は完全にひとりだ。
普通そのような状況になれば寂しがるような気がするものの、わたしは違う。
春の空気を味わいながら、裏庭の雑草を引き抜く。無心で作業を進めるうちに、正午を告げるチャイムが鳴った。このチャイムで帰ってもいいことになっている。
校門のほうを見ると、足早に出ていく人も見られた。友人と一緒に駄弁っている様子だったから、雑談多めかつ早めに帰宅準備をしてこの時を待っていたのだろう。わたしの学校は委員会の仕事か教室の係かを選べるので、こういったあまり目立たない委員会を選択する人も多い。彼女らもきっとその類なはずだ。
あんたたちはよかったね。わたしはこうやって真面目にやってたのに。
内心で悪口を投げつけて、校舎へ向かう。軍手を用務員室に返し、図書室へ向かうのだ。
図書室はゴールデンウィークだろうと、月曜日から金曜日の間だったら司書さんがいて自由に出入り可能なのである。
わたしの学校は自称進学校だからか、図書室にやたら教育的な本が充実している。古典作品もこれでもかと本棚に詰め込まれていて、わたしにとっては垂涎ものだ。オープンキャンパスでこの本棚を目にして、絶対に受かってやろうと決めたくらい。
かといってみんながいる前でどっさり借りてしまうと、ガリ勉認定されるかもしれない。そうなれば三軍落ちの可能性もあるから、こうやって人の少ない日や時間を狙ってたまに借りに来る。
今日は何を借りよう。考えるだけでワクワクして、足取りが軽くなる。
田辺聖子さんのおちくぼ姫を読もうか。もともとの物語もシンデレラストーリーで面白い上に、田辺聖子さん訳ならではの読みやすく柔らかい文体が現代に生きるわたしたちにとっては最高だ。
なまじ読書グループに所属してしまったため、お小遣いはすべて新刊に消えてしまう。中学のときもそうだったから、面白くて何度も読みたいと思った古典作品でさえ、所有していない始末だ。
……だけど、この前葉山くんが読んでいた『とはずがたり』だけは持っている。
環境に翻弄されながらも、強く生きる女性の物語。フィクションではなく、筆者である後深草院二条のエッセイだ。降りかかってくる問題はわたしに無縁なものだが、自由になれない環境で過ごした千年前の彼女に自分を重ねていた。何度も出家しようとする二条に、スクールカーストの外側に行きたい自分を見つけた。
決して短くないこの作品だが、わたしはことあるごとに自室で何度も読み返している。中学一年のとき、学校で古典が始まったころ何となく手に取った本。それが今や、わたしにとってなくてはならないものになっていた。わたしを古典の虜にさせた作品ともいえる。
葉山くんは後深草院二条の『問わず語り』に、何を見出したのだろう。
話したいな。それこそ二条のように、人目を忍び、恐れてでも。
「……っ」
願ったからだろうか。図書室の扉を開けると、閲覧席の白い長机で本を読んでいる葉山くんが視界に飛び込んできた。
葉山くんが読んでいるのは『おちくぼ姫』。タイトルと表紙からして間違いない、わたしが読もうとしていたものだ。おちくぼ姫は田辺聖子さんの訳でそうなっているだけで、他の多くの書籍では『落窪物語』となっている。
昼時でみんな昼食を食べに帰っているからだろうか、他に生徒はいない。チャンスは今しかない──、決意して葉山くんのほうへ向かった。
「あのっ」
声をかけてから、葉山くんがいつも教室の喧騒も、自分に向けられている悪口にも気づかずに本を読んでいたことを思い出す。これじゃ気づいてくれないのでは……?
どうやって彼を本からこちらへ呼び戻そうか?
心配が湧き上がってきたと同時に、葉山くんがこちらを向く。みどりの髪が揺れ、茶色がかった瞳がまっすぐにわたしを捉えた。
「何?」
短い問いだった。冷酷とも取れるふてぶてしさだったが、しかし春の小川のような涼やかさに心が落ち着く。すぅっと息を吸い込んでから、彼と対になる席へ座る。
「古典、好きなの?」
「ああ」
浅く頷く仕草に、心を奪われた。古典で描かれた恋愛描写が熱を帯びる。千年前の誰かの感情が、現代のわたしに蘇った。
「それ、借りようと思ってたんだ」
「そうか、悪い」
ピクリ、とそれまで動くことのなかった表情が揺れる。途中にも関わらず本を閉じようとした彼を、わたしは手で制した。
「待って。今読みたいからちょうだいって意味じゃないの」
「え?」
そうだとしたらわたしは読書版ヤクザである。
目を丸める葉山くんに、笑みが漏れる。何だ、表情豊かじゃないか。教室で誰も彼の感情を揺さぶる人がいなかったから、無表情だと思われていただけで。
「古典作品が好きな人なんて他にいないから、少し話ができたらいいなって思っただけ。その本に触れたのも、趣味が一緒だって嬉しくなっただけなの。勘違いさせてごめんね」
「……いや、俺も悪かったな。水月も古典が好きだとは思ってなかったから、つい警戒した」
葉山くんはそう言うと、ちょっとだけ表情を綻ばせた。微妙に上がった口角に目が吸い寄せられる。
同時に、ちくりと心が傷んだ。わたしが古典好きだと伝わらなかったのは、周りの目を気にして流行りの本だけを持ってきていたせいだから。二条のようにがんじがらめの環境ではなく、持ってくることもできたのに。
「田辺聖子さんの訳、びっくりするよね。古典なのに『テレビゲーム』とかえらく現代的なものが出てきたり」
「ああ、王朝懶夢譚か。これでいいのかとも思ったけど、その当時のことを持ち出されてもわからないし。俺たち世代にはあれがベストなんだろうな」
まさかタイトルまで当てられるとは思っていなかったので驚く。古典作品ではあるものの、従来の古典作品で見られるような堅苦しさを取っ払った作品で、訳は中学生でもすらすら読める文章になっている。それはいいことなのだが。
表紙も常識を突き破って少女漫画のようになっているから、まさか葉山くんが読んでいるとは考えていなかったのだ。彼が人目を気にしていないことが改めて思い出される。
「中高生と大人なんて、少なくとも平安時代の知識にほとんど差はないよ。大学で専攻したりしてない限り、あれが親しみやすくていいはず。原文はたしかに難しいかもしれないけど、ああいった文に触れてれば『古典作品=面倒臭い』なんて図式は消えるのに」
「その通りだ、まったく。急に古文特有の単語や文法を持ち出されても困るよな。古典が好きでも原文を読もうとしない限りは必要ないだろ。俺もそこまで知識ないぞ」
葉山くんは無意識か、身を乗り出して同調した。作歌ちゃんや綾子ちゃん、その他多くの女子グループとは違う、熱が入った口ぶりに心を打たれる。
こんなにも、わたしのことをわかってくれる人がいた。
「わかる。わたしも受験の古文はすごく得意ってわけじゃないよ。文法とかあんまりわからないし」
「それなのにこうやって日本の古典を読んでると『得意なんでしょ?』って言われるんだよな。いや俺が読んでるの現代語訳だよって」
心底嫌そうな顔に、声を出して笑ってしまった。涼やかな表情の下には、こんなにも高校生の表情が眠っていたなんて。
釣られて葉山くんも笑ってから、わたしに問うた。
「水月はどうして、古典が好きなんだ?」
わかってくれるかな。
一瞬だけ不安がよぎった。そんな理由認めないと言われたらどうしよう。
──わかってくれるよ。
これまでに重ねた言葉がわたしに告げた。そうだ、こんなにもわたしのことをわかってくれる人が否定するはずがない。
意を決して、口を開く。
「千年前にもわたしと同じような人がいたことを実感できるからかな。それと、千年前の感情がわたしのなかに蘇るのが面白くて」
言葉に乗せたら、心が和らいだ。
ずっと言いたかったのかもしれない。古典が好きだと、読むとこんな気持ちになれるのだと、とても素晴らしいものなのだと。
わたしの言葉に、葉山くんは柔らかく笑った。
「ああ、わかるよ。他人の感情が言葉を通して共有されるだけでも不思議なのに、千年も時を経たら不思議なんてものじゃないよな。奇跡が起こってるって言ってもいいくらい」
返ってきた声は、わたしの感情を的確に現したものだった。かつてない高揚感がわたしの頭から足先までを満たす。
「葉山くんは?」
問うと、返事はすぐに来た。この瞬間語るため、千年前から用意していたみたいに。
「歴史を繋いでる感覚がして、楽しいんだ。千年前に書かれた言葉を現代に繋いだ人。それを受け取った俺は、近い将来誰かにその古典を伝えて未来へ繋ぐ。伝えた誰かがまた未来に千年前の、もしかしたら二千年前になってるかもしれない言葉を繋ぐ。俺はそういった流れの、連綿と続く言葉の一部になりたいんだ」
うっとりと語る声に、わたしは深く頷いた。その壮大さは、わたしも味わったものだから。
「いいよね、古典」
軽率な同調はいらない。わたしはただそう呟いた。この言葉だけでわたしたちは分かり合えるような気がする。
「ああ。……ありがとう、俺の話を聞いてくれて。久しぶりに人と話して楽しめた。やっぱりこれ、水月に譲るよ」
葉山くんは本を閉じて、わたしへ差し出した。「ありがとう」だけ言って、それを受け取る。葉山くんの言葉の流れに、わたしも加わった。何だか感慨深い。
「なあ」
充足感を味わっていると、葉山くんが次いで声を発した。「どうしたの」とわたしが聞くと、彼は心底不思議そうな声色でわたしに問う。
「どうして水月は教室で古典を読まないんだ?」
好きなんだろ──?
葉山くんの問いに、語れるような言葉はなかった。周りの目を気にして、なんて彼には言えない。少女漫画の表紙のようなものだって、古典作品とあらば読んだ人だ。
答えられないでいると、葉山くんは諦めたのか図書室を出た。わたしの目には、机に置かれた『おちくぼ姫』だけが映る。
千年前の言葉が、わたしのせいで濁ったような気がした。
当然作歌ちゃんも綾子ちゃんもいない。複数人の当番だが、各々分散して掃除や備品の作業をするので、作業中は完全にひとりだ。
普通そのような状況になれば寂しがるような気がするものの、わたしは違う。
春の空気を味わいながら、裏庭の雑草を引き抜く。無心で作業を進めるうちに、正午を告げるチャイムが鳴った。このチャイムで帰ってもいいことになっている。
校門のほうを見ると、足早に出ていく人も見られた。友人と一緒に駄弁っている様子だったから、雑談多めかつ早めに帰宅準備をしてこの時を待っていたのだろう。わたしの学校は委員会の仕事か教室の係かを選べるので、こういったあまり目立たない委員会を選択する人も多い。彼女らもきっとその類なはずだ。
あんたたちはよかったね。わたしはこうやって真面目にやってたのに。
内心で悪口を投げつけて、校舎へ向かう。軍手を用務員室に返し、図書室へ向かうのだ。
図書室はゴールデンウィークだろうと、月曜日から金曜日の間だったら司書さんがいて自由に出入り可能なのである。
わたしの学校は自称進学校だからか、図書室にやたら教育的な本が充実している。古典作品もこれでもかと本棚に詰め込まれていて、わたしにとっては垂涎ものだ。オープンキャンパスでこの本棚を目にして、絶対に受かってやろうと決めたくらい。
かといってみんながいる前でどっさり借りてしまうと、ガリ勉認定されるかもしれない。そうなれば三軍落ちの可能性もあるから、こうやって人の少ない日や時間を狙ってたまに借りに来る。
今日は何を借りよう。考えるだけでワクワクして、足取りが軽くなる。
田辺聖子さんのおちくぼ姫を読もうか。もともとの物語もシンデレラストーリーで面白い上に、田辺聖子さん訳ならではの読みやすく柔らかい文体が現代に生きるわたしたちにとっては最高だ。
なまじ読書グループに所属してしまったため、お小遣いはすべて新刊に消えてしまう。中学のときもそうだったから、面白くて何度も読みたいと思った古典作品でさえ、所有していない始末だ。
……だけど、この前葉山くんが読んでいた『とはずがたり』だけは持っている。
環境に翻弄されながらも、強く生きる女性の物語。フィクションではなく、筆者である後深草院二条のエッセイだ。降りかかってくる問題はわたしに無縁なものだが、自由になれない環境で過ごした千年前の彼女に自分を重ねていた。何度も出家しようとする二条に、スクールカーストの外側に行きたい自分を見つけた。
決して短くないこの作品だが、わたしはことあるごとに自室で何度も読み返している。中学一年のとき、学校で古典が始まったころ何となく手に取った本。それが今や、わたしにとってなくてはならないものになっていた。わたしを古典の虜にさせた作品ともいえる。
葉山くんは後深草院二条の『問わず語り』に、何を見出したのだろう。
話したいな。それこそ二条のように、人目を忍び、恐れてでも。
「……っ」
願ったからだろうか。図書室の扉を開けると、閲覧席の白い長机で本を読んでいる葉山くんが視界に飛び込んできた。
葉山くんが読んでいるのは『おちくぼ姫』。タイトルと表紙からして間違いない、わたしが読もうとしていたものだ。おちくぼ姫は田辺聖子さんの訳でそうなっているだけで、他の多くの書籍では『落窪物語』となっている。
昼時でみんな昼食を食べに帰っているからだろうか、他に生徒はいない。チャンスは今しかない──、決意して葉山くんのほうへ向かった。
「あのっ」
声をかけてから、葉山くんがいつも教室の喧騒も、自分に向けられている悪口にも気づかずに本を読んでいたことを思い出す。これじゃ気づいてくれないのでは……?
どうやって彼を本からこちらへ呼び戻そうか?
心配が湧き上がってきたと同時に、葉山くんがこちらを向く。みどりの髪が揺れ、茶色がかった瞳がまっすぐにわたしを捉えた。
「何?」
短い問いだった。冷酷とも取れるふてぶてしさだったが、しかし春の小川のような涼やかさに心が落ち着く。すぅっと息を吸い込んでから、彼と対になる席へ座る。
「古典、好きなの?」
「ああ」
浅く頷く仕草に、心を奪われた。古典で描かれた恋愛描写が熱を帯びる。千年前の誰かの感情が、現代のわたしに蘇った。
「それ、借りようと思ってたんだ」
「そうか、悪い」
ピクリ、とそれまで動くことのなかった表情が揺れる。途中にも関わらず本を閉じようとした彼を、わたしは手で制した。
「待って。今読みたいからちょうだいって意味じゃないの」
「え?」
そうだとしたらわたしは読書版ヤクザである。
目を丸める葉山くんに、笑みが漏れる。何だ、表情豊かじゃないか。教室で誰も彼の感情を揺さぶる人がいなかったから、無表情だと思われていただけで。
「古典作品が好きな人なんて他にいないから、少し話ができたらいいなって思っただけ。その本に触れたのも、趣味が一緒だって嬉しくなっただけなの。勘違いさせてごめんね」
「……いや、俺も悪かったな。水月も古典が好きだとは思ってなかったから、つい警戒した」
葉山くんはそう言うと、ちょっとだけ表情を綻ばせた。微妙に上がった口角に目が吸い寄せられる。
同時に、ちくりと心が傷んだ。わたしが古典好きだと伝わらなかったのは、周りの目を気にして流行りの本だけを持ってきていたせいだから。二条のようにがんじがらめの環境ではなく、持ってくることもできたのに。
「田辺聖子さんの訳、びっくりするよね。古典なのに『テレビゲーム』とかえらく現代的なものが出てきたり」
「ああ、王朝懶夢譚か。これでいいのかとも思ったけど、その当時のことを持ち出されてもわからないし。俺たち世代にはあれがベストなんだろうな」
まさかタイトルまで当てられるとは思っていなかったので驚く。古典作品ではあるものの、従来の古典作品で見られるような堅苦しさを取っ払った作品で、訳は中学生でもすらすら読める文章になっている。それはいいことなのだが。
表紙も常識を突き破って少女漫画のようになっているから、まさか葉山くんが読んでいるとは考えていなかったのだ。彼が人目を気にしていないことが改めて思い出される。
「中高生と大人なんて、少なくとも平安時代の知識にほとんど差はないよ。大学で専攻したりしてない限り、あれが親しみやすくていいはず。原文はたしかに難しいかもしれないけど、ああいった文に触れてれば『古典作品=面倒臭い』なんて図式は消えるのに」
「その通りだ、まったく。急に古文特有の単語や文法を持ち出されても困るよな。古典が好きでも原文を読もうとしない限りは必要ないだろ。俺もそこまで知識ないぞ」
葉山くんは無意識か、身を乗り出して同調した。作歌ちゃんや綾子ちゃん、その他多くの女子グループとは違う、熱が入った口ぶりに心を打たれる。
こんなにも、わたしのことをわかってくれる人がいた。
「わかる。わたしも受験の古文はすごく得意ってわけじゃないよ。文法とかあんまりわからないし」
「それなのにこうやって日本の古典を読んでると『得意なんでしょ?』って言われるんだよな。いや俺が読んでるの現代語訳だよって」
心底嫌そうな顔に、声を出して笑ってしまった。涼やかな表情の下には、こんなにも高校生の表情が眠っていたなんて。
釣られて葉山くんも笑ってから、わたしに問うた。
「水月はどうして、古典が好きなんだ?」
わかってくれるかな。
一瞬だけ不安がよぎった。そんな理由認めないと言われたらどうしよう。
──わかってくれるよ。
これまでに重ねた言葉がわたしに告げた。そうだ、こんなにもわたしのことをわかってくれる人が否定するはずがない。
意を決して、口を開く。
「千年前にもわたしと同じような人がいたことを実感できるからかな。それと、千年前の感情がわたしのなかに蘇るのが面白くて」
言葉に乗せたら、心が和らいだ。
ずっと言いたかったのかもしれない。古典が好きだと、読むとこんな気持ちになれるのだと、とても素晴らしいものなのだと。
わたしの言葉に、葉山くんは柔らかく笑った。
「ああ、わかるよ。他人の感情が言葉を通して共有されるだけでも不思議なのに、千年も時を経たら不思議なんてものじゃないよな。奇跡が起こってるって言ってもいいくらい」
返ってきた声は、わたしの感情を的確に現したものだった。かつてない高揚感がわたしの頭から足先までを満たす。
「葉山くんは?」
問うと、返事はすぐに来た。この瞬間語るため、千年前から用意していたみたいに。
「歴史を繋いでる感覚がして、楽しいんだ。千年前に書かれた言葉を現代に繋いだ人。それを受け取った俺は、近い将来誰かにその古典を伝えて未来へ繋ぐ。伝えた誰かがまた未来に千年前の、もしかしたら二千年前になってるかもしれない言葉を繋ぐ。俺はそういった流れの、連綿と続く言葉の一部になりたいんだ」
うっとりと語る声に、わたしは深く頷いた。その壮大さは、わたしも味わったものだから。
「いいよね、古典」
軽率な同調はいらない。わたしはただそう呟いた。この言葉だけでわたしたちは分かり合えるような気がする。
「ああ。……ありがとう、俺の話を聞いてくれて。久しぶりに人と話して楽しめた。やっぱりこれ、水月に譲るよ」
葉山くんは本を閉じて、わたしへ差し出した。「ありがとう」だけ言って、それを受け取る。葉山くんの言葉の流れに、わたしも加わった。何だか感慨深い。
「なあ」
充足感を味わっていると、葉山くんが次いで声を発した。「どうしたの」とわたしが聞くと、彼は心底不思議そうな声色でわたしに問う。
「どうして水月は教室で古典を読まないんだ?」
好きなんだろ──?
葉山くんの問いに、語れるような言葉はなかった。周りの目を気にして、なんて彼には言えない。少女漫画の表紙のようなものだって、古典作品とあらば読んだ人だ。
答えられないでいると、葉山くんは諦めたのか図書室を出た。わたしの目には、机に置かれた『おちくぼ姫』だけが映る。
千年前の言葉が、わたしのせいで濁ったような気がした。