数日を合唱部で過ごすうちに、燈子先輩に対する翔太の強い憧憬は、部内でも有名な話であることを知った。
 俺が燈子先輩のスカウト入部(意訳)であることを聞いて、牧野くんから嫉妬されないようにね、と謎の忠告をくれた1年もいた。
 同じ中学方面で一緒に下校することが増えた翔太は、毎日楽譜の話をしている。俺もバンドマンを志したことがある以上、楽譜が読めないわけではないが、合唱歴の長い翔太の音楽に対する造詣の深さにはミリもついていけてないのが現実だった。
「達樹、明日からやっと全体練習だね!」
「そう言ってたなー。やっと燈…女性パートの声が聴けるのか」
 今日も川沿いの道を、自転車を押しながら二人で歩く。
 俺はなんとなく気を遣って、燈子先輩の名前を出すのを憚ったが…
「うん! 燈子先輩の声も聴けるしね。楽しみだなぁ~!」
 そんな俺の気遣いを2秒で無に帰す翔太。
 なんとなく悔しいので、そのまま燈子先輩の話題に移らせてもらうことにした。
「…なあ、燈子先輩って声キレイだよな。歌うまいんだろ?」
 ところが、想い人の記憶を宿してほぅ…とした表情になった翔太の口からは、俺が思っていたのと少し違う回答が返ってきた。
「そうだよ…! 燈子先輩の綺麗で透明感のある、だけど力強いソプラノ! 今年ほとんど聴けないのが残念だよねぇ~」
「は? 今年、ほとんど聴けない…?」
 俺が面食らって歩みを止めると、翔太もきょとんとした顔で歩みを止める。
「えっ、うん…あれ、もしかして達樹、知らなかった?」
 梅雨入り目前の強めの温風が、立ち止まった俺たちを斜めに追い抜いて行った。風向きの力で川の音が僅かに遠ざかる。
「燈子先輩、今年は指揮者だから」