バンダイ(でいいんだよね?)に座ってる、ニコニコ気のいい感じのおばあちゃんが、お金を受け取る。お金は、2人分、彼女が出してくれた。
 彼女は、慣れた調子で脱衣所に行くと、濡れたぐしょぐしょの服を、ポンポン脱いでいく。
 そのスタイルを見て、驚いた。
 顔が黒いのは、やっぱり塗っていただけだった。
 服の下の肌は、確かに日焼けはしているが、真っ黒って事はなかった。そして、褐色の肌の手足は、肌がきめ細かく、すらりと長かった。
 身体の筋肉は引き締まって、スタイルがいい。きっと、スポーツをやってる。
 でも、驚いたのは、そこじゃなかった。
 スポーツタイプのブラにショーツ、それが、イメージに全くない、真っ白だったということよりも、なによりも。
「ちっちゃ!」
 背が低かった。いや、言うほど低いってわけじゃないけど、少なくとも、私よりも低かった。
「ジロジロ見んなよ」
 厚底の靴のせいで、もっと高いように見えてたけど、なんとなく、今まで人間じゃない雰囲気だったのに、急に下界に降りてきたように感じた。ヤマンバが、人に。
「ジロジロ見んなよ!」
 ちょっと気になる。
「ねえ」
「は?
「おっぱいは白いの?」
「ジロジロ見んなって!」
「ちょちょちょ、ちょっとでいいから!」
「バカか! 変態スケベ親父か!」
「ちょっと興味本位なだけじゃん!」
「いいからお前も早く脱げよ!」
 浴衣、強引に脱がされた。そうだ。どうしよ、着替え。
「脱いだら置いといて」
 番台(こう書くらしい)のおばちゃんが、服を渡せと言ってくる。
 え。銭湯って、そういうシステムだっけ?
「お願いねー!」
 ヤマンバは、そういうと、下着まで脱いですっぽんぽんになった。彼女が、私の浴衣もまとめて、おばちゃんに渡して、堂々とお風呂に入っていく。
 なんとなく、後を追っていいのか悩んでいると、
「下着、早く脱ぎなさいよ」
 おばちゃんから促された。ニコニコしてる。
「あんたは、ヤマンバじゃないんだね」
 違います。
「あのガングロメイク、あたしたちにゃ理解できないけど、流行ってるんだろ?」
 流行ってない流行ってない! あんなの流行ってたら、世の中おかしい。
「あの子が友だちを連れてきたのは初めてだから。嬉しくって」
 おばちゃんがいうには、彼女は、元々は、褐色の肌がキレイな、スポーツ少女だったらしい。
 ハクション! 長いこと、水に濡れたままだったから、身体が冷えてる。
 早く風呂に入れと促された。
 サービスしとくからと言われたタオルを受け取り、浴室に入った。
「ゆっくり浸かっておいで」

 広い。タイル張りの床、壁。たっぷりの湯気。
 洗い場があって、奥に、大きな浴槽。壁には、富士山と、大きな花火の絵が描かれてる。
 彼女は、もう、浴槽に浸かっていた。
「ちゃんと身体洗ってから入れよー?」
 言われたとおり、身体を洗う。シャワーのお湯が、熱い。
 でも、気持ちいい。どうしようかと思ったけど、髪の毛も濡れていたから、頭から洗った。
 タオルで石鹸を泡立てて、全身に付いた垢を落とすように、これでもかとゴシゴシ削るように洗った。何もかもを洗い流してしまえるように。嫌な記憶も、惨めな自分も、新しくできたばかりの青アザも。
 消せるわけないのに。
 全身洗って、泡を流して、浴槽へ。ここ最近、シャワーばっかりだったから、大きなお風呂が気持ちいい。と思ってお湯につかろうとしたけど、
 あっつい、あっつい! お湯、熱いよ!
 指先すら入れられない! 何これ熱いよ!
 何回も脚を突っ込んでは引き抜いて、ヤマンバに笑われて、何度も何度も逡巡してから、ようやく、脚を一本、続いて二本、そこからゆっくり、腰を落として、お湯につかれた。
 ふわああああああああああ。
 彼女が入っている、浴槽のできるだけ遠くに。 
「いや、なんでだよ!」
 近くに来いと言われたけど、拒否。
 いじめが、陰湿なのは、バレないように、見えないところを攻撃してくること。
 私の身体には、いくつもの、小さな青アザと傷がある。きっとこの傷は、そのうち消えるくらいの小さな傷。だけど、たぶん、一生記憶からは消えない。
 そんなモノ、見られたくないし、ヤマンバに見せたくない。
 ところが、そんなこと構わず、彼女は、湯船の中をジャブジャブと、立って歩いて近寄ってくる。
 ぎゃあ。
 すーっと肩までつかったまま、逃げる。
「趙ウケる。ふざけてんの?」
 ふざけてないもん。真剣だもん。
「気にしないから!」
 と、彼女は、湯船の中で、両手を広げて、仁王立ちになった。
 その全身を見せてくれてる。首を回して、彼女の裸を見る。
 スポーツマンらしい彼女の引き締まった褐色の身体には、無数の傷があった。小さくて、目立たない、いつか消える、一生消えない傷。
 私と同じように。ああ、この人も。この人も、そうなんだ。
 逃げるのをやめた。背中向きに、私も浴槽の中で立ち上がる。そのままゆっくりと、彼女の方に向き直った。
「……ちっちゃくね」
「は?」
「おっぱい、ちっちゃいね」
 カーッときた。何それ何それ!? 人が勇気を出したのに、言うこと、それ!?
「そっちだって!」
 おっぱい、ブラの形で日焼けしてるから白かった。妙に生々しい。
 そして、小さかった。偉っそうに! お互い様じゃん!
「いや、あんたよりはあるよ」
「ないよ! 少なくとも、偉そうに言うほどはない!」
 私たちは、湯気立ちこめる銭湯の湯船で、お互いにおっぱいさらして全身押っ広げて、何をしてるんだろう?
 馬鹿馬鹿しくなって、ふたりして笑った。
 ふふふふふふふふふふふふふふふふふ……
 ははははははははははははははははは!
 改めて、お湯につかる。今度は、2人並んで、寄り添って。
 ふうううううう。熱いお湯に、全身がとろける。
 だんだん、お湯に慣れてきた。
「チョー気持ちいいよね〜」
 そういう彼女は、お湯で顔を洗った。メイクはもう落としてる。
 黒い。けど、メイクの黒さではなく、褐色のキレイな肌。スポーツをやってる、健康的な肌。
「焼けてるんだね」
 目の周りや唇に塗ってた白いラインは消えて、ナチュラルにキレイな顔だった。
 どうしてだろう。見ててどこか安心する。吸い込まれそう。
「部活?」
「それもそうだけど、プールにも行ったりしたからかな〜」
 いいな。楽しそう。
「今度、一緒に行く?」
「……いいの?」
「海とプール、どっちがいいかな?」

「さっきの、花火の話」
 玉屋と鍵屋。
「よくあんな話知ってるね」
 そういうと、顔の色が如実に変わった。
 真っ黒メイク、日焼けした肌、更に、真っ赤になっている照れた肌。
「あのね、実はね」メイクを落とすと、人格も変わるのか、ヤマンバ、モジモジして、
「ただの受け売りなんだ。先生から教えてもらって……」
 へえ。
「先生、めちゃくちゃ頭よくて、物知りで、知らない事なんて何にもないって感じで、すごく、すごく」と、溜めるだけ溜めて、
「イイ人なんだ……」
 そう言いながら、彼女は、お湯の中にドンドン沈んでいく。口から鼻から、ブクブク泡が出てくる。真っ赤になって照れながら。
 きゅっと、なんだか、胸の奥に痛かった。ん。
「大人なのに、子どもっぽくって、でも、ちゃんと大人で、私が何をやっても、全部受け止めて、許してくれて、でも、怒るときはちゃんと怒って、めちゃくちゃ怖くて……」
 お湯の中で、ブクブク息を吐きながら、そんなようなことを、矢継ぎ早に言う。
 ああ、この人は、この顔は。その先生のこと、
「……好きなの?」
「好き」
 即答だった。真っ赤な顔で、真剣にこっちを見てくる。
 その顔が、まっすぐすぎて、見るのが辛い。
「憧れなんだ。私の」
 というと、きゃー! と言いながら、またお湯の中に、今度は、頭まで潜り込んだ。ブクブクブクブクブクブクブクブク.。o○
 銭湯のおばちゃん曰く、流行のガングロコギャル、ヤマンバの出で立ちで現れた、バケモノみたいな彼女は、今、多分世界で一番、乙女だった。
 そんな乙女を、私は見ていた。
 会ったばかりのこの人が、誰を好きでも構わないのに。どうでもいいのに。関係ないのに。
 なのに、なのに、なのに。
 なんだろう。やだ。だから
「その先生、もっと他にも、面白そうな話、知ってそうだよね」
 そう言うと、彼女はぱああっと笑顔になった。
「そうなの! 他にもね」
 気づいてるんだろうか。恋する乙女が、ただそれだけで、めちゃくちゃ可愛いことを。
 矢継ぎ早に、あんな話題こんな話題と、たくさん、「先生」のことを、彼女は話してくれた。話してる内容なんて、正直、何一つ覚えていない。ずっと、彼女の顔だけを見ていたから。
 ちく。
「会ってみたいな、その先生」
 心とは裏腹なことを言った。
 チク。
「でしょ!? 絶対楽しいよ!?」
 彼女が喜んでくれるんじゃないかと思ったから。
 チクリ。
 そこから、しばらく、とりとめもない話をした。
 あまりにも話し込んで、時間がたつのも分からなくなって、ただ、頭がのぼせそうになったから、お風呂から上がった。

 お風呂に入る前、脱衣所で、おばちゃんから、彼女のことを聞いていた。
 中学の頃から、陸上競技をやっていて、走り高跳びでは、県大会にも出場する選手だったとか。
 毎日のように、部活でかいた汗を、銭湯に流しに来て、さっぱりして帰る。
 家にお風呂がないとかで、親から回数券を渡されて、通っているらしい。
 それが、いつ頃からか、銭湯に来なくなり、久しぶりにきたと思ったら、ガングロコギャル、というメイクをするようになり、世間一般で言うところのヤマンバになっていた。
「どうも、いじめに遭ってるらしい」
 おばちゃんも、本人に聞いたわけじゃないらしいが、あるとき、銭湯の前で、ずぶ濡れになっている彼女を見かけ、どうしたのと聞いたが、何も言わなかったという。
 とにかく、風呂に入れて、服を預かり、風呂に入っている間に、服を乾かしてあげた。
 その時に、彼女の身体に、生傷がいくつもできていたのに気づいたという。
 でも、彼女は何も言わず、ただ、前よりも更に元気で大きな声で、銭湯に通うようになった。
「元気になったわけじゃなくて、やせ我慢をしてるだけだと思うんだけどね」
 周りの人に心配をかけまいとして。
 より明るく。より強く。私と正反対に。
 そしてきっと、親にも本当のことを言ってない。私と同じく。

「おばちゃん、どう?」
 風呂から上がり、バスタオルで身体を拭く。拭いても拭いても汗が出る。
 大きな扇風機の最大風速の風にあたり、身体を拭いて、髪を乾かす。
 とりあえず、身体はタオルをまいたまま。
 銭湯のおばちゃんが、
「超オッケーよ!」
 ヤマンバの制服のYシャツとスカート、私の浴衣、そしてそれぞれの下着まで、全部、ハンガーに掛かって、扇風機の風にさらされて、キレイに乾いていた。
「さっすが、おばちゃん、チョベリグ!」
「チョベリグ!」
 おばちゃんもノリノリで返す。
 浴衣は、ちゃんと手もみ洗いをしてから、乾かしてくれたらしい。
「簡単には洗ったけど、ちゃんとクリーニングとか、出した方がいいよ」
 そう言ってくれたけど、何も問題はなさそうだった。
「あ。お金」
 銭湯代に、浴衣まで洗ってもらって。でも、 払おうとしたが、ふたりして拒否された。
「いつものことだし」
 いつも、お風呂代だけ払って、服は洗ってくれてるらしい。なんて太っ腹な銭湯だ。
「すみません」
 そういうと、彼女とおばちゃん、ふたりして渋い顔になった。
「え、何?」
『チョベリバ〜』
 ヤマンバとおばちゃんが、ハモって言った。
「違うっしょ」
 なにが?
「人に何かしてもらったら、すみませんじゃなくて、ありがとうでしょ」
 そうだ。
 情けない。そんな当たり前のことが、すっかり頭の中から消えていた。
 ずっと、人と関わらず、人を避けて生きてきたから。ありがとうなんて感謝より、自分みたいな人間が、申し訳ない気持ちになるだけで、心が歪んでしまってたから。
「……ありがとう」
 おばちゃん、にかっと笑って、
「チョベリグ〜!」
 浴衣の着付けは、手伝ってもらった。あと、メイクも。
 ふああ。

 銭湯を出た。
 花火はまだやってる。けど、もうそろそろ終わりそうな時間だ。
「もう一回、観に行く?」
 言うが早いか、彼女は、グッと私の手を握った。駅は目の前だ。
 今の彼女は、バケモノでもなければ、ガングロでもない。
 ただ日に焼けた、健康的なスポーツ女子高生。
 白い髪の毛はさらさらで、化粧気のないきめ細かい褐色の肌は、ただただうらやましくて、すらりと伸びた手足と、厚底のおかげで私よりも背が高くなってる彼女。
 その手を握り返した。ぎゅっと。誰にも渡したくないと意志を込めて。

 電車に乗り、2駅進み、改札を抜け、最初に出逢った神社に着いた。
 花火は、もう終盤。残りの花火が、これでもかと怒濤のように打ち上がる。
 ドドパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパ!
 昏い夜空が、真っ黒なキャンバスが、赤、青、黄、紫、橙、ピンク、世界に存在すると考えられるあらゆる色彩で、埋め尽くされる。明るい。
 人気のない神社から、手を繋いで、花火を見る。空には、煙が充満している。
 この場所にも、これから先にも、2人しかいない世界のように思えた。
「キレイ」
 ぽつりとつぶやいた。訂正された。
『チョベリグ〜!』
 ひゅーるるるるるるるるるるるる……
 どどどどーん。
 ぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱら。
『た〜まや〜!!!!』
 力の限り、大きな声で叫んだ。たったの一代でなくなりながら、その親とも言うべき師匠と共に、1659年から今まで、360年も残っている名前。玉屋さん。鍵屋さん。なんてステキな関係なんだろう。
『か〜ぎや〜!!!!』
 すーっと、夜空から、音が消えていく。その後に続く、わっという拍手と大歓声。
 川沿いには、本当にたくさんの人がいた。
 私の視界を、彼女の顔が埋めた。目の前に。至近距離に。
 大きな眼が、こっちを見てる。キレイな黒瞳。ドキドキする。
 大きな口が、にかっと笑う。ほんのり赤みが差している。
「超かわいい。チョベリグ〜!」
 心臓が高鳴る。耳に入る音が消えた。静寂。
 汗かいてる。やだ。お風呂入ったのに。汗、臭くないかな。
 私は、私は……。
「海かプール。約束だよ」
 その言葉を最後に、握っていた手の感触が消えた。
 彼女は、ふっといなくなった。

「ぎゃあああああああ!」
 悲鳴を上げたのは、私じゃない。私を池に突き飛ばした、いじめっ子だった。
「ば、バケモノ!?」
 失礼な。これは、ガングロギャルのヤマンバメイク!
 私の顔は、真っ黒に塗られ、眼の周りは白く、唇も真っ白だった。てっきり白い口紅があると思っていたら、違った。コンシーラーを、口紅代わりに使うことで、白く塗ってたらしい。ふええ。いろいろ考えられてる。
 銭湯を出るとき、ヤマンバにやってもらった。おばちゃんは、笑い転げてた。
 今まで、スキンケアは徹底的に日焼けを避けて、美白が最上だと思ってたけど、いつもと変わらないことをするのも、気分が変わって楽しい。
 バケモノでけっこう。今の私は、私であって私じゃない。少なくとも、池に突き飛ばされてた私じゃない。
 なにより、いじめっ子が驚いてるのが、痛快だった。
「何それ、メイク?」「なんで、浴衣乾いてんの?」「なんなの!?」
 なんだ。このクラスメイト、やっぱり普通に可愛いじゃん。矢継ぎ早に、いろいろ質問してくる。
「だいたいあんた! どこ行ってたの!?」
 ようやく慣れたのか、私の方につかつかと寄ってきて、そう怒鳴った。
 息を切らして、半泣き状態になってる。
 彼女の話を要約すると、花火大会が始まる前に、確かに彼女は、私を突き飛ばして、池に落とした。
 落としたはいいが、その瞬間、私がいなくなってしまい、池の中で溺れてるんじゃないか、だとしたら、死んでしまうんじゃないかと、不安になった。イタズラレベルならともかく、人殺しになるのは怖いわけだ。
 怖くなったはいいが、人を呼べば、自分が突き落としたこともバレてしまう。
 一瞬、放っておこうかと思って、クラスのみんなと合流もしたけど、花火なんかと見てもとても見ていられない。段々怖くなってきて、花火大会の間、ずっと、1人で神社の中を、私を探していたらしい。
 花火が終わって、気づいたら、私が暢気に立ってたもんだから、パニック状態に陥ったという。
 それらを、泣きじゃくりながら、ものすごくこっちを責めながら言うのが、如何にもこの子らしい。
 私は、とりあえずまず、巾着袋を返してもらった。彼女は、自分で神社の周りの木々の中に放り投げた巾着袋を、とにもかくにも探し出していた。
 お金も、スマホも、ちゃんと入ってた。ほっ。
「5000円」
「わかったよ」
 ちゃんと返してもらった。
 いつの間にかいなくなった彼女にお金、払わないと。銭湯のおばちゃんにも、お礼を。
 もう一度会いたい。
 その場を後にした。背後で声がする。
「あの……ごめん!」
「チョベリバ〜!」
 謝ったからって許しはしないけど、いじめっ子の彼女なんて、どうでもいい。相手にしなければいい。相手にしてきても、もう怖くない。
 こっちはヤマンバだぞ。

 駅に行った。自動改札。Suicaで入る。ピッ。
 二つ先の駅。普段降りない駅。駅前には、商業ビルがあって、喫茶店やパン屋さんがあった。銭湯はなかった。予想通りだった。
 駅にある交番に聞いた。警官が、私のメイクを見て一瞬ぎょっとしたが、気にしない。話を聞くと、銭湯があったのは、もう30年も前らしい。
 まだ、名前も聞いていなかった。
 褐色の肌の、ショートカットの、大好きな先生がいるヤマンバ。
 きっとあれは、私とは違う時代の、女の子。
「チョベリバ」

 家に帰り着いたのは、日付が変わる頃になっていた。
 怒られるかと思ったら、私の顔を見た母に、たいそう笑われた。
「ガングロコギャルのヤマンバメイクかよ!」
 ヒーヒー言いながら、指さして笑ってくる。
「なんか、浴衣と似合ってる。着ていってよかったろ?」
 ひとしきり笑い終わったっぽいので、ごはんは? と聞くと、
「連絡なしに遅くなったんだから、ごはんいらないと思って、片付けちゃったよ」
 と、言われた。が、そう言いつつ、ちゃんと私の分を残してあった。
 から揚げと、ハンバーグ。母の作るハンバーグは、美味しい。から揚げも。

 翌日の夜。
 食後に、母にせがんで、アルバムを出してもらった。
 いま私たちが住んでいるこの家は、母の実家を、そのまま受け継いだモノだ。
 家の中には、何十年も前のモノもたくさん保管されている。
 川沿いの神社にまつわる文献なんてのもあった。神社の中に、時代や時間を歪めてしまうゲートみたいなものがあるとかないとか。元々神域である神社の境内で、強い思いを持つと、時を越える神様が願いを叶えてくれるとか何とか。
 文献自体が最近作られたSFぽくて嘘くさいので、眉唾だ。
 お目当てのアルバム。
 30年前、母が女子学生だった頃の写真。どうしても、見たかった。
 ものすごく嫌がってたけど。パラパラめくる。中学の陸上競技で、県大会で入賞した写真は、ひときわ輝いていた。
 日に焼けた、健康的なスポーツ女子高生。
 黒いショートカットの髪の毛はさらさらで、化粧気のないきめ細かい褐色の肌は、ただただうらやましくて、すらりと伸びた手足。眼が大きく、口が大きい。背は低い。
一つだけ質問した。
「……ねえ、好きな先生いた?」
「そりゃいるでしょ」
「そういうことじゃなくて。本気で。恋愛対象として」
「何言ってんの、この子は」
 食事の片付けも終わり、母は、超高い化粧品を使って、念入りに、お肌の手入れをしていた。今日も一日、仕事で疲れたらしい。パックを付けてて、顔面真っ白のさながらバケモノ。美白の意識が高い。
「ものすごく、憧れてる人はいた。物知りで、何でも知ってて、ああ、こういう人になりたいなって思わせてくれた人。全然、なれないけどね」
「告白とかしたの? 好きだったんでしょ?」
「うーん、好きって言うか、定年間近の、おばあちゃんの先生だよ」
 は!?
「おばあちゃん!?」
「いいでしょ、別に。すらりと背筋が伸びて、たたずまいが静かで、なんて言うか、高貴な雰囲気があって……」
 そう言いながら、不服そうに、眉間にしわを寄せる。
「年齢も性別も、人を好きになるのに関係ないでしょ」
 照れながらそういう母。お肌のシミ対策に余念がない。
「いいから、早く宿題しなさい! まだレポート終わってないでしょ!」
 横顔が、少しふっくらしたかな。大きな目と大きな口。
「このメイク、この頃の流行だったんでしょ?」
 写真の数はとても少ないけど。
「その辺りの時代、見んな!」
 本人的には、黒歴史らしい。まさに黒い。
「ガングロ、似合ってるじゃん」
 にやにや。
「あんたの下手くそヤマンバメイクも、似合ってたよ〜」
 そのメイクしてくれたの、誰だっけ?
 チョベリバ〜。

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