帰る場所を探していた。
 いつも見る同じ夢。空はいつも青く、水彩画のような白い雲があちこちに散らばっている。そばに枝垂れているのは、名前もわからない紫色の花。オレンジ色をした家々の屋根が見えると決まって場面は変わり、石畳の坂道を下っている。転ばないように気を付けろよ、と優しく声をかけてくれるその人は、背の高い男の人だ。外国語なのに、その言葉の意味は不思議とわかった。
 眼下の海を目指して、一歩一歩進む。近づくにつれ、あれは海じゃない、と気が付く。
 
 あれは——川だ。
 
 ああ、そうだ。ここが俺の故郷。俺の生まれた国。やっと帰って来られた——。
 
 
 
 二〇二三年、三月。
 懐かしい学び舎は、ひっそりと静まり返っている。誰もいない教室。かつて座っていた席。机の側面に貼られた名前に、指でそっと触れる。

 俺としたことが、最後のイベントである「卒業式」をすっかり忘れていた。これがなくては、高校生活は終われない。でも、あの夏の体育祭や文化祭のように、俺がそれを体験させてやる必要はもうない。彼女は今、友人たちと共にその最後のイベントを味わっている最中だからだ。自分の境遇を諦め、高校生活さえも諦めようとしていた彼女が、ようやく前を向いている。それが、とても嬉しく思えた。

 藤本先生に話をし、教室に入らせてもらった。最近は学校の警備も厳しくなっているから、無断で入り込むことなどできない。
 
 空っぽの机の中に、そっと封筒を忍ばせる。中身は、あの日返しそびれたシャープペン。それと、約束の場所へ行く為のチケットだ。
 
 父親の幻影を探しに行く為じゃない。
 彼女と、「修学旅行」へ行く為だ。
 
 小柴はきっと怒るだろう。それでも、俺は前を向くと決めたんだ。もう、過去に囚われるのはやめだ。
 
 わかったから。俺が夢の中で探し続けていたのは、父でも母でもなく、(リオ)だった、と。彼女が川ならば、自分はその先で待つ海になろう。そして、彼女がいつでも帰ってこられる場所になろう。
 
 本当に帰りたい場所を、ようやく見つけたんだ。

「卒業おめでとう、理央」

 誰もいない教室を後にすると、俺は一足先にいつもの待ち合わせ場所へと向かった。