教室に戻ると、拓哉が待っていた。
「まなと、大丈夫だった?」
 拓哉はすぐに心配してくれた。
「大丈夫だよ、意外と怒ってなかった」
「心配すんな」と言わんばかりに笑って見せた。
「どうして残ってるの?」
「俺も先生に呼ばれてて、」
拓哉の顔は引き攣っていた。
「もしかして、宿題忘れた?」
「そ、そうなんだよ…」

 拓哉は少し間を置いて答えた。ひどく怯えている。石神は誰であろうと容赦はしない。これから拓哉が泣くまで怒られるのかと思うと、気の毒に思った。
 そのまま拓哉は、石神がいる教室へ歩いて行った。

 拓哉と別れ、石神の言ったことを無視して帰宅した。宿題は家に置いてきているし、何よりも反発したかった。拓哉を待っていようとも思ったけど、石神に説教を受けた後の泣顔を、友達に見られたくはないだろう。

 校門へ向かうと、朝と同じように学校には人気がなかった。もう生徒は帰ってしまっているのだろう。
 帰り道に石神について考えた。春の日の気候はとても暖かく、午前中で学校が終わったため、通学路にも人はほとんどいなかった。一人で考え事をするにはちょうどいい。

 今日の石神の態度を、頭の中で何度も思い返した。あんな人がなぜ先生になれるのか。学校側もあまり当てにできないと、正直思ってしまう。

 石神は僕が小学校の頃に教師になりたいと思った要因の一つだ。それは決して憧れなんかではなく、(さげす)みの感情からだった。
 一度目の六年生の頃、今のクラスは怯えた表情で過ごし、学校を楽しいものと思っている生徒は、一人もいなかっただろう。僕もその一人だ。皮肉にもそれが原動力となり、小学校の教員になった。六年間を楽しく過ごせる場所を自分と生徒によって作り出したいと、石神を見て思ったのだ。
 石神によって植え付けられた恐怖より、今では憎悪が心の底に湧いていることに気がついた。同じ教師として、子ども達を泣かせているのは耐えられなかった。

 恐れていないのであれば、石神に逆らえる。そうすれば、今後起こる『最悪』も阻止することができるかもしれない。

 石神にはもう一つ問題があった。
 石神は過去に、いやこれから先の未来に『最悪』を引き起こす。
 この時代から七年後、石神櫂は自殺することになっている。

 二〇一二年、十二月二十二日。とある小学校の生徒が遺体となって発見される。警察は、当時の状況から自殺と推定し、調査を行なっていた。
 そうして、同年十二月二十四日。石神櫂の遺体が発見された。自殺してしまった小学生の担任だった石神に、調査をしにやってきた警察が発見したとのことだった。
 当時の生徒やその親の証言から、石神が生徒に精神的な体罰を行っていることが発覚し、それが原因で自殺したとマスコミが発表した。
 こんなにも早く、「先生によって生徒が自殺した」という事実が確定したのは、石神による遺書の内容が要因だった。

 遺書には、謝罪の言葉と、醜い保身の文が並べられていた。
 その後マスコミが、石神について詮索し、過去に石神のクラスから、自殺者がもう一人出ている事実が判明する。
 このニュースは、クリスマスの話題そっちのけで日本中を騒がせることになった。

 これが僕らの担任だ。
 こんな先生の下で、もう一度人生をやり直すことを、誰が楽しみにできるであろうか。
 改めて覚悟を決めなくてはならない。
 クラスを救い、優香を救い、将来自殺する生徒を救う。小学生の僕が石神と戦わなくてはならないのだ。

 ただ、教師になったのは、この三つの出来事があったからだ。僕が襲われて、触れて、見たものを、この世から排除するために、教師を選んだ。
 なら、足掻くしかない。優香を救い、石神から全てを守るのが、僕の教師としての在り方だ。