「レンっ!」
日が暮れてしばらく経った時だった。
エリゼとの散歩も終わり、自室で今後のことを考えていると、アラムが怒鳴り声をあげながら部屋に飛び込んできた。
「なんですか、アラム姉さん。人の部屋に入る時はノックをするのが常識ですよ」
「うるさいわね! あなたのせいで大恥をかいたわっ」
アラムは、血管が切れるような勢いで怒っている。
はて? なにかしただろうか?
「あなた、なにをしたのかわからないけど、私を眠らせたでしょう? あなたのせいで、あちこち虫に刺されるわ、メイドに笑われるわ、散々な目に遭ったのよ!?」
「……ああ、そういえば」
アラムを眠らせたこと、すっかり忘れていた。
でも、どうでもいいことだから仕方ないよな?
うん、不可抗力だ。
「すみませんでした。以後、気をつけます」
「なによその謝り方は! まるで反省していないでしょう!?」
適当に謝罪したことはお見通しらしく、アラムの顔がますます赤くなる。
こいつ、そのうち血管が切れるんじゃないだろうか?
「あなた、自分の立場を忘れているみたいね……!」
「俺の立場ですか?」
「あなたはストライン家の長男だけど、でも、男よ。跡を継ぐことなんてありえない。それは、長女であるこの私よ。そのことをわかっているのかしら? もしかして自分にもチャンスがある、なんてことを思っていない? だから調子の乗っているんじゃない?」
はて?
男だから跡を継げない、ということはないはずなのだけど……
「いえ、そんなことはまったく考えていませんよ。家のことは全部、アラム姉さんにお願いしようと思っていましたから」
これは本心だ。
ウチはそれなりに大きな力を持つ貴族だ。
そんなものを継げば、間違いなく面倒なことになる。
貴族という枷に縛られて自由に動けなくなり、強くなる、魔王を倒すという目的を達成することができなくなってしまうかもしれない。
そんな展開はお断りだ。
「ふんっ、どうかしら。あなたは悪知恵は働くから、その言葉は信用できないわ」
本心なんだけどな。
「いい? あなたはストライン家の長男だけど……でも、女性であり、長女である私に逆らうことは許されいないの。わかっている?」
「はい、わかっています」
「まあ、私は寛大だから、今日のいたずらは許してあげる。ただ、二度はないわよ?」
「はい、ありがとうございます。寛大なアラム姉さんに感謝します」
「それと、エリゼには近づかないように」
「それはお断りします」
「なっ」
適当にあしらっていたのだけど……
どんどん要求がエスカレートして、しまいにはエリゼに近づくなというバカな命令までしてきたので、つい反射的に断ってしまった。
「あなた……私の言うことが聞けないの?」
「兄が妹と一緒に過ごすのに、どうしてアラム姉さんの許可がいるんですか?」
「あなたが男だからよ」
アラムはドヤ顔で語る。
「あなたは魔法を使うことができない男……いわば、無能!」
本当は魔法を使えるけどな。
「無能のレンが傍にいたら、エリゼに無能がうつってしまうかもしれないわ。それは避けないと。それに、教育にも良くないわ。無能が良い影響を与えることなんて皆無だもの」
無能、無能、無能……
さっきから言いたい放題だな、おい。
最強を目指している俺にとって、その言葉を連呼されることは見過ごせない。
それに、男のプライドというものもある。
男だからと見下すこの女をギャフンと言わせてやりたい。
「それなら、俺にある程度の力があればいいわけですね?」
「ふんっ、男は黙ってなさい。男であるあなたは、なにも力はないでしょう」
「でも、あるとしたら? 例えば、そう……アラム姉さんに勝てるだけの力があるとしたら?」
「……なんですって?」
「そうしたら、エリゼと一緒にいても問題はないですよね」
「その言葉、撤回するなら今だけよ?」
アラムは牙を剥くような感じで、怒りの表情を作る。
しかし残念ながら、迫力というものがまるでない。
所詮は子供だ。
子供がいくら怒ろうと、まるで怖くない。
まあ、今の俺も子供なんだけどな。
「撤回なんてしませんよ」
「男のくせにいい度胸ね!」
アラムが掴みかかってこようとしたので、それを手で制する。
「部屋の中で暴れ回るわけにはいかないでしょう? それに、ただのケンカをしたら父さんと母さんに怒られてしまいますよ」
父さんと母さんは、俺達に貴族らしいふるまいを求めている。
取っ組み合いのケンカなんてしたら、後で怒られることは確実だ。
前世では賢者だったとしても、今は二人の子供。
子供だからこそ、親には頭が上がらない。
「明日、訓練をしませんか?」
「訓練……?」
「訓練という形式で試合をしましょう。それで決着をつける。これなら、父さんと母さんに怒られることもないし……どちらが上なのか、優劣をハッキリさせることができるかと」
「へえ……面白いわね。男のくせに、なかなか良い提案をするじゃない」
男、男ってうるさいな。
いくらなんでも見下しすぎだろう。
昔は、ここまでひどくなかったと思うんだけど……
いつからかアラムの性格が変わってしまった気がするのだけど、詳細は覚えていない。
「どうですか?」
「ええ、それでいいわ。訓練、をしましょう」
アラムはにっこりと笑う。
すでに自身の勝利を確信しているようだ。
「明日を楽しみにしているわ。ああ……言っておくけれど、逃げたりしないように。そんなことをしても、無理矢理にでも訓練に参加してもらうわよ。そして……ふふっ、あははは!」
アラムはご機嫌な様子で部屋を出ていった。
「さてと」
ひょんなことからアラムと試合をすることになってしまったが……
まあ、特に問題はないだろう。
というか、ちょうどいい。
そろそろ対人戦を経験したいと思っていたところだ。
転生して、今年で6年目。
魔力は順調に伸びていて、トレーニングによって身体能力もそれなりのものに。
現時点の力を確かめるため、実戦の勘を取り戻すため。
アラム相手に練習することにしよう。
と、扉がノックされた。
「お兄ちゃん、まだ起きていますか?」
「どうぞ」
「失礼します」
エリゼが部屋に入ってきた。
「明日、お姉ちゃんと試合をする、って……本当ですか?」
「そうだけど……あれ? なんで知っているんだ?」
「さきほどお姉ちゃんがやってきて、試合のことを話したので」
たぶん、エリゼに良いところを見せたいのだろう。
だからといって、即、報告に行くなんて……
アラムのヤツ、暇人だな。
「大丈夫ですか、お兄ちゃん……お姉ちゃんと試合をするなんて……」
「大丈夫だ」
「ふぁ」
心配そうにするエリゼの頭を、ぽんぽんと撫でる。
「俺のことなら心配いらない。怪我なんてしないし、試合にも勝ってみせるよ」
「本当ですか……?」
「俺がウソをついたこと、あるか?」
「……ありません」
「だろう? だから、エリゼは信じてくれないか? あと、応援してくれるとうれしい」
「わかりました!」
エリゼは、胸の間で小さな拳をぐっと握りしめる。
「私、お兄ちゃんの応援をしますね。がんばってください!」
「ありがとう。エリゼの応援があれば、絶対に負けないよ」
「あ、でもでも、お姉ちゃんにも負けてほしくないです……うー、どうすれば?」
「そういうところ、大事だな」
あんな姉だとしても、エリゼは慕っている。
そういうところは素直にすごいと思い、もう一度、頭を撫でた。
「あっ……お兄ちゃん。その、頭……」
「っと……悪い。子供扱いするつもりはなかったんだけど」
「そんなこと気にしませんよ。というか、私、まだ子供ですよ? お兄ちゃんだって、まだまだ子供じゃないですか」
そうなんだよな。
転生して4年経つけれど、たまに、自分が子供ということを忘れてしまいそうになる。
「その……もっと、撫でてもらってもいいですか?」
「こうか?」
「えへへ♪」
エリゼが幸せそうに笑う。
そんな妹の笑顔を見ていると、胸がとても温かくなる。
この感情、なんだろう……?
前世では得たことのないものだけど……
翌日。
「ふふ、よく来たわね。てっきり逃げると思っていたのだけど……まさか、きちんと時間通りに姿を見せるなんて。その度胸だけは褒めてあげる、あははは!」
先に庭に出て俺を待っていたアラムは、高笑いをあげた。
うっとうしい。
「アラム。高笑いなど品の欠ける行為はしないように、と言っていますよね?」
俺とアラムの試合の審判を務める母さんが、そんな注意をした。
母さんは生粋の貴族なので、品の欠ける行為を嫌う。
「す、すみません。お母様」
アラムも親には逆らえないらしく、おとなしく頭を下げた。
「アラムよ。それといつも言っているが、レンのことを男だからとバカにするな。レンはお前の弟なのだぞ。姉弟、仲良くしないといけない」
母さんと一緒に来た父さんが、そうアラムに注意をした。
父さんは元冒険者なので、仲間を大事にしなければならない、と考えている。
それは姉弟にも適用されるらしく、日頃から、俺とアラムの仲が悪いことを憂いていた。
「……別に、お父様にそのようなことを言われる筋合いはないわ」
アラムはふてくされたような態度で視線を逸らす。
男だからということで、アラムは父さんのことも見下していた。
こんなヤツと仲良くする必要があるんだろうか?
父さんの考えはわからないでもないけど、アラムと仲良くできる未来が見えない。
でも……
一応、アラムは姉だ。
そして、実年齢はともかく精神年齢は俺の方が圧倒的に上だ。
仕方ない。
ここは俺が折れて……
「ちょっと、レン」
「はい、なんですか?」
「覚悟しなさい。お父様とお母様の前であなたを徹底的に叩きのめして、男なんで不要で無能だということを知らしめてあげるわ」
……やっぱり、こいつとは仲良くできそうにないな。うん。
「実戦形式の訓練ということで、審判は俺が務める」
父さんが審判を務めるなら安心だ。
公正な判断を下してくれるだろう。
「お兄ちゃん……が、がんばってくださいね!」
「エリゼ。私には?」
「お姉ちゃんもがんばってほしいですけど、えっと、でもでも、試合をしないことの方が……あうあう」
どっちを応援していいか迷い、慌てるエリゼ。
ちょっと癒やされた。
「ふん。レンを応援する必要なんてないのに……私が圧倒的な勝利を収めて、エリゼの目を覚まさせてあげる」
「エリゼの目を覚まさせる、ですか……そんなことばかり考えていたら、そのうち嫌われてしまいますよ? 日頃の態度が原因で。もう少し、己を見直した方がいいんじゃないですか。こんなことが続いたら、将来、独り身になりますよ?」
「コロス!!!」
優しく助言をしてあげたというのに、なぜか怒るアラム。
俺、なにかまずいことを言っただろうか?
「両者、構え!」
父さんの合図で、俺とアラムは同時に杖を構えた。
「始め!」
先手を取ったのはアラムだ。
「火炎槍<ファイアランス>!」
いくつかの例外はあるものの、基本的に魔法は三つのランクに分類される。
初級、中級、上級だ。
アラムが唱えた魔法は、初級の『火炎槍<ファイアランス>』。
炎の槍を生成して対象を攻撃する。
初級魔法とはいえ、『火炎槍<ファイアランス>』は比較的威力が高い魔法だ。
術者の魔力量によっては、中級魔法に匹敵する威力を叩き出すこともある。
それだけ汎用性が高く、使い勝手の良い魔法なのだ。
なるほど。
八歳で『火炎槍<ファイアランス>』を使えるなんて、なかなかできることじゃない。
普通は十二歳くらいだ。
アラムが得意になるのはよくわかる。
とはいえ……
悪いな。
俺はすでに、それ以上を使うことができる。
「疾風連撃波<タービュランスウェイブ>!」
中級の風属性の攻撃魔法を放つ。
局地的な嵐が吹き荒れて、アラムが放った炎の槍をかき消してしまう。
それだけで終わらない。
獣が狩りをする時のように、烈風がアラムに襲いかかる。
「きゃあああっ!!!?」
『疾風連撃波<タービュランスウェイブ>』がまともに直撃して、アラムが吹き飛ばされた。
「……え?」
思わぬ出来事に、目を丸くしてしまう。
なんで、アラムが吹き飛んでいるんだ……?
あれだけ自信たっぷりにしていたものだから、てっきり、防御は万全なものかと思っていたのだけど……
『火炎槍<ファイアランス>』が使えるのなら、防御魔法も使えるはずだよな?
『疾風連撃波<タービュランスウェイブ>』なら、うまく工夫すれば、初級の防御魔法でも防ぐことは十分に可能なのだけど……
というか、それくらいは当たり前のように、誰もやっていたはずなのだけど……
どういうことだ?
「えっと……姉さん?」
「……」
「おーい、姉さん」
「……きゅう」
アラムは完全に目を回していた。
魔法は女性しか扱うことができない。
そんな変化はあったものの……
あれから500年。
魔法界は大きな発展を遂げていると思っていたのだけど……
なんだ、これは?
アラムは、この程度の力しか持っていないのか?
中級魔法の一撃でやられるなんて、素人もいいところだぞ?
アラムの実力の問題なのか。
それとも……
「な、なんだと!?」
「こ、これは……!?」
父さんと母さんがものすごく驚いていた。
「レン!」
「はい?」
「お前……今、なにをしたんだ!?」
「魔法を使いました」
「そんなバカな!? 男であるお前が魔法を使うなんてことは……」
「でも、あなた……今のは、確かに魔法よ?」
「そ、そうだな……信じられないが、確かにレンは魔法を使った」
「たぶん……『疾風連撃波<タービュランスウェイブ>』ね。その難易度の高さ故、使い手がほとんどいないと言われている中級魔法よ」
なんだって?
難易度が高い?
そんなわけないだろう。
むしろ、『疾風連撃波<タービュランスウェイブ>』は初心者向けの、わりと簡単に扱うことができる魔法だぞ。
『疾風連撃波<タービュランスウェイブ>』の扱いが難しいなんて……
どうして、そんな勘違いをしているんだろう?
「レン……もしかして、魔導具の力を借りたのですか?」
「そうか、そういうことか。魔導具の力を借りれば、男でも魔法を使うことはできるからな……なんだ、そういうことだったのか」
「いえ、そんなことはしていません」
「本当か? 本当のことを言うなら、今のうちだぞ」
「疑われるなんて心外です。なんなら、調べてもいいですよ。なにも出てこないですから」
「……すまないが、少し調べさせてもらうぞ」
父さんが俺の体に触れて、足や腕、胸元などを確認した。
当然、魔導具なんてものは出てこない。
「本当になにもないな……」
「だから、そう言ったでしょう」
「ということは、レン……あなたは、自分の力だけで魔法を唱えたというのですか……? 男の子のあなたが……? しかも、あれほどに制御が難しい『疾風連撃波<タービュランスウェイブ>』を……? それに、あんな威力を……?」
母さんが信じられないといような顔をして、そう問いかけてきた。
「えっと……なにか勘違いしてるみたいですけど、『疾風連撃波<タービュランスウェイブ>』は初心者向けの魔法ですよ? 男女の違いは置いておくとしても、ちょっと練習すれば、あれくらいは誰にでもできますよ?」
「「そんなわけないっ!」」
揃って否定されてしまった。
「あのような強力な魔法、俺は今まで見たことないぞ!? 宮廷魔法使いだとしても、あれほどの威力を出せるかどうか……」
「それに、『疾風連撃波<タービュランスウェイブ>』はとても制御が難しい魔法なの。ベテラんの魔法使いでも、その習得に一年はかかると言われているわ」
そんなバカな。
『疾風連撃波<タービュランスウェイブ>』は確かに中級だけど、その習得は簡単な方だ。
初心者卒業の入門編、と言われていた。
それに、あの程度の威力、子供でも出せる。
現に俺は問題なく使えているし……
あと、今はかなり威力を絞っていた。
アラムに対する攻撃ではなくて、魔法に対する防御のつもりで使ったんだよな。
「えっと……今のって、そんなにおかしいことなんですか?」
「「おかしいに決まっているだろう!(でしょう!)」」
再び揃って否定されてしまった。
まいったな。
男が魔法を使えるという時点で、それなりに驚かれるだろうとは思っていたが……
それだけじゃなくて、魔法に対する認識のズレがあるみたいだ。
俺にとっての当たり前は、父さんや母さんにとっては異常らしい。
「いいか? 魔法というものは、男が使えるものではないんだ。女性のみに許された特権というか、特殊能力であり……過去300年前にさかのぼっても、男が魔法を使ったという記録はないんだぞ? それなのに、レン……男であるお前が魔法を使えるなんて」
「これがどれだけ異常なことか……あ、いえ。異常なんて言い方、ダメですね。と、とにかく。レンは国の英雄でさえも成し遂げていない、とんでもないことをやったのですよ? いったい、どうして魔法が使えるのですか? しかも、中級の『疾風連撃波<タービュランスウェイブ>』をあれほど簡単に、しかも、高威力で……」
「え、えっと……」
父さん母さんから質問攻めに遭ってしまう。
おかしい、なぜこんなことに?
「お兄ちゃん、すごいですね! えへへ、お兄ちゃんが勝ってうれしいです」
……そんな中、エリゼは無邪気に俺の勝利を喜んでいた。
「よし!」
呆然としていた母さんが、ややあって、なにやら決意したように頷いた。
「レン、私が稽古をつけてあげますね」
「え? どうしたんですか、いきなり」
「男の子なのに魔法が使えるだけじゃなくて、『疾風連撃波<タービュランスウェイブ>』を簡単に使い、しかも、威力もとんでもない……もしかしたら、レンには魔法の才能があるのかもしれません。だとしたら、それを伸ばしてあげることが親の義務です」
「そうだな……レン、母さんに稽古をつけてもらいなさい。男だからと魔法のことは諦めていたが……もしかしたら、レンは伸びるかもしれないぞ」
「はい、よろしくおねがいします」
素直に母さんの話を受けることにした。
家庭に入る前の母さんは、色々な魔法を扱い、一線で活躍していたと聞く。
俺の知らない魔法の知識、技術を持っているに違いない。
そんな母さんに稽古をつけてもらえれば、さらに強くなることができるはずだ。
「お父さん、お母さん」
どこか期待した様子で、エリゼが二人に声をかける。
「ん? どうしたんだ、エリゼ」
「その、あの……わ、私にも稽古をつけてほしいです。お兄ちゃんと一緒がいいです」
稽古も一緒に、と言うエリゼは素直にかわいいと思う。
ただ、それはどうなのか?
エリゼは体が弱い。
散歩くらいなら問題ないが、稽古なんてしたらどうなるか。
父さんも同じ懸念を抱いたらしく、難しい顔に。
「うーん……エリゼのお願いならなんでも聞いてやりたいところだが、こればかりは許可できないな」
「エリゼちゃん。まずは、体を良くすることを一番に考えましょう。元気になったら、いくらでも稽古をつけてあげますから……ね?」
「……はい」
寂しそうにエリゼは頷いた。
エリゼも、無茶なことを言っているという自覚はあるのだろう。
でも……
残念そうにするエリゼを見ていると、どうにかしてあげたい、と思う。
できることならエリゼの願いを叶えたいが、あいにく、体を強くする魔法なんてものはない。
万能の治療薬『エリクサー』でもあれば話は別なのだけど、そんなものが都合あるわけがない。
エリゼには悪いが、今回は諦めてもらおう。
「それじゃあ、私はレンと稽古をしますね。お父さんは、アラムを頼めますか?」
「あっ……そうだったな。わかった、任せておけ」
今の「あっ」は、どういう意味だろうか?
もしかして忘れていたのだろうか?
哀れ、アラム。
父さんは、アラムが吹き飛ばされた方に歩いて……
そして母さんは、家の中から魔法人形を持ち出してきた。
魔法人形というのは、魔法の訓練に使う的だ。
魔法に対する高い耐性を持っているため、的として最適。
さらに魔法の威力を数値化してくれるという機能付き。
一度、使ってみたかったんだけど、俺にはまだ早いと断られていたんだよな。
今にして思うと、俺が男だということが関係していたのだろう。
「お兄ちゃん、がんばってください!」
エリゼは、引き続き俺の訓練を見るつもりらしい。
訓練なんて見ても退屈だと思うが……まあいいか。
エリゼに見られていると、不思議とやる気が出てくる。
「もう一度、確認しておきますが……レンは魔法を使えるんですよね?」
「はい、使えますよ」
「そうなのですか……改めて聞くと驚きね。しかし、どこで魔法を覚えたのかしら? 魔法書の類は与えていませんよね?」
「それは……」
転生したからです。
……なんて言っても、普通、信じてくれないだろう。
最悪、大人をからかうんじゃない、と怒られてしまうかもしれない。
それと、男である俺が魔法を使える理由はわからない。
謎だ。
答えようがないんだよな。
ここは、適当にごまかしておこう。
「姉さんが魔法を使っているところを、たまたま見て……それで覚えました。それまでは、男が魔法を使えないなんて知らなかったので。普通に、誰でも使えるものだと思っていました」
「なるほど、そういうことなのね。でも、見るだけで覚えることができるなんて……やっぱり、レンは魔法の才能があるのかもしれませんね。男の子だからと諦めていましたけど……どうやら、それは間違った判断だったみたいね」
間違いというが、母さんの判断は仕方ないと思う。
俺が魔法を使える方が異常なのだろう。
この辺り、いずれ原因を突き止めた方がいいかもしれないな。
「そうなると、レンは基礎を知らないことになりますね。それはいけませんね。いいですか、レン? 直感で魔法を使うなんて、それはすごいことです。しかし、基礎を疎かにしてはいけません。自分が使っている魔法がどんなものなのかきっちり理解しないと、いつか成長が止まってしまいます。逆に言うと、ちゃんと基礎を学んでおけば、さらなる成長が期待できます」
「はい!」
「退屈かもしれませんが、まずは魔法の基礎理論について話しますね」
「退屈なんてことはありません。楽しみにしています」
本心だ。
あれから500年。
女性しか魔法が使えない、という予想外の事態はあったものの……
それは別にして、どのように魔法が進化しているのか、とても興味がある。
ものすごく期待していた。
期待していたのだけど……
「いいですか? レン。そもそも魔法というものは……」
母さんが基礎の魔法理論を語る。
その話を聞いて……俺は、軽く混乱した。
なんだ、これは……?
これが基礎の魔法理論だというのか?
ありえない。
こんなものが魔法理論だなんて……
だって、子供でも知っているような、ママゴトみたいなレベルじゃないか。
基礎中の基礎の、さらにその中でもレベルが低い基礎の、さらにさらに誰でも理解できるようなレベルに落とし込んだ内容で……
要するに、母さんが話している魔法理論は、赤ちゃんレベルのものだった。
驚くほどに低レベルだ。
母さんは、なぜこんな低レベルな魔法理論をドヤ顔で語っているのだろうか?
もしかして、男ということで舐められているのか?
お前にはこのレベルがお似合いだぞ……とか?
……いや。
母さんはそんなことをするような人じゃない。
何か意味があるはずだ。
「……そうか!」
話をする前に、母さんは基礎が大事だと言った。
その通りだ。
魔法に限らず、どんな物事でも基礎を疎かにしてはいけない。
しかし、俺はどうだ?
前世では賢者ともてはやされて……
基礎なんて……と、疎かにしていたところがあった。
きっと、母さんはそのことを見抜いたに違いない。
だから、あえて基礎の中の基礎から始めることにしたんだ。
これは、『慢心してはいけない』という教えなのだろう。
「どうしました、レン? ぼーっとしているみたいだけど……ちゃんと聞いていますか?」
「はい、大丈夫です!」
心を入れ替えないといけないな。
俺は、低レベルすぎる魔法理論に耳を傾けた。
低レベルすぎて眠くなってきたが、それでも耐えて、最後まで聞いた。
「よし、魔法の基礎理論についてはこのようなところですね。いきなりでわからないことも多いかもしれませんが……どうですか?」
「はい。問題なく覚えました」
「一度聞いただけで? 本当ですか?」
「本当ですよ。なんなら復唱しましょうか?」
「いえ……疑って悪かったわ。そうよね、レンは嘘をつくような子じゃないし……だとしたら、すごいわ。調子に乗って中級の魔法理論まで踏み入ってしまったのですが、きちんと理解しているなんて」
うん?
今、中級の魔法理論と聞こえたような気がするが……まあ、聞き間違いだろう。
あんな低レベルの魔法理論が中級であるわけがないからな。
「では、今の魔法理論を元に、改めて魔法を使ってみましょう。まずは、私が見本を見せますね」
「はい!」
「いきますよ」
母さんは手の平を魔法人形に向けて、魔力を集中させる。
そして、
「火炎槍<ファイアランス>!」
炎の槍が放たれた。
炎の槍はまっすぐに飛び、魔法人形を直撃した。
ゴゥッ! という音と共に炎が荒れ狂う。
それから、魔法人形の上に『75』という数字が表示された。
75という数字は魔法の威力を表している。
普通の魔法使いなら100に達するらしいから、現役を引退したことを考えると、母さんの魔法はなかなかの威力だ。
「ふう……こんなところでしょうか。どうですか?」
「はい、すごいです!」
「お母さん、かっこいいです」
俺とエリゼに褒められて、母さんは嬉しそうな照れくさそうな、そんな笑みを浮かべた。
子供に褒められるというのは、親にとってすごく嬉しいらしい。
「それでは、次はレンの番ですよ。今のようにやってみなさい」
「わかりました」
手の平に魔力を収束させる。
光の粒子が集まり、キラキラと輝いた。
そして……それを一気に解き放つ!
「火炎槍<ファイアランス>!」
ゴッ……ガァアアアアア!!!!!
母さんの魔法の何倍もの巨大な炎の槍が形成されて、高速で射出された。
魔法人形を飲み込み、紅蓮の炎を撒き散らす。
魔法人形の上に『999』という数字が表示されるが……
そこが限界だったらしく、次の瞬間、表示がバグって壊れてしまう。
「……」
魔法人形が壊れるという予想外の結果を目の当たりにして、母さんは唖然とした。
「母さん、どうですか? とりあえず、今のが俺の全力なんですけど……でも、これじゃあまだまだですよね。もっともっと強くなりたいんですけど、どうすればいいと思います?」
「え? これでまだまだなんですか? もっと上を?」
「もちろんです。これくらいで満足していたらダメになってしまいますからね。俺が目指すところは、もっともっと上です」
「……あ、うん。ソウデスカ」
「母さん?」
「……レン、あなたは免許皆伝よ。私が教えられることはもう何もないわ」
「えぇ!?」
「お兄ちゃん、すごいです!」
俺は戸惑い……
エリゼは無邪気に俺の活躍を喜ぶのだった。
アラムとの試合。
そして、母さんに稽古をつけてもらった日から、数日が経っていた。
「ふむ」
魔法書に目を通して、その内容を頭に叩き込んでいく。
最近の俺の日課は、母さんから借りた魔法書を自室に持ち込み、勉強をすることだ。
男だけど魔法の才能があるかもしれないということで、俺は魔法書の持ち出しを許可された。
ようやく現代の魔法に触れることができる。
あれからどのような進化を遂げたのか?
女性だけが扱えるようになって、どのような変化が起きたのか?
それを楽しみに勉強をしているのだけど……
「……まいったな」
苦い顔をして、魔法書をパタンと閉じた。
三十冊ほどの魔法書を隅々まで読み込んだが、成果という成果を得ることができていない状況だ。
「なんだ、この低レベルな魔法理論は?」
魔法書に書かれている魔法理論は、どれもこれも低レベルなものばかりだ。
間違えて子供向けのものを借りてしまったのではないかと、母さんに確認をしてみたが……
これらの魔法書は、大人向けの本格的なものだという。
それならばと思い、さらなる高度な魔法書を求めてみたのだけど……
やはり、結果は変わらず。
多少、レベルが向上しているだけで、低レベルな内容に変わりはない。
「これ、前世なら子供でも内容が理解できるレベルのものだぞ。それなのに、大人向けの難解な魔法書だって? いったい、どうなっているんだ?」
あれこれと考えて……
やがて、とある結論に至る。
その結論は、なかなかに認めたくないものなのだけど……
でも、それ以外に考えられない。
「……魔法のレベルが衰退しているな」
心当たりはある。
500年前、魔王が復活した。
どこから現れたのか、その正体は何者なのか。
なにもわからなかったけれど……
ただ一つ。
ヤツの目的が世界を滅ぼすこと、ということだけは理解した。
前世の俺は魔王に戦いを挑んだ。
別に世界を救うつもりはない。
単純に、己の力を証明するために、最強と呼ばれていた存在に挑みたかっただけだ。
まあ、それはどうでもいい話だ。
で……
500年前、魔王は盛大に暴れてくれた。
それはもう、目を覆いたくなるほどの惨状だった。
いくつもの国が滅び、あるいは、大陸が吹き飛んだ。
世界滅亡の数歩手前まで進んでいたのだ。
その影響で、たぶん、文明が停滞、衰退してしまったのだろう。
500年かけて現状まで復興したものの……
魔法のレベルが上がることはなくて、逆にレベルダウンしてしまった。
そう考えると色々と辻褄が合う。
「まいったな……これじゃあ強くなることができない」
この時代に転生した目的は、二つ。
一つは、この時代に逃げたと思われる魔王と決着をつけること。
今度は逃したりしない。
真の強者を決めるため、最後までとことんやり合うつもりだ。
もう一つは、500年の間に進化したであろう魔法を学ぶこと。
そうすることで、俺はさらに強くなることができる。
そう思っていたのだけど……
「進化するどころか衰退していたなんて……ホント、大誤算だ。どうする?」
魔法書を読み漁っても意味がない。
たぶん、どれもこれも似たようなレベルだろう。
百年以上前の古書なら、あるいは……
でも、そんな骨董品はウチにない。
「そうだな……人に教えてもらうのがいいかもしれないな」
全体的に魔法のレベルは落ちているものの……
それでも、色々な変化は起きている。
女性しか魔法を扱うことができないなど、その最もたる例だ。
そういう変化を重点的に学んでいけば、思わぬ発見があるかもしれない。
そして、それは誰かに師事して教えてもらうのが一番だ。
そんな結論に至った俺は自室を後にして、母さんのところへ向かう。
「あら? どうしたのですか、レン」
母さんは執務室で仕事をしていた。
のんびりと紅茶を飲んでくつろいでいるだけ……なんて貴族はいない。
大なり小なり、貴族というものは色々な雑務に追われているものだ。
「すみません、仕事中に。今、いいですか?」
「ええ、構いませんよ。ちょうど、休憩をいれようと思っていたところですから」
母さんはペンを置いて、俺の方を向いた。
「ちょっとお願いがあるんですけど」
「まあ、レンがお願いなんて珍しい。どうしたのですか?」
「魔法に関する家庭教師をつけてもらえませんか?」
「家庭教師を?」
「独学では限界があって。わからないところにぶつかっても、質問できる相手がいません。なので、家庭教師などをつけてもらえると助かるな、と思って」
魔法書が低レベルすぎて役に立ちません、とはさすがに言えなかった。
「なるほど、一理ありますね。レンの場合は特殊ですし、定石通りにはいかないことも……そうですね、わかりました。お父さんと相談をして、適当な人を探してみることにします」
「本当ですか!?」
「ええ。レンには魔法の才能があるかもしれませんからね。親として、子供の才能を伸ばしてあげることは当たり前のこと。できるだけのことはしますよ」
「ありがとうございます!」
こうして、魔法の家庭教師がつけられることになった。
――――――――――
「はじめまして。これから、私があなたの担当をさせていただきますね」
「よろしくおねがいします」
数日後……家庭教師が見つかり、さっそく授業が行われることに。
家庭教師は現役の冒険者だ。
一線で活躍する魔法使いで、百を超える魔法を操るという。
本来なら、家庭教師を引き受けているヒマなんてないのだけど……
たまたま足を怪我してしまったらしく、その間は家庭教師をしてくれるらしい。
一線で活躍する冒険者。
魔法書とは違い、高度な魔法理論を理解しているかもしれない。
それだけじゃなくて、俺が知らない技術、知識を持っているかもしれない。
そう考えると、すごくワクワクした。
「では、まずはテストをしましょうか」
「テストですか?」
「今のあなたにどれくらいの知識、技術があるのか、最初に知っておきたいんですよ」
「なるほど」
「正直なところ……男のあなたが魔法を使えるなんて、私は信じられません。なので、その辺りを含めて、実力を見極めていきたいと思います」
もっともな話だ。
「問題は私が作成しました。これを1時間以内に解いてみてください。あ、わからないところは空白で構いませんから」
「はい、わかりました」
「では、始め!」
先生の合図でテストを始める。
ペンを片手にテスト用紙と向き合い……
「あれ?」
違和感はすぐにやってきた。
「どうしたんですか?」
「先生、この問題おかしくないですか?」
「え?」
「ほら、ここの問題。魔法術式の足りない部分を埋めろ、というやつです」
「えっと……これがどうかしましたか? 特におかしなところはないと思いますが……」
「いえ、おかしいですよ。ほら、ここのところ。他の部分をこうして、こうすれば……」
先生が作った問題にペンを入れる。
「ほら。ここはこうした方が、より効率のいい術式になります。つまり、最初の問題は不適当ということに」
「ちょ、ちょっと待ってください……!?」
先生は慌てて俺が修正したところを見た。
「……た、確かに。この方が術式が何倍も効率よくなって……」
「これ以上に効率がいい方法があるということは、この問題はおかしいですよね?」
「そ、そうですね……すいません。ちょっと失敗してしまいました」
「いえ、気にしていませんから」
もしかしたら、あえてこういう問題にしたのかもな。
問題の真意を隠して、より深い思考をさせるように仕向ける。
さすが、一線で活躍する現役の冒険者だ。
こういう勉強なら大歓迎だ。
「って、あれ?」
「ど、どうしました?」
「先生、この問題もおかしいですよ」
「えっ、また!?」
「ほら。ここの術式が……ここは、こう。そして、こうするべきですね」
「うっ」
今度は単純なミスだ。
術式の一部が別のものに入れ替わっていた。
これじゃあ正常に魔法は発動しない。
発動したとしても、本来の威力の半分も出ないだろう。
「ここは、こうしてこうすれば……ほら、これで正解ですよね」
「な、なんていうこと……!? まさか、このような抜け道があるなんて……」
「先生?」
「い、いえ……なんでもありません。続きをしてください」
「はい」
ひっかけ問題が多いな。
気を抜かず、注意して挑まないと。
「あっ、またおかしなところを見つけました」
「えぇ!?」
「ほら、こことここ。あと、ここもおかしいですね」
「う、うぅ……こんな小さな子供が。それに、男なのに……どうして、これほどまでにとんでもない知識を? わ、私の立場というものはいったい……もう、プライドがぼろぼろですよ」
「あっ、もう一つ、おかしなところを見つけました」
「すみませぇえええええんっ、もう許してくださぁあああああいっ!!!」
「あっ、先生!? 先生ーーーっ!!!?」
なぜか、先生は泣きながら部屋を出ていってしまった。
……結局、先生はそのまま辞めることに。
家庭教師の話も流れてしまう。
どうしてこうなった?
その後も、何人か家庭教師を雇ってもらうものの……
いずれも『自分には無理だぁあああ!』と叫びながら出ていってしまい、魔法を教えてもらうことは叶わなかった。
「いったい、どうして?」
「「レンのせいだから」」
父さんと母さんに、揃ってツッコミを入れられてしまった。
俺のせいと言われても、ないもしていない。
先生が間違った魔法理論を教えてくるから、その間違いを指摘しただけなのに。
「しかし、困りましたね」
母さんがため息をこぼした。
俺が魔法の勉強をすることは賛成だけど、どうやって伸ばせばいいかわからない。
そんな感じで、難しい顔をしている。
「お父さん、どうしましょうか?」
「そうだな……ふむ、こうしてみるか」
父さんは何か思いついた様子で、こちらを見た。
「レン。今すぐというわけにはいかないが……学校に通ってみるか?」
「学校ですか?」
「エレニウム魔法学院だ。聞いたことはあるだろう?」
エレニウム魔法学院。
別名、魔法使い育成学校。
その名前の通り、魔法使いを育成することを目的として設立された学校だ。
エリートのみが入学することを許される、超難関と聞く。
確かに、そこなら高度な知識、技術を学ぶことができるかもしれない。
その中に、俺が求めるものがあるかもしれない。
しかし……
「入学できるんですか? 俺、男ですよ?」
現代では、魔法を使えるのは女性だけ。
ならば、学生も女性だけ。
そんな中に、男である俺が入学できるのだろうか?
「うーん、そこなんだよな」
父さんは難しい顔をした。
俺と同じ懸念を抱いているらしい。
対する母さんは気楽なものだった。
「大丈夫ではありませんか?」
「しかしだな……レンは男だぞ」
「でも、魔法が使えるんですよ? 学校に入学する方法は、試験をくぐり抜けることと、魔法を扱えること。条件はクリアーしています。レンなら試験はきっと突破できるわ」
「う、む……そうだな。男ではあるが、レンならあるいは……」
「えっと……結局、俺は学校に通えるんですか?」
「レンならきっと大丈夫よ。私が太鼓判を押してあげます」
「やった!」
わくわくしてきた。
学校に通うことができれば、俺はさらに強くなれるに違いない。
「じゃあ、さっそく手続きをお願いできますか!?」
「落ち着いて、レン。残念だけど、入学できるのは十五歳からなの。初等部、中等部もあるにはあるんだけど、そちらでレンが学べることは少ないと思うわ。だから、十五までは独自に勉強を重ねて、十五になったら高等部に入学する……それが一番だと思うの」
「……なるほど」
「あと10年近く待たないといけないんだけど……やっぱり、無理? どうしてもっていうのなら、初等部からでもいいんだけど……」
「ちなみに、初等部の授業はどういう内容なのか知っていますか?」
「……今まで、あなたにつけた家庭教師の授業の内容が中等部始めくらいかしら」
「……なるほど」
そうなると、母さんの言う通り入学しても無駄だ。
十五歳になるのを待って、高等部に入学した方がいい。
「わかりました。しばらくは自主練に励むことにします」
父さんと母さんを困らせるつもりはない。
もどかしさはあるものの、無茶を言わず、俺は素直に頷いた。
――――――――――
「さて、どうしたものか」
一人になり、ふらふらと庭を散歩する。
10年近く待たされてしまうから、その間、援助は惜しまないらしい。
欲しい物があればなんでも言ってほしい、と母さんと父さんは言ってくれた。
とりあえず、片っ端から魔法書を集めてもらうことにしよう。
もしかしたら、俺の知らない知識や技術が眠っているかもしれない。
淡い期待だが、なにもしないよりはマシだ。
それと、自主訓練を欠かさないようにしないと。
一日一日の積み重ねが大事だ。
10年近く待たないといけないというのは、もどかしくはあるが……
逆に考えよう。
10年も研鑽を積むことができる。
「うん。しっかりと訓練を重ねていけば、きっと、前世よりも強くなれるはずだ」
「お兄ちゃん」
「そうなると、日々のトレーニングメニューを見直した方がいいな。今までは短期集中型のメニューだったから、これからは長期用のメニューに変えて……」
「お兄ちゃん、聞いていますか?」
「なに、時間があると思えばいい。一歩一歩前に進んで、必要なことを積み重ねていく。そうやって力をつけて、いずれ魔王と……」
「もうっ、お兄ちゃん!」
「うわっ!? え、エリゼ……?」
気がついたらエリゼがすぐ近くにいた。
頬を膨らませていて、不機嫌ですよ、と全力でアピールしている。
いったい、いつの間に?
どうやら、考え事に夢中になりすぎて気づかなかったみたいだ。
「どうしたんだ、エリゼ? というか、驚かさないでくれ」
「私、何度も話しかけましたよ。それなのに、お兄ちゃんが気づいてくれなかったんじゃないですか」
「悪い、ちょっとぼーっとしてた。それで、どうしたんだ?」
「お兄ちゃんと一緒にお散歩に行きたいです」
「いいよ。じゃあ、庭を……」
「違います。今日は秘密の場所に行きたいです」
「……あそこか?」
秘密の場所というのは、街の外にある丘のことだ。
花畑があり、とても綺麗な場所ということを覚えている。
この街……『フラムベルク』は魔物対策として、四方を高い壁に囲まれている。
街の外に出る時は、衛兵の検査を潜り抜けないといけないのだけど……
壁の一部に穴が空いていて、子供なら通れるようになっている。
以前、それを偶然見つけた俺とエリゼは、そのまま外に出て、街の外にある丘まで散歩をした……というわけだ。
父さんや母さんに知られたら大目玉確実だ。
故に、これは二人だけの秘密。
「お花畑に行きたいです」
「しかしだな……」
エリゼは体が弱い。
あまり無茶をしたら、再び寝込んでしまうかもしれない。
強くなることが第一の目的で、他人のことはわりとどうでもいいはずなのだけど……
でも、エリゼのことは妙に気になる。
なんだろうな、これは?
「お兄ちゃん。今日の私、すごく体の調子がいいんです。だから、お願いできませんか?」
「うーん」
「絶対に無理はしません。お兄ちゃんの言うこともちゃんと聞きますから」
「……わかった。そこまで言うのなら」
確かに、元気なように見えるし……
いざという時は、魔法を使って家に戻ればいいか。
ただ、このことがアラムにバレたら面倒なことになりそうだ。
ギャーギャーと怒鳴り散らされるに違いない。
まあ、あの試合以来、アラムは意気消沈して別人のようにおとなしくなっているから、そんな気力はないかもしれないが。
「じゃあ、行こうか」
「はい♪」
――――――――――
秘密の抜け道を通り、街の外にある丘へやってきた。
以前来た時と同じように、たくさんの花が咲いている。
夜空の星が地上に舞い降りたかのようで、とても綺麗だ。
「わぁ」
エリゼが目をキラキラと輝かせる。
「綺麗ですね、お兄ちゃん」
「そうだな」
「せっかくだから、花かんむりを作ってあげましょうか?」
「えっと……俺、男なんだけど」
「大丈夫です。お兄ちゃんなら、きっと似合いますよ」
あまりうれしくない言葉だ。
「あれ?」
「どうしたんだ、エリゼ」
「あそこ……誰かが倒れています!」
そう言って、エリゼが指さした先には……
ボロボロのローブをまとう骸骨の姿があった。
「エリゼっ、俺の後ろに!」
「え? で、でも……」
「あれは行き倒れなんかじゃない、魔物だ!」
リッチ。
不死者の王と呼ばれている、非常に厄介な魔物だ。
いくつもの強力な魔法を操り、村の一つや二つ、簡単に壊滅させるだけの力を持っている。
前世の俺なら敵ではないのだけど……
今の俺だとまずい。
まだ前世に匹敵するほどの力を得ていないため、倒せるかどうか……わりとギリギリのところだ。
「先手必勝だ!」
どうして、リッチがこんなところで寝ているのか?
それはわからないが、ヤツが起き上がる前に勝負を決める!
俺は、魔力を手の平に収束させて……
キュルルルッ。
この場にそぐわない、妙に間の抜けた音が響いた。
「は?」
「う、うぅ……」
リッチがもぞもぞと動いて、
「は、腹が減った……」
とんでもなく間の抜けた台詞を口にした。
もしかして、今のは腹が鳴る音……なのか?
骨だけなのに、どこから音が出ているのだろう?
ついつい、そんなどうでもいいことを考えてしまう。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん」
「エリゼ、危ないから俺の後ろに……」
「あのガイコツさん、なんだか、かわいそうですよ」
そんなことを言われても……どうしろと?
「うぅ……なにやらおいしそうな魔力の匂いが……」
リッチがこちらに気がついて、顔を上げた。
「そこの子供達……すまないが、魔力を分けてくれないか? ほんの少しでいいのだ……もう何日も魔力を補給しておらず、空っぽなのだ……」
「魔物相手にそんなことをするわけないだろう」
「そ、そこをなんとか……このままでは、わしは消えてしまう……」
「お兄ちゃん……ガイコツさんが、かわいそうです」
「でも、相手は魔物だぞ?」
「それでも……やっぱり、かわいそうです」
「あー……はぁ。わかったよ」
エリゼにお願いをされると、なぜかわからないが、断りづらい。
俺はため息をこぼす。
「エリゼは俺の後ろに。絶対に離れないように」
「わかりました!」
「それじゃあ……」
エリゼをかばいつつ、不意打ちを受けても対応できるように、警戒度を最大まで引き上げた。
少しずつリッチに近づいていく。
「じっとしていろよ?」
「わかっておる……」
「ん」
手の平をリッチにかざして、魔力を放出した。
「お、おぉ……」
リッチの体が淡く輝いて、その顔に生気が戻り……すでに死んでいるはずなのにおかしな言葉になるが……元気になる。
「驚いたぞ……お主、男なのに魔法を使えるのか?」
「ああ、使える」
「なんと。長い間生きていると、予想外のことに巡り合うものだ」
お前、死んでいるだろ。
「ふう……なにはともあれ、助かったぞ、少年よ。お主のおかげで、なんとか生きながらえることができた」
「妹に頼まれたからだ。でなければ、魔物なんて助けない」
「ふふふ、わかるぞ。お主、ツンデレというヤツだな?」
したり顔のリッチに、ムカッとくる。
殴ってやろうか?
「お兄ちゃん、お兄ちゃん。ガイコツさんは元気になりましたか?」
「ばっ……エリゼ、こっちに来るな! 危ないっ」
リッチに近づこうとしたエリゼを慌てて背中にかばう。
それを見たリッチが、不満そうに言う。
「おいおい、わしをなんだと思っているんだ? わしは確かに魔物だけど、恩人やその妹を襲うようなことはしないぞ?」
「怪しいな。どこまで信じられるものか」
「そもそも、わしは人を襲ったことはない。こんな体になったのは研究の結果で、元は人間だったのだ。最初から魔物だったわけではない」
「本当なのか……?」
「本当だとも。わしは、とある目的のために魔法の研究をしていてな。生前は、色々と研鑽を積み重ねてきたものだ。しかし、人に与えられた時間はあまりに短い……そこで、この体を不死者としたのだ。全ては研究を続けるために」
「あんた、女だったのか」
「ピチピチのギャルじゃぞ」
見た目がガイコツで、こんな喋り方だからさっぱりわからん。
「その目的っていうのは?」
「うむ。それは……」
ガイコツがなにか言おうとした時、ピィー! という鳴き声が響く。
尾の長い青い鳥が降りてくると、ガイコツの頭に止まる。
「この鳥は……?」
「これ。今は大事な話の途中だ、邪魔をするでない」
「ピーッ!」
そんなこと知らないとばかりに、鳥は羽を広げて鳴いてみせた。
その姿は間抜けで……
こんなヤツに警戒する必要はあるのか? と考えて……
「ま、いいか」
警戒するのを止めた。
魔物ではあるが、悪いヤツではないだろう。
「ガイコツさんの目的って、なんですか?」
エリゼが俺の後ろから出て、そう尋ねた。
一応、近づきすぎないように注意しておく。
「わしは動物が好きでな。世界を巡り、色々な動物の保護をしているのだ」
「動物さんの保護に、魔法の勉強が必要なんですか?」
「うむ。わしは主に、魔物に襲われている動物を助けているのだよ。魔物を追い払う、倒すのには力が必要だろう? そして、傷ついた動物を癒やすのにも魔法が必要だ。故に、魔法の研究をしていたのだよ」
「なるほどー。そこまでするなんて、本当に動物さんが好きなんですね」
「うむ、うむ! そうなのだ、わしは動物が大好きなのだよ!!!」
ものすごい勢いで食いついてきた。
「なんといっても、まずは犬だな! 賢く凛々しく、そして主人に忠実。それでいて愛嬌があるという無敵っぷり! 対極に位置する猫も素晴らしい。気まぐれでツンデレっぽいところはあるが、それを補って有り余る可愛らしさ! その仕草一つ一つにメロメロだ! 他にも……」
ガイコツはとてもうれしそうに動物の魅力を語る。
俺は適当に聞き流していたが、同士のエリゼは目をキラキラさせていた。
「ガイコツさんは、どこから来たんですか?」
「あちこちを旅しているから、故郷というものはないな。旅を始めて、かれこれ数百年になるだろうか」
……なんだって?
「わぁ、長いんですね。一人で寂しくないんですか?」
「うむ……」
エリゼのそんな問いかけに、ガイコツは寂しそうな顔をした……ような気がした。
顔が骨なので、表情の判断がつかない。
「一人は寂しいな。生前はそのようなことは思わなかったが……このような身になって、本当の独り身となり、寂しさを痛感したよ」
「ガイコツさん、かわいそうです……」
「まあ、動物が寂しさを癒やしてくれるから、気にすることはない。それと、そのガイコツというのはやめてくれないか? わしには、エルという名前があるのだよ」
「わかりました、エルさん! 私はエリゼっていいます」
「うむ。よろしくな、エリゼ嬢」
もう名前で呼び合う仲になっていた。
妹のコミュ力半端ない。
「俺はレンだ。わかっているかもしれないが、エリゼの兄だ」
エリゼが自己紹介をしたので、俺も自分の名前を告げておいた。
「ふむ、レン坊か」
「坊はやめてくれ。呼び捨ての方がいい」
「わかったぞ、レンよ」
リッチ改め、エルが手を差し出してきたので、握手に応じた。
「助けてくれてありがとう。ぜひ、礼をしたいのだが……うーむ」
「どうした?」
「あいにく、人間の金は持っていなくてな。このような体だから、街に寄ることもないし大したものも持っていない。さて、どうしたものか」
「別に礼なんていらないって。エリゼに言われたから助けただけだし」
「それでも、恩を受けた以上、しっかりと返さなくては。貸し借りはしっかりとしないといけないのだぞ?」
意外と律儀なガイコツだった。
「うーむ、うーむ……なにをすればいいものか? わしが持っているものといえば、魔法の知識くらいしかないが」
その言葉に、俺はピクリと反応した。
「そういえば、魔法の研究をしているとか言ってたな。それは、どんなものなんだ?」
「色々な研究をしているが……そうだな。最近は、闇属性の魔法の研究をしているぞ」
「闇属性!」
魔法は六つの属性に分かれている。
『火』『水』『土』『風』『光』『闇』……だ。
これらの属性のうち、才能にもよるが、人が使える魔法は闇属性を除いた五つだ。
闇属性の魔法は魔物専用と言われていて、人間が扱うことはできない。
しかし、俺の考えは違う。
人間でも、闇属性の魔法も扱うことはできるはず。
ただ、そのためのトリガーが見つからず、使えないと思われているだけ……そう考えていた。
前世でも闇属性の魔法の研究は進めていたものの……
結局、習得できなかった。
「恩を返したいっていうのなら、俺に闇属性の魔法を教えてくれないか!?」
「む? なんだ、レンは闇属性の魔法に興味があるのか?」
「ものすごくある!」
新しい属性の魔法を習得すれば、さらに強くなれるはずだ。
「それとも、人間には習得できないものなのか?」
「いや、そんなことはないぞ。リッチになったからこそわかったのだが……闇属性の魔法は、普通の人間でも習得することができる。ただ、ちと面倒なだけだ」
「なら、それを教えてくれないか?」
「ふむ。習得にはそれなりの才能を必要とするが……まあ、教えろと言うのならば教えよう。しかし、習得できなかったとしても、わしを恨まないでくれよ?」
「必ず習得してみせるよ」
「うむ、その意気やよし。今日から、レンはわしの弟子だ!」
こうして、俺は成り行きでリッチに弟子入りすることになった。
「むー……お兄ちゃんだけずるいです。私も魔法を習いたいです」
仲間はずれにされたと思ったらしく、エリゼが頬を膨らませた。
「では、エリゼ嬢も魔法を習うかね?」
「習いたいです! お兄ちゃんと一緒がいいです!」
「おい、エリゼ。あまり無理を言って、師匠を困らせるな」
「だってだって、私もお兄ちゃんと一緒に魔法を習いたいです……」
上目遣いに俺を見るエリゼ。
そんな顔をされたら、反対できないじゃないか。
「わしは構わないぞ。一人も二人も、教えるのに大差はないからな」
「まあ、師匠がそういうのなら」
「やった……えへへ、おねがいします」
エリゼも一緒に弟子入りすることになり……
リッチの師匠による魔法修行が始まるのだった。
それから、週に一度のペースでエル師匠から魔法を教わることになった。
エル師匠はリッチなので、街に入ることはできない。
街の外の丘で待ち合わせをしているのだけど……
毎日街を抜け出していたら、いつか父さんと母さんにバレてしまうかもしれない。
そんな懸念から週に一度のペースにしたのだ。
週に一度、直接指導してもらい……
残りの日々は課せられた課題をコツコツとこなす。
地味な作業なのだけど、新しい魔法を覚えるためなのでぜんぜん苦にならない。
むしろ、毎日が充実していた。
「では、今日の講義を始めるとしよう」
「「はいっ」」
エル師匠の講義も、これで四度目。
つまり、魔法修行が始まり一ヶ月が経っていた。
驚きなのは、エリゼがしっかりと授業についてきていることだ。
魔法の才能があったらしく、エル師匠が教えることをどんどん吸収して、自分のものにしている。
俺も負けていられないな。
エリゼの手本になれるように、がんばらないと。
――――――――――
「よし、では今日から実技に移ろう」
講義が終わると、エル師匠がそんなことを口にした。
実技!
講義は講義で面白いのだけど……
やはり、体を動かしたいという思いはある。
楽しみだ。
「まずは、魔法人形を設置しよう」
エル師匠が自分の影に手をつっこみ、そこから魔法人形を取り出した。
闇属性の魔法の一つで、影にアイテムを収納できるらしい。
便利だ。
ぜひ、俺も習得したい。
「そうだな……では、エリゼ嬢からにしようか」
「わ、私ですか……?」
「うむ。エリゼ嬢は才能がある。普通なら、一ヶ月の訓練だけで魔法を使えるようにはならないのだが……エリゼ嬢なら問題ないだろう。さあ、やってみたまえ」
「……わかりました!」
エリゼが小さな拳をぐっと握り、気合を入れる。
それから、両手を魔法人形へ向けた。
「火炎槍<ファイアランス>!」
赤い尾を引きながら、火炎の槍が宙を走る。
そして、着弾。
魔法人形の上に、『83』という数値が表示された。
母さんが確か『75』だったよな?
それに、エリゼはこれが初めての『火炎槍<ファイアランス>』だ。
それらのことを考えると、実はすごい数値じゃないだろうか?
「で、できた……」
初めて魔法を使うことができたエリゼは、感動するように己の手を見た。
何度か手を握ったり開いたりして……
それから、花が咲いたような笑顔になる。
「お兄ちゃん、私、やりました! やりましたよ!?」
「ああ、見ていたぞ。すごいな、エリゼは」
「えへへ♪」
頭をなでてやると、エリゼは頬を染めた。
ちょっと照れているのかもしれないが、でも、うれしそうだ。
「ふむ?」
「エル師匠?」
せっかくエリゼの魔法が成功したというのに、エル師匠は難しい顔をしていた。
いや、ガイコツだから表情はわからないし、そんな雰囲気、と言うのが正解なのだろうが。
「どうしたんですか?」
「いや……エリゼ嬢ならば、もっと上の数値を叩き出すものだと思っていたのだが……ふむ、見誤っただろうか?」
「確かに、才能はあると思いますね」
「レンは兄バカなのだな」
「そう……なんですかね?」
初めてそんなことを言われたような気がする。
ただ、わからない。
エリゼのことは大事な妹と思っているが……
それは、どれくらい『大事』なのだろう?
「……ふむ。もしかしたら」
なにか思いついた様子で、エル師匠がエリゼを見る。
「エリゼ嬢。この前、回復魔法も教えただろう? 今度は、それを使ってみてくれないかね?」
「はい、わかりました!」
エル師匠のことだから、何か考えがあるのだろう。
おとなしくエリゼを見守る。
「治癒光<ヒール>!」
優しい光が魔法人形を包み込んだ。
この魔法人形は攻撃魔法だけではなくて、ありとあらゆる魔法の威力を測定して、数値化できるという優れものだ。
果たして、エリゼの回復魔法の威力は?
「『230』か……普通の魔法使いで100。熟練で200って聞くから、かなりのものだな」
「ふむ。どうやら、エリゼ嬢は回復魔法の方が得意みたいだな」
「私にそんな才能が……」
「回復魔法の使い手は少ない。貴重な才能だ。その力をきっちり伸ばすといいだろう」
「はい、わかりました!」
エリゼはうれしそうな笑顔で、元気よく返事をした。
エリゼは体が弱いから、今まで誰かに守られてばかりだった。
でも、自分の魔法で誰かを助けることができるかもしれない。
それが誇らしいのだろう。
エリゼの笑顔を見ていたら、自然とやる気が出てきた。
よし、俺もがんばろう!
「じゃあ、次は俺の番ですね!」
「うむ。がんばれ」
「せっかくなので、今日は闇属性の魔法を試してみますね」
「闇属性の魔法を? それはまだ早いぞ」
「でも、理論は覚えたので、初級ならたぶん使えると思うんですよね」
魔法を使う時は、精霊に語りかけて、その力を貸してもらう必要がある。
火属性の魔法なら、イフリート。
水属性の魔法なら、ウンディーネ。
そんな感じで、それぞれの属性の精霊に語りかけることで、初めて魔法を使うことができるのだ。
しかし、闇属性の精霊に語りかけることに成功した者はいない。
なぜかわからないが、闇の精霊シャドウは人の呼びかけに応えてくれないのだ。
その理由は、シャドウは魔物に味方する存在だから。
故に人に手を貸すことはない。
力を貸すのは魔の存在だけ……と、言われていた。
でも、エル師匠によると、それは誤った認識らしい。
シャドウも人の呼びかけにきちんと応える。
ただ、他の精霊とはまったく違うアプローチが必要で、なおかつ、消費する魔力量も桁違いなのだ。
それ故に、誰もシャドウに語りかけることができず、失敗が続いて……そして、誤った認知士気が広がってしまったらしい。
俺は、エル師匠から正しいアプローチの方法を教えてもらった。
魔力量にも自信がある。
きっと、闇属性の魔法を使うことができるはずだ。
「ふむ……まあ、試してみるだけなら自由か」
「ありがとうございます」
「先に言っておくが、失敗したからといって落ち込む必要はないぞ? むしろ、失敗するのが当たり前だと思った方がいい。ましてやレンは男だからな、普通の人よりも難しいだろう。わしでも、理論を学んでから使えるようになるまで、数年の歳月を要して……」
「暗黒槍<ダークランス>!」
無から闇が生まれて、槍の形を取る。
ゴゥッ! と漆黒の槍が射出された。
それは魔法人形の頭部に突き刺さり、荒れ狂う炎のように闇を撒き散らす。
魔法人形の上に、『780』という数字が表示された。
「よし、できた!」
「……」
「でも、扱いに難しいですね……微妙にコントロールに失敗してしまいました」
「……」
「数値はもっと欲しいんだよな。うーん……これは要練習だな」
「……」
「あれ? どうしたんですか、エル師匠?」
「なんでやねん!?」
「エル師匠!?」
大変だ! エル師匠が壊れた!?
「わしでも数年かかったのに、なんで六歳の子供が一ヶ月で使えるようになるのだ!? ありえないだろう!? ありえないぞ!? ありえなさすぎる!? いったい、どうなっているのだ!? なんでやねん!!!」
「エル師匠、落ち着いて」
「わし、自信なくなってきた……こんな子供に負けるなんて。もう無理だ……そうだな、無理だな。山へ帰ろう、そこで動物達と静かに暮らそう……」
「ちょっ……エル師匠!? どこへ行こうとしているんですか!?」
「山へ帰る……ぐすん」
「師匠ぉおおおーーー!?」
俺が必死になってエル師匠をなだめている間、
「やっぱり、お兄ちゃんはすごいです♪」
エリゼはキラキラとした顔で、俺と師匠のやりとりを見守るのだった。
闇属性の魔法を使えるようになったけれど、全てを極めたわけじゃない。
初級を使えるようになっただけなので、まだまだ先は長い。
これからがスタートなので、今まで以上にがんばらないと。
そんなわけで……
俺とエリゼは、その後もエル師匠の元で修行を積んだ。
人を捨ててリッチになるほどなので、エル師匠の知識はすごいものが。
俺の知らない魔法理論をたくさん知っていて、色々なことを吸収することができた。
エリゼも才能を開花させて、次々と回復魔法を習得していく。
将来は、優秀は治癒師になれるかもしれない。
そうして訓練を続けて……
あっという間に三ヶ月が経った。
――――――――――
「お兄ちゃん、今日はどんなことを教えてもらえるんでしょうね?」
「んー……どうだろうな」
いつものようにエリゼと一緒に街を抜け出して、エル師匠が待つ丘へ向かう。
その途中、俺は考え事をしていた。
たまにだけど、訓練中に視線を感じるんだよな。
その視線の主は……最初、エル師匠の頭に止まった青い鳥だ。
気の所為かもしれないが、じっとこちらを見ている時がある。
その視線に、意思のようなものを感じる……かもしれない。
なんともいえない、微妙な感じだ。
「……なんなんだろうな、あの鳥は」
「お兄ちゃん?」
「いや、なんでもない。早く行こう、エル師匠が待っている」
「はい」
丘へ移動すると、いつもいるはずのエル師匠の姿がない。
代わりに、犬や猫、狐や狸……たくさんの動物がいた。
動物達は俺とエリゼに気がつくと、一斉に駆けてきた。
尻尾を振ったりしつつ、遊んで遊んでとじゃれてくる。
「お、おい。やめろって。俺は修行をしに来ただけで、遊んでいるヒマなんてないんだ」
「わぁ♪ もふもふです」
エリゼは、一瞬で動物達の虜に。
とてもごきげんな様子で、動物達を撫でている。
「少しくらい遊んでもいいですよね?」
「でも、それより修行を……」
「……お兄ちゃん……」
「……はぁ、わかった」
どうにもこうにも、エリゼにお願いをされると弱い。
謎の力が働いているかのようで、無条件で従いたくなってしまう。
「師匠もいないし、少し遊ぶか」
「はい!」
俺は手の平を上に向けて、魔力を収束させる。
「<水珠>ウォーターボール」
魔法で水を使ったボールを作り出した。
ちょっとブヨブヨしているものの、すぐに割れたり消えたりすることはなく、普通のボールとして使うことができる。
「そら、取ってこい!」
「「「オンッ!!!」」」
犬と狸と狐。
さらに猫と猪……動物達が一斉にボールを追いかけた。
そんなに好きなのか?
「動物さん達、すごく喜んでいますね」
「最近は、俺達がエル師匠を独占していたから、遊び相手に飢えていたのかもな」
だとしたら悪いことをした。
強くなるためとはいえ、さすがに、他人の楽しみを邪魔するつもりはない。
仕方ない。
今日はとことん遊ぶとするか。
そんなことを考えていると、犬がボールを咥えて戻ってきた。
尻尾をブンブンと振っていて、また投げて? と目で訴えている。
「よし、いけ!」
「「「オンッ!!!」」」
ボールを投げて、取ってきてもらう。
ただそれだけなのだけど、動物達はすごく楽しいらしい。
とても生き生きとした様子で野原を駆けている。
「ん?」
何度かボールを投げていると、ふと、青い鳥が俺の肩に降りてきた。
エル師匠と一緒にいる、なんだか不思議な鳥だ。
「ピー」
「いて」
くちばしでツンツンと突かれた。
「なんだよ、お前も遊んでほしいのか?」
「ピー」
「よしよし」
指先で頭を撫でてやると、鳥はうれしそうに鳴いた。
喜んでいるのだろうか?
「ほう。そやつが懐くとは珍しいな」
「エル師匠」
丘の反対側からエル師匠が姿を見せた。
「すまないのう、遅れてしまった」
「いえ、大丈夫です。それより、なにかあったんですか?」
「なに。ちょっとした野暮用だよ。それよりも、今日は実技をしようと思う。レン、この前教えた魔法を使ってみてほしい」
そう言いながら、エル師匠は魔法人形を設置した。
なんだろう?
うまく言葉にできないのだけど、エル師匠の様子がいつもと違うような気がする。
気になるが、師匠の言葉を無視することはできない。
とにかくも、手の平に魔力を収束させた。
使用するのは、闇属性の中級魔法。
最初は初級だけしか使えなかったのだけど、今は中級まで使用できるようになっていた。
「魔炎疾風牙<デモンパニッシャー>!」
影が隆起して、無数の槍となって地面から生えてきた。
それらは意思を持つように動いて、魔法人形を串刺しにする。
『999』という数値が表示された後、魔法人形は壊れてしまう。
「どうですか、エル師匠?」
「うむ……すばらしいな。文句のつけようがない」
「ありがとうございます」
「レン」
エル師匠の雰囲気が変わる。
じっとこちらを見つめて、どこか寂しそうな、それでいてうれしそうな……
複雑な感情を見せた。
「おめでとう。今日で、免許皆伝だ」
「え?」
予想外の言葉に、思わず間の抜けた顔をしてしまう。
今、エル師匠はなんて……?
「レン。君の成長は、わしの想像を遥かに上回っていた。わしの一生と、さらにリッチになった後に学んだ技術の全てを、この三ヶ月で全て習得してみせた。これ以上、教えられることはなにもない」
「そんなことは……」
「そんなことあるのだよ。わしは、わしの持てる全てをレンに教えた。だから、免許皆伝なのだ」
「……エル師匠……」
つまり、エル師匠と過ごす日はこれで終わり……ということか。
それは俺が強くなることができた証。
本来なら喜ぶべきことなのだけど……
どうしてだろう?
今まで、当たり前のように過ごしていた日々が、唐突に終わりを迎える。
ひどく寂しいと感じてしまう。
「そして、エリゼ嬢。同じく、君も免許皆伝だ」
「そうなんですか?」
「本来なら、もっと色々なことを教えられればいいのだが……あいにく、わしは回復魔法が苦手なのだ。リッチなのでな。これ以上、教えられることはないのだよ。なに、心配することはない。わしではなくて、他の師を見つければいい。そうすれば、さらなる高みへ届くだろう」
「でも、私、お兄ちゃんみたいな才能はないのに……うまくやっていけるんでしょうか?」
「そう自分を卑下するな。エリゼ嬢も、レンに負けないくらいの才能があるぞ。特に、回復魔法が優れている。鍛えれば、きっと一流の治癒術士になれるだろう」
「が、がんばりますっ」
「うむ、精進するがいい」
「エル師匠は……これから、どうするんですか?」
エル師匠の今後が気になり、そんなことを尋ねた。
「うむ、そうだな……二人を子供としてではなくて、一人の人間として扱うからこそ、辛いかもしれないが真実を話そう」
そう言うエル師匠は、とても神妙な雰囲気をまとっていた。
こんなエル師匠、今まで見たことがない。
「わしらが最初に出会った日、わしの目的を話しただろう?」
「えっと……動物達の保護、でしたよね?」
「うむ。わしは動物が好きだ。そのために力を求めて、リッチにさえなった。ただ……リッチというものは、自然の……世界の摂理を捻じ曲げているような存在だ。ずっと存在することはできん」
「まさか……」
嫌な予感が思い浮かび……
そして、それは的中する。
「わしは、そろそろ天に召されるだろう」
「「っ!?」」
「すまないな、驚かせて。あと、そんなに悲しそうな顔をするな。二人のことを子供ではなくて、一人前だと思ったからこそ、適当にごまかすことなく、真実を告げたのだ。しっかりと受け止めてほしい」
「それは……」
ずるい。
そんなことを言われたら、引き止めることも泣くこともできないじゃないか。
って……
俺は今、すごく悲しく思っている?
寂しく思っている?
強くなることだけを考えてきたはずなのに、それなのに……?
「今日遅れたのは、ここにいる動物達の引き取り先を見つけてきたのだよ。わしがいなくなると、大変なことになるからな」
リッチのエル師匠が、どうやってそんなことをしたのか?
気になるけれど……
まあ、エル師匠のことだ。
リッチとばれることなく、うまくやったのだろう。
「ただ、一つだけ心残りがあってのう」
「それは……なんですか?」
「その子じゃよ」
エル師匠は、俺の頭の上にとまる青い鳥を指差した。
こいつ、実技の際も離れなかったんだよな。
普通の鳥は、魔法を使ったりすると驚いて飛び去るものだけど……
肝が座っているのか、まったく離れなかった。
「その子は、わしが今まで出会った動物の中でも特別というか……とびきり変わっていてのう。人に気を許さず、わしも、なかなか近づくことができなかった」
「エル師匠が……」
動物が好きで、動物にも好かれている。
そんなエル師匠が苦戦するなんて、どんな性格をしているのだろう?
「その子のことが気がかりで、今まで天に旅立つわけにはいかなかったが……しかし、これなら安心できそうだ」
「もしかして……」
「その子を、レンとエリゼ嬢に預けてもいいか?」
「……」
エル師匠のまっすぐな想いを感じた。
それから、今度は肩に移動した鳥を見る。
目がバッチリと合う。
ただの鳥のはずなのに、深い知性を感じられて……
なんていうか、こうして目を見ていると不思議な気分になる。
「お前は……俺のところに来るか?」
「ピー!」
俺の言葉がわかっているかのように、鳥は翼を広げて大きく鳴いた。
「よし。それなら、今日からお前はストライン家の一員だ」
「わー、鳥さんと一緒です! 今日は一緒に寝ましょうね」
エリゼは無邪気に喜んでいた。
「名前をつけてくれるか?」
「つけてないんですか?」
「いずれ、こうなることを予想していたからのう……名は、本当の飼い主がつけるべきだろう?」
「なら……」
少し考えて口を開く。
「ニーア、なんてどうだ?」
古代語で『空』という意味だ。
「ピーッ!」
気に入ってくれたらしく、鳥……ニーアは高く鳴いた。
「よしよし」
ニーアの行き先が決まったことは良いことだと思う。
でも、それは同時にエル師匠の未練が完全になくなるということで……
「うむ。これで、もう心残りはない」
「……あ……」
俺達の様子を見届けたエル師匠は、満足そうに何度も頷いていた。
その体は……うっすらと透けていき、光がこぼれていく。
「……エル師匠……」
「……うぅ……」
「二人共、そう悲しそうな顔をするな。わしは、とっくの昔に死んだ身。本来なら、あるはずのない出会いなのだから、最初からなかったことと思えばいい」
「そんな風に……割り切れませんよ」
「この子、絶対に大事にします! すっごくすっごくかわいがりますね!!!」
「うむ、エリゼ嬢がそう言うのならば安心だ」
ガイコツだから表情はわからない。
でも、エル師匠は優しく笑ったような気がした。
「エリゼ嬢。先も言ったが、君には魔法の才能がある。回復魔法の才能だ。極めれば、死者蘇生すら可能になるかもしれん。だから、がんばれ。がんばれ」
「はい……!」
「わしは、いつでも応援しているぞ。うむ。がんばれ!」
「はいっ……!!!」
エリゼは涙を堪えつつ、何度も頷いてみせた。
病弱で、か弱いと思っていたのだけど……
でも、そんなことはないんだな。
エリゼもきちんと成長している。
「そして、レン」
「はい」
「一つ、聞きたいのだが……レンは、どうして力を求めるのだ? その歳なのに、どうしてそんなに焦るように力を求める?」
「それは……」
前世で果たすことができなかった、魔王と決着をつけるためだ。
しかし、そんな話をしても信じてもらえるかどうか。
「ふむ……沈黙ということは、話せないということか」
「すみません……」
「いや、かまわない。レンにはレンの事情があるのだろう」
エル師匠は優しい声で言い……
次いで、こちらを気遣うような感じで言葉を続ける。
「ただ、これだけは覚えておいてほしい……わしのようになるな」
そう言うエル師匠は、どこか自嘲めいていた。
「それは、どういう……?」
「一人になるな、ということだ」
「一人に……?」
どういう意味なのだろう?
不思議そうな顔をする俺に、エル師匠は静かに言葉を重ねる。
「レンは、なにかしら目的があるのだろう? そのために力を求めているのだろう?」
「それは……」
「話せないのなら話さなくていい。ただ、力だけを求めてはいけない。力だけではなくて、絆を求めるのだ」
「絆?」
「人は一人で行きられない生き物だ。孤独を恐れなくなったら、それはもう終わりだ。どこかが壊れているとしか言いようがない。目的を達成したとしても、そんな状況に陥ってしまえば意味がないだろう?」
「……」
「それに、絆というものはバカにできないぞ。時に、とんでもない力を生み出すことができる。こればかりは言葉で説明することはできないが……確かに、絆から生まれる力というものは存在するのだ。それは、どんなものよりも強い力だ」
「絆の力……」
「だから、一人になるな。孤独に慣れることを恐れろ。わしは一人でなんでも解決しようとして、結果、人を捨ててしまったからな」
エル師匠の言っていることは、正直、よくわからない。
前世の俺は一人だった。
賢者と崇められて、でも、人々から距離をおかれて……近づいてくる者なんていなかった。
だから、すでに孤独に慣れていた。
孤独を恐れていなかった。
エル師匠の言うことはわからない。
もう手遅れなのかもしれない。
でも、不思議と胸に刺さるものがあり……
「わかりました」
気がついたら自然と頷いていた。
そうさせるだけの言葉の力が、エル師匠にはあった。
「うむ。今のが、わしからの最後の教えだ。きっちりと守るように」
「努力します」
「それと……」
エル師匠がそっと近づいてきて、俺にだけ聞こえる声で言う。
「……この世界は平和そうに見えるが、しかし、仮初の平和なのだ」
「……それはどういう?」
「……魔王と呼ばれていた存在がいる」
それは!?
「……一部の者しか知らないだろうが、とんでもない力を持つ化け物だ。冗談でも誇張でもなくて、魔王は世界を滅ぼす力を持つ。できることならば、魔王から動物達を守っておくれ」
「……どうして、そんな話を俺に?」
「……なぜだろうな。レンなら、なんとかしてくれるのではないかと思ったのだよ」
エル師匠はそっと離れて、小さく笑う。
温かい感情。
それは、エル師匠からの信頼なのだろう。
「さて……そろそろお別れだな」
エル師匠の体が足からゆっくりと消えていく。
いよいよ世界から旅立ってしまうのだろう。
「……エル師匠……」
「……うぅ……」
エリゼは我慢できず、ぽろぽろと涙をこぼしてしまう。
それにつられてしまい、俺も泣いてしまいそうになった。
別れを惜しむなんて、前世ではなかったのに……
こんな感情、どうでもいいと思っていたのに……
でも、今はひどく胸が痛い。
「そう悲しまないでくれ。わしは満足なのだ。大好きな動物達を助けることができて、そして、心残りだったその子も託すことができた。満足だ……ああ、本当に悔いはない」
俺達を気遣っているわけじゃなくて、心底そう思っている様子だった。
だからこそ。
余計に胸が痛くなる。
できることなら、エル師匠ともっと一緒にいたいと思った。
魔法の修行とか関係なく、ずっと一緒に……
そんな優しい感情。
「最後の別れは笑顔にしようではないか。その方が、良い思い出となる」
「……はい」
「……ひっぐ……」
エリゼは泣いていたけど、でも、頷いてみせた。
強い子だ。
「では……」
エル師匠は、そっと手を差し出してきた。
俺は笑顔でその手を握る。
「元気でな。この三ヶ月、充実した時間を過ごすことができた。ありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございます」
「では、さらばだ」
そして……
エル師匠は光に包まれて消えた。