僕は海峡にある小高い丘の階段を駆け上っていた。
必死に汗をかきながら、長い階段を駆け上っていく。
「まだ、間に合う」
そうだとも、まだ大丈夫。
お土産屋が見えてきた。
隣りにある公園には花火を見るために集まった人達で溢れかえっていた。
「くるみ!」
僕がそう叫ぶと、小さな背中が動いた。
その時のくるみは、先週ボーナスで買ってあげたばかりのパンダの柄が入ったワンピースを着ていた。
少し伸びた髪は左右に別けて、括っている。
昨日の朝、「髪型、変えたんだね」と言うと、ニッコリ笑って「うん」と言っていた。
くるみが僕の声に気がついた。
「あ、お兄ちゃん!」
僕は荒くなった息を整えることなく、くるみのもとへと走った。
そうだ、ここで僕が休まなければ、間に合ったんだ。
バカだった……。
さあ、くるみ、おいで!
くるみは振り返って、僕に笑いかけた。
その時、海峡から金色の光りが放たれた。
大丈夫だ、僕の方が間に合う。
くるみを光りに当たらない場所まで、引っ張ればいいんだ。
僕はくるみに手を伸ばした。
同時に光りもその進行を早めた。
「くるみ!」
右手がくるみの肩に触れた時、海峡から放たれた閃光が一瞬にして辺りに広がった。
「う、嘘だろ……」
光りは僕の右手とくるみを呑み込んだ。
右腕は肘から先が無くなっていた。
「うわああああああ!」
なぜだ、なぜだ!
間に合っていたはずだろう……。僕は休まずに走ったんだぞ!
この手はちゃんと、届いていたはずだ。
それなのに……。
*
僕は目を覚ました。
めじりには涙が溜まっていた。横を向くと、溜まっていた涙がこぼれた。
「そう自分を責めるな……あれは事故だったのだろう。お前の右手が彼女の肩に触れても、間に合わなかっただろ? 助けられなかっただろ? だから、あまり自分を責めるな」
大きな木にもたれかかっていたドラムがそう言った。
「お前か……お前が僕にあんな夢を見せたのか……ふざけるな!」
怒鳴り声を上げると、胸に強い痛みを感じた。
僕は上半身を裸にして、緑の草の上に寝ていた。
そして、ドラムにあけられたはずの胸の穴は薬草のような物で塞がれていた。
「人の心の中に、ずけずけと入りやがって……」
必死に身体を起こそうとした。だが、身体がいうことをきいてくれない。
「無理だよ。まだ動けん……再戦は休養したあとでもいいだろ?」
ドラムは青い空を見上げた。
空は雲一つなく、晴天に恵まれている。
昨日はドラムと戦いに明け暮れていて、天気のことなど、気にしなかった。
それに、この森をそんなに美しいと感じなかった。
緑に囲まれた朝は、とても心地よかった。
小鳥達の鳴き声、たまに顔を見せるウサギ、どこか遠くから聞こえてくる川のせせらぎ、そして、ベッド代わりのフサフサした草の絨毯。
森の恵みは僕に一時の安らぎを与えてくれた。
「なぜだ……」
ドラムが黙って僕の方を振り向く。
「なぜ、僕を助けた? なぜ、僕を手当てした……」
彼は空に視線を戻すと独り言のように語った。
「戦う意味がないと思ったからだ。殺す必要もないと思った。ただ、それだけだ」
僕はとても、情けなく思った。
化け物に負けて、そのうえ、命まで助けてもらった。僕はどうしようもない気持ちを拳に力いっぱいこめて、地面を叩いた。
「やめろ。森が恐がる」
耳を疑った。
「え?」
「森で暮らしている生き物達が、お前の憎しみを恐がる」
「ぼ、僕を……」
ドラムは立ち上がって、もたれかかっていた大きな木を指差した。
「この木の上に小鳥の巣がある。今、卵が孵る時でな。それを食べようとする下級魔族や獣達がいたので、私はしばらく、この森で侵入者を監視することにしたのだ」
僕は唖然とした。
化け物が……魔族がこんな優しさを持っていたなんて……。
「だから、この森に猟を目的として入ってきた人間を脅かして帰していた。多分、森から帰る途中で、人間達は下級魔族によって食べられたのだろう」
僕は少しでも魔族を感心したことをバカバカしく思った。
「人間達を殺さずに帰そうとしたのなら、なぜ、最後まで見届けなかった?」
そう言った途端、ドラムの表情が強張った。
ドラムが逆上して、僕を殺すのかと思った。
横たわった僕の前に歩み寄る。
すると、木の影から数匹の化け物が現れた。
「今日こそ、この場所を返してもらうぜ。ドラムの旦那」
その化け物達はドラムよりも、随分、背が低く、猫背だった。
顔はとても醜く、全身から腐ったような悪臭が漂う。
その臭いだけで森の生き物達が逃げるぐらいだ。
化け物達はそれぞれ、斧を持って構えていた。
ドラムは僕に背を向けたまま、呟いた。
「人間達を森の外まで見届けていたら、小鳥の巣が襲われる危険性がある……理由はそれだけだ」
そう言って、化け物達に飛びかかった。
一匹の化け物が斧を振り下ろした。
だが、ドラムの引き締まった左腕が斧を防ぎ、彼の右腕が化け物をふき飛ばした。
化け物はそのまま、木に背をぶつけて気を失う。
次にドラムは拳を空に掲げた。
すると、それに呼応したように空からイナズマが化け物を貫いた。
雷撃によって二匹の化け物が気絶して倒れる。
あと、三匹……。
時間にして一分も経たないうちに、次々に化け物達は倒れていく。
「つ、強い……」
僕はドラムの力を認めざるを得なかった。
更にドラムは両手を合わせて、化け物にそれを向けると、パカッと開いた。
そこから、無数の光りが一筋の線を作って、化け物達を襲う。
化け物達は腕や足をやられ、地面に倒れた。
「あ……」
この技、どこかで見たことがある……。
ドラムは振り返って、小鳥の巣のある木を見上げた。
「早く、育てよ。そうしないと、また犠牲者が出てしまうぞ……」
僕は全身に鳥肌をたてていた。
「……」
この技、似ている……いや、同じものだ。
ドラムの技は月花流そのものだ。
僕が使っている術と、多少、違うところがあるが同じ技だ。
符や武具を使って、ようやく扱える月花流の術をドラムは己の身体から直接、術を出している。
僕が使う術は、生身の人間では耐えられないような力を持っている。
かと言って、魔族の者が使ったとしても、五体満足でいられるとは思えない。
それをドラムは難なく行っている。
しかも、彼は手加減をして、化け物達を殺してはいない。
僕から見れば、その戦い方は余りにも、甘い……いや、優しい戦い方だった。
ふと、倒れている化け物達に視線を移した。
「あっ!」
一匹の足を失くした化け物がドラムに向かって、斧を投げようとしていた。
僕はズボンのポケットから、どんぐりを取り出し、化け物に向かって放り投げた。
「邪送沈吸雷」
どんぐりが化け物の右腕に当たると、一言つぶやく。
「ひゅう……爆!」
どんぐりが小さく爆発した。
化け物の斧は腕ごと無くなる。その直後に化け物が悲痛な叫び声をあげた。
ドラムは僕の方に振り返って微笑む。
「今の術は見たことがないな……新しい術か?」
僕もドラムの顔を見て笑った。
「いいや、くるみの使っていた、ただの遊びだよ」
ドラムは口を開けて、大笑いした。