黒歴史小説 トリプルエッジ


 その城は深い海の底にあった。
 ミノ曰く、城は人間達に見つからないように、常に移動し続けているらしい。

 巨大な移動要塞と言ったところだ。
 まあ、そんなことはどうでもいい。
 とにかくアイツが消えた原因がその妖怪のボスならば、すぐにでもぶっ殺してやる。

「さあ、魔王様。我らが長、婦子羅姫がお待ちです」
 城内に入った俺はミノの案内のもと、奥へと進んだ。

 歩いていると、すれ違う妖怪達が俺を睨む。
 俺はいつでも、戦う覚悟はあった。

 だが、興奮する妖怪達をミノが抑えた。
「やめんか、お前達。この方は人間の姿をされているだけだ」
 ミノが妖怪達にそう言い聞かせた。
「申し訳ありません、魔王様。ご無礼を……」
「いや、別に……」
 妖怪なのに、ミノにかばってもらってなぜか嬉しかった。
 ミノは大きな赤い扉の前で、足を止めた。

「弔辞六進坊、鮫嶽蛇偶衛門。ただいま、戻りました」
 大きな扉は衛兵によって、開かれる。

 そこは全てが赤い色で統一された部屋だった。
 中に入ると、床も、柱も、椅子も、全てが赤い。
 そして、中央には薄い幕で仕切られていた。
 うっすらだが、幕からは一つの影が透き通って見える。

「よう戻ってきたな。爺」
 ミノは床にひざまずいた。
「はい、魔王様をお連れしました」
「そうか、ご苦労じゃったな」

「ちっ」
 俺はわざと聞こえるように舌打ちをする。
 客が来たというのに、顔も見せない傲慢な妖怪のボスに対してイライラしていた。

「そなたが魔王か?」
 俺は頭をボリボリと掻きながら言った。
「まあ、そういうことになるな」
 ミノが慌てて、俺に駆け寄って耳打ちをした。
「魔王様、姫の御前ですぞ。お言葉をお選びてくだされ……」
「あ? なんだと?」
 俺はわざと大きな声で言った。

「姫? 妖怪に女なんかいたのか? ま、どうせ、汚い顔した女なんだろうよ」
「魔王様!」
 ミノが俺を必死に止めようとしたが、口は止まらない。
「隠さなきゃいけないほど、汚い顔なのか?」
 幕の裏に見える影が、静かに立ち上がった。

「そなたは妾に不満があるのか?」
「ああ、大有りだね。人がわざわざ、遠い所から来たってのに、顔も見せないバカは人間の中にも、滅多にいないぜ」
「そうか、そなたに顔を見せればいいのだな」
「ひ、姫!」
「爺は黙っておれ」
 そして、幕がゆっくりと上がっていく。
 俺はどんな化け物が出るのか、ニヤニヤ笑いながら待った。

 幕が全て上がった。
 そいつは妖怪と思えないほど、綺麗な顔をしていた。
 切れ長の目に、白い肌……それとは対照的な赤い唇。古来から伝わる日本的な美人だ。

 艶のある長い髪を首元で結い、真っ赤な装束を着ている。
「これで満足か?」
 妖怪のボス、婦子羅姫はニッコリと笑った。
 俺は黙って、彼女を見つめていた。
「どうした? 魔王」

 なぜだ……なぜだ? なぜ、アイツがここにいる……。
「そうだよ。おい、どうしてだ? なんで、お前がここにいるんだ!」
「なに?」
 婦子羅姫は首を傾げた。
「訊いてんのはこっちだ! なぜ、お前がこんな所に……」

 俺は無意識のうちに、足を動かしていた。フラフラと進み、婦子羅姫の両肩を強く掴むと、頬から熱い涙が流れていくのを感じる。
「ハハハ……早く言えよ。なんだよ……ここにいたのか」
「ど、どうしたのじゃ? 魔王」
 婦子羅姫はひきつった顔で、俺を見つめている。
 何も考えずに、婦子羅姫を強く抱きしめた。

「ああ、生きていたんだ……」
「や、やめんか! 魔王! そなた、誰かと勘違いしておらんか?」
「ま、魔王様、姫の前で無礼ですぞ!」
 ミノが無理矢理、婦子羅姫から引き離した。

「え? 人違い……う、嘘だろ。ち、違うよな? お前は俺の事、前から知っているだろう。会った事あるだろう。ほら……入学式で初めて会った時、お前、緊張しててよ。俺がトイレを掃除してたら、女子トイレと間違えて入って来たじゃん。あと、他にもさ、キャンプで俺がカレー作ってて、火傷した時、心配だからって、お前も病院について来てくれたじゃんか」
 俺が必死に喋っても、婦子羅姫は首を横に振るばかりだった。

「知らぬ……魔王、一体、どうしたというのだ?」
「ち、違うのか……ふ、ふざけんなよ」
 俺は抑えきれず、天上に向かって叫んだ。
「ふざけんなよ!」
 
 どくん……どくん……どくん……どくん……。

 俺の胸の中で、大きな鼓動が聞こえる。
 その直後に俺の全身から金色の光りが放たれ、部屋全体を覆った。
 真っ赤な部屋は全て金色に染められていく。
 ……この光景を前に見たことがあるような気がする。なんだろう……思い出せない。
 

 心地よい歌声が耳に流れる。
 とても、気持ちがいい……。このまま、ずっとこうしていたい。 

 目を覚ますと、俺は柔らかな太ももの上に頭を置いていた。
「大事ないか?」
 視線を上にやると、そこには婦子羅姫がいた。
「ふ、婦子羅姫!」
 俺は直ぐに身を起こそうとしたが、激しい頭痛が俺を襲った。
「いててて……くそ……」
「まだ、動くな。そなたが暴れたので、爺がそなたの頭を殴ったのじゃ……。心配するな、妾とそなた以外、この部屋にはおらぬ」
 婦子羅姫は俺の額にそっと触れ、美しい歌を歌い始めた。
 彼女の身体から、とてもいい香りがした。何の匂いだろう。多分、何かの花の匂いだ。
 思わず、顔が熱くなる。
 そんな俺には気にもとめず目をつぶって、歌い続けている。


 鳴いておくれ、鳴いておくれ、青空の鳥。
 咲いておくれ、咲いておくれ、草原の花。
 跳ねておくれ、跳ねておくれ、大海の魚。
 見ておくれ、見ておくれ、愛する人よ。


 婦子羅姫は歌い終わっても、目をつぶって鼻歌で演奏を続けている。
「何があったか知らぬが、妾はそなたと会ったのは今日が初めてじゃ……でも、そなたが妾の顔を見せろと言った時は、なぜか……嬉しかった……」
 そう言って、また鼻歌を続ける。
 俺は婦子羅姫の鼻歌を子守唄にして、眠りについた。
 
 俺は目を覚ますと、婦子羅姫のいた真っ赤な部屋ではなく、病院のような真っ白な部屋にいた。
 お歯黒をつけた召使いらしき妖怪が「新しい服に着替えてくれ」と言った。
「新しい服? どこにそんなもんがあるんだ?」
 俺は辺りを見渡した。
 すると、部屋の隅に黒い服……ではなく、鎧があるのに気がついた。
 それは何か、黒い血で塗ったような……そんな禍々しい鎧に見えた。


「魔王様、もうご気分はよろしいので?」
 ミノが笑顔で出迎えた。
「ああ、すまない……。迷惑かけちまったな」
 俺は素直に謝った。
「いえいえ、お気になさらず……ん? 魔王様、その鎧は……」
 ミノは身に着けた黒い鎧を指差している。

「似合わないか?」
「いえ、そんなことはありませぬ。この老いぼれ、久方ぶりに見とれましたぞ」
「やめろよ……」
 柄にもなく、顔を赤くした。

「ところで、婦子羅姫は?」
「はい、姫なら新牙(しんが)の間に居られます。私も姫に呼ばれておりますので、ご一緒に参りましょう」
「ああ」
 いつの間にか、ミノや婦子羅姫に対して、憎しみや怒り、それに警戒心も捨てていた。
 心を許している。

 俺達は新牙の間の中に入った。
 そこは大きな石製の台が置かれていた。台にはどこかの地図が載せられている。

「二人とも、来たか」
「おい、なんなんだ? この鎧は……」と俺は訊いた。
 鎧をコンコンと叩いてみせる。
 婦子羅姫は俺の姿を見て、ニッコリと嬉しそうに笑った。

「似合うでないか! やはり、思ったとおり、そなたには黒が似合っておる」
 婦子羅姫は「うんうん」と一人頷いている。
「魔王よ、今日からそなたは〝黒王(こくおう)〟と名乗るがよい」
「こくおう?」
「姫、それはいいですぞ。この鎧といい、お顔立ちといい、黒がお似合いです!」
「爺もそう思うか」
 今度は婦子羅姫一人だけではなく、ミノもまじって、二人で頷いている。


「なあ、ところでこの部屋はなんなんだ?」
 俺が部屋を不思議そうに眺めていると、ミノが説明してくれた。
「ここは人間界でいう作戦室ですな」
「作戦室?」
「そうじゃ。そなたには、頼みごとがあって、この海呪城に呼んだのじゃ」
「言えよ……人間を殺すこと以外なら、なんでもやるぜ」
 婦子羅姫は、しばらく黙ったあとに、俺の顔を窺いながら言った。

「そなたに、城を……魔族の城を奪ってもらいたいのじゃ」
 婦子羅姫は黙って、俺の目を見つめる。ミノも答えを待っている。
 俺はあっけらかんと答えた。
「城? それぐらいなら、別にいいぜ。引き受けてやるよ」
 婦子羅姫に笑顔が浮ぶ。
「まことか!?」
 俺は肩をすくめた。
「ああ、どうせ、魔族の城なんて人間には関係ない……つーか、いらねぇもんだろ」
 そう言うと、ミノが俺の手を強く握りしめた。
「黒王様、ありがとうございます! この老いぼれ、微力ながらお供させていただきます」
 ミノはとても勇んでいた。

「妾からも礼を言うぞ。本当にありがたいぞ。黒王」
 俺は堅苦しい口調で礼を言う二人をとめさせた。
「あ~、もういいよ。それよか、その城ってのは?」
 婦子羅姫の顔に、真剣な表情がうつる。

「その城は先日、妾が異国に送った内偵が見つけたものじゃ……奪って欲しいとは言ったが……今、城主はいないはずじゃ」
 ミノが台に広げてある地図の、ある一点に長棒で指した。
「黒王様、こちらでございます」
 俺はミノが指した地点を見たが、どうも、場所が分からない。
「……悪いが、俺は地図がダメな方でな。どこの国だ、これ?」
「はい、仏蘭西でございます……」
「フランス?」
「そうじゃ。仏蘭西にそれはある」
 婦子羅姫は切れ長の目を、更に細くして言った。
「マザーの遺産……〝悪魔の蓄音機〟がそこにある」

 なぜだ? なぜ、奴には効かない……。
「僕の……師匠の技がなぜ、効かないんだ!」
 焦っていた。
 森の樹の下で影を潜めつつ、相手の動きを探る。

 もう、夜が明けてしまった。
 戦闘中に何度も、地面に転んだせいで顔は泥だらけ。手にも血がこびりついてとれない。
 せっかく、師匠からもらった黒いスーツもボロボロ。

「満身創痍か……」
 ドラムとの戦いは何時間も続いた。

 奴には月花流の術が全く効かない。
 僕は自分のことを、まだ未熟だと思っている。
 少なくとも、自惚れてなどいないと思う。

 でも、師匠の術は……自分で言うのもなんだが、数ある仙術の中では最強だ。
 月花流は暗黒術。

 化け物を退治するような仙術などは基本的に封印術が多いものだ。
 だが、そのような正道と呼ばれる術とは違い、月花流は抹殺術が大半を占める。
 抹殺術とはその名の通り、化け物を封印するなどという生半可ものではなく、終わらない。
 その命を強制的にこの世から葬る技である。

 つまり、化け物には一切の情けをかけないということだ。
 僕は残り少ない符の中から三枚を取り出し、その符に長い針を一本ずつ刺した。

「先生、僕にお力をください……」
 祈りながら、針の刺ささった符を、誰もいない森の闇へ放り投げた。
双頭邪(そうとうじゃ)……吸震撃(きゅうしんげき)!」
 投げられた符は地面に落ち、針が土に突き刺さって震えた。
 やがて、針がもぐらのように土の中へと潜り、「もこもこ」と音を立てると、二本の首を持った大きな蛇が地面から出てきた。

 蛇は符と同じ数だけ、現れた。
 僕はそっと足音をたてずに動いた。

 しばらくすると、ある一点から強い邪気を感じた。

「そこか!」
 僕は三匹の蛇をその邪気が感じられる場所に走らせた。
 すると、木の影からドラムが現れた。
「蛇は嫌いだ……」

 今だ!

 軽く息を吸い込んで、唱える。
「ひゅう……爆!」
 ドラムの体に、一斉に噛みついた蛇達が風船のように丸く膨らんで爆発した。
 森が震え、燃えた木が地面に倒れる。
 辺りに黒い煙が濛濛と立ち昇った。

「これじゃ、何も見えない……」
 僕は目を覆って一歩、後退りした。
 その時だった。ドラムが黒い煙からその大きな身体を見せた。
 咄嗟に拳を突き出したが、遅かった。

 僕の拳よりも先に、ドラムの光る腕が僕の胸を突き破った。
「ぐわああああああ!」
「今一度、問う。なぜ、そうまでして魔族を嫌う、憎むのだ?」
 口からたくさんの血を吐きながらつぶやいた。

「お、お前に何が分かる……。ぼ、僕の妹はまだ、小さかったんだ。僕はあの日、妹を引き取った日、必ずこの子を立派な大人に育てようと誓ったんだ。僕に残された夢だったんだ。たった一つの生きがいだった。それを……お前は……お前らは!」
 ドラムは自身の腕を空に掲げた。
 それと同時に僕の足も宙に浮ぶ。
 じっと、僕の目を不思議そうに見つめている。

「それは少し、おかしいぞ。お前はそういう風に考えていたかもしれんが、本人は違う考えを持っていたかもしれん。例え、短い時間でも、お前と一緒に同じ時を過ごしたというだけでも、幸福だったと……」
 ドラムにそう言われて、僕は心のどこかで安心していた。
 確かに、ホッとしていた自分がいた。
 だが、僕はそう思ったことを許せなかった。
 歯痒い気分でドラムを睨みつける。

「お前なんかに分かってたまるか!」
 僕は残り全部の符を、自らの口の中に放り込んだ。そして、飲み込む。
「これで終わりだ!」
 くるみ……すまない。兄ちゃん、途中で諦めてしまうけど、許してくれ。
 術を唱え始めると、全身に経が浮び上がった。

 絶対に使ってはならないと教えられた術……。
 師匠との約束をこんなに早く破ってしまうとは思わなかった。
 先生、ごめんなさい……。
 僕は目をつぶった。

止錠命(どじょうめい)……自砕(じさい)……」

 しかし、術は途中で、強制的に止められた。
 目を開くと、大きなドラムの拳が僕の口の中に入っていた。
 それが術を唱えるのを邪魔している。

「やめろ、自害など、無意味だ」
「ううう……じなぜでぐれ……ぼ、ぼがぁ、バガだっだんだ……」
 気がつくと、僕は泣いていた。
 一年ぶりの涙だった。

 師匠と初めて会った日以来のことだ。
 しかも、一番こんな情けない姿を見せたくない相手に……化け物に見られるなんて……。

 ドラムは依然、無表情のままでいる。
 しばらく、黙って僕の目を見つめたあと、こう言った。

「お前が弱いわけではない……お前の使う術が未完成なのだ」
 僕は耳を疑った。
 なぜ、ドラムがこの術のことを知っているかは分からない。
 だが……確かに、彼は僕のことを気遣ってくれているように見えた。


 僕は海峡にある小高い丘の階段を駆け上っていた。
 必死に汗をかきながら、長い階段を駆け上っていく。

「まだ、間に合う」
 そうだとも、まだ大丈夫。
 お土産屋が見えてきた。
 隣りにある公園には花火を見るために集まった人達で溢れかえっていた。

「くるみ!」
 僕がそう叫ぶと、小さな背中が動いた。
 その時のくるみは、先週ボーナスで買ってあげたばかりのパンダの柄が入ったワンピースを着ていた。

 少し伸びた髪は左右に別けて、括っている。
 昨日の朝、「髪型、変えたんだね」と言うと、ニッコリ笑って「うん」と言っていた。
 くるみが僕の声に気がついた。
「あ、お兄ちゃん!」

 僕は荒くなった息を整えることなく、くるみのもとへと走った。
 そうだ、ここで僕が休まなければ、間に合ったんだ。
 バカだった……。
 さあ、くるみ、おいで!
 くるみは振り返って、僕に笑いかけた。


 その時、海峡から金色の光りが放たれた。
 大丈夫だ、僕の方が間に合う。
 くるみを光りに当たらない場所まで、引っ張ればいいんだ。
 僕はくるみに手を伸ばした。
 同時に光りもその進行を早めた。

「くるみ!」
 右手がくるみの肩に触れた時、海峡から放たれた閃光が一瞬にして辺りに広がった。
「う、嘘だろ……」
 光りは僕の右手とくるみを呑み込んだ。
 右腕は肘から先が無くなっていた。

「うわああああああ!」
 なぜだ、なぜだ!
 間に合っていたはずだろう……。僕は休まずに走ったんだぞ!
 この手はちゃんと、届いていたはずだ。
 それなのに……。

   *

 僕は目を覚ました。
 めじりには涙が溜まっていた。横を向くと、溜まっていた涙がこぼれた。

「そう自分を責めるな……あれは事故だったのだろう。お前の右手が彼女の肩に触れても、間に合わなかっただろ? 助けられなかっただろ? だから、あまり自分を責めるな」
 大きな木にもたれかかっていたドラムがそう言った。
「お前か……お前が僕にあんな夢を見せたのか……ふざけるな!」
 怒鳴り声を上げると、胸に強い痛みを感じた。

 僕は上半身を裸にして、緑の草の上に寝ていた。
 そして、ドラムにあけられたはずの胸の穴は薬草のような物で塞がれていた。
「人の心の中に、ずけずけと入りやがって……」
 必死に身体を起こそうとした。だが、身体がいうことをきいてくれない。

「無理だよ。まだ動けん……再戦は休養したあとでもいいだろ?」
 ドラムは青い空を見上げた。
 空は雲一つなく、晴天に恵まれている。
 昨日はドラムと戦いに明け暮れていて、天気のことなど、気にしなかった。
 それに、この森をそんなに美しいと感じなかった。

 緑に囲まれた朝は、とても心地よかった。
 小鳥達の鳴き声、たまに顔を見せるウサギ、どこか遠くから聞こえてくる川のせせらぎ、そして、ベッド代わりのフサフサした草の絨毯。
 森の恵みは僕に一時の安らぎを与えてくれた。

「なぜだ……」
 ドラムが黙って僕の方を振り向く。
「なぜ、僕を助けた? なぜ、僕を手当てした……」
 彼は空に視線を戻すと独り言のように語った。

「戦う意味がないと思ったからだ。殺す必要もないと思った。ただ、それだけだ」
 僕はとても、情けなく思った。
 化け物に負けて、そのうえ、命まで助けてもらった。僕はどうしようもない気持ちを拳に力いっぱいこめて、地面を叩いた。
「やめろ。森が恐がる」
 耳を疑った。
「え?」
「森で暮らしている生き物達が、お前の憎しみを恐がる」
「ぼ、僕を……」
 ドラムは立ち上がって、もたれかかっていた大きな木を指差した。

「この木の上に小鳥の巣がある。今、卵が孵る時でな。それを食べようとする下級魔族や獣達がいたので、私はしばらく、この森で侵入者を監視することにしたのだ」
 僕は唖然とした。
 化け物が……魔族がこんな優しさを持っていたなんて……。

「だから、この森に猟を目的として入ってきた人間を脅かして帰していた。多分、森から帰る途中で、人間達は下級魔族によって食べられたのだろう」
 僕は少しでも魔族を感心したことをバカバカしく思った。
「人間達を殺さずに帰そうとしたのなら、なぜ、最後まで見届けなかった?」
 そう言った途端、ドラムの表情が強張った。
 ドラムが逆上して、僕を殺すのかと思った。
 横たわった僕の前に歩み寄る。

 すると、木の影から数匹の化け物が現れた。
「今日こそ、この場所を返してもらうぜ。ドラムの旦那」
 その化け物達はドラムよりも、随分、背が低く、猫背だった。
 顔はとても醜く、全身から腐ったような悪臭が漂う。
 その臭いだけで森の生き物達が逃げるぐらいだ。

 化け物達はそれぞれ、斧を持って構えていた。
 ドラムは僕に背を向けたまま、呟いた。
「人間達を森の外まで見届けていたら、小鳥の巣が襲われる危険性がある……理由はそれだけだ」
 そう言って、化け物達に飛びかかった。

 一匹の化け物が斧を振り下ろした。
 だが、ドラムの引き締まった左腕が斧を防ぎ、彼の右腕が化け物をふき飛ばした。
 化け物はそのまま、木に背をぶつけて気を失う。
 次にドラムは拳を空に掲げた。
 すると、それに呼応したように空からイナズマが化け物を貫いた。
 雷撃によって二匹の化け物が気絶して倒れる。

 あと、三匹……。
 時間にして一分も経たないうちに、次々に化け物達は倒れていく。
「つ、強い……」
 僕はドラムの力を認めざるを得なかった。

 更にドラムは両手を合わせて、化け物にそれを向けると、パカッと開いた。
 そこから、無数の光りが一筋の線を作って、化け物達を襲う。
 化け物達は腕や足をやられ、地面に倒れた。

「あ……」
 この技、どこかで見たことがある……。
 ドラムは振り返って、小鳥の巣のある木を見上げた。
「早く、育てよ。そうしないと、また犠牲者が出てしまうぞ……」
 僕は全身に鳥肌をたてていた。
「……」
 この技、似ている……いや、同じものだ。

 ドラムの技は月花流そのものだ。
 僕が使っている術と、多少、違うところがあるが同じ技だ。

 符や武具を使って、ようやく扱える月花流の術をドラムは己の身体から直接、術を出している。
 僕が使う術は、生身の人間では耐えられないような力を持っている。
 かと言って、魔族の者が使ったとしても、五体満足でいられるとは思えない。

 それをドラムは難なく行っている。
 しかも、彼は手加減をして、化け物達を殺してはいない。
 僕から見れば、その戦い方は余りにも、甘い……いや、優しい戦い方だった。
 ふと、倒れている化け物達に視線を移した。

「あっ!」
 一匹の足を失くした化け物がドラムに向かって、斧を投げようとしていた。
 僕はズボンのポケットから、どんぐりを取り出し、化け物に向かって放り投げた。
邪送沈吸雷(じゃそうしんきゅうらい)
 どんぐりが化け物の右腕に当たると、一言つぶやく。
「ひゅう……爆!」
 どんぐりが小さく爆発した。
 化け物の斧は腕ごと無くなる。その直後に化け物が悲痛な叫び声をあげた。

 ドラムは僕の方に振り返って微笑む。
「今の術は見たことがないな……新しい術か?」
 僕もドラムの顔を見て笑った。
「いいや、くるみの使っていた、ただの遊びだよ」
 ドラムは口を開けて、大笑いした。

 夜の森で、ドラムは捕ってきた魚を焚き火で焼いていた。
 その匂いにつられて、イタチが寄ってくる。
「あんたは……一体、何者なんだ? 教えてくれ」

 僕の胸は驚いたことに半日で癒えた。
 ドラムが塗ってくれた木の蜜と薬草のおかげだ。
 彼は魚の焼き具合を見ている。
「私は……ドラム。虎の夢と書いて、虎夢という」
 そう言って棒に突き刺した魚を僕に手渡した。
「食べろ。お前のために犠牲となった魚だ」
 僕は黙って、魚を食べる。
 脂がのっていてとても美味しかった。
 ここ何日か、ろくな物を食べていなかった。
 もっぱら主食は地面に生えている雑草だった。

「お前は……なぜ、私がお前の術を知っているのか、使えるのか、それが知りたいのだな?」
 僕は食べながら、頷いた。
 ドラムはゆっくりとした口調で、話を始めた。

「私は何百年か前に、日本という国を訪れたことがある。私はその時、中国で強い妖怪と戦ってな。戦いには勝ったものの、かなりの深傷を負ってしまった。その傷を癒すために、日本の豊津郷(ほうづきょう)と呼ばれる有名な泉に訪れた。そこで、四之宮 凪(しのみや なぎ)という元人間の仙女に出会った」

 四之宮 凪……聞いたことがあるな。
 ドラムは焚き火を虚ろな目で見つめていた。

「凪は私の事を歓迎してくれた。豊津卿はとても、緑の美しいところで、見たこともないような東洋の花々が一日中、咲いていた。私は凪の献身的な介護と不思議な泉のおかげで、傷も癒えてきた……当初、私は傷が癒えたら直ぐに日本を離れるつもりだった。だが、離れなかった……いや、離れられなかった。なぜなら、私は凪を愛してしまったからだ。そして、彼女も私を愛してくれた」

 二人は愛し合った……ということか。
 化け物と仙女の恋……すごいな……。
 僕は残っていた魚を全部、口の中に放り込み、ドラムの話を聞く事に専念した。

「そうだ……私達はとても幸せだった。ある時、私は彼女に護身術としてある流派を教えた。それは人間の身体でも使える術、五星流……。元々、精の強かった彼女は、その術を難なく覚え、自分のものにした。熱心な彼女は自己の術もいくつか作っていた。私にもその術の一部を見せてもらった。その術は桃色のきれいな花が円陣の中に浮んでいるというものだった。私はその時、その花の名を知らなかった。彼女に訊ねると、彼女はニッコリ笑って教えてくれた。それは月の光りを浴びて育つ花……月花、と」

 僕は愕然とした。
 つまり、化け物を殺すための術……月花流は化け物から教わった人間の術ということになる。
 驚くと同時に困惑した。
 そんな……僕は今まで、化け物を憎んで、憎んで、憎んで、戦ってきた。

 くるみの死を素直に受け入れず、化け物を憎むことによって、僕は今日まで生きてこれた。
 それを支えてきた術が……師匠から教わった術が化け物のものだったなんて……。
 ドラムはまだ、焚き火を見つめたままでいる。


「私と凪の幸せな日々はそう長くなかった……。それを壊したのは人間だ。豊津卿の不思議な泉の噂を聞いた人間達が、私達のもとへ攻め寄って来たのだ。私は凪にここを捨てようと言った。また、新しい場所を探そう、と。だが、凪は首を振った。凪は言った、『この豊津卿を守るのが私の役目だ』と……。そして、私達、二人は人間達に危害をくわえずに脅かして帰した。その直後、人間達は妖術を使える人間の術師をよこし、再び、豊津卿を襲った。術師の力は半端ではなかった。私も凪と一緒に応戦した。お互いの術と術が反発しあい、大きな爆発が起こった。その時の衝撃で、豊津卿は崩壊し、その場にいた人間達や術師も、みんな、死んだ。そして、私と凪も爆風に巻き込まれてしまった。目を覚ました時、私は日本ではなく、小さな無人島にいた。その後、凪の安否を知るために、私は再び、日本に戻り、豊津卿に向かった。だが、焼け野原となった豊津卿には誰もいなかった。そこにあったのは、豊津卿を襲った人間達の、いくつもの墓だけだった」

 僕は思わず、息を呑んだ。
「それで……凪さんは見つからなかったのか?」
「ああ、私もその時、凪は死んでしまったと思い、凪を忘れるために、私は日本を旅立った。それから、何十年か経った頃、私はエジプトにいた。そこで、ある人間と戦った。まだ、幼い顔した青年だったのだが、青年の使う術は私が凪に教えた術とそっくりだった。無論、私はその戦いに勝った。そして、青年に訊ねた。『お前の師は誰だ?』と。すると、青年は四之宮 風と答えた。私はすぐさま、日本に向かい、四之宮 風という術師を探し回った。それから、何年か経った後、風という人物に出会えた。彼女は凪の娘だった。風は、私が初めて日本に来た時のように、凪と同じように、私を暖かく迎えてくれた。風が言うには、凪は私と爆風で生き別れになったあとに、一人の人間の男と出会い、結婚したそうだ。そして、風に術を教えたの後、重い病になり……死んだ。私は彼女の墓標の前に立ち、泣いた……。ただ、泣く事しか出来なかった。それが、私が流した最初で最後の涙だ」


 焚き火の炎が、消えかかっていた。
 僕は一種の放心状態に陥っていて、正直、頭の中はパニックだった。

「待ってくれ……さっき、話していた、エジプトで戦ったという青年は……その青年の名前、分かるか?」
 ドラムは怪訝そうな顔で言った。
「青年の名……たしか、草樹(そうき)と名乗っていたな。それがどうかしたのか?」
 僕は一人で合点した仕草をした。

「ま、間違いない! やっぱり、そうだ。その草樹という青年は、僕の師匠だ」
「なに……」
 ドラムが目を大きく開いた。

「その人は僕に月花流を教えてくれた人なんだ。その時はまだ、人間だったころだ。今では仙人になっているよ」

 昔、師匠も、化け物に家族を殺され、その復讐を果たすために、世界中を駆け巡っていたのだ。
 何年も復讐の旅を続けたそうだが、結局、復讐は果たせず、旅の途中で日本に帰ったそうだ。
 ある日、突然、日本に帰りたくなった、と師匠は言っていた。
 その理由は味噌汁が恋しくなったからだ。

 曰く、
「味噌汁は日本の味、家庭の味、母の味、味噌汁を飲んでいれば、死んだ家族のことも思い出せる。その死んだ家族の分も自分が味噌汁を飲めばいい」
 らしい。

 師匠はいつも、
「お前にも、その味が分かれば、いいがな……」
 と、言いながら味噌汁を作っていた。

 不敗を誇る師匠が、数々の魔族の中で、唯一、恐れた化け物がいた。
 師匠の話では、全身紫色で、額に二本の角、背には大きな翼をもったドラゴン。
 エジプトの灼熱の砂漠で戦った化け物……。

 その化け物が、師匠が敗れた最初で最後の相手だ。
 師匠の話とドラムの話は全て一致する。
 四之宮 風という名前も、師匠から聞いている。

 その人は、月花流三代目である。なぜ、二代目ではなく、三代目なのか……。
 師匠の話では、初代が絶対、誰にも二代目は名乗らせなかったらしい。それは既に二代目が存在したからだと思う。
 なぜなら、二代目は僕の目の前にいる。

 僕は少し戸惑いながらも、感動していた。
 確かに化け物と人間は相容れぬものかもしれない。
 だけど、ドラムと凪さんは違った。
 ちゃんと、二人の間には愛があったはずだ。
 人間とまったく変わらないものが、そこにはあったはずだ。

 だからと言って、僕の憎しみも全部、消えることはなかったけど、少し気が楽になった。
 いつの間にか、僕とドラムは、笑っていた。
 ドラムが微笑んで、こう言った。

「ここでも、凪の残した種と出会ったか」
「そうか……本当に凪さんっていう人はすごい人間……じゃなくて、仙女だったんだな。みんなをひきつける力を持っているんだよ、きっと……」
 僕がそう言うと、ドラムは自分のことのように嬉しそうに笑った。
「違いない……」

 私はモニタールームに駆け込んだ。

 ハークがオペレーターに叫ぶ。
「〝あれ〟は、どこだ!」
「まだ、正確な位置は把握していませんが、現在、ヨーロッパ内ということは確認が取れています」
 ハークは物足りない顔で怒鳴った。

「バカモノ! 何のために莫大な金を使ってまで、衛星を打ち上げたと思っておるのだ。世界の隅から隅まで探せ!」
 いつになく、激しい口調でオペレーター達に指示を出している。
「まったく……使えん奴らだ」
 ハークが悪態をついていると、部屋の中央にある巨大モニターに、一人の青年が映った。

「よう、ジジイ」
 その青年は、ハークを馴れ馴れしい口調で呼んだ。
 ハンサムな顔で、鼻が高く、目もくっきりとした二重、きりっとした眉。
 長髪だけど、その端正な顔立ちで十分、女性誌の表紙を飾りそうな男性だ。

 ハークは煙たそうな顔で、オペレーターに「モニターから消せ」と指示した。
 青年が慌てて、それをとめる。
「ま、待てよ、ジジイ。今日はとっておきの情報を持ってきたぜ」

 彼はため息をついて、目を閉じた。
「なんじゃ?」
 モニターの中で、青年を片目をつぶりながら、人差し指を立てた。
「それが大変なのよ。なんと、あの〝悪魔の蓄音機〟が見つかったらしい」
 ハークは首を横に振る。
「……知っておる」

 青年は「ありゃ」と言って、コケる仕草をした。
「もういい、ルクス。おぬしは自分の任務に戻れ……」
 ルクスと呼ばれた青年は口を尖らせた。

「へっ、聞くだけ聞いて、捨てるのかよ……まあ、いいさ。んじゃ、場所も知ってんだな……じゃあ、俺は仕事に戻るぜ」
 ハークがハッとした顔で、目を開いた。
「ま、待て! おぬし、〝あれ〟の正確な場所を知っているのか!」
 ルクスが首を傾げた。
「へ? あ、うん。まあね……」
「ほ、本当か! それを早く言わんか」
 彼は不機嫌そうに、頬を膨らませた。

「なんだよ、逆ギレじゃん。ジジイが俺の話を聞かないから、悪いんだろ」
 ハークはだいぶイライラしている様子で、短い首をボリボリと掻いている。
「だ~、もう! 謝るから、早く教えんか!」

 それを聞いたルクスは「へへっ」と笑い、
「聞こえねぇな」
 と、意地悪そうに言った。

 ハークは小さな顔を真っ赤にして、言った。
「わ、悪かった。今度からはちゃんと、真面目に話を聞く。これでいいのか?」
 ルクスは人差し指で鼻を掻いた。
「上等、上等」
 そう言うと、彼の顔から笑みが消える。

「〝あれ〟は……〝悪魔の蓄音機〟は……フランスにある」
 ハークの顔が険しくなった。
「フランスか……」
「そっちに詳しいデータを送っておくぜ」
「うむ」
 ルクスの顔から甘いマスクが剥がれ、氷のような冷たい目をした獣が現れた。
 その顔は化け物そのものだった。

「ジジイ……今度こそ、〝あれ〟をぶっ壊してくれ」
 彼は静かに頷く。
 ルクスはハークの意志を確かめると、また、もとのフニャけた顔に戻った。

「あっ、そこにいる可愛い子ちゃん、だれ?」
 モニターから私を指差した。
 ハークはまた、ため息をつく。
「おぬし、用が済んだのなら、さっさと、任務に戻れ」
「いいじゃんかよ! 俺にも教えろよ」
 ハークが黙って私の方を見たので、私は答えを聞くまでもなく、モニターに近寄った。

「私、倉石 真帆と言います。よろしく、お願いいたします」
 言いながら、何をよろしくお願いするのだろうか、と思った。

「く~、きゃわゆぃ~ね! ねえねえ、彼氏いるの?」
 私は黙ったまま、俯いた。自然と、顔が赤くなるのを自分でも感じた。
 それを見たルクスが嫌らしげに笑う。

「なんだ~、彼氏いるんじゃん」
 痺れをきらしたハークが言った。
「ルクス、いい加減にせんと、こちらから、強制的に中継を切断するぞ」
「わ、分かったよ。んじゃ、ね。真帆ちゃん」
 モニターがブツンと音を立てて消えた。


「あの……誰なんですか? さっきの人」
 ハークは頭を抱えたまま、言った。
「奴もああ見えて、百八魔頭の一人じゃよ。ルクス・ボルト・バイジャン。そして、五大魔神、最大の汚点でもある」
 私は耳を疑った。
「ええ! あの人が五大魔神の一人なんですか!」
「まあ、驚いても仕方ないな……。じゃが、奴が五大魔神の中で、もっとも強いんじゃ。実力は大したもんじゃよ、不思議なことにな」
 うんうん、と何回も頷いて、納得した仕草をした。

「……分かる気がします」
「ん? どうしてじゃ?」
「だって、ハークさん。足も短けりゃ、身体も小さいし、それに……あんまり強そうに見えないし」
 ハークは唾を飛ばしながら怒鳴った。

「何を言っておるか! この姿は仮の身じゃ。確かに、実力はルクスの方が上じゃがな」
「仮の身って?」
「つまりだな……ワシら、五大魔神は、普段、魔力の消費を最小限に抑えるために、皆、己の身を小さくするものなのじゃ。ルクスは人間のような姿じゃが、ワシなどはぬいぐるみのような姿じゃろ?」
「あ、はい」
 私は思った。
 自覚してたんだ……。


「なぜ、魔力を最小限に抑えなければならないのか……。というのも、ワシらが封印した魔王派の魔族達を、この世に出さないためなんじゃ。ワシらはその封印した地の精霊や魔将と呼ばれる者たちと契約し、魔力を与える代わりに、彼らに封印を解かれないよう封印地を護ってもらうのじゃ。まあ、ギブ・アンド・テイクじゃな」

 私は彼の話を聞いて、もう二頭身の姿を見て笑ってはいけないな、と思った。

 ハークはオペレーターに指示した。
「各員、ハーリー号に搭乗準備!」
 なにやら、辺りが騒がしくなってきた。
「あの……ハーリー号って?」
「高速空中戦艦じゃよ。自衛隊も保有しておらん」
 ハークが自慢げに笑う。

「今から、〝悪魔の蓄音機〟を壊しに、フランスに行くんですか?」
 ハークが鋭い目つきで答えた。
「ああ、今度こそ、ぶっ壊してやるわい」
「じゃあ、ルクスさんも?」
「いや、奴は別の任務があるんでな」
「別の任務?」
「うむ、確かに魔王派の魔族はほとんど、封印したのじゃが、新しい魔族も生まれてきたのでな。中には、ワシらに反発する者もいるんじゃよ。ルクスの任務は魔族の鎮静化じゃ。他の五大魔神も似たようなことをしておる。うち一人が行方不明なんじゃが……まあ、ワシ一人で十分さ」
 ハークは私の肩……には届かないので、膝をポン、と叩いた。


「ま、待ってください!」
「ん?」
 私は胸の前で拳をつくって言った。
「わ、私も……私も連れて行ってください!」
 ハークは目を丸くした。
「なんじゃと! なにを言っておるか! ワシらは遊びに行くわけではないのじゃぞ。戦争に行くんじゃ!」
 気がついた時、私は涙を流していた。

 胸が苦しくて張り裂けそうで、とても辛かった。
 でも、私はここで動かなきゃ、ダメなんだ。
 先輩だったら、絶対にそうするよ。

「わ、私、今じゃなきゃ、ダメなんです。今、止まると、もう走れない気がするんです。今が一番、苦しい時なんです。先輩が……言ってました。『苦しい時でも、少し我慢して走れ。そこで止まったら、一生走れなくなる。だから、我慢して走れ。しばらく、走ったら〝窓〟は開ける』って……。だから、私にも走らせてください!」

 ハークは獣の顔をして、私の目をじっと見つめている。
 私も負けじと睨み返した。
 緊張した空気の中に、可愛らしい子供の声が聞こえた。

「いいじゃん、連れて行けばさ。どうせ、その〝悪魔の蓄音機〟が動いちゃったら、世界は壊れるんでしょ? そうなったら、みんな死んじゃうんだし」
 そう言ったのは、青い小猫、ペータンだった。

「ペータン」
 ハークはしばらく私を難しい顔で睨んだあと、深いため息をついた。

「分かった、分かった。好きにするがいい。ただし、命の保障はないぞ」
「ありがとうございます! ハークさん」
 そう言って、深々と頭を下げる。

 ついでにペータンにもお礼をした。
「ありがとう、ペータン」
 ペータンは照れくさそうに、しっぽを振った。

 モニタールームに激しいベルが鳴り響いた。
「んじゃ、ボクはここで……」
 そう言ってペータンは去っていった。

 
「ところで、どこにその戦艦はあるんですか?」
「ここじゃよ」
「え?」
 ニヤニヤ笑うハークの手には小さなボタンスイッチが握られていた。
 ボタンを押すと、部屋全体が大きく揺れた。

「な、なんですか、この揺れ……」
「じゃから、このモニタールームが指令室なんじゃよ」
「ええ!」
「つまり、この地下の建物は戦艦の内部じゃ」

 ハークは自慢げに、この戦艦について、説明してくれた。
 全長232m総重量32,762tで、乗組員、六百人収容可能。
 50cm砲三連装三基、30cm両用砲連装十基、他多数のミサイルが三十基。
 半日で世界一周が出来るハーリー社開発の高速エンジン、ビートフラッシュを搭載……。

 などなど、ハークはベラベラと話していたが、私にはさっぱり分からなかった。
 とにかく、すごい戦艦ということは分かったけど。

「真帆、おぬしはちゃんと、シートベルトを締めろよ。人間の身体では耐えられんからな」
 私は彼の言った事がよく理解できなかったけど、とにかく言われたとおり、指令室の椅子に座り、シートベルトを締めた。

 ハークは指令席に座ると叫んだ。
「出撃準備、どうだ!?」
「乗組員、すべて確認……大丈夫です!」
 ナビゲーターがたくさんのボタンを押しながら、叫ぶ。
「よしハッチ開け」
 
「了解! 第一ハッチから、第六ハッチ、全て開きます!」
「ビートフラッシュ、レベル9まで上がりました」
 乗員がせわしくボタンを押しまくり、ピカピカと点滅モニターとにらめっこしている。 
 ナビゲーターがハークの方を振り返る。
「艦長! 全てオールグリーンです!」

 ハークはこの時を待っていたと言わんばかりに、気合を入れて叫んだ。
「出撃!」
 艦内が大きく揺れる。
「カウント、入ります……5・4・3・2……出ます!」
 その直後に、ものすごい重力が私を襲った。

「きゃああああ!」
 私は、自分の小さな胸が重力によって押し潰され、更にペチャンコになるのでは不安に思った。
「大丈夫じゃ! すぐにGはなくなる」
 ハークは私と違って、涼しげな顔でいる。
 やっぱり、魔族なんだな、と再認識した。

 しばらくすると、彼の言った通り、苦しかった重力は消え去った。
 ハークが「もう、席から立ってもいいぞ」と言ったので、恐る恐る立ってみた。

「はあ、びっくりした……。あの、ところでこの船はどこから、出るんです」
 彼は自慢げに語る。
「うむ、この戦艦はワシらが非合法的に作った巨大地下水路を通って、東京湾を抜けたあとに、上空へと飛び立つのだ。どうだ、このスケール。圧巻の一言じゃろ」


 ふと、艦内の窓を見た。
 景色がピュー、と流れていく。
 私は今まで、こんな乗り物を見たことがなかったし、乗ったこともない。

 ハーク曰く「ワシらの技術はおぬしらの社会の技術と百年違う」だ。
 私は彼にに「年頃の娘がそんな汚い格好ではいかん」と嘆かれ、新しい服を渡された。

 考えてみれば、軍事施設で着ていたツナギのような服をずっと着ている。
 指令室を出て、乗員室に入った。

 ふと、鏡を見た。一年ぶりにみた自分はとても変だった。
 髪は一年間もほったらかしだったので、ショートカットのはずが、肩まで伸びきっていた。
 それに陽にあたらない施設の中で、ずっと眠っていたから肌も青白かった。

 私は自分で鏡を見ていられず、直ぐに顔を洗った。
 そして、そばに置いてあったハサミで髪を切った。
 いつも、お母さんに髪を切ってもらっていた。
 お母さんが死んでからは、自分で髪を切っていた。
 別に、美容院に行くお金がなかったわけじゃない。
 他人に自分の髪を切られると、お母さんとの思い出まで切られてしまいそうな気がしたからだ。

 お母さんが死んでからは自分で切るようになった。
 だから、髪を切るのはけっこう得意だ。
 人の髪を切ってあげたこともある。

 友達は、
「真帆って髪、切るのうまいよね。なんか、優しい切り方なんだよね」
 と、言っていた。

 そう言われて、なんだかお母さんのことを褒められた気がして嬉しかった。
「よし、いい感じ」
 私は軍事施設で着せられたツナギを脱いだ。

 今度は鏡で身体を確かめた。
 一年前と変わらない、貧相な胸……。
 肩を落とした。
 
 私は二年前のことを思い出していた。

 その日は、すごい大雨。
 陸上部のマネージャーだった私は、いつものごとく先輩の〝一人練習〟につき合わされていた。

 別に、先輩に「練習につき合え」と言われたわけじゃない。
 私が勝手に先輩の練習が終わるのを、ただ、見守っているだけ。
 そうしたいからやっている。

 先輩は陸上部の長距離。
 部の中では一番、速いけど、部活の練習だけでは物足りず、いつも部員のみんなが帰っても一人で頑張っている。
 
 私はそんな先輩の後ろ姿を見るのが、とても楽しい……というか、好き。

「せんぱ~い! 大雨ですよ! 風邪、ひいちゃいますよ」
「ああ、分かった!」
 先輩がびしょ濡れで、グラウンドから走ってきた。

「やべぇ。傘、持ってきてねぇよ。お前は?」
「あ、私もです……」
「仕方ない。部室で雨宿りでもするか?」
「あ、はい」
 私と先輩はグラウンドの隅に並ぶ、陸上部の部室に入った。
 先輩は雨で濡れたシャツを脱ぎ、スポーツバッグから、新しいシャツを取り出して、着替えた。

「わりぃ、お前まで巻き込んじゃ……って、お前……それ……」
 先輩は私の胸を指差して、固まっている。
「え?」
 目を下ろすと、私はビックリした。
「きゃあ!」
 私は気がつかないうちに、雨でびしょ濡れになっていた。
 白いTシャツからブラジャーが透けて見えている。

「こ、こっち、見ないで下さい!」
「あ、うん……」
 先輩は素直に後ろを向いてくれた。

「ど、どうしよう……」
 私がパニックを起こしていると、先輩がさっき、着たばかりのシャツを脱ぐ。
 後ろを向きながら、そのシャツを私に差し出した。

「使えよ」
「え、気にしないで下さい」
「俺がすんだよ。使えって」
「あ、ありがとう……」
 私は先輩の背中を見て、ドキドキしながら着替えた。


「もう、いいか?」
「あ、はい」
 先輩は上半身、裸で部室の長椅子に座った。

 私は先輩と少し間を置いて、隣りに座る。

「あ、この洗剤って、駅前のスーパーの商品ですよね」
「よく分かったな……って、お前、犬かよ?」
 私と先輩は笑った。

 先輩には悪いとは思ったけど、もらったシャツはとても、いい匂いがした。
 私は自分のことを変態だな、と思いながらも嬉しかった。

「なに、ニヤけてんだよ。気持ちわりぃな」
「ヘヘヘ……」
 先輩はスポーツバッグから、水の入ったペットボトルを取り出し、飲み始めた。
「あの、先輩……」
「ん?」
 私は、手をモジモジしながら訊いてみた。

「せ、先輩って、やっぱ巨乳が好きなんですか?」
 先輩は、水を吹き出した。
「いきなり、なに言うんだよ!」
「だ、だって、男の人って、巨乳が大好きって、雑誌に書いてたから……」
 私は自分で自分の胸に手を当ててみた。
 先輩は少し顔を赤くして答えた。

「大好きってことはないだろう……。つーか、お前、どういう雑誌、読んでんだよ」
「え、じゃあ、先輩は巨乳じゃなくても、いいんですか?」
「別に……そんなフェチじゃないよ。お前、いつも、そんなこと考えてたの?」
 私は頬を膨らました。

「いつもじゃないです! でも、私って胸小さいから……」
 先輩は顔を少しではなく、真っ赤にして言った。
「ば、バカか! んなことで悩むなよ。む、胸が小さくても、真帆は真帆だろう。それに、大切なのは胸のボリュームじゃなくて、心のボリュームだろう」
 そう言われて、私は自分が今まで悩んでいたことが、バカバカしく思えた。

「先輩……よく真顔でそんなクサいこと言えますね」
 私がそう言うと顔をしかめる。
「おまえなぁ」
 その時だった。
 部室の外から大きな雷の音がした。

「あ、けっこう、近いな……って、真帆?」
 気がついた時、私は先輩の胸に顔を埋めていた。
「お、おい、どうしたんだ?」
 私は肩を震わせながら、必死に先輩の身体にしがみついている。

「こ、恐いよ……恐いよ」
「おい、真帆……。お前、雷が恐いのか」
 先輩は私を小バカにするように笑った。
 私は身体にしがみついたまま怒った。
「わ、笑わないでください……私のお母さん、今日みたいな、雷の日に死んだんです」
「え……」
「私が十歳の時に、自宅のマンションから落ちたんです……ちょうど、今日みたいな大雨で、大きな雷が鳴っていました。そして……私、見ちゃったんです。学校から帰ってきて、マンションの駐車場で変わり果てたお母さんの姿……」

 また、雷が鳴った。私はガタガタ震えてばかり……。
 先輩は震える私の身体を、ぎゅっと、抱きしめてくれた。

「真帆、ごめん……知らなかった。俺も十二歳の時に、父さんと母さんをいっぺんに亡くしちまった。そんな俺が笑うなんて、ひどいよな……ごめん」
 先輩の身体はとても暖かかった。
 なんか、母さんの膝枕の上で寝ているようだ。
 
 そうこうしているうちに雷が止んだ。
「も、もう、大丈夫です」
 先輩は顔を赤らめて、私から離れた。

「あの、先輩」
「ん?」
「私、今まで、自分だけ不幸だと思っていました。世界で一番不幸だと思っていました。でも、違う……。私は母さんを亡くしたけど、先輩はいっぺんに両親を……私、雷くらいで情けないです」
 気がつくと、私は涙を流していた。
 先輩は笑って、頭を撫でてくれた。
「んなことねぇよ。親を一人亡くそうが、二人亡くそうが、悲しみの比は変わらない。お前が雷を恐がっているのはお母さんを忘れたくないからさ。別に悪いことじゃないよ。気にすんな」
 先輩は私に屈託のない笑顔を見せてくれた。

「すごい……」
「え?」
「どうやったら、そんなに強くなれるんです。どうやったら、そんなに笑えるんですか?」
 先輩は少し難しい顔をした。
「う~ん、別に強くはないけど……そうだな。お前、一応、陸上部のマネージャーなんだから、走ったことはあるよな」
「あ、はい」
「体育の先生が言ってたんだけどさ。長距離の場合、それぞれ、窓があるんだよ」
「窓ですか?」
「うん、しばらく走っているとさ。苦しくなるつーか、きつくなるだろ? でも、苦しみやら、腹の痛みやらを我慢して、それを乗り越えた時、苦しみや痛みが和らいで、なんていうか、こう……気持ちよくなるだろう」
 そう語る先輩はどこか興奮気味だ。

「そう言えば……そうですね」
「だろだろ! だからよ、その苦しみや痛みの〝窓〟を何度も開く事で、長い長い距離を走れるつーか、楽しめるじゃん」
 話しているうちに、先輩の目は次第にキラキラ輝いてきた。

「その、〝窓〟っていうのは人生に比例できるんじゃないかな。苦しい事や悲しい事……みんな嫌だけど、死ぬわけにはいかないだろう。だけど、少し我慢して前に進めば、きっと、いい事や楽しい事があるって思うんだ。まあ、走り過ぎってのも、どうかと思うけどさ……」
 先輩は照れくさそうに笑った。

 ハークから渡された服は少し刺激的だった。
 魔族の流行服なのかもしれないけど……。
 色は白。

 上の服はタンクトップのようなものなんだけど、サイズが小さいから、服の上からでも胸の形がくっきり見える。
 ヘソも丸出しで、とても恥ずかしい。

 同じく下の服も、お尻の形がくっきり見えてしまうホットパンツ。
 気をつけないと、パンツが見えちゃう……。

 靴も白いスニーカー。
 とにかく、白で統一されてしまった。

 着替えを済ました私は、廊下に出て、ハークのいる指令室に向かった。
 向かう途中で、なにやら頭の上がガタガタうるさいので見上げると、空気口の金網から、青い物体が振ってきて、私の顔面に直撃した。

「いった~い!」
「あ、ごめん。お姉ちゃん」
 降ってきた青い物体は、青い子猫のペータンだった。

「ペータン! なんで、君がここにいるの? さっき、戦艦が出る前に、外に出たんじゃなかった?」
「し~、ハーク様に見つかるだろ……そうだ、お姉ちゃんの中に隠れさてよ!」
「え?」
「こうするんだよ」
 ペータンは飛び上がって、モゾモゾと私のタンクトップの中に入り込んだ。

「なにしているの?」
 私の胸の中でペータンは囁いた。
「大丈夫、大丈夫」
 ペータンがもぐりこんだおかげで、私の胸はかなり大きくなった。
 なんか、不自然なバスト。

 私はしょうがなく、指令室に入った。
「着替えましたよ」
 ハークにバレるのではないかとビクビクしながら、近づいた。
「うむ、着替えたか。どれどれ……」
 ハークが私の方に振り返った。
「お、おぬし……胸が……」
 彼は引きつった顔で、固まってしまった。

「に、似合います?」
「あ、ああ、似合っているよ。ワシの死んだ娘の服じゃが、似合っておるよ」
 私はハークの亡くなった娘さんは相当、グラマーな人とだったんだな、と思った。

「まだ、現地に着くまで時間がある。休んでいなさい」
 秘密基地は地下にあったので、私は時間というものを忘れていた。
 気がつけば、施設から出て丸一日が経っていた。
 もう一度、乗員室に戻ると、ベッドに横になる。
 瞼を閉じると、自然と眠りにつく。


「……ちゃん……お姉ちゃん! お姉ちゃんってば!」
 目を開くと、胸の上でペータンが騒いでいた。
「あ、ペータン……。どうしたの?」
「着いたんだよ。フランスに……」
「え、本当!」
 私はベッドから降りて、窓の外を見た。

「うわぁ……」
 遥か空から見下ろした下界は、緑の森で埋めつくされていた。
 その森の中心には大きな古城がある。
「すごいな~」

 私はペータンを胸の中に入れると、再度、指令室へ向かった。

「おお、真帆。着いたぞ」
「はい、なんか、絵本で見たお城みたいですね」
「そうか、おぬしは初めてか……しかし、あの城こそ、邪悪そのもの……」
 突然、指令室のモニターから叫び声が聞こえた。

「……ジイ……ジジイ、おい、ジジイ! 聞こえるか!」
 モニターに映っていたのは、ルクスだった。
 気のせいか、焦っているように見える。
「どうした? ルクス」
「早くそこから逃げろ!」
「なんじゃと?」
「他のヤツらに先を越されていたんだ! ちょうど、ジジイの戦艦の真上にいる」
 ハークの顔が凍りつく。

「い、いかん! 舵を回せ!」
 もう、その時は遅かった。

 ぼんっ!

 なにかが、小さく爆発した。
 その直後に指令室のコンピュータが、危険を察知して電子音を激しく鳴らす。

 艦全体が大きく揺れ出す。まるで、地震のような揺れだ。
 胸の中に隠れていたペータンの毛が逆立っていた。
 何かを恐がっているようだ。

 ハークの方を見る。
 小さな顔から、どっと汗を流して、その場で突っ立っていた。

「つ、墜落する……」