街が見渡せる公園があった。
その街の丘の向こうに、頭だけ富士山が見える、そんな場所。
そこで悩みがある時に虹を見ると、同じ悩みを持つ人と出会うという。
そんなうわさがあった。
僕はその公園に、向かっていた。
訪ねるのは小学生以来。
小学生の時は、ただ遊びに行っていただけで、その公園でなくてもよかった。
けど今、僕の行き先は、その公園でなくてはならない。
僕は失恋したのだ。
だから雨上がりの今日、虹を見に行かなければならない。
そうすればきっと、失恋したもの同士が出会い、愚痴りあえるはずだ。
僕はそんなうわさを信じて行動するような人ではないはずなのに、そう信じて公園に向かうことが、なんだかとても気分転換になっていた。
公園についた。
虹は見えない。
今見えなければ、もう見えないのではないか。
そう思った。
しかし僕はその代わりに、一人の女の子が公園にいるのを見つけた。
びよんびよん動く馬に座り、空をただ眺めている。
小柄だけど、僕の通う高校の制服を着ていた。
「あ!」
女の子がこっちを見た。
そして続ける。
「あなたの悩みはなに?」
「あ、えーと」
僕が戸惑っていると、女の子は、
「あー、でも虹が出てないから、違うか」
とつぶやいた。
そんな女の子に、僕は近づいて、言った。
「僕、悩みあるよ」
「ほんと? どんな悩みなの?」
「……失恋した」
「あ、そうなんだ。私の手持ちと被ってる」
「手持ち?」
「あ、ほら私悩みたくさんあるからさ、ここで虹を見れたら、ひとつくらい誰かと共感できるかなと思って、たまにここにくるの。で今日あなたと会えたわけ。あなたの悩みは失恋ね失恋。私も失恋したんだ」
「そうか。じゃあ……会えたってことか」
「もしかしてあなたもなんかうわさとか信じてここにきちゃったタイプ?」
「いや信じてはないけど……なんとなくきた」
僕がそう答えると、女の子は馬の遊具を撫でながら、
「きた時点で結構信じてるでしょー」
と笑う。
「それもそうか」
「そうだよ。で、あなたはどんな失恋をしたの?」
「……ごく普通の失恋。幼馴染に告白したら、断られたんだ」
「え? それ全然普通じゃないよ。なんか小説とかにありそうだけど、多分現実ではあんまりないよ」
「そ、そうか。で、君はどういう失恋なの?」
と僕が訊くと、女の子は少し間を置いたあと、口を開いた。
「ちょっと変わった失恋かも」
「そうなの?」
「うん。私友達の女の子が好きで告白したら、めちゃくちゃ驚かれて、それで振られちゃったんだ」
「なるほど……」
百合なんて漫画でしか見たことないけど、女の子が好きな女の子がいても変ではない。全然。
「意外な失恋でしょ?」
「まあ、でもそこまでじゃないかな」
「えー、そうなの?」
「うん」
僕はうなずき、女の子もなぜかうなずいた。
そして僕の制服を改めて眺めて、
「そういやもしかして同級生? 私友達少ないからよくわかんないけど」
「僕も交友関係狭すぎだからなあ。僕は二年生だよ」
「あ、私も二年」
「そうか」
「よかったよ。先輩だったら今まで普通にタメ口だったからどうしよかと思った」
「たしかに」
「まー、そうだったらそうだったで、あんまり気にしないけどね」
「それもそうだな」
「なんか同意が多いね」
「反対意見が欲しいの?」
「別に」
女の子は空を見上げた。
虹は全く見える気配もなく、あたりも乾き始めている。
「あ、僕は、池岸優っていうんだけど、名前は……」
僕が少しためらいつつ訊くと、
「みみってよんで」
そう答えられた。
みみは馬から降りた。
その反動でびよんびよんさらにする馬。
「なんかSNSやってる? 交換しよ」
本名は教えてくれないのに、SNSは教えてくれるのか、と思いながら、僕はSNS交換に応じた。
そしてそれから、僕たちはそれぞれの家に帰った。
たしかに、同じ悩みを持つ人に出会えた。
虹は見えなかったけど。
とはいえ、あの女の子はいろんな悩みを持っていると言っていた。
だから、どんな悩みの人が来ても、そこそこ被っていたんだろう。
つまりは何か奇跡が起きたというわけではない。
☆ ○ ☆
次の日、僕は教室で少し居づらい気持ちになっていた。
なぜなら幼馴染と僕は、同じクラスなのだ。
振られたし、逆に今まではすごくよく話していたから、居づらい。
とはいえもともと一人でいることも多い僕なので、周りから見ても特に僕の不自然さは感じないだろう。
僕はスマホを見ていた。
みみから連絡が来ていた。
『私さ、今日暇だから、もし優くんも暇だったら、どこか遊びに行かない? せっかくの縁だし』
『いいよ』
僕は答えた。
幼馴染以外の女子からこんな気軽に遊びに誘われるのは、初めてだ。
あ、いや友達が少ないから男子でもそんなないわ。
とか考えながら、ネットニュースを眺める。
自分の好きな野球チームが三連勝したことの記事を読んで、幸福度を高めたのちに、机で睡眠。
幼馴染と同じ教室にいることによる緊張感は、全然なくなっていた。
ほとんど誰とも話さずに、放課後。
僕は校門の前でのんびり待っていた。
みみがきた。
「はーい、到着。なんかホームルーム伸びちゃったから遅くなってごめんね」
「ううん。大丈夫」
「で、どこ行こうか」
「どこでもいいよ」
「そーか。あ、じゃあ訊くけど、幼馴染さんとは、よくどこ行ってたの?」
「あー、どこだろうな。お互いの家か、あとは部活帰りに一緒に帰ったり……よく考えたらあんまり遊びに行ってないな」
「そうなの? ていうか優くん部活やってんの?」
「うっすらとテニス部に」
「あ、そうなんだー。私帰宅部なんだよね〜。今日はどうしようか。あっ、私本屋さん行きたい」
「本屋さん?」
「私本が好きなの」
みみはうきうきと話す。すごい好きなんだ、きっと。
「そうか。じゃあいこうか、本屋さん」
「やった。大きいところがいいから、市役所の裏のところがいいなー」
「ああ、あそこか、行ったことあるよ」
「行ったことあるの?」
「ある。ビルの三階一面に本が並んでるところだよね。広いよな」
「そう。広いの。本と、本が好きな人だらけ」
みみはそう言って、早速歩き出した。
歩いて二十分くらいかかるはず。
僕とみみはそこまで会話せずに歩いていった。
信号で立ち止まった時、僕はみみに訊いた。
「みみは、どういう系の本が好きなの?」
「うーん。やっぱり恋愛系の小説かな」
「恋愛?」
国語の授業でしか読んだことない。それからラノベのラブコメ。ラブコメと恋愛系ってなんか違う気もするし。
「ちなみに、女の子が主人公で、恋するのは男の子でも女の子でもいいんだけど〜とにかく、女の子主人公の方が好きかな〜」
「なるほど」
現実の世界では女の子が好きだけど、小説の中では男女問わないってことか。
まあそれはわかる気がする。
女の子に恋する僕も、ラノベでなんかたまにBLっぽいのとか出てきても意外と普通に読めるし。
小説の中の方が、思考の幅が広がるのかもしれない。
信号が青になって、早歩きくらいで歩き出す。
「そういう優くんは、どんな本を読むの?」
「あー、あれだな、参考書?」
と答えたら、みみが、ずっと開かなさそうな踏切を見るような目になった。
「えー、それも本だけどさ、なんか本っぽい本。好きで読んでる本というか。あ、もしやお勉強すき?」
「お勉強結構好きだけどな。科目によるけど」
「そうなんだー」
「あ、でも小説だったら、ミステリーかな、日常の事件がいい。特に誰も死なないやつ」
「あっ、そういうのも私好き」
みみはうなずいた。恋愛系のミステリーとかもあるもんね。
ついた。
久々に来た。
前きたのはそれこそ参考書を買うためだったかな。
でも今日は新しい友達? 同じ悩みを持つ女の子と来ている。
僕も今日は小説を買おう。
没頭できる物語を手に入れれば、振られたこともさらに気にならなくなるだろうし。
「優は参考書の方見る?」
「ううん。今回は小説買いたい」
「おっ、やったね」
みみは軽く僕を引っ張って、ささっと小説売り場を目指す。文庫本の売り場だ。文庫本じゃないと高いもんね。わかる。
早速みみは平積みされた本を眺めていった。
「あー、こういういかにも青春っぽい表紙、よさげなんだよね」
「あ、そういうのが好きなのな」
「うん」
高校生の男女の絵と風景画のような背景。あー、たしかにあるあるな気はする。
「なんかおすすめのとかある?」
誰かに推された本を買うなんてしたことがなかったから、ちょっとそれをやってみたくなって、僕は尋ねた。
「うーん。あ、これはおすすめ。部活の話で、テニスの話なんだけど、女子テニス部の女の子が、いつも壁打ちを居残りでしてる男子の部員に恋をしてね……あ、そっからは読んで」
「わかった」
これ買おうか。うん。なんかそれで付き合い始めてハッピーエンドだと振られた僕としては羨ましくて泣いちゃうかもしれないけど。でも逆に、恋そのものの良さを再確認できそうではあった。
「私は……これにしよっかな。なんかこの前私のよく見るユーチューバーが紹介してたし」
「ユーチューバーって本紹介するの?」
「そういうユーチューバーもいるよ。いろんなSNSに本を紹介することで人気になってる人はいるね」
「そうなんだ」
知らないジャンルのSNSの使い方だった。
それからさらにのんびり本を選んで、お会計へ。
僕は小説を三冊買った。
三冊ともみみのおすすめ。
せっかくだし、なんか英単語帳とかも買って行こうかと思ったけど、やめた。小説だけで買う日だ、今日は。
みみは五冊くらい買っていた。
「日常的に本買ってるの? そしたらお小遣いなくなったりしない?」
「そんな買わないよ、実は。図書館とか、ネットの小説も読んでる。あとたまにね、バイトしてるから」
「へー、ていうかうちの高校バイトありなの?」
「一応ありだと思うよ。なんか先生にめっちゃ色々言われはするけどね」
「あ、そうなんだ」
交友関係の狭さを実感してしまった。広ければ、バイトしてる友人の一人くらいいただろう。
「……さて、そしたらあれですね。カフェとか行くのはどうでしょう?」
「あれか、カフェで読書?」
「そーです! どうかな。いやだったら他のところでもオッケー」
「いや、せっかく買ったし、ゆっくり読もう」
「やった。あ、でも今日私の好きなとこばっかりだから、優の好きなところも今度行きたいな」
「ありがとう……好きなところね……」
僕は考えた。そういやそんな好きなところってないな、僕。普通に家が好きだわ。
やばい。行動範囲も狭いは僕、交友関係だけじゃなくて。
カフェは本屋と同じビルに入っていた。
「私初めて。カフェくるの」
「あ、来るの初めてなんだ」
「うん。一人の時は家に帰って読むことが多いもん」
「なるほど」
まあそれもそうか。カフェよりも家の方が落ち着くって人もいるだろうな。
僕たちは入店し、よくわからないのでとりあえずホットのコーヒーをてきとうに注文。
読書がメインだからいいか、別にこだわらなくても。他にもなんか色々とメニューがあったけど。
示し合わせたわけではないけど、二人ともそう思ってる気がした。
向かいあって、早速本を取り出す。
なんかまだ物理的に力強い本だ。
紙に反発力があるというか、まあそんな感じ。
僕は本を読み始めた。みみは僕よりも早く読み始めていた。
しばらくして気づいたら冷めかけたコーヒーが目の前にあった。
意識がテーブルに行ってないうちに、コーヒーが来ていたようである。
読書ってこんなに没頭できるものだっけ。
少なくとも僕の場合は、相当面白い話だとしても、結構早々に読み疲れるタイプだ。
しかし向かいにみみという、ずっと真剣に本を読んでいる女の子がいることによって、僕は読み疲れる、ということがなくなっていた。
まるで、みみの集中力が、僕にも備わったかのようだ。
とはいえコーヒーも少し味わいたいと思い、僕は静かにカップを手に取る。
いったん物語のことではなくコーヒーのことを考えると、ら周りの音がよく聞こえるようになってきた。
しかし向かいのみみはとても静かだった。
背もたれに寄りかかって、本を丁寧に持って、読んでいる。
コーヒーに全く手をつけてないようにも見えるけど、話しかけたりはしない方がいいな。そう思った。
コーヒーを一口飲むと、より一層おちついた。この落ち着く効果があるコーヒーなら、ちょこちょこ読みながら飲んでいけば快適そうだ。
炭酸とかだとそうは行かないんだろうな、とか考えた。
一人で自分の部屋で本を読むとしたら、映画みたいなノリでコーラを飲みながら読んでしまいそうなものであるが。
二時間経過。
みみが伸びをした。本を閉じる。
「読み終わった?」
「うん」
僕はもう少し残っていたけど、でもみみともそろそろ話したかった。物語の方もだいたい問題は解決してて、先は気にならない。
「はー、ゆっくり読めた。あっ、コーヒーぜんぜん飲んでないよー!」
今更気づいたことにより顔が歪むみみ。少し漫画っぽかった。
そして一気飲み。
「あ、トイレ行ってくるねー」
そして立ち上がって行ってしまった。
読書を終えた途端テキパキと動き出すみみ。
あんまり物語の余韻に浸るタイプではないのだろうか。
僕はみみを待ちつつ、本の続きを読んでいた。
五分くらい経って読み終わった頃、みみが戻ってきた。
「優は読み終わったの?」
「いまちょうどね」
「あっ、そうなんだ。……面白かった?」
「うん、面白かった。あれだな、僕、女子主人公向いてるかも」
「ほんと?」
「うん、めっちゃ共感できた。特に途中家にこもってテニスの練習試合サボりそうになるところとか」
「あー、そうなんだ。優もテニスサボったりすることあるの?」
「あるよ。正直サボってる方が多い。うっすらテニス部だから」
僕がテニス部のモチベの低さを白状すると、みみは許容範囲激広のお姉ちゃんのように笑った。
「そうなんだ。今日もサボってるの?」
「サボってるな」
「てことは私のためにサボってくれたのね?」
「一人でもサボってたかもしれない」
「そういう時でも私のためってことにしとけばいいの」
「わかった。そうしとくわ」
「よろしい」
そして少しして、みみと僕は、カフェを出た。
「うーんっ、今日はありがとね」
「僕こそありがとう。楽しかった」
「そう? うれしいなあ」
誰かと二人で放課後を過ごすってことはなかったから、よかった。だいたい一人か、部活仲間とだった。
建物から外に出て、そして歩き出す。
向かうのは公園。
僕とみみが同じ悩みを持つ仲間を求めて訪れた公園。
だけどそこが近くなってきてから、
「公園、今日はいいかな」
「私もそう思ってたところ」
二人とも、公園を必要としてないことを確認しあった。
とりあえず、ある程度のことを共感できる友達が隣にいれば、それでいいってことだ。お互い。
結局、公園には寄らずに、みみとは公園の手前で別れた。
みみの雰囲気は少し変わっていたけど、一緒にいて、すごく楽しかった。
だから……今度は僕がなんか考えてみみと遊びに行こう。
お互い振られたもの同士の心の落ち着かせ合いは、もう一回やる価値のあるものだと思う。
というわけで次の日みみとやってきたところは。
「ば、バッティングセンター? 優、野球好きなの?」
「野球は見るのが好き」
「へー、そうなんだ。でもここって実際に打つところでしょ」
「まあね。でもほら、きつい練習とかはないでしょ。部活みたいに」
「なるほど。さすがおサボりテニス部部員ね」
「言われてしまった」
それを言われた時点で負けてしまう。
でも、みみは珍しそうにボールが出てくる機械を見つめ、
「なんか打ちたくなってきた〜!」
と言い始めた。
やはりそうだろう。ボールが来たら打ちたくなるもんなのだ。
「よし、早速やろう。初心者向けの70キロくらいがおすすめ」
「70キロってボールの速さ?」
「そうだよ」
「え、それだったら70キロでも速くない? だって車よりも速いよね?」
「そうだな。でも意外と当たりはすると思うよ」
「ほんと?」
「とりあえずやってみればなんとかなると……」
「うん、じゃあやる」
まとめて受付で買ったコインを、70キロのところに一枚入れた。
みみが、ヘルメットをかぶりバットを握る。
バッターボックスに立つ。
右打ち。構えは強打者に見える。
一球目が出た。
みみは思いっきり振った。
当たった。
ボールは前方のネットに力強く飛んだ。
「うわ! 当たった!」
「て、天才?」
「え、私天才だった?」
「かもしれない」
一発目からちゃんと当てるのはむずい。正直バットよりも当たる部分が広いテニスラケットでも難しいだろう。
その後も八割くらいの確率でみみはちゃんと球にバットを当てていた。
すごい。運動神経実はいい帰宅部だ。
そういう人いるよね。
体力測定とか体育の授業でみんなが驚くような活躍をしたりする。
たくさん当たって満足げなみみは、僕に言った。
「はい、じゃあ次は優、お手本頼んだよ」
「よし、じゃあ130キロでやるか」
こうして調子に乗った僕は見事130キロを全部空振りして、コインを一枚無駄にしてしまったのだ。
「あははっ、かっこいいところ見せようとしたな?」
「ちょっとした」
「残念でした。100キロくらいにしたら?」
「そうするわ」
みみにぐうたらなテニス部の部員と認定されてて、それを自分でも認めてて隠していないのに、なぜかバッティングセンターとかいう遊びでは、かっこいいと思われたいと思ってしまった。
100キロだとそこそこは打てた。
プロの構え方の真似をしたら、変だと言われた上に空振ったのでやめた。
色々とかっこつけるたびにダメになるな、今日の僕は。
それから何回かずつバッティングをしたのち、他の人がかきんかきん打っているのを眺めていながら、のんびりと話すみみと僕。
「あー、あれだな。また、優のいいところとか面白いところとかいっぱい知ってなんか好きになったなあ」
「好きかあ」
「うん、あれだよ。恋ってことじゃないよ」
「うん。そういうことなら、僕もかな」
「やったね、好かれてるじゃん私」
笑顔のみみを見ながら考える。
幼馴染に振られた僕でなくて、ただ何事もない僕であったなら、みみにどういう感情を抱くのだろう。恋していたのだろうか。
それはわからないけど、わからないからこそ、恋していた気がしていた。
そんな僕と似た方向のことを考えていたのかもしれないみみが言った。
「私……もし同じ悩みを持つ者として優と出会ってなかったら、優のこと、恋愛面で好きになってたのかもなあ……とか思う時もあるけど、まあね……」
みみが首を振って、そして立ち上がった。
「もう一回、かっ飛ばす。まだコインある?」
「あるよ」
「よし」
何も持ってない腕をぶんぶん振るみみ。
「何キロでやる?」
「130キロ」
「マジで?」
「優が当たらなかったのを完璧に当てて見せるよ」
「おっ」
なんか本当に当てそうだ。当てる宣言するとだいたい当たらないものな気がするが、みみは例外だと思った。
「では、いきます……うお」
速過ぎて、ボールが後ろに行ってから振るみみ。
流石に初見だとそうなる。
しかし、みみは、
「てことはめっちゃ早めに振れば当たるね」
とポジティブなセリフをはさみ、二球目で……
かっ
とかすらせた。
「あ、当たった! ちょっとだけど当たった!」
「ほんとだな。すごい」
「よし、あとは前に飛ぶことを祈る」
三球目。
またファール。
四球目もファール。
実際の打席なら、粘りを見せているけどノーボールツーストライク、という状況である。
しかし五球目に。
キン!
金属バット前回の綺麗な音が鳴り、球がまっすぐ前に転がっていった。
うん。これはセンター前ヒットだ。
「やった、前に飛んだ。ちょっとしょぼいけど」
「すごいじゃんか」
「ほんとはもっと上方向に飛んでいく軌道が良かったけどね〜。でも満足」
みみはスッキリして、残りの球も何度か前に飛ばした。
こうなったらもうね。
僕もかっ飛ばすしかないな。130キロを。
「悔しい。ちょっとかすっただけで終わってしまった」
「はーい、そろそろ帰りますよ〜」
負けた。天才型バッターのみみに負けた。
130キロにうまく合わせられなかった。
テニスのサーブで130キロ以上出す人もいるとは思うんだけどなあ。バウンドしてるから遅くなってるのか慣れてるのか、テニスならちゃんと当たりはする。いくらサボりがちだとしても。
でもとにかく野球になると、ダメだ。
悔しい……けど、僕は小さい子ではないので、大人しくみみを褒め称えながらバッティングセンターを出る。
「ふー。帰宅部としては、特例レベルでの運動量でした」
「そうか。でもうまかったな」
「意外とセンスはいいのかもしれません。運動した事なさすぎて全然わかんなかったですけど。それかビギナーズラックですかね」
「ビギナーズラックで130キロ打ち返せはしないよ」
広々とした大通りを車が走っている。
大きな釣具屋の看板の魚のキャラクターが、車を偉そうに見下ろしている。
「あー、釣りとかも楽しそうですね。この前読んだ本で、釣りが好きな主人公の話があったんですけど、結構面白かったです」
「釣りかあ。僕したことないなあ」
「私もしたことないです」
「なんかハードル高そう」
「ですね〜」
ゆうれいなテニス部と帰宅部は、そんなに行動力があるわけではなかった。だから、釣りのハードルは高すぎる。
けど、行ってみてもいいかもな、と思った。
行動力のある友人に乗るわけではなく、こんなふうに、ちゃんと自分から何か新しいことを始めようと思ったのって初めてだ。
やはり僕は、みみといるのが好きなようだ。
振られたこととかも癒えている気がする。もうすでに。
でも流石に釣具屋で一から道具を揃えるのも高いしリスキーなので、まずは、釣り堀に行ってみることにした。
今週末くらいにしようと話になって、そして今日はお別れ。
高頻度でデートしているみたいだ。
けれど、そうではない。
だって僕とみみはまあ友達だ。
同じように振られて、それで出会った友達。まだ出会ったばかりで、みみがどんな他の悩みを持っているのか、僕は知らない。
だけどお互いまだそこまで知らなくても、とにかく一緒に何かするのは楽しい。そう強く感じていた。
その街の丘の向こうに、頭だけ富士山が見える、そんな場所。
そこで悩みがある時に虹を見ると、同じ悩みを持つ人と出会うという。
そんなうわさがあった。
僕はその公園に、向かっていた。
訪ねるのは小学生以来。
小学生の時は、ただ遊びに行っていただけで、その公園でなくてもよかった。
けど今、僕の行き先は、その公園でなくてはならない。
僕は失恋したのだ。
だから雨上がりの今日、虹を見に行かなければならない。
そうすればきっと、失恋したもの同士が出会い、愚痴りあえるはずだ。
僕はそんなうわさを信じて行動するような人ではないはずなのに、そう信じて公園に向かうことが、なんだかとても気分転換になっていた。
公園についた。
虹は見えない。
今見えなければ、もう見えないのではないか。
そう思った。
しかし僕はその代わりに、一人の女の子が公園にいるのを見つけた。
びよんびよん動く馬に座り、空をただ眺めている。
小柄だけど、僕の通う高校の制服を着ていた。
「あ!」
女の子がこっちを見た。
そして続ける。
「あなたの悩みはなに?」
「あ、えーと」
僕が戸惑っていると、女の子は、
「あー、でも虹が出てないから、違うか」
とつぶやいた。
そんな女の子に、僕は近づいて、言った。
「僕、悩みあるよ」
「ほんと? どんな悩みなの?」
「……失恋した」
「あ、そうなんだ。私の手持ちと被ってる」
「手持ち?」
「あ、ほら私悩みたくさんあるからさ、ここで虹を見れたら、ひとつくらい誰かと共感できるかなと思って、たまにここにくるの。で今日あなたと会えたわけ。あなたの悩みは失恋ね失恋。私も失恋したんだ」
「そうか。じゃあ……会えたってことか」
「もしかしてあなたもなんかうわさとか信じてここにきちゃったタイプ?」
「いや信じてはないけど……なんとなくきた」
僕がそう答えると、女の子は馬の遊具を撫でながら、
「きた時点で結構信じてるでしょー」
と笑う。
「それもそうか」
「そうだよ。で、あなたはどんな失恋をしたの?」
「……ごく普通の失恋。幼馴染に告白したら、断られたんだ」
「え? それ全然普通じゃないよ。なんか小説とかにありそうだけど、多分現実ではあんまりないよ」
「そ、そうか。で、君はどういう失恋なの?」
と僕が訊くと、女の子は少し間を置いたあと、口を開いた。
「ちょっと変わった失恋かも」
「そうなの?」
「うん。私友達の女の子が好きで告白したら、めちゃくちゃ驚かれて、それで振られちゃったんだ」
「なるほど……」
百合なんて漫画でしか見たことないけど、女の子が好きな女の子がいても変ではない。全然。
「意外な失恋でしょ?」
「まあ、でもそこまでじゃないかな」
「えー、そうなの?」
「うん」
僕はうなずき、女の子もなぜかうなずいた。
そして僕の制服を改めて眺めて、
「そういやもしかして同級生? 私友達少ないからよくわかんないけど」
「僕も交友関係狭すぎだからなあ。僕は二年生だよ」
「あ、私も二年」
「そうか」
「よかったよ。先輩だったら今まで普通にタメ口だったからどうしよかと思った」
「たしかに」
「まー、そうだったらそうだったで、あんまり気にしないけどね」
「それもそうだな」
「なんか同意が多いね」
「反対意見が欲しいの?」
「別に」
女の子は空を見上げた。
虹は全く見える気配もなく、あたりも乾き始めている。
「あ、僕は、池岸優っていうんだけど、名前は……」
僕が少しためらいつつ訊くと、
「みみってよんで」
そう答えられた。
みみは馬から降りた。
その反動でびよんびよんさらにする馬。
「なんかSNSやってる? 交換しよ」
本名は教えてくれないのに、SNSは教えてくれるのか、と思いながら、僕はSNS交換に応じた。
そしてそれから、僕たちはそれぞれの家に帰った。
たしかに、同じ悩みを持つ人に出会えた。
虹は見えなかったけど。
とはいえ、あの女の子はいろんな悩みを持っていると言っていた。
だから、どんな悩みの人が来ても、そこそこ被っていたんだろう。
つまりは何か奇跡が起きたというわけではない。
☆ ○ ☆
次の日、僕は教室で少し居づらい気持ちになっていた。
なぜなら幼馴染と僕は、同じクラスなのだ。
振られたし、逆に今まではすごくよく話していたから、居づらい。
とはいえもともと一人でいることも多い僕なので、周りから見ても特に僕の不自然さは感じないだろう。
僕はスマホを見ていた。
みみから連絡が来ていた。
『私さ、今日暇だから、もし優くんも暇だったら、どこか遊びに行かない? せっかくの縁だし』
『いいよ』
僕は答えた。
幼馴染以外の女子からこんな気軽に遊びに誘われるのは、初めてだ。
あ、いや友達が少ないから男子でもそんなないわ。
とか考えながら、ネットニュースを眺める。
自分の好きな野球チームが三連勝したことの記事を読んで、幸福度を高めたのちに、机で睡眠。
幼馴染と同じ教室にいることによる緊張感は、全然なくなっていた。
ほとんど誰とも話さずに、放課後。
僕は校門の前でのんびり待っていた。
みみがきた。
「はーい、到着。なんかホームルーム伸びちゃったから遅くなってごめんね」
「ううん。大丈夫」
「で、どこ行こうか」
「どこでもいいよ」
「そーか。あ、じゃあ訊くけど、幼馴染さんとは、よくどこ行ってたの?」
「あー、どこだろうな。お互いの家か、あとは部活帰りに一緒に帰ったり……よく考えたらあんまり遊びに行ってないな」
「そうなの? ていうか優くん部活やってんの?」
「うっすらとテニス部に」
「あ、そうなんだー。私帰宅部なんだよね〜。今日はどうしようか。あっ、私本屋さん行きたい」
「本屋さん?」
「私本が好きなの」
みみはうきうきと話す。すごい好きなんだ、きっと。
「そうか。じゃあいこうか、本屋さん」
「やった。大きいところがいいから、市役所の裏のところがいいなー」
「ああ、あそこか、行ったことあるよ」
「行ったことあるの?」
「ある。ビルの三階一面に本が並んでるところだよね。広いよな」
「そう。広いの。本と、本が好きな人だらけ」
みみはそう言って、早速歩き出した。
歩いて二十分くらいかかるはず。
僕とみみはそこまで会話せずに歩いていった。
信号で立ち止まった時、僕はみみに訊いた。
「みみは、どういう系の本が好きなの?」
「うーん。やっぱり恋愛系の小説かな」
「恋愛?」
国語の授業でしか読んだことない。それからラノベのラブコメ。ラブコメと恋愛系ってなんか違う気もするし。
「ちなみに、女の子が主人公で、恋するのは男の子でも女の子でもいいんだけど〜とにかく、女の子主人公の方が好きかな〜」
「なるほど」
現実の世界では女の子が好きだけど、小説の中では男女問わないってことか。
まあそれはわかる気がする。
女の子に恋する僕も、ラノベでなんかたまにBLっぽいのとか出てきても意外と普通に読めるし。
小説の中の方が、思考の幅が広がるのかもしれない。
信号が青になって、早歩きくらいで歩き出す。
「そういう優くんは、どんな本を読むの?」
「あー、あれだな、参考書?」
と答えたら、みみが、ずっと開かなさそうな踏切を見るような目になった。
「えー、それも本だけどさ、なんか本っぽい本。好きで読んでる本というか。あ、もしやお勉強すき?」
「お勉強結構好きだけどな。科目によるけど」
「そうなんだー」
「あ、でも小説だったら、ミステリーかな、日常の事件がいい。特に誰も死なないやつ」
「あっ、そういうのも私好き」
みみはうなずいた。恋愛系のミステリーとかもあるもんね。
ついた。
久々に来た。
前きたのはそれこそ参考書を買うためだったかな。
でも今日は新しい友達? 同じ悩みを持つ女の子と来ている。
僕も今日は小説を買おう。
没頭できる物語を手に入れれば、振られたこともさらに気にならなくなるだろうし。
「優は参考書の方見る?」
「ううん。今回は小説買いたい」
「おっ、やったね」
みみは軽く僕を引っ張って、ささっと小説売り場を目指す。文庫本の売り場だ。文庫本じゃないと高いもんね。わかる。
早速みみは平積みされた本を眺めていった。
「あー、こういういかにも青春っぽい表紙、よさげなんだよね」
「あ、そういうのが好きなのな」
「うん」
高校生の男女の絵と風景画のような背景。あー、たしかにあるあるな気はする。
「なんかおすすめのとかある?」
誰かに推された本を買うなんてしたことがなかったから、ちょっとそれをやってみたくなって、僕は尋ねた。
「うーん。あ、これはおすすめ。部活の話で、テニスの話なんだけど、女子テニス部の女の子が、いつも壁打ちを居残りでしてる男子の部員に恋をしてね……あ、そっからは読んで」
「わかった」
これ買おうか。うん。なんかそれで付き合い始めてハッピーエンドだと振られた僕としては羨ましくて泣いちゃうかもしれないけど。でも逆に、恋そのものの良さを再確認できそうではあった。
「私は……これにしよっかな。なんかこの前私のよく見るユーチューバーが紹介してたし」
「ユーチューバーって本紹介するの?」
「そういうユーチューバーもいるよ。いろんなSNSに本を紹介することで人気になってる人はいるね」
「そうなんだ」
知らないジャンルのSNSの使い方だった。
それからさらにのんびり本を選んで、お会計へ。
僕は小説を三冊買った。
三冊ともみみのおすすめ。
せっかくだし、なんか英単語帳とかも買って行こうかと思ったけど、やめた。小説だけで買う日だ、今日は。
みみは五冊くらい買っていた。
「日常的に本買ってるの? そしたらお小遣いなくなったりしない?」
「そんな買わないよ、実は。図書館とか、ネットの小説も読んでる。あとたまにね、バイトしてるから」
「へー、ていうかうちの高校バイトありなの?」
「一応ありだと思うよ。なんか先生にめっちゃ色々言われはするけどね」
「あ、そうなんだ」
交友関係の狭さを実感してしまった。広ければ、バイトしてる友人の一人くらいいただろう。
「……さて、そしたらあれですね。カフェとか行くのはどうでしょう?」
「あれか、カフェで読書?」
「そーです! どうかな。いやだったら他のところでもオッケー」
「いや、せっかく買ったし、ゆっくり読もう」
「やった。あ、でも今日私の好きなとこばっかりだから、優の好きなところも今度行きたいな」
「ありがとう……好きなところね……」
僕は考えた。そういやそんな好きなところってないな、僕。普通に家が好きだわ。
やばい。行動範囲も狭いは僕、交友関係だけじゃなくて。
カフェは本屋と同じビルに入っていた。
「私初めて。カフェくるの」
「あ、来るの初めてなんだ」
「うん。一人の時は家に帰って読むことが多いもん」
「なるほど」
まあそれもそうか。カフェよりも家の方が落ち着くって人もいるだろうな。
僕たちは入店し、よくわからないのでとりあえずホットのコーヒーをてきとうに注文。
読書がメインだからいいか、別にこだわらなくても。他にもなんか色々とメニューがあったけど。
示し合わせたわけではないけど、二人ともそう思ってる気がした。
向かいあって、早速本を取り出す。
なんかまだ物理的に力強い本だ。
紙に反発力があるというか、まあそんな感じ。
僕は本を読み始めた。みみは僕よりも早く読み始めていた。
しばらくして気づいたら冷めかけたコーヒーが目の前にあった。
意識がテーブルに行ってないうちに、コーヒーが来ていたようである。
読書ってこんなに没頭できるものだっけ。
少なくとも僕の場合は、相当面白い話だとしても、結構早々に読み疲れるタイプだ。
しかし向かいにみみという、ずっと真剣に本を読んでいる女の子がいることによって、僕は読み疲れる、ということがなくなっていた。
まるで、みみの集中力が、僕にも備わったかのようだ。
とはいえコーヒーも少し味わいたいと思い、僕は静かにカップを手に取る。
いったん物語のことではなくコーヒーのことを考えると、ら周りの音がよく聞こえるようになってきた。
しかし向かいのみみはとても静かだった。
背もたれに寄りかかって、本を丁寧に持って、読んでいる。
コーヒーに全く手をつけてないようにも見えるけど、話しかけたりはしない方がいいな。そう思った。
コーヒーを一口飲むと、より一層おちついた。この落ち着く効果があるコーヒーなら、ちょこちょこ読みながら飲んでいけば快適そうだ。
炭酸とかだとそうは行かないんだろうな、とか考えた。
一人で自分の部屋で本を読むとしたら、映画みたいなノリでコーラを飲みながら読んでしまいそうなものであるが。
二時間経過。
みみが伸びをした。本を閉じる。
「読み終わった?」
「うん」
僕はもう少し残っていたけど、でもみみともそろそろ話したかった。物語の方もだいたい問題は解決してて、先は気にならない。
「はー、ゆっくり読めた。あっ、コーヒーぜんぜん飲んでないよー!」
今更気づいたことにより顔が歪むみみ。少し漫画っぽかった。
そして一気飲み。
「あ、トイレ行ってくるねー」
そして立ち上がって行ってしまった。
読書を終えた途端テキパキと動き出すみみ。
あんまり物語の余韻に浸るタイプではないのだろうか。
僕はみみを待ちつつ、本の続きを読んでいた。
五分くらい経って読み終わった頃、みみが戻ってきた。
「優は読み終わったの?」
「いまちょうどね」
「あっ、そうなんだ。……面白かった?」
「うん、面白かった。あれだな、僕、女子主人公向いてるかも」
「ほんと?」
「うん、めっちゃ共感できた。特に途中家にこもってテニスの練習試合サボりそうになるところとか」
「あー、そうなんだ。優もテニスサボったりすることあるの?」
「あるよ。正直サボってる方が多い。うっすらテニス部だから」
僕がテニス部のモチベの低さを白状すると、みみは許容範囲激広のお姉ちゃんのように笑った。
「そうなんだ。今日もサボってるの?」
「サボってるな」
「てことは私のためにサボってくれたのね?」
「一人でもサボってたかもしれない」
「そういう時でも私のためってことにしとけばいいの」
「わかった。そうしとくわ」
「よろしい」
そして少しして、みみと僕は、カフェを出た。
「うーんっ、今日はありがとね」
「僕こそありがとう。楽しかった」
「そう? うれしいなあ」
誰かと二人で放課後を過ごすってことはなかったから、よかった。だいたい一人か、部活仲間とだった。
建物から外に出て、そして歩き出す。
向かうのは公園。
僕とみみが同じ悩みを持つ仲間を求めて訪れた公園。
だけどそこが近くなってきてから、
「公園、今日はいいかな」
「私もそう思ってたところ」
二人とも、公園を必要としてないことを確認しあった。
とりあえず、ある程度のことを共感できる友達が隣にいれば、それでいいってことだ。お互い。
結局、公園には寄らずに、みみとは公園の手前で別れた。
みみの雰囲気は少し変わっていたけど、一緒にいて、すごく楽しかった。
だから……今度は僕がなんか考えてみみと遊びに行こう。
お互い振られたもの同士の心の落ち着かせ合いは、もう一回やる価値のあるものだと思う。
というわけで次の日みみとやってきたところは。
「ば、バッティングセンター? 優、野球好きなの?」
「野球は見るのが好き」
「へー、そうなんだ。でもここって実際に打つところでしょ」
「まあね。でもほら、きつい練習とかはないでしょ。部活みたいに」
「なるほど。さすがおサボりテニス部部員ね」
「言われてしまった」
それを言われた時点で負けてしまう。
でも、みみは珍しそうにボールが出てくる機械を見つめ、
「なんか打ちたくなってきた〜!」
と言い始めた。
やはりそうだろう。ボールが来たら打ちたくなるもんなのだ。
「よし、早速やろう。初心者向けの70キロくらいがおすすめ」
「70キロってボールの速さ?」
「そうだよ」
「え、それだったら70キロでも速くない? だって車よりも速いよね?」
「そうだな。でも意外と当たりはすると思うよ」
「ほんと?」
「とりあえずやってみればなんとかなると……」
「うん、じゃあやる」
まとめて受付で買ったコインを、70キロのところに一枚入れた。
みみが、ヘルメットをかぶりバットを握る。
バッターボックスに立つ。
右打ち。構えは強打者に見える。
一球目が出た。
みみは思いっきり振った。
当たった。
ボールは前方のネットに力強く飛んだ。
「うわ! 当たった!」
「て、天才?」
「え、私天才だった?」
「かもしれない」
一発目からちゃんと当てるのはむずい。正直バットよりも当たる部分が広いテニスラケットでも難しいだろう。
その後も八割くらいの確率でみみはちゃんと球にバットを当てていた。
すごい。運動神経実はいい帰宅部だ。
そういう人いるよね。
体力測定とか体育の授業でみんなが驚くような活躍をしたりする。
たくさん当たって満足げなみみは、僕に言った。
「はい、じゃあ次は優、お手本頼んだよ」
「よし、じゃあ130キロでやるか」
こうして調子に乗った僕は見事130キロを全部空振りして、コインを一枚無駄にしてしまったのだ。
「あははっ、かっこいいところ見せようとしたな?」
「ちょっとした」
「残念でした。100キロくらいにしたら?」
「そうするわ」
みみにぐうたらなテニス部の部員と認定されてて、それを自分でも認めてて隠していないのに、なぜかバッティングセンターとかいう遊びでは、かっこいいと思われたいと思ってしまった。
100キロだとそこそこは打てた。
プロの構え方の真似をしたら、変だと言われた上に空振ったのでやめた。
色々とかっこつけるたびにダメになるな、今日の僕は。
それから何回かずつバッティングをしたのち、他の人がかきんかきん打っているのを眺めていながら、のんびりと話すみみと僕。
「あー、あれだな。また、優のいいところとか面白いところとかいっぱい知ってなんか好きになったなあ」
「好きかあ」
「うん、あれだよ。恋ってことじゃないよ」
「うん。そういうことなら、僕もかな」
「やったね、好かれてるじゃん私」
笑顔のみみを見ながら考える。
幼馴染に振られた僕でなくて、ただ何事もない僕であったなら、みみにどういう感情を抱くのだろう。恋していたのだろうか。
それはわからないけど、わからないからこそ、恋していた気がしていた。
そんな僕と似た方向のことを考えていたのかもしれないみみが言った。
「私……もし同じ悩みを持つ者として優と出会ってなかったら、優のこと、恋愛面で好きになってたのかもなあ……とか思う時もあるけど、まあね……」
みみが首を振って、そして立ち上がった。
「もう一回、かっ飛ばす。まだコインある?」
「あるよ」
「よし」
何も持ってない腕をぶんぶん振るみみ。
「何キロでやる?」
「130キロ」
「マジで?」
「優が当たらなかったのを完璧に当てて見せるよ」
「おっ」
なんか本当に当てそうだ。当てる宣言するとだいたい当たらないものな気がするが、みみは例外だと思った。
「では、いきます……うお」
速過ぎて、ボールが後ろに行ってから振るみみ。
流石に初見だとそうなる。
しかし、みみは、
「てことはめっちゃ早めに振れば当たるね」
とポジティブなセリフをはさみ、二球目で……
かっ
とかすらせた。
「あ、当たった! ちょっとだけど当たった!」
「ほんとだな。すごい」
「よし、あとは前に飛ぶことを祈る」
三球目。
またファール。
四球目もファール。
実際の打席なら、粘りを見せているけどノーボールツーストライク、という状況である。
しかし五球目に。
キン!
金属バット前回の綺麗な音が鳴り、球がまっすぐ前に転がっていった。
うん。これはセンター前ヒットだ。
「やった、前に飛んだ。ちょっとしょぼいけど」
「すごいじゃんか」
「ほんとはもっと上方向に飛んでいく軌道が良かったけどね〜。でも満足」
みみはスッキリして、残りの球も何度か前に飛ばした。
こうなったらもうね。
僕もかっ飛ばすしかないな。130キロを。
「悔しい。ちょっとかすっただけで終わってしまった」
「はーい、そろそろ帰りますよ〜」
負けた。天才型バッターのみみに負けた。
130キロにうまく合わせられなかった。
テニスのサーブで130キロ以上出す人もいるとは思うんだけどなあ。バウンドしてるから遅くなってるのか慣れてるのか、テニスならちゃんと当たりはする。いくらサボりがちだとしても。
でもとにかく野球になると、ダメだ。
悔しい……けど、僕は小さい子ではないので、大人しくみみを褒め称えながらバッティングセンターを出る。
「ふー。帰宅部としては、特例レベルでの運動量でした」
「そうか。でもうまかったな」
「意外とセンスはいいのかもしれません。運動した事なさすぎて全然わかんなかったですけど。それかビギナーズラックですかね」
「ビギナーズラックで130キロ打ち返せはしないよ」
広々とした大通りを車が走っている。
大きな釣具屋の看板の魚のキャラクターが、車を偉そうに見下ろしている。
「あー、釣りとかも楽しそうですね。この前読んだ本で、釣りが好きな主人公の話があったんですけど、結構面白かったです」
「釣りかあ。僕したことないなあ」
「私もしたことないです」
「なんかハードル高そう」
「ですね〜」
ゆうれいなテニス部と帰宅部は、そんなに行動力があるわけではなかった。だから、釣りのハードルは高すぎる。
けど、行ってみてもいいかもな、と思った。
行動力のある友人に乗るわけではなく、こんなふうに、ちゃんと自分から何か新しいことを始めようと思ったのって初めてだ。
やはり僕は、みみといるのが好きなようだ。
振られたこととかも癒えている気がする。もうすでに。
でも流石に釣具屋で一から道具を揃えるのも高いしリスキーなので、まずは、釣り堀に行ってみることにした。
今週末くらいにしようと話になって、そして今日はお別れ。
高頻度でデートしているみたいだ。
けれど、そうではない。
だって僕とみみはまあ友達だ。
同じように振られて、それで出会った友達。まだ出会ったばかりで、みみがどんな他の悩みを持っているのか、僕は知らない。
だけどお互いまだそこまで知らなくても、とにかく一緒に何かするのは楽しい。そう強く感じていた。