7時16分、1番ホームにて

   5月(美白パート)
 ゴールデンウィーク最中。
美白と沙耶は大型デパートにて、湊士をストーキングしていた。
「やっぱりダメだよぉ……。バレたら印象最悪だよぉ……」
「なに言ってんの! せっかく奴の素顔が拝める絶好の機会じゃない! あ、行くわよ!」
「もう、沙耶ちゃんってば……」
 時は少し遡り、ゴールデンウィーク突入前の学校にて。
「ねえねえ。今度のゴールデンウィーク、買い物に付き合ってくれない?」
「お買い物? いいよ。何買うの?」
「新しい化粧水が出たんだって。女子としては試さなきゃっしょ?」
「いいよ。私も買おうかな」
「いいじゃん。オソロだ」
 美白と沙耶はよくある女子トークで盛り上がっていた。高校生ともなると、お化粧のことなど、女子は大変である。
「あ、じゃあうちの近くのデパートで買わない? 確か数量限定だけど3本買えばもう1本プレゼントっていうのやってた気がする」
「お、いいねー。じゃあ合計4本でわけっこしよ?」
「うん!」
「じゃあ朝11時にそっちの駅に行くから、そのデパートでお昼してからショッピングと洒落こむ?」
「いいよー。じゃあ、また詳しいことは携帯でね」
「オッケー」
 かくして二人は、ゴールデンウィークにデパートへ向かった。
 二人でランチを食べ、目的の化粧水も買い、どこかで遊べないかウィンドウショッピングをしていると、彼がいた。
「あっ!」
「ん? どしたん――ってみしろん! そんな強く引っ張んないで!」
 思わず美白は物影に隠れる。そしてそろりと視線を前の方へ向ける。そこには湊士が人混みにまぎれて歩いていた。普段の制服とは違い、ラフな格好だったが美白にはすぐに湊士だとわかった。
 心臓がドクンドクンと脈打つ。
 そんな美白を見て、沙耶が心配そうに美白の背中をさする。
「大丈夫? 気分悪くなった?」
 美白は首を横に振る。そして、絞り出すようにか細い声で「いる……」とだけ呟いた。
「いる? いるってなにが?」
 美白は口をパクパクさせて声にならなかった。
「もしかしてストーカー!? なら警察に電話しないと」
 沙耶はスマホを取り出そうとするが、美白に腕を掴まれた。
「そうじゃなくって、彼がいたの!」
 顔を真っ赤にして恥ずかしそうにしている美白を見て、沙耶はうーんと考えた後、「あっ」
っと気付いた。
「もしかして電車で一緒だっていう例のやつ?」
 美白は黙ってコクっと頷く。
「どれどれ? どんなやつ?」
 沙耶は物陰から、どいつが美白の心を射抜いたやつなのか探そうとした。
「……茶色のパーカーに黒いズボン」
 ありふれた組み合わせだったが、今前の通路を歩いていて、かつ年齢も近い人は多くない。というか一人しかいなかった。
「あいつかー。なんかパッとしないけど、ほんとにあいつなの?」
「うん……」
 入学時から、かわいいということで注目されていた美白が好きになった相手がどんなやつかと思えば、ふっつーの男子で沙耶は少々、というかだいぶ落胆していた。
「えー……。あれのどこがいいの? 見た目は……後ろからじゃよくわかんないけど、普通そう。特別オシャレってわけでもなさそうだし……。どこがいいの?」
 改めて沙耶にどこがいいのか聞かれると、ちょっと子どもっぽい笑顔とか、かと思ったら憂いを帯びた大人びた表情だとか。挙げればキリがないが、一番というものはなかった。
 しいて言うなら好きだから好きなのだ。理屈じゃない。
「説明できないよぉ……。会った瞬間に私の心にスッと入ってきたと言うか……」
「ほーん。まあいいわ。とりあえずつけるわよ」
「つけるって……それストーカー! 犯罪!」
 沙耶は、やる気が起きない美白の肩をガシっと掴む。
「今まで電車の中であいつの何がわかったの?」
「それは……」
 言い淀む美白に、沙耶はさらに畳み掛ける。
「これはチャンスよ。あいつの本性を探るのよ!」
 沙耶は有無を言わせず、美白の手を引いて尾行を開始する。
「バレたらどうしよう……。嫌われるかなあ……」
「だーいじょうぶだーって。こんな人混みの中バレるはずないって」
「うぅ……。ごめんなさい……」
 美白は心の中で謝りながらも、尾行を開始した。
 湊士の後をつけると、彼はスポーツショップへ入っていった。
「なに? あいつってなんかスポーツやってんの?」
「そういえば通学の時、いつもスポーツバッグ持ってたよ」
「ふーん。なんの部活やってんだろ?」
「さあ……。そこまでは知らないわ」
 二人は湊士の向かう場所に目をやると、そこはバスケのコーナーだった。
「どうやらバスケ部らしいわね」
「そうだね」
 湊士はしきりにバッシュをあれこれ物色していた。
「もうゴールデンウィークだってのに、もう新しいのが欲しいの? 変なの」
「もしかしたら中学からやってて、サイズが合わなくなっただけかもよ?」
 二人であーだこーだと言っていると、湊士は一人の少年に声をかけていた。
 美白たち二人は少し離れていたため、会話の内容は聞き取れなかった。
「あれ? 知り合いかな? なに話してるんだろ?」
「弟……、だったら最初から一緒に行動してるよねえ……」
 二人は頭に疑問符を付けていたが、少年がある方向を指さす。美白もその方向に目をやると、なにやらイベントを開催しているようだった。
「なんだろ? ちょっと見に行こ?」
「えー……。もういいでしょ? これ以上は悪いよ」
「なに言ってんの! まだなにも収穫ないじゃない!」
 美白は「もう……」とため息をつく。先に歩き出した沙耶についていくと、イベントはバスケのフリースローを連続で決めるというものだった。
「へー、こんなイベントやってるんだ。……お、商品は1万円の商品券だって」
「あの人、これにチャレンジするのかな?」
「さあ、ちょっと離れて様子を見ましょ?」
 イベント会場から少し離れて、湊士のことを遠目から観察する。思ったとおり、湊士はこのイベントに参加するようだった。
「お、やるみたいね」
「そうみたいだね」
 司会者がこれでもかと会場を盛り上げる。そんな中シュートを連続で決めなければならないのは至難の業だ。なんせ気が散ってしょうがない。
「BGMまでつけて……。これじゃ集中できないよ」
「確かに……。こりゃ無理かな」
 そんな二人の思惑とは裏腹に、湊士は1本、また1本とゴールを決めていく。
「すごっ……。集中力パないね」
「うん……」
 美白は湊士の真剣な横顔に釘付けだった。視線はゴールに向かい、澄んだ瞳に吸い寄せられそうになる。
 美白は胸の鼓動が大きくなるのを感じる。いや、実際に大きくなったのだ。
 それは恋心なのか、それとも応援したいという気持ちなのか。それは本人にもわからなかった。
 ただ一言。気付けば口からこぼれだしていた。
「頑張って」
 もちろん美白の声が届くはずがない。しかし、その応援に応えるかのように、湊士はラスト1本を完璧に決めていた。
 周りに歓声が沸く。気付けば美白も拍手していた。
「おめでとう」
 そう言った美白を、沙耶も黙って見ていた。
 そして、司会者によって湊士にコメントを求められる。
「えっと……平賀湊士です。クリアできてよかったです」
 その時が、美白が湊士の名前を知った瞬間だった。
「湊士くん、か」
「名前だけでもわかってよかったじゃん」
「名前だけじゃないよ」
「ん?」
 美白は嬉しそうに湊士を見つめる。
「きっと真面目でいい人だって、見てればわかるよ」
「どうだかなあ……。ただのバスケ好きなだけじゃない?」
 沙耶が反論すると、湊士は受け取った商品券を少年に渡した。それを見た沙耶が驚きの表情を隠せない様子だった。
「なんで!? もったいな!」
「ね? 優しい人なんだよ」
 美白はわかっていたかのように微笑み、嬉しそうにしていた。
「なんでそなな嬉しそうなの?」
「え? うーん……。やっぱり好きな人がいい人だと嬉しいから、かな?」
 その言葉を聞き、沙耶はニヤリと口角を歪める。
「おんやぁ~? 認めましたね? 今、好きって言ったよね?」
「え? ……あっ!」
 美白は自然と出た好きという言葉に、顔を真っ赤にした。
「はい確定~。やっぱ好きなんじゃん」
「えっとね、これは、その……」
 ごにょごにょ言い訳する美白に、沙耶は美白にガバっと抱き着く。
「いいじゃん。好きって気持ちが悪いわけないよ。それより自分の気持ちに嘘つく方が悪いと思うけど?」
「うっ……、うん……。うん」
 美白は沙耶の言葉をしっかり受け止めてしばらく心を整理する。自分にとって湊士はどういう存在なのか。改めて自分自身に問いかけると、やはり答えは1つだった。
「うん。やっぱり私、平賀湊士くんのこと、好き。うん。好きなんだ」
「そっか」
 沙耶は茶化さなかった。ただそれだけ言うと、二人で湊士に目をやる。すると、ちょうど少年がバッシュを買ったらしく、湊士に見せていた。そしてそのバッシュを、湊士はいきなり踏んだ。
「はあ!? なにやってんのあいつ! やっぱクソ野郎なんじゃね?」
「い、いや、たぶんちゃんと理由があるんだよ」
「どうだかねー。あたしの中ではやつの株価は大暴落よ」
 そうして少年は去っていった。ちょうど美白たちの方向に来たので、沙耶は少年に声をかける。
「ねえ君。さっき買ったばっかの靴踏まれてたけど悔しくないの?」
 少年は突然知らないお姉さんに声をかけられ、ポカンとしていた。
「ごめんね。私たち、バスケットについてあんまり詳しくなくって」
 少年はなるほど、といった様子で説明してくれた。
「新しいバッシュって固いから怪我しやすいんだ。だから踏んでもらって柔らかくするんだよ」
「そうなんだ」
 美白が優しく聞き出してくれたおかげで謎が解け、やはり悪いことをしたわけではないと胸を撫でおろす美白。
「お姉ちゃんたち、お兄ちゃんの友達?」
「え? えーっと……」
 なんと答えようか迷っていると、沙耶はしれっと答える。
「そうだよ。たまたま見かけてね」
「そうなんだ。じゃあお姉ちゃんたちもバスケ部なの?」
「そうだよ。高校から始めたんだ」
「へー! じゃあバスケ仲間だ!」
 美白は内心、沙耶の嘘八百に呆れかえっていた。ただ横で乾いた笑い声を出すことしかできなかった。
「あ、そろそろ帰ってるーてぃーんの練習しないと。じゃあね、お姉ちゃん!」
 少年はそう言って去っていった。
「ルーティーンってなんのことだろ?」
「多分あれかな? 特定の行動をすることで平常心を保てるっていう」
「あー、聞いたことあるわ。なるほど、ルーティーン、ね」
 沙耶は何か考えている様子だった。しかし、湊士が移動し始めたので慌てて尾行を続行する。
「やばっ、行くわよ!」
「まだ続けるんだ……」
 その間、沙耶はずっとなにかを考えていた様子だったが、突然、「あ」と言って美白に提案してみる。
「ねえねえ、さっきのルーティーンの話で思ったんだけど」
「なに?」
「ていうかパブロフの犬の方が近いんだけど」
「だからなに?」
 美白はなにか嫌な予感を感じていた。そしてその予想は的中する。
「毎日あいつの写真かなにかを毎朝見て、慣れるっていうのはどう?」
「はぁ……」
 ほらやっぱり、と言わんばかりに美白は小さくため息をつく。
「なによー。いいアイデアでしょ?」
「そもそもどうやって写真を撮るの?」
「そりゃ盗撮」
「だから犯罪だって!」
「ごめんごめん。やっぱ無理かー」
「もう!」
 そもそもほぼ毎日朝に出会っているにもかかわらず、会うたびに胸がドキドキするのに、そんなことしたら身が持たないと美白は思うのだった。
 そうこうしていると湊士は花屋に入っていった。
「花屋? こんな時期に?」
「なんだろうね」
 二人はうーんと悩んでいると、沙耶は何かに気付いたようにハッとする。
「これは……ズバリ彼女への誕生日プレゼントなんじゃ?」
「え? そ、そうなのかな……」
「そりゃそうでしょ。男が花に興味あるってなかなか聞かないし」
「やっぱり彼女さん、いるのかなあ……」
 美白は見て取れるくらい、肩を落とした。相当ショックだったようで、今にも涙が零れそうになっている。
「まあ、しょうがないよ。でも安心して。みしろんにはあたしがいるじゃん」
「沙耶ちゃん……」
 花屋の花が全て百合になりそうな雰囲気だったが、その空気を美白がバッサリ切り捨てる。
「まあ冗談は置いておいて、やっぱりバラとか買うのかなあ」
「えー。冗談じゃないのにー」
「はいはい」
 美白に軽く流されたことに落ち込む沙耶だったが、美白はそんなことより湊士に注目する。
 どうやら湊士が買ったのは、一輪のカーネーションのようだ。
「カーネーション……。あ、もしかして」
 カーネーションで思いつくのは一つ、花屋のポスターにもあるとおり、母の日だった。
「なんだ、母の日のためにお花買ったんだ」
「なーんだ。つまんないなあ。……でも、あれ? なんかピンクのバラも買ってない?」
「え?」
 確かに湊士の手にはカーネーションと共に、ピンクのバラが握られていた。
「これは……やっぱり彼女が関係してるのかな?」
「そ、そんなあ……」
 お会計を済ませたようで、湊士は店から出てきた。
「さて、このまま彼女のところに行くのかな?」
 沙耶が尾行を続行しようとしたことろで、美白が引き留める。
「さすがにもういいよ。これ以上はほんとに悪いって」
「ふーむ……。ま、いいでしょ」
 沙耶も納得したようで、これ以上つきまとうことは終わりにする。
「あななたち、うちの店に用事?」
「はい?」
 見ると、花屋の店員だった。二人の様子はかなり怪しかったのか、怪訝な顔をされる。
「あ、えーっと、そうじゃなくって……」
 なんと答えようと思案していると、店員から質問される。
「もしかして、さっきの彼の知り合い?」
「え? あ、はい。そうです」
 またも沙耶が適当なことを言って誤魔化す。そう言うと、店員は表情を明るくした。
「そうだったのね。じゃあ声をかけてあげればよかったのに」
「いや、まあ……恥ずかしくって」
「ふーん……。なるほどねえ」
 店員は二人を見比べて、一言質問される。
「で、どっちが彼の彼女さん?」
「ぶっ!」
 美白は思わず吹き出し、咳込んでしまう。
「あ、あなたの方なのね。ちゃんとバラをプレゼントされたら知らないフリしなさいよ?」
「あ、はい。そうします……」
 美白も否定しづらくなり、誤魔化すことに。
「彼、いい子よね。まだ高校生で母の日のプレゼント買いに来たなんて」
「そ、そうですね」
「で、あなたたちは? 今ならサービスするけど」
「えっと、じゃあせっかくなんで……」
「はい、毎度ありがとうございます」
 まるで店員に乗せられたようだったが、嘘がバレるよりマシだと思い、二人ともカーネーションを買うことに。
 店を出て、二人は帰ることにした。
「あーあ、痛い出費だったなあ」
「もう! だから尾行なんてやめようって言ったのに」
「でも収穫も大きかったでしょ?」
「それは……まあ」
 誰にでも優しいこと。名前。家族思いなこと。湊士のいろんな面が知れた一方で、一抹の不安が残った。
 それは彼女がいるかもしれないということ。あのバラは誰の手に渡るのか。美白は気になって仕方なかった。
 美白は家に帰った後も、湊士のシュートを決める横顔ににへへと笑ったり、顔も知らない女性にバラを渡している様子を妄想して落ち込んだりと、一人で百面相をしていた。
 夕飯の時、親から大丈夫か聞かれたが、まさか尾行してましたとは言えず、口を濁すしかなかった。
6月(湊士パート)
 すっかり梅雨入りして雨が続いていた。
 その日はたまたま晴れの予報で、やや曇っているとはいえ日光が差していた。
 湊士は一応と傘を持って家を出る。
 時刻は7時16分。いつもの電車に乗り込んだ。
 ゴールデンウィークも明け、すっかりいつもの日常へ。その日常には、ほぼ真横にいる美白の存在も含まれていた。
(やっぱかわいいよなあ)
 ゴールデンウィーク明けの時、湊士は久しぶりに美白に会え、感極まっていたがそんな様子を見せるわけにもいかず、平常心を保とうと必死だった。しかし、どうしてもチラチラ見てしまい、しかも結構な頻度で目が合い、気まずくなっていた。
 そんな時から約一月が流れ、ようやくいつもどおりに戻っていたが、湊士にとっては由々しき事態だった。
 なんせなにも進展がないのだ。まだ出会って2か月ちょっと。焦る必要はないと思いつつも、そろそろ美白も学校に慣れてきて、彼氏の一人や二人、いるんじゃないかと心ここにあらずといった感じだった。
「あら、降ってきた?」
「ん?」
 いつものOLが外を見ながら呟く。湊士はその言葉に釣られて外を見ると、さっきまでの陽光が消え、少しだけ雨が降っていた。
「ねえ、傘、持ってる?」
「あ、はい一応」
「じゃあ入らせて。あたし、傘忘れちゃった」
「了解です」
 OLとその部下が話し合っている。湊士は内心、それって相合傘じゃね? と思ったが、大人になると緊張したりしないのかと大人の余裕に少し憧れた。湊士は自分が持っている傘を握りしめ、持ってきてよかったと安心していると、美白の様子がおかしいことに気が付く。なにやら鞄を必死で漁っていた。
 その様子を見て、湊士は直感的に傘を忘れたのだと気づく。
 湊士は悩んでいた。ここで露骨に傘を貸すとすごく怪しまれる。下手に下心があると思われたくない湊士は傘を貸す案を却下する。
 とはいえ、さっきから美白はかなり困った様子である。
(なにかできることないかな……)
 そうこうしていると雨はさっきより強くなっている。美白が外を見て愕然としている。
(なにか……なにか俺にできることは……)
 もう変に思われてもいいから傘を貸そうかと思ったその時、湊士はある妙案を思いつく。
 しかし、リスクが大きい案であり、失敗すると二人ともずぶ濡れになる。だが、貸しを与えず、それでいて彼女を助ける方法はもうこれしか思い浮かばなかった。
 そうと決まれば湊士は行動を起こした。
 もたれかかっていた手すりを離れ、さりげなく外を覗こうと彼女の側に寄る。ちょうどドアの開くところに立った。湊士はあくまで雨を確認するように振舞った。そして次は湊士の降りる駅である。
 電車がゆっくり停止し、反対側のドアが開く。いつもならすぐに電車から降車するのだが、この時湊士はまだ車内に残っていた。そしてドアが閉まる汽笛が鳴った瞬間、
「やべっ!」
 ちょっとわざとらしく大きな声を出し、傘を残したまま電車を降りた。
 電車のドアは閉まり、やがて動き出した。
「気付いてくれるかな……」
 湊士の作戦は概ね成功した。
 わざと傘を残して電車を降りる。後は残った傘を彼女が使ってくれればそれでよかった。しかし、この作戦は美白が湊士の傘を見つけて使うこと前提の作戦である。もし、美白が傘を使わなかった場合、二人とも雨に打たれることになる。
「とはいえ、こうするしかないよなあ……」
 湊士はそう呟いて、学校へ走っていった。
 学校に着くと、凌悟がギョッとした表情で湊士を見つめた。
「お前、傘忘れたのか?」
「ああ、まあな」
「さすがに風邪ひくぞ。タオルくらい持ってきてるだろ。拭いとけ」
「そーする」
 湊士は運動後に使う予定だったタオルで全身を拭いていく。
「まあ、今日は降るって天気予報でも言ってなかったしな。とはいえ、折り畳み傘くらいは持ってきとけよ」
「そうだな。明日から気を付ける」
「ったく。今日朝練はどうする?」
「見学にするよ。タオル乾かさないと」
「だよな」
 そう言って湊士は大人しく見学していた。
 昼休み。いつもの3人で昼飯を食べていると、昴にも注意された。
「まったく。さすがのポンコツっぷりね」
「まあね」
「褒めてないんですけど?」
 湊士はカラカラと笑って弁当を食べていく。時折、湊士は外の雨を見てはため息をついた。
その様子を見て、凌悟が肘でつついてくる。
「そんなに見ても雨はやまないぞ」
「ん? ああ、まあ、そうだな」
「……?」
 心ここにあらずという雰囲気の湊士に、昴はなにか感付いた。
「……なにかあった?」
「……え?」
 聞こえていなかったのか、湊士はボーっとした表情からハッと我に返る。
 明らかにおかしい様子に、昴はカマをかけてみることにした。
「傘、使ってくれるといいね」
「ああ、そうだな……」
「なるほど、そういうことか」
「……ん? え? なにが?」
 女の勘とでもいうのだろうか。昴はおおよその状況を把握した。
「あんた、傘忘れてないでしょ。ってか例の彼女に貸したんでしょ」
「うえ!? スゲーな藤宮! よくわかったな!」
「まあ、なんとなく」
「あー、そういう」
 凌悟も理解したようで、冷ややかな視線を送った。
「それでお前がずぶ濡れになってたんじゃ世話ないぜ。ってかその人、拒否らなかったのか?」
「えーっと、それがな――」
 湊士は大まかな説明をした。すると、二人に呆れられる。
「お前さあ……。それ貸せてないかもじゃん」
「いや、そうなんだけどさ。前に藤宮が知らない男性から物渡されたらキモって思うって言ってたの思い出しちゃってさ」
「いや、せめて自分は折り畳み傘もあるって言っとけば彼女に確実に貸せたじゃん」
「そうなんだけどさあ。なんか貸しを作るのっていやじゃん? 向こうも負い目を感じるだろうし」
「うーん、難しいわね。確かに折り畳み持ってて傘も持ってるっていうのがすでに不自然なんだよねえ。だから湊士の賭けはある意味正しいのかも」
「え? マジ?」
 まさかの高評価に、自分でやっておいて驚く湊士。
「これはある意味チャンスよ。もし向こうが傘を借りてたなら絶対返すはず。だって同じ電車に乗ってるんだからね。そこで当然なにかしら会話するんだからそこで接点を作るのよ」
「おお! そっか、そこで会話を広げれば一気に仲良くなったり――」
 思わず身を乗り出す湊士を手で制す昴。それに怯んで湊士は大人しくなる。
「慌てなさんな。そこであんまりがっつくと逆効果よ」
「お、おう……」
 逆効果、という言葉に冷静さを取り戻す湊士。
「まあ、今後電車で挨拶する程度のよっ友くらいにはなれそうね」
「マジ!? 十分だって!」
「そうね。3か月で別の学生とそこまでの仲になれれば上出来よ」
「あー! 俺の傘どうなったんだろなー!」
「ほんと、それに尽きるわね」
 湊士の傘がどうなったかわからないため、とりあえずこれ以上話しても無駄という流れになったのと、チャイムが鳴ったのでこの話は流れた。
 放課後、今日は体育館はバレー部が占領し、バスケ部は外錬の予定だったが、この雨のせいで部活は休みになった。
 湊士は学校に予備の傘を借りて帰路についた。
 その間、湊士の頭は美白のことでいっぱいだった。
「あー、ちゃんと使ってくれたかなあ……」
 そんなことを呟いていると、駅の改札のところに美白がいることに気付く。
 最初は申そうかと思ったが、そうではない。毎朝見惚れている女の子が駅に佇んでいた。その手には湊士の傘が握られていた。
 湊士は軽くパニクってしばらく棒立ちしてしまった。
(え、なんでここに? 彼女の学校ってここじゃないよな? てか俺の傘。使ってくれたんだ。よかった――けどなんでここに?)
 頭がぐるぐるする。しかし、ここにいる以上用事がある以外にない。湊士は覚悟を決めてゆっくりと彼女の方へ向かっていく。
 彼女に近づくにつれて、心臓が爆発しそうになる。そして、彼女も湊士のことに気付いた。
確実に目が合った。すると彼女の方から声をかけてくれる。
「あの……」
「お、俺、ですか?」
「はい……」
 透き通るような声。湊士はこの季節に似合わない晴れ渡るような声だと思った。
「あの……ごめんなさい!」
「え?」
 突然美白に謝られ、困惑する湊士。
「これ、あなたのですよね?」
 そいう言って渡されたのは湊士の傘だった。
「勝手に使っちゃいました! ごめんなさい!」
「あ、いや、別にいいっすよ」
「よくないですよ! 絶対雨に濡れたはずです!」
 見た目に反して結構ものをはっきり言う子だなあ、などと思っていると強引に傘を返そうとしてきた。
「ちょちょちょ! ストップストップ!」
 ぐいぐいくる美白を一旦落ち着かせることに。
「それ今俺に返したら家までどうするの?」
「それは……。親に迎えに来てもらう、とか?」
「なるほど。親にはもう連絡入れたんすか?」
「まだ、です……」
「一回連絡入れてみたらどうっすか? 忙しくて来れないなら結局また困るでしょ?」
「…………そうですね」
美白は携帯を取り出し、親に連絡を入れた。湊士は会話こそ聞こえなかったものの、美白の表情から迎えは難しそうだった。
 美白の通話が終わり、声をかける。
「どう?」
「えっと、その……」
 歯切れの悪い言葉。湊士はやはりといった感じで声をかける。
「あの、いつも同じ電車に乗ってます、よね? だから明日で大丈夫っすよ」
「……はい。……ごめんなさい」
 しゅんとした彼女を見て、元気づけようと湊士はあたふたする。
「か、傘くらいで大げさっすよ? ってか、わざわざそれだけのために来てくれて嬉しいっていうか……」
「……え?」
「あ、いや、何でもないっす!」
 湊士は恥ずかしさから顔を反らす。しばらく沈黙が続いたあと、美白からポツリと言葉が漏れた。
「ありがとう、ございます」
「へ? あ、いえ、どういたしまして」
 湊士が返事すると、どちらともなく笑い出した。そうこうしていると、帰りの電車がやってくる。
「やべっ、早く乗りましょ」
「そうですね」
 こうして湊士は初めて帰宅時に美白と一緒になった。それだけでなく、初めて会話した。
 6月22日。この日は記念日になると、心の中でガッツポーズをした。
 ところが恥ずかしさからか、帰りの電車での会話はなにもなく、朝と同様黙ったままだった。
(あれ? なにか言ったほうがいいのかな? でも、なんか気まずい!)
 会話するための話題も特になく、二人で黙って突っ立っているだけだった。
 そうして何もできないまま十数分が経ち、二人は最寄り駅で降りる。
 改札を出ると、帰る方向が真逆だったため、ここでお別れとなる。
(なにか、なにか言わないと!)
 湊士は内心かなり焦っていた。そして出た言葉は、
「で、では、また明日」
「あ、はい……。また明日」
 そう言って美白は帰っていった。彼女の姿が見えなくなるまで立ちすくみ、一人になると盛大な溜息をついた。
「気の利いたこと、なんにも言えなかったな……」
 嫌われてはいないと思う。が、好かれている様子もない。それが湊士の思いだった。
「これじゃなんも変わってねーよ……」
 雨が降りしきる中、湊士も帰ることにした。
翌日、早めに駅へ向かい、美白を待つ。そして後ろから昨日きいた声がかかった。
「あの……」
「あ、どうも……」
 おはようの挨拶すらできないほどギクシャクする二人。
「これ……」
 そう言って渡されたのは傘だった。
「あ、はい……」
 事務的に受け取る湊士。その後の会話もなし。これで何もないかと思われていたが、電車を降りる際、湊士は意を決して美白に叫ぶ。
「あの!」
「は、はい!」
 美白も驚き、背筋が伸びる。
「別に貸しって思わなくていいんで! 困ったときはお互い様っていうか、とにかく!」
 言葉をいったん切って、美白の目を見ながらハキハキ話す。
「また困ったことがあれば、いつでも言ってください!」
 ポカンとした様子の美白。そしてクスッと笑い、答えてくれた。
「はい。頼りにさせていただきます」
 湊士はお辞儀して電車を降りた。その後、友人二人に嬉しそうに報告したが、名前くらい伝えろと突っ込まれた。それでも、少しは距離が近づいたことを実感した湊士は、嬉しくて仕方がなかった。
 6月(美白パート)
 朝起きると、曇りではあるものの、晴れ間も差していた。天気予報でも一応晴れるとのことで傘は家に置いてきた。
 それがあだとなり、電車内で美白はかなり焦っていた。
(どうしよう。笠持ってくればよかった……)
 忘れたものはしょうがない。駅のコンビニで買おうと、そう思っていた。
「やべっ!」
 いつも見つめてしまう彼が電車を降りたようだ。しかし、その場には、
「え、あれ?」
 笠が置いてあった。恐らく忘れたのであろう。
「ど、どうしよう……絶対困ってるよね……」
 しかし、電車はもう動き出している。湊士に渡すことなど不可能だ。
 美白は悩んでいた。これを使えば確かに自分は助かる。だけど湊士は濡れるかコンビニで買うしかないだろう。なら今から引き返すか。それで湊士がいなかったら遅刻確定だ。
「うー……」
 悩みに悩んだ結果、美白は借りることにした。
「ごめんなさい! すぐに返します!」
 湊士はそこにいないのに、美白は深くお辞儀する。他の乗客が何事かと美白を見る。自分の行動に、顔を赤くしながらも湊士の傘をぎゅっと握っていた。
 学校に着くと、電車でのことを沙耶に話す。
「――ということなんだけど」
「え? なんか問題ある?」
 沙耶は首をかしげながら美白に聞き返す。
「だって人のものを勝手に使うなんて、よくないでしょ?」
 沙耶は美白にデコピンをくらわす。
「いたいっ! なにするの!」
「あんたねえ……。真面目過ぎ。もっと肩の力抜きなー?」
「だって絶対風邪ひいちゃうよ?」
「だーかーらー。傘くらいどうとでもなるでしょ」
「それに勝手に使っちゃって悪いよぉ……」
「はぁ、困った子だねぇ」
 美白は終始暗い表情だった。沙耶はなんとか明るい表情を取り戻させようと、ある提案をする。
「じゃあさ、早めにあいつの駅に行って返すついでに一緒に帰れば? それで何かしらの進展はあるっしょ」
「い、一緒に帰る!? む、無理だって! 考えただけでも緊張で吐きそう……」
「そんなんで付き合ったときどうすんの?」
「つ、付き合う!?」
「え? 最終的にはそうなりたいんじゃないの?」
 言われて気付く。好きで、もし告白して、オッケーしてもらえたら……。そういう関係になるということに。
「あわわ……。どうしよう沙耶ちゃん!」
「いや、どうしようって、お幸せに?」
「早いよ! まだ付き合ってないよ!」
「そうなんだよねえ……。『まだ』なんだよねえ……」
 沙耶はうーんとなにかを考えていた。
「もうさ、傘返して告っちゃえば?」
「こくっ!」
 美白は思わず咳込んだ。
「いや、正直みしろんなら余裕だと思うんだよね」
「むりむりむり! お互いなんにも知らないじゃん!」
「いや、知らなくてもこれから知っていきましょう。だから付き合ってくださいでよくない?」
「そんな告白の仕方ある!?」
「だって理由も一目惚れでしょ? 言葉ならべても嘘じゃん」
「それは……」
 確かに、と思う美白出会ったが、さすがに今日言われて今日告白する度胸はない。
「まあ、無理にとは言わないけど。けど、ほっといたら向こうに彼女できる確率上がるよ?」
「それはそうなんだけどさあ……」
「まあ、決めるのはみしろんだよ。じっくり考えなー」
 そう言って沙耶は自分の席に戻っていった。
「告白、かあ」
 その日の授業はすべて上の空で全く頭に入ってこなかった。
 そして放課後、傘立ての傘を見つめる。
「とりま返すだけでも返したら? なんか話せるかもよ?」
「うん……そうする」
 美白はそう言って足早に駅へ向かった。急いだおかげで湊士の最寄り駅には、湊士と同じ制服の生徒はいなかった。
 そうしてずっと待ちぼうけ状態になる。何分待っただろうか。十分程度かもしれないし1時間かもしれない。そうこうしていると湊士と同じ制服の生徒がちらほら現れ始めた。
(ど、どうしよう。何も考えられない)
 すると一人の男性と視線が合う。それは紛れもなく、湊士だった。
(とりあえず声をかけないと!)
 そう思ったはいいが、思ったより委縮して声が小さくなってしまった。
(あわわ……、あと勝手に使ったこと謝らないと!)
 そう思い、ガバっと頭を下げ謝り倒す。
 その後のことはテンパりすぎて何も覚えていなかった。せっかく一緒に帰れるというのに、沙耶から言われた「告白」が頭をぐるぐる回り、何も話せなかった。
 そうしてなにも進展することがないまま帰宅した。
 家に着いたあと、ようやく我に返った美白は自分の部屋で悶々としていた。
「なんにも話せなかったー! 変な子だって思われてないかなー……」
 めちゃくちゃテンションが下がり、携帯で沙耶に連絡する。
「ヘタレ」
「そんなこと言わないでよぅ……」
 沙耶の容赦のない言葉にさらにへこむ美白。
「まあ、明日傘返すときに挽回するしかないよね」
「うん……」
 そう言って電話を切った。
 それでも自分に自信が持てない美白は、ため息交じりにベッドで横になるのだった。
 翌朝、いつもの7時16分。湊士に声をかける。
 二人ともぎこちなかったが、湊士が空気を変えてくれたたため、最後はいつもどおり話すことができた。
「で、名前くらいは伝えたのよね?」
「ごめんなさい……」
 その後、学校で沙耶に事の顛末を報告をしたら呆れられた。
「はあ……。ま、よかったんじゃない?」
「なんで?」
「だって変な空気は切り替えられたんでしょ? 明日から普通に挨拶とかすれば?」
「それは無理」
「は?」
 即答した美白に対し、沙耶は疑問を呈していた。
「だって電車内だし。うるさいと他の人に迷惑でしょ?」
「はあ……。しゃべるくらいいいでしょ」
「だーめ」
「まったく、この子は……」
 これは美白にとっても譲れなかった。話しこむと絶対にテンションが上がる。でも、場所が電車内でしか会いえないため、マナーを守ることにした。でも、会釈くらいなら大丈夫だと思い、明日から交流できたらいいなと思う美白であった。
 7月(湊士パート)
 いつもの電車内であるポスターを見つける。それは湊士の学校の近くで8月に祭りがあるというものだ。
(彼女を誘えたらなあ……。でもなあ……)
 初めて会話した梅雨の時期から1か月。あれから電車内で目線を合わせて会釈こそするが会話は全くなかった。
(嫌われてはないと思うけど……。もしかして、異性として眼中にない!?)
 そう思うと誘うのが途端に怖くなった。断られたら今の関係が壊れそうで嫌だった。
「はあ……」
 思わずため息が出る。
 ここ最近バスケの練習にも身が入っていない。これではダメだと思いながらも、頭の中では、どうやって美白との距離を縮めるかしかなかった。
 ここ最近、学校でも友人二人がポンコツではなくチキンと煽ってくるようになった。
「ようチキン」
「それやめろ。マジで」
「だったらせめて名前くらい聞いて来い」
「ぐぬぬ……」
「おっすー、野郎どもー」
「よお藤宮」
「ちっすー、藤宮―」
「…………」
 昴は、登場するなり二人を見比べた。
「……? どったの?」
「あ、うん……。ちょっとね……」
「?」
 湊士と凌悟は顔を見合わせて首を傾げた。そして昴からある要求をされる。
「ねえ、平賀くん」
「なに?」
「畠山くんのこと呼んでみて」
「は?」
「いいから」
 わけがわからなかったが、とりあえず従っておくことにする。
「おい凌悟」
「なんだチキン」
「よーしケンカだな。買うぜ? ただしバスケでな!」
「チッ」
「おやおや~? 伸び悩んでる俺に勝てない凌悟くんどったのかな~?」
「うっぜえ」
「そうよね」
「? なにが?」
 いきなり会話に入り込み、勝手に納得する昴。
「平賀くんは畠山くんを名前で呼ぶわよね?」
「そりゃ、おな中だし」
「そうよね。でさ、もうそろそろいいんじゃないかなって」
「だからなにが?」
「あたしも二人を名前で呼びたい」
 ポカンとする湊士と凌悟。何言ってんだと言わんばかりに湊士が口を開く。
「いや、普通に呼べばいいじゃん? 俺ら嫌だって言わねえし」
「そうだな」
「そうなんだ。いや、こういうのってさ。タイミングわかんなくて」
「あー、確かに」
「ん、まあ、そうだな」
「でしょ? で、もう夏だしいいかなって」
 別に呼ばれて困ることもなかったので、湊士は快諾する。
「別にいいぞ。じゃあ俺らも昴って呼んでいいか?」
 そう言うと、昴はぱあっと表情を明るくして喜んだ。
「もちろん!」
「そんな喜ぶことか?」
「だって二人は最初から名前呼びだったじゃん? 実はずっとハブられてる気がしててどうしようって思ってったの」
「そうだったのか。わりいな。気付けなくって」
「いいわよ。そんなの言われなきゃわかんないでしょ」
「確かに」
 これまで昴とは良好な関係だったと振り返る湊士。しかし、今にして思えば、もっと踏み込んでツッコミを入れたりしていい場面があったことを思い出す。今回で言えば湊士のチキンいじりなどがそうだ。
「言わなきゃわからない、か」
「? なにかあったの?」
「あ、いやー、夏祭りがなあ……」
 その言葉で察してくれたのか、相談に乗ってくれた。
「そうねえ……。誘っていいんじゃない? って言いたいところだけど……」
「ん? どした?」
 歯切れの悪い昴に、何かあるのかと聞いてみる。
「なんていうか……。それって完全にデートじゃん? よっ友クラスの人と二人きりって難しいと思うの」
「だよなあ……」
「それともう一つ」
「なに?」
 ちょっと恥ずかしそうにしながら、昴は自分の要求を申し出る。
「あたしたち、一応友人だと思うのよ」
「一応どころか親友だと思ってるぞ」
「ありがと。そう思うのなら、あたしたちとも一つくらい思い出があってもいいと思うの」
「あー、そうだなー。……あー、なるほど」
 湊士が昴の言いたいことに気付く。それは凌悟も同じようだった。
「つまりこの3人で夏祭りに行きたいと?」
「まあ、そういうこと。……どう?」
 昴に言われ、二人は顔を見合わせる。特にバスケ部員で行こうという話はなかった。なので断る理由もなし。
「いいぜ。友人同士で思い出作りといきますか!」
「ありがと!」
 昴はかなりテンションを上げていた。その様子を見て、湊士は嬉しかった。いつも相談に乗ってもらってばかりで、なにか恩返しできないかと常々思っていたからだ。
 とはいえやはり電車に乗るたびに、正確に言うなら美白を見るたびにやっぱり一緒に行きたいという欲求に駆られる。そんなある日、車椅子のお婆さんが電車に乗ってきた。湊士は自分のスペースが一番おさまりがいいかなと考え、場所を譲ろうとした。
「お婆さん、ここどうぞ」
「あら、ありがとね」
「いえいえ」
 そう言ってお婆さんは車輪を器用に回して湊士が立っていた場所に移動する。
「どこまで行くんですか?」
「いやね。うちの庭でこけちゃって。足のけがを診てもらいに病院へ行くのよ」
 車椅子でこける? とどういう状況かわからない湊士に、お婆さんは付け加える。
「ああ、最近こけたわけじゃないの。半年前にこけた怪我の具合を診てもらいにね。この年になると怪我の治りが遅くてねえ」
「ああ、なるほど」
 湊士は納得した。しかし、付き人が一人もいないのが気になった。
「あの、お婆さん一人ですか?」
「そうよ。でも、今日転院してね。初めて行く病院だから地図を見ないと迷子になりそうだわ」
 それを聞いて湊士は少し考える。そしてある提案を申し出た。
「あの、よかったら俺が病院まで送りましょうか?」
 お婆さんは驚いた表情をしたが、笑って断った。
「いいのよ。学校があるでしょ?」
「1回くらい遅刻してもいいですよ。お婆さんも1回病院に行けば次から場所わかるでしょ?」
「でもねえ……」
 お婆さんが自分のせいで学生を連れ回すことに抵抗を感じており、なかなか承諾してくれない。
 もちろん、湊士は絶対についていきたいわけじゃない。単純に困っている人を放っておけないだけだった。そんな湊士の姿を見たからなのか、美白も援護してくれる。
「あの、私は生徒会に所属しているので、病院から学校側に連絡を入れれば学校も許してくれると思いますので、大丈夫ですよ」
 お婆さんもそうだが、湊士も美白が付いてきてくれることに驚いていた。
 結果、お婆さんは若者二人の情熱に押され、助けてもらうことに決めたようだった。
「悪いわねえ。じゃあ、お願いしようかしら」
「はい!」
 そうして3人は病院を目指した。
 その間に、二人はお婆さんからいろいろ身の上話を聞かされた。息子がいるが、仕事で付き添いは無理なこと。孫はちょうど湊士たちと同い年くらいなので学校へ行っていること。
 車椅子は湊士が押し、美白がスマホでナビしてくれる形で賑やかに病院を目指した。
 その間、美白はちょうどいいところで相槌を打ったり、時折質問してみたりと、かなりの聞き上手であることがわかった。
 そうこうしていると、あっという間に病院へ到着した。
「ありがとね。おかげで助かったわ」
「いえいえ」
「それじゃあね」
 そう言ってお婆さんは病院へ入っていった。
「あの、私も病院から学校側に連絡を入れるんですけど……。平賀くんはどうします?」
「ああ、俺も連絡入れとこうかな」
「じゃあ、行きましょうか」
 そうして二人も病院の受付に説明し、学校に連絡を入れてもらえることになった。
「じゃあ、重役出勤といきますか」
「ふふっ、そうですね」
 帰りは前の時とは違い、いろんな話が弾んだ。
 バスケ部のこと。学校のこと。そして夏祭りの話題が出る。
「そういえば今度の夏祭り、君は行くの?」
「うん。友達と一緒に」
「そっか」
 いっしょに行けなくて残念、と思ったが恋人と一緒じゃないというだけで元気が出た。
 こんなに話したのは初めてで、今なら名前を聞けるんじゃないかと思ったが、それはそれでナンパみたいで嫌だと湊士は思った。
「平賀くんは?」
「え?」
「夏祭り。誰かといくの?」
「ああ、俺も友人と」
「そうなんだ」
 湊士は、気のせいかと思ったが、美白がどこか嬉しそうにしていると感じていた。
そうして二人は学校へ向かう。電車内では、さっきまでいろいろ話していたのが嘘のように美白は黙ってしまった。しかし、湊士は気まずいとは思わなかった。というか、湊士にも美白のことが少しわかるようになった。だから電車内のマナーに気を使っていると察して、掃除もそれに習った。
湊士が電車を降りるとき、美白に会釈する。美白も同じように返してくれたとき、「ああ、やっぱり」と湊士は思った。
「で、結局チキって名前は聞けずじまいと」
「ちきたんんじゃないですぅー。モラルを持ってこうどうしただけですぅー」
 案の定、凌悟が茶化してきた。昴もあきれ果てて頭を抱えていた。
「てかさ。向こうが友達と夏祭りに行くならあたしたちと一緒でいいじゃん。なんで誘わなかったの?」
 昴の質問に、湊士は当たり前のように答える。
「だって今回は俺らの思い出作りだろ? だから今回は俺らだけ。彼女とて例外じゃない」
「ふーん。あたしに気を使ってくれたんだ?」
「そういうわけじゃないけどさ」
「まあいいわ。一応お礼言っとく。ありがと」
「別にいいけど。どういたしまして」
 そんなやりとりを見て、凌悟がボソッと呟く。
「ほんと、お前は一手先を行くな」
「ん? なんか言った」
「いーや、なにも」
 湊士は何だろうと思ったが、凌悟なら言いたいことがあるなら言うだろうと思い、気にしないことにした。
「そういえば平賀くん――じゃなかった。湊士さ」
「なんじゃらほい」
 そこで湊士はあることに気付く。
「あれ?」
「どうしたの?」
「今日病院行ったときさ。彼女と一緒だったんだけど」
「知ってる」
「でさ、確か平賀くんって呼ばれたような……」
「気のせいじゃない? だって教えてないんでしょ?」
「そうなんだよな……。やっぱり気のせいか」
 しかし、湊士が美白との会話を忘れるわけがなかった。なぜ自分の名前を知っていたのか。気になるが、あまり詮索すると失礼かと思い、気のせいということにしておくのだった。
7月(美白パート)
 学校にて、沙耶は美白にとあるポスターを見せてきた。
 それは夏祭りの内容で、8月にあるという。
「で、一緒に行かない?」
「もちろんいいよ」
「やった! 浴衣着ていこうね」
「はいはい」
 美白は内心、湊士と行きたかった。しかし、自分から誘う勇気があるわけもなく、悶々とするだけだった。
「みしろんの言いたいこともわかるけど、祭りで偶然一緒になるかもしれないじゃん」
「私、何も言ってないんだけど」
「そんなの、顔見ればわかるって」
「……私ってそんなにわかりやすい?」
「うーん、こればっかりは付き合いの長さかなあ」
 その言葉に胸を撫でおろす美白。わかりやすいなら自分の好意が湊士にバレているかもしれないからだ。
 こうして美白は沙耶と一緒に行くこととなった。
 だが、翌日後悔することとなる。
 湊士はとあるお婆さんを助け、病院に行った。美白も一緒についていき、帰りに夏祭りの話題が出た。
「そういえば今度の夏祭り、君は行くの?」
「うん。友達と一緒に」
 もし、沙耶が誘ってくれたのが1日ずれていたなら湊士と一緒に夏祭りに行けたのだろうか?
 今からでも、自分たちと湊士の友人とで一緒に行かないかと誘えないだろうか?
 しかし、美白には勇気が足りなかった。結局祭りに誘うことなく別れることに。
 学校にて、そのことを沙耶に打ち明けた。
「あちゃー。ごめんね。タイミング悪かったね」
「沙耶ちゃんのせいじゃないよ」
「って言われてもなあ……」
 沙耶は心底申し訳なさそうにしていた。
 美白も、あまり気にしすぎないようにしてほしくてフォローする。
「沙耶ちゃんも言ったとおり、偶然会えるかもだし、しっかりお洒落していこ?」
「みしろん……。なんていい子なんだぁ~」
「うわあ! 急に抱き着かないで!」
 どうかいい思い出になりますように。そう願う美白であった。
8月(湊士パート)
 夏祭り当日。
 湊士は待ち合わせ場所へ向かった。そこにはすでに、二人の姿があった。
「遅―い」
「まったくだ。5分遅刻だぞ」
「わりい! お、昴浴衣似合ってんじゃん」
「でしょでしょ~。もっと褒めていいのよ?」
「じゃあ行くか!」
「おい」
 こうして騒がしい会場へ向かうことにした。
「スゲーな。俺、ここ始めてきたけど規模結構大きいな」
「ふふん。ここはあたしにまかせなさーい。花火も後で上がるはずだよ。絶好の隠れスポット知ってるんだ」
「なにその恋愛マンガあるあるみたいなの」
「あるんだからいいじゃん! あ、ほらチョコバナナ食べよ!」
 今日の昴はいつもの感じより幼さがあった。というのも、普段はややクール気味だが、今日ははしゃぎまくっている。まるで子どものように。
「意外だよな」
「ああ、そうだな」
 その雰囲気は凌悟も感じ取っているらしく、少し驚いていた。
「ま、昴から行きたいって言ってた祭りだもんな。せかっくだししっかり楽しもうぜ」
「ああ」
 その後、昴に連れられていろんな場所を巡った。
 特に射的では、絶対特賞のぬいぐるみが欲しいと息巻いていたが、結果は撃沈。
「仇とって」
 やたら凄みを見せる昴に押される形で強制参加させられる二人。
「はあ、まあ、やるだけやってみるか」
 湊士は銃を構えてポンッとコルクを打つ。しかし、ぬいぐるみはゆらゆら揺れるだけで落ちることはなかった。
「こりゃ無理かなあ」
 湊士が音を上げると、凌悟が腕まくりをする。
「俺に任せろ」
 そう言うと、凌悟は万札を店に渡した。
「おいおい、いいのか、そんなに使って」
「これくらい気合入れなきゃ取れねえよ」
「かっくいー。頑張れー」
「凌悟、しっかり!」
 凌悟は不敵に笑うと、コルク銃を何十発も打ち込む。少しずつだがぬいぐるみは押し込まれ、数の暴力により見事ぬいぐるみをゲットした。
「スゲー。マジで取りやがった」
「ほらよ」
 そう言って凌悟はぬいぐるみを昴に渡そうとした。
「いや、さすがに悪いって。結構使っちゃったでしょ?」
「男がぬいぐるみ持っててもしょうがないだろ」
「うーん。そこまで言うなら貰っちゃおうかな」
「そうしてくれ」
 とはいえ、ぬいぐるみは結構大きく、昴に持たせておくと邪魔だろうということで、帰るまで凌悟が持つことにした。
「ごめんね。荷物持ちみたいなことさせて」
「構わんさ」
「さすが、バスケで鍛えてるだけあるねー」
「てめえ、嫌味か? 俺が勝てないからって調子に乗るなよ」
「別に1on1勝てても試合で勝てなきゃ意味ねえよ。個人技なんて、限界があるさ」
「つってもないよりマシだろ?」
「そうだけどさあ……。凌悟には凌悟のいいところあるんだから、そうひねなくてもよくね?」
「俺のいいところって?」
「背が高い。俺より筋肉がある。あと優しい」
「なんだよ。持ち上げてもなんも出ねえぞ」
 凌悟がいい気分になったところで、湊士はさらに持ち上げる。
「あと勉強ができる」
「…………2学期は自力で何とかしろよ」
「そんなこと言わずに頼みますよ、凌悟センセー」
「ったく。仕方ねえなあ」
 湊士はいい意味でも悪い意味でもバスケ馬鹿である。たゆまぬ努力のおかげで、広い視野、咄嗟の判断力でチームのスコアラーになっている。
 そして朝練までこなす代わりに、授業をしばしば眠ってしまいがちだ。そのためいつも赤点ギリギリ。テストでは凌悟や昴に助けてもらっていた。
 湊士にとって、凌悟は頼れる兄貴分でもあった。
「さて、そろそろ花火か?」
「うん、そうだね。じゃあ秘密の場所へご案なーい」
 そう言って歩き出した昴は、いきなりその場でこけてしまう。
「おい、大丈夫か?」
「いてて……。うん、へーきだよ……っ!」
 立ち上がろうとすると、昴の顔が苦痛に歪む。
「ちょっと見るぞ」
 湊士は昴の足を確認する。すると少し腫れていた。さらに下駄の鼻緒が切れていることも確認できた。
「立てそうか?」
「んー、ちょっときつそう……」
 昴は片足立ちする。もちろん、それで歩けるはずもない。
「しゃーねえなあ」
「え、何する気? ってひゃあ!」
 湊士は昴をお姫様抱っこした。
「え、ちょちょちょ! 恥ずかしいんだけど!」
「文句言うな。歩けねえだろ」
「だからってこれは……」
「んなこと言ったって、おんぶだと浴衣着てるとヤバいだろ」
「だからデリカシー!」
 昴は湊士の腕の中で暴れるが、足が痛むのか手だけで抵抗してきた。
「下駄は持ってろよ」
「う、うん……」
「花火どころじゃねえな……。帰るぞ」
「え? せっかく来たのに……」
「んなこと言ってる場合か。悪化したらどうする」
「うん……」
「凌悟! 先を歩いて道作ってくれ!」
「ああ……」
 元気のない凌悟に気付かないまま、湊士は昴に声をかける。痛みはどうか、抱っこされて痛いところはないか気遣っていた。
「ほんと、1歩先を行くよ。お前は」
 凌悟の言葉は雑踏に消える。
 湊士は帰る際、ずっと昴を気にかけていた。
「おい、顔赤いぞ。大丈夫か?」
「だ、大丈夫だって……」
 こうして夏祭りは消化不良で終わってしまった。
 時期が夏休みということもあり、次に昴と会うのは、夏休みが明けてからだった。
 そしてこのころから昴の様子がおかしくなるのだが、湊士はそれどころではなかった。
8月(美白パート)
 夏祭り当日。
 美白は沙耶と一緒に着付けをしていた。
 親に無理を言って新しい浴衣を買ってもらい、気分は絶好調だった。
「やっぱみしろんはかわいいなー」
「そんなことないよ。沙耶ちゃんだってかわいいよ」
「いやー、みしろんには負けますぜい」
「なにそのキャラ」
 女子二人がキャッキャッと談笑していた。
 沙耶は赤を基調した金色の金魚が目立つ派手な衣装。一方美白は、白を基調としてひまわりがアクセントになった衣装だった。
「じゃ、行きますか」
「うん」
 今いるのは美白の家だった。美白の母親に着付けてもらい、その足でお祭りまで行く予定だ。
 電車はかなり混んでいた。女性は半数が浴衣を着ていて、目的地は同じだとわかる。
 電車内でこれだと、湊士に会うのは絶望的だろう。
 そんな考えを見通されたのか、沙耶が美白の肩を叩く。
「ほら、せっかくのお祭りなんだし、楽しも?」
「う、うん。ごめんね」
「いいよ」
 こうして祭りの最寄り駅で降車する。
 駅の前ですら、すでに人混みでいっぱいだ。
「ほら、手掴んで。はぐれちゃうよ」
「ありがと、沙耶ちゃん」
 美白はもちろんのこと、沙耶もかなりかわいい、というより美人であり、かつおめかししていることもあって周りの注目を集めていた。
「さすがみしろん。めっちゃ見られてるよ」
「そ、そうだね……。ちょっと怖いかな……」
 美白の不安を感じ取ったのか、沙耶は美白の手をぎゅっと握る。
「大丈夫! あたしが守るから」
「沙耶ちゃん……。ありがと」
 美白に笑顔が戻り、沙耶も一安心する。
「なんならあたしに惚れてもいいよ。あいつからあたしに乗り換えない?」
「もー、冗談ばっかり言って」
「半分本気だよー。みしろんにあいつはもったいないんだよなー」
「そんなことないよ。平賀くん、優しいよ?」
「あたしは?」
「沙耶ちゃんも優しい」
 にへへと笑う美白に、沙耶は強く言えなかった。
「まあ、あたしは名前呼びだし、許す!」
「名前かー。確か湊士くん、だっけ」
「よく覚えてんね」
「まあ、うん」
「はあ……。それだけ好きってことか」
「もう! 茶化さないで!」
「ごめんて」
 女子二人、姦しくしているとガラの悪そうな男性3人が美白たちの前に立ちふさがった。
「よお彼女。俺らと遊ばねえ?」
「お呼びじゃないんで。行くよ、みしろん」
「う、うん」
 そう言って通り過ぎようとしても、壁のように邪魔してくる。
「まあそう言うなって」
「うっざ。早く消えてくんない?」
「おー、怖え怖え」
 男は口では怖いと言いながらも、表情はニヤニヤと笑っていた。こういう時、他人というのは非情で確実に見えているのに誰も助けてくれない。みんな視線を外し、関係ないとばかりに去って行ってしまう。
「なあ、いいだろ? 遊ぼうぜ」
 そう言って男の手は美白に伸びていく。そして――
 次の瞬間には男は宙を舞っていた。
「ぐへっ!」
 地面に叩きつけられて気絶したようだ。
「な、なにしやがるテメエ!」
 他の二人も沙耶に襲い掛かる。しかし、
「遅いって」
 沙耶は軽々と他二人も同じようにあしらってしまう。
「な、なんだ……。こいつ……」
「さすが沙耶ちゃんだね」
「だから言ったでしょ? ここにいないあいつよりあたしの方がみしろんを守れるよ」
「そ、それとこれとは話が違うから……」
「そんなー。かっこいいところ見せれたんだけどなー」
 何とか意識のある男がフラフラになりながら怒鳴り散らしてくる。
「な、なにもんだ?」
「見てのとおり、ただの女子高生よ。ちょーっと合気道かじってるけど」
「あ、合気道、だと?」
「そ、これ以上痛い目見たくなきゃ消えたほうが身のためだよ? あたしまだ本気出してないし」
 沙耶は余裕の笑みを見せると、男は捨て台詞を吐いて逃げていった。
「大したことないわね」
 その瞬間、周りから歓声が上がる。
「大丈夫かい? ごめんな。怖くって助けられなくて」
「いえいえ~。大丈夫ですよ~」
 見知らぬ人から謝られるが、沙耶はまったく気にしていなかった。
「ほら、行こ?」
「う、うん」
 沙耶は再び美白の手を取り、祭り会場を目指す。
「ほんと、口ばっかりのやつしかいなくて反吐が出るわ」
「沙耶ちゃん……。そんな言い方しなくても……」
「だってそうでしょ? 結局誰も助けてくれない。自分を守るのは自分自身だよ。どうせあいつがいたってみしろんを守れたりしないんだ」
「そんなことないよ」
「どうしてそう言い切れるの!?」
 沙耶の言葉が、つい強くなる。
 悪いと思ったのか、しゅんと大人しくなり、謝ってくる。
「…………ごめん」
「いいよ。沙耶ちゃんも昔、大変だったもんね」
 沙耶は小学生のころ、いじめられていた。男勝りな性格で、男子から男女と呼ばれ上履きやノートなど隠されたりしていた。同じ女子も、自分がターゲットにされたくないからか、誰も手を差し伸べる者はいなかった。
 だから強くなろうと考えた。誰にも頼らず、自分だけで全て解決できるように。
 そうして中学生になり、美白と出会った。
 最初は美白のことも避けていた。どうせ裏切られる。自分は一人でいいと思っていた。
 小学生高学年の時には、男子相手に返り討ちにするほど強くなっていたせいで、中学でも嫌な噂が一人歩きした。曰く、暴力的で素行に問題があると。
 美白への評価が変わったのは家庭科の授業だった。
 グループで浮いていた沙耶に、美白は手を差し伸べた。当然、その手を取らなかった。
 周りも美白に、沙耶には関わるなと忠告した。しかし、
「沙耶ちゃん、別に何もしてないのに悪く言うのは良くないよ」
 初めてだった。誰もが貼られたレッテルを鵜呑みにして距離を置いていたのに、美白だけがレッテルではなく、沙耶本人と向き合ったのだ。それから沙耶は考えが変わった。世の中は腐っているが、そんな中でも輝いているものはあるのだと。それを守るのが、自分の役目だと、いつしか美白に心を許した。
 だからこそ許せない。肝心な時にいないあいつが。だったら自分が守ろう。今までも。これからも。
 それでも、自分が心を許した人は、大丈夫だといってあいつを庇う。
 ぶっちゃけただの嫉妬だってことはわかってる。わかってても、心がどうしようもなく受け入れられないことが、世の中にはあるのだ。
「どうして平賀くんのことが気になったのか、最近分かった気がするんだ」
「…………なんでなの?」
 美白は笑顔で沙耶を指さした。
「だってあの人、沙耶ちゃんと同じ優しい目をしてたから」
「――」
 そんなこと言われたら、あいつを否定したら美白が見てる自分も否定することになる。それは嫌だ。
「……はあ。あたしの負け」
「なにに?」
「美白の人を見る目が間違ってないって、あたしは信じたい。だから、あいつについて先入観でものを言うの、やめるよ」
「うん。ありがと」
「でも、ちょっとでもふさわしくないって思ったら絶対あいつを許さないから」
「それでいいよ」
 美白は苦笑いしながら、今度は沙耶の手を引く。
「行こ? せっかくのお祭り、楽しまなくちゃ」
「そうだね。行こう」
 こうして二人は祭りに繰り出した。
 その後はさっきのことを忘れる勢いで遊び倒した。
 花火まで少し時間がある。その間、クレープを食べたりヨーヨーすくいなどして楽しんだ。
 そろそろ花火の時間になろうとしていた。後は花火を見て楽しい思い出になるはず、だった。
「あれ? あそこにいるのって、あいつじゃない?」
「え?」
 まさか本当に会えるとは思っておらず、驚きながらも沙耶が指さす先を見つめる。そこには昴をお姫様抱っこしている湊士の姿があった。
「…………」
 美白はなにも声を発せずに、息を飲み込んだ。
 わざわざあんなことをするのだから、きっと訳がある。そう自分に言い聞かせるが、女性の少し嬉しそうな表情を見て、思考が停止する。
「みしろん? 大丈夫?」
「…………え? あ、うん。大丈夫……。大丈夫……」
 全然大丈夫ではなかった。完全にパニックになり、その場から動けない。
「あれって……やっぱ彼女さん、なのかな」
 沙耶の『彼女』という言葉に胸がズキンと痛む。
 多少は覚悟していた。
 湊士は人柄がいいため、彼女がいても不思議ではないと。しかし、実際に見せつけられると、心がぐちゃぐちゃになる。
「ちょっとみしろん! 顔真っ青だよ!?」
 沙耶に肩を掴まれるが、意識が朦朧とする。
「帰ろ? 帰ってゆっくりしたほうがいいよ」
「…………うん。そう、する」
 沙耶は肩を貸して美白を家まで送り届けた。
 沙耶も家に帰ると、スマホのメッセージアプリで『大丈夫?』と聞いた。しかし、その返信がくることはなかった。
 9月(湊士パート)
 ようやく長い夏休みも終わり、学校が再開する。
 それはつまり、また美白に会える日々が始まるということだ。
 時刻は7時16分。
 いつもの時間に1番ホームへ行き、電車に乗り込む。
いつもの日常。いつもの指定席。
しかし、美白の様子だけが何かおかしかった。いつも笑顔で会釈してくれた美白は、ボーっと外を眺めていた。なんというか、意識して湊士を避けている気さえする。
声をかけようか考えたが、彼女のポリシーに反するのでやめておいた。
学校に着き、早速二人に相談してみる。
「――ってことなんだけど。どうしたと思う?」
「うーん。彼氏ができたとか?」
「ぐはあ!」
 湊士の心に大ダメージ。だが、湊士とて考えなかったわけじゃなかった。
 あれだけいい子なのだ。彼氏がいてもおかしくない。
「彼氏、かあ……」
「なんで昴も上の空?」
「え? あ、いや! なんでもない!」
 美白だけでなく、昴の様子もおかしかった。なんというか、湊士に対し、よそよそしい。
「なー、やっぱ女子目線でも彼氏だと思う?」
「…………」
「おーい。すばるーん」
「……はっ! なに?」
 湊士はため息をつきながら昴を小突く。
「おいおい頼むぜ。昴までポンコツになったら俺らただの3馬鹿じゃねえか」
「おい。俺を勝手に馬鹿の仲間にするな」
「残念だったな。もう遅いぜ。この前現国の先生が俺を注意したとき、『うるさいぞ3馬鹿!』って言っただろうが」
「そうだった……。マジで不名誉なんだが?」
 こんな馬鹿な話をしても、昴は全く突っ込まなかった。
「はあ……。今日は相談無理っぽいな。また明日頼むわ」
「…………そうだな」
 夏は人を変えるというが、変わり方がおかしい二人。湊士は女性にしかない悩みなのかな? と疑問符を頭に浮かべるのだった。
9月(美白パート)
 9月は学校が再開する。
 しかし全く気が進まない。
 いっそずる休みしたらいいのに、それはダメだという真面目っぷりに、自分自身が嫌になる。
 7時16分の電車に乗り込む。いつもの場所には湊士がいる。
 いつもなら胸がドキドキして嬉しさで溢れるのだが、そんな気持ちは湧いてこない。
(平賀くんには彼女さんがいるんだから身を引かなきゃ)
 そういう想いから、美白は湊士を見ることはできなかった。
 学校に着くと、沙耶が心配してくれた。
「大丈夫……な訳ないか」
「自分でもびっくりだよ。こんなに胸のあたりが空っぽに感じたこと、ないから」
「なにかあったら、あたしを頼ってね」
「うん。ありがと」
 明らかな作り笑いで返事する。それが沙耶にも伝わっていて、友人を苦しめていることに、余計に自分は自分を許せない悪循環に陥っていた。
(ダメダメ! なにか楽しいこと、考えないと!)
 そう思っても、思い出されるのは湊士がやっていたお姫様抱っこのことだった。
(いいなあ、お姫様抱っこ。私もされてみたいなあ……)
 そんな想いが膨らんでいき、いつしか妄想に耽るようになった。
「美白。一緒に花火を見よう」
 湊士は美白をお姫様抱っこしながら、高台へ登っていく。
「どこへ行くの?」
「絶景スポットさ。足場が悪いから、我慢してくれよ?」
「我慢だなんて……。むしろ嬉しい」
「そう? ならよかった」
 そして花火が打ち上げられる。
「きれいだね」
「そうだね。でも――」
 湊士はグイっと美白に顔を近づけて今にもキスしそうな距離で囁く。
「美白の方が、もっときれいだよ」
「えっ……」
 そしてそのまま口づけを――
「それはまだ早いですぅぅぅぅ!!!」
「ど、どうしましたか? 白雪さん?」
「ほへ?」
 どうやら英語の授業中のようだった。夢の終わりを迎え、現実に引き戻される。
「大丈夫ですか?」
「あのー、ちょっと保健室に行ってもいいですか?」
「わかりました。保健委員は誰でしたか?」
「あ、あたしです」
 沙耶が挙手する。
「なら一緒について行ってあげてください」
「はーい」
 沙耶は美白の手を取り、保健室へと向かった。
 美白をベッドに寝かせると、沙耶は早速事情を聞く。
「みしろん、なにがあったの?」
「うぅ……。言えない」
「あたしは心配だよ。ついに狂っちゃったのかなって思って」
「そ、それは大丈夫。ちょっと元気出しただけ」
「ならいいけど……。無理してない?」
「うん」
「ほんとに?」
「大丈夫。でもちょっと寝るね」
「わかった。じゃああたしは戻るから、何かあったら言ってね」
「うん」
 そう言って沙耶は教室へ戻っていった。
 まさか言えるわけがなかった。
 いろんなシチュエーションで湊士に砂糖を吐くようなセリフを言わせてへらへら笑っているなどと。
「やっぱり諦めきれないよね」
 ベッドの中で決心する。
「平賀くんに本当に彼女さんがいるのか、確かめてからでも泣くのは遅くないよね」
 そう独り言を言って、元気をひねり出した。