7時16分、1番ホームにて

 雪がちらつく曇り空。
 平賀湊士はいつもの通学のために、7時16分の電車に乗り込む。
 指定席のように手すりの部分にもたれかかり、外を覗き込む。向こう側のホームの人たちも寒そうに肩を震わせている。久しぶりの雪だからだろうか。今日は特に冷える。
 手はかじかみ、指先が冷たかったが電車内の熱気により、段々と感覚を取り戻していく。
 いつものOLとその部下らしい男性もどこかそわそわしている。かく言う湊士も隣の手すりをちらっと見る。そこにはかわいい女の子が佇んでいた。ちょこんと佇んでいるが、姿勢がよく育ちがいいことが窺える。
 名前は知らない。なぜなら学校が違うからだ。湊士が通っている高校とは違う制服。冬服がよく似合っており、紺のブレザーに赤いリボン。そしてチェック柄の少し短いスカートに長めのニーソックス。首にはリボンと同じ赤いマフラーが巻かれていた。
 思うのだが、女子というのはそんなにスカートを短くして寒くないのだろうか? そう思わずにはいられないのが思春期の男子の思考、つまり湊士である。彼女は寒そうに手を息で温めていた。そこから見える細い指先。思わずゴクリと生唾を飲む。
(おっとっと)
 あまりじろじろ見ては変に思われると考え、また外を覗く。相変わらず外は雪がちらほら舞っていた。
 さっき彼女を見たとき、心なしか周りと同様そわそわしていたように思える。
 それもそのはず、今日はバレンタインデーだ。
 きっとあっちのOLも、男性にチョコを渡すタイミングを計っているのだろう。だとすると、彼女もだれかにチョコを渡すのだろうか。そう思うと、湊士の胸はキュッと締め付けられるように痛みを感じる。
 なぜなら湊士は、名前も知らない彼女に約1年もの間片思いをしているからだ。
 初めて彼女と出会ったときのことを今でも鮮明に思い出せる。
 それくらい好きならいっそ告白しようとも思ったが、知らない男性からいきなり告白されても怖がらせるだけだろうと思い、実行には至っていない。
 いや、それも湊士の言い訳だろう。好きなら行動すべきなのだ。相手に嫌われたら電車の時間を変えればいいだけ。それだけでもう関わることなど無いのだから。
 そんな臆病な自分に腹が立っていた。同時に嫉妬した。名前もわからない、おそらく彼氏相手だろう。にチョコを渡す。彼女は嬉しそうに笑うだろう。その彼氏も。
 そんな妄想を繰り返しては、湊士は悶々と心を痛めていた。
 そんなことを考えていると、もうすぐ自分の降りる駅に到着しようとする。彼女はもう少し先の駅で降りるらしく、ここでお別れだ。そう、思っていた。
「あの、すみません……」
 溶けそうな雪のように儚い声が聞こえた。
 この声を、湊士は知っている。過去に少しだけ聞いたことのある声。それは他ならぬ、彼女の声だった。
 彼女は顔を真っ赤にして顔を反らして、しかし体はしっかりと湊士の方へ向けていた。その手にはかわいらしいラッピングされた小袋。
 まさか、と湊士は思った。そして、それはそのまさかだった。
「これ、受け取ってください……」
 差し出された小袋。今日がなんの日かを考えると、答えは一つしかなかった。
「お、俺に?」
 信じられない、という表情で尋ねる湊士。彼女はただ、コクンと頷いた。
「あ、ありがとう……」
 もっと言いたいことは山ほどあった。でも、上手く言語化できない。
「あの……。電車、出ちゃいますよ?」
 言われて湊士は我に返る。いつの間にか自分の降りる駅に到着し、出発する電子音が鳴り響いていた。慌てて降りようとする湊士。電車から降りると、ドアが閉まる。湊士は振り返って彼女を見る。そして、
「返事、絶対するから!」
 ドア越しで湊士の声が聞こえたかわからないまま、電車はゆっくりと動き出し、やがて速度を上げてホームから去っていった。
 湊士は小袋に貼りつけられた手紙に気が付く。中を読むと、
『ずっと気になっていました。好きです。付き合ってください。お返事はホワイトデーに。――白雪美白』
 そう綴られていた。
「白雪……美白、さん。それが彼女の名前か……」
 初めて知った名前。ずっと気になっていた相手。その彼女から、同じく気になっていたと言ってくれた。
「っしゃああああああ!」
 湊士は他に人がいるにもかかわらず、手を振り上げガッツポーズする。
 周りが何事かと湊士を見るが、当の本人はまったく気にしていなかった。
 そして湊士は思い出に耽っていた。それは去年の4月。美白と出会ったばかりのあの頃を――。
 4月 (湊士パート)
 7時38分、草ヶ原駅の1番ホーム。
 4月も終盤になり、湊士はバスケ部に所属し、初々しい高校生活をスタートさせていた。
 朝練のため少しだけ早めに駅へ行くことにした。
 時間ギリギリに電車に飛び込む。少し息を切らせて手すりの部分にもたれかかる。そこで彼女、白雪美白と出会った。
 美白への第一印象は、とても儚い、というものだった。吹けば飛んでしまいそうな華奢な体。それでいて放っておくと消えてしまいそうな透明な瞳。そんな彼女が隣の手すりに摑まり、外を眺めていた。
 一瞬だった。目を奪われるとはこのことで、理屈なんてなかった。かわいいとか、一緒にいると楽しそうとか、そういうなにかではなく、本能が湊士の心を動かしていた。整ってきた心臓が、またドクンと暴れ出す。湊士がじっと彼女を見つめていると、美白も湊士の方をチラっと見返してくる。
(やべっ!)
 不審に思われたくなくて、咄嗟に視線を窓の外へ向ける。気持ち悪がられていないか不安だった。しかし、彼女の方を向くこともできず、電車から降りるまで視線を向けることができなかった。
 一緒に乗っていたOLとその部下らしい男性の声が聞こえてくる。
「いい? 最初はミスもするだろうけど、私がフォローするからなんでも言いなさい。報連相は大事にね!」
「了解です!」
 湊士はその様子を見て、羨ましいと思っていた。彼女ともそんなにフランクに話させる関係だったらいいのに、と。
 そして湊士は電車を降りる。彼女はまだ残ったままだった。しばらく過ぎ去った電車を見つめる湊士。
「明日から、また会えるかな……」
 そう呟いて、湊士は学校へ向かった。
 場所は体育館。そこで湊士は朝練に励んでいる最中だった。
「なあ、聞いてくれよ! 俺、恋したかもしれねえ!」
「…………朝っぱらからなんだよ」
「おいおい凌悟さんよ。親友が恋に落ちたって言ってるんだぜ? ここは相談に乗るべきじゃあないかね?」
「うっぜ」
 湊士は中学の頃からの友人である畠山凌悟に今朝のことを話した。
「てか、『かも』とか言っといて落ちてんじゃねえか。どっちなんだよ」
「そりゃもう落ちたね! 大絶賛落下中だ!」
「そうか。そりゃよかったな。つぶれてくたばれ」
「冷たいなあ。そんなだからモテないんだぞ♪」
「ぶっ殺す」
 こんな会話も、お互い信頼し合ってるからこそだ。湊士にはわかっていた。なんだかんだ言いつつ、凌悟はいいやつで、相談に乗ってくれるということに。
「で、どうしたいんだよ?」
 やっぱりなんだかんだ言いつつ相談に乗ってくれる親友を、湊士はふへへと笑顔を作り鍛えられた胸板にすり寄る。
「キモい。相談したかったんじゃないのか?」
「するするー! いやー、凌悟のそういうところ、マジで好きだわ」
「告白する相手、間違ってるぞ」
「当然あの子も好きだけど、凌悟のことだってずっと好きなんだぜ?」
「はいはい。あざーっす」
 湊士は、にひひと笑いボールをダムッっと叩きつける。
「まあ、相談はしたいけど後でな。今は部活に集中しようぜ」
「お前から話題を振ってきたんだろうが……」
 ぼやきながらも湊士と凌悟は朝練に戻った。湊士は凌悟と1体1をすることに。さっきまでの浮かれた様子はなく、その表情は真剣そのもの。そういうところが、凌悟も気に入っていた。
 コートにバッシュの焼ける音がこだまする。
 身長は湊士より凌悟の方が頭一つ高い。バスケは基本的に、背の高い方が有利とされている。それでも湊士は持ち前の切り返しやドリブルテクで凌悟を抜き去り、シュートを放つ。ボールはザシュっという気持ちのいい音をさせてゴールをくぐる。
「一手の差だけど、俺の勝ちだな」
「チッ!」
 湊士の頭には、すでにさっきの恋うんぬんのことはきれいにすっぽ抜けていた。ただそこにいるのは純粋にバスケが好きな、ただの高校生の姿があった。
「ったく。ほんとそういうことろは尊敬するわ」
「ん? なんか言った?」
「なんも」
 そうしてあっという間に朝練の時間は終わった。
 それから着替えて、授業を受ける。しかし、湊士は完全に上の空で授業どころでがなかった。電車での出来事を思い出しては思い出し笑いをする。その度に、教師から注意されたが、湊士の頭は美白のことでいっぱいだった。
「ふーん。だから今日ずっとキモかったのね」
「ひどいな。藤宮にも見せてやりたいぜ。一目見て心奪われるなんて思いもしなかったからな」
「はー……。まあ、よかったわね」
 昼休みの教室。湊士は高校で仲良くなった藤宮昴と親友の凌悟を交えて昼飯を食べながら相談に乗ってもらっていた。
「それで? ここの学校じゃないんでしょ? どこの学校かわかるの?」
「いや、わからん。とりあえず紺のブレザーと白いチェック柄のスカートが印象的だったな」
「ああ、なら2駅先の宮ノ王高校じゃない? あそこ、制服がかわいいから女子に人気なのよね」
「へえ、そうだったのか」
 大きな情報を得て、湊士は満足げだった。
「…………わかってると思うけど、ストーカーにだけはならないでね。そんなことしたら、即絶交よ」
「わ、わかってるって……。さすがにそんなことしねーよ」
「ま、そうよね」
 さすがに湊士はそんなことしないと思ってくれているらしい。昴からさらに突っ込んだ質問をされる。
「で、具体的にどうしたいの? 告白したいの?」
「いや、いきなり告白しても相手に迷惑だろ。なんかアイデアないか?」
「うーん……」
 そこで二人とも頭を抱える。無理もない。なんせ学校が別なので情報が入ってこないのだ。加えて容姿や仕草、何が好きそうなどの印象も、会ったことのない二人には具体案が出てこない。
「とりあえず、様子見だな。今なにか行動しようとしても裏目る可能性の方が高いだろ」
「そうねえ……。そうかも。とりあえず今は耐えるべきね」
 しょうがないとはいえ、湊士のテンションは目に見えて下がっていた。
「そんな顔すんなよ。例えば夏に弱そうならスポドリでも渡せばどうだ? そこから話題を広げるとか」
「えー。どうかしらね。見知らぬ男性からいきなり飲み物渡されたらキモって思うけど」
「え、マジか……」
「頼むぜ凌悟。お前までポンコツでどうする」
「うるせえポンコツ日本代表」
「はいはいケンカしないのポンコツども。平賀くんはとりあえず何もしない。ただ、それとなく様子を見て困っていそうな雰囲気があったらそれとなく声をかけて、助けがいりそうならお手伝いするって感じでいいんじゃない?」
「困っている時か。どういう時だろ?」
「わからん!」
「おい」
 思わずツッコミを入れるが、確かにそんなことはわからない。昴の言うとおり、持久戦でいくしかないだろう。
「はあ……。前途多難だな」
「それはしょうがないんじゃない? あ、相談料は貰うからね。明日の昼食代よろ~」
「げぇ! マジかよ!?」
「当然。世の中ギブアンドテイクよ」
「あ、なら俺も」
「はぁ!? ~~あー、もう! わかったよ! いくらでも出してやらあ!」
「お、さすが。それじゃ遠慮なく」
 湊士は肩を落とすが、お金で解決できるなら安いものだと割り切る。
 それに正直、ありがたかった。対価を差し出すことで、一方的に相談に乗ってもらって申し訳ないという気持ちを少なくしてくれる友人の配慮があったからだ。この辺はさすが、友達付き合いの上手い昴だなと感心する。そして口には出さないが、湊士は心の中で二人に「ありがとう」と呟くのだった。
4月 (美白パート)
 真新しい高校生活。不安と期待が交じり合うこの時期に、白雪美白は生徒会に書記として抜擢されていた。というのも、入試でトップの成績を叩きだし、教師に推薦され押しに弱かった美白は流されるように生徒会へ入ったのだった。
「はあ……」
 7時16分の1番ホーム。電車を待つ美白は思わずため息が漏れる。彩のない人生。退屈で窮屈な世界。でも自分からは変わろうとしない、そんな自分が一番嫌い。そんな負の感情が渦巻く。
 電車がやってきて流されるように乗り込む。手すりを掴み、なるべく目立たないように佇む。
そこへ昨日までいなかった人物が駆け足で乗り込んできた。彼は少し息を切らせて、逆側の手すりにもたれかかる。そして、楽しそうに爽やかな笑顔をしていた彼の表情を見て、美白は胸がときめく。自信に満ちたその表情は、美白にはできないものだった。
単純に憧れた。どうすれば彼のような表情ができるんだろう?
世界に彩が塗られていく。体が軽くなったような錯覚を起こす。心臓の鼓動がうるさくて、咄嗟に目を反らす。ゆっくり深呼吸して心を落ち着けようとする。それでも緊張が解けなくて、まともに彼を見ることができない。変な子だって思われていないだろうか? またマイナスの感情が動き出す。しかし、同時に心底楽しそうにする彼の表情が忘れられなかった。ほんの少し彼の方を覗いてみる。彼は外を眺めているようだ。肩からはスポーツバッグをしょっている。恐らく運動部なのだろう。
(いいなあ。好きなことがある人って)
 またため息をつきそうになって、慌てて口をふさぐ。
(ダメダメ! こんな姿、見られたくない!)
 そこへOLと部下らしい男性の声が聞こえる。
「いい? 最初はミスもするだろうけど、私がフォローするからなんでも言いなさい。報連相は大事にね!」
「了解です!」
 美白はいいなあ、と思わずOLの方を見る。彼女たちのように、なんでも言い合える関係になれたら――
(って、なに考えてるんだろ、私!)
 顔を真っ赤にさせて、恥ずかしくて俯いてしまう。
 これではまるで、恋する乙女みたいだ。
 そうこうしていると彼はとある駅で降りていった。自分とは違う学校なのだから当たり前なのだが、美白は名残惜しそうにその男子を覗き込んでいた。
「明日も同じ時間の電車に乗れば会えるかな……?」
 誰に言うでもない独り言を呟いて、電車は出発した。
 私立宮ノ王高校。県内でも偏差値がかなり高い進学校。
 白雪美白はそこでごく普通の学校生活を送っていた。少数とはいえ、仲のいい友人に囲まれ、敵らしい敵も作らない人格者。落ち着いた物腰は学校内の男子にもかなり好感度が高かった。
「え? 今なんて?」
「ちょ、そんな大きな声出さないでよ! 沙耶ちゃんだから言うんだからね?」
 美白は友人の沙耶に、今朝電車で出会った男子のことを話す。
「ほえー。あの天下のみしろんが、よりにもよって学内じゃなくって他校の生徒、しかも年も名前も知らない相手に恋したと」
「ま、まだ恋と決まったわけじゃ……」
「いやいや、そんな反応しといて今更言い訳されても……」
 沙耶もさすがに呆れていた。美白の奥手でにぶちんなところもかわいいと思いつつ、友人としてしっかりサポートせねばとやる気に満ちていた。
「とりあえずあたし、偵察にいこっか? ふざけたやつならぶっ飛ばしてくるけど」
「過激すぎだよ……。それに迷惑だって」
「いーや。みしろんはあたしたちが守らないと危なっかしいからね」
「そ、そんなことないもん……」
 ぷくっと頬を膨らませて抗議する美白。しかし少し抜けたところがあるのは事実で、試験の日、消しゴムを忘れて慌てていたところ、沙耶が声をかけてくれて予備の消しゴムを貸してくれたのだ。それから仲良くなり、今に至る。
「ぶっちゃけ相手がいいやつなら告って全然いいと思うけどなあ。みしろんがフラれるなんて考えられないし」
「そ、そんなことないよ。私なんて別に普通だし……。それに、もし彼に彼女がいたら完全にお邪魔無視じゃん……」
「そん時は奪っちゃえば?」
「で、ででで、できないよそんなこと!」
 勢いで大声を出してしまい、クラス中の視線を集めてしまう。我に返った美白はハッとして、しゅんと大人しくなる。
「と、とにかく! まだ何もしないし、する気もないよ。もうちょっとお近づきになれたら、考えるけど……」
「ほーん。で、そのお近づきっていうのはどうやって近づくの?」
「それは……」
 美白は続く言葉が出てこなかった。完全にノープラン。
「はあ……。みしろん。恋は先手必勝だよ? ほっといたら向こうの学校で本当に彼女ができたりするんじゃない?」
「えぇ……。そんなこと言われても……」
 美白はあたふたと困惑していた。そこには誰がどう見ても、恋する女の子の姿があった。
 沙耶もそれがわかっているから応援したい、と思っている。だが、当の本人がその感情を恋と認めない限り、かえって脈無しと思われるかもしれなかった。だからまずは件の男子に告らせるより、恋してるんだという自覚を持たせようとした。
「ん、わかった。じゃあ一旦様子を見よう。みしろんにはみしろんのペースがあるんだし、急かしてごめんね」
「うん……。私こそごめんね。結局どうしたいか、自分でもわかんなくて……」
「いいって」
 そう言って、沙耶は手をひらひらさせて、自分の席へ戻っていった。
 美白はほっと胸を撫でおろす。彼の話をしていたからか、ずっと心臓がバクンバクン動いていた。
(胸が苦しい……。彼のことで頭がいっぱいになって他になにも考えられない。沙耶ちゃんのいうとおり、これが恋するってこと?)
 こればかりは自分で気づくしかない。誰かに教えてもらえることではない。恋に落ちるとはよく言ったもので、美白は真っ暗な落とし穴に落ちて、不安だった。その穴が深ければ深いほど、地面に叩きつけられたときに大きなダメージを負うことになる。
 傷つきたくなかった。痛いのは嫌だ。
 ほんの少しだけ、彼に会ったことを後悔する。
 会わなければ、こんな気持ちにならなかった。あの表情を見なければ、世界は灰色のままだったのに。それでも――
(やっぱり、また会いたいな)
 その気持ちだけは本当だったと、自信を持って言える。
 もっと一緒にいたい。できれば話したい。
 どんな食べ物が好き? どういう時嬉しい? してほしいことってある? また会いたいって、あなたも思ってくれる?
 一度爆発した気持ちはどんどん溢れて、妄想が止まらない。
(私、めんどくさい女なのかな……?)
 口には出さない。だから、答える人もいない。
(ダメダメ! しっかりしなきゃ!)
 そう言い聞かせて、自分を律する。
(とにかく! 今は何もできないんだから、真面目に授業を受けないとね!)
 そしていつもの日常に戻る。
 それでも、昼食はいつもより、喉を通らなかった。
 その姿を見ていた沙耶も「重症だねこれは」と呆れていた。沙耶は気分転換のために、別の話題を振る。
「来週のゴールデンウィークさ。一緒にショッピングに行かない?」
「え? うん、わかった。予定空けとくね」
 いつもの調子に戻った美白を見て、とりあえず安堵する沙耶。
 その後、二人は雑談を始める。この時だけは美白も普段どおりに戻り、いつもの笑顔で沙耶を安心させる。
「ありがとね」
「ん? なにが?」
「いろいろだよ」
「なにそれ。まあ、嬉しいけど」
 美白も内心わかっていた。自分が重すぎる気持ちに押しつぶされそうになっているのを見て、沙耶が気を使ってくれていることを。
 だからお礼を言いたかった。自分はいい友人を持ったと、沙耶に感謝した。
 5月(湊士パート)
 陽光眩しく、暖かな風がなびく中、湊士はデパートに向かうべく電車を待っていた。
「ぬぁぁ……」
 時期は金色キラキラゴールデンウィーク。だというのに、相反するように盛大な溜息をついていた。
 それもそのはず、休みということは愛しの彼女に会えないということと同義だからだ。
 期間にして1週間。今までなら手放しで喜んでいたが、今はそうではない。それほどまでに、湊士は彼女に恋していた。
 デパートは学校方面とは逆方向であり、いつもと違い2番ホームということもあり、普段と違う景色に、本当に同じ駅なのかと錯覚する。
 いつもと違うホーム。
 いつもと違う人混み。
 いつもと違う行先。
 そんな中、女子高生らしき話し声が聞こえてくる。しかし、周りを見渡しても人混みでよくわからなかった。同い年くらいの女の子の声を聞くだけで美白を連想してしまう自分は、実は変態なのではないかと思い、思わず頭を叩く。
 そうこうしているうちに、電車がやってくる。電車の色だけは、見慣れたものだった。
湊士は電車に乗り込むが、予想以上の混雑に辟易としていた。通学のときのいつものポジションに立てなかったので、仕方なく吊革につかまる。
目的地まで各駅停車で4駅なため、我慢できなくはないがそれでも満員電車とは慣れないものだと感じる湊士。基本的に今向かっている方面の方が賑わっているため、平日休日共にこっちが混雑しがちである。逆に通学方面は特別人が集まるような施設はないため湊士と同じ学生しか見当たらない。だから手すりというぼっち御用達の場所は容易に確保できていた。
 だが、今は違う。みんなが少しでも楽をしたくてドアにもたれかかったり、人混みを少しでも避けるため、あえて座席前の通路まで進んで立っている人もいる。
 湊士は唐突に、電車ってスゲーなと思っていた。
 同じ駅から乗ったにも関わらず、こんなにも姿を変えるものなのかと驚きを隠せないでいた。
 目的地を変えるだけで様変わりする電車。それは、湊士の心を映しているかのようだった。美白と出会う前、朝練するまでの4月冒頭は1番ホームだった。普通の学生が向かう一般的な方向。そして今は2番ホーム、恋という人混みに心をかき乱されているような感覚だった。
 そんなことを考えてしまったのは、電車内でカップルが多かったせいだろう。遊びに行くとしたらこっち方面なので、自然とそういう人も多くなる。湊士は彼女に想いを馳せながら、またもため息をつくのだった。
 ようやく目的地に到着し、電車を降りる。改札を出て、駅前にある大型デパートへ向かう。
 湊士は目的を果たす前に寄り道することにする。
 行先はスポーツ用品店。そこで真新しいバッシュを眺めていた。
「うおっ! このモデル新しいの出たのかよ! くぅ~、テンション上がるなあ!」
 湊士はあっちこっちとバッシュを手にとっては試し履きをする。しかし、それらを買う余裕などない。バッシュのみならず、スポーツ用の靴は結構なお値段だからだ。今日は別に買わなければならないものがある。だからこれはただのウィンドウショッピング。湊士は自分にそう言い聞かせて今だけの楽しみとはしゃいでいた。
 一通り満足した後、目的の買い物に行こうとしたとき、一人の少年に目が行く。年は小学生高学年と言ったところだろう。同じくバッシュを眺めているところを見るに、バスケ経験者なのだろう。しかし、少年の顔は曇っていた。
「へい少年。そんな暗い顔してどうしたの?」
 湊士はしゃがみ込み、視線を合わせながら少年に声をかける。少年は「だれ?」と言いたげな表情を浮かべたが、ぽつりと言葉を漏らす。
「このバッシュが欲しいんだけど、高くってさ……」
 少年が指さした先には『NEW!』と書かれたポップが踊る子供用のバッシュがあった。
 湊士は値札を確認すると、9,800円と書いてある。確かに小学生には厳しい額だ。
「お父さんかお母さんは?」
「今、夕飯の買い物してる」
「そっか。おねだりできないの?」
「無理。今月新しいゲーム買ってもらったばっかりだし」
「なるほどね」
 流石にそりゃ無理だと思う湊士。だからと言って自分が買ってあげるには高すぎる買い物だ。しかし、同じバスケ好き同士何とかしてあげたいと思っていた。
「うーん……」
 湊士が辺りを見回すと、とある人混みが目に入る。
「あれ、なんだろう」
「イベントだよ。10回連続でゴール出来たら商品券がもらえるんだ」
 少年の言うとおり、参加者らしき男性がチャレンジしていたが、ちょうどミスっているところを目撃する。
「ああーっと! 残念! あと2回だっただけに悔やまれますね!」
 司会者の声が湊士たちの方へも聞こえてくる。チャレンジャーの男性も悔しそうにしていた。
「へえ……。あれ、クリアしたらいくらもらえるんだろ?」
「1万円分の商品券だって。ここでしか使えないけど」
「スゲーじゃん! チャレンジしないの?」
 湊士がはしゃいでいると、少年はがっくり肩を落とす。
「さっきやってきた。1回目で失敗しちゃった」
「あちゃー……。そっかー……」
 湊士が頭を抱えると、少年は今にも泣きそうな顔になる。それを見た湊士は少年の頭にぽんっと手を置く。
「なあ少年。悔しいのはバッシュが買えないから? それともミスしたことが?」
 少年は、小刻みに震えていた。やがて乱暴にぐしぐしと目をこすって答えた。
「…………両方」
「そっか。あのバッシュじゃないとダメなのか?」
「ううん。でも、今使ってるバッシュ、サイズが合わなくなってきてさ。新しいの欲しいんだ」
「なるほどな。そりゃ、欲しくもなるよな」
 湊士は腰を上げると、イベント会場へ歩を進める。
「え、ちょっと、お兄さん?」
「ふははー。ここはお兄さんに任せとけ」
 湊士は自信満々に答え、ニカっと笑ってみせた。
 湊士が会場に着くと、でっかいボードが目に付いた。そこには、
『10回連続ゴールで商品券1万円プレゼント!』
 と書かれていた。そして小さく、有効期限はゴールデンウィーク中のみだということ。この店でしか使えないことなど、細かな注意書きがなされていた。恐らく4月に新生活を送った学生がすでにスポーツ用品を一式購入済みで、追加で購入する人が少ないから始めたイベントであること。そしてこういうイベントで盛り上げることでお祭り効果で買い物してくれたら御の字ということだろう。そしてなにより――
「ったく、ひでえな、こりゃ」
 湊士がゴールを見て悪態をついた。それもそのはず、ゴールの高さが明らかに大人用の高さに設定されてあったからだ。
 小学生・中学生用のスポーツ用品は大人用に比べて安い傾向が多い。だからこれは最初から大人向けに用意されたイベントなのだ。子供が寄ってきて、自分に無理だと思ったらダメ元で父親に頼むなどするだろう。しかし、その父親が経験者ならまだしも素人なら問題外だ。さらに経験者であっても、ブランクありで10回連続ゴールは厳しい。なら高校生はというと、この時期に新しいグッズを買うやつは少ないし、強豪校ならそもそも練習しているだろう。湊士のような公立校の生徒ならぶっちゃけ遊んでいる。
 万が一ゲットした人が現れても、それはそれで盛り上がって店にとってはいいこと尽くめという訳だ。
 さらには元を取るためか、『参加費500円』と書かれている。つまり単純計算で20人に1人クリアできてもトントンなのだ。
 湊士はため息をつきながら、ゴールを睨みつける。そして、
「まあ、やることやるだけか」
 そう言って湊士は大声で司会者に声をかける。
「あのー! 参加したいんですけどー!」
 湊士の声に、司会者が反応する。
「おーっと! またも挑戦者が現れたぞ! では、こちらへどうぞー!」
 司会者の案内で受付に参加費を支払い、ボールを受け取る。そして、フリースローラインに立つ。
 司会者がいろいろ言って場を盛り上げているのがわかる。そして同時に、これは参加者の集中を乱す罠でもあった。だから湊士はいつもどおりの平常心に戻ることにする。
 ボールをシュルシュルっといわせながら回転させ、ダムッと1回ドリブルする。そして、シュートの体勢を取ってボールを放る。
 ザシュっといい音をさせながらボールはきれいにゴールを潜り抜ける。
「おめでとう! さあ、まずは1本だ!」
 司会者の声でギャラリーが沸く。周りから「これはいけるんじゃ?」みたいな声もちらほら聞こえる。しかし、湊士の耳には届かない。完全に集中モードに入っている。
 そして、続く2本目、3本目と難なく決めていく。全く同じ軌道でゴールに吸い込まれていくボールに、少年は唖然としていた。
「すぅー、ふぅー」
 深呼吸してしっかり間を取る。湊士は当たり前のようにシュートを成功させていく。そして、ついにラスト1本ということろまできた。
 いつの間にかギャラリーの数は増え、成功する瞬間を今か今かと待っていた。
「さぁー! ラスト1本です! ここで決めれば商品券1万円! では張り切っていきましょう!」
 司会者がこれでもかと盛り上げてくる。しかし、熱を帯びた空気とは反対に、湊士の心は冷静だった。ラスト1本で商品券をゲットできる、などという気持ちは一切ない。そこにはただ、シュートを通学路を歩くように当たり前にこなそうとする高校生がいた。
 湊士はまたも、ボールをシュルシュルっといわせながら回転させ、ダムッと1回ドリブルする。毎回やっていたので、ここからシュートを打つことが周りにも伝わる。すると一変して場は静まり返る。聞こえてくるのは運営が用意したドラムロールの音。
 湊士は同じフォームで気負うことなくシュッとボールを放つ。そして――

――ザシュ

 ボールはきれいな弧を描いてゴールした。
「おめでとうございまーっす! チャレンジクリアー!」
 司会者の声と同時に周りから歓声が上がる。そこでようやく我に返る湊士。
「…………え、あ、終わったのか」
 今更になって指先がピリピリ痺れてくる。自分では気が付かなかったが、相当緊張していたようだ。
「いやー、すごいですね! もしかしてバスケ経験者ですか?」
 司会者が湊士にマイクを向けて質問してくる。
「あ、はい。一応、現役でバスケやってます」
「なるほどー、バスケ部員でしたか! 素晴らしい! ぜひお名前をお聞かせください!」
「えっと……平賀湊士です。クリアできてよかったです」
「ありがとうございましたー! こちら、チャレンジクリア商品となります!」
 そう言って渡されたのは、この店限定の商品券。ご丁寧に小綺麗な封筒に入っていた。
「ちなみに何に使うかは決まってますか?」
 司会者がそう訊ねてくると、湊士は真っ直ぐ少年の方へ歩いていく。
「ほら、これでバッシュが買えるな」
「――え?」
 少年はキョトンとした表情で湊士を見上げる。
「おや? 先ほどチャレンジされたお子さんですね。弟さんですか?」
「いえ、名前も知らない子です。今日ここで会いました」
 会場が一気にざわつく。それもそのはず、見知らぬ少年にせっかくの商品券を渡すなど、どういうつもりなのか誰もわからなかったからだ。
 司会者を含めた全員の疑問に答えるかのように、湊士はニカっと笑って商品を少年に渡した。
「俺はただの代理人ですよ。この子のリベンジを代わりにやった。それだけです」
 周りがポカンとした感じで静まり返る。しかし、どこからともなく、拍手の音が鳴り、やがて周りに広がっていく。
「なんということでしょう! この素晴らしき青年に盛大な拍手をお願いします!」
 司会者が煽ってくれたおかげで、一躍この店のスターとなった湊士。そして、湊士は少年にある提案をした。少年は嬉しそうに快諾し、目的のバッシュを求めて商品棚へ向かっていった。
「何かなさるんですか?」
 司会者が疑問に思ったのか、湊士に何をするつもりなのか聞き出そうとする。
「特別な事、ですね。特にバスケ選手にとっては」
 訳が分からないといった様子の司会者をよそに、バッシュを買ってきた少年が湊士の元にやってくる。
「お待たせ!」
「おう。じゃあバッシュ履いてみ?」
「うん!」
 少年は嬉しそうに真新しいバッシュを履く。そして、
「じゃあお願い!」
「おう」
 そう言って湊士は靴を脱ぎ、バッシュを踏んだ。その様子を見て、司会者も流石に理解した。
 バッシュは真新しいと硬いため、怪我をしやすい。そのため、少し使い古した感じにすることによって怪我の防止をする風習がある。そして、基本的にはチームメイトがやってくれることが多いのだが、湊士の希望でぜひ自分が最初にやりたいと申し出たのだ。
「なあ、俺もいいか?」
 どこの誰だろうと声の主を見ると、湊士の前に失敗したチャレンジャーの人だった。彼は嬉しそうに二人を見つめていた。
「俺もバスケが好きでね。会社でバスケクラブに入ってるんだが、いやはや……。見事だったよ」
「ありがとうございます」
 湊士は丁寧にお辞儀をする。少年は少し緊張したようにペコっと頭を下げた。
「キミのルーティーンは完璧だね。俺は基本的にそういうのをしないから、集中が乱されてしまったよ」
「いえいえ、たまたまですよ」
 湊士とおじさんが会話していると、湊士の手をぐいぐいと少年が引っ張った。
「ん? どした?」
「ねえ、るーてぃーん? ってなに?」
「ああ、ルーティーンってのはね。特定の動作をすることだよ」
「???」
 少年はまだよく理解できていないようだった。
「えっと、俺の場合、シュート前にボールを回転させて1回ドリブルしてたろ?」
「うん」
「あれってシュートを打つのに関係ない動きだろ?」
「うん。でもそういうことやってる友達けっこういるよ」
「そう。それがルーティーン。基本的にバスケだとフリースローの時くらいかな? 練習中にシュートを打つ前に自分だけの動作をやっておくんだ。そしたら試合でも練習と同じ気持ちでシュートを打てるから成功率が上がるんだよ」
「へぇー」
「まあ、気持ち程度だけど、やらないよりマシかな」
「じゃあ俺も同じのやる!」
「ははっ、じゃあお揃いだな」
「うん!」
「おーい、俺のことも忘れないでくれよ」
 おじさんが話しかけてきて、湊士は慌てて謝る。
「すいません! バスケのことになると熱くなちゃって……」
「ははは、いや、いいんだ。それで少年。俺にもバッシュを踏ませてくれないか? もちろん靴は脱ぐよ。泥で汚れるからね」
「おじさんも相当バスケ好きですね」
「まあね。で、どうだい?」
 おじさんに提案されて、少し迷っていたが、やがてコクンと頷き、足を差し出す。
「ありがとう。では」
 おじさんがバッシュをギュッと踏む。そこには若いバスケ選手を応援するエールが込められていた。
「じゃあ、俺はこれで」
「はい。では」
 おじさんは手を振りながら去っていった。続いて少年も家族の元へ帰るようで、店を出ようとする。
「じゃあね、お兄ちゃん! また会おうね!」
「おう!」
 そう言い残し。少年は去っていった。少年を見送った後、湊士はハッとしスマホを見る。
 結構な時間が経っていたらしく、慌てて本来の目的を果たそうとする。
「いっけね」
 湊士は早歩きで目的の花屋へ向かった。
 色とりどりの花と木製のモダン風な看板が特徴の花屋へ到着する。
「いらっしゃいませ」
 女性の店員の声が聞こえて、湊士は質問してみる。
「あのー、カーネーションありますか?」
「はい、ございますよ。何本ご入用ですか?」
「あ、じゃあ1本で」
「かしこまりました」
 ただの1本の花だというのに、店員は丁寧に梱包してくれる。
「学生さんですか?」
「え? あ、えっと、高校生です」
「そうなんですね。これは母の日用に?」
「ええ、まあ」
 店員は嬉しそうに話しかけてくる。
「まだ若いのに感心ですね。でも、母の日って来週なんじゃ?」
「あ、来週は部活があって買い物に行けないんですよ。だから前倒ししようかなって」
「なるほど、きっとお母さんも喜ぶと思いますよ」
 そんな会話をしているとあっという間に包装紙で包んでくれて、しかもピンクのバラまでついていた。
「え? あの……これ……」
「こっちは私からのサービスです」
「あ、ありがとうございます」
 物珍しい薄ピンク色のバラに、湊士は目を奪われていた。
「気に入っていただけました?」
「はい! どうもありがとうございます!」
「それはよかった」
 湊士は会計をしている時も、バラの方に夢中で心ここにあらずといった様子だった。
「そこまで気に入っていただけるとよかったです。ありがとうございました」
 店員に見送られて店を出る。そして湊士は帰路につくことにした。その間、花が折れてしまわないか慎重に持って帰ろうとした。
 帰りの電車の中で、湊士は美白のことを考えていた。
(花、かあ。今時バラを渡すなんて、キザったらしいよなあ。女の子って花を贈られると喜ぶって聞くけど、あの子はどうだろう? 花は好きかな。好きならどんな花が好きだろう)
 湊士はバラを眺めながら悶々と想像力を発揮し、いろんなシチュエーションを考える。
 その度に恥ずかしくなって顔を真っ赤にさせていた。
(まあ、名前も知らないやつから花を貰ったら恐怖か)
 冷静さを取り戻し、ため息をつく湊士。
 地元の最寄り駅にたどり着くと、不思議な感覚に包まれる。
 いつもここから彼女との時間はスタートする。でも、今日はこれで終わり。そんな日々ももうすぐ終わる。いや、むしろまた始まるのだ。通学路で、彼女との時間を共有できる唯一の時間。湊士にはそれが待ち遠しくて、思わず1番ホームを眺めていた。

   5月(美白パート)
 ゴールデンウィーク最中。
美白と沙耶は大型デパートにて、湊士をストーキングしていた。
「やっぱりダメだよぉ……。バレたら印象最悪だよぉ……」
「なに言ってんの! せっかく奴の素顔が拝める絶好の機会じゃない! あ、行くわよ!」
「もう、沙耶ちゃんってば……」
 時は少し遡り、ゴールデンウィーク突入前の学校にて。
「ねえねえ。今度のゴールデンウィーク、買い物に付き合ってくれない?」
「お買い物? いいよ。何買うの?」
「新しい化粧水が出たんだって。女子としては試さなきゃっしょ?」
「いいよ。私も買おうかな」
「いいじゃん。オソロだ」
 美白と沙耶はよくある女子トークで盛り上がっていた。高校生ともなると、お化粧のことなど、女子は大変である。
「あ、じゃあうちの近くのデパートで買わない? 確か数量限定だけど3本買えばもう1本プレゼントっていうのやってた気がする」
「お、いいねー。じゃあ合計4本でわけっこしよ?」
「うん!」
「じゃあ朝11時にそっちの駅に行くから、そのデパートでお昼してからショッピングと洒落こむ?」
「いいよー。じゃあ、また詳しいことは携帯でね」
「オッケー」
 かくして二人は、ゴールデンウィークにデパートへ向かった。
 二人でランチを食べ、目的の化粧水も買い、どこかで遊べないかウィンドウショッピングをしていると、彼がいた。
「あっ!」
「ん? どしたん――ってみしろん! そんな強く引っ張んないで!」
 思わず美白は物影に隠れる。そしてそろりと視線を前の方へ向ける。そこには湊士が人混みにまぎれて歩いていた。普段の制服とは違い、ラフな格好だったが美白にはすぐに湊士だとわかった。
 心臓がドクンドクンと脈打つ。
 そんな美白を見て、沙耶が心配そうに美白の背中をさする。
「大丈夫? 気分悪くなった?」
 美白は首を横に振る。そして、絞り出すようにか細い声で「いる……」とだけ呟いた。
「いる? いるってなにが?」
 美白は口をパクパクさせて声にならなかった。
「もしかしてストーカー!? なら警察に電話しないと」
 沙耶はスマホを取り出そうとするが、美白に腕を掴まれた。
「そうじゃなくって、彼がいたの!」
 顔を真っ赤にして恥ずかしそうにしている美白を見て、沙耶はうーんと考えた後、「あっ」
っと気付いた。
「もしかして電車で一緒だっていう例のやつ?」
 美白は黙ってコクっと頷く。
「どれどれ? どんなやつ?」
 沙耶は物陰から、どいつが美白の心を射抜いたやつなのか探そうとした。
「……茶色のパーカーに黒いズボン」
 ありふれた組み合わせだったが、今前の通路を歩いていて、かつ年齢も近い人は多くない。というか一人しかいなかった。
「あいつかー。なんかパッとしないけど、ほんとにあいつなの?」
「うん……」
 入学時から、かわいいということで注目されていた美白が好きになった相手がどんなやつかと思えば、ふっつーの男子で沙耶は少々、というかだいぶ落胆していた。
「えー……。あれのどこがいいの? 見た目は……後ろからじゃよくわかんないけど、普通そう。特別オシャレってわけでもなさそうだし……。どこがいいの?」
 改めて沙耶にどこがいいのか聞かれると、ちょっと子どもっぽい笑顔とか、かと思ったら憂いを帯びた大人びた表情だとか。挙げればキリがないが、一番というものはなかった。
 しいて言うなら好きだから好きなのだ。理屈じゃない。
「説明できないよぉ……。会った瞬間に私の心にスッと入ってきたと言うか……」
「ほーん。まあいいわ。とりあえずつけるわよ」
「つけるって……それストーカー! 犯罪!」
 沙耶は、やる気が起きない美白の肩をガシっと掴む。
「今まで電車の中であいつの何がわかったの?」
「それは……」
 言い淀む美白に、沙耶はさらに畳み掛ける。
「これはチャンスよ。あいつの本性を探るのよ!」
 沙耶は有無を言わせず、美白の手を引いて尾行を開始する。
「バレたらどうしよう……。嫌われるかなあ……」
「だーいじょうぶだーって。こんな人混みの中バレるはずないって」
「うぅ……。ごめんなさい……」
 美白は心の中で謝りながらも、尾行を開始した。
 湊士の後をつけると、彼はスポーツショップへ入っていった。
「なに? あいつってなんかスポーツやってんの?」
「そういえば通学の時、いつもスポーツバッグ持ってたよ」
「ふーん。なんの部活やってんだろ?」
「さあ……。そこまでは知らないわ」
 二人は湊士の向かう場所に目をやると、そこはバスケのコーナーだった。
「どうやらバスケ部らしいわね」
「そうだね」
 湊士はしきりにバッシュをあれこれ物色していた。
「もうゴールデンウィークだってのに、もう新しいのが欲しいの? 変なの」
「もしかしたら中学からやってて、サイズが合わなくなっただけかもよ?」
 二人であーだこーだと言っていると、湊士は一人の少年に声をかけていた。
 美白たち二人は少し離れていたため、会話の内容は聞き取れなかった。
「あれ? 知り合いかな? なに話してるんだろ?」
「弟……、だったら最初から一緒に行動してるよねえ……」
 二人は頭に疑問符を付けていたが、少年がある方向を指さす。美白もその方向に目をやると、なにやらイベントを開催しているようだった。
「なんだろ? ちょっと見に行こ?」
「えー……。もういいでしょ? これ以上は悪いよ」
「なに言ってんの! まだなにも収穫ないじゃない!」
 美白は「もう……」とため息をつく。先に歩き出した沙耶についていくと、イベントはバスケのフリースローを連続で決めるというものだった。
「へー、こんなイベントやってるんだ。……お、商品は1万円の商品券だって」
「あの人、これにチャレンジするのかな?」
「さあ、ちょっと離れて様子を見ましょ?」
 イベント会場から少し離れて、湊士のことを遠目から観察する。思ったとおり、湊士はこのイベントに参加するようだった。
「お、やるみたいね」
「そうみたいだね」
 司会者がこれでもかと会場を盛り上げる。そんな中シュートを連続で決めなければならないのは至難の業だ。なんせ気が散ってしょうがない。
「BGMまでつけて……。これじゃ集中できないよ」
「確かに……。こりゃ無理かな」
 そんな二人の思惑とは裏腹に、湊士は1本、また1本とゴールを決めていく。
「すごっ……。集中力パないね」
「うん……」
 美白は湊士の真剣な横顔に釘付けだった。視線はゴールに向かい、澄んだ瞳に吸い寄せられそうになる。
 美白は胸の鼓動が大きくなるのを感じる。いや、実際に大きくなったのだ。
 それは恋心なのか、それとも応援したいという気持ちなのか。それは本人にもわからなかった。
 ただ一言。気付けば口からこぼれだしていた。
「頑張って」
 もちろん美白の声が届くはずがない。しかし、その応援に応えるかのように、湊士はラスト1本を完璧に決めていた。
 周りに歓声が沸く。気付けば美白も拍手していた。
「おめでとう」
 そう言った美白を、沙耶も黙って見ていた。
 そして、司会者によって湊士にコメントを求められる。
「えっと……平賀湊士です。クリアできてよかったです」
 その時が、美白が湊士の名前を知った瞬間だった。
「湊士くん、か」
「名前だけでもわかってよかったじゃん」
「名前だけじゃないよ」
「ん?」
 美白は嬉しそうに湊士を見つめる。
「きっと真面目でいい人だって、見てればわかるよ」
「どうだかなあ……。ただのバスケ好きなだけじゃない?」
 沙耶が反論すると、湊士は受け取った商品券を少年に渡した。それを見た沙耶が驚きの表情を隠せない様子だった。
「なんで!? もったいな!」
「ね? 優しい人なんだよ」
 美白はわかっていたかのように微笑み、嬉しそうにしていた。
「なんでそなな嬉しそうなの?」
「え? うーん……。やっぱり好きな人がいい人だと嬉しいから、かな?」
 その言葉を聞き、沙耶はニヤリと口角を歪める。
「おんやぁ~? 認めましたね? 今、好きって言ったよね?」
「え? ……あっ!」
 美白は自然と出た好きという言葉に、顔を真っ赤にした。
「はい確定~。やっぱ好きなんじゃん」
「えっとね、これは、その……」
 ごにょごにょ言い訳する美白に、沙耶は美白にガバっと抱き着く。
「いいじゃん。好きって気持ちが悪いわけないよ。それより自分の気持ちに嘘つく方が悪いと思うけど?」
「うっ……、うん……。うん」
 美白は沙耶の言葉をしっかり受け止めてしばらく心を整理する。自分にとって湊士はどういう存在なのか。改めて自分自身に問いかけると、やはり答えは1つだった。
「うん。やっぱり私、平賀湊士くんのこと、好き。うん。好きなんだ」
「そっか」
 沙耶は茶化さなかった。ただそれだけ言うと、二人で湊士に目をやる。すると、ちょうど少年がバッシュを買ったらしく、湊士に見せていた。そしてそのバッシュを、湊士はいきなり踏んだ。
「はあ!? なにやってんのあいつ! やっぱクソ野郎なんじゃね?」
「い、いや、たぶんちゃんと理由があるんだよ」
「どうだかねー。あたしの中ではやつの株価は大暴落よ」
 そうして少年は去っていった。ちょうど美白たちの方向に来たので、沙耶は少年に声をかける。
「ねえ君。さっき買ったばっかの靴踏まれてたけど悔しくないの?」
 少年は突然知らないお姉さんに声をかけられ、ポカンとしていた。
「ごめんね。私たち、バスケットについてあんまり詳しくなくって」
 少年はなるほど、といった様子で説明してくれた。
「新しいバッシュって固いから怪我しやすいんだ。だから踏んでもらって柔らかくするんだよ」
「そうなんだ」
 美白が優しく聞き出してくれたおかげで謎が解け、やはり悪いことをしたわけではないと胸を撫でおろす美白。
「お姉ちゃんたち、お兄ちゃんの友達?」
「え? えーっと……」
 なんと答えようか迷っていると、沙耶はしれっと答える。
「そうだよ。たまたま見かけてね」
「そうなんだ。じゃあお姉ちゃんたちもバスケ部なの?」
「そうだよ。高校から始めたんだ」
「へー! じゃあバスケ仲間だ!」
 美白は内心、沙耶の嘘八百に呆れかえっていた。ただ横で乾いた笑い声を出すことしかできなかった。
「あ、そろそろ帰ってるーてぃーんの練習しないと。じゃあね、お姉ちゃん!」
 少年はそう言って去っていった。
「ルーティーンってなんのことだろ?」
「多分あれかな? 特定の行動をすることで平常心を保てるっていう」
「あー、聞いたことあるわ。なるほど、ルーティーン、ね」
 沙耶は何か考えている様子だった。しかし、湊士が移動し始めたので慌てて尾行を続行する。
「やばっ、行くわよ!」
「まだ続けるんだ……」
 その間、沙耶はずっとなにかを考えていた様子だったが、突然、「あ」と言って美白に提案してみる。
「ねえねえ、さっきのルーティーンの話で思ったんだけど」
「なに?」
「ていうかパブロフの犬の方が近いんだけど」
「だからなに?」
 美白はなにか嫌な予感を感じていた。そしてその予想は的中する。
「毎日あいつの写真かなにかを毎朝見て、慣れるっていうのはどう?」
「はぁ……」
 ほらやっぱり、と言わんばかりに美白は小さくため息をつく。
「なによー。いいアイデアでしょ?」
「そもそもどうやって写真を撮るの?」
「そりゃ盗撮」
「だから犯罪だって!」
「ごめんごめん。やっぱ無理かー」
「もう!」
 そもそもほぼ毎日朝に出会っているにもかかわらず、会うたびに胸がドキドキするのに、そんなことしたら身が持たないと美白は思うのだった。
 そうこうしていると湊士は花屋に入っていった。
「花屋? こんな時期に?」
「なんだろうね」
 二人はうーんと悩んでいると、沙耶は何かに気付いたようにハッとする。
「これは……ズバリ彼女への誕生日プレゼントなんじゃ?」
「え? そ、そうなのかな……」
「そりゃそうでしょ。男が花に興味あるってなかなか聞かないし」
「やっぱり彼女さん、いるのかなあ……」
 美白は見て取れるくらい、肩を落とした。相当ショックだったようで、今にも涙が零れそうになっている。
「まあ、しょうがないよ。でも安心して。みしろんにはあたしがいるじゃん」
「沙耶ちゃん……」
 花屋の花が全て百合になりそうな雰囲気だったが、その空気を美白がバッサリ切り捨てる。
「まあ冗談は置いておいて、やっぱりバラとか買うのかなあ」
「えー。冗談じゃないのにー」
「はいはい」
 美白に軽く流されたことに落ち込む沙耶だったが、美白はそんなことより湊士に注目する。
 どうやら湊士が買ったのは、一輪のカーネーションのようだ。
「カーネーション……。あ、もしかして」
 カーネーションで思いつくのは一つ、花屋のポスターにもあるとおり、母の日だった。
「なんだ、母の日のためにお花買ったんだ」
「なーんだ。つまんないなあ。……でも、あれ? なんかピンクのバラも買ってない?」
「え?」
 確かに湊士の手にはカーネーションと共に、ピンクのバラが握られていた。
「これは……やっぱり彼女が関係してるのかな?」
「そ、そんなあ……」
 お会計を済ませたようで、湊士は店から出てきた。
「さて、このまま彼女のところに行くのかな?」
 沙耶が尾行を続行しようとしたことろで、美白が引き留める。
「さすがにもういいよ。これ以上はほんとに悪いって」
「ふーむ……。ま、いいでしょ」
 沙耶も納得したようで、これ以上つきまとうことは終わりにする。
「あななたち、うちの店に用事?」
「はい?」
 見ると、花屋の店員だった。二人の様子はかなり怪しかったのか、怪訝な顔をされる。
「あ、えーっと、そうじゃなくって……」
 なんと答えようと思案していると、店員から質問される。
「もしかして、さっきの彼の知り合い?」
「え? あ、はい。そうです」
 またも沙耶が適当なことを言って誤魔化す。そう言うと、店員は表情を明るくした。
「そうだったのね。じゃあ声をかけてあげればよかったのに」
「いや、まあ……恥ずかしくって」
「ふーん……。なるほどねえ」
 店員は二人を見比べて、一言質問される。
「で、どっちが彼の彼女さん?」
「ぶっ!」
 美白は思わず吹き出し、咳込んでしまう。
「あ、あなたの方なのね。ちゃんとバラをプレゼントされたら知らないフリしなさいよ?」
「あ、はい。そうします……」
 美白も否定しづらくなり、誤魔化すことに。
「彼、いい子よね。まだ高校生で母の日のプレゼント買いに来たなんて」
「そ、そうですね」
「で、あなたたちは? 今ならサービスするけど」
「えっと、じゃあせっかくなんで……」
「はい、毎度ありがとうございます」
 まるで店員に乗せられたようだったが、嘘がバレるよりマシだと思い、二人ともカーネーションを買うことに。
 店を出て、二人は帰ることにした。
「あーあ、痛い出費だったなあ」
「もう! だから尾行なんてやめようって言ったのに」
「でも収穫も大きかったでしょ?」
「それは……まあ」
 誰にでも優しいこと。名前。家族思いなこと。湊士のいろんな面が知れた一方で、一抹の不安が残った。
 それは彼女がいるかもしれないということ。あのバラは誰の手に渡るのか。美白は気になって仕方なかった。
 美白は家に帰った後も、湊士のシュートを決める横顔ににへへと笑ったり、顔も知らない女性にバラを渡している様子を妄想して落ち込んだりと、一人で百面相をしていた。
 夕飯の時、親から大丈夫か聞かれたが、まさか尾行してましたとは言えず、口を濁すしかなかった。
6月(湊士パート)
 すっかり梅雨入りして雨が続いていた。
 その日はたまたま晴れの予報で、やや曇っているとはいえ日光が差していた。
 湊士は一応と傘を持って家を出る。
 時刻は7時16分。いつもの電車に乗り込んだ。
 ゴールデンウィークも明け、すっかりいつもの日常へ。その日常には、ほぼ真横にいる美白の存在も含まれていた。
(やっぱかわいいよなあ)
 ゴールデンウィーク明けの時、湊士は久しぶりに美白に会え、感極まっていたがそんな様子を見せるわけにもいかず、平常心を保とうと必死だった。しかし、どうしてもチラチラ見てしまい、しかも結構な頻度で目が合い、気まずくなっていた。
 そんな時から約一月が流れ、ようやくいつもどおりに戻っていたが、湊士にとっては由々しき事態だった。
 なんせなにも進展がないのだ。まだ出会って2か月ちょっと。焦る必要はないと思いつつも、そろそろ美白も学校に慣れてきて、彼氏の一人や二人、いるんじゃないかと心ここにあらずといった感じだった。
「あら、降ってきた?」
「ん?」
 いつものOLが外を見ながら呟く。湊士はその言葉に釣られて外を見ると、さっきまでの陽光が消え、少しだけ雨が降っていた。
「ねえ、傘、持ってる?」
「あ、はい一応」
「じゃあ入らせて。あたし、傘忘れちゃった」
「了解です」
 OLとその部下が話し合っている。湊士は内心、それって相合傘じゃね? と思ったが、大人になると緊張したりしないのかと大人の余裕に少し憧れた。湊士は自分が持っている傘を握りしめ、持ってきてよかったと安心していると、美白の様子がおかしいことに気が付く。なにやら鞄を必死で漁っていた。
 その様子を見て、湊士は直感的に傘を忘れたのだと気づく。
 湊士は悩んでいた。ここで露骨に傘を貸すとすごく怪しまれる。下手に下心があると思われたくない湊士は傘を貸す案を却下する。
 とはいえ、さっきから美白はかなり困った様子である。
(なにかできることないかな……)
 そうこうしていると雨はさっきより強くなっている。美白が外を見て愕然としている。
(なにか……なにか俺にできることは……)
 もう変に思われてもいいから傘を貸そうかと思ったその時、湊士はある妙案を思いつく。
 しかし、リスクが大きい案であり、失敗すると二人ともずぶ濡れになる。だが、貸しを与えず、それでいて彼女を助ける方法はもうこれしか思い浮かばなかった。
 そうと決まれば湊士は行動を起こした。
 もたれかかっていた手すりを離れ、さりげなく外を覗こうと彼女の側に寄る。ちょうどドアの開くところに立った。湊士はあくまで雨を確認するように振舞った。そして次は湊士の降りる駅である。
 電車がゆっくり停止し、反対側のドアが開く。いつもならすぐに電車から降車するのだが、この時湊士はまだ車内に残っていた。そしてドアが閉まる汽笛が鳴った瞬間、
「やべっ!」
 ちょっとわざとらしく大きな声を出し、傘を残したまま電車を降りた。
 電車のドアは閉まり、やがて動き出した。
「気付いてくれるかな……」
 湊士の作戦は概ね成功した。
 わざと傘を残して電車を降りる。後は残った傘を彼女が使ってくれればそれでよかった。しかし、この作戦は美白が湊士の傘を見つけて使うこと前提の作戦である。もし、美白が傘を使わなかった場合、二人とも雨に打たれることになる。
「とはいえ、こうするしかないよなあ……」
 湊士はそう呟いて、学校へ走っていった。
 学校に着くと、凌悟がギョッとした表情で湊士を見つめた。
「お前、傘忘れたのか?」
「ああ、まあな」
「さすがに風邪ひくぞ。タオルくらい持ってきてるだろ。拭いとけ」
「そーする」
 湊士は運動後に使う予定だったタオルで全身を拭いていく。
「まあ、今日は降るって天気予報でも言ってなかったしな。とはいえ、折り畳み傘くらいは持ってきとけよ」
「そうだな。明日から気を付ける」
「ったく。今日朝練はどうする?」
「見学にするよ。タオル乾かさないと」
「だよな」
 そう言って湊士は大人しく見学していた。
 昼休み。いつもの3人で昼飯を食べていると、昴にも注意された。
「まったく。さすがのポンコツっぷりね」
「まあね」
「褒めてないんですけど?」
 湊士はカラカラと笑って弁当を食べていく。時折、湊士は外の雨を見てはため息をついた。
その様子を見て、凌悟が肘でつついてくる。
「そんなに見ても雨はやまないぞ」
「ん? ああ、まあ、そうだな」
「……?」
 心ここにあらずという雰囲気の湊士に、昴はなにか感付いた。
「……なにかあった?」
「……え?」
 聞こえていなかったのか、湊士はボーっとした表情からハッと我に返る。
 明らかにおかしい様子に、昴はカマをかけてみることにした。
「傘、使ってくれるといいね」
「ああ、そうだな……」
「なるほど、そういうことか」
「……ん? え? なにが?」
 女の勘とでもいうのだろうか。昴はおおよその状況を把握した。
「あんた、傘忘れてないでしょ。ってか例の彼女に貸したんでしょ」
「うえ!? スゲーな藤宮! よくわかったな!」
「まあ、なんとなく」
「あー、そういう」
 凌悟も理解したようで、冷ややかな視線を送った。
「それでお前がずぶ濡れになってたんじゃ世話ないぜ。ってかその人、拒否らなかったのか?」
「えーっと、それがな――」
 湊士は大まかな説明をした。すると、二人に呆れられる。
「お前さあ……。それ貸せてないかもじゃん」
「いや、そうなんだけどさ。前に藤宮が知らない男性から物渡されたらキモって思うって言ってたの思い出しちゃってさ」
「いや、せめて自分は折り畳み傘もあるって言っとけば彼女に確実に貸せたじゃん」
「そうなんだけどさあ。なんか貸しを作るのっていやじゃん? 向こうも負い目を感じるだろうし」
「うーん、難しいわね。確かに折り畳み持ってて傘も持ってるっていうのがすでに不自然なんだよねえ。だから湊士の賭けはある意味正しいのかも」
「え? マジ?」
 まさかの高評価に、自分でやっておいて驚く湊士。
「これはある意味チャンスよ。もし向こうが傘を借りてたなら絶対返すはず。だって同じ電車に乗ってるんだからね。そこで当然なにかしら会話するんだからそこで接点を作るのよ」
「おお! そっか、そこで会話を広げれば一気に仲良くなったり――」
 思わず身を乗り出す湊士を手で制す昴。それに怯んで湊士は大人しくなる。
「慌てなさんな。そこであんまりがっつくと逆効果よ」
「お、おう……」
 逆効果、という言葉に冷静さを取り戻す湊士。
「まあ、今後電車で挨拶する程度のよっ友くらいにはなれそうね」
「マジ!? 十分だって!」
「そうね。3か月で別の学生とそこまでの仲になれれば上出来よ」
「あー! 俺の傘どうなったんだろなー!」
「ほんと、それに尽きるわね」
 湊士の傘がどうなったかわからないため、とりあえずこれ以上話しても無駄という流れになったのと、チャイムが鳴ったのでこの話は流れた。
 放課後、今日は体育館はバレー部が占領し、バスケ部は外錬の予定だったが、この雨のせいで部活は休みになった。
 湊士は学校に予備の傘を借りて帰路についた。
 その間、湊士の頭は美白のことでいっぱいだった。
「あー、ちゃんと使ってくれたかなあ……」
 そんなことを呟いていると、駅の改札のところに美白がいることに気付く。
 最初は申そうかと思ったが、そうではない。毎朝見惚れている女の子が駅に佇んでいた。その手には湊士の傘が握られていた。
 湊士は軽くパニクってしばらく棒立ちしてしまった。
(え、なんでここに? 彼女の学校ってここじゃないよな? てか俺の傘。使ってくれたんだ。よかった――けどなんでここに?)
 頭がぐるぐるする。しかし、ここにいる以上用事がある以外にない。湊士は覚悟を決めてゆっくりと彼女の方へ向かっていく。
 彼女に近づくにつれて、心臓が爆発しそうになる。そして、彼女も湊士のことに気付いた。
確実に目が合った。すると彼女の方から声をかけてくれる。
「あの……」
「お、俺、ですか?」
「はい……」
 透き通るような声。湊士はこの季節に似合わない晴れ渡るような声だと思った。
「あの……ごめんなさい!」
「え?」
 突然美白に謝られ、困惑する湊士。
「これ、あなたのですよね?」
 そいう言って渡されたのは湊士の傘だった。
「勝手に使っちゃいました! ごめんなさい!」
「あ、いや、別にいいっすよ」
「よくないですよ! 絶対雨に濡れたはずです!」
 見た目に反して結構ものをはっきり言う子だなあ、などと思っていると強引に傘を返そうとしてきた。
「ちょちょちょ! ストップストップ!」
 ぐいぐいくる美白を一旦落ち着かせることに。
「それ今俺に返したら家までどうするの?」
「それは……。親に迎えに来てもらう、とか?」
「なるほど。親にはもう連絡入れたんすか?」
「まだ、です……」
「一回連絡入れてみたらどうっすか? 忙しくて来れないなら結局また困るでしょ?」
「…………そうですね」
美白は携帯を取り出し、親に連絡を入れた。湊士は会話こそ聞こえなかったものの、美白の表情から迎えは難しそうだった。
 美白の通話が終わり、声をかける。
「どう?」
「えっと、その……」
 歯切れの悪い言葉。湊士はやはりといった感じで声をかける。
「あの、いつも同じ電車に乗ってます、よね? だから明日で大丈夫っすよ」
「……はい。……ごめんなさい」
 しゅんとした彼女を見て、元気づけようと湊士はあたふたする。
「か、傘くらいで大げさっすよ? ってか、わざわざそれだけのために来てくれて嬉しいっていうか……」
「……え?」
「あ、いや、何でもないっす!」
 湊士は恥ずかしさから顔を反らす。しばらく沈黙が続いたあと、美白からポツリと言葉が漏れた。
「ありがとう、ございます」
「へ? あ、いえ、どういたしまして」
 湊士が返事すると、どちらともなく笑い出した。そうこうしていると、帰りの電車がやってくる。
「やべっ、早く乗りましょ」
「そうですね」
 こうして湊士は初めて帰宅時に美白と一緒になった。それだけでなく、初めて会話した。
 6月22日。この日は記念日になると、心の中でガッツポーズをした。
 ところが恥ずかしさからか、帰りの電車での会話はなにもなく、朝と同様黙ったままだった。
(あれ? なにか言ったほうがいいのかな? でも、なんか気まずい!)
 会話するための話題も特になく、二人で黙って突っ立っているだけだった。
 そうして何もできないまま十数分が経ち、二人は最寄り駅で降りる。
 改札を出ると、帰る方向が真逆だったため、ここでお別れとなる。
(なにか、なにか言わないと!)
 湊士は内心かなり焦っていた。そして出た言葉は、
「で、では、また明日」
「あ、はい……。また明日」
 そう言って美白は帰っていった。彼女の姿が見えなくなるまで立ちすくみ、一人になると盛大な溜息をついた。
「気の利いたこと、なんにも言えなかったな……」
 嫌われてはいないと思う。が、好かれている様子もない。それが湊士の思いだった。
「これじゃなんも変わってねーよ……」
 雨が降りしきる中、湊士も帰ることにした。
翌日、早めに駅へ向かい、美白を待つ。そして後ろから昨日きいた声がかかった。
「あの……」
「あ、どうも……」
 おはようの挨拶すらできないほどギクシャクする二人。
「これ……」
 そう言って渡されたのは傘だった。
「あ、はい……」
 事務的に受け取る湊士。その後の会話もなし。これで何もないかと思われていたが、電車を降りる際、湊士は意を決して美白に叫ぶ。
「あの!」
「は、はい!」
 美白も驚き、背筋が伸びる。
「別に貸しって思わなくていいんで! 困ったときはお互い様っていうか、とにかく!」
 言葉をいったん切って、美白の目を見ながらハキハキ話す。
「また困ったことがあれば、いつでも言ってください!」
 ポカンとした様子の美白。そしてクスッと笑い、答えてくれた。
「はい。頼りにさせていただきます」
 湊士はお辞儀して電車を降りた。その後、友人二人に嬉しそうに報告したが、名前くらい伝えろと突っ込まれた。それでも、少しは距離が近づいたことを実感した湊士は、嬉しくて仕方がなかった。
 6月(美白パート)
 朝起きると、曇りではあるものの、晴れ間も差していた。天気予報でも一応晴れるとのことで傘は家に置いてきた。
 それがあだとなり、電車内で美白はかなり焦っていた。
(どうしよう。笠持ってくればよかった……)
 忘れたものはしょうがない。駅のコンビニで買おうと、そう思っていた。
「やべっ!」
 いつも見つめてしまう彼が電車を降りたようだ。しかし、その場には、
「え、あれ?」
 笠が置いてあった。恐らく忘れたのであろう。
「ど、どうしよう……絶対困ってるよね……」
 しかし、電車はもう動き出している。湊士に渡すことなど不可能だ。
 美白は悩んでいた。これを使えば確かに自分は助かる。だけど湊士は濡れるかコンビニで買うしかないだろう。なら今から引き返すか。それで湊士がいなかったら遅刻確定だ。
「うー……」
 悩みに悩んだ結果、美白は借りることにした。
「ごめんなさい! すぐに返します!」
 湊士はそこにいないのに、美白は深くお辞儀する。他の乗客が何事かと美白を見る。自分の行動に、顔を赤くしながらも湊士の傘をぎゅっと握っていた。
 学校に着くと、電車でのことを沙耶に話す。
「――ということなんだけど」
「え? なんか問題ある?」
 沙耶は首をかしげながら美白に聞き返す。
「だって人のものを勝手に使うなんて、よくないでしょ?」
 沙耶は美白にデコピンをくらわす。
「いたいっ! なにするの!」
「あんたねえ……。真面目過ぎ。もっと肩の力抜きなー?」
「だって絶対風邪ひいちゃうよ?」
「だーかーらー。傘くらいどうとでもなるでしょ」
「それに勝手に使っちゃって悪いよぉ……」
「はぁ、困った子だねぇ」
 美白は終始暗い表情だった。沙耶はなんとか明るい表情を取り戻させようと、ある提案をする。
「じゃあさ、早めにあいつの駅に行って返すついでに一緒に帰れば? それで何かしらの進展はあるっしょ」
「い、一緒に帰る!? む、無理だって! 考えただけでも緊張で吐きそう……」
「そんなんで付き合ったときどうすんの?」
「つ、付き合う!?」
「え? 最終的にはそうなりたいんじゃないの?」
 言われて気付く。好きで、もし告白して、オッケーしてもらえたら……。そういう関係になるということに。
「あわわ……。どうしよう沙耶ちゃん!」
「いや、どうしようって、お幸せに?」
「早いよ! まだ付き合ってないよ!」
「そうなんだよねえ……。『まだ』なんだよねえ……」
 沙耶はうーんとなにかを考えていた。
「もうさ、傘返して告っちゃえば?」
「こくっ!」
 美白は思わず咳込んだ。
「いや、正直みしろんなら余裕だと思うんだよね」
「むりむりむり! お互いなんにも知らないじゃん!」
「いや、知らなくてもこれから知っていきましょう。だから付き合ってくださいでよくない?」
「そんな告白の仕方ある!?」
「だって理由も一目惚れでしょ? 言葉ならべても嘘じゃん」
「それは……」
 確かに、と思う美白出会ったが、さすがに今日言われて今日告白する度胸はない。
「まあ、無理にとは言わないけど。けど、ほっといたら向こうに彼女できる確率上がるよ?」
「それはそうなんだけどさあ……」
「まあ、決めるのはみしろんだよ。じっくり考えなー」
 そう言って沙耶は自分の席に戻っていった。
「告白、かあ」
 その日の授業はすべて上の空で全く頭に入ってこなかった。
 そして放課後、傘立ての傘を見つめる。
「とりま返すだけでも返したら? なんか話せるかもよ?」
「うん……そうする」
 美白はそう言って足早に駅へ向かった。急いだおかげで湊士の最寄り駅には、湊士と同じ制服の生徒はいなかった。
 そうしてずっと待ちぼうけ状態になる。何分待っただろうか。十分程度かもしれないし1時間かもしれない。そうこうしていると湊士と同じ制服の生徒がちらほら現れ始めた。
(ど、どうしよう。何も考えられない)
 すると一人の男性と視線が合う。それは紛れもなく、湊士だった。
(とりあえず声をかけないと!)
 そう思ったはいいが、思ったより委縮して声が小さくなってしまった。
(あわわ……、あと勝手に使ったこと謝らないと!)
 そう思い、ガバっと頭を下げ謝り倒す。
 その後のことはテンパりすぎて何も覚えていなかった。せっかく一緒に帰れるというのに、沙耶から言われた「告白」が頭をぐるぐる回り、何も話せなかった。
 そうしてなにも進展することがないまま帰宅した。
 家に着いたあと、ようやく我に返った美白は自分の部屋で悶々としていた。
「なんにも話せなかったー! 変な子だって思われてないかなー……」
 めちゃくちゃテンションが下がり、携帯で沙耶に連絡する。
「ヘタレ」
「そんなこと言わないでよぅ……」
 沙耶の容赦のない言葉にさらにへこむ美白。
「まあ、明日傘返すときに挽回するしかないよね」
「うん……」
 そう言って電話を切った。
 それでも自分に自信が持てない美白は、ため息交じりにベッドで横になるのだった。
 翌朝、いつもの7時16分。湊士に声をかける。
 二人ともぎこちなかったが、湊士が空気を変えてくれたたため、最後はいつもどおり話すことができた。
「で、名前くらいは伝えたのよね?」
「ごめんなさい……」
 その後、学校で沙耶に事の顛末を報告をしたら呆れられた。
「はあ……。ま、よかったんじゃない?」
「なんで?」
「だって変な空気は切り替えられたんでしょ? 明日から普通に挨拶とかすれば?」
「それは無理」
「は?」
 即答した美白に対し、沙耶は疑問を呈していた。
「だって電車内だし。うるさいと他の人に迷惑でしょ?」
「はあ……。しゃべるくらいいいでしょ」
「だーめ」
「まったく、この子は……」
 これは美白にとっても譲れなかった。話しこむと絶対にテンションが上がる。でも、場所が電車内でしか会いえないため、マナーを守ることにした。でも、会釈くらいなら大丈夫だと思い、明日から交流できたらいいなと思う美白であった。
 7月(湊士パート)
 いつもの電車内であるポスターを見つける。それは湊士の学校の近くで8月に祭りがあるというものだ。
(彼女を誘えたらなあ……。でもなあ……)
 初めて会話した梅雨の時期から1か月。あれから電車内で目線を合わせて会釈こそするが会話は全くなかった。
(嫌われてはないと思うけど……。もしかして、異性として眼中にない!?)
 そう思うと誘うのが途端に怖くなった。断られたら今の関係が壊れそうで嫌だった。
「はあ……」
 思わずため息が出る。
 ここ最近バスケの練習にも身が入っていない。これではダメだと思いながらも、頭の中では、どうやって美白との距離を縮めるかしかなかった。
 ここ最近、学校でも友人二人がポンコツではなくチキンと煽ってくるようになった。
「ようチキン」
「それやめろ。マジで」
「だったらせめて名前くらい聞いて来い」
「ぐぬぬ……」
「おっすー、野郎どもー」
「よお藤宮」
「ちっすー、藤宮―」
「…………」
 昴は、登場するなり二人を見比べた。
「……? どったの?」
「あ、うん……。ちょっとね……」
「?」
 湊士と凌悟は顔を見合わせて首を傾げた。そして昴からある要求をされる。
「ねえ、平賀くん」
「なに?」
「畠山くんのこと呼んでみて」
「は?」
「いいから」
 わけがわからなかったが、とりあえず従っておくことにする。
「おい凌悟」
「なんだチキン」
「よーしケンカだな。買うぜ? ただしバスケでな!」
「チッ」
「おやおや~? 伸び悩んでる俺に勝てない凌悟くんどったのかな~?」
「うっぜえ」
「そうよね」
「? なにが?」
 いきなり会話に入り込み、勝手に納得する昴。
「平賀くんは畠山くんを名前で呼ぶわよね?」
「そりゃ、おな中だし」
「そうよね。でさ、もうそろそろいいんじゃないかなって」
「だからなにが?」
「あたしも二人を名前で呼びたい」
 ポカンとする湊士と凌悟。何言ってんだと言わんばかりに湊士が口を開く。
「いや、普通に呼べばいいじゃん? 俺ら嫌だって言わねえし」
「そうだな」
「そうなんだ。いや、こういうのってさ。タイミングわかんなくて」
「あー、確かに」
「ん、まあ、そうだな」
「でしょ? で、もう夏だしいいかなって」
 別に呼ばれて困ることもなかったので、湊士は快諾する。
「別にいいぞ。じゃあ俺らも昴って呼んでいいか?」
 そう言うと、昴はぱあっと表情を明るくして喜んだ。
「もちろん!」
「そんな喜ぶことか?」
「だって二人は最初から名前呼びだったじゃん? 実はずっとハブられてる気がしててどうしようって思ってったの」
「そうだったのか。わりいな。気付けなくって」
「いいわよ。そんなの言われなきゃわかんないでしょ」
「確かに」
 これまで昴とは良好な関係だったと振り返る湊士。しかし、今にして思えば、もっと踏み込んでツッコミを入れたりしていい場面があったことを思い出す。今回で言えば湊士のチキンいじりなどがそうだ。
「言わなきゃわからない、か」
「? なにかあったの?」
「あ、いやー、夏祭りがなあ……」
 その言葉で察してくれたのか、相談に乗ってくれた。
「そうねえ……。誘っていいんじゃない? って言いたいところだけど……」
「ん? どした?」
 歯切れの悪い昴に、何かあるのかと聞いてみる。
「なんていうか……。それって完全にデートじゃん? よっ友クラスの人と二人きりって難しいと思うの」
「だよなあ……」
「それともう一つ」
「なに?」
 ちょっと恥ずかしそうにしながら、昴は自分の要求を申し出る。
「あたしたち、一応友人だと思うのよ」
「一応どころか親友だと思ってるぞ」
「ありがと。そう思うのなら、あたしたちとも一つくらい思い出があってもいいと思うの」
「あー、そうだなー。……あー、なるほど」
 湊士が昴の言いたいことに気付く。それは凌悟も同じようだった。
「つまりこの3人で夏祭りに行きたいと?」
「まあ、そういうこと。……どう?」
 昴に言われ、二人は顔を見合わせる。特にバスケ部員で行こうという話はなかった。なので断る理由もなし。
「いいぜ。友人同士で思い出作りといきますか!」
「ありがと!」
 昴はかなりテンションを上げていた。その様子を見て、湊士は嬉しかった。いつも相談に乗ってもらってばかりで、なにか恩返しできないかと常々思っていたからだ。
 とはいえやはり電車に乗るたびに、正確に言うなら美白を見るたびにやっぱり一緒に行きたいという欲求に駆られる。そんなある日、車椅子のお婆さんが電車に乗ってきた。湊士は自分のスペースが一番おさまりがいいかなと考え、場所を譲ろうとした。
「お婆さん、ここどうぞ」
「あら、ありがとね」
「いえいえ」
 そう言ってお婆さんは車輪を器用に回して湊士が立っていた場所に移動する。
「どこまで行くんですか?」
「いやね。うちの庭でこけちゃって。足のけがを診てもらいに病院へ行くのよ」
 車椅子でこける? とどういう状況かわからない湊士に、お婆さんは付け加える。
「ああ、最近こけたわけじゃないの。半年前にこけた怪我の具合を診てもらいにね。この年になると怪我の治りが遅くてねえ」
「ああ、なるほど」
 湊士は納得した。しかし、付き人が一人もいないのが気になった。
「あの、お婆さん一人ですか?」
「そうよ。でも、今日転院してね。初めて行く病院だから地図を見ないと迷子になりそうだわ」
 それを聞いて湊士は少し考える。そしてある提案を申し出た。
「あの、よかったら俺が病院まで送りましょうか?」
 お婆さんは驚いた表情をしたが、笑って断った。
「いいのよ。学校があるでしょ?」
「1回くらい遅刻してもいいですよ。お婆さんも1回病院に行けば次から場所わかるでしょ?」
「でもねえ……」
 お婆さんが自分のせいで学生を連れ回すことに抵抗を感じており、なかなか承諾してくれない。
 もちろん、湊士は絶対についていきたいわけじゃない。単純に困っている人を放っておけないだけだった。そんな湊士の姿を見たからなのか、美白も援護してくれる。
「あの、私は生徒会に所属しているので、病院から学校側に連絡を入れれば学校も許してくれると思いますので、大丈夫ですよ」
 お婆さんもそうだが、湊士も美白が付いてきてくれることに驚いていた。
 結果、お婆さんは若者二人の情熱に押され、助けてもらうことに決めたようだった。
「悪いわねえ。じゃあ、お願いしようかしら」
「はい!」
 そうして3人は病院を目指した。
 その間に、二人はお婆さんからいろいろ身の上話を聞かされた。息子がいるが、仕事で付き添いは無理なこと。孫はちょうど湊士たちと同い年くらいなので学校へ行っていること。
 車椅子は湊士が押し、美白がスマホでナビしてくれる形で賑やかに病院を目指した。
 その間、美白はちょうどいいところで相槌を打ったり、時折質問してみたりと、かなりの聞き上手であることがわかった。
 そうこうしていると、あっという間に病院へ到着した。
「ありがとね。おかげで助かったわ」
「いえいえ」
「それじゃあね」
 そう言ってお婆さんは病院へ入っていった。
「あの、私も病院から学校側に連絡を入れるんですけど……。平賀くんはどうします?」
「ああ、俺も連絡入れとこうかな」
「じゃあ、行きましょうか」
 そうして二人も病院の受付に説明し、学校に連絡を入れてもらえることになった。
「じゃあ、重役出勤といきますか」
「ふふっ、そうですね」
 帰りは前の時とは違い、いろんな話が弾んだ。
 バスケ部のこと。学校のこと。そして夏祭りの話題が出る。
「そういえば今度の夏祭り、君は行くの?」
「うん。友達と一緒に」
「そっか」
 いっしょに行けなくて残念、と思ったが恋人と一緒じゃないというだけで元気が出た。
 こんなに話したのは初めてで、今なら名前を聞けるんじゃないかと思ったが、それはそれでナンパみたいで嫌だと湊士は思った。
「平賀くんは?」
「え?」
「夏祭り。誰かといくの?」
「ああ、俺も友人と」
「そうなんだ」
 湊士は、気のせいかと思ったが、美白がどこか嬉しそうにしていると感じていた。
そうして二人は学校へ向かう。電車内では、さっきまでいろいろ話していたのが嘘のように美白は黙ってしまった。しかし、湊士は気まずいとは思わなかった。というか、湊士にも美白のことが少しわかるようになった。だから電車内のマナーに気を使っていると察して、掃除もそれに習った。
湊士が電車を降りるとき、美白に会釈する。美白も同じように返してくれたとき、「ああ、やっぱり」と湊士は思った。
「で、結局チキって名前は聞けずじまいと」
「ちきたんんじゃないですぅー。モラルを持ってこうどうしただけですぅー」
 案の定、凌悟が茶化してきた。昴もあきれ果てて頭を抱えていた。
「てかさ。向こうが友達と夏祭りに行くならあたしたちと一緒でいいじゃん。なんで誘わなかったの?」
 昴の質問に、湊士は当たり前のように答える。
「だって今回は俺らの思い出作りだろ? だから今回は俺らだけ。彼女とて例外じゃない」
「ふーん。あたしに気を使ってくれたんだ?」
「そういうわけじゃないけどさ」
「まあいいわ。一応お礼言っとく。ありがと」
「別にいいけど。どういたしまして」
 そんなやりとりを見て、凌悟がボソッと呟く。
「ほんと、お前は一手先を行くな」
「ん? なんか言った」
「いーや、なにも」
 湊士は何だろうと思ったが、凌悟なら言いたいことがあるなら言うだろうと思い、気にしないことにした。
「そういえば平賀くん――じゃなかった。湊士さ」
「なんじゃらほい」
 そこで湊士はあることに気付く。
「あれ?」
「どうしたの?」
「今日病院行ったときさ。彼女と一緒だったんだけど」
「知ってる」
「でさ、確か平賀くんって呼ばれたような……」
「気のせいじゃない? だって教えてないんでしょ?」
「そうなんだよな……。やっぱり気のせいか」
 しかし、湊士が美白との会話を忘れるわけがなかった。なぜ自分の名前を知っていたのか。気になるが、あまり詮索すると失礼かと思い、気のせいということにしておくのだった。
7月(美白パート)
 学校にて、沙耶は美白にとあるポスターを見せてきた。
 それは夏祭りの内容で、8月にあるという。
「で、一緒に行かない?」
「もちろんいいよ」
「やった! 浴衣着ていこうね」
「はいはい」
 美白は内心、湊士と行きたかった。しかし、自分から誘う勇気があるわけもなく、悶々とするだけだった。
「みしろんの言いたいこともわかるけど、祭りで偶然一緒になるかもしれないじゃん」
「私、何も言ってないんだけど」
「そんなの、顔見ればわかるって」
「……私ってそんなにわかりやすい?」
「うーん、こればっかりは付き合いの長さかなあ」
 その言葉に胸を撫でおろす美白。わかりやすいなら自分の好意が湊士にバレているかもしれないからだ。
 こうして美白は沙耶と一緒に行くこととなった。
 だが、翌日後悔することとなる。
 湊士はとあるお婆さんを助け、病院に行った。美白も一緒についていき、帰りに夏祭りの話題が出た。
「そういえば今度の夏祭り、君は行くの?」
「うん。友達と一緒に」
 もし、沙耶が誘ってくれたのが1日ずれていたなら湊士と一緒に夏祭りに行けたのだろうか?
 今からでも、自分たちと湊士の友人とで一緒に行かないかと誘えないだろうか?
 しかし、美白には勇気が足りなかった。結局祭りに誘うことなく別れることに。
 学校にて、そのことを沙耶に打ち明けた。
「あちゃー。ごめんね。タイミング悪かったね」
「沙耶ちゃんのせいじゃないよ」
「って言われてもなあ……」
 沙耶は心底申し訳なさそうにしていた。
 美白も、あまり気にしすぎないようにしてほしくてフォローする。
「沙耶ちゃんも言ったとおり、偶然会えるかもだし、しっかりお洒落していこ?」
「みしろん……。なんていい子なんだぁ~」
「うわあ! 急に抱き着かないで!」
 どうかいい思い出になりますように。そう願う美白であった。