東京から叔母一家がやってきた。
いらっしゃい、と母と一緒に迎えて、居間に叔母含め従姉弟が入った瞬間に、叔母が土下座をした。
突然の事に驚いて意を突かれたが、慌ててどうしたのかと問えば、何度も何度も、泣きながら「ありがとうございました、お世話を掛けました。ありがとうございます。ありがとうございます」と繰り返した。
その姿を見て、母は顔をあげるようにと言ったが、私は内心『ようやく礼を述べたのか』と冷めた目で一瞬見降ろした。
共に過ごしていないとはいえ、何も協力することは無かったくせに。強いて言えば、元気だったころの祖母と一緒にハワイに旅行に行ったくらいか? まあ、その為のパスポートも、海外保険も、旅行の為の準備も、全部私達が手続したんですけど。
介護をすることになったと言って、表面だけでもいいから「何か手伝えるか」と問えば良いものを、問いもしなかったくせに。
死んだ、と分かって、漸く実感でもしたのか。人間とは、所詮、そんなものか。
叔母が顔をあげる時には、再び薄く笑みを浮かべて、私も「気にしないで」と声をかける。祖母が眠っている仏間に行けば、祖母の顔にかかっている布を取って、さめざめと声を零して、泣いていた。それがどうも、作り泣きの様に見えて、私はどこまで人間不信なんだろうと自分を嫌悪した。
そしてすぐに葬儀屋さんが、祖母の黄泉への旅支度について準備の説明をする。
その間、祖母のいる仏間の戸は閉められていた。きっと、祖母の化粧をしたりするのだろう。
「ばあちゃんは、最期どうだった?」
「もとが病室に入った時に息を引き取ったよ」
「ああ、そう……」
叔母は今一度私の方を見て、頭を下げた。
「もとちゃんありがとう」
また、だ。皆、そういうのだ。本当は間に合っていないはずなのに。私は生きている祖母に会って、その最期を見送ったわけではないのに。
皆、私が、私が、と言葉を続ける。
にこり、と笑みを浮かべて、気にしないで、と言葉を返すほかないと思った。他に返す言葉があると言うのなら、是非とも教えてもらいたいものである。
暫くすれば、葬儀屋さんの準備が終わったようだ。襖をあければ、祖母の顔色は、ずっと良くなっていた。いつも目にしていた時のように、血が巡っているような肌色に見えて、薄く血色の良い唇に見えて。死人だと印象付けるような重く閉ざされた瞳も、少し軽い物の様に見えて。まるで、息を吹き返して、今はただ寝ているだけなんじゃないかと思わせた。
ぼう、と見惚れていたら、葬儀屋さんが一人一人に旅支度(死装束)の指示を出していった。
一般的に言われる死装束とは、西方浄土に旅立つ旅姿である経帷子。天冠……幽霊と言えばの三角形の白い頭に巻かれるあれだ。だけど、これは最近つけない人も多いみたいで、祖母も今回は付けないようだ。手甲、脚絆、白足袋、草鞋を身につける。私達は、それぞれに役割与えられ、経帷子の帯を締める係、手甲をつける係……と流れていき、私は白足袋を履かせた。
やっぱり、祖母の足は驚くほど冷たくて、人間の身体とは思えないほど冷たくて固くて。やっぱり死んでしまったのだと、生き返るわけがないのだと再確認して、足袋を履かせた。
それと、三途の川を渡るための六文銭を模した紙を頭陀袋に入れ、杖を持たせる。
これで旅支度は万端。全員で祖母の寝ているシーツを持って持ち上げて移動させた。思った以上に軽くて、やっぱり祖母は小さく軽いなと、よく見おろして祖母の背中が頭に過る。
「では、何か棺に入れたいものは……」
「あ、の……」
私は慌て座卓から一つの手紙を持ってくる。
「手紙は大丈夫ですか」
「良い子だねえ」
私の隣にいた叔母は感心したように言い、少し涙ぐんだような声で言った。
良い子、なんか、ではないよ。とは言えず、少しだけ口端が引き攣る。
「では、是非懐に入れてあげてください」
そう言われて、私はゆっくりと、懐に手紙を忍ばせた。
私の、懺悔に近い手紙だ。それでいて、愛を込めたラブレターと言ってもいいかもしれない。誰にも読まれることはないだろう。沢山の秘密を込めた、届くかも分からない、私の愛の形だ。
ごめんね。小さく謝りながら忍ばせたのは、きっと祖母しか知らない。
他にも、着物を数着入れ、踊りが好きだった為に踊り用の笠を入れた。
そして、最後に全員で黙とうをしてから、蓋を閉じた。
葬儀は明後日に行われる。
叔母一家はいつも我が家で泊まるときは、いつも仏間で寝ていたのだが、今は祖母の入った棺がある。
ということで、三人はホテルに泊まる様だった。五歳離れている従弟が運転する車に、従姉と叔母が乗り込む姿は、何だか違和感を感じた。
そうだ、全員、大人になったのだった。私の中の従弟は、未だに小学生の姿だった。私も案外、もう若いとは言えないのかもしれない。
あとは弟だ。弟も帰ってきたところで、そこで親族が大方合流するのだ。
祖母が最後に人間の身体を纏って家で過ごす夜。私は再び、祖母の写真を撮った。昨日撮った写真より、少しだけ表情が良く見えたような、そんな錯覚がした。
今日も、私は祖母の居る部屋で一緒に寝る。
翌日、弟が東京から帰ってきた。久しぶりに見た弟の髪色は、黒く染まっていた。喪服と合わせると、今まで以上に大人っぽく見えた。以前見た写真では金髪だったので変貌に驚いたが、弟に聞いたら「そろそろ黒に戻していた方が良いと思った」と、棺の小さな小窓から祖母の顔を覗き込みながら言った。それは、ある意味弟の覚悟だったのかもしれない。
そろそろ祖母が死んでしまう。だから、いざという時の為に黒にした。
言葉にはしていないけれど、そう伝わってくるような気がした。
よく見れば弟の目は少しだけ腫れぼったい。もしかしたら、一人で大泣きでもしたのだろうか。
もし大泣きしたのなら、目元を冷やしておきなさいよ。とは言えず、私より大きくなった弟の頭を少しだけ雑に撫でた。弟は、姉の突拍子な動作に心底驚いたようだが。確かに、私は普段、弟にはこうしたスキンシップはとらなかったけれど。
それでも、よくここまで一人でこれたね、という意味合いも込めて、少しだけ力を込め直して、そのまま頭を撫でた。撫でた、よりは擦った、の方が正しいか。
叔母たち一行が家に来るのとほぼ同時に、祖母は式場に運ばれる。車に運び入れるのは、男性の仕事だった。
行かないで。
本当はそう泣き叫んで、棺にしがみつきたかった。
止めて、連れて行かないで。私の神様を連れて行かないで。
そう泣き叫んで縋ってやりたかった。それでも、私はそれを実行する勇気も度胸も無い。理性が上回った。この年代の人間としては正解のはずなのに、心の中にいる幼い自分は、私を指さして「弱虫! バカ! くたばれ!」と暴言を叫んでいるように感じた。
知っているよ。幼い自分に向かって、背を向けながら言葉を返した。
そのまま外に出て、遺影を手に取って、必要なものを持って、黒いパンプスを履き、外に出た。
近所の人が数名話しかけてきたけれど、曖昧に薄く笑みを浮かべて、会話を受け流して。それを何度か繰り返していたら、出棺を告げるクラクションが響いた。
出て行ってしまう。
けれど、私は何もできないまま、静かに頭を少し下げ、祖母をそのまま見送った。
式場で合流すれば、簡単な式の流れの説明と、私と弟に翌日の受付担当を任せる話をされた。
そうだろうな、と思う。祖父は喪主、という名の役職だけど、実際は認知が進んでほとんど何もできないから父が行っているので、その二人は無理。母もその妻、義娘だから無理。叔母も娘だから無理。
そうなると私達姉弟か従姉弟になるが、共に暮らしていたのは私だ。当然だと思う。
挨拶のマニュアルなどのカンペはあるが、言葉は難しい。弟と顔を見合わせて、揃って小さく吹きだした。言える自信が無かった。私達は揃って頭が良いわけではなかったのだ。
まあなんとかなるだろう。そんな軽いノリで過ごせたのは、周りに深く悲しんでいる人があまりにもいなかったからだろうか。
*
何も問題事は無く、二日間に渡る葬儀は、滞りなく行われた。大きな問題も起きず、仲の悪い叔母と父の口論も流石に起きず、至って平和に時間は流れ、親族しか集まらない静かで落ち着きのある葬式だった。
受付を担当している私と弟は一番後ろの席に腰かけていて、参列者全員の様子が見えていた。
通夜。
ああ、何であの人は背筋が伸びていないのだろう。背が丸まっているのだろう。歩く時に、姿勢が悪いのだろう。
焼香の時に、全員の後姿はよく見えて、それが何だか、私の方が少し恥ずかしい気分がした。次をどうぞと促され、弟が先に立ち上がり、そのまま歩き出す。それに続いて、私も立ち上がり、歩く。
背筋を伸ばせ。顔をあげろ。
かわいそうな孫だなんて思われたくない。背筋を伸ばし、少しだけあるヒールの踵から地面に着けるように、真っ直ぐと、堂々としろ。弱みを見せるな。
焼香台の少し手前で参列者の居る方へに一礼。皆が軽く頭を下げた。焼香台の前に進み、一礼。数珠を左手にかけ、右手で抹香をつまみ、額におしいただく。抹香を静かに香炉の炭の上にくべる。一つまみの抹香を三回に分けて行った。合掌時、一瞬の間だ。それでも頭をよぎるのは、祖母の顔で、浮かぶ言葉は『ごめんなさい』だったのだ。少し下がり、遺族に一礼して席に戻る。
戻る時も、悲しい顔は見せてたまるか。そんな意地で、真っ直ぐと前を見て、自分の席に向かって歩く。
参列者の方々も終わり、式が流れていく。
告別式。
父の別れの挨拶は、やっぱり祖母の最後のこと。私についてが述べられて、小さく拳を握る。隣にいた弟が、私の方へ顔を向けたのが分かった。
気付かないふりをしたけれど、分かる。弟は、少し、憐みの目を向けていた。
献花で、私と弟が自然と涙を零し、そのまま二人揃って静かに号泣した。
祖母に花を添えた所で、ようやく死を実感する。よく聞いた言葉だったが、実際にそうだった。死化粧をして表情を整えられた冷たい祖母に次々と花を添える動作は、意識をしなくても別れを実感させて、涙が勝手に零れ出る。
棺の蓋を閉じて、告別式は終了した。棺をバス型の寝台車へ乗せ、火葬場へと共に行く。丁度、私の腰かけた所は、棺が横にある席だったようだ。
思わずもたれかかると、ゆっくりと涙がこぼれ落ちてきた。
ああ、お別れが近づいている。それを嫌でも実感してしまった。
火葬場につけば、僧侶や葬儀社の案内に従って最後のお別れをした。
お骨拾いは、私の地元では数人だけで全ての骨を拾う。今回は、私と弟、叔母と従姉弟だった。
火葬に必要な時間は1時間程度。その間も、私と弟が従弟一家に声をかけ続けた。
「そういえば、ばあちゃんは桜は見れたのかな」
叔母の言葉に、思わず外に視線が行く。
「病院の窓から見れたと思うよ」
「そっか、それなら良かった。好きだもんね」
確かに桜も好きだっただろう。だけど、祖母は百日草やコスモスなど、地に咲く花の方が好きだったのだけれど。
それでも笑みを絶やさない様に。絶対に、笑みを浮かべる事だけを意識して。弟の視線は、何度か感じていた。
火葬が終了したのは、予定よりも早かった。祖母は小柄だから、早く済んでしまったのだろうな。
骨上げの為の部屋まで案内され、シャッターが開けられて運ばれてきたものは、祖母の跡形などどこにも無かった。ただの、白い人骨だった。お骨箱に入れやすい様に、砕かれた骨は、二度と祖母の形を作らないのだと、箸で骨を取る度に思い知らされた。
祖母の面影も無ければ、悲しみも浮かんでこないだろう。全員で話をしながら、箸で取る。笑みを浮かべているつもりでも、段々と顔が下がる。手が震える。
上手く骨が取れないでいると、取り損ねた骨を、弟が取った。
「大丈夫?」
私にしか聞こえないような小声だっただろう。私は横目で弟を見てから、笑みを見せてやる。
「大丈夫よ」
*
全てを終え、叔母一家も弟も東京に戻った。
部屋でぼうと過ごしていたタイミングで、スマホにメッセージが届いたことが通知された。
誰からだろうかと確認すれば、車に乗っている最中であろう、叔母からのメッセージであった。
『もとちゃんありがとう。ばあちゃんはもとちゃんを待っていたんだと思います』
――カッ、と血が沸騰した。
私は無言で、無心でスマホを持つ右手を振り上げて、ベッドの上に勢いよくスマホを叩きつけた。
ボスン、と音を立ててベッドの上を大きく一回跳ねて、その後何度か小刻みに跳ねて、大人しくなった。
唇を噛みしめて、ひぃと空気が隙間から零れた。
もう嫌になった。皆して同じことを言う。
「死者の気持ちを、勝手に私に押し付けるな」
低くて、怒りを滲ませて、どろどろのヘドロのような重みを感じさせる、他人に聞かせられるような声ではなかった。
私は間に合っていない。最後の最後に言葉を交わすことが出来なかった、祖母不幸者だ。
「死ね、死ね……」
そのまま床の上に崩れ落ちて、ぼろぼろと涙が勝手にこぼれ落ちてきた。暴言を口にするたびに、涙が一緒に出てきてしまう。目元を乱暴に拭い、暴言を吐く。
勝手に押し付けてくる周りの奴等も、私も、死んでしまえ。
それだけの気持ちで、静かに自分の部屋で泣きじゃくった。
存在するのが許されない気分がした。自分の存在を否定されている気分がして、自分の言葉が更に追い込んでいったのを覚えている。
いらっしゃい、と母と一緒に迎えて、居間に叔母含め従姉弟が入った瞬間に、叔母が土下座をした。
突然の事に驚いて意を突かれたが、慌ててどうしたのかと問えば、何度も何度も、泣きながら「ありがとうございました、お世話を掛けました。ありがとうございます。ありがとうございます」と繰り返した。
その姿を見て、母は顔をあげるようにと言ったが、私は内心『ようやく礼を述べたのか』と冷めた目で一瞬見降ろした。
共に過ごしていないとはいえ、何も協力することは無かったくせに。強いて言えば、元気だったころの祖母と一緒にハワイに旅行に行ったくらいか? まあ、その為のパスポートも、海外保険も、旅行の為の準備も、全部私達が手続したんですけど。
介護をすることになったと言って、表面だけでもいいから「何か手伝えるか」と問えば良いものを、問いもしなかったくせに。
死んだ、と分かって、漸く実感でもしたのか。人間とは、所詮、そんなものか。
叔母が顔をあげる時には、再び薄く笑みを浮かべて、私も「気にしないで」と声をかける。祖母が眠っている仏間に行けば、祖母の顔にかかっている布を取って、さめざめと声を零して、泣いていた。それがどうも、作り泣きの様に見えて、私はどこまで人間不信なんだろうと自分を嫌悪した。
そしてすぐに葬儀屋さんが、祖母の黄泉への旅支度について準備の説明をする。
その間、祖母のいる仏間の戸は閉められていた。きっと、祖母の化粧をしたりするのだろう。
「ばあちゃんは、最期どうだった?」
「もとが病室に入った時に息を引き取ったよ」
「ああ、そう……」
叔母は今一度私の方を見て、頭を下げた。
「もとちゃんありがとう」
また、だ。皆、そういうのだ。本当は間に合っていないはずなのに。私は生きている祖母に会って、その最期を見送ったわけではないのに。
皆、私が、私が、と言葉を続ける。
にこり、と笑みを浮かべて、気にしないで、と言葉を返すほかないと思った。他に返す言葉があると言うのなら、是非とも教えてもらいたいものである。
暫くすれば、葬儀屋さんの準備が終わったようだ。襖をあければ、祖母の顔色は、ずっと良くなっていた。いつも目にしていた時のように、血が巡っているような肌色に見えて、薄く血色の良い唇に見えて。死人だと印象付けるような重く閉ざされた瞳も、少し軽い物の様に見えて。まるで、息を吹き返して、今はただ寝ているだけなんじゃないかと思わせた。
ぼう、と見惚れていたら、葬儀屋さんが一人一人に旅支度(死装束)の指示を出していった。
一般的に言われる死装束とは、西方浄土に旅立つ旅姿である経帷子。天冠……幽霊と言えばの三角形の白い頭に巻かれるあれだ。だけど、これは最近つけない人も多いみたいで、祖母も今回は付けないようだ。手甲、脚絆、白足袋、草鞋を身につける。私達は、それぞれに役割与えられ、経帷子の帯を締める係、手甲をつける係……と流れていき、私は白足袋を履かせた。
やっぱり、祖母の足は驚くほど冷たくて、人間の身体とは思えないほど冷たくて固くて。やっぱり死んでしまったのだと、生き返るわけがないのだと再確認して、足袋を履かせた。
それと、三途の川を渡るための六文銭を模した紙を頭陀袋に入れ、杖を持たせる。
これで旅支度は万端。全員で祖母の寝ているシーツを持って持ち上げて移動させた。思った以上に軽くて、やっぱり祖母は小さく軽いなと、よく見おろして祖母の背中が頭に過る。
「では、何か棺に入れたいものは……」
「あ、の……」
私は慌て座卓から一つの手紙を持ってくる。
「手紙は大丈夫ですか」
「良い子だねえ」
私の隣にいた叔母は感心したように言い、少し涙ぐんだような声で言った。
良い子、なんか、ではないよ。とは言えず、少しだけ口端が引き攣る。
「では、是非懐に入れてあげてください」
そう言われて、私はゆっくりと、懐に手紙を忍ばせた。
私の、懺悔に近い手紙だ。それでいて、愛を込めたラブレターと言ってもいいかもしれない。誰にも読まれることはないだろう。沢山の秘密を込めた、届くかも分からない、私の愛の形だ。
ごめんね。小さく謝りながら忍ばせたのは、きっと祖母しか知らない。
他にも、着物を数着入れ、踊りが好きだった為に踊り用の笠を入れた。
そして、最後に全員で黙とうをしてから、蓋を閉じた。
葬儀は明後日に行われる。
叔母一家はいつも我が家で泊まるときは、いつも仏間で寝ていたのだが、今は祖母の入った棺がある。
ということで、三人はホテルに泊まる様だった。五歳離れている従弟が運転する車に、従姉と叔母が乗り込む姿は、何だか違和感を感じた。
そうだ、全員、大人になったのだった。私の中の従弟は、未だに小学生の姿だった。私も案外、もう若いとは言えないのかもしれない。
あとは弟だ。弟も帰ってきたところで、そこで親族が大方合流するのだ。
祖母が最後に人間の身体を纏って家で過ごす夜。私は再び、祖母の写真を撮った。昨日撮った写真より、少しだけ表情が良く見えたような、そんな錯覚がした。
今日も、私は祖母の居る部屋で一緒に寝る。
翌日、弟が東京から帰ってきた。久しぶりに見た弟の髪色は、黒く染まっていた。喪服と合わせると、今まで以上に大人っぽく見えた。以前見た写真では金髪だったので変貌に驚いたが、弟に聞いたら「そろそろ黒に戻していた方が良いと思った」と、棺の小さな小窓から祖母の顔を覗き込みながら言った。それは、ある意味弟の覚悟だったのかもしれない。
そろそろ祖母が死んでしまう。だから、いざという時の為に黒にした。
言葉にはしていないけれど、そう伝わってくるような気がした。
よく見れば弟の目は少しだけ腫れぼったい。もしかしたら、一人で大泣きでもしたのだろうか。
もし大泣きしたのなら、目元を冷やしておきなさいよ。とは言えず、私より大きくなった弟の頭を少しだけ雑に撫でた。弟は、姉の突拍子な動作に心底驚いたようだが。確かに、私は普段、弟にはこうしたスキンシップはとらなかったけれど。
それでも、よくここまで一人でこれたね、という意味合いも込めて、少しだけ力を込め直して、そのまま頭を撫でた。撫でた、よりは擦った、の方が正しいか。
叔母たち一行が家に来るのとほぼ同時に、祖母は式場に運ばれる。車に運び入れるのは、男性の仕事だった。
行かないで。
本当はそう泣き叫んで、棺にしがみつきたかった。
止めて、連れて行かないで。私の神様を連れて行かないで。
そう泣き叫んで縋ってやりたかった。それでも、私はそれを実行する勇気も度胸も無い。理性が上回った。この年代の人間としては正解のはずなのに、心の中にいる幼い自分は、私を指さして「弱虫! バカ! くたばれ!」と暴言を叫んでいるように感じた。
知っているよ。幼い自分に向かって、背を向けながら言葉を返した。
そのまま外に出て、遺影を手に取って、必要なものを持って、黒いパンプスを履き、外に出た。
近所の人が数名話しかけてきたけれど、曖昧に薄く笑みを浮かべて、会話を受け流して。それを何度か繰り返していたら、出棺を告げるクラクションが響いた。
出て行ってしまう。
けれど、私は何もできないまま、静かに頭を少し下げ、祖母をそのまま見送った。
式場で合流すれば、簡単な式の流れの説明と、私と弟に翌日の受付担当を任せる話をされた。
そうだろうな、と思う。祖父は喪主、という名の役職だけど、実際は認知が進んでほとんど何もできないから父が行っているので、その二人は無理。母もその妻、義娘だから無理。叔母も娘だから無理。
そうなると私達姉弟か従姉弟になるが、共に暮らしていたのは私だ。当然だと思う。
挨拶のマニュアルなどのカンペはあるが、言葉は難しい。弟と顔を見合わせて、揃って小さく吹きだした。言える自信が無かった。私達は揃って頭が良いわけではなかったのだ。
まあなんとかなるだろう。そんな軽いノリで過ごせたのは、周りに深く悲しんでいる人があまりにもいなかったからだろうか。
*
何も問題事は無く、二日間に渡る葬儀は、滞りなく行われた。大きな問題も起きず、仲の悪い叔母と父の口論も流石に起きず、至って平和に時間は流れ、親族しか集まらない静かで落ち着きのある葬式だった。
受付を担当している私と弟は一番後ろの席に腰かけていて、参列者全員の様子が見えていた。
通夜。
ああ、何であの人は背筋が伸びていないのだろう。背が丸まっているのだろう。歩く時に、姿勢が悪いのだろう。
焼香の時に、全員の後姿はよく見えて、それが何だか、私の方が少し恥ずかしい気分がした。次をどうぞと促され、弟が先に立ち上がり、そのまま歩き出す。それに続いて、私も立ち上がり、歩く。
背筋を伸ばせ。顔をあげろ。
かわいそうな孫だなんて思われたくない。背筋を伸ばし、少しだけあるヒールの踵から地面に着けるように、真っ直ぐと、堂々としろ。弱みを見せるな。
焼香台の少し手前で参列者の居る方へに一礼。皆が軽く頭を下げた。焼香台の前に進み、一礼。数珠を左手にかけ、右手で抹香をつまみ、額におしいただく。抹香を静かに香炉の炭の上にくべる。一つまみの抹香を三回に分けて行った。合掌時、一瞬の間だ。それでも頭をよぎるのは、祖母の顔で、浮かぶ言葉は『ごめんなさい』だったのだ。少し下がり、遺族に一礼して席に戻る。
戻る時も、悲しい顔は見せてたまるか。そんな意地で、真っ直ぐと前を見て、自分の席に向かって歩く。
参列者の方々も終わり、式が流れていく。
告別式。
父の別れの挨拶は、やっぱり祖母の最後のこと。私についてが述べられて、小さく拳を握る。隣にいた弟が、私の方へ顔を向けたのが分かった。
気付かないふりをしたけれど、分かる。弟は、少し、憐みの目を向けていた。
献花で、私と弟が自然と涙を零し、そのまま二人揃って静かに号泣した。
祖母に花を添えた所で、ようやく死を実感する。よく聞いた言葉だったが、実際にそうだった。死化粧をして表情を整えられた冷たい祖母に次々と花を添える動作は、意識をしなくても別れを実感させて、涙が勝手に零れ出る。
棺の蓋を閉じて、告別式は終了した。棺をバス型の寝台車へ乗せ、火葬場へと共に行く。丁度、私の腰かけた所は、棺が横にある席だったようだ。
思わずもたれかかると、ゆっくりと涙がこぼれ落ちてきた。
ああ、お別れが近づいている。それを嫌でも実感してしまった。
火葬場につけば、僧侶や葬儀社の案内に従って最後のお別れをした。
お骨拾いは、私の地元では数人だけで全ての骨を拾う。今回は、私と弟、叔母と従姉弟だった。
火葬に必要な時間は1時間程度。その間も、私と弟が従弟一家に声をかけ続けた。
「そういえば、ばあちゃんは桜は見れたのかな」
叔母の言葉に、思わず外に視線が行く。
「病院の窓から見れたと思うよ」
「そっか、それなら良かった。好きだもんね」
確かに桜も好きだっただろう。だけど、祖母は百日草やコスモスなど、地に咲く花の方が好きだったのだけれど。
それでも笑みを絶やさない様に。絶対に、笑みを浮かべる事だけを意識して。弟の視線は、何度か感じていた。
火葬が終了したのは、予定よりも早かった。祖母は小柄だから、早く済んでしまったのだろうな。
骨上げの為の部屋まで案内され、シャッターが開けられて運ばれてきたものは、祖母の跡形などどこにも無かった。ただの、白い人骨だった。お骨箱に入れやすい様に、砕かれた骨は、二度と祖母の形を作らないのだと、箸で骨を取る度に思い知らされた。
祖母の面影も無ければ、悲しみも浮かんでこないだろう。全員で話をしながら、箸で取る。笑みを浮かべているつもりでも、段々と顔が下がる。手が震える。
上手く骨が取れないでいると、取り損ねた骨を、弟が取った。
「大丈夫?」
私にしか聞こえないような小声だっただろう。私は横目で弟を見てから、笑みを見せてやる。
「大丈夫よ」
*
全てを終え、叔母一家も弟も東京に戻った。
部屋でぼうと過ごしていたタイミングで、スマホにメッセージが届いたことが通知された。
誰からだろうかと確認すれば、車に乗っている最中であろう、叔母からのメッセージであった。
『もとちゃんありがとう。ばあちゃんはもとちゃんを待っていたんだと思います』
――カッ、と血が沸騰した。
私は無言で、無心でスマホを持つ右手を振り上げて、ベッドの上に勢いよくスマホを叩きつけた。
ボスン、と音を立ててベッドの上を大きく一回跳ねて、その後何度か小刻みに跳ねて、大人しくなった。
唇を噛みしめて、ひぃと空気が隙間から零れた。
もう嫌になった。皆して同じことを言う。
「死者の気持ちを、勝手に私に押し付けるな」
低くて、怒りを滲ませて、どろどろのヘドロのような重みを感じさせる、他人に聞かせられるような声ではなかった。
私は間に合っていない。最後の最後に言葉を交わすことが出来なかった、祖母不幸者だ。
「死ね、死ね……」
そのまま床の上に崩れ落ちて、ぼろぼろと涙が勝手にこぼれ落ちてきた。暴言を口にするたびに、涙が一緒に出てきてしまう。目元を乱暴に拭い、暴言を吐く。
勝手に押し付けてくる周りの奴等も、私も、死んでしまえ。
それだけの気持ちで、静かに自分の部屋で泣きじゃくった。
存在するのが許されない気分がした。自分の存在を否定されている気分がして、自分の言葉が更に追い込んでいったのを覚えている。