気が付けば同期が私を含め三人にまで減り、私が勤務三年目に入ろうとする、冬を目前とした時期の事だった。

 ここ最近、祖母の容体があまりよろしくない。

 食欲がないのか、朝ご飯をあまり食べなくなり、お昼は一緒に食べる人がいないのでよく分からないが、夕飯も完食するのが難しくなってきていた。
 思ったように物が食べられないの。そう言った祖母の顔は寂しそうだった。祖母は母の料理が好きだったから、残してしまうのが心苦しかったのかもしれない。
 無理して食べる必要はないよ、と促して。祖母の好物であり座卓に鎮座していた干し柿も、おやつも、目に見えて量が減らない日々が続く。
 風邪だろうかと熱を測っても、お年寄り特有の低体温で、熱でもない。それじゃあ、お腹の調子が悪いのかもしれない。少しの下剤と腸薬を飲んでみても、どうも本調子にはならない。
 いつでも腹がいっぱいな気持ちでいる。それが数日も続いたので、母が祖母を病院につれて行った。
 病院から二人で帰って来て、どのような症状だったのかと夕飯時に問えば、母曰く、大腸に便が大量に詰まっていたらしい。食事中にする話題ではなかっただろう。父は味噌汁を吹きだした。逆に私は、介護の経験もあるせいなのか、大して動揺はしなかった。
 そりゃあ、物も入りませんわ。と納得して、それを全部取り除いてもらったらしく、食事も美味しそうに食べれるようになった。
「あー良かったねー」と一安心したのも束の間、暫くすると、また祖母の腹部が痛み出した。

「ばあちゃん大丈夫?」
「大丈夫だよ。心配しないでね」
 私がかけられる言葉はこれだけしか思い浮かばなかった。いっそのこと、最初の職場に勤めていた時の私の様に、しんどい辛い苦しいと泣き喚いてくれたら、背中を撫でる事も、愚痴を聞いてあげることも出来たのに。祖母は、頑なに私に弱みなど見せず、笑顔で接していた。
 何度も何度も病院に足を運ぶ。通院をする、という行為だけでも疲労感は大きいだろう。当人は勿論、付き添いの母の疲労も大丈夫だろうかと、それでも何もできない私は自身に嫌気がさした。
 検査入院に行くことが決定した祖母に見送られながら、私は仕事に行く。自分の不甲斐なさに、思わず唇を噛みしめた。

 祖母の詳しい容体を知ったのは、私が仕事から帰ってきた時。
 いつもなら料理をしている母が居ない。居間の電気はついていて、畑側の部屋に祖父が居るだけだ。玄関に父の靴もあったのに、一階には誰も居なかった。
 おかしいな、と思いつつ手洗いうがいをしてから、水筒を洗って、自分の部屋のある二階を目指し階段を上る。
 私の部屋に向かうには、両親の部屋の前を通らないといけない。そのタイミングで、名を呼ばれて呼び止められた。
 部屋の中を覗いてみれば、両親がそれぞれ座布団と座椅子に腰かけていて、こちらをみていた。早くも寒い風の吹く地元故にもう出ている炬燵の上には、数々の紙が散らばっていて、遠目でも蛍光ペンが引かれているのが分かった。
 部屋の中に入り、何? と問う。
「ばあちゃんの容体は、そんなに悪いわけじゃなかったよ。ただ、尿路が狭いから管を入れるけれど」
「くだ?」
「ステントって知ってる?」
 ああ、と声を零した。
 金属製の網状チューブを、管内に留置して流れを確保する治療だ。介護の職に就いていた時にも、そのような利用者は居て、職場でも軽く説明は受けたし、介護の勉強の時にも少しだけではあるが学んだ記憶はある。
 ステントという小さな金属製の網状チューブを、管内に入れ、冠動脈まで送り込む。そして狭くなった部分を、バルーン(風船)で膨らませて拡げるのだ。バルーンを膨らませることで、ステントも拡張する。十分に拡張した後、バルーンを抜いて、ステントのみを管内に置いておく。その結果、ステントが管の内腔を拡げた状態で支えていることになるのだ。
 まあ、このステントも、数か月ごとに交換しないといけないので、その度に入院となってしまうのだが、背に腹は代えられない。
「ガン、だったとか?」
「ガンではなさそうだよ。ただ、右の腎臓の機能が低下はしているらしい」
 そう、だろうなと思った。尿に関する話をしたのだから、不要で余分なものを体から追い出して、必要なものだけをしっかり体の中に残し、体の中の環境を正常に保つことが仕事である腎臓に問題があるのは明らかだ。
 影は薄いけれど、大切な臓器であるのに変わりはない。

「だから、覚悟しておきなね」

 その言葉を聞いて、頭の中の辞書を読んでいた自分を必死に呼び戻した。
 覚悟、とは。その単語一つの意味を、私はすぐに察してしまった。それなのに、私はどこか、浮世離れしたような気分がした。
「まあ、ばあちゃんもいい歳だから、仕方ないというか。最後まで、一緒に居てあげてね」
 母の言葉に、私は一瞬ぼうと意識を飛ばしてしまったが、すぐに得意なにこりとした笑みを浮かべて、任せてよと力強い言葉を述べた。
「そりゃあもう、介護やってたのでプロですよプロ。大船に乗ったつもりでいてください」
「それは頼もしいな。まあ、ばあちゃんももとに面倒見てもらえたらうれしいだろう」
 それは本当だろうか。父の言葉に、疑念を抱いた。
 私だったら、絶対に嫌だ。大好きで最愛の人に、自分の醜い部分を見られるのは、死よりも恐ろしいと感じてしまう気がした。私はプライドが高いのだ。人にはいいところしか見られたくないのだ。当然の思考だと思ってもらいたい。
 大好きな人に手間を掛けさせてしまって申し訳ない。そう、感じてしまうのではないだろうか。
 祖母は、特別優しい人だった。何か手伝うたびに、礼と謝罪を述べる人だった。私は彼女が弱音をはいた所を見たことが無い。そんな人が、大好きな孫の手を煩わせることを、望むのだろうか。
「まあまあ、大好きなもとちゃんにお任せあれってね」
「そうそう。寧ろこの歳まで元気だったのが凄いよ。まあ、そういうことで。病院とか行くことも増えるけど、付き添いとかよろしくお願いしますね」
「お任せあれ」
 とん、と胸を叩いて笑みを見せた。そんな私の様子を見て、両親は些かホッとした様な表情と空気を零したのを、私が見逃すはずが無かった。
 両親はあくまで私を『祖母の孫』という立ち位置に立たせていたのだと、今なら何となくではあるが分かる気がする。
 いくら実家で一緒に住んでいて面倒を見ることが可能とはいえ、親からすれば私はまだ二十代の若者であり、家族からの認識からすれば『ばあちゃんに可愛がってもらった孫』なのだ。
 きっと、これは私が一人暮らしだったとしても、同じ状況になっていただろう。現に、自立して東京に一人暮らしをしている弟にも、詳しい状況などは伝えてはいなかった。まあ、私が弟と同じ立場になっていたら、実家暮らし以上に症状などを聞いていたり、写真を送ってほしいと頼んだりしたかもしれないが。

 親が欲していたのは、祖母にとっての安心のできる居場所。それが私だったのだと思う。
 言葉は悪いが、病気で心が弱っている祖母の心の安定剤になってくれ、という話だ。それが、私のこの家での立ち位置へと変わったように思う。

 そのまま自室に戻ると、ズンと身体が重くなったように感じて、ぼとりと肩にかけていた鞄がずり下がり、床に落ちた。ふらふらと酔っ払いの千鳥足の様に歩いた所為か、床に落ちた鞄の紐に足を引っかけて、そのままバランスを崩してベッドに転がり込んだ。
 上半身だけをベッドに乗せた体勢で、膝から下は冷たい床の上のまま。その体勢のまま、私の表情は、ゆっくりと真顔に戻っていく。顔の筋肉が、ようやく休みを得たことに対して歓喜の声を上げているのが聞こえる様な気がした。

 歳だから仕方がない。そんなのは分かっていた。歳をとるにつれて身体の免疫は低くなり、脳も収縮し機能も衰え、重病をもちやすくなる。老衰で亡くなる人なんて、幸せ者以外の何者でもない。

 私の知っている老人は、何かしらの病気で亡くなっていた。
 身体が硬直し、上手く動かせなくて車いすで移動する人が多かった。この方は持病があるから、と毎日たくさんの薬を看護師さんから手渡されたこともあった。食事をとることが出来ないから、毎日直接胃に栄養を入れたり、寝たきりの人には点滴を打って、その命を繋いでいた。私は医療行為に当たることはできないから、申し訳ない気持ちになってばかりだった。私の勤めていたのは特別養護老人ホーム。要介護認定が高い人ばかりだった。

 だからこそ怖かったのだ。

 私の祖母も、あの人たちみたいに、なってしまうのではないか。

 そんな考えを持った自分に気が付いて嫌気がさし、バチンと勢いよく自身の頬を叩いた。
 ひとでなし。と、小声で呟いた。
 あの施設に居た人達だって、出来るなら最後まで自分の家で、二本の足で、健康的に苦労の無い生活をしたかったはずだった。それが、我が家の祖母も同じだった。それだけだ。
 でも、私の心は納得などしてくれなかった。
 赤ん坊が駄々をこねるように、大粒の涙をボロボロと零して、嫌だと四肢を暴れさせて大きな泣き声をあげてやりたかった。こんなの認めたくないと暴れてやりたかった。
 それなのに、私の両親ときたら! ずっと笑顔で話して、歳だから歳だからと何度も言って! どうしてそんなに簡単に受け入れられるの! どうしてすんなり認められるの!
 ほろり、と涙がこっそりと左目から零れ出たのが、鼻の筋をなぞっていったことによって、ようやく自分でも泣いていることに気づいた。
 気が付けば最後。私も、私も、と言わんばかりに涙が次々と目から零れ落ちていくのだ。私が泣きたい、という意思を持っているわけではないのに、勝手に零れ出てきやがる。

 シーツにじんわりとシミができたところで、ようやく体を起こす。冷たい床の上で半分の体重を掛けられていた膝はじんじんと痛みを訴えていて、休ませる意味も込めて、ベッドの上に寝転がり、天井を見上げる為に仰向けになって、胸元で手を組み、ゆっくりと瞼を閉じる。
 隠そう。私のこの感情を。私は最後まで、祖母に愛されているかわいい孫のもとちゃんなのだと、両親と祖父と祖母に思わせるように。笑え。笑って、少しでも周りの不安材料にならない様に。
 私が苦しんでいることを、周りに悟られない様に。かわいそうだから、と施しを貰わない様に。周りに、手間をかけさせない様に。皆が、祖母だけの面倒見れば良い様に、安心させるために。
 ゆっくりと口角を上げて、安心させる笑みを作る練習をする。
 人前では絶対に弱音にならない。がんばる。がんばる。何度も、自分を鼓舞した。



 翌日。病院に母と一緒に祖母の迎えに向かった。
 病室に入るときの挨拶は明るく、少しトーンを高めに。祖母の前に現れる時は少し腕を広げて、少し幼さを出して、やあ! と明るい調子で登場する。
「おはよう! 退院の準備はできてる?」
「大丈夫。看護婦さんがねえ、全部やってくれたり手伝ってくれるの。良い人たちねえ」
「そっか、良かったあ」
 用意されている椅子に腰かける。
 私と祖母が話していると、母が常備されている冷蔵庫や棚の中に忘れ物が無いかをチェックしていた。棚の中に、祖母が着ていたコートが入っていた。
 それを祖母の会話の横目に母から受け取ると、看護師さんがやってきた。母が呼ばれて、どうやら色々な手続きや説明などを受けるらしい。
 待っててと私達に言って、はーいとまるで子供のような間延びした返事をする。
「検査はどうだったのかねえ」
「あれ、昨日、パパとママと一緒に聞いてなかった?」
「うーん、難しくて忘れちゃった」
 これはしめた、と心の中の悪意がドロリと零れ出した。さらに笑みを濃くして、ベッドに腰かけている祖母の手を握ったり離したり、という軽い手遊びのような物をしながら口を開く。
「正直に言うとねえ、ばあちゃんの腎臓が調子悪かったらしいよ」
「あらあ、そうなの」
 そうなの、といっているが、きっと腎臓という臓器がどこなのか、どういう機能を持っているかなど分かりはしないだろう。脳、心臓、肝臓、腸、などの代表的な臓器だったら、流石に本人も気落ちするかもしれない。
「うん。だから、定期的に検査して、ちょっと体調が戻ったら、きっと良くなるよ」
「そうかあ」
「うん」
 自分の口にした言葉の数々が、嘘ではなくて本当の事なのだと信じたかった。

 大好きなこの人が、私の神様が私を残して消えるはずがない。

 考えるだけでも己の死よりも恐ろしい気分がした。そして、神が亡くなると共に、私の全ても消えてなくなるような気がして、事実として考えられない事だった。
 家に帰ったら、まずは、大好きな物でも食べさせてあげよう。病院食はあまり美味しくなかったと軽く愚痴を言うくらいだ。看護師の話では、食事もとれ、用を足すこともできるみたいだから、きっと大丈夫。
 蟹が好物だから、大晦日や正月には食べさせてあげよう。蟹は、私にとって一番大っ嫌いな食べ物だけど、臭いなど我慢してやる。
 栄養を取って、また前みたいに家に居て過ごせば。祖母はきっと大丈夫だ。そう、自分に強く言い聞かせていた。