共に暮らしている一卵性の双子の姉が死んだ。その報告は、すぐに私の耳に入ってきて、葬儀などは全て妹である私が行った。仕方がないのだ。両親は幼い頃に交通事故で亡くなったし、その後私達の面倒を見てくれた祖父母も、天寿を全うし亡くなっていたのだから。成人済みの身内で、親等が一番近い私が全てを仕切るのは当然のことだった。だって、生まれる前から一緒にいる。下手すれば親よりも、血が濃いかもしれない私だから。
「海に散骨にしたいので、粉末状にお願いします」
「わお」
 私の頼みごとに、葬儀屋さんは少し驚いたような表情をしながらも、かしこまりましたと了承してくれた。散骨をするために、数日後に預かることと、預かった骨を二ミリ以下の粉末にし、水に溶ける紙の小分けにしてお渡しすると告げられ、それでも大丈夫かと再度問われた。最終確認だ。姉の姿が消える事になるぞと、墓に残らないぞと、押し止めるような雰囲気を持感じた。だが、私は変わらず、お願いしますと頭を下げた。
 その後も淡々と事は進んでいく。葬儀屋さんは最後まで丁寧に接してくれて、詳しいことを説明されたが、全てを相手にお任せするような形になってしまった。だが形式上は完了した。葬儀やら何やらを終えたばかりで、向こうもヘトヘトだっただろうに、無茶なお願いをしてしまっただろうか。それでも、担当してくれた人は最後まで優しい表情をし、そのまま家を後にした。
「まさか散骨を選ぶとはね」
「それが、海華(みか)ちゃんの夢だったじゃない。死んだら名前と同じ海に還りたいって」
「よく覚えていたねえ。偉い偉い」
 そう言いながら撫でようとした彼女の手は、私の頭をすり抜けた。
「やめてよそれ、ゾワゾワするのよ」
「ごめんごめん。でも霊体が面白くて。あと、海抄(みと)の反応が面白いんだもん」
「全く……」
 小さく息を吐きながら、彼女に撫でられた箇所を思わず掻いた。
 彼女は藍沢(あいざわ)海華(みか)。私の双子の姉であり、亡者である。因みに、優しい葬儀屋さんのために弁面をしておく。先ほどの「わお」は霊体として私の横に立っていた彼女の声だ。
 死因は心臓発作。在宅ワークでずっと座りっぱなしの徹夜の毎日。運動不足も相まって、ふと立ち上がった瞬間にぽっくりと死んだ、とは本人談。二十代という若さでの死は、彼女の職場の仲間は当然のことながら、人脈のあった彼女は多くの人に悲しみを与えた。姉の携帯を借りて、沢山の知り合いの人に電話をしたのは大層骨がおれた。
「散骨にして、叔父さんとか文句言わないかな」
「じゃあ海華ちゃんは先祖代々の骨に混ざっている墓に入りたい?」
「遠慮したいなー」
「でしょう? 良いんだよ。私は誰よりも長く一緒に海華ちゃんと一緒にいたんだから」
 文句何て言わせない。決意の籠った私の言葉を聞いた彼女は、最初は呆気にとられたようだけれど、すぐににんまりと笑みを浮かべて、そうかそうかと再度頭を撫でようとするので、私は慌ててそれを避けた。
「それじゃあ、準備するわよ!」
「準備?」
「そう。身の沈めところ探し」

 要は、彼女は旅をしたかったらしい。最後の場所は自分で決めたい。綺麗な海がいい、と子供のように駄々をこねる姉を、私は冷めた目で眺め、渋々了承した。まあ、正直な話、旅をするというのは、少し魅力的に思えたので、実質同類かもしれない。
 彼女の遺産は多いとは言えなかった。何たって二十代だ。保険金だって多くかけていたわけではない。元々多くはない資金も葬儀などに回されたのだ。残るものも少ない。
 だが彼女の貯金額を見れば、そこそこのお金が入っていたので、倹約家な一面が見えて少し驚いた。
 私はと言えば、職場に投げるように退職届を出し、逃げ出すように仕事をやめて、他にも様々な面倒な手続きを終えた。この世界で生きていくには、様々な手続きが必要となって、本当に面倒くさい。
 準備を行なっている時も、姉はどこかソワソワと、実年齢よりも若く見えた。
 昔からそうだ。私の方が妹なのに、妹さんの方がしっかりしているだとか、まるで逆のようだねとか言われていた。それに、姉はどちらかと言えば明るい性格だったが、私は静かに穏やかに過ごしたいタイプだった。まるで太陽と月のように逆の私たちだったけれど、生まれる前から一緒だったからなのか、共にいる時はいつだって何故か落ち着いた。
 葬儀屋さんに姉を預けて、帰ってくるまでは姉と旅マップを眺めていた。ここに行きたいだとか、ここを旅したいだとか。数冊の旅マップは、赤い丸でたくさん囲まれていた。
 そして葬儀屋さんに預けていた姉が帰ってきた。骨は粉末状にされ、それぞれ水に溶ける紙に小分けされている。私の願望で、大きな包みにまとめてもらった。その紙も、念のために水に溶けるタイプだ。
 散骨するタイミングまでは、葬儀屋さんは深く入り込まない。少し寂しそうな表情をしてから、お別れの挨拶をした。
「……さあ、行くか」
 リュックに大切に姉をしまって、キャリーバックに着替えなどの荷物。
 それらを持って、私は姉と暮らしていた家を飛び出し、鍵を大家さんに渡した。

 そこからの時間は、まるで夢のような時間だった。
 今までの限られた少ない時間ではいけなかった場所まで遠出して、その土地の観光地にまで足を運んだ。
 姉が行きたがった動物園や水族館にも行った。旅館にも泊まって、次はどこに行こうかと相談をし、どの路線で行けばいいのかも悩んで、楽しい時間だけが過ぎていった。
 霊体の姉は、写真には写らない。だから、私は写真を一枚も撮らなかった。ていうか、カメラもないので撮りようがなかった、と言った方が正しい。

 楽しかった。楽しい時間はあっという間に過ぎて、姉が志望した、深い青が煌く海にたどり着いたのは、家を飛び出して十日ほど立った頃だった。
 サスペンス劇場に出てきそうな崖がそびえ立ち、荒波が轟々と音を立てながらその崖を少しずつ削っているように見えた。
 砂浜、よりは岩場の方が多い。けれど、眺めは最高に良かった。
「姉さんのことだから、沖縄がいいとか言うと思ったんだけど」
「沖縄まではいいやと思って」
 これより先立ち入り禁止。という立て看板があるが、海風の塩で少し錆びていた。
 膝を立てるようにしゃがみ込んで、崖の下を眺める。海が白い泡を立てて、波が叩きつけられている。ドウドウ、と振動がここまで伝わってくる気がした。
「それでも綺麗だね。昨日も晴れていたから、海の水も透明に青く見える」
「そうだね」
「これなら、姉さんも満足でしょう」
「そうだね」
「うん。だから、背中押したかったら押していいよ」
 ピタリ、と背中に迫っていた手の動きが止まったのを感じた。この場で私の背中に手を伸ばせるのは、彼女しかいなかった。
 そのままの体勢のまま顔だけ振り向けば、姉が今にも泣きそうな顔で私を見下ろしながら、こちらに手を伸ばしていた。彼女の体が透けて、背後の岩場がよく見えた。
「一人だけだと、寂しいもんねえ」
「……どうして、気づいたの」
「双子だもの。何より姉さんは、寂しがりやだから。だから、あのアパートも解約してきたんじゃない」
 一緒に暮らそうと提案をしてきたのは姉だった。家賃やガス水道電気食費、必要経費はそれぞれ半分もち。幼い頃に両親を亡くし、祖父母達とも学生時代で別れたのも原因の一つだろう。姉は、一番濃い血の関係である私を大層可愛がり、大切にした。彼女は、極端に寂しがりだった。
 姉と一緒に暮らしていたあのアパートで、私一人では暮らせない。だから、私は解約した。それだけだ。
「……海抄は良いの」
「いいんだよ。むしろ、どうして私を置いて行ったのさ」
 ぽい、と勢いよくキャリーバックを海のほうへ放り投げた。少しだけ時間がかかってから、バシャンと海の中に沈んでいった音がした。
「仕事も辞めた。保険も変わったし、貯金も使い切った。携帯も解約したし、月額も解約済でしょ? 支払い途中のものはなかったはずだし……借金はないかな。家を出る手続きもしたし、鍵も返したし、家具も全部売ったもんね。まあ、後は叔父さん達が何とかするでしょ」
「……あんた、本当、バカだね」
「姉さんに似ちゃったかなあ」
「このやろう!」
 姉さんが私の両頬を引っ張る。頬が少しだけ引っ張られて、ゾワゾワとした感覚がした。
 頬を引っ張られながら笑みを浮かべて、改めて海の方へ体を向ける。
「私も姉さんと一緒に落ちれば、私は泡となって消えるかな」
「残念なお知らせです。ただの無残な死体が残るだけです」
「所詮は夢物語だけかあ」
「嫌になった?」
「全然」
「やっぱり戻る?」
「姉さんが死んだ時から、もう、戻れない」
 とりあえず背負っていた鞄を下ろして、鞄の中から姉さんを取り出し、懐に大事にしまった。様式美ってやつ? 靴も脱いでおこうか。
 姉さんの手を取って、二人で顔を見合わせ、にこりと笑みを浮かべる。
「怖い?」
「全然。姉さんがいるから」
「これが最後のチャンスだったのに。寂しんぼ」
「姉さんには負けるよ」
 小さく言い合ってから、ふ、と目蓋を閉じる。
 大事なことは、私が死んだ後、周りがどんな表情をするか見ないでいられること。姉のように、幽霊としてこの地に残ってしまったら最悪だが、未練もないし大丈夫だろう。私はあくまでも、大切な姉と一緒に、この世界からさようならをするのだ。
 ふわりと潮風が海からこちらに吹いてくる。まるで、こっちに来るなと言われているような気分もするが、お断りしよう。
「そろそろ行こうか」
 私の言葉に姉が頷いた。そろそろ逝っちゃおう。今度は一緒に。生まれた時と違って、少し出遅れてしまったが、大丈夫。一緒に、逝こう。
 生まれた時が一緒なら、最期まで共に。
 今までに感じた事のない高揚と開放感を全身に受け、体を保つための意識を最小限にする。体の重心を、傾けた。

 ――ドボン