遺書にラブレター【完】

「病気のせいじゃない? 無理させてなかった?」

「うん。ホントに貧血。
無理はしてないけど、こういうの久しぶりなのにはしゃぎすぎちゃったかも。
あと……」

「うん?」

「昨日、興奮してあまり寝れなかったの……出掛けられるのほんとに嬉しくて……」

「そっか……」


奏多はほっと息をつく。
鼓動がゆっくりと落ち着いていくのを感じた。


「ほんとに良かった」

ぎゅう、と腕に力が入る。


「楽しみにしてくれてたの嬉しい。出会いが出会いだったから、まだちょっと警戒されてるかなって思ってたから」

「奏多がいい人なのは、会ったとき、声ですぐわかったよ……」

「そう? あ、あと名前で呼んでくれるようになったし」

「っそ、それは奏多が初めからわたしのこと呼び捨てにするから……だから……」


(哲弥さんと奈子さんは、ちゃんとさん付けしてるもん)


「それとさ」

唇に、ちょんと指が触れた。

内緒の話をするみたいに、二人だけが聞こえるトーンになる。


「俺があげた口紅、してるよね。朝見たとき気がついて堪らなくなっちゃって。
実はめちゃくちゃドキドキしてたんだ」

「ーーーーな……」

あまりの恥ずかしさに言い返せなくなって、口をパクパクさせた。
「可愛い。めっちゃ似合ってる」

「ーーーーな!」

わたしは今いったいどんな顔しているんだ。
奏多の視線を感じる。
奏多ばかりずるい。


「凜かわいい。ねぇ、俺……」

奏多が何か言いかけたところで、遠くから哲弥さんと奈子さんの声がした。

バタバタと足音が近づいてくる。
奏多は腕をすっと緩めた。


「凜ちゃん! 目が覚めたんだよかったあ!」

「哲弥さん、奈子さん…! ごめんなさい心配かけちゃって……」

直ぐ横で、ガサガサとビニール袋が鳴る。

「具合どう? 気持ち悪くない? 貧血に良さそうなの飲み物とか買ってきたよ。
栄養ドリンクに鉄分ヨーグルトに、鉄分グミ! チョコレートにしじみ汁に……」

「ちょっと待て、しじみ汁をここで飲むのはしんどくないか。どうやって飲むんだよ」

「えー売店のおばさんに事情話したら、お湯くれるっていったもん」

「さっきハンバーガー食べたばっかじゃん」

「これは栄養補給として……!」


随分と買い込んでくれたらしい。
買い物袋をのぞき込みながら話す奏多の横で、こっそりとバクバクと煩い胸を撫でた。


いったい、何を言おうとしていたのだろう。

顔が熱くて堪らない。
離れてしまった熱を、寂しく感じた。
もっと触れていたい。
そんな風に感じたのは初めてだった。

***

ダブルデートなんて高校生じゃないんだから。
初めはそう思った。

でも凜はまだ、電話はロボットみたいに機械的で声も硬くて緊張しているみたいだったし、初めて遊ぶなら、人数が多いほうが気持ちが楽だろうと考え直した。


哲弥に相談したら、一緒に遊びに行くか、だった。

結果は奈子ちゃんがいてくれて良かった。

俺は介助なんて経験なくて、実際は想像していたよりもっと難しかったから。
同性の女の子いたほうが、いざって時に助けて貰えることがある事を知った。


(さすがにトイレの中までついていけないし)


もし二人で出掛けていたら、もっと大変な思いをさせてしまっていただろう。
「なに、免許証なんか眺めているの」

買い物を済ませた哲弥が部屋へと帰ってきた。

狭いワンルームは服やバッグ、漫画の荷物がごった返す。
哲弥はそれを縫ってテーブルまで来ると、手元を覗き込んだ。

横に座るとパソコンを押し脇に寄せ、コンビニで仕入れてきた二人分の弁当と飲み物をだす。



今日は課題を一緒に終わらせるために集まっているのに、さっぱり集中できないでいる。
期限まであと4日しかないのに、考えるのは凜の事ばかりだ。

目の前のパソコンには提出期限の迫ったレポートが開かれているが、まだ三分の一しか終わっていない。


「これ、知ってた?」

俺は免許証の裏面をゆび指す。


「ドナーカードだろ。どうしたの急に」

「ちょっと最近、気になってて」

「ああ、凜ちゃんだろ」

「うん。ずっと治らないって言われてきたけど、最近、角膜っつーの? それ移植したら治るかもってわかってきたんだって。
目が見えるようになるには、それを試すしかないんだって話を聞いてさ」

「遊園地以来、頻繁に二人で出掛けるようになったのな」

哲弥は割り箸を口で割ると、弁当の蓋を開けた。


「やっと俺も慣れてきたっていうか、わかってきたというか。
映画もいくし、カラオケもいくし。ほんと何でもできるんだよな~」

「へえ、映画も」

「副音声つきのがあんの。アニメもドラマもそういうのあるんだから、当たり前っちゃー当たり前なんだけど、盲点だったっていうか。
今まで意識したことなかったからさ。
今ってさ、そういう障害者向けのアプリもあって、すげぇんだよ」


俺は筆箱からボールペンを取り出すと、免許証の裏に丸をつけて署名をした。

『私は、脳死後及び心臓が停止した死後のいずれでも、移植のために臓器を提供します。』

「とうとう心だけじゃなくて、体も捧げたくなるほど惚れたの?」

「バカ。死なないとあげれないじゃん。俺が死んだら凜と一緒にいれないだろ。
でもさ、凜と知り合って、世の中にはたくさんの病気や怪我と戦っている人がいるって知ってさ。
もしもの時があったら、俺も役に立てたら良いなって」

「ふうん……」

「俺の目は、凜にあげてーなぁ」

「もし死んでも、凜ちゃんにあげれるとはわかんないんじゃないの。適合するかどうとか、提供者は秘密だとか、色々聞くじゃん」

「あ、そっか。どうすりゃいいんだ? あ! 遺書とか書いときゃいいんじゃね? ドナーカードと一緒に持ってればわかるでしょ」


俺はルーズリーフを取り出すと、

『俺の目は高垣凜《たかがきりん》にあげてください』


と大きく書いた。
哲弥は溜息をつく。


「意気込みは素晴らしいんどけどさ、たしか遺書って色々制約あったよ。署名と日付と印鑑だっけ? それだけだと無効な気がする」

「うそ」

「ちゃんと調べろよなぁ」


慌ててスマホで検索すると、『遺言書の書き方』というサイトがたくさん出てきた。



「うわ、ほんとだ」

「あとさ、臓器移植って親族優先ってのはあるっぽいけど、やっぱり相手の指定はできなそうだぞ」

「まじかぁ。遺言を書いてもだめ? え、籍いれるかな。結婚しちゃう?」

「その前に告ったの?」

「…………まだ…………」

「先走りすぎじゃない?」

「やー、だってタイミング逃したら言えなくなっちゃってさー。
凜の事知ればしるほど、俺なんかでいいのかなぁって思っちゃってさ。
でも、めっちゃ好きなの」

「呆れた」


呆れたと言うが、告白の邪魔をしたのは哲弥である。
計画もなしに、遊園地で言おうとするのも悪かったかもしれないが、具合が悪くなった凜を俺が守らなくちゃって気持ちになったし、抱きついていたらどうにも気持ちが盛り上がって……。


「わかった! 次のデートで告白する! なぁどこが良いと思う? どうしよっかなー」

「恋煩いもいいんだけどさ、告白の前にレポートしあげようよ」


今度はデートスポットを調べ始めた俺に、哲弥は呆れた視線をよこした。


指にのせたアイシャドーを軽く瞼におく。
奏多から貰った口紅を下唇に塗ると、擦り合わせて上唇へうつした。


「お姉ちゃん、できたよ。どうかな?」


自分で一通りの化粧を終えると、後ろで自分の仕度をしながら待っていてくれたお姉ちゃんに声をかけた。

ブラインドメイク。
自分で顔を触って、自分で化粧をする方法だ。
慣れないから時間もかかるし、とても疲れてしまった。

ずっとお姉ちゃんに頼りっきりで、自分でやってこなかったけれど、お姉ちゃんが安心してこの家を出れるように、わたしも自立した姿を見せなくてはならない。


「どれどれー?」

お姉ちゃんの息づかいが頭の上からふってくる。


「お、なかなかいいね。ファンデーションもムラなく塗れてる。チークはもう少しだけ上で、にーって笑って、頬骨あげてやるとやりやすいかも」

「合格?」

「上出来。でも眉毛だけはやっぱり難しいねぇ」


修正するためのお姉ちゃんの手が入る。


「眉って顔のメインだから、それだけで人相かわっちゃうんだよね。型を作っておいたらやりやすいかな。うん。ちょっと次は試してみよう」

ブツブツといいながら眉を描く。
ほぼ独り言だ。


「今日も奏多くんとデートなんでしょ?」

「デートじゃないけど……遊びに行くよ」


遊園地以来、よく誘ってくれるようになった。
二人の時もあるし、哲弥さんと奈子さんも交えて四人の時もある。

遠くに行くときほど四人の事が多いのは、奏多なりの気遣いなのかもしれない。


今日は二人で近場の公園だ。

奏多のスケボー練習が出来るところらしくて、それも兼ねて行きたいらしい。

目的もなく他愛もない話をするためだけに会い、会話を楽しむのもとても嬉しかった。

公園では、奏多がスケボーで遊んでいる時は、わたしは木陰の芝生に座り、その音を楽しんだ。

つまらなくないのかって聞かれるけど、風や音を感じるのはとても楽しい。
奏多のスケボーは音がいつも違くて、トリックの出来栄えによって歓声も変わるから、特に聞いていて飽きない。

最近では、音で失敗がわかるようになってきた。
コンクリートを滑るタイヤの音に耳を澄ます。



出会ったときは春だったなぁと思いだす。

それなのにもう夏が終わり、秋が訪れようとしている。まだ暑いくらいの日差しだけど、風が冷たくて心地いい。

ただ道端でぶつかっただけだったが、ここまで関係が続くと思っていなかったから感慨深いものがある。

お昼になると、屋台でホットドッグを買って食べた。


「凜、ケチャップついてる」

「ん……」

指が唇の端を拭った。
いつもながらに恥ずかしい。


「今日、なんか元気ない?」

「え?!」

気もそぞろなのは、出かけがけにお姉ちゃんが変なことを言ったからだ。
ソワソワとしていたのがバレていたのかと焦った。


『え、まだ付き合ってなかったの? 凜から告白しちゃえば?』


簡単に言ってくれる。

奏多の事は好きだと思うが、奏多が付き合いたいと思っているかなんてわからない。

失敗したら友人としても会えなくなるのかと思うと、二の足を踏まずにはいられない。

でも、前に踏み出したいって気持ちもあって、言うか言わないかって、実はずっと迷っていた。

もうずっと前からわたしは、

もっと奏多を知りたい、
もっと一緒にいたいと思っている。

「具合悪い?」

「あ、ううん。平気! ちょっと考え事してたの」

「そう? 無理はだめだかんね。俺、凜が倒れたとき泣きそうだったんだから」



遊園地の事を恨みがましく言われて「あの時はごめんね」と首を竦めた。

「凜のせいじゃないけど。でも俺、そんときに思ったことがあって……」


(思ったこと?)

なんだろう。

話が続くと思って待っていると、奏多は少し間をあけてから話を切り替えてしまった。


「なんか化粧も違うね」

顔をじっと見られていたのだとわかり、眉をしかめる。


「恥ずかしいからじっと見ないでよ。まだなんかついてる……?」

両手で顔を隠した。


「なんで隠すの。何もついてないよ」

奏多の指が頬を突く。


「今ね、自分でお化粧する練習してるの」

「澪《みお》さん、もうすぐ家出るんだっけ」

「うん。お姉ちゃんも人に化粧するの好きだからやってくれるんだけど、自分でも出来るようになっておかないと、この先大変だし」

「そっか。でも、上手にできてるよ。可愛い」

「ほんと?」

「口紅落ちちゃったね。俺に塗らしてよ」

「えー……恥ずかしい」

「大丈夫大丈夫」


何が大丈夫なのかわからない。
渋々化粧ポーチを渡すと、奏多はそこから口紅を出した。
「いつもこれ、つけてくれるね」

「……せっかくかって貰ったから……」

「はは、無くしちゃったお詫びなのに、“買ってもらった”って言うの、凜っぽい。優しいよな」

「………」


照れくさくて口を尖らせると「ほら、それじゃあ塗れないよ。俺、こういうの初めてで下手なんだから」と笑われた。

「はみださないでね」

「難しいなぁ」


顔の真ん前に気配を感じた。
顎に手がかかる。


すぐ脇ではスケボーの音がして、遠くからは子供たちの歓声が聞こえる。

緊張して、ふ、とでた息が震えた。
開いていても閉じても世界はさほど変わらないのに、わたしは恥ずかしさから逃げるように瞼を閉じた。


「ーーーー凜」


奏多は小さく小さく囁いた。


囁きと一緒に、唇に吐息が当たった。

唇に柔らかいものがふわりとふれて、下唇を軽く啄んだ。