木村先輩の最寄駅を地図アプリに入力し、ワイヤレスイヤホンを耳に入れた。
時刻は〇時を過ぎている。タクシーを呼ぶお金はない。そうなると、選択肢は一つだ。しばらく使っていなかった自転車にまたがる。
こんな夜には、あの曲が聴きたい。スマホを操作し、すぐに見つけた。サッドクロムの『この声』だ。
ギターヴォーカルの朔也は、犯罪行為のような武勇伝をたくさん持っていた。これからすることは、それよりは悪くないだろう。
そうは言っても、深夜に音楽を聴きながら、未成年が自転車を漕ぐことも十分悪い。法律や条例に違反していることもわかる。
それでも、駆け抜けるようなこの曲と共に、木村先輩のところへ行きたい。
再生とリピートをタップしスマホをポケットにしまう。自分の持てる力の全てを使い、ペダルを漕ぎ出した。
待っていてください。僕が必ず涙を止めます。
二〇一四年、八月一日、金曜日。
私は塾の自習室で勉強をしていた。
もう、時間も遅い。周りにいるのは三年生ばかりで、二年生は私だけだ。
「おい、そこ。間違っているぞ」
誰もしゃべらない自習室で、いきなり声をかけられた。
後ろを振り返ると、他の中学校に通う男子生徒が立っている。声をかけられて驚く私に、彼はちょっと気まずそうに言った。
「いきなり声かけてすまんな。オレは松山善斗」
愛想笑いをして、小さな声で答えた。
「大丈夫ですよ。私は木村琴音って言います」
人と話すことは楽しいけれど、もともとそこまで得意ではない。それでも、自分が死ぬまでに少しでも楽しい思い出を残したく、こうして明るく振る舞っている。
私は解いていた数学の問題集に目を落とした。パッと見たかぎり、間違っていそうな部分はない。
「あの、間違っているってどこですか?」
「今から教えてやるよ」
彼は遠慮のない音量でしゃべると、さらに自習室にいる人全員に言った。
「すまん。今から勉強教えるから、ちょっとうるさくなるぞ。安心しろ。オレは天才だからすぐに終わる」
自信満々過ぎる松山先輩が面白かったのか、自習室のあちらこちらから小さな笑い声が聞こえてきた。
松山先輩は塾で有名であるため、自己紹介される前から名前くらいは知っていた。
顔がかっこいいと言われていて、学年問わず憧れている女子も多い。ハーフのようなはっきりとした顔で美形だとは思うけれど、私の好きなタイプではない。
でもよく考えてみると、そもそも好きなタイプの顔なんてなかった。顔よりも性格の方が大事だと思う。
彼はちょっと変わったところもあるけれど、とても気さくで優しいと評判で、男女共に好かれている。
静かにしなければいけない自習室で堂々と話して許されるのは、人望がある彼くらいかもしれない。
松山先輩が、私に近づく。彼は間違っている箇所を丁寧に解説し始めた。