六時二十分。あたりがようやく明るくなってきたころ。
「まもなく四番線に○○駅行きの地下鉄が到着します——」
そんなアナウンスが聞こえてきて、俺はダッシュでホームに向かった。
昔から体力と足には自信があったし、毎朝ギリギリで地下鉄に乗り込むから、特に焦りもしないまま一番空いてる列に並ぶ。すぐに地下鉄が来て、いつもの場所に座った。俺の家から通ってる高校までは距離があるから、毎朝ガラガラの地下鉄に三十分間ほど乗り続けるのが日課だ。
俺はいつもどおりイヤホンで音楽を聴きながら、手元では読みかけの小説をめくっていた。青春をテーマにした軽音楽部の話。よくある感じの展開だが、空の描写が綺麗で割と気に入っている。ちょうどあと半分というところまで読み進めていた。朝のうちに読み終われそうだ。そう思って、ページをめくろうとした時だった。
「もしかして、晴翔くん?」
ふいに隣から声を掛けられた。
聞いていた音楽がちょうど終わった時だったから、反射的に顔を向けてしまった。
隣にはお人好しそうな顔をした、二十代くらいのお兄さん。
「えっと……?」
イヤホンを外しながら、おれはわかりやすく困り顔をしてしまう。お兄さんの顔を見ても、今いち誰だか思い出せない。そんな俺の顔を見ながら、お兄さんの方があたふたして、遠慮がちに自己紹介をした。
「倉野あおいです。覚えてないかな……?」
倉野、あおい……。
名前を聞いて、ようやくその人の顔をしっかりと見た。忘れたくても忘れられない、その名前と声。そして、その真っ直ぐな目。
俺は思わずその人から顔をそむける。
「知りません。俺は次で降りるので失礼します」
席から立って、ドアの前にすぐさま移動。タイミングよく駅について、逃げるようにホームに出た。
「……何やってんだ、俺」
いつも降りる駅なんて、もっと先だ。わざわざ地下鉄を下りなくても、車両を変えればよかった。次の地下鉄を待ってたら確実に遅刻。……しょうがない!
スマホで、ようやく最近になって覚えた学校の電話番号を打つ。
「……あ、二年五組の紺野晴翔です。今日は体調不良で休みます。はい、はい……。よろしくお願いします。失礼します」
スマホから学校に連絡を入れて、空いてるベンチに座り込む。ちょうど朝のラッシュの時間がこの駅では終わっていたのか、人はほとんどいない。
人生で初めて、いや二回目か。サボってしまった。前も似たような状況だった気がする。
あぁ、母さんになんて言おうかな。ちゃんと言ったら許してくれる優しい母ではあるが、正直今母さんに電話する気にも、家に帰る気にもなれない。適当に時間をつぶそうにも、この辺には何もなさそうだ。
「小説の続き、読も……」
冬だから厚手のコートにマフラー、ブーツということもあって、制服はあまり目立たないのが不幸中の幸いだ。ここでしばらく本を読んで時間をつぶそう。
一ページ、また一ページと物語を進めてゆく。
よく考えれば、俺はなぜこの本を読んでるんだろう。自分が今一番読みたくないような話じゃないか。音楽の話なんて——。
そして瞬間的に飛び込んできたこの文字たちが、俺の胸の中に苦い感覚を残した。
『逃げても、もう一度戻ってきて、もう一度前を向けばいいじゃん!』
音のない舌打ちを、思わずしてしまった。傍から見てもわかるだろう。俺はすごくイラついてる。自分にすごくイラついてる。
こんな文章を見るぐらいなら、今の最悪の気分のまま遅刻してでも学校に行くべきだった。
どれもこれも、全部あの人のせいだ。倉野あおいさんに会ったから。
そうでもして八つ当たりしないと、この汚い感情が外に溢れ出してしまいそうだった。
向こうの地下鉄がちょうど駅を出ようとする音が、心底うるさく聞こえた。
「まもなく四番線に○○駅行きの地下鉄が到着します——」
そんなアナウンスが聞こえてきて、俺はダッシュでホームに向かった。
昔から体力と足には自信があったし、毎朝ギリギリで地下鉄に乗り込むから、特に焦りもしないまま一番空いてる列に並ぶ。すぐに地下鉄が来て、いつもの場所に座った。俺の家から通ってる高校までは距離があるから、毎朝ガラガラの地下鉄に三十分間ほど乗り続けるのが日課だ。
俺はいつもどおりイヤホンで音楽を聴きながら、手元では読みかけの小説をめくっていた。青春をテーマにした軽音楽部の話。よくある感じの展開だが、空の描写が綺麗で割と気に入っている。ちょうどあと半分というところまで読み進めていた。朝のうちに読み終われそうだ。そう思って、ページをめくろうとした時だった。
「もしかして、晴翔くん?」
ふいに隣から声を掛けられた。
聞いていた音楽がちょうど終わった時だったから、反射的に顔を向けてしまった。
隣にはお人好しそうな顔をした、二十代くらいのお兄さん。
「えっと……?」
イヤホンを外しながら、おれはわかりやすく困り顔をしてしまう。お兄さんの顔を見ても、今いち誰だか思い出せない。そんな俺の顔を見ながら、お兄さんの方があたふたして、遠慮がちに自己紹介をした。
「倉野あおいです。覚えてないかな……?」
倉野、あおい……。
名前を聞いて、ようやくその人の顔をしっかりと見た。忘れたくても忘れられない、その名前と声。そして、その真っ直ぐな目。
俺は思わずその人から顔をそむける。
「知りません。俺は次で降りるので失礼します」
席から立って、ドアの前にすぐさま移動。タイミングよく駅について、逃げるようにホームに出た。
「……何やってんだ、俺」
いつも降りる駅なんて、もっと先だ。わざわざ地下鉄を下りなくても、車両を変えればよかった。次の地下鉄を待ってたら確実に遅刻。……しょうがない!
スマホで、ようやく最近になって覚えた学校の電話番号を打つ。
「……あ、二年五組の紺野晴翔です。今日は体調不良で休みます。はい、はい……。よろしくお願いします。失礼します」
スマホから学校に連絡を入れて、空いてるベンチに座り込む。ちょうど朝のラッシュの時間がこの駅では終わっていたのか、人はほとんどいない。
人生で初めて、いや二回目か。サボってしまった。前も似たような状況だった気がする。
あぁ、母さんになんて言おうかな。ちゃんと言ったら許してくれる優しい母ではあるが、正直今母さんに電話する気にも、家に帰る気にもなれない。適当に時間をつぶそうにも、この辺には何もなさそうだ。
「小説の続き、読も……」
冬だから厚手のコートにマフラー、ブーツということもあって、制服はあまり目立たないのが不幸中の幸いだ。ここでしばらく本を読んで時間をつぶそう。
一ページ、また一ページと物語を進めてゆく。
よく考えれば、俺はなぜこの本を読んでるんだろう。自分が今一番読みたくないような話じゃないか。音楽の話なんて——。
そして瞬間的に飛び込んできたこの文字たちが、俺の胸の中に苦い感覚を残した。
『逃げても、もう一度戻ってきて、もう一度前を向けばいいじゃん!』
音のない舌打ちを、思わずしてしまった。傍から見てもわかるだろう。俺はすごくイラついてる。自分にすごくイラついてる。
こんな文章を見るぐらいなら、今の最悪の気分のまま遅刻してでも学校に行くべきだった。
どれもこれも、全部あの人のせいだ。倉野あおいさんに会ったから。
そうでもして八つ当たりしないと、この汚い感情が外に溢れ出してしまいそうだった。
向こうの地下鉄がちょうど駅を出ようとする音が、心底うるさく聞こえた。