そう言われた私はその五万円を持っていた自分のお財布の中に入れて、買い物をすることにした。
「……じゃあ、行ってきます」
「おう。お釣りは返さなくていいから」
「……分かりました」
私は高根沢さんと別れて、服や下着を買うことにした。
「……これ、可愛いかも」
私は一時間の間に、好きな好みの服をその五万円で購入させてもらった。
下着も好きなお店があったので、そこでサイズがあったものを購入した。
そして一時間後、私は待ち合わせた場所に向かった。
「高根沢さん、お待たせしました」
「お、美結。……服、買えたみたいだな」
「はい。……ありがとうございます」
高根沢さんには何から何まで、お世話になっている。
「下着もちゃんと買えたみたいだな」
「はい」
「……よし、なんか食いに行くぞ」
立ち上がった高根沢さんは、私に向かってそう言って笑った。
「え?」
「美結も腹減ってるだろ?」
「……あ、はい」
「なんか食いたいものはあるか?」
そう聞かれたけど、見てから決めたいと答えた。
「じゃあフードコートでも行くか」
「……はい」
「袋いっぱいだな。……持ってやるよ」
私から服の入った紙袋をすっと奪い取り、高根沢さんはその袋を持ってくれた。
「あ、ありがとう……ございます」
高根沢さんはどうして、そんなに優しいんだろう……。
初対面の私に、どうしてそんな……。
「なあ、美結」
「……はい。何でしょうか」
フードコートでオムライスを食べながら、高根沢さんは私を見つめる。
「美結のこと、俺は助けて良かったと思ってる」
「……え?」
「美結は今、生きてるからな」
高根沢さんのその言葉に、私は涙が出そうになった。
「もし死んでたら、こんな美味いオムライス食えないだろ?」
「……そう、ですね」
確かに、高根沢さんの言う通りだ。こんなに美味しいオムライス、食べられなかったかもしれない……。
「美結。生きていれば、きっといいことがある」
「……ありがとう、ございます」
高根沢さんの言葉は力強くて、だけど胸に刺さる何かがあった。
グッと突き刺さって、なぜか重たかった。
「美結、ソフトクリーム食うか?」
「……え?」
「ソフトクリーム、食うか?」
「……いえ、大丈夫です」
と答えると、高根沢さんは「じゃあ俺は、ソフトクリーム買ってくるかな」と席を立った。
私は高根沢さんのその後ろ姿を見ながら、ちょっとだけホッとしていた。
高根沢さんの優しさに、私は救われていた。 私は今日一日の中で、心がすっと軽くなった気がした。
これも全部、高根沢さんのおかげだ。
「美結、ソフトクリーム美味い」
「そ、そうですか……」
高根沢さんは……私をどうして助けてくれたんだろう。
「なんだ。やっぱ、食べたいのか?」
「い、いえ……大丈夫です」
高根沢さんはソフトクリームを美味しそうに「美味い」と言いながら食べていた。
「ごちそうさま、でした」
「おう」
食事を終えた私たちは、再び高根沢さんの運転する車に乗り込み高根沢さんの住むアパートへと帰った。
「お、お邪魔……します」
「服、その辺に置いとけ」
「はい。ありがとうございます」
私は紙袋を端の方に置いた。
「なあ、美結」
「はい……?」
私は高根沢さんの方に振り返った。
「お前、ベッドで寝ろ」
「……えっ?」
「だから、俺は布団敷いて寝るから、お前は今日からベッドで寝ろ」
「えっ……! いや、そんなこと出来ません!私は布団でいいですから……!」
そこまでしてもらわなくても、私はいいのに。
「ダメだ。お前はベッドを使え」
「……高根沢、さん」
「いいか、美結。ここでは俺の命令は絶対だ。……分かったか?」
そこまで言われたら、断れないよ……。高根沢さん、ずるい。
そんなの、反則に決まっているよ……。
「……はい。分かりました」
「いい子だ」
高根沢さんはフッと笑うと、私の頭をグシャグシャと撫でた。
「高根沢……さん」
「美結、お前は幸せになる権利がある。……一人の男のために、人生を狂わされちゃダメだ。 お前は強くなるんだ、美結」
高根沢さんのその言葉に、私は涙がボロボロと溢れた。
そんな私に、高根沢さんは「美結、大丈夫だ。お前は必ず、幸せになれる」と言葉をくれた。
「美結、何かあればいつでも俺に言え。遠慮はするな」
高根沢さんは最後に私に、そう言葉をかけてくれた。
「……お、おはよう、ございます」
「おう、美結。よく眠れたか?」
次の日の朝、目が覚めると、高根沢さんはタバコを吸いながら私にそう問いかけた。
「……はい」
高根沢さんに言われた通り、私は高根沢さんのベッドで寝た。
だけどなかなか眠れなかった。 眼を閉じると猛のことを思い出してしまって、寝付くことが出来なかった。
「大丈夫か?美結」
そんな私を心配そうに見つめる、高根沢さん。
「……あの、高根沢さん」
「なんだ?」
「……私、高根沢さんには感謝してます」
ここまで優しくてくれて、ここまで色々と助けてくれて。
「ありがとうございます、高根沢さん」
「……なあ、美結」
そんな私に高根沢さんは、一言こう言った。
「これは提案なんだけど、まずは髪を切ってみたらどうだ?」
「……え?」
髪の毛を、切る……?
「髪を切ったら、少しは楽になるだろ。……女は髪を切ると、別人みたいになれるんだろ?」
「……そう、ですかね」
私はずっとこの長さだから、そうなのかは分からない。
猛が長い方が好きだと言っていたから、そうしていた部分もあったから。
「俺は短いのも、似合うと思うけど」
「……そう、ですかね」
高根沢さんは優しいから、そう言ってくれているだけなんだと思う。
「辛い現実から断ち切るにはまず、出来ることから始めた方がいいんじゃないか」
「……出来る、こと?」
「ああ。 お前にまず出来ることは、髪を切って気持ちを軽くすることだ。いつまでも同じ髪型でいても、男に囚われているだけだぞ」
確かに高根沢さんの言う通りだ。 私は猛にずっと囚われている。
……ずっとずっと、猛の暴力に支配されている。猛からは逃げられない。
「いつまでも囚われていたいのか、男に」
「……そんな訳、ないです」
ずっと猛に囚われるなんてイヤ。……そんなのイヤーーー。
「ならまず、髪を切ってこい。金なら出してやる」
「……でも、いいんですか」
「俺もちょうど切りに行く所だったからな。ついでだ」
そう言ってタバコの火を灰皿に押し付けた高根沢さんは、私に視線を向ける。
「……ありがとうございます」
「今日今から美容院を予約している。 行くぞ」
「え?……あ、はい」
今から私は、髪を切るんだ。……どんな自分になるのか、全然想像できない。
私は……変われるかな。 変わることが、出来るかな……。
「何してる美結。早く着替えろ」
そう言われて私は「は、はい……」と返事をした。
そして私は、急いで昨日買ったばかりの服に着替えた。
「着替えたか?」
「はい。 お待たせしました」
「よし、行くぞ」
着替えた私を車の助手席に乗せた高根沢さんは、美容院へ向けて車を走らせた。
◇ ◇ ◇
「どうですか?こんな感じで」
「え……あっ」
ウソ……。これって本当に私……?
なんだか私じゃないみたい……。
「似合ってますよ」
「あ……ありがとう、ございます」
こんなに短く切ったのは、何年ぶりだろう。こんなに短い髪の私なんて、見たことない気がする……。
「へぇ、似合ってんじゃん」
高根沢さんも、鏡に映る私を見てそう言ってくれた。
「本当ですか?」
「ああ。 これで気分も少し、軽くなったか?」
そう聞かれた私は「……そうですね。なんだか少し、スッとしました」と答えた。
「なら良かった」
こんな私にここまでしてくれる優しい人、今までいただろうか……。
「美結、今度はカラーしてもらえば?」
「……え?」
「カラーしたらまた、気分が変わるかもな」
高根沢さんはそう言ってくれた。
「それにしても大和。お前がまさか女を連れてくるなんてな。驚いたよ、彼女か?」
「はっ!?……ちげぇから」
慌てて否定した高根沢さんだけど、私を担当してくれたスタイリストさんは「そうなのか? なんだ、彼女じゃねぇのか」と残念そうな表情をしていた。
「コイツはちょっと、訳ありでな」
「訳あり?」
「ああ。……それでコイツを保護してるって訳」
スタイリストさんは高根沢さんのその言葉に納得したみたいで「なるほどねぇ」と頷いていた。
「ってことで。帰るぞ、美結」
「え? あ、はい!」
どうやら会計は一緒に済ませていたみたいで、帰る準備を始めていた。
「澤井、急なお願い聞いてくれてありがとうな」
「お安い御用だ。また来てくれよ」
「ああ。 じゃあな」
「あ、ありがとうございました!」
そういえば高根沢さんは、いつの間にか髪を切り終えていた。
「似合ってるじゃん」
「え?……あ、ありがとうございます」
高根沢さんも髪を切ってスッキリした。よく似合っている。
爽やかな感じで、好青年って感じがする。
「高根沢さんも、似合ってますよ」
「お、そう思ってくれるのか」
と言いながら、タバコを吸いながら方手でハンドルを握る高根沢さん。
「……だって、似合ってますし」
「嬉しいもんだな、褒められるのって」
「……ですね」
今回思い切り、髪を切って良かったよ。 なんだか心までスッと軽くなった気がするし、髪を切るってこんな感じなんだなって思った。
「なあ、美結」
「はい?」
「後さ、俺のことは高根沢さんじゃなくて、大和って呼んでいいから」
え……!? そんな、いきなり呼び捨てには出来ないよ……!
「そ、そんなのはおこがましいです……」
「何言ってるんだ。これから一緒に住むんだから、名前で呼んでいい」
って言われても、いきなり名前を呼び捨てにはするのは……気が引ける。
「いいから、名前で呼べ」
「……は、はい」
そう言われたら断れない……。
「じゃあ呼んでみろ」
「え!? 今ですか?」
そう聞くと、大和さんは「今だ」と即答してきた。
「……大和、さん」
「よく出来たな」
そう言ってフッと笑う大和さん。
「あの……大和、さん」
「なんだ」
「ありがとうございました。……おかげで少し、楽になりました」
これも大和さんのおかげなんだと思うと、感謝の気持ちしかない。
「私……少しだけですけど、前を向けそうな気がします」
「……そうか」
だけど私は、その日の夜も眠れなかった。 何も考えないようにしても、どうしても思い出してしまうんだ。
……猛のあの暴力を振るう時の顔が、あの時の怖い目が。
「っ……」
思い出すだけで震える。思い出すだけで怯える。
「やめてっ……」
あの殴られた時の感触が、声が、言葉が……私を支配する。
「やめてっ……お願いっ……やめてっ」
私が悪かったから……。私が悪かったの……。
ここに猛はいないのに、どうしてもいるように感じてしまうんだ。
「猛……ごめんなさいっ……」
「……美結?」
そんな私の様子を見て、大和さんは布団から視線を向けていた。
「ごめんなさいっ……許してっ……」
「美結!大丈夫か!?」
そしてすぐに私の元へと来てくれた大和さんは、そんな私のことを抱き寄せた。
「ごめん、なさい……」
「美結、大丈夫だ。……猛はここにはいない。大丈夫だ」
震える私の身体を、ギュッと抱きしめてくれる大和さん。
「大丈夫だ、大丈夫だから」
大和さんは何度も言い聞かせるように、私に言葉をくれた。
「……ごめん、なさ……い」
「謝らなくていい。……落ち着くまで、こうしててやるから」
大和さんのその温かい温もりに、私は次第に冷静さを取り戻していった。
「……大丈夫か、美結」
「っ……はい……」
そっと身体を離した大和さんは、私を見つめている。
「美結、さっきのは……フラッシュバックだな?」
そして静かにそう問いかけてくる。
「……はい」
静かに頷く私に、大和さんは「……辛かったな。気付かなくてごめんな」と言ってくれた。
「ううん……」
大和さんは悪くない、何も悪くない。 悪いのは私だから……。
「怖かったよな……うなされて」
「……でも、もう落ち着きました」
と言ったけど、大和さんにはまだ少し震えていることがバレていた。
「まだ震えてるな。……今日は一緒に寝ようか」
「え……?」
「怖いだろ?フラッシュバック。……俺といても怖いかもしれないけど、でも今お前のそばにいるのは俺だから。 俺がお前を抱きしめてやる」
そう言って大和さんは再び、私を優しく抱き寄せてくれた。
「っ……大和、さん……」
どうして……。どうして大和さんは、そんなに優しいの……?
「辛い時は、俺が何度でもこうしてやる。……だから俺をもっと頼れ」