一話
◇
「由依は私と結婚するんだと思ってた」
窓から淡い光が差し込む式場の控え室。私の突拍子もない言葉に、由依は「何いってるの?」とおかしそうに笑った。私は「冗談だよ」と応える。
「もう。変な冗談はやめてよ」
「ごめんごめん。親友の結婚式でテンションがあがっちゃったの」
私はそう言って口角を上げ、笑った顔を作った。
由依は高校時代から付き合っていた菅原新と結婚し、その披露宴が今日この地ハワイで行われる。本日晴れ舞台に立つ由依は、華やかなドレスを身に纏い、幸せを噛み締めるように笑みをこぼしていた。今着ているこのドレスも彼と一緒に選んだのだという。
よくわかってるじゃん、と私は思わず口にしてしまったが、由依には聞こえなかったらしい。
純白のウエディングドレスが由依によく似合っている。穢れのないーー清い水と空気の中で育ったような、世間の垢に染まらない純朴な美しさが由依にはあるからだ。私が彼女のドレスを選ぶことになったとしても、これを選んだだろう。
西洋の窓から差し込む淡い光に照らされた由依の横顔と、透明色になったベール。それらがあまりに幻想的で、美しくて、自然とため息が零れた。その儚げな佇まいは、まるで無垢な天使のようだ。
「綺麗だよ、由依」
「ふふ、ありがと」
思わず漏れた感嘆の声に、由依は綺麗な顔をくしゃっとさせて笑った。丸くて大きな目がキュッと細められる。
この笑顔を見るたびに、胸が苦しくなる。この痛みは今日で十回目。私の心はもうボロボロだった。
ウエディングドレスを身に纏った彼女は、普段よりもずっと綺麗に見えた。私が大好きだった長くて綺麗な黒髪が茶色く染められ、小綺麗にセットされていることが少し残念だったけれど。
____これで、隣に立っていられるのが自分だったらどれほどよかったか。
「由依が結婚かあ」
「なあに? 寂しくなっちゃった?」
私よりも背が低い由依は覗き込むように私と目を合わせ、意地悪く笑った。可愛らしい口が弧を描く。
これで十一回目。この胸の痛みを悟られないよう、偽物の笑顔を貼り付ける。この笑顔を覚えたのは、由依が新くんと付き合うようになった、あの夏の日のことだった。
それから二人は十年間付き合い、結婚した。
二人は結ばれたという事実を前にしても、「この想いを打ち明けられていたら、もっと別の未来が待っていたかもしれない」なんていうくだらない想像力を働かせてしまうくらいには、私はこの感情に折り合いをつけられていない。
もし、あの頃に戻れたら、私は_______
「ーーせ」
「ももせ」
「おーい。百瀬?」
霞んだ視界が徐々に覚醒し、世界の輪郭を捉えてゆく。寝ぼけ眼に真っ先に飛び込んで来たまんまるな瞳は、由依のものだ。
「ゆ、い?」
「もう授業終わってるよ」
「……授業? 何の話?」
「なーに寝ぼけてるの」
由依は私の肩を揺さぶりながら、ふにゃふにゃと笑った。こういうふうに笑うと、いつもより幼く見える。
そこで、私は一つの違和感を感じた。由依は新くんと同じ部屋に泊まったはずだ。それなのにどうして私の部屋にいるのだろうか。
「新くんは?」
「新くんって菅原のこと? どうしたの、急に」
あんたも菅原でしょうと口にしかけたが、咄嗟に飲み込んだ。
「なんで制服着てんの?」
「え、だって学校だし。百瀬、寝ぼけてる?」
私の目の前にいるのは、高校の制服を身につけた由依。艶やかな黒髪が蛍光灯の光を反射し、天使の輪のようなハイライトが浮かんでいる。
そう、由依は黒髪だった。私が大好きだった、長くて美しい、黒髪。____つまり、私の目の前にいるのは、高校時代の由依なのだ。
「夢?」
「もう! 何言ってんの!」
由依が私の頬をつねる。
「痛っ。何するの」
「ほら、夢じゃないでしょ」
「嘘、」
ガバリと体を起こし、辺りを見渡す。規則的に並んだ机と椅子。黒板と教卓。制服を着た
少年少女たち。そこは、私が高校時代通っていた教室だった。
教室?!
なんで、私が高校の教室に? 私はさっきまで、ホテルでシャワーを浴びて、買ってきたウィスキーを飲んで、それからーーーー
訳がわからないこの状況。夢でも見ているのだろうか。それでも、由依につねられた頬の痛みが、夢じゃないと教えてくる。
瞬間、私は完全に理解した。
私は、高校時代にタイムスリップしてしまったのだ。
呆然とする私に向かって由依が「大丈夫? 具合悪いの?」と心配そうに眉を下げた。私は呼吸を落ち着かせると、「なんでもないよ。ちょっと寝ぼけてたみたい」と、高校時代の自分になりきって笑ってみせる。
「そっか、ちょっとびっくりしちゃった。……それで、夏休みのことなんだけどさ」
由依は、あの時と全く変わらない調子で話し始めた。
◇
「由依は私と結婚するんだと思ってた」
窓から淡い光が差し込む式場の控え室。私の突拍子もない言葉に、由依は「何いってるの?」とおかしそうに笑った。私は「冗談だよ」と応える。
「もう。変な冗談はやめてよ」
「ごめんごめん。親友の結婚式でテンションがあがっちゃったの」
私はそう言って口角を上げ、笑った顔を作った。
由依は高校時代から付き合っていた菅原新と結婚し、その披露宴が今日この地ハワイで行われる。本日晴れ舞台に立つ由依は、華やかなドレスを身に纏い、幸せを噛み締めるように笑みをこぼしていた。今着ているこのドレスも彼と一緒に選んだのだという。
よくわかってるじゃん、と私は思わず口にしてしまったが、由依には聞こえなかったらしい。
純白のウエディングドレスが由依によく似合っている。穢れのないーー清い水と空気の中で育ったような、世間の垢に染まらない純朴な美しさが由依にはあるからだ。私が彼女のドレスを選ぶことになったとしても、これを選んだだろう。
西洋の窓から差し込む淡い光に照らされた由依の横顔と、透明色になったベール。それらがあまりに幻想的で、美しくて、自然とため息が零れた。その儚げな佇まいは、まるで無垢な天使のようだ。
「綺麗だよ、由依」
「ふふ、ありがと」
思わず漏れた感嘆の声に、由依は綺麗な顔をくしゃっとさせて笑った。丸くて大きな目がキュッと細められる。
この笑顔を見るたびに、胸が苦しくなる。この痛みは今日で十回目。私の心はもうボロボロだった。
ウエディングドレスを身に纏った彼女は、普段よりもずっと綺麗に見えた。私が大好きだった長くて綺麗な黒髪が茶色く染められ、小綺麗にセットされていることが少し残念だったけれど。
____これで、隣に立っていられるのが自分だったらどれほどよかったか。
「由依が結婚かあ」
「なあに? 寂しくなっちゃった?」
私よりも背が低い由依は覗き込むように私と目を合わせ、意地悪く笑った。可愛らしい口が弧を描く。
これで十一回目。この胸の痛みを悟られないよう、偽物の笑顔を貼り付ける。この笑顔を覚えたのは、由依が新くんと付き合うようになった、あの夏の日のことだった。
それから二人は十年間付き合い、結婚した。
二人は結ばれたという事実を前にしても、「この想いを打ち明けられていたら、もっと別の未来が待っていたかもしれない」なんていうくだらない想像力を働かせてしまうくらいには、私はこの感情に折り合いをつけられていない。
もし、あの頃に戻れたら、私は_______
「ーーせ」
「ももせ」
「おーい。百瀬?」
霞んだ視界が徐々に覚醒し、世界の輪郭を捉えてゆく。寝ぼけ眼に真っ先に飛び込んで来たまんまるな瞳は、由依のものだ。
「ゆ、い?」
「もう授業終わってるよ」
「……授業? 何の話?」
「なーに寝ぼけてるの」
由依は私の肩を揺さぶりながら、ふにゃふにゃと笑った。こういうふうに笑うと、いつもより幼く見える。
そこで、私は一つの違和感を感じた。由依は新くんと同じ部屋に泊まったはずだ。それなのにどうして私の部屋にいるのだろうか。
「新くんは?」
「新くんって菅原のこと? どうしたの、急に」
あんたも菅原でしょうと口にしかけたが、咄嗟に飲み込んだ。
「なんで制服着てんの?」
「え、だって学校だし。百瀬、寝ぼけてる?」
私の目の前にいるのは、高校の制服を身につけた由依。艶やかな黒髪が蛍光灯の光を反射し、天使の輪のようなハイライトが浮かんでいる。
そう、由依は黒髪だった。私が大好きだった、長くて美しい、黒髪。____つまり、私の目の前にいるのは、高校時代の由依なのだ。
「夢?」
「もう! 何言ってんの!」
由依が私の頬をつねる。
「痛っ。何するの」
「ほら、夢じゃないでしょ」
「嘘、」
ガバリと体を起こし、辺りを見渡す。規則的に並んだ机と椅子。黒板と教卓。制服を着た
少年少女たち。そこは、私が高校時代通っていた教室だった。
教室?!
なんで、私が高校の教室に? 私はさっきまで、ホテルでシャワーを浴びて、買ってきたウィスキーを飲んで、それからーーーー
訳がわからないこの状況。夢でも見ているのだろうか。それでも、由依につねられた頬の痛みが、夢じゃないと教えてくる。
瞬間、私は完全に理解した。
私は、高校時代にタイムスリップしてしまったのだ。
呆然とする私に向かって由依が「大丈夫? 具合悪いの?」と心配そうに眉を下げた。私は呼吸を落ち着かせると、「なんでもないよ。ちょっと寝ぼけてたみたい」と、高校時代の自分になりきって笑ってみせる。
「そっか、ちょっとびっくりしちゃった。……それで、夏休みのことなんだけどさ」
由依は、あの時と全く変わらない調子で話し始めた。