◇
謎の女性は堂々と城の門から外へ出た。
(どういうこと?衛兵は?)
こっそりと門へ近づく。
左右に立っている衛兵は目を閉じていた。
(え?寝ているの?)
私が近づいても起きる気配はない。よくわからないけど城外へ出るには好都合だ。
私は謎の女性を見失わないように適度に距離を保ちながら後をつけた。幸い木や建物が点在していて、尾行するにはうってつけだ。
やがて女性は森に入った。
私も森の入口までは行ってみたものの、さすがに薄暗く不気味で足が止まった。
躊躇しているとふいに肩を叩かれて飛び上がるほど驚いた。振り向けば怪しげな男性が三人、ニヤニヤしながらこちらを見ている。
「お嬢ちゃん一人なのかい?」
「良い服着ているな。どこかの令嬢か?」
直感的にやばいと思った。
「いえいえ結構です。間に合ってます」
私は全力で拒否する。
「遠慮するなって」
一人の男が私の腕を乱暴につかんだ。
「やだ、放して!」
振りほどこうと腕に力を入れるが、逆に捻り上げられてしまう。
「良い宝石つけてるじゃねーか」
男は私の胸元に光る宝石を鷲掴む。
アズールがくれたネックレスだ。
「やだ、やめて!」
男は宝石を握り、ぐっと力を入れて引きちぎろうとした。
瞬間。
目の前をバチっと稲妻が走り、気づけば私の腕をつかんでいた男がその場に倒れていた。
「え?」
何が起こったのかわからない。
ただ、宝石は粉々に砕けて辺りに散らばった。
「なんだ、魔法か?こいつ魔女か?」
「やべえ、魔女だ。殺せ!」
別の男が腰から剣を抜き振り上げる。
私は反射的に目を閉じた。
だけど一向に衝撃がない。
私は恐る恐る目を開ける。
「魔女の何が悪いの?未だにそういうことを言う輩がいるから肩身が狭いのよ」
そんな声が聞こえたかと思うと、目の前の男達は眠るようにその場に倒れた。
何が起こったのかわからず私はただただ立ちすくむ。
「大丈夫?」
声をかけられようやく我に返ると、女性が心配そうな顔でこちらを伺っていた。
「あ、ありがとうございます」
「あなた、眠らないと思ったらその宝石に護られていたのね」
「え、これ?」
胸元の欠けた宝石。
落ちたものは粉々になってしまったけれど、ペンダント部分にはまだ少しだけ残っている。
「魔道具ね」
女性は私とネックレスを交互に見る。
この人、魔道具がわかるんだ。
ていうことはもしかして魔女?
「こんな夜更けに一人で歩くなんて危ないわよ」
「すみません。助けてくださってありがとうございます」
女性は腕組みをして不敵に微笑んだ。
「ところで私をつけているみたいだけど、なぜかしら?王女様?」
「あ……」
ヤバイ!
バレてる!
ていうかこの人、私が尾行してた謎の女性だったんだ。
何という失態か。
「ちょうどよかった、あなた一緒に来てもらえる?」
断ることを許されない状況に、私はただ従うしかなかった。
ごめん、アズール。
深追いしすぎたみたいだ。
俺は遅ればせながらナコを追いかけた。
本当に無茶ばかりするお姫様だ。
別の世界から来たなら一人でどうしたらいいかわからないはずなのに、なぜか生き生きとしている。
しかも俺を“おし”だとか訳のわからないことを言ってことあるごとに好きだとかなんだとか。
見た目はシャルロットなのに、もう俺にはナコにしか見えなくなっている。
というより、今のナコは昔のシャルロットに戻ったみたいだ。
◇
「あなた、名前は?」
「……アズール」
「アズール?かっこいい名前だね!私はシャルロット。よろしくね」
子供の頃、魔女の息子だと噂が立ち友達がまったくできなかった。ずっと一人ぼっちでぼんやりしていた俺に、ある日突然声をかけてきたのは天真爛漫なシャルロットだった。
それから何度か見かける度に一緒に遊んで、俺たちはどんどん仲良くなっていった。
成長するにつれてだんだんと会う頻度は少なくなっていき、そして次にシャルロットの姿を見たときは以前とは別人のようだった。
俺を見ても以前のように手を振るわけでもなく満面の笑顔になるわけでもなく、社交辞令かのように柔らかく微笑む程度。いかにも王女様な雰囲気に急に近寄りがたくなったが、王女なのだからそんなものだろうと子供ながらに納得した。
その頃にはもうまわりから虐げられることもなくなっていたからだ。
──私はシャルロット。よろしくね。
鮮明に記憶に残っているあの笑顔。
だが、本当にそんなことを言っていただろうか?
おぼろ気な記憶は頭を混乱させる。
──私はナコ。よろしくね。
ふと浮かぶあのときの光景。
まさか、あのシャルロットはナコだったとでもいうのか?
子供の頃一緒に遊んだシャルロットにもう一度会いたかった。あの天真爛漫なシャルロットの屈託のない心からの笑顔が恋しかった。
シャルロットの婚約者にと白羽の矢が立ったとき、少しばかり心が動いた。俺はまだ昔のシャルロットを夢見ていたからだ。
水面下で勝手に話が進んでいき、滞りなくシャルロットの婚約者として周知されたある日、俺はシャルロットに呼ばれた。
「あなたに対して愛はありません」
そうきっぱり断言され、やはり昔のシャルロットはいないのだと悟った。
「私もです」
同調したのに、俺の返答にシャルロットはひどくショックを受けた顔をした。顔は青白くなり、肩がわなわなと震えている。
「じゃあなぜ断ってくれなかったの?私はジャンクと結婚したいのに」
消え入りそうな声で呟くと、シャルロットから一筋の涙がこぼれた。
そんなことを言われても……というのが本音だ。
俺が返答に困っていると、シャルロットは突然テラスへ出てそのまま下へ身を投げた。止める間もなかった。
すぐに駆けつけたが、もうすでにシャルロットの息はなかった。抱き上げた俺の手、そして地面一体には、シャルロットの血糊がたっぷりと広がっている。
「シャルロット!しっかりしろ!」
その時、キラキラとシャルロットが一瞬輝いたように見えた。すると手に付いた血も地面に流れた血も、徐々に消えていく。
その不思議な光景に、俺はシャルロットを抱いたまま動くことができなかった。
シャルロットの頬にほんのり赤みがさし、そしてゆっくりと目が開く。
「……誰?」
シャルロットは俺を見て不思議そうに呟いた。そこには先程まで向けられていた俺に対する敵意は微塵もなかった。
俺は言葉を失って驚愕の目でシャルロットを見る。血は一滴すら流れていない。
そうこうしているうちに俺の声を聞き付けた衛兵たちがわらわらとやってきた。
「隊長?どうかされましたか?シャルロット様?」
誰もシャルロットがテラスから落ちたところを見ていなかったようだ。
それは好都合だ。王女がテラスから身投げしたなどとなれば大問題だし、ましてや一度死んだが息を吹き替えし大量の血も消えたなどと、この光景を見て誰が信じようか。
俺は痛そうにしているシャルロットを抱えた。とにかく城の中へ運ばねばなるまい。
「うわあ、かっこいい。お姫様抱っことか萌える!夢なのかなぁ?」
あんなに俺を拒んでいたシャルロットはそう呟くと、いとも簡単に大人しく俺に身を預けた。
俺は何が起きているのかまったくわからなかった。
だが一瞬そこに、昔のシャルロットを垣間見た気がして胸が高鳴った。
その後すっかりシャルロットの記憶をなくした彼女は、初めこそ心配そうな顔をしていたがすぐに明るく積極的な性格に変化した。
以前のようなおしとやかで可憐で弱い王女の姿はどこにもなかった。
だがなぜか以前と同じように図書館が大好きでよく通う。そこではジャンクが働いている。記憶を失くしても二人には惹かれ合うものがあるのだろうか?まったく性格が違うように見えるシャルロットだが、やはり根底は変わらないということか。
図書館へ行けばジャンクも相変わらずシャルロットに近づいた。俺の監視があるにも関わらず、シャルロットのことが好きだと想いをぶつけるのだ。
軽率な行動は控えるようにと図書館へ行くのを咎めたため言い合いになってしまい、シャルロットとの関係は険悪な状態になった。そして彼女は俺を避けるようになった。
俺が彼女に冷たくあたったのだ、そうなることも無理はない。だが俺の気持ちはずいぶんむしゃくしゃしていた。
しばらく会わなくなったある日、騎士隊の訓練中にシャルロットを見つけた。声をかけるとひどく驚いた顔をしている。
「えーっと、ちょっと見学していただけよ」
焦っているのがバレバレだ。
それなのに、久しぶりにシャルロットと話すことができたことに少し心が明るくなった。
シャルロットは相変わらず俺に対して警戒心がなく、そのことにもほっとする。
だがシャルロットの髪飾りが目についた。
僅かに魔法のオーラが見える。
こんなもの、一体いつの間に。
「これは?」
「これはジャンクがプレゼントしてくれて……」
その名を聞いた瞬間、俺は髪飾りを握り潰していた。
「ちょっと!何するの?」
シャルロットの詰め寄る声が耳を抜けるが、俺は無意識に怒りが湧き逆にシャルロットに詰め寄る。
「これは魔道具だ。何かよくない魔法がかけられていたのだろう」
俺の言葉にシャルロットは声にならない悲鳴を上げて震えあがった。
“よくない魔法”だなんて、本当は嘘だ。
俺の母は魔女だ。
その息子の俺は少しだけ母の能力が遺伝した。魔法は使えないが魔法のオーラは見える。だがそれだけで、その魔法がどんなものかまではわからない。
わからないのに、嘘をついた。
ただ、シャルロットがジャンクからもらったというのが許せなかったからだ。気付いたときにはジャンクに会うのはやめろと口走っていた。
何がしたいのだろう。
自分の気持ちがわからなくなった。
同時に、このシャルロットが一体何者なのか、暴いてやりたいとも思った。
俺の部屋にやってきたシャルロットは、なぜか楽しそうだった。
そもそもシャルロットが俺の部屋に入ること自体考えられない行動だ。シャルロットは俺のことを大層嫌っていたからだ。
シャルロットが死んだのを俺はこの目で確かに見た。
じゃあお前は、誰だ。
剣を突きつけた俺に、シャルロットは言う。
「アズールに殺されるなら本望だわ。だって私の推しなんですもの」
「おし?何だそれは。」
「えーっと、大好きってこと。一見冷たそうに見えて本当は熱い想いを持ってるとことか、寡黙なくせに努力家ででもそれを他人に見せないとことか、誰よりも人を気遣っていて優しいところとか、流れるようなサラサラな銀髪で整ったかっこいい容姿!もう完璧!好きすぎる!大好きアズール!」
…………は?
真っ赤な顔をしながらも必死に訴えてくるシャルロットは、これっぽっちも敵意などなかった。
むしろこれは好意……なのか?