「おじいちゃん、いる?」
「おぉ孫か、わしに何か用じゃったか?」
「用じゃないんだけど……何となく会いたくなっちゃって」
「おぉーそうであったか! 今お菓子を持ってきてやろう。どっこいしょ……」
ここに来ると、両親の実家に帰ってきた孫のような気分になる。それは彼が繰り出す雰囲気が大いに関係しているのだと分かる。
彼の名は『隠者』の正位置。カード番号は9で、見た目もそうだがかなりの初老である。主な意味は『導き・助け合い・真実に目を向ける』で、人柄の良いおじいちゃんだ。
「おじいちゃん、何か手伝おうか?」
「構わん構わん、座っておれ! ほれ、この菓子がお茶とよく合うんじゃよ♪」
「ありがとうおじいちゃん。ほんとだ、確かにお茶と合うね!」
「ほっほっほ……流石はわしの孫じゃ、この良さが分かるとはのぅ! 大半の者はお茶など嗜まぬからのぅ……この隠された良さになかなか気付かず損をしておるのじゃ」
「確かにそうかもしれないね。普段見えないところには、意外といいものがあったりするからね。そう考えると、私何も見えていないのかもしれない……いつもおじいちゃんに教えてもらってばっかりだし、まだまだだなぁ」
隠者は陰から光を照らし、見えていない道を示す案内人のような存在だ。誰よりも多くの道を知り、その進み方や回避方法を知る。
ただ、すぐに手を貸さず窮地に至った時にのみ現れ、導き、再度離れていく。あくまでも案内人としての務めを果たすだけの、心強い味方だ。
「良い良い、孫よ。そなたは他者の言葉に耳を傾けておる、傾けることが出来るだけでも充分じゃ。
じゃがな、全ての言葉を鵜呑みにしてはならぬぞ。言葉はまやかしに過ぎぬ、真実を言葉で語れるとは思わぬほうが良い」
「分かった……肝に銘じておく」
「ほっほっほ……良い子じゃ。ほれ、暗い話はおしまいじゃ! 今はこの時間を楽しもうぞ」
誰よりも深い闇を知る案内人の目は、暖かい光が灯っていた。
「こんにちは運命の輪さん、今日もいい天気ね」
そう声をかけた私に、彼女は少し驚き深々と頭を下げた。さらさらと絹のような長い髪が、彼女の顔を覆い隠す。
「相変わらず丁寧なのね。顔を上げて?」
私がそういうと、彼女はゆっくり顔を上げ、持っていたスケッチブックに、鉛筆を走らせる。暫くして、書きあがったらしいスケッチブックを私に見せてきた。
『こんにちは、主様。ご挨拶に来てくださりありがとうございます』
彼女の名は『運命の輪』の正位置。カード番号は10で、主な意味は『転機・予測・変化』である。
彼女は見ての通り、言葉を発することができないため、筆談でコミュニケーションをとっている。
「久しぶりにお話したいなって思ったの。調子は変わりない?」
『はい、お陰様で変わりございません。気遣ってくださりありがとうございます。時に、主様にご意見を頂きたい話があるのですが、聞いて頂けますか?』
(彼女から意見を求めてくるのは珍しい。何か重要なことなのだろうか……?)
そう考えていると、運命の輪さんはまた鉛筆を走らせ、スケッチブックを私に見せてきた。そこには、こう書かれていた。
『運命とは、一体何なのでしょうか?』
彼女からの質問に、私は固まった。
普段何気なく使っている『運命』という言葉だが、実際に何かと聞かれると答えにくいものである。運命の出会い……というように運命という言葉はポジティブ表現でよく使われるイメージが個人的にはある。
だが、実際その運命が何を具体的に表しているのかは、考えたことがなかった。
「えっと……」
返答に困っていると、彼女は困ったような顔をしながら鉛筆を走らせ、また私にスケッチブックを見せてきた。
『困らせてしまい、申し訳ございません。私はタロットカードの一枚として現在生を受けていますが、自身の名の意味が分からずにいるのです。
私の名には、どのような意味が込められていて、人に対し何ができるのか、何を求められているのか。それが分からずにいるのです。私は何のために生を受けたのでしょうか……?』
彼女が占い結果に出たとき、確かに解釈に困ることが多い。チャンスと読める時もあれば、流れに身を任せるしかないと読める時もある。両方の面を持ち合わせているからこそ、難しいのだ。
運命は、必ず人を幸せに導くものではない。受け取る人によって幸せをもたらす時もあれば、逆に不幸をもたらすこともある。彼女にとって、自身が伝えることの重要性や意味は、相当のものなのだろう。
「私個人の意見だけど……運命って自分で決めるものだと思うの。
言葉ってね、人が事柄を表現するために創り出したものだと思うの。だから、運命って言葉も深い意味があるわけじゃなくて、自分が感じたことに対して特別な意味があるっていうのを表現するために使うんじゃないかな?
運命が良い意味を指すのなら、貴女にはその特別な意味を伝えられる力がある。本人たちが忘れかけていた、あの時に感じた特別な想いを思い出させることができる。
逆に運命が悪い意味を指すのなら、貴女にはその連鎖を切る方法を見出し伝えられる力がある。運命は結果、その過程を作り出すのは人。そしてその過程を、良い方向に進むように導くのが、貴女。答えになっていないかもしれないけど、私はそんな思いで貴女のことを解釈してる」
彼女の求める答えを言えたかどうかは不明だったものの、聞き終えた彼女の表情は晴れ晴れしていて眩しく輝いていた。彼女なりに、自身の定めらしきものが見出せたのかもしれない。そう思うとちょっと嬉しい気持ちになった。
『主様、ありがとうございます。私なりに、もう少し考えてみます。もし答えが見つかったら、主様に真っ先にご報告に上がりますね。ですので、今しばらくお待ちくださいね?』
スケッチブックを見せながら、満面の笑みを浮かべる彼女に、私はうなずいた。
後日、記念というわけではないが、彼女のためになればと、新しいスケッチブックと鉛筆をプレゼントしたのだった。
「して、主よ。以下の点から察するに、主はこのことをどう捉える?」
「えっと……本来の意味を考慮するとこうなるけど……」
彼女の声を聴くと、倫理的に物事を考えられるのは気のせいではないのだろう。
彼女の名は『正義』の正位置。カード番号は11で、主な意味は『正しい判断・誠実な相手・律儀』である。
彼女には時々、占いをした際のそれぞれのカードの解釈について意見を求める時がある。常に倫理的に物事を考え、意見を述べてくれる彼女は嫌な顔一つせずにいつも教えてくれるのだ。
「今回の議題をもう一度考え直してみるといい、本来の意味で解釈すると違和感が生じるだろう。ここでは本来の意味に捉われず、別の意味で解釈するとまとまりが出る」
「別の意味って……そう解釈してしまってもいいものなの?」
「ならば聞くが、主は『正義』とはどういったものだと思う?」
「正義……正しい行い、とかかな?」
私の解答に頷きながら、彼女は続ける。
「その主が思う正義は、他の者も同じように捉えていると思うか?」
「同じように……とは限らないかも。人によって解釈は様々だし、自分が思う正義が人にとっては悪になりうることもあるだろうから……もしかして、そういうこと?」
私の言葉に満足そうにしながら、彼女は少しだけ険しい顔をしながら言った。
「そうだ。基本となる意味は存在するが、それがいつも当てはまるとは限らない。占いに同じ解釈がないのもその一環だな。
私たちカードは、占われる側の心を読み解きそれに合わせて答えを導き出す。ここで出す答えは、その占われる側にとっての答えであって全ての者に対する答えではない。
私もそうだ、正義という名を背負ってはいるが私の思う正義と主たちが思う正義とは異なるだろう。私の名を持って何を証明すればいい? 人によって変わる価値観や正しさは、人それぞれが持ち合わせるからこそ意味を成すものだ。それを私の持つ『概念』だけで変えてしまってよいものなのか?」
カードたちの中には、彼女のように自分の持ち合わせる意味を主張せず、私たちに寄り添い、同じように考えてくれる子もいる。
特に彼女は、意見の押し付けをせず、先ず話を聞きだしてからゆっくりと消化してくれる。混乱している事柄を整理し、一つ一つに区切ってから向き合わせてくれるのだ。それが非常に有り難くもあり、時々申し訳なく思う。彼女の本来の仕事に沿っていないんじゃないか、彼女に気を遣わせているのではないかと。
「……何を気にしている、私が望んでしていることだ。主の力になることが、私の本望だからな」
「正義さん……ありがとう。私ね、正義さんが掲げる『正義』の意味は、常に人に対して誠実で優しさと強さを持って接するってことだと思う。正義さんがいてくれるから、私はカードさんたちのことを私なりの解釈ではあるけれど理解できるんだと思う。
最初に正義さんが言ってくれたでしょ? 参考書は買うな、己の目で感じたものを信用しろって。あの言葉がすごく嬉しかった。私なりでいいんだって、その時初めて思えたから」
彼女の表す意味は、正しさだけではない。誰よりも情に溢れ、個を大事にしてくれる優しさがいっぱい詰まった愛情を持って、接し時には叱ってもくれる。そんな優しく強い、お姉さんだ。
「あ、あまり褒めるでない……次の議題に行くぞ!」
訂正……優しく強く、照れ屋さんで可愛いお姉さんだ。
「主ちゃん、相変わらずだね」
「こんにちは、ふんぬ~……」
「ははは、僕に合わせてくれてるのかい? 面白い子だね。でもその体制……辛くないかい?」
「……ごめん首が痛い」
そう言うと彼はおかしそうにお腹を抱えて笑った、吊るされた状態で。
彼の名前は『吊るされた男』の正位置。カード番号は12で、主な意味は『試練・戦い・壁にぶちあたる』など。
彼は名前の通り、吊るされている。四六時中吊るされた体制だ。そんな彼と話す時、そのまま話しかけていいものか迷うので、先程のように逆さまになって話しかけたりするのだが、長くは続かない。
それが彼にとっては笑いのツボのようで、毎回するたびに笑ってくれる。これは私なりの彼の息抜きになればいいなと思ってしていることなので、少し嬉しかったりもする。
「本当に主ちゃんは面白いね、はははは!」
「だって……その体制辛そうだから」
「ありがとう、でも僕は自分の意志でこの格好をしているんだ。昔僕は大罪を犯して、いろんな人を傷つけてしまった。こんなことでは報われないのは知っているけれど、そのことを忘れないようにしたいからね」
「そうだったんだ……」
「ふふ、主ちゃんは優しいんだね。今までの人はどんな大罪を犯したのか根掘り葉掘り聞いてくるのに……」
「その事件の被害者の方への冒涜行為はしたくないから……興味本位で聞いていいようなことでもないし」
そういうと、彼は目をぱちぱちさせ、やがて優しく微笑んだ。
「そう言えば……前に吊るされた男さんにはこっちの世界とは別の世界が見えるって言ってたけど……」
「嗚呼そうだよ、主ちゃんのいる世界も見えるけどもっと別の世界をいつも見ているんだよ。例えば世界のすべてが茶色い世界とかね」
「茶色……? 全部が茶色いの?」
「そうだよ、その世界ではそれが普通。その世界の住人はちゃんと自分のことも他人のことも識別して生きているからね」
「不思議……どうやって識別しているんだろう」
「他にも、時間が逆に進んでいる世界とか、歩き続ける世界とか……世の中には色んな世界で溢れているんだってことが実感できるんだよね」
彼は逆さまに世界を見つめているからなのか、私達には見えない世界が見えるらしい。聞けば聞くほど不思議で面白いが、その世界にとっては全て当たり前のことのようだ。
「主ちゃんの世界でも、常識だと思われていることがあるだろう? でもそれも国が変われば当たり前じゃなかったりもするし、そっちのほうが僕は不思議だと思うけどなぁ」
「言われてみれば……人種が違ったりするだけで全然違うものね」
「だからといって、自分が思う決まり事とか当たり前だと思っていることが必ずしも正しいとも言えないしね」
宇宙のなかにある地球という惑星の中に世界があり、各国があり、国の中にも都道府県や州があり、そこでも各地域があり、個人がいる。それと同じように世の中にはいろんな世界があるようだ。
「みんな違うからこそ、派閥があったり問題が起こったりするわけだけど……共通するものだってあるよね」
「共通するもの……?」
「『今、この瞬間』を生きているということだよ。主ちゃんたちは今を生きている、過去の人でも未来の人でもない……今この瞬間を生きているんだ。その共通点があるからこそ、人同士は繋がれる」
彼の言葉は時々悲しい。違いだらけの中に一つだけでもある共通点を、私達は気付かないふりをして、自分の国や地域の決めごとを武器に他者と争いをしているのだろうか。
大罪を犯してしまった彼だからこそ見つけられた、人との派閥の中にある共通点。その共通点が今後起こるであろう問題に、少しでも良い影響をもたらしてくれればいいなと切に思った。
小さい頃、よく人の『死』について考えていた。幼いながらも、死に対する興味と恐怖を感じていたのだろう。
「主、朝ごはんはしっかり食べなければならない。抜くと健康に害が及ぶ、気を付けろ。それが終わったら適度な運動をしろ、体を動かすことは健康にいいからな」
「毎日言わなくても分かってるってば!」
人が死んだあと、体から魂が抜けて天に昇っていくという話は、昔聞いたことがあった。同時にその魂を管理する者がいるという話も。
人が死ぬ前に姿を見せるという、死の神様……通称死神。物語やドラマに描かれる死神は、どこか恐ろしい存在だ。少なくともこんな風に人の健康管理に指図してくるようなことはないだろう。
彼の名は『死神』の正位置。カード番号は13で、
主な意味は『終焉・潮時・別れ』など。人によってはいい意味を持っているとは感じないだろう。だが別れは必ず来る、別れがあってこその出会いがあるのだから。
「分かっているならいい、常に健康に気を配り正しい生活を送れ。それが長生きの秘訣だぞ?」
死神の名を持っているにも関わらず、彼はやたらと健康面のことを言う。事あるごとにこうして気遣ってくれるのは有難いのだが、死神としてそれはどうなのだろうかとも思う。より健康的な魂を回収しなければならないという縛りでもあるのだろうか。詳細は聞いたことがないため、分からないままだ。
「あ……うん、ありがとう。しー君はさ、私が主だからこうして気遣ってくれるの? 他人だったら、こんな風には気遣ったりしないし、何か特殊なルールとかあるの?」
「主、しー君と呼ばないでくれとあれ程言っておいたではないか! 弟に聞かれたら、からかわれてしまう……話がそれたな、特にルールなどはない。私は主が主でなかったとしても、心配する」
しー君というのは、私が付けたあだ名だ。彼の逆位置が弟に値するため、あだ名をつけて区別しているのだ。だが当の本人はこのあだ名がお気に召さないらしく、呼ぶたびに怒られてしまう。それでも癖で呼んでしまうため、怒られても呼び続けているのである。
「いいじゃん、しー君ってあだ名。私が命名したんだからいいでしょう? そっか、特にルールはないのか……じゃあ単純にしー君が、私の事を心配してくれてるってことか。ありがとうね、しー君!」
「はぁ……まぁいい。今は弟がいないからな。主も知っていると思うが、仮に主が死んだとすれば、次に生まれてくる主は今の主ではない。全くの別人だ。今生きている主は、今この瞬間でしか生きることはできない。私は今この瞬間を生きている主と、より長い時を過ごしたい。主が死んでしまえば、私達も共に消えるのだからな。だから少しでも、長く生きていてほしいんだ……」
カードとその所有者は運命共同体、どちらかが消えればもう一方も消えてしまう。無論彼らはカードであり、人間ではない。人間の死と、彼らの死は全く違うものを示すだろう。
だが、失う悲しみと苦しみはどちらも同じ。死を司る彼は、人間の死もカードの死も両方分かってしまうのだろう。それは想像以上に辛いはずだ。
「分かった、約束する。貴方たちとの時間を楽しむためにも、私はとことん生き抜いてやるわ! 嫌なことであふれかえってる世界だけど、それ以上の楽しみが私にはあるし……だからこれからもサポートしてね、しー君!」
この時の私は、まだ自分の身に起こる危機を知らなかった。しー君が、この危機を恐れ回避するために忠告として言っていたことを知るのは、もう少し先の話である。何も知らない私は、すべてを知っているしー君に、屈託のない笑顔を向けた。
節制と聞くと、何を思い浮かべるだろうか。某サイトによると、欲望におぼれて度を越すことがないように、適度につつしむことを示すという。
しかしながら、私の身近にいる節制は、こんな生易しいものでは決してない。
「今日の講義は『欲』について」
「また講義……?」
「これしきの事で自分のことはおろか、他人の事を理解したつもりでいるというの?」
「いえ、失言でした申し訳ございません」
「わかればよろしい」
辞書に書かれているような言葉の意味よりも、かなりスパルタな気がするのはきっと気のせいではないだろう。
彼女の名は、『節制』の正位置。カード番号は14で、主な意味は『平凡な日々・調和・平和主義』など。
だが、本人の性格はその正反対である気がしてならない。カード本来の意味と性格の不一致は、少なくとも私の周りではあるが、珍しいことではない。流石にここまで違うと、多少心配ではあるが。
「では主に問う、窮地に立たされた人が優先するのは何?」
「窮地にか、うーん……」
「設定を加えましょう、周りの人から優しいと評価されている人が、窮地に立たされた時……何を優先すると思う?」
「周りの人……かな?」
「甘いわね、そんな認識ではいけないわ。その場合は葛藤が生まれる、他人か自分か……天秤にかけるの」
「え、でも普段は優しいって評判の人なんでしょう……?」
「自分が窮地に立たされているときに他人を優先できる人はそうそういないわ、悲しいけど」
彼女はよく、調和とは何かを問うてくる。これも一般的に調べると、全体または両方が、具合よくつりあい、整っていることを示すという。
しかしながら、世の中はその正反対に回っているような気がする。目に見える紛争もそうだが、目には見えない憚りもあるだろう。それらを踏まえた上で物事を見据えると、今の世の中は不可解なことだらけだ。
「言葉にするのは非常に簡単なこと、でもそれぞれに思い描いていることは全く違う。問題は視点を誰に充てて考えたときに何が起こるのかよ」
「じゃあ……他人から見たその人、仮にAさんとして。Aさんは普段から人にやさしい人だから、自分たちの為に動いてくれるだろうと考えている。ということは……」
「いい観点ね、そう。その人たちが優先しているものは自分たちとなるわね。じゃあAさんはどう?」
「自分……つまりAさん自身が窮地に立っている状態だと、人のことを考えている余裕もないはず。寧ろ誰かに助けを求めるだろうし……そうなると、Aさんも自分を優先してしまう……」
「そうね、勿論人によるけれど。おおよその人はそう考えてしまうでしょうね」
人間は欲の塊を抱えながら生きている。マズローという人が解明した、人の中にある欲はまとめると、自己実現欲求・承認欲求・社会的欲求・安全欲求・生理的欲求の五つだと言われている。人はそれらの欲が満たされた時幸せを感じ、満たされなかったとき不幸を感じるのだろう。
だが彼女は、別の観点を持ち合わせているようだ。
「調和の取れた状態というのは本来、自分の欲が満たされている状態で、それを脅かそうとする人もいなければ、周りの人たちも満たされている状態であることを指すのかもしれないわね」
「それってかなり難しいわよね……?」
「そうね、だから人には理性というものが存在するの。己の欲を抑制することができる力、それが理性だと私は思うわ」
ところが、世の中はその理性の力比べをしているようで、理性の強いものが欲の抑制を無意識に強いられ、理性の弱いものがあふれかえっているのだという。
故に『理不尽』だと思ってしまう人たちの中には、理性の強い人が多いことがあるのだという。いくら理性があるといえど、その範囲や力は人によってさまざま。
さらに言えば、その理性の強さを主張して最終的に己の欲を満たそうとする人もいるだろう。
「じゃあ……平和っていったい何なんだろう……」
「一般的には争いのないこととして取り上げられているみたいだけど、実際は間接的に争いが起こっているわよね。それで平和だというのだから、勘違いも甚だしいところだわ」
「人ってそう考えると、罪人みたいだね……」
「前にも言った通り、人は前世で犯してしまった罪を償うために今を生きている……だから苦しいことの方が多いの。だけど、その中であったとしても、自分の本質を見失うような人にはなってほしくないわね」
「本質って?」
「本当の意味での調和を求め続けることよ、どういう形であれば調和がとれるのか……それを日々追求していくことが重要だと思うわ。私とあなたのようにね?」
「それって……カードさん達と私との関係性も……?」
「そうよ、私たちは人ではない。でもこうして対話をしたりする事でお互いを知っていくことができる。お互いにとって良い環境とは何か、それも話し合うことができるわ」
特に人と人なら、私達との会話よりも身近にあるでしょうから。そう節制さんは続けた。
この世を生きるすべての人の大きくて複雑な課題であると、しみじみと実感をするのだった。
「おいブス、何してんだ?」
カード達は基本的に主を尊敬し、主を慕っている。それは彼らと生活をしていく中で実感することだった。
しかし……彼だけは私を貶す。それがいいのか悪いのかは分からないが、少なくともいい気分はしない。
「何、ナルシスト……」
「んだよナルシストって……俺がイケメンなのは決定事項だ、だからナルシストとは言わねえだろ!」
「自分でイケメンって言っている時点でもうナルシスト決定だよ。いい加減認めたら? まず性格の時点で大抵の女の子はドン引きだね、ご愁傷さま」
「ブスには言われたくねえよ、お前は一目でドン引きレベルだろ!」
彼の名前は『悪魔』の正位置。カード番号は15で、その名の通り彼は悪魔だ。顔はいい方だと思うが、性格が残念すぎるため他のカードからも嫌悪されている。彼自身も他のカード達を嫌悪しているようで、滅多に口を利かない。
そのためか、彼は私にばかりちょっかいをかけてくる。最初こそ嫌だったが、今はもう何にも思わなくなった。どちらかというと、一人っ子の私にとって、彼の存在はかなり嬉しい。兄弟姉妹がいたら、毎日些細なことで喧嘩をして言い合いをするのだろうか。
「……そんなにひどい顔してる?」
「鏡が割れる勢いだな」
「……そっか、そうだよね。まぁそれは私も納得してるから大丈夫」
「………」
私は彼にとってどんな存在なのだろうか。主だとは思われていないのは目に見えているが、だとすると何なのだろう。邪魔な存在だと思われていたら、それはそれで悲しい……
「ねぇ、デビちゃんにとって私ってどんな存在? やっぱり存在し続ける為の栄養源とか?」
「それも一理ある、現に奪ってるしな♪」
「一理あるって……それだけじゃないってこと?」
「俺はお前の事、好きでも嫌いでもねえよ」
「え、なにそれ……どういう意味さ」
好きでも嫌いでもないということは、どうでもいいということだろうか。言い換えるならば無関心、一番悲しいものだ。流石に落ち込んだが、何とか表情に出さないように隠した。
「好きとか嫌いとか、何基準が分かんねえもので例えなきゃ分かんねえのか? 人間の勝手な価値観みたいな面倒くせえもの、俺達にはいらねえよ。一緒にいたくねえなら一緒にいねえし、話したくねえなら話さねえ……それでいいじゃねえか」
彼は時々まともで、カッコいいことを言う。抜け目のない、憎めない奴だ。いつも悪口を言う癖に、私が誰かから悪口を言われると苛立って、挙句言った相手の未来を変えようとまでする。それはきっと彼のカードとしての意味と、彼自身の性格から来ているのだとつくづく思う。
彼の主な意味は『未練を断ち切る・執着心を捨てる・見直す』などで、一般的な悪魔のイメージとは正反対。私が落ち込んでるときには黙って横に来て、決まってこう言ってくれる。
「泣けよ、今は俺しか見てねえんだし……情けねえ面は見慣れてっから、今更驚かねえし引かねえよ。お前だって俺にだったら見られても平気だろ?」
口も性格も最悪級、だけど心は神級。彼は正真正銘の、優しい『悪魔』である。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
「よしよし、もう大丈夫だよ……」
ある日の夕方、私は泣き虫な彼を慰めていた。泣いている理由は些細なもので、今日の天気が雨だったから。彼は自分のせいで晴れにならなかったと言って泣いているのだ。
彼は『塔』の正位置。カード番号は16で、主な意味は『崩壊・絶望・失意に陥る』など。別名『暗示カード』とも呼ばれており、彼が出ることで先に待っている試練を知ることができるのである。
しかし、彼は勘違いをされやすく、彼が出ると不幸になると思われがちなのである。そのせいかは不明だが、彼の性格はかなり暗く引っ込み思案である。
「タワーさん、大丈夫……大丈夫……」
「主……ごめんなさい……!」
「謝らなくていいんだよ、タワーさんのせいじゃない。これは自然現象なんだから……」
「僕のせいで……また誰かが不幸になってしまう……ごめんなさい……!」
彼は時々、見知らぬ人物の不幸を察知してはこうして自分のせいにする。それをなだめるのが私である。
「それは違うよ、タワーさんはその人に起こることを誰よりも早く知ることができるだけ。それに今日雨が降る事は、昨日の天気予報でも言っていた事じゃない」
「でも……僕には何もできない……!」
「タワーさんには、伝える力がある。私たちには分からないことが、危険がいち早く分かる……そのおかげで私達は問題への対処方法が分かるの。だから、自分を責めないで逆に誇りを持ってほしい……それはタワーさんにしか出来ない事なんだから」
「僕にしか……?」
「そうだよ、タワーさんにしか出来ない。私はね、例え他の人がタワーさんを嫌っても、貴方が好き。人に起こる不幸が分かってしまうのって、凄く怖い事だと思うし、私だったら耐えられない。きっと目を背けて見えないふりしてしまうと思う……」
「主……」
「でも、タワーさんは違う。きちんと向き合って、私達に伝えようとしてくれている。理解されなくても、一生懸命伝えようとしてくれている……そんなタワーさんの事、凄く尊敬しているし大好きなの」
私が伝え終わると同時に、彼は子供のように泣きじゃくった。不幸になる人も辛いが、それを知っていて何もできない彼も辛いのだ。自分を責めることしか出来ず、悔しくて苦しくて……彼はその人と同じように苦しんでいる。
「僕……主のことやみんなのこと、守れるかな……?
こんな僕でも……守れるかな?」
「うん、守れるよ。そんなタワーさんを、私も守りたい」
「……僕、これからも伝える。伝えることしか出来ないけど……それでも伝える……」
彼は泣き虫だけど、私の大事なカード。いち早く危険を知らせてくれる、重要な『暗示カード』だ。だからどうか、彼を嫌わないで。
幼い頃、よく星座早見表を片手に星空を眺めていた。夏の大三角形・冬の大三角形……季節ごとに様々な名前の星達が、夜空に広がりそれぞれの輝きを見せる。そんな星達を見ていると、不思議と前向きな気持ちになれたりもする。特別な人と見上げたりすれば尚のことロマンチックだろう。
「綺麗……晴れて本当によかったね」
満天の星空を見上げ、隣で嬉しそうにはしゃぐ女の子に声をかけた。こちらを振り返り、心底嬉しそうに笑う彼女を見ていると、名にふさわしいと改めて感じる。
「ほら見てあれ、オリオンがいるよ!」
彼女が指さす方向には、冬の大三角形の一つである『オリオン座』があった。そういえば最近、彼女が喜ぶと思ってオリオン座をモチーフにしたイヤリングを購入したことを思い出し、微笑んだ。
彼女の名は『星』の正位置。カード番号は17で、とても明るくて可愛らしい子である。彼女は夜になると仲間達と一緒に会議に行くらしく、今は会議終わり。こうして共に空を見上げながら、星を見ている。
主な意味は『希望・夢・未来へ続く道』などで、正に彼女に相応しい意味だと思う。
「本当だ、綺麗……! そういえば、スターちゃんのお仲間さんってやっぱり星座なの?」
「ううん、違うよー! 星座は人間達が形作ったものだから、あたし達とは無関係なの! あたし達は一個の星に過ぎない、だからこうして集まってお話ししたりするの!」
「あ、そうなんだ……となるとみんなで集まったら賑やかで楽しそうだね。会議って具体的にはどんな話をするの?」
「星ってね、当然だけど毎日動いているでしょう? 次に誰がどの位置に移動するかって言うのを話し合いで決めてるんだ! 大体すぐに決まるから、余った時間はお菓子を食べたりしながら今日あったことをお話しするの!」
彼女達は仲間をかなり大切にしているようで、毎日お互いの磨き合いをしているのだとか。集団行動特有の啀み合いなどを一切せず、互いの輝きを尊重し合っている。そんな彼女の話を聞いていると、時々悲しい気持ちになったりするのだ。
「あはは、会議って言うよりお喋り会みたいなんだね。知らなかったなぁ……ただ単に近くにあるだけだと思ってた、物事にはちゃんと意味があるんだね」
「意味の無いことなんてこの世にはないと思うよ?
どんな小さな事だってそう、何かとは繋がっているんだから♪ 自分が何と繋がりたいか、何を目指したいのかを掲げれば、道を見失わずに済むと思う!」
嗚呼やっぱり、彼女は星の名にふさわしい……眩しいくらいに明るくて、少し我儘な所もあって、優しい。
楽しそうに笑う彼女の横で、自然な笑顔になれている事を感じながら、再び共に星空を見上げるのだった。