西暦二〇五〇年、日本は教育基本法と労働基準法を始めとする法律を大幅に改変して幼稚園以上、または保育園以上つまり小学一年生からの学校教育の全ての学童に対して学科や体育、家庭科、美術、音楽などの実技教育、道徳などの倫理教育においてその個人個人の成績に応じてポイントを付与してそのポイントを現金に換算して給料として各児童に支給するシステムが導入された。
 世の大人達は、事実上小学生からの学童も含めて月収や年収、社会的地位や名声を、ほぼ対等に競い合う「マネーイコールベース法」によって場合によっては、父親や母親よりも子供達の収入が大きく上回るケースも多くなってきていた。
 この通称マネー法によって子供達の不登校や早退、遅刻なども査定に大きく響くとあって小中学生や高校生の勤惰は、驚くほど改善され、
「学校に行って真面目に勉強すれば給料が増える」
 と思わせる事によって日本の子供達の学力レベルは、世界随一の水準となった。
 学校では、成績優秀な生徒にはボーナスポイントも与えられ、学校給食も付与されたポイントや五段階に分かれたレベルによって例えば一番上のレベルのプラチナになると一流料亭や高級寿司店、三ツ星レストラン等のメニューがポイント数の優遇を受けて食べられるようなり、掃除や片付けなどの下仕事は一番低いレベルのアルミニウムの生徒が強制的にやらなければならないシステムになっていた。

 学習塾や家庭教師、通信教育などは、法改正によって違法として廃止され子供達は学校か自宅のみでその学力を向上させて、ゲーム感覚で貯まっていくポイントを競い合った。

 毎月月末締めの翌月七日に支払われる給料も子供達の意思でポイントを全額換金するか、ポイントを貯め続けてまとめて半年ごとに換金するかなどのポイント換算システムも多岐に渡っており学校教育は、一つのビジネスとして日本中に浸透していった。

 服装や、髪形、アクセサリーなどは基本的に自由で小学生で高級ブランドに身を包み、ピアスを開けたりタトゥーを入れたりする子供達も多かった。基本的には学業が優秀で休まず通っていれば他は自由で快適なマネー法ライフが楽しめた。
 自動車の運転免許は、十二歳から取得可能となり学校にマイカーを自動運転機能を使って通ってくる生徒も増えていた。
 選挙権は六歳から与えられ、市議や県議員、果ては国会議員の立候補も十二歳から可能となり、十六歳から学生以外の国民全員に納税義務が課せられた。   働かない大人であるニートと呼ばれる非納税者は刑法によって犯罪者として裁かれ、収監された。
 今からは、到底想像がつかないこんな日本の法改正、社会改正を行ったのは時の総理大臣の「綾辻紀一郎」その人だった。紀一郎は、現役の高校生で十七歳。働くことに何の価値観も充実感も見いだせない「救われない」状態だった日本を変えた男だ。
 紀一郎は、インターネットやメディアを有効活用して一躍時の人となる。テロリストによって破壊された国会議事堂やその当時の国政を担う政治家達が次々と不審な死を遂げていた西暦二〇四五年頃に紀一郎の父親である源作が結成した「労民党」が政権を握ってから数年で紀一郎は、源作が築いた独裁政権を受け継ぎ、「働かない人間は死に値する」と銘打って斬新なアイデアで法改正を進めてきた。
 ルックスにも恵まれ、優秀な学生だった紀一郎は幼い頃から構想を練っていた政策を自らの権力を駆使して実行して貧弱だった日本を「有能集団」に変えることに成功していた。
 もはや、日本中が紀一郎の思想やそのカリスマ性による一挙手一投足に従う国家規模の信仰宗教の様相をを呈していた。
 子供達が主に学業の成績によって収入を得て生活の質を高めていく中で大人達もまた、会社内でのポイント制による収入の格差が生じていた。そのスタイルは学校での子供達のシステムとほぼ同じであった。査定によって収入の格差が上下動し、役職の立場であっても仕事の能力の低い人間は、容赦なく減俸されて平社員に落とされた。
 これらの教育基本法や労働基準法の管理を行う機関が文部科学省と厚生労働省を紀一郎が統一した文部労働省であり、日本全国の各学校や企業、公務員や政治家なども文部労働省に徹底的に監査されてデータベースとして日本国民全員の個人情報や査定によるレベル分け、ポイント数、能力の優劣を管理されていた。
 優秀な学生や会社員、公務員には文部労働省からスペシャルボーナスポイントが与えられ、現金換算一千万円を超える金額も珍しくなかった。社会保険制度は、法改正によって廃止された。「一生現役主義」を政策に掲げていた紀一郎は、年金制度を廃止して体が続く限り働けるだけ働くという思想を打ち出し、老後の保障は、国は一切行わない方針を示した。これらが功を奏して日本は戦後の高度経済成長期の再来とも言われる大変化を遂げ、国民は老若男女問わずして自らの能力を最大限発揮し、努力を重ねて「労働」に精を出すようになっていった。
 小学生で年収数千万円。それも珍しくなくなってきていた上にそれに刺激されるかのように「次は、自分が」「負けてられない」と競争心を煽る形となり、日本経済は好循環を続けて更にその勢いを増していく一方だった。
 生活保護制度が完全に廃止され、ホームレスや障害者たちにも頑張れば億万長者になれる。との意識を植え付けた。国は、ホームレスや生活保護者、障害者たちに高いレベルの職業訓練を施し、ここでもまたポイント制のレベル分けシステムを駆使して高い技術を習得した人間には、数百万から数千万円の資金をボーナスポイントとして付与し、経済的自立を促すことに成功していた。
 格差社会を作っていたのは、かつての日本国の政府であり日本国の法律だと確信していた紀一郎は、全ての人間を同じ土俵で戦わせる事で年齢や性別、障害の有無すら飛び越えて「働く事」への意識を六歳以上の日本国民全員に、植え付けた。
 また、ポイント制やレベル分けなどのゲーム性を取り入れることによって多くの国民により分かり易く、楽しく働いてほしい、勉強してほしい、努力してほしいと訴えかけた。

 消費税は、完全に廃止され芸能人やスポーツ選手、アイドルや芸術家、作家などの給与形態はポイント制、レベル分けによってテレビなどのメディアで低俗な番組が全く無くなり民放も含めて全ての局は、NHKと変わらないスタイルの番組制作に変化していった。
 印税などの権利収入を得て生活していた芸術家や作家は、その費用を全て負担する「自費出版、自作CD」等でのみ活動が許されるようになり、多くの低能な作家や芸術家たちは、自らの才能の驕り高ぶりを一切排除され低所得者になり下がった。
 スポーツ選手は、成績全てを文部労働省に管理されここでもまたポイント制、レベル分けによる月給制になり、高額な年俸を得る選手は国内では全く居なくなった。それに嫌気がさした野球選手やサッカー選手らは海外へ亡命してまで高額な年俸にこだわった。
  
 学校での教材は、全てタブレットに収まりランドセルや鞄は特に必要なくなっていた。

 紀一郎のカリスマ性は、日を追うごとに膨らんでいき、彼の掲げる思想や政策は世界各国からも大きな注目を集めて日本という国そのものが大きな産業を生み出しては世界に影響を与えるまでになってきていた。

 数十年前まで繁殖し続けていたニートと呼ばれる「働かない大人」達は、紀一郎の政策や思想を快く思っていなかったが倫理的に労働を拒んで両親の脛をかじり続けているニートが犯罪者として収監される事に多くの働く日本国民は賛同した。
 しかし、このニート達が後に紀一郎と対立して日本を大きく揺るがす戦争の様な事態に発展する事は、この時はまだ想像し得なかった。紀一郎は、ニートと呼ばれる連中の実力やポテンシャルを見くびっていた。

 ニート達は、密かに紀一郎を殺害するテロ計画を構想し始める。袴田順一もその一人だった。順一は、収監されることを逃れるために日々やりたくもない仕事を淡々とこなしていた。測量会社のデータ入力の仕事だった。順一の査定のレベルは決して低くは無かった。ポイント制による毎月の給料も平均で五十万円を超えていて毎日の暮らしを立てていくには充分過ぎる収入だった。

 順一と紀一郎は、小学生時代の同級生でまだマネー法を始めとする大々的な法改正が行われていなかった時にいろんな意味でのライバルであり親友でもあった。
 学校一、二を争う学力のレベルを誇っていた二人は共に将来を嘱望されスポーツや美術などの実技科目は順一の方が紀一郎をはるかに上回る実力を持っていた。
 学科だけに特化していた紀一郎に対し、全ての科目で優秀な成績を保っていた順一は小学校六年生の生徒会長選挙で紀一郎を圧倒的な大差で破り、生徒会長になる。

 紀一郎が、生まれて初めて味わった最大の屈辱であった。その後、中学校へ進学した二人は、紀一郎の父親でもある綾辻源作が立ち上げた労民党が日本国の政権を握った事で大きな変化を見せ始める。
 綾辻源作は、労民党の党首で有りながらその姿を見た人間は皆無に等しかった。綾辻源作は紀一郎がインターネットやありとあらゆるメディアの力を利用して作り上げた架空の人間だった。紀一郎の父親である源作は、紀一郎が幼い頃に自殺していた。

 源作は、派遣社員として働いていたが時代の波に飲み込まれるように失業を繰り返していた。ある日、紀一郎が学校から帰ると源作は生活苦を理由とした遺書を残して風呂場で手首を切って死んでいた。
 それ以降、紀一郎は寝る間も惜しんで勉学に励むようになる。父の様な無様な生き方、死に方をしたくない、その為には一流の学校を出て、一流の企業に就職する事しかない。と言い聞かせながら。

 順一は、紀一郎とは正反対の家庭環境で育っていた。
「子供は、遊びが仕事」をモットーに掲げていた袴田家の両親は、順一や妹の則子にも自由でなるべく束縛感のない幼少期を送らせていた。

 労民党が事実上日本の政権を握ったのには、ニートと呼ばれる働かない大人が膨大な数に膨れ上がっていた背景が大きかった。多くの大人達は、その日本の現状に危機感を抱き、同時期にテロリストによる国会議事堂の爆破や、当時の総理大臣を始めとする政治家達が恐らく同一犯であろうテロリストに次々と殺されていた恐怖感を「労働こそが生きる証」とマニフェストを掲げて急激に支持率を上げていた労民党に全てを託そうとしたのかも知れない。
 実際には、党首の綾辻源作は存在しない中、事実上政権を握ったのは当時まだ中学生の紀一郎だった。インターネットを最大限に駆使して紀一郎は多くの国民のカリスマに変貌していった。

 順一は、学校に通う事が少なくなっていた。毎日繰り返される単純で代わり映えのしない学校生活は順一にとって退屈極まりなかった。両親も順一の意思を尊重して無理に学校に通わせるような事はしなかった。やがて、順一は仲が良かったはずの紀一郎との思考の食い違いを痛感して二人は、疎遠な関係となっていった。

 順一と言う最大のライバルであり最大の厄介者が消えた紀一郎は、自分に勝る人間が一人も居なくなった優越感と日本国自体を支配できるかもしれない気分の高揚感で恍惚としていた。そして、中学を卒業した紀一郎は史上最年少で日本の総理大臣となる。日本という国が何かに彷徨って方向性の無いまま労民党から存在しない源作の後継者として紀一郎は、国政を握ることになった。
 
 順一は、紀一郎が政権を取った事はニュースなどで知っていたが特に関心が無かったので「あぁ、そうなの」みたいな感覚でしか受け止めなかった。
 
 順一の元に、文部労働省から通知が届いた。大きな法改正で十七歳の順一にも納税の義務が課せられていたが、それを無視していた為働いて納税しないとあと三カ月で収監されるような内容が記載されていた。
 「何だよ、これ?」
 順一は、やむなく知り合いの紹介で測量会社のデータ入力の仕事に就く事になった。社会保険制度が廃止になった事でいわゆる給与からの天引きが少なくなったが新しい法改正の元でも所得税は確実に引かれた。税金の使い道は、その殆どが事実上社会で利益をあげていない学生のポイント制による換算システムの給与に充てられた。生活保護や障がい者の職業訓練システムのボーナスにも充てられた。国会議員や総理大臣の給与、宮内庁への税金の使い道は極力抑えられ、会社員の所得税の多くは将来の日本を背負って立つ優秀な子供達への給与に充てられた。
 紀一郎が掲げたこの社会保障制度は、一見バランスを崩してしまいそうな不安定な感覚が否めなかったがいずれ社会に巣立っていく子供達や生活困窮者の将来性や、可能性を考えると社会で働く大人達が学生や障がい者に投資をするというイメージでバランスを保ちながら変革し、確実に日本中に浸透していった。
 年金制度が廃止されたことで多くの中高年層は生涯現役主義を余儀なくされた。なるべく無駄遣いを減らして貯金をする人々が増えていく中パチンコや競馬などのギャンブルは廃止され、株式などの投資も廃止には至らなかったがリスクを背負ってまでマネーゲームに投資する人は少なくなっていった。地道にコツコツと働く事こそが最大の資産を生み出しポイント制やレベル分けを徹底して行う事で日本社会全体の競争意識を高める紀一郎の政策は、ある意味全うで実力社会への足掛かりとなっていった。
 順一は、そうした社会改革に妙な違和感と矛盾を感じて徐々に大きく変わってしまった日本社会の構図をぶち壊そうと考えるようになる。
 大学への進学率は、かなり下がっていた。大学や大学院でのポイント制による給与換算システムは一定の功を奏していたが今や小学生から選挙権やありとあらゆる社会的な権利が与えられている状況下で勉学だけで給与が得られるシステムは高校生までで充分な給与を貯めることが出来ていて、勉学によって得られた豊富な知識や能力をいち早く実社会で積み上げた方が社会的、経済的成功が近い事に多くの学生が気付き始めていた。
 時の総理大臣で、現役の高校生だった紀一郎は高校卒業後大学には進学せず新たな政策を模索し始める。小学生からの競争実力社会を実現した紀一郎は、風俗や水商売で働く女性たちを風営法改正によって生活保護やホームレス、障害者たちと同じ施設で高度な職業訓練を施し、一般社会で充分通用するスキルとチャンスを身に付けさせる試みを始めた。
 ソープやヘルスなどの風俗店の廃止。キャバクラやガールズバーの廃止。本人の努力と頑張りしだいで学歴など無くても実力で男性社会人の年収を超える事も可能とする政策を進めて、まるで日本中から今までは闇の世界、下衆な世界と捉えられていた人達を救済するようなシステムを推進した。

 順一は、データ入力の仕事を日々淡々とこなしながらポイントを積み重ねてレベルはシルバーまで上がっていた。基本的なレベル分けのシステムは一番下がアルミニウム、その上にブロンド、シルバー、ゴールド、プラチナの五段階だったが順一にとってそれは、どうでもいい様なシステムだった。
「単純なデータ入力の仕事でレベル分けも何もねぇだろうに」
 やや、不貞腐れながら順一は今の紀一郎が作り上げた労働至上主義なるものを次第に疑問視するようになっていく。格差や不平等は社会において必然でそれを無理矢理法律で平等或いは対等に競わせる事自体、順一には理解できなかった。
 十九歳になった順一には、雅代という彼女が出来ていた。雅代は大手の印刷会社で一般事務の仕事をしていた。ここでの彼女の評価は、ゴールドで月収は平均で八十万円ぐらいあった。雅代は、紀一郎の政策を気に入っている様子だった。確かに大手とは言え印刷会社の一般事務で月平均八十万円稼げる人は少なかったし、それを実現させてくれた紀一郎の政策は彼女にとっては願ったり叶ったりだったろう。
 日本社会全体が、たかが十九歳の綾辻紀一郎というカリスマ青年総理大臣によって弱肉強食的な社会へと変貌していった。学歴も性別も年齢も障がいの有無も関係なしに同じ土俵で戦えるシステムが日本人の気質を変えて何か異様な空気と今にもはちきれんばかりのエネルギーに支配されて日本という国がこれから何処へどう向かおうとしているのか?分かる人は、いなかっただろう。当の本人の紀一郎でさえも。

 日本の景気は戦後最大と言ってもいいリズミカルなサイクルで上がっていき、小学生でも豪華なマイホームが建てられる時代になった。結婚は、十七歳から可能となったが大きく変わったのは夫婦別姓が義務付けられた事だった。             基本的に、結婚しても女性は本来の氏名のまま結婚生活を送り、生まれてくる子供達の姓は男の子なら夫。女の子なら妻の姓を名乗るように法で定められた。

 子供達は、選挙権が与えられる六歳までは普通に暮らし小学一年生つまり六歳から大人と同等の権利をほぼ得られるようになっていた。酒やタバコは、二十歳からと言う部分だけは変わらなかった。紀一郎は、様々な法律をより合理的に日本社会全体が好循環を続けるように緻密に計算しながら法改正を進めた。

 収監されてしまったニート達にも刑務所内で出所後の生活が困らないようにメンタルトレーニングや認知行動療法を施し、モチベーションを高める訓練に余念がなかった。

 元々、ニートの連中はPCスキルが高いので後はやる気をどれだけ引き出してやるかだけを考えてあげればよかった。基本的に文部労働省が定期的に監査に現れ、各ニート達のデータベースを完璧に管理していたので社会復帰へのモチベーションと他人とのコミュニケーション能力が人並みに上がったと判断されれば早い人間だと三カ月くらいで出所出来た。

 紀一郎の政策の大きな根幹である生涯現役、働く事が生きている証。というマニフェストは多くのニート達にも浸透していった。元々能力が高い人間が多いニート達を放置して世に送り出さないで人生を終わらせてしまってはいけない。と謳った紀一郎の存在は、前政権まで全く改善の余地が無かった脱ニートという課題をあっけなくクリアしていた。

 順一は、紀一郎の作った法律がそう遠くない未来には破滅すると確信していた。何もかもが若気の至りだろうが、政策或いは法律として稚拙過ぎると感じていたのだ。
 六歳からの選挙権やポイント換金システムも今は、上手くいっているように見えるだけでいずれ、格差や貧富の溝、政権破滅までを少なくとも幼い頃から紀一郎の性格を良く知っている順一は予測していた。
 小学生の頃から、綾辻紀一郎が彼の人生において唯一かなわなかった人間こそが袴田順一であり順一の存在が無ければ紀一郎は今現在においてここまで大きな事をやる人間では無かったかも知れない。
 自らの官邸で、袴田順一のデータベースを閲覧していた紀一郎は、もう少し刺激的で日本国中が弾け合うようなクレイジーな政策を打ち出そうと頭を捻っていた。少年法で守られていた少年犯罪は、刑法の改正で素顔と実名が公表されるようになり裁判の様子もテレビでモザイク無しで生中継された。紀一郎は、良くも悪くも全ての国民を対等に扱うという姿勢だけは崩さなかった。その点は、ある一定の評価を得ていた。
 
 労働至上主義という政策は、確かに日本国の経済や景気の好循環を促していたが一方で完全競争社会に耐えられなくなり心を病んでしまう子供達や大人達が増えていた事も事実だった。次第にマネー法の綻びが見え始めてきていた。

 順一は、紀一郎の掲げたマネー法を始めとする子供じみた政策に嫌気が差し仕事を辞める決意を固める。所得税という形で納税義務を果たしていた順一が、これから非納税者となる事によって犯罪者として収監される日まで国から与えられたリミットは三カ月。失業手当もマネー法によって廃止されていたので順一は収入がない状態で三カ月の間に答えを出す必要があった。

 官邸で、自らのパソコンに向かってデータベースのチェックを行っていた紀一郎の携帯電話に着信音が鳴り響いた。画面には袴田順一の名前が表示されていた。
「もしもし?」
 やや緊張感のある声で紀一郎は電話に応じた。
「紀一郎、久しぶり。忙しいか?」
 順一は、紀一郎とは対照的にリラックスした声で軽く話し出した。
「まぁね。順一、仕事辞めたのか?」
「あぁ、全部分かっちゃうわけね。辞めたよ」
「三カ月後までに就職しないと刑務所行きだぞ。どうするよ?」
「さぁね。適当に見つけるよ」
 順一は、少し姿勢を正して本題に入った。
「紀一郎、お前のやっていることは、いずれ破たんするよ」
 紀一郎は、少し引きつった笑顔を浮かべた。
「そうかな?いくら賭ける?何の根拠で?」
「賭けは禁じ手だろ?俺は、お前の政策をぶち壊すよ」
「どうやって?」
 紀一郎の携帯電話を持つ手が少しだけ震えていた。
「俺は、お前の事を昔から良く知っている。お前は俺には勝てないよ」
 紀一郎は、それを聞いて激昂する。
「お前、誰に向かって口きいてんだ?言葉を慎めよ!」
「まぁ、そう怒りなさんな。ソウリダイジンさん」
「俺は、俺の考えでお前のクソみたいな政策と政権を改正するよ」
 紀一郎は、怒りに震えた声で
「やれるもんなら、やってみろよ。何も出来ないくせに」
 順一は、タバコに火をつけながら話を続けた。
「これから、始まるぞ。戦争が」
 ニヤニヤと笑いながら、タバコをふかして順一は余裕の表情で自分の爪先の垢を穿っていた。
「俺は、お前と違って忙しいんだ。切るぞ!」
紀一郎は、電話を切って自分の携帯電話を床に向かって叩きつけた。
「アイツ、無職の身分で俺様に好き放題言いやがって」

 紀一郎と電話を交わした順一は、不敵な笑みを浮かべながら何かに勝ち誇ったような表情を浮かべていた。
「面白くなるな。これから」
 順一は、そう言って冷蔵庫からビールを取り出して旨そうにゴクゴクと一気に飲み干してゲップを吐いた。
「さぁて、三カ月。時間はそれだけだ」
 順一はそう呟いて軽く首を左右に振ってもう一本タバコに火をつけた。




「ん?ああ、夢か……」
 長い夢から目覚めた順一。携帯電話のカレンダーで今日の日付を確かめようとした。

「2017年3月……」


 全てが、夢の世界でのファンタジーだったのだと順一は思った。


「結局、イコールゼロ!何も変わっちゃいなかったんだな……」
 順一は、静かに微笑んでから穏やかな気分で紀一郎に電話をかけた。

「もしもし?」
「あぁ、紀一郎?実はさぁ……」

 二人は、順一の見た奇妙な夢を楽し気にずっと時間を忘れて話し続けていた。