いつもと同じ時間に家を出た。


いつもと同じ時間にホームへ入ってきた電車の
いつもと同じ車両に乗り込んだ。


いつもと同じ朝だった。





—————……



都内にあるデザイン会社に勤める山下香穂は、その日もいつも通り自宅マンションの最寄駅から電車に乗り込んだ。

始発駅から近いこともあり、まだポツポツと空く座席。
どのあたりに座ろうか。ぐるりと車内を見回した香穂は、ある一点で視線を止めた。

いや、止まったという方が適切かもしれない。
強烈に目を惹かれた。

この時間のこの車両で、初めて見る人だった。
けど、香穂が目を惹かれた理由はそれだけではない。
マスクで半分が隠れた顔に、きれいな二重の垂れ目が並んでいる。優しげで、涼やかな目元はイケメンだと想像するに容易かった。


だからと言って、なにか行動におこせるようなバイタリティなど香穂には備わっていない。
大人しく彼の斜め前の空席に腰を下ろした。


「(そうだ、今日会議…)」


香穂の会社では、毎週金曜日の午後は会議が予定されていた。今日はその金曜日であり、例外なく会議が予定されている。

香穂はタブレット端末を鞄から取り出した。
昨日のうちに配布されていたデータを呼び起こす。2時間弱の社内会議の資料だとしても、読みやすく表やグラフがまとめられている。さすがデザイン会社だなぁ、と毎回驚かされる。

そしてその資料を確認しながら、次々と指で画面をスワイプしていく。

……が、あまり集中できなかった。文字を目で追ってはいるが、まるで頭に入ってこない。

意識は違うところへ向いていることを自覚していた。

潔く諦めて、画面から顔をあげた。流れるように過ぎていく窓の外に視線を向ける。

いつもと特段変わらない景色だった。
次の駅に着くまで、あと3分——……


電車がゆっくりとその動きを止めていく。
斜め前に座る彼が、それに合わせて立ち上がり
だるそうに横を通り過ぎて行く。

もう会うこともないのだろうと、
なぜか少しだけ寂しい気持ちになっていた。


ふと、さっきまで彼が座っていたそこに
忘れ去られたように、ぽつんと置かれたスマホ。
急いで彼の方を振り返ると、ホームを颯爽と進んでいた。

あっという間に小さくなる背中。
迷っている暇はない。

置き去りにされたスマホをしっかりと掴んで、
会社の最寄り駅より、はるか前の駅に降り立った。

あー、もう絶対に遅刻だ。あとで電話しないと。

そんなこと考えながら、小走りでホームを進めば
少し猫背気味の背中が目に入る。

『———…あのっ、すみません!』

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