二人はバウンティセントラルに付くと、管理人に頼み込んでパレスのパーティーメンバーに合わせてもらうことに成功した。
 それまではよかったが、フェレスは今起こっている事柄についていけず冷や汗を流していた。
「たった数年の付き合いでしたが、パレスさんは僕の師匠であり兄のような人でした。今頃はきっと天国の姉さんとお義兄さんと一緒に仲良く盃を交わしているでしょう……」
 エースは涙ながらにそう言った。黒縁メガネを掛けて前髪も七三分けにした見た目も感情豊かな表情もまるで別人のようである。
「そう……パレスは昔のことを話したがらなかったけど、そんな過去があったのね」
「昔とはいえ、君も俺たちと同じ仲間のようなものだ。パレスほど強くはないが、何かあったら僕に頼ってくれ」
 パレスのパーティーメンバーであるリーアとウルクがエースの肩を優しくたたく。
 なぜこのような状況になったのかというと、すべてエースの悪だくみだった。
 資料でパレスのパーティーが10年前に結成されていたこと、それ以前にお互い面識がなかったことを確認するとエースはパレスと元パーティーを組んでいたと嘘をついたのだ。
 最初はパレス、エース、エースの姉、そして別の男の剣士4人でパーティーを組んでいた。やがてエースの姉とパーティーメンバーの一人と結婚することになりパーティーは解散。その後エースの姉と義理の兄が不慮の事故で無くなってしまい、その期間はパレスにとても世話になった。そしてフェレスは姉の子供、エースの姪っ子という立場にさせられている。
 すべてウソだが、エースの作り込まれた設定と演技力でリーアもウルクも完全に信じ切っていた。
ちなみにメガネは一度クリスタルにまで戻ってクリスタから奪ってきたものだ。お陰でエースは度のきついメガネによって視界は悪い。
(妹にされたり姪にされたり……ハサルシャム様に頼んでもう少し身体を大きくしてもらおうかしら)
 ふくれっ面のフェレスの隣でエースはリーアとウルクに話をうまく引き出そうと会話の話題を誘導する。
「じゃあ、パレスさんの武勇伝を聞いてもいいですか? 噂は聞いていたのですが、詳しくは知らなくて……」
「そうね。じゃあやっぱり、勇者の称号を貰った天海龍を討伐した時の話しかしら」
「あの時は凄かったな。三人で天海龍が現れるという山の頂上に上ったんだが、天海龍の暴風でまともに立ち向かえることはできなかった。そこで俺とリーアの魔法で山頂に大きな闘技場を作ったんだ。そこでパレスと天海龍は一騎打ちさ」
「天海龍の落雷がパレスに直撃しても、パレスは微動だにしなかったの。何度攻撃されてもその間パレスはずっと大剣にマナを溜め続けていたわ。そして業を煮やした天海龍が直接パレスを食べようと大口を開けた瞬間、大剣が振り下ろされて天海龍は真っ二つよ」
 天海龍という全く知らない登場人物が出てきたが、エースは無知を表に出さずに首を縦に振った。
「すごい……! さすが不屈のパレスですね。でも、ちょっと意外です。僕の知っているパレスさんはどこか俗っぽい人だったので、お二人と出会ってから変わったんでしょうか」
「そんなことないわよ。勇者の称号なんてもらったけど、酒を飲んでは問題を起こすようなことはよくあったわ」
「そうそう。一度酔った勢いでチンピラと喧嘩になった時はお互いボロボロになるまで殴り合っていたよ。結局二人とも気絶してしまったがな」
「チンピラ……?」
「確かこのバウンティセントラルにいた無法者だよ。名前までは憶えていないな」
 エースは顎に手を当てて考え込む。こういった情報は衛兵の報告書には載っていなかったものだ。まだ有益な情報を引き出せないかとエースは演技を続ける。
「さっきも言った通り、僕はパレスさんを師匠として信頼していました。いつかパレスさんのように強くなりたい……。そう思って、パーティーを解散した後も訓練を怠った日はありません。だからお願いします!」
 エースは頭を下げる。
「どうか、パレスさんの魔法を僕に教えてくれませんか!」
 プライドを捨ててまで頭を下げたエースだったが、リーアもウルクも何も言わないことに違和感を覚え、顔を上げた。二人は顔を見合わせ困ったような表情をしている。
「悪いんだけど……」
 リーアはエースの方を見る。
「10年間一緒にいるとはいえ、私たちもパレスの魔法の能力はよく知らないのよ」
「攻撃するときも一撃で終わらすことが多かったし、何よりもパレス自身が頑なに喋ろうとはしなかった。まあ賞金首なんてものを生業にする以上、用心するに越したことはないからね」
 確かに手の内を知られるのは弱点を知られるような者だ。エースは納得した。
「ねえ、それよりあなたの知るパレスについて教えてよ。やっぱり昔から強かったの?」
「そうですね……。あ、フェレス。お前今日の約束は何時からだった?」
 いきなり名前を呼ばれてフェレスは目を丸くするが、すぐにこれが『話を合わせろ』ということだと気づいた。
「あぁ! そうだったぁ! もう帰らきゃ!」
 あまりの棒読みにエースは頭を抱えそうになるが、何とかエースの演技でフォローする。
「しっかりしてくれよ。すみません、リーアさん、ウルクさん。僕たち用事があるので、続きはまたどこかでしましょう!」
「あ、ちょっと!」
 エースは立ち上がり、深く礼をする。そして顔を上げると同時にメガネを外した。
 顔を上げながらエースは初めて二人を観察した。衣服、髪型、顔立ち。そして二人がハンマーを模したエンブレムのアクセサリーを付けていることを確認した。
 フェレスの腕を掴み、リーアの制止も聞かないで二人はバウンティセントラルから逃げるように出て行った。
 露天の通りを抜け、エースはようやく一息つく。
「何とかうまくいったな」
「うまくいっている分けないでしょ!」
 フェレスはエースの手を振りほどき、キーキーと喚き散らす。
「あんな変な芝居までさせて! 私がどんな思いで聞いていたか想像もつかないでしょ!」
 人目もはばからずフェレスはエースに詰め寄った。
「だから前もって言っておいただろ」
「ならどういう演技をするかくらいは教えなさいよ!」
 一歩退いたエースに後ろを歩いていた通行人とぶつかってしまう。
「あ」
 反動でエースは手に持っていたクリスタのメガネが地面に落ちる。それに気づかず、フェレスはメガネを踏んでしまった。
 バキと不穏な音がして、二人は地面を見る。
 クリスタがゆっくりと足を上げると、そこにはフレームもレンズもバキバキに折られた残骸が残っていた。

 衛兵署二階の会議室ではトルバとストレインが雑多な資料を前にずっと食い入るように一枚一枚手繰っていた。戻ってきたエースは扉をノックし、返事が返ってくる前に中に入る。
「どうだった?」
 エースがそんな鬼気迫るような二人に声を掛ける。二人はエースが声を掛けるまで会議室の扉が開かれたことにすら気づいていなかったようで、ゆっくりと顔を上げてエースの顔をまじまじと見つめる。
「おお、帰ったか」
 ストレインは大きく伸びをすると、手に持っていた資料を机の上に置いた。
「こっちはダメだな。パレスはほとんど魔獣を中心にした討伐依頼しか受けていない。これじゃあ恨みを買うような機会がないよ」
「そうか」
「それで、何か新しい情報は得られたのか?」
「収穫はあったよ」
 フェレスからすればまったく得られた情報はないわけだが、あながちエースが嘘をついているようにも思えなかった。
「ところで、」
 エースが切り出す。
「パレスの死体の状況が見たいんだが、どこにあるか分かるか?」
「それなら……」
 ストレインは窓の外から太陽を見上げた。
「あと少しで城内に運ばれる予定だったが、今なら見せてやれるかもしれん。ただ……」
 ストレインの目はフェレスに向けられる。
「ああ、なるほど」
 たとえ天使であろうとも見た目は十歳の少女なのだ。そんな子供に大人の死体を見せることには抵抗があっても不思議じゃない。
「フェレス、君は家に変えるんだ。ついでにこれも返しておいてくれ」
 エースは粉砕されたメガネをフェレスに渡す。
「……責任転嫁しようって訳ね」
フェレスは頬を膨らませてエースを睨み上げる。
「転嫁も何も悪いのは君だろ。もし一人で帰れないというなら、トルバに送迎を任せる」
 引きつった顔でトルバを見た後、フェレスはしぶしぶ頷いた。
「分かったわよ。その代わり、勝手な真似はしないでよね」
「もちろんだ」
 そう言うとフェレスはメガネを受け取り、部屋から出て行った。
「……おい、今のは何気に傷ついたぞ」
 トルバがエースの睨み付ける、
「大人に反抗したい年頃なんだよ。察してやれ」
 窓からフェレスが帰路についたのを確認すると、エースはストレインに
「じゃあパレスの死体まで連れて行ってくれ」
 と言った。
「城内の関所に留置されているから少し歩くぞ」
「構わないさ」
 ストレインはトルバの方を見る。
「トルバ、お前はどうする?」
「……自分はもう少しこの資料を調べてみます」
 懲りずにパレスの受注依頼を必死に確認している姿にエースはため息をついた。
「残念だがその資料を調べても特に何もないぞ」
「そんなのやってみないと分からないだろ」
 トルバはエースの態度に腹が立っているようで、目も合わせずにずっと資料を見ている。
 エースの頭脳をもってすればトルバの行動がいかに無駄なのかを27個の根拠をもとに証明することができるが、フェレストの約束通りこれ以上厄介ごとを作らないように何も言わなかった。
「なら好きにするといい」
 ストレインも何も言わず、トルバを残して二人は関所へと向かった。

 家に帰ったフェレスは鈴の音と共に店に入る。その音に反応してクリスタがカウンターの下に潜りこもうとするが、壁やカウンターに顔面をぶつけていた。
「あぅ……」
 情けなく床にしゃがみ込んでいるクリスタにフェレスは歩み寄る。
「クリスタ、大丈夫?」
「あ、フェレスさん」
 クリスタは顔を上げてフェレスの名を呼んだ。しかしその目線は明後日の方向を向いている。
「その、ごめん……」
「? 何を謝っているんですか?」
 フェレス原形をとどめていないメガネをクリスタの手に握らせた。
「私のせいで、壊しちゃったみたい……」
「……」
クリスタは哀しげに手の感触だけでメガネの現状を感じ取っていた。
「あ、でも安心して!」
 フェレスはローブの中から新しいメガネを取り出した。
「私の能力で新しいものを作ったの。レンズの度合いも変えたから使えるはずよ」
「あ、ありがとう……」
 クリスタはメガネを掛けると、目をぱちぱちして周りを見た。
「フェレスさん、だけですか……? エースさんは?」
「アイツはまだ事件の調査中よ。私だけ子供だからって帰されたのよ」
「そうですか……」
 クリスタはまだ壊れたメガネを触っている。
「……ひょっとして、それ大事なものだった?」
「え? あ、いえ……そう、ですね……。これ、私の祖父のものなんです」
「お祖父さんの?」
「はい。私はもともと目が悪い方じゃなかったんですけど、祖父の形見のメガネをずっと掛けていたからそのせいで目が悪くなっちゃったんです」
 クリスタの眉は下がり、声は震えている。その様子は涙を堪えているようだった。
「バカですよね。コレを掛けたら祖父が側に居る感じがして、そのせいで目が悪くなって……」
 もうこれ以上壊れないように、クリスタはメガネを優しく握って胸元で抱えた。
「……ちょっと、かして」
 フェレスはクリスタから壊れたメガネを受け取る。
「いつも壊れたものは消してから新しく創ってたから、直すのは苦手なのよね」
 『エタエルク』と唱え、メガネのパーツをつなぎ合わせていく。ローブの下で羽根を隠しているとは言え、至近距離にクリスタがいる状態で『創造』を使うのはリスクを伴っている。しかしそんなことフェレスはまったく気にしていなかった。
「大丈夫よ」
 不安げに見つめるクリスタにフェレスは優しく言葉を投げかける。
「私が絶対直してみせるから」
 クリスタはフェレスの横顔に自然と信頼を持っていた。
  


 エースとストレインは城内とスカル街を繋ぐ関所にやってきた。剣を持った衛兵が厳重に警備をしており、二人が関所に近づくだけで衛兵たちが鋭い目つきを向ける。
「スカル街支部のストレインです」
 ストレインが胸に付けたバッジを見せながら門番の一人に話しかけた。
 門番はストレインの人差し指を伸ばしてバッジに触れる。バッジは金色に光り、プロジェクトマッピングのようにストレインの姿が空中に映し出された。
「何の用だ」
 確認が終わったのか、門番は低い声でストレインに尋ねる。
「勇者パレスの遺体確認に参りました」
 ストレインは右手で敬礼をしながら答える。
「パレスの遺体はもう城内の葬儀場に連れていく。諦めろ」
「確認だけですのでお手間は掛けません。事件解決のため、よろしくお願いいたします!」
 門番は面倒くさそうに頭を掻きながら流し目でエースを見る。
「……コイツは誰だ?」
「っ! 彼は……」
 ストレインはエースの立場をすっかり忘れていた。国籍を持たないエースは正体が別の衛兵にバレれば即国外追放だ。
 狼狽するストレインの代わりに、エースは自ら助け舟を出す。
「はじめまして、僕はパレスのパーティーメンバーのウルクです」
「ウルク?」
 門番はエースの身体を頭の先からつま先までじっくりと見る。
「……まあいい。五分で済ませろ」
 門番は後ろの扉を開けた。
 エースとストレインは扉の隙間を縫うように関所の中へと入る。
 関所の中は宮殿のように大きなものだった。床の大理石は鏡のように反射しており、壁一面には天使や女神を描いた巨大な肖像画が飾ってある。その空間でさも当たり前のように衛兵たちが歩き回っている。
「おい、こっちだ」
 観察している間もなく、ストレインがエースの腕を引っ張る。無駄話をせずに、二人が向かったのは地下室の一室だった。
 薄暗いが、部屋の中央に寝かされた水晶が部屋を青白く照らしている。そしてその水晶の中には大柄の男が目を閉じて眠っていた。
「彼がパレスだ」
 ストレインは壁に備え付けられた燭台に火をつける。
「これから水晶の結界を解く。遺体を調べるならすぐに済ませてくれ」
「了解だ」
 水晶が寝ている台座に手を伸ばすと、あっという間に水晶が溶けてなくなってしまう。そしてストレインは気味が悪そうに顔をしかめてエースに背を向ける。
 一方エースは全く気にせずに遺体を確認する。
「それにしても、本当に無茶してくれるよ。まさかウルクの名前を使うなんて……バレたらどうするつもりだったんだ?」
 後ろを向いたままストレインはエースに尋ねる。
「いくら勇者のパーティーメンバーでもスカル街に住むような人間の顔はいちいち覚えていないだろうと踏んだのさ。この世界には人相書きだけで写真のようなものは存在しないからな」
「シャシン?」
「よし、もういいぞ」
 エースは口早に終了を告げる。そしてストレインに促され、部屋の隅にある水道で手を洗う。
 その間にストレインは再びパレスの遺体を水晶の中に入れた。
「それにしても早い確認だったな。ひょっとして門番が早く済ませろって言っていたのを気にしてるのか?」
「いいや。きれいな死体で調べやすかっただけだ。死因も報告書で書いていた通りだったからな」
「どういうことだ……?」
 疑問符を浮かべるストレインをエースが片手で制した。誰かが談笑をしながら地下室に降りてきているようだ。
「ここじゃ人目がある。話の続きはこの関所を出てからにしよう」

 二人は関所を出るまで、お互い口を真一文字に閉じていた。門番に軽く敬礼だけすると、振り返ることなくスカル街へと戻っていく。
 やがて関所が見えなくなってようやくストレインがエースに向き直った。
「さて、どういうことか教えてくれるか?」
 エースはまっすぐ前を向いたまま、歩みを止めることなく話す。
「報告書には心臓を一突きされて死んでいたと書いてあった。ひとえに心臓と言っても殺され方は様々だ。正面、背面、脇腹、貫通かそうでないか。今度から遺体の報告書を書くならもっと細かくした方がいい。そうすれば僕がわざわざ遺体まで出向くことはなかったんだ」
「ご指摘どうも。それで、分かったことは教えてくれないのか?」
 ストレインの全く皮肉を気にしていない態度に自然と歩幅が小さくなってしまう。
「……死因は右の脇腹、腰辺りから心臓を突き刺し、そのまま左鎖骨下あたりまで貫通していた刃渡りは60センチ以上の剣だ。遺体に争った形跡はなく、パレスが背中を向けているときに右利きの犯人が剣を突き上げるように殺されたんだろう」
「右利き?」
「刺し傷から犯人は右利きだよ。まさか人を殺すときに不慣れな非利き腕を使うとは考えられないからな」
「なら犯人はかなりの手練れの可能性が高いんじゃないか。パレスの肉体を貫けることができるとすれば、他のパーティーの騎士である可能性が高い」
「……それはどうだろうな」
 エースの言葉にストレインは眉を顰める。
「何かほかに気になっていることでもあるのか?」
「ある……が、今は僕自身分からないことが多すぎる。ここで軽率な推理をすることは控えさせてもらうよ」
 まるで協調性のかけらも感じさせない言動だが、ストレインはそれでもエースを信頼していた。
「分かった……。そういうなら俺も無理には聞かない」
 エースは無言で頷く。
「それで、明日のことだが——」
「明日は衛兵署で調べたいことがある。一日中部屋を貸してくれ」
「そのことだが、悪いが俺は明日本部に行く必要があるんだ」
 エースは歩みを止めてストレインに振り返る。
「本部? 城内に行くのか?」
「ああ。半年に一度の定期検診のようなものだ。これを断ると俺は問答無用で職を失うことになるから、明日はどうしても事件の捜査ができない。だが、代わりにトルバを使ってくれ。いろいろと問題は起きるだろうが、アイツもアイツなりにこの街をよくしようと頑張ってくれている」
「……了解した。僕もこっちから刺激するようなことは言わないよ」
 約束をしたものの、エースはそれを守れるとは思っていない。おそらくフェレスが止めてくれるだろうという安心のもと約束を告げた。
 
 ストレインと別れたエースはまっすぐ家に直帰した。
 店に入るとクリスタはカウンターに突っ伏して寝ており、鈴の音で店の奥の部屋にいたフェレスが顔を出した。
「あら、帰ってきたのね」
「フェレス。いくら何でも勝手に人の部屋に入るのは問題だろ」
「いいのよ。私はクリスタから直接許可をもらっているもの」
 その言葉に目を丸くする。
「いつの間に仲良くなったんだ?」
「別に……仲良くなったわけじゃないわよ」
 フェレスは頬を染めて顔をそらす。
「まあ、それはクリスタが起きてる前で言うんじゃないぞ」
 エースの視線は自然とカウンターの上にあるツギハギだらけのメガネに注がれた。
「……直そうとしたのか」
「まあ、ダメだったんだけどね」
 そう言うフェレスの声は落ち込んでいるようだった。
 メガネはかろうじて原形をとどめているようだが、レンズは殆どひび割れ状態でとても使えるようなものではない。
「それで? 何か収穫はあったの?」
 切り替えるようにフェレスは声を張り上げて尋ねる。
「まずまずだ。それと、明日はまた朝から衛兵署に行く」
「あ、そう……分かったわ」
 歯切悪く答えると、フェレスは寝ているクリスタの方を見た。
「……他に予定があるならそっちを優先してくれても構わない。代わりにトルバをアシに使うさ」
「そう……? じゃあ私は遠慮させて貰うわ」
「そうするといい」
 エースはコートを脱ぎながら階段へと向かった。
 一緒に過ごして二週間弱になるが、フェレスに対する印象を変えるべきだとエースは思った。人間を見下すような態度を取っていると思えば、一方で人間を守ろうともしている。そして今は人間に心を寄せている。
(天使にも感情はあるんだな……)
 エースは二階の窓から夕日を眺め、徒然とこの世界に考えを馳せた。
 そして夕日が沈むころ、一階からクリスタが店を出たのであろう鈴の音が響いてくる。そしてパタパタと足音を立ててクリスタが階段を上ってきた。
「お待たせ。夕ご飯を持ってきたわ」
 その手には大きな鍋が握られていた。匂いからしてシチューだろう。エースは机に鍋敷きを引き、その上にフェレスが鍋を置いた。
「本当によくできた子よね、クリスタって」
 カップにシチューを注ぎながらフェレスはクリスタのことを話題に出す。
「私たちのために料理を作っておいてくれるし、魔法薬についての知識もすごく高い。何よりも毎週日曜日にはハサルシャム様のために教会に行ってるそうよ。アンタもちょっとはクリスタの爪の垢を煎じて飲みなさい!」
「……取り敢えず僕が飲むのはシチューだけで十分だよ。何だったら君の方がクリスタに倣ってもっと丁寧な言葉遣いを覚えたらどうだ?」
「余計なお世話ね」
 しかめっ面をしながらもフェレスはエースにシチューを手渡す。
「ところで……」
 シチューを一口食べてからエースは会話を切り出す。
「魔法で出来ることについて聞いてもいいか?」
「唐突ね。まあ、アンタがどうしても聞きたいっていうなら答えてあげてもいいわよ。天使である私に分からないことなんてないもの」
 いつもの調子のフェレスに何も言わず話を続ける。
「例えば、どんなものでも絶対に貫く剣というのは魔法で作ることができるのか?」
「無理ね」
 即答した。
「もっとも固い鉱石であるダイヤモンドを使って剣を作ったとしても、どんなものでも、っていうのは不可能よ」
「なら、どんな攻撃も必ず防げる盾も作ることはできないのか?」
「いいえ、それは可能ね」
 その回答はエースにとって予想外だった。
「耐久値の問題もあるけど、事実上は作ることができるわ。まああくまで事実上だけどね。マナの問題もあって絶対防御の盾を作れる人間なんてそうはいないわ」
(まさか矛盾というパラドクスに決着がついてしまうとは……)
 驚きながらも次の質問をする。
「どうして最強の剣を作れないのに最強の盾は作れるんだ?」
「剣の強さは強度によって決まるからよ。剣は材質や形、それと持ち主の技量によって力が変動する。でも盾は誰が持とうとも違いは出ないし、材質も大きく強さには影響しない。盾の強さは相性によって決まるのよ」
「相性?」
「そう防ぐものと盾に掛けられた魔法の種類の愛称よ。例えば相手が剣なら、盾が衝撃に強い防刃の魔法を掛ければいい。相手が炎を使うなら防火を、雷なら防電を使えばいいのよ」
「なるほど……。だからさっき、事実上は可能だって言ったのか。ありとあらゆる攻撃に対する魔法を盾に掛ければそれだけで最強の盾になる」
「ええ。でもそれだとマナが絶対に足りないから、事実上は可能ってことになってるのよ」
 フェレスはシチューをあっという間に食べ終わっており、自分でおかわりをつぐ。
「だが、こっちの世界の人間は盾を見てそれがどの魔法を掛けられているのか分かるのか?」
「マナの動きを見るなんてふつうは無理よ。生まれつきの特殊能力や何十年も訓練したら辛うじて見える人も出てくるけどね」
「そうか……」
 エースは残念そうにため息をついた。それもそのはずで、別の世界から来たエースには魔法適性がなく、マナを見ることなどできっこない。
「……もう、面倒くさいわね!」
 フェレスは立ち上がり、なにやらポケットから虫眼鏡のようなものを取り出した。
「私が持っていてもしょうがないから、あなたに譲るわ」
「なんだこれ?」
 エースは虫眼鏡を受け取り、まじまじと見る。
「『マナグラスコープ』。それを通して私を見ていないさい」
 言われた通り虫眼鏡を右目の前にかざしてフェレスを見た。少しだけ拡大してフェレスの姿が映る。そのフェレスの周りには白い胞子のようなものが纏っていた。
「『エタエルク』」
 するとフェレスの手に赤い粒のようなものが集まり、手のひらサイズの炎に変わった。
「どう?」
「何か粒みたいなものが見えたが、あれがマナか?」
「そうよ。マナは色によって特性が別れるの。赤は火、緑は風、黒は特殊で白は無属性ってね。その虫眼鏡を通してみればマナの色や流れがはっきりとみえるはずよ。
……感謝しなさいよね。それはハサルシャム様が創った七神器のうちの一つなんだから」
「七神器?」
「物凄い特殊能力をもった道具よ。人間が持つことなんて滅多にあり得ないんだからね」
「そんなものを貰ってもいいのか」
 エースのしつこい態度にフェレスは肩をプルプルと震わせる。
「文句あるなら返しなさいよ! ハサルシャム様からもらった大切なものなのよ!」
「分かった分かった。感謝するよ、フェレス」
 「フン」と鼻を鳴らしてフェレスはそっぽを向く。その頬は少し赤らんでいた。

 

 次の日、エースは朝日が昇る前に家を出た。とうぜんフェレスはまだ起きて折らず、クリスタも店には来ていない。
 スカル街には人力車や馬車のようなものが大通りを走ってはいるものの、それをタクシーとして使うのは安定した収入を得ているものたちだけだ。まだ駆け出しの探偵であるエースには移動手段に金を使っている余裕などなかった。
 エースは朝早くから開いている露店に行ってパンとジャムを買うと、朝食として食べながら衛兵署まで向かった。
 そのため衛兵署につく頃にはすっかり日が昇っており、街もにわかに活気づいていた。
 相変わらず小さな衛兵署の前に来ると、二階の窓からトルバが顔を出した。昨日連れ込まれた小さな会議所の窓だ。
「上がってこい。表の扉は開けてある」
 エースは片手だけ挙げて衛兵署へと入る。別の衛兵に会えば厄介なことになると思ったが、1人も衛兵とすれ違うことはなかった。二階へと上がり、奥の会議室に入る。
「来たか」
 トルバは目の下に隈を作りながら机に積まれた資料を見ていた。資料の数は昨日の三倍近くある。
「まさか寝てないのか?」
「何……一晩や二晩、徹夜するのは余裕さ」
「肌色や呂律から察するに余裕には見えない。取り敢えず徹夜はやめた方がいい。僕のような特殊体質ならともかく、睡眠時間を削ることは脳の活動を著しく低下させるからな」
 トルバは資料の上に手を置いた。
「だが昨日お前がストレインさんにいったんだろ。この中に事件解決のヒントがあるってな。これまでにこのスカル街で起きた未解決事件。癪だがストレインさんに頼まれているんだ。お前の調査に手を貸してやれってな」
 確かに昨日、エースは去り際に未解決事件の資料を集めるようストレインに頼んでおいた。だがそれは寝ずに調べろという意味ではない。
「全部君一人でやったのか?」
「昨日みたいにお前はやらないかもしれないだろ。天才様はデスクワークがお嫌いみたいだからな」
 トルバの皮肉をエースは笑った。嘲りではなく、エースは本当に可笑しいと思ったのだ。
「そんなことはない。事件の解決に繋がるなら、僕だってデスクワークは喜んでするさ」
 エースも椅子に座り、資料を手に取った。
「今日調べるのは過去に似たような事件がないかだ。判別基準は刺殺と、殺された人間が戦闘に優れているかどうか。それ以外はすべて無視しろ」
 トルバは強く頷いた。 
 そして二人は黙々と作業を始めた。食事をとることも忘れ、無心で一枚一枚確認をしていく。
「……違う。これじゃない」
 トルバは時々不満を漏らして背もたれに大きくもたれ掛かるが、何も言わずに資料を見続けるエースを見て、再び作業に戻っていた。
 続けること数時間、早朝に始めた確認作業が終わるころには時計塔が7回目の鐘を鳴らしていた。
「疲れた……!」
 トルバは背中にもたれ掛かる。ボキボキと肩を鳴らして大きなあくびをした。この時点で小休憩をはさみながらもほとんど48時間起きていることになるのだ。
「しかし……思ったよりも絞れなかったな」
 結局机の上に残ったのは50ほどの報告書だった。最初はこの数百倍あったため、これでもかなり絞られた方だ。
(もう少し詳細なレポートならもっと絞れたのだが、それは仕方がないか……)
 エースは残った報告書を見ながら他に手がかりになるものを探した。再び確認することによってエースは疑問点を見つけた。
「トルバ、どうしてこの報告書には一貫してバウンティセントラルに所属している騎士や魔法師の名前がないんだ?」
「ん? それはここにいる被害者に身寄りがいないからさ。ストレインさんに聞いたが、ここでは殺人犯が被害者の身内に報復されたらその被害者の事件は解決済みになるらしい」
「復讐を許しているのか?」
「自警団は許さないけど復讐くらいは許すさ。悪いのは先に殺した方なんだからな」
 エースはこの街の内情をある程度は理解したつもりでいたが、思った以上に無法地帯であることに呆れかえった。
「まあ今気にするのはそこじゃない。それよりも大事なのは、この資料の被害者たちは身寄りがいないってことだな?」
「だが共通点にはならないだろ。今回のパレスはバウンティセントラルに加盟していて、パーティーメンバーもいる」
「……なら逆転の発想だよ。この資料の被害者たちに身寄りがいるなら、それが共通点が現れる」
 エースは資料を持ったまま、椅子に掛けたコートを手に取った。
「おい、どこに行くんだよ」
「バウンティセントラルに用事ができた。お前は寝不足なら無理に来る必要はない」
「……それって要するに来いってことだろ」
 エースの気遣いを長髪と受け取ったトルバは眠い体に鞭を打ち、エースに付いていった。
「トルバ、この事件に経費はあるか?」
「え? まあ、勇者が殺されただけあって臨時で経費は支払われたが……」
「なら良かった」
 エースは大通りに出ると馬車を止めた。
「おいおい、ウソだろ」
「君も寝不足なら、これくらいの楽はしても良いんじゃないのか?」
 トルバは悪魔の囁きに乗せられたように、半分やけくそで馬車に乗り込んだ。